序章
凄く昔に書いた話です。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
疫病神は絶世の美少女の姿をしていた。
王城へと走る馬車の中、城の警備を預かる警備隊長は、目の前に座る少女、リアティス・ガードランドを対面したまま見下ろしていた。
正確には、目を奪われたままだった。
それは美しい少女だった。
華奢な体、頼りなげな風情。
その可憐な面差しは、絶え間なく流れる涙に濡れ、その澄んだすみれ色の瞳を、その瞳を縁取る白金の睫毛を潤ませていた。
悲しげに伏せられたその瞳は、自分の両手首を拘束し続ける縄をじっと見つめている。
ガードランド侯爵家の姫君であるリアティスは、その瞳よりも深い色のドレスを身に纏って馬車に揺られていた。
自分は王城からこの姫君を捕らえてくるようにと命じられたのだが、果たして、こんなに可憐で頼りなげな美少女が、一体なにをしたというのだろう。
明らかな罪状は聞いていない。
不敬罪を働いたというが、こんな少女に一体なにができるというのか。
余ほど王が無体な働きをしたに違いない。
そう考えていると、不意にリアティスの顔が上げられ、その涙に濡れた紫の瞳が、じっと警備隊長を見上げた。
その絶世の美貌で真っすぐに見つめられ、警備隊長は落ち着かなくなる。
リアティスは暫しの沈黙の後、ゆっくりと形の良い唇を開いた。
「もし…」
話しかけるその声はやはり澄んで美しかった。一瞬声を掛けられたことに気付かなかったほどだ。
リアティスは真っすぐに警備隊長を見つめたまま、続けてまた口を開いた。
「手首が痛いのです。縄を解いてはいただけませんか?」
その声にハッとした。一瞬悩んだが、逃げられるはずもない。警備隊長は屈みこんで手首の縄を解いた。
抜けるように白いその手首に、縄目の跡が薄っすらと赤く残っている。
リアティスは手首を労わる様に擦ると、警備隊長に微笑みを向けた。
「お優しいのですね。ありがとうございます」
その言葉に警備隊長は心を打たれた。
なんと素直で純真な姫君なのだろうと。
他家の貴族の姫君は、警備隊長のような身分の者に言葉を掛けたりはしない。ましてや謝礼の言葉などありはしない。
それなのに、この姫君はそうではないのだ。
僭越ではあるが、陛下に注進して刑の減刑を働きかけはできまいか。
思い悩む警備隊長を知らず、リアティスは蒼ざめた顔色で、警備隊長の後ろにある硝子窓から街の風景を眺めていたが、軽く目を見張り、再び警備隊長に視線を移して口を開いた。
「あの、ごめんなさい…。気分が悪いのです。無理なお願いとは思いますが、馬車を停めてはくださいませんか?」
リアティスの訴えに警備隊長はすぐさま反応した。この美しい少女の願いなら何でも叶えてやりたかったのだ。
警備隊長の権限で馬車を停車させると、リアティスはまた淡い笑みを浮かべて警備隊長に謝礼を言った。
そうして物悲し気に、馬車の扉を見やった。
「扉を開けてくださいませ」
リアティスの言葉に、流石の警備隊長も戸惑った。
「もう見られないかもしれません。あたくしが暮らしたこの街を、この目に焼き付けておきたいのです」
リアティスの懇願に、警備隊長は立ち上がると背を向け、無言で馬車の扉を開いた。風が流れ込んでくる。
リアティスは立ち上がると、開け放たれた扉から外の様子を眺め、そして扉の前に立ち振り返った警備隊長の胸に両手を置いた。
「ありがとう。あたくし、このあなたがこの件で責められることが無いことを祈っておりますわ」
リアティスの言葉に、警備隊長は強い感銘を受けた。
この様な時にまで警備隊長の身の上を案じる。なんと心優しい姫君なのかと。
そう感動していた時、目の前のリアティスがにっこりと明るく笑った。
「本当に、祈っておりますのよ」
その笑顔に見惚れていると、不意に警備隊長の体が馬車の端から地面へと傾いていった。
リアティスが、力いっぱい警備隊長の体を外へと突き飛ばしたのだ。
何起きたのかわからないまま、警備隊長は背中から地面へと落ちる。
その体をヒールで踏みつけるようにしてリアティスは馬車の外へと飛び出していった。