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男3人、いなかですごす。  作者: なずとず
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第7話 迷子

 あの時。僕が、一緒に帰ろうってナツコさん(トシコさんかもしれない)を抱いていれば、こんな薄暗がりの中を探さなくてよかったのかもしれない。冬の陽が傾くのは早くて、まだ慣れない田舎の山道はどんどん真っ黒に近付いている。


「おおい、陽翔は元気だな、おじさんはこけそうだよ」


 後ろから仁さんが、懐中電灯片手に追ってきている。僕は昼間見た茂みを探して、駆け足で坂を下っていた。


 早く迎えに行ってあげなきゃ。夜は周りが見えないなら、きっと心細い思いをしているだろう。人間だって真っ暗の山なんて、怖くてたまらないんだから。


 そんなふうに考えてから、僕はふと思う。


 あの時、母さんもこんな気持ちだったんだろうか。僕を迎えに来て、怒鳴り散らした母さんは──。


「あっ、ここです、ここ!」


 昼間に見た茂みを見つけて、僕は仁さんに声をかける。ぱっと見たけど、ニワトリの姿はない。もしかして移動したのかな、もっと下に降りたのか、もしくは山の中に入ってしまったのか。耳を澄ませると、茂みの奥の方から音が聞こえる。


 カサカサという葉の擦れる音に、本能的に怖い気持ちになるけど。それに混じって、小さくコッコと鳴く声が聞こえる。僕はすぐに、茂みの中へと飛び込んだ。


 すぐに後悔した。草だらけの茂みはとてつもなく歩きにくいし、暗くて前もよく見えない。そこにマムシやクマがいたって全然わからないだろう。だから逆に、立ち止まる気にはならなかった。ずんずん進んだほうが、かえって怖さも薄らいだ気がしたのだ。


 しばらく歩くと、ニワトリの鳴き声は大きくなっていく。そして、ついに僕は少し開けた場所に出た。


「ひえ」


 暗い林の中、ぽっかりと開いた場所には、古びた墓が建っている。正直、ものすごく怖い。クマやマムシよりも、見たこともない幽霊のほうが怖い気がした。早くニワトリを見つけて帰ろう、と周りを見ると、墓石の前のほうにニワトリが座っていたからますます怖くなった。


「な、ナツコさん。そんなところにいたら、その、ね、危ないから。帰ろう。ね」


 それに、墓の主に怒られないかも心配だ。驚かせて逃げないように、声をかけながら恐る恐る手を伸ばす。そういえば、ニワトリに触るのは初めてだ。クチバシで突っつかれたり、暴れられたりしないかと思ったけど、彼女はあっさりと僕の両手の中に納まった。


 ふっくらとした体の丸みよりもずっとずっとフカフカしている。羽根の一枚一枚、一筋一筋が手に触れて、なんともくすぐったい。そしてその内側に、命の温かみを感じる。僕は何とも言えない気持ちになりながら、ニワトリを引き寄せる。思っていたよりずっと大人しくて助かった。


「もう、ダメだよ、こんなところにひとりで来ちゃ……」


 そこまで言って、僕は口をつぐむ。あの日のことを思い浮かべたからだ。


 心細かった僕は、きっと叱られたくはなかった。もう大丈夫だと、帰ろうと言ってほしかった。


 だけど今なら母さんの気持ちもわかる。心配で、苦労してここまで迎えに来たんだ。安堵感と危険が及んでいたことへの怒りと、それを見過ごした自分への後悔で、小言が漏れてしまうのも、わかる。


 だからこそ、僕が今するべきことは、説教ではない。たとえそれが、ニワトリ相手だったとしても。


「……もう大丈夫だよ。よし、一緒に帰ろうね、ナツコさん……」


 そして振り返った僕には、来た道がよくわからなくなっていた。


「……アレ?」


 茂みを掻き分けてきたせいで、道らしい道もない。鳴き声を頼りに夢中でここまで進んでしまったから、方角もよくわからなかった。おまけにいつのまにやら太陽は完全に山の向こうに消えて、もうほとんど前が見えない。悪いことにはスマホを忘れてきた。明かりも用意できない。


「……ぼ、僕も迷子になった……?」


 はは、と乾いた笑いを漏らすと、冷たい風が吹く。背筋がぞわぞわして、後ろを振り向くと見知らぬ墓が建っている。ひぃ、と肩を竦めて、ナツコさんをぎゅっと抱いた。


 知らない町ならともかく、知らない山の中の墓前は心細すぎる。どうしよう、と絶望的な気持ちになった。


「ナツコさん、どうしよう……」


 聞いてみたけど、ナツコさんは特に答えない。答えがある方が怖いから、無くてよかった。


 と。


「おーい、おーい、陽翔~」


 遠くのほうから、仁さんの声が聞こえた。


「! 仁さん! こっちです!」


 大きな声で返事をして、声のほうに歩きだす。来る時よりもっと歩きにくくなった草むらを、ゆっくり進みながら僕たちは何度も声を交わして場所を確認し合った。


 しばらく繰り返して、僕はようやく仁さんの懐中電灯の灯りを見つけ、ついに合流することができた。はあ、と安心したため息を吐き出すと、「陽翔〜、お前なぁ」と仁さんが口を開いたので、一瞬びくりとした。


 怒られる、と思って俯く。手の中ではニワトリがぬいぐるみのようにおとなしくしていた。


「お前、優しいんだなぁ。よかったなー、フユコさん。陽翔に見つけてもらえて」


 仁さんはニワトリの頭を撫でながら、笑った。


「……えっ」


「あれ? ハルコさんだったっけ?」


「あっ、いやそうじゃ、……その、仁さんは、怒らないんですか? 僕のこと……」


 勝手なことをして、迷子になった僕のことを。僕としては真面目な質問だったのに、仁さんは「なぁんで怒らなきゃいけないんだ?」と首を傾げる。


「なんでって……危ないとか、見つからなかったらどうなってたかとか、色々……」


「あーまあ、危ないは危ないわな。次からは走らない、急がない、準備はしていくと良いぜ。見つからなかったらなぁ、見つかるまで探すんだよ、俺が。なにか問題あるか?」


「……それは、でも……」


 そうだと言われてしまえば、そうなんだろうけど。まだ納得できないでいると、仁さんは「陽翔」と優しい声を出す。


「お前のおかげで、うちのナツコさんは寒い夜にひとりきりで過ごさずにすむんだ。それに陽翔はもう24だろ。立派な大人だ。自分のことは自分で責任を取れる。俺が過ぎたことを怒ったって仕方ないだろ。その代わり、次からちゃんとできるように指導する。そうしたほうが、陽翔だって受け入れやすいだろ」


「仁さん……」


 仁さんの言葉はあまりにも優しくて、穏やかで。僕はなんだか胸がいっぱいになって、また涙が出そうになった。


 どうも、ここに来てから僕は、随分泣き虫になってしまったようだった。


「さ、帰ろうぜ。慶もきっと首をキリンみたいに長くして待ってるよ。あーでもその前に、陽翔は着替えてほうがいいかもなぁ」


 言われてみれば、ズボンは泥だらけの草まみれだった。ニワトリのことに夢中で全然気付かなかった。僕はおかしくなって笑い出して、仁さんも僕の背中をポンポン叩きながら、一緒に坂道を登っていく。


「帰ったら、慶があったかくてうまい飯用意してくれるぞ。楽しみにしてろよ、うちのほうれん草はアホみたいに美味えからな」


「はい、……ぁ……」


 僕はその言葉で思い出す。


 小さい頃、迷子になったとき。僕は散々お母さんに怒られた。泣き疲れるほど泣いて、謝って、ようやく車に乗せて帰る間、僕は一言も喋ろうとしなかった。


 暗い車内では、母さんの表情もよく見えない。母さんも何も言わないから、ずっと怒っているのだと思った。怖い、辛いと思って、身を縮めて座っていたけど。


『……お家に帰ったら、お風呂に入りなさい。その間に母さん、あなたのご飯温めるからさっさと食べて。お父さんも待たせてるんだから』


 静かにそう言った母さんの言葉は。当時は怖かっただけのそれは。


 もしかしたら、僕が思っているよりも複雑な気持ちで出されたものだったのかもしれない。そんなふうに思った。



 




 家に帰ると明かりがついていて、玄関先で慶一郎さんが待ってくれていた。心配していたのかもしれない。


 ナツコさんを小屋へ戻すと、軽く着替えて、台所へ行く頃にはすっかり夕飯の準備は終わっていた。


 ほうれん草の卵とじは、ほうれん草自体がとても甘くて、砂糖が入っているんじゃないかと思うほど美味しかった。卵の味もよくて、ナツコさんたちに感謝をする。カブの千枚漬けはゆずの風味がきいていて、とても爽やかな味がした。


 何より、僕の心は少しだけ晴れやかで。疲れも伴って、今日はぐっすり眠れそうな気がする。その日の夕飯は、たくさん食べたと思う。そんな僕を見て、なぜかだ仁さんも慶一郎さんも、優しい微笑みを浮かべているのだった。

 

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