出奔
ミルティは馬車の荷台で揺られていた。
手にはくしゃくしゃになった紙を握っている。
今日届いたばかりの手紙だ。
『やあ、ミルティ。
いかがお過ごしかな。母上があまりにうるさく言うものだから、仕方なく君に便りを書くことにしたよ。
僕のリッキーとデュックは今日も素晴らしいよ。この子たちに費やすはずの時間を割いてこれを書いているんだ。
そのことを充分に感謝して、必ず返信を書いておくれよ。こちらにも色々と事情があるのだからね。
僕としては君が嫁にきてもこなくてもどちらでもいいんだけれど、母上を哀しませるのは本意じゃないからね。
それじゃあ。
アマーシより』
手紙に書かれた文面を思い出すと、握るその手に力がこもる。
リッキーとデュックというのは、アマーシが飼っている蜘蛛の名前だ。
屋敷には他にも何種類もの蜘蛛が百匹近くいるのだと、いつだったか手紙に書いてあった。手のひらほどの大きさの蜘蛛ですら、ごろごろいるんだとか。
彼は偏執的な蜘蛛愛好家だ。
そして――ミルティの婚約者でもある。
もちろん、ミルティの趣味ではない。
更に言うなら、ミルティは蜘蛛が苦手だ。
いいところだってあるかもしれない。結婚は勘弁してほしいけれど、友人関係なら努力すれば築けるのでは?
そう思ってなんとかがんばってきたミルティだったけれど、そろそろ限界だった。
ミルティの両親はアマーシのことを「日夜研究に励む優秀な人材」だとか「生き物を大切にする心優しい青年」だなどと言いながらミルティをなだめようとしたけれど、それが彼女の癇に障った。
彼らは娘がアマーシと結婚して幸せになれると本当に思っているのだろうか。
もしそう思っているのならそれはとんだ勘違いで、そんなことちっとも思っていないのに結婚の話を進めているのならとんでもない親だ。
『婚約なんて今すぐ破棄して! わたしは好きなようにするわ!』
そう言い捨てたミルティが家を飛び出したのが、つい先刻のこと。
ちょうどよいところに止まっていた荷馬車の荷台にこっそり乗り込み、一路、大好きな幼なじみ、トルクのもとへと向かっている。