銀の鳩2
中ではヤスミナがすでに腰を下ろして待っていた。彼女も着替えており、より身体の線がはっきり出る薄物をまとっていた。膝を崩して寛いだ姿は艶冶な雰囲気を醸し出していた。
何よりヴェールを取って素顔を見せていることがコランには嬉しかった。案に違わず彼女は麗しい顔立ちをしていた。白亜のような白い肌に艶やかに光る黒髪が美しく映える。大振りの唇はざくろのように赤い。
「お主、いかがした。何をそのように呆けておる」
「あなた様の姿に見とれておりまして」
「上手を言う」
会話の合間にコランも腰を落ちつける。クッションの座り心地は中々のものだった。 「まずは一献」と言ってヤスミナが杯を掲げる。コランも杯を手に取ると傍に控えていた下女がすかさずぶどう酒を注いでくれた。口をつけると芳醇な味わいが口中に広がった。
「素晴らしい」
「カルムユン産の上物だ。今日手に入れたばかりの銘酒、味わえるお主は果報者だぞ」
コランははたと気がついた。
「では夕刻城外で出会ったのは……」
「そういうことだ。都の外で買うと関税がかからない分安く手に入る。うまい具合につてがあってな」
そこで彼女は悪戯っぽく笑った。
「しかしそのようなものを私に振舞われるとは光栄のいたりです」
「なに、一人で飲むのはつまらないからな。良い機会を得たというわけだ」
その後しばらくは二人して無言で酒の味わいを楽しんだ。ヤスミナの顔が赤くなっているのは酔いが回ったせいか。その姿もまた魅惑的だった。
コランもほろ酔い加減になって肴をつまんでいたとき、「ところで」とヤスミナが身を乗り出して話しかけてきた。
「この街には何の用で参ったのだ」
「用というほどの事はありません。ただ見聞を広めようと諸国を経巡る道すがら立ち寄ったまででして」
「気楽な身分というわけか。私のような宮仕えの身からすれば羨ましいかぎりだ」
「どのような役職についておられるので」
「近衛騎士を勤めておる」
「それは素晴らしい」
コランは賛嘆の声をあげた。
「見た目は華やかだが、これで結構気苦労の多い仕事なのだぞ。今宵も……」
と、そこで彼女は言葉を切り、自嘲めいた笑みを浮かべた。
「つい口さがない事を。お詫びします」
「気にいたすな、つまらぬ愚痴だ。ところでお主、それだけ方々を出歩いているのなら定めし面白い物事など見聞きしたであろう。ここで一つそれらを語ってはくれまいか。それを以って先程助けたことへの礼と見なすがどうだ」
「お耳汚しでなければ喜んで」
コランはぶどう酒で口を湿らすとおもむろに語りだした。旅のなかで経験した様々な事を口舌爽やかに話す様はヤスミナを大いに喜ばせたようで、たびたび彼女の口から笑い声や感嘆の叫びが洩れた。
その様子を好ましく見つめていたコランは彼女の気をさらに惹くため、切り札を使うことにした。
「以上で私の話はお終いですが、これだけではあなた様のご恩情に報いるにはまだまだ足りません。ここは一つ私の拙い楽の音でも聞いて頂けないでしょうか。自慢ではありませんが手遊び程度には楽器を扱えますので」
「ほう、それは楽しみだな。丁度うちにはキーラがある。使えるかな」
「もちろんです」
「キーラを持って参れ」
「しばらくお待ちを」
そう言ってさがった下女は程なくして一本のキーラを携えて戻ってきた。瓜実型の胴に美々しい装飾の施された逸品だ。
コランはそれを受け取ると手馴れた仕草で弦の調子を整え、それから一つ息を吸うとささやくように弾きはじめた。
それは『銀の鳩』という恋歌で、コランの最も得意とする曲だった。これで彼女の心を虜にしようという算段だった。
コランは喉を震わせ、弦をかき鳴らす。その合間に上目使いに彼女の顔色を窺う。ヤスミナは目を閉じ、酒を飲む手も止めてじっと聞き入っている。上手くことは運んでいるようだ。
やがて曲は佳境に入った。ここ一番の聞かせ所と精魂込めて声を張り上げる。と、その時音も無く召使がすっと姿を現した。そしてヤスミナのもとへ歩み寄るとそっと耳打ちした。途端、ヤスミナの顔色が変わった。口元はぎゅっと引き締まり、目には炯々《けいけい》と光が宿る。もう音楽を楽しむような風情は微塵も無かった。それから彼女は立ち上がると「すまぬ野暮用が出来た」と言って部屋を出て行ってしまった。
興を殺がれたコランは弾く手を止め、溜息を一つついた。もう宴はお開きだろう。せっかくいい所だったのに。コランは残念がった。なにせ彼は曲に事寄せて、彼女に愛を囁こうとしていたのだから。
程なくしてヤスミナは戻ってきた。だがその姿を見てコランは驚いた。なんと彼女は武具をまとって現れたのだから。彼女の凛々しさはますます高まり、コランは思わず目を見張った。
「どうしたんですその格好は」
「言ったであろう、私は近衛騎士であると。だから剣を取って陛下にお仕えするのが努めだ」
「こんな夜中に」
「兵事に昼夜の区別は無い」
彼女の厳しい物言いにコランは圧倒された。
「今夜は絶対外に出ないように。お主、どこかに宿をとっているのか」
「はい」
「なら夜が明けたら宿屋まで駕籠で送ろう」
そう言うとヤスミナはすたすたと部屋を出ていった。が、途中で足を止めると振りかえり、「今夜の宴は楽しかったぞ」と先程とは違った優しげな声で告げた。魅力的な笑みを浮かべながら。
それから彼女と入れ違いに召使がやってきて、床の用意が出来たことを知らせた。促されて床に着いてもコランは中々寝つかれなかった。言い知れぬ不安が胸中にわだかまっていたからである。
戦いに向かうとは命のやり取りをすることである。するとヤスミナも……。埒もない考えにふけるコランは結局ほとんど眠ることが出来なかった。
朝になり起こしにきた召使にヤスミナの消息を尋ねる。だが彼女はまだ戻っていないという。不測の事態でも生じたのだろうか。すかさず召使達に何が起きたのか問い質す。しかし彼らは一様に口を閉ざし「ご心配には及びません」と取りとめも無い答えを返すばかりだ。何か隠しているようだ。
本当を言えば彼女の邸を離れたくなかったのだが、召使達が主人の命を盾に取って強引に迫るので結局駕籠に乗るはめになってしまった。仕方無く彼らに宿の名を告げる。その際、昨日奏したキーラを持たされた。何でも彼女がコランに渡すよう命じたのだという。コランは何故か不吉な思いを抱いてしまった。
宿屋に着くとレジガルデ飛びかからんばかりに駆け寄ってきた。
「若、どこにおられたのです。心配しましたぞ」
彼の声は震え、目には涙を浮かべている。
「どうした、何をそんなに慌てふためいている」
「若、この都は今大変な事になっています。王子の一人が謀反を起こして城内で争いが始まっているのです。まだ雌雄は決していません。そのあおりを受けて城門は閉ざされたままなので、我々は逃げることさえ適わぬのです」
彼女が夜分出て行ったのはその為か。コランは自分の事よりもヤスミナの身を案じた。しかしどうすることも出来ず、ただ宿屋の中で時を過ごすしかなかった。窓から外を窺うとあちこちに立ちのぼる煙が見える。あれは戦火だろうか。コランは気を揉みながら一日を過ごした。
翌朝、ひっそりとして静かだった街に突然つんざくようなラッパの音が鳴り響いた。それとともにあたりは何だか騒がしくなってきた。レジガルデが様子を見に行く。程なくして戻った彼は興奮した面持ちだった。
「若、どうやら王子側が勝ったようです。それでこれから勝利の式典が行われるようです」
コランは呆然となった。先だっての口ぶりからするとヤスミナは国王側についていたはずだ。とすると彼女の消息は。それを確かめる為、コランはレジガルデを伴って、王宮へ出かけることにした。
王宮前広場は人でごったがえしていた。みな新王の姿を見ようと待ち構えているのだろう。広場の一角には雛壇が設えられ、着飾った人々が立ち並んでいる。それらの間にコランはその場にそぐわないものを見つけた。それは縛られ、うずくまった人間達だった。皆一様にうな垂れている。




