第3話 廃ビルの屋上
「……ここか? お前らが選んだ『新天地』とやらは」
龍神――青龍は、不機嫌そうに鼻を鳴らした。そこは、再開発の波に取り残された、築五十年の雑居ビルの屋上だった。四方を鏡張りの超高層ビルに囲まれ、太陽の光さえも屈折して届く、谷底のような場所。
「そうよ。誰も見向きもしない、忘れ去られた空。ここには人間の所有欲も、古い信仰のしがらみもない」
イオリが、コンクリートの割れ目から力強く芽吹いた雑草に触れる。
「冗談きついぜ。ただのゴミ捨て場じゃねえか」
レオが低く唸り、屋上の隅に転がっていた壊れた給水塔を見上げた。「だが、ここには『水』の気配がある。錆びついた管の奥に、わずかながら地下水の脈が通じているんだ」
レオは鋭い爪をコンクリートに突き立てた。バキリ、と硬い音が響き、亀裂が走る。
「じいさん、あんたの力を貸せ。この死んだ鉄の管に、もう一度命を吹き込め」
青龍は溜息をつき、ジャージのポケットから古びた酒瓶を取り出した。
「……ったく。使い走りに龍神を呼ぶとはな。だが、この『隙間』の空気、嫌いじゃねえ。人間どもの喧騒から一番近い、断絶された孤島か」
青龍が酒を地面に撒いた瞬間、その滴が銀色の龍へと姿を変え、給水塔の中へ飛び込んだ。
ゴゴゴ、とビル全体が震える。錆びついた蛇口から、奇跡のように透き通った水が溢れ出し、屋上の床を洗い流していく。
「イオリ、次はあんただ。この水に『結界』を張れ」
「言われなくても。私の角に宿る雪山の記憶を、ここに定着させるわ」
イオリが目を閉じると、彼女の周囲に冷たく清らかな霧が立ち込めた。霧は屋上の縁をなぞるように広がり、周囲の騒音をピタリと遮断した。一歩外は新宿の喧騒。だが一歩内側は、静謐な森の奥深くのような静寂。
「……できた。ここが、僕たちの最初の神域だ」
レオが濡れた床に膝をつき、溢れる水を掬って飲む。その目は、かつての山犬としての輝きを完全に取り戻していた。しかし、この小さな奇跡は、街に潜む「他の存在」の注意を引いてしまう。
「……おい。勝手に陣地を広げる不届き者がいると思えば。野良犬と、迷い鹿じゃねえか」
結界の外側、ビルの影から、黒いスーツを着た男たちが現れた。その瞳は、獲物を狙う獣のように不気味に光っている。




