昔々、あるところに
いつの頃のことだったのか定かではない。子供の頃の話だ。それこそ、昔の話。
時が定かではない記憶の中で、私は誰かに向かって「昔の話だけど」と、そんな語り口調で話を始めた。どんな話をしたのかも、もう定かではない。ただ、そう話した相手の返事が、「それって、昔の話じゃないじゃん。まだ十年も経ってないよ」だった。
十年経ってないと、昔じゃない。それからそのことが私の頭から離れない。ずっとだ。
その経験から、私は「昔」という言葉すら使えずにいた。下手な使い回しをして、また「昔じゃない」と言われるのを恐れたからだ。昔というからには、かなりの年月が経っていることが必要だ。小学生には禁句だと自分に言い聞かせた。
中学生の時にも、「昔」を考えた。「昔さ、」などと使って話をするときには、二歳三歳の頃の話をする必要がある。それは無理だ。ほとんど記憶にない時の話だからだ。中学生の自分は「昔」という言葉を使うことはなかった。五年前の話なら、「五年くらい前のことだけど」そんな話し出しだ。
高校生になった時、私はやっと「昔」の話ができると思った。が、よく考えたら五歳の頃の記憶でハッキリしていることは、思ってた以上に少ないのだ。それに気づいたとき、まだ「昔」の話なんかできないじゃんと肩を落とした。
だが、高校も三年生になる頃には、私にも「昔」があり、その話をやっとできる。そう思った。だって、十年前のことで覚えていることはそれなりにあったのだ。
「昔、よく自転車に乗って遊びに行ったんだよね」
「どこに?」
「友達の家とか、公園や神社、夏休みの小学校とか」
そう言って思い出す自分は、明らかに小学校の高学年の頃の自分だ。あれ?あの頃って、私はいくつだっけ?自転車で遊びに行ったあそこ……あれ、あの時の私は五年生?六年生?よくよく考えると、十歳や十一歳、十二歳頃の記憶が多く入っている気がした。マズイ、これは昔の話じゃない。この話ができるのは、二十歳になったころなのでは……
二十歳になった頃、これで安心して「昔」の話ができると思ったが、やはり思い出す「昔」は、殊の外身近なものばかりで、十年も前のことではないことが多かった。私に昔話はできるのだろうか……
二十五歳になった時、中学の同級会に出席した。その時に、「昔さ~」と、中学生の頃の話をそんな出だしでされたとき、そうか、これだ!これこそ「昔の話なんだ」と、ようやく昔の話をしていいんだと思い、なぜだか安堵した。
あれから何年もが経ち、今は普通に昔の話ができるようになった。「昔」という言葉を使う時、それは何も考えることなく出てくる言葉になり、やっと自分のものだと思えるようになった。
これが、昔の話を正々堂々とできるようになった、私の昔の話だ。
が、最近、よく考える。私は、童話に出てくるような「昔々」から始まるような昔話を、いつになったらできるのだろうかと。昔々と言うくらいだから、十年では足りない。ではその倍の二十年前の話なのだろうか?いや、きっと違う。「昔」を重複させるくらいなのだから、相当歳を重ねなければならないのだろう。
いくつになっても、私は「昔」に囚われている気がしてならない。
その話ができるころ、私は……




