忘却図書館
【第1話:『忘却図書館の鍵』】
森の奥に、誰も知らない図書館がある。
正式名称は“忘却図書館”。
迷い込んだ人の「忘れたはずの記憶」だけを集めた、不気味な館だ。
大学生の有馬涼は、ある日突然“自分の過去の一年分が抜け落ちている”ことに気づいた。
カレンダーには見覚えのない書き込みが並び、スマホには知らない番号から定期的に着信が来ている。
それでも自分は、その一年間を完全に覚えていなかった。
唯一の手掛かりは、部屋の引き出しに入っていた一本の古びた鍵。
タグには、こう書かれていた。
「忘却図書館 来館者番号:017」
聞いたこともない施設だ。
だが数日後、ネットの片隅で“記憶を返してくれる図書館”という都市伝説を見つけた。
半信半疑のまま調べると、どうやらその場所は郊外の山にあるらしい。
夜、涼は鍵をポケットに入れ、森へと入った。
木々の合間にひっそりと建つ黒い建物。
まるで誰かが昔からここにあるのを忘れてしまったかのような、色褪せた図書館だった。
扉を押すと、カランと鈴が鳴る。
中には一本のカウンター、そして白髪の司書が佇んでいた。
「来館者番号……017番、有馬涼様」
司書は来ることを知っていたかのように名を呼ぶ。
「返却になさいますか? それとも閲覧をご希望ですか?」
「閲覧……?」
司書は静かに微笑んだ。
「あなたが“忘れた一年分”は、こちらに保管されています。
閲覧すれば記憶は戻りますが……返却すれば完全に失われます。
どちらを選びますか?」
涼は思わず喉を鳴らした。
一年分の記憶を手に入れれば何か変わるのか?
そもそもなぜ自分は忘れたのか?
「……閲覧します」
「承りました」
司書が指した先には、閲覧室へ続く細い廊下。
涼はそこを進み、奥の小部屋に入った。
中央には古い机。
そこに一冊のノートが置かれていた。
表紙にはタイトルが書かれている。
『有馬涼 行動記録』
震える手でページをめくると——
そこには、見覚えのない日記がびっしりと綴られていた。
「……これ、俺が書いたのか?」
読み進めるうちに、涼は息を飲んだ。
書かれていたのは、
「自分ではない誰か」になりすまし、特定の人物を監視し続けた日々 だったのだ。
しかもその人物の名前を見て、心臓が止まりそうになった。
『宮代皐月』
それは、現在消息不明になっている涼の幼馴染だった。
ページの最後にはこう書かれている。
——“宮代皐月は危険だ。
必ず“保管”しなければならない。”
保管?
何を意味している?
その瞬間、背後で扉がギィ……と開いた。
振り返ると、司書が立っていた。
そして静かに言う。
「記憶は……戻しましたね?」
涼の頭の奥がズキンと痛む。
まるで何かが強制的に流れ込んできているようだった。
「どうして俺は、皐月を監視してたんだ……?」
司書は短く答えた。
「その理由は——第二閲覧室にございます」
黒い扉がゆっくりと開く。
そこには、
ガラスのカプセルに眠る皐月の姿 があった。
涼は息を呑む。
「どうして……ここに……?」
司書は淡々と答えた。
「彼女は“危険な記憶持ち”です。
忘却図書館では、そういう方を預かることがあります」
皐月の閉じた瞳は、まるで今にも開きそうだった。
涼は思った——
自分が忘れた一年間、その全てが皐月を巡るものなら……
自分は彼女を、守っていたのか?
それとも——閉じ込めた側なのか?
真相は、まだ奥にある。
ーーーーーーー
※第1話、終わり(続きます)
【第2話:『忘却図書館の鍵2 皐月の目覚め』】
皐月の眠るカプセルの前で、涼は固まっていた。
心臓が早鐘を打ち、視界が揺れる。
忘れたはずの一年間、そこに自分は何をしていた?
司書は淡々と続ける。
「宮代皐月は、自身の記憶を“自在に操作できる”特異な存在です。
だから保護が必要なのです」
「記憶を……操作?」
「忘れさせることも、思い出させることも。
他者の意識に“書き込む”ことすらできる」
涼は理解できなかった。
幼馴染がそんな能力を持つはずがない。
「そんなこと……あるわけ——」
その時だ。
ピシッ。
カプセルに走る小さなひび。
涼が息を呑むより早く、皐月の瞼がゆっくりと開いた。
黒い瞳が涼を捉え、微かに笑う。
「——やっと迎えに来たんだね、涼」
司書が警戒して後ずさる。
「起床はまだ早い! 再封鎖を——」
だが皐月が指を軽く振ると、司書の体がふっと揺れ、次の瞬間、彼は倒れて眠り始めた。
「……眠ってもらっただけ」
皐月はそう言うと、ガラスを押し破り、軽やかに降り立った。
涼は震える声で問う。
「皐月……俺は一年分を忘れて……お前を監視してたって……」
皐月は悲しそうに笑う。
「監視じゃないよ。
涼はずっと、私の記憶が暴走しないように“支え”になってくれてた」
「支え……?」
皐月はそっと涼の頬に触れた。
「でもね……あなたは“私の秘密を知りすぎた”。
だから自分で自分の記憶を捨てたの。
私を守るために」
涼は目を見開いた。
「俺が……自分で忘れた……?」
「うん。忘却図書館に来て、
“皐月に関する記憶だけ返却する”って選んだんだよ」
胸が痛む。
皐月の言葉は嘘ではない……という直感があった。
「じゃあ……なんで今、皐月は目覚めた?」
皐月は涼の手を握る。
「あなたが鍵を持ってきたから。
目覚めるための“合図”は、涼の来館番号017……
あなたの再訪だったの」
涼の記憶の奥で、何かが音を立てて崩れた。
皐月は続ける。
「さあ、ここを出よう。
図書館は私たちを閉じ込めようとする。
でも二人なら……きっと脱出できる」
その時、館内の照明が一斉に赤く染まった。
アナウンスが響く。
——「来館者017番および宮代皐月の脱走を確認。
封鎖プロトコルを開始します」——
司書たちが一斉に目を覚まし、涼たちに向かって歩き始めた。
涼は皐月の手を強く握る。
「行こう……皐月!」
「うん。出口は奥の“第三閲覧区画”。
そこに“本物の記憶”がある!」
二人は走り出した。
廊下の奥、闇の向こうに、まだ知らない真実が待っている。
涼が捨てた一年分の記憶——
そして皐月が隠し続けてきた秘密。
忘却図書館は静かに、二人の行く手を閉ざそうとしていた。
【第3話:『忘却図書館3 第三閲覧区画への道』】
赤い警報灯が脈打つように点滅し、廊下には重苦しいサイレンが響いていた。
涼と皐月は手をつなぎ、奥へ奥へと走り続ける。
「第三閲覧区画って……どこにあるんだ!?」
息を切らす涼の横で、皐月は迷わず曲がり角を選んでいく。
まるで——かつてこの図書館を何度も歩いたことがあるかのように。
「皐月……どうして道がわかる?」
走りながら皐月は短く答えた。
「私ね、この図書館を“作った人間”だから」
耳を疑う。
だが皐月は続けた。
「忘却図書館は“記憶を扱う人間”のための避難施設だったの。
私みたいに、記憶が暴走する者を守るための場所……
でもいつの間にか、管理者たちが“封じ込める施設”に変えてしまった」
涼は息を飲んだ。
皐月は、自分を守るために作られた施設に囚われていた——?
後方から足音が迫る。
司書たちが増えている。
彼らは無表情のまま、一定の速さで着実に追ってくる。
皐月が涼の手を引き、壁に手をかざす。
「——開け」
低く呟くと、壁に隠されていた通路が自動で展開した。
記憶を操る力は、図書館内部の仕組みとも連動しているのだ。
二人はその暗い通路へ飛び込んだ。
*
数分走った頃、通路は巨大なホールへと繋がった。
天井には巨大な球体が浮かんでいる。
表面には、あらゆる人間の記憶が映像として流れていた。
「ここが……第二閲覧区画?」
皐月が首を振る。
「違う。“記憶流通室”だよ。
図書館が人々の忘れた記憶を分類して……回収して……蓄える場所」
涼は寒気を覚える。
ここでは、人々の人生そのものが“素材”として扱われていた。
皐月は天井を見上げ、小さく言った。
「涼の忘れた一年分の記憶も、ここに流れてる。
でも……それは表層。
本当の“核心”は第三閲覧区画にしかない」
涼は拳を握りしめた。
「そこに行けば……全部わかるんだな?」
皐月は頷くが、その顔はどこか悲しげだった。
「……うん。本当は、思い出さないほうがいいかもしれないけど」
「いいんだ。皐月が関わってるなら、俺は知りたい」
その瞬間、皐月の表情がかすかに緩む。
しかし——
バンッ!!
後方の扉が吹き飛び、司書たちが一斉になだれ込んできた。
皐月は涼を押し、叫んだ。
「涼!先に進んで!
第三区画への扉は、中央球体の裏側!」
「皐月!一緒に——!」
「今の私じゃ、全部は守れない。
でもあなたは行って。記憶の真相に辿りついて!」
司書たちの群れが迫る。
皐月は一歩前に出て、記憶の力を放つ。
その周囲の空間が歪み、司書たちが硬直した。
だが時間は短い。
涼は叫ぶように言った。
「必ず戻る!皐月、絶対に迎えに来る!」
「……待ってるよ、涼」
涼は走り出した。
巨大球体の裏へ向かう。
そこには、黒いアーチ状の扉があった。
【第三閲覧区画
来館資格:記憶返却者のみ】
扉が静かに開き、漆黒の廊下が涼を招き入れた。
ーー涼はついに、自分が捨てた“秘密の記憶”の核心へと踏み込む。
【第4話:『忘却図書館4 黒い廊下と核心記憶』】
第三閲覧区画の廊下は、不気味なほど静かだった。
先ほどまでのサイレンも、遠くの気配もない。
「ここは……本当に図書館の中なのか?」
壁は真っ黒で、天井にはまばらに浮かぶ光球だけ。
まるで巨大な心臓の内部を歩いているようだった。
しばらく進むと、廊下の先に一枚の鏡が立っているのが見えた。
鏡の前に、涼は立ち止まった。
映っているのは自分。
だがもう一つ、“自分ではない影”が背後に立っている。
「……誰だ?」
涼が振り返ると、そこには誰もいない。
だが鏡の中の影は、にたりと笑った。
——僕を忘れてくれて助かったよ、涼。
涼は息を飲んだ。
影は自分とそっくりだが、瞳の奥が真っ黒だった。
「……お前は……俺の“捨てた記憶”か?」
影が楽しげに頷く。
——そうだ。
お前が一年分の記憶を捨てたとき、一番深いところにいた“本当のお前”。
「俺の……本性だって言いたいのか?」
——本性?違うね。
俺は“皐月に関する記憶の守護者”だよ。
本当の理由を封じていたのは、お前自身じゃない。
影の指が鏡の向こうから伸びる。
涼は動けない。
——思い出せよ。
皐月は“危険な記憶持ち”なんかじゃない。
本当に危険なのは——
影が涼の胸に触れた瞬間、
頭の奥が爆発するような衝撃が走った。
*
気がつくと、白い部屋に座っていた。
目の前には、幼い頃の皐月が泣いている——
あの夏の日の記憶だ。
皐月の家が火事になり、涼は彼女を必死に助けようとした。
でも、煙の中で皐月は記憶を失った。
と思っていた。
だが、違った。
皐月は火の中で、震えながら言っていた。
「私の中には“誰かの記憶”がある。
涼くん、私を助けたら……あなたまで巻き込まれるよ……!」
子どもだった涼は理解できず、ただ皐月を抱き寄せた。
だがそのとき皐月は——
涼の記憶に“守護の契約”を書き込んだ。
——皐月を守り、皐月のためなら自分を消してもいい。
その記憶が、ずっと涼を縛っていた。
一年間の監視も、記憶の返却も、すべてはその“契約”が原因だった。
そして、さらに映像が切り替わる。
数ヶ月前、涼は皐月に言っていた。
——「皐月の中の“誰か”……あれは誰なんだ?」
——『わからない。気がつくと私の中にいるの』
——「追い出せないのか?」
——『できない。もし外に出したら……その記憶は涼くんに宿ってしまう』
皐月は泣きながら訴えていた。
——『だから涼くんは、私から離れなきゃいけないの!』
だが涼は拒んだ。
——「お前を一人になんてできるか!」
皐月は絶望し、涼の一年分の記憶を“眠らせた”。
涼が図書館に自分で足を運ばせるほどに。
そこまで理解した瞬間、世界が黒く染まる。
影が再び現れる。
——さあ、ここからだ。
本当の記憶は“まだ先”にある。
影は背後に、巨大な黒い扉を作り出した。
【核心記憶室】
【開示条件:本人の覚悟】
涼は息を吸い込んだ。
皐月は、自分の中に“誰かの記憶”を宿している。
涼はその記憶から皐月を守るため、自らを縛った。
だが——
その“誰か”とは何なのか?
扉の向こうに答えがある。
涼は一歩、踏み出した。




