三つの勝機
「どうでしたか?兵達の士気は」
テントに戻って来たバイスにミトロが尋ねた。あれから、一日置いて反乱軍は城を出発し、正規軍の待つ首都へと向かっていた。
すぐには出発せず、一日置いたのもミトロの作戦の内だった。
「悪くはないが、疲れのせいで前ほどの勢いは取り戻せないだろう」
「そうですか。いえ、でも大丈夫です。今回の作戦では兵の士気が鍵を握っていますから」
「そうなのか」
見回りが終わったハーネとガルゼナもテントの中に戻ってきた。
「バイスさん。貴方はもう寝てください。きっと、正規軍との決戦は明日になる筈ですから」
「なぁ、もうそろそろ聞かせてくれねぇか?誰ひとりも死なないとか言う今回の戦の策をよ」
バイスはまだミトロを信用していないのか、少し態度が反抗的だった。実際、ミトロの作戦に乗ると決めたのもガルゼナの説得があっての選択だった。
「そうだよ。私達だって、流石に不安だし。このまま正面突破するのはもう難しいしさ」
「そうですね。私も今日のうちに話しておこうと思っていました。ですが、その前に聞きます。何故私が出発の日を一日遅らせたのか、お分かりですか?」
バイスとハーネは考え込んだが、ガルゼナは何か心当たりがあるようだった。
「分かんない。てか、分かんないから聞いてるんだし。ねぇバイス?」
「そうだな。回りくどいことはやめてさっさと説明してもらおうか」
「ちょっと待ってください」
ガルゼナは少し得意げに手を挙げた。
「何故一日遅らせたのか。それくらいなら私にでも分かります。その理由はヘオーナル渓谷、ですよね?」
「その通りです。正規軍もこちらに向かってきていることは知っていましたから、ここを決戦の場にしました。イヅナ、地図を」
「はい。オヤ―――」
イヅナの言葉を遮ったのは裏拳ではなく回し蹴りだった。それはイヅナが裏拳の届かない範囲にいたからだろう。
その鋭い回し蹴りは脇腹を捉え、イヅナはうずくまった。
――この人、意外と色んな体術使えるんだなぁ。
ハーネはミトロの身のこなしに感心していた。イヅナは苦悶の表情の中、取り出した地図を木造のテーブルに広げた。
――イヅナさん。大丈夫なんでしょうか…
ガルゼナはイヅナのことを心配そうに見詰めていた。
「これはこのヘオーナル渓谷周辺の地図です」
全員の興味がミトロの一言で地図に向いた。
「この場所がヘオーナル渓谷だということはご存知でしょう。では、もう一つ質問を。我々が首都に向かう際、必ずと言っていいほどこのヘオーナル渓谷を通りますか?」
先程のような考えさせる質問とは違い、今度はごくごく当たり前なことを問い掛けた。
「そんなのあたりまえじゃねぇか。おい。いい加減、本題に入ってくれないか?」
「そーだよ。意地悪しないで教えて!」
ハーネはわざとなのかと聞きたくなる程のふくれっ面を見せた。
「分かりました。前も話させていただいたと思いますが、貴方がたの戦歴は調べさせていただきました。そこで今回の策に生かされる事柄を三つ発見いたしました」
「なんです?」
「一つ」
ミトロは人差し指を立てた。
「貴方がたが馬鹿正直に正面突破を繰り返していたこと。それは相手に十分な先入観を植え付けることができています。彼らはなんの証拠もなしにこう思っていることでしょう。あいつらは今回もいつも通り馬鹿みたいに死にに来るのだと」
「ちょっと!それって私達を馬鹿にしてるの!?」
ハーネは机を叩き、感情を露わにした。
「あくまでもこれは相手側の感情ですのでお気になさらずに」
「うぅ……」
怒りは向かいどころを失ったが、バイスがそれの行き先を示した。
「そんなようには聞こえなかったがな」
今日のバイスは珍しく冷静だった。決戦を目の前にして、おののいているのか、緊張しているのか。どちらにしても、妙に冷静だったバイスにガルゼナは違和感を覚えていた。
「そんなことでは話は進みませんよ。では、ミトロ様二つ目を」
「二つ」
人差し指に加えて中指を立てた。
「これは相手側のことなのですが、相手の軍師は愚策しか用いていないということ。あんな策は貴方がた以外に使える相手はいませんよ。しかし、それは私達にとって光明でもあります。何故なら、相手の策を容易に確信できるということです。確証など必要もないほどに、ね。そして、今回相手が考える策はこうでしょう。逆落としと背後襲撃。貴方がたを十分にヘオーナル渓谷に導いてから逆落としを開始し、逃げだす頃にはヘオーナル渓谷の入口は塞がれている。今までの貴方がたであればこれだけで十分だったでしょうね」
最後まで話を聞いたハーネは拳を握り締めた。
――こいつ、顔の割に毒舌なんだ…!
「聞いてもいいですか?逆落としは分かりましたが、相手は背後襲撃をいったいどうやるつもりなのですか?」
「それはここを見てください」
ミトロは指を立てている手とは逆の手で地図のヘオーナル渓谷の東側に位置する場所を指差した。
「ここで先程の質問に戻るのですが、ヘオーナル渓谷以外の最短距離はどこですか?」
「レイバントの森…か」
バイスが静かに納得したように呟いた。
「ですが、この森を抜けるには三日はかかる筈です。もし、戦闘に間に合わせるようにする為に全速力で駆け抜ければ確かに一日でも不可能ではないですが、それでは兵士達の体力が持たないでしょうね。着いた頃には疲れ切って、戦闘など出来ない状態になってしまう」
その策に異議を唱えたガルゼナの表情は僅かだが、勝ち誇っていた。しかし、ミトロはそんなガルゼナを気に留めず、説明を続けた。
「既に本隊とは違う、奇襲に備えた別動隊が本体より三日早く出発したことは確認済みです。数は千二百。隊を率いているのは闘将のギレです」
「なっ…!」
「嘘でしょ……あのギレが……」
「ギレとは厄介ですね…」
三人の顔が一変し、一気に強張った。それだけで、今までの戦闘で幾度もなく、ギレに苦戦してきたかを物語っているようだった。
「えぇ、貴方がたにとっては天敵でしょうから、お察しします。ギレは確かに将としては優れています。統率力、カリスマ性、戦闘能力、経験値、それに決断力。どれをとっても一流の将軍といえましょう」
呆然とする三人を引き戻したのはミトロの次の言葉だった。
「そして、私やバイスさん、それにハーネさんとガルゼナさんはギレの隊と同じレイバントの森に向かいます。兵は…そうですね……少数精鋭で二十というのはどうでしょう?ちなみにここの指揮はイヅナに任せます」
三人の表情が、いや、四人の表情が驚きに変わった。その予想通りの反応を楽しむかのようにミトロは口元を歪ませた。
イヅナは全く聞かされていなかった話に一人でおどおどしていた。
「何言ってやがんだ!!そんな小隊じゃあ、ギレ一人にだって勝てねぇだろうが!!」
「そーだそーだ!!私達がどれだけあのハゲ親父に悩まされてきたか知らないの!?」
「知ってます。調べましたから」
ミトロは冷たく言い放つ。
「いえ、ミトロ様は知らないでしょう。ギレには書面だけでは伝わらない恐ろしさがあります。戦場に立った彼は怪物そのものだと言っても過言ではありません」
「別に彼の強さや凄さはこの際どうでもいいのですよ」
「どういうことだ?」
バイスの問い掛けを無視して、ミトロは言葉を紡いだ。
「三つ」
最後に親指を立てた。
「それは―――」