誘拐
ラクラーナ王国の王都にほど近い場所にある街ハーマ。
そこは大きな街道の交差する地で、国中のから色々な商品が集まってくる。
商人たちはこの街で商品を売り買いし、また情報を交換するのだ。
街には様々な店が軒を並べ、目抜き通りをはじめ一本奥に入った道にもぎっしりと露店が並んでいる。
ミルティは既に町娘風のドレスに着替え、踵の高い華奢な靴の代わりに歩きやすい丈夫な靴を履いていた。
髪を安いリボンでひとつに束ね、石造りの建物が並ぶ街の中を歩いている。
ドレスと靴と髪留めを売った金でそれらを買ったのだが、手元にはまだかなりの金が残っていた。
「次は馬車ね」
のんびりと物色している時間はなかった。見つかる前に、少しでも遠くまで行かなければならない。
「お嬢さん、もしかして馬車をお探しですか?」
声をかけられて振り向くと、ひとりの男が立っていた。
「ええ、そうよ。レッツェル山まで行きたいの。途中の街まででもいいのだけれど」
答えながら、ミルティは男を素早く観察する。
服は着古されているものの、不潔な印象は受けない。靴は汚れておらず、髪も整えられている。その姿から、客商売を心得ているように見える。
「それはよかった。ちょうど知り合いに客待ちをしている御者がいるんですよ。ご案内いたしましょう」
「おいくらかしら?」
「さあ、それはそいつと相談していただかないことにはなんとも。ですが、そこらの馬車よりは安いと思いますよ」
そう言って男がミルティを促す。
ミルティはついて行ってもいいものかどうか迷い、けれど男の身なりから感じた印象を信じることにした。
どう見てもごろつきには見えなかった。
男はミルティを気遣うように、しばしば様子を窺いながら人ごみの中を進んでゆく。
ミルティはそうこうしている間に見つかってしまったらと考えると気が気じゃない。
「あの、そのお知り合いの方はどの辺りに?」
角を曲がったところでミルティが問うと、男が足を止めた。
はっとミルティは自分の置かれた状況を覚る。
その通りには人の気配がなかった。
きびすを返すと、見知らぬ男が立ち塞がっている。
雲を突くような大男だ。挟まれた。
「どうして……?」
「どうしてだって? 世間知らずのお嬢さんが歩いてんだ、声をかけねえ馬鹿はいねえ」
ミルティは男の口調が先ほどまでとはがらりと変わっていることに驚く。
「でも、服装が……」
身だしなみを整えている人はきちんとした人だと、そう教えられたのに。
「服装? ああ、こっちは騙すのが仕事なんだ。その程度簡単に装えるさ」
ああ、そうか。とミルティは落胆する。自分では精一杯気をつけたつもりでいたけれど、それでもやっぱり世間知らずなのだと思い知る。
ミルティはドレスと靴と髪留めを売った金を取り出して、男に差し出した。これは勉強料だと思うしかない、と潔く諦める。
「これで全部よ」
じゃらりと袋の中の硬貨が鳴る。男たちはにやりと口の端を歪めて醜く笑った。ひったくるようにその袋を取り上げる。
「だが、これだけじゃ足りねえな」
そしてミルティの細い手首をぐいと男が掴んだ。
「何をするの!?」
「おまえを拐かして身代金を要求する。金を手に入れたあとは、どこかに売っぱらえば金になる。最大限に利用しないとな」
つかまれた手首が痛い。
手持ちのお金を渡すだけで満足してくれるような、欲のないごろつきなんていないのだ。
ミルティは、自分がとんだ失敗をしてしまったのだと、ようやく覚った。