蜘蛛の出現
「違う。こいつは雇い主の娘、俺は用心棒だ。故あって旅をしている」
ミルティが否定するよりも早く、シャンがきっぱりと告げた。
「なあんだ。なんだか気心が知れてるような雰囲気だったから、もしかしたらと思ったのに」
マシューが残念そうに言う。
残念がられても……、とミルティが思ったとき「あ」とマシューが声を上げた。
「な、なに!?」
「蜘蛛がいる」
「蜘蛛!? どこっ!?」
蜘蛛蜘蛛と言う婚約者のせいで、いつしかミルティは蜘蛛に過剰反応するようになってしまった。
「ああ、大丈夫、毒はないし、平気だよ」
そう言いながらマシューが手のひらに蜘蛛を乗せる。
細長い足をした、決して小さくはない蜘蛛だった。毒がないとはいえ、あまり近づいてほしくない。
昆虫なら平気だけれど、蜘蛛だけは昔から駄目なのだ。
「い、いやっ、どこかにやって!」
「どこかって言われてもねぇ……」
マシューが思案しているうちに、蜘蛛はマシューの手のひらから逃げ出し、自らどこかへと消え去ってしまった。
「あっ!」
「まあまあ、害はないから」
マシューがなんでもないことのように言う。
逃げてしまったものは仕方がない。蜘蛛なんてものはどこにでも現れるし、それは仕方のないことなのだと、ミルティもわかってはいるのだ。
ただ、できれば遭遇したくないだけで。
願わくは、あの蜘蛛が馬車の外に出て行っていますように。
それにしても、マシューは蜘蛛を見てもけろりとしていたばかりか、自分の手の上に乗せることまでしていた。
もしかしたらこの人も蜘蛛青年――アマーシと同類なのでは、とミルティは疑う。
偏見はよくないけれど、蜘蛛を愛する人とはわかりあえそうにない。
そんなことを考えているあいだにも、何者かの乗った馬は着々と馬車に迫っていた。