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男3人、いなかですごす。  作者: なずとず
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第2話 自宅でのこと



 僕はここで過ごす。いずれ帰るために。でも、もし帰れなかったらどうしよう。もしくは、「良く」なってないのに、帰ることになってしまったら?


 心臓がどくどく言い始めて、胸が苦しい。呼吸が浅くなって、体温が冷めていく。近頃、不安になるといつもこうだ。僕はすぐに首を振った。


 環境を変えてなんとかしようとしたのに、また不安に負けてどうする。じっとしているから不安になるんだ。


 誤魔化すようにトランクを開け、荷物を取り出す。おおかた床に並べたあたりで、とりあえずトイレの場所を確認しておこうと思った。焦って探すことになるのも不安を強めるような気がするし、荷物の整理はゆっくりやればいい。


 ひょこ、と廊下に顔を出してみたけど、仁さんの気配が無い。どこかに行ってしまったんだろうか。まだトイレの場所、ちゃんと聞いてないのにな。


 トボトボと長い廊下を歩く。部屋数は多いけど、ここにひとりで暮らすのは夜だいぶ怖そうだな、と考えながら玄関のほうへ向かっていった。


「ん?」


 と、ある部屋の前で、カタカタという物音が聞こえた。仁さんはここにいるのかな、と考えて、僕はその部屋の引き戸に手をかける。


「仁さ……」


 こそ、と僅かに戸を開いて、僕は固まってしまった。


 いや別に、そこでツルが機織りしていたわけでもない。部屋の奥のほう、こちらに背中を向けて座る、グレイヘアの男性を見つけただけだ。


 仁さん、じゃない。彼は黒くて少しボサボサの髪だった。でもそこにいるのは、短く刈り上げたグレイヘアの男性。


 つまり、知らない人だ。知らない人が、同じ屋根の下にいる。


 想定外のことに僕が固まっていると。


「おー、陽翔どうした?」


 後ろから仁さんに声をかけられて、飛び上がりそうになった。振り返ると、明るい笑顔の仁さんが、ちょっとしたコーギーぐらいありそうな白菜を抱いて家に入ってくるところだった。


「お前に食わせてやろうと思ってなぁ、ウチの白菜は美味いぞぉ。いい感じに冷え込んでるし、霜降り白菜とでも呼んでくれや、ははは」


「じ、仁さん、あの、」


 ここに、知らない人が。言うより前に、部屋の入り口で佇んでる僕に察したらしい。仁さんは「あー」と思い出したように言った。


「悪い悪い、紹介すんの忘れてたわ! K! 入るぞK!」


「あ、あわ、仁さん」


 仁さんは笑顔のまま戸を開き、大股にKと呼ばれた男性のほうへと歩いて行った。僕もどうしていいかわからず、恐る恐る後を追う。


 そこはなにか作業場のようだった。独特の匂いがする部屋は、棚にたくさんの丸めた何かが積んであり、机の上には様々な工具が並んでいる。壁に向かって動かしているのは、どうやら足踏みのミシンのようだったけれど、背後からでは何をしているのかよく見えない。


「K、今日から同居する陽翔だよ」


 彼は仁さんの言葉に一度作業を止めて、ちらっと僕を見た。こっちをじっと見る目はすわっていて、ますます委縮してしまう。グレイヘアではあるけど、顔立ちはまだ中年にさしかかった頃のように見えた。チェックのシャツを着た細身の彼は、「よろしく」とひとこと呟くとまた作業へと戻っていく。


「よ、よろしくお願いします、一ノ瀬陽翔です……?」


 もうこっちを見ていない相手に挨拶するのが正しいのかわからないまま、自信なく声を出すと、仁さんが笑いながら、彼を指差す。


「コイツの名前は、藤慶一郎。俺はKって呼んでんだ」


 なるほど、Kというのは慶一郎の慶なんだな。そう納得していると、


「慶は叔父さんの高校からの同級生で、今は一緒に暮らしてるんだ。陽翔も良くしてやってくれや」


「……えっ! 一緒に……えっ!」


「なんだ~、嫌か?」


「いや、違う嫌じゃなくて、初耳です!」


「そーだろそーだろ、今言ったからな! ま、よしなに」


 仁さんはそうケラケラ笑ってるし、慶一郎さんは振り返りもせずにミシンを動かしているし。僕はというと、曖昧に頷くことしかできなかった。





 仁さんにトイレとお風呂を教えてもらうついでに、この家での過ごし方について聞いた。


 なんでも、朝食は仁さん、夕食は慶一郎さんが作っているらしい。じゃあ昼食は僕が、というとそれは止められてしまった。曰く、慣れるまではくつろいでくれていい、とのこと。


 それはそれで落ち着かない。なにかちょっとしたことでもさせて欲しいと言うと、当番じゃなくてお手伝いからな、と言われてしまって、もうどうしようもなかった。


 でも、仁さんの言うことももっともだ。僕はまだこの家のことを何も知らないし、仁さんのことも、ましてや慶一郎さんのことなんてほとんど知らない。それで何かしようといってもなかなか難しいだろう。


 それでも。それでも僕は、何かをしているほうが落ち着くような気がした。







 最初はうまくいっていたはずなんだ。


 大学を出て、やっぱり接客業を諦められなかった僕は、母の反対を押し切ってとある飲食店で働き始めた。接客をするのは主にバイトの子たちだったけど、僕もできる時にはお客さんと話したりして、とても楽しかったと思う。


 それじゃあ困る、と上司に言われるまでは。


『一ノ瀬君のサービスはねえ、ちょっとやりすぎなんだよ。いいかい? 一ノ瀬君がやっちゃうと、今後は従業員全員が他のお客様にもやらなきゃいけなくなるんだよ。わかってくれるかな。サービスっていうのは、お客様からもらったお金以上のことはしちゃダメ。いいね』


 まだ若造で、夢と理想を追いかけていた僕は面食らってしまった。サービスをしちゃいけないなんて、寝耳に水だったんだ。


 僕の考えが甘かった。いつまでも学生気分のままで仕事をしていたのは事実だと思う。


 だからそれからの僕は、マニュアル通りにやろうとした。でも変なことに、そうすると「気遣いが足りない」と指摘される。どこまでが必要なサービスで、どこからが過剰なのか、僕は線引きを探すしかなかった。


 そうする間にも、よくない客も来る。態度が、顔が気に入らないとか、お前はどんな教育を受けてきたんだとか。理不尽に怒鳴られてはひたすら頭を下げた。誠意を見せろと言われて何度も、何度も頭を下げた。そのことについて上司からも怒鳴られて、僕は毎日頭を下げた。


 僕は、だんだんわからなくなっていった。


 接客の喜びとは? 僕の仕事とは? 僕のやりたかったこととは?


 そうこうするうちに僕は眠れなくなって、元気を失っていった。注意力がなくなり、仕事のミスも増え、上司に怒鳴られることも増えた。体調不良で休みがちになり、休日も部屋へ篭るようになり。


 僕は静かに、確かに落ちていっていた。


『馬鹿らしい。いつまでも子供みたいなこと言ってないで、仕事は仕事、夢は夢で割り切りなさいよ。だいたいね、大したお金ももらえないんだし、そんなトコ辞めたら?』


 僕が落ちていくのをそばで見ていた母さんが、ある時そんなことを言った。


『あんた根暗なんだし、接客業なんて向いてないのよ。もっといい仕事なんていくらでもあるんだから。さっさと辞めて、他の職場に行ったらいいじゃない。学費の分ちゃんと働いてもらわなきゃ困るの、わかってるでしょ』


 何の悪気もない、と信じたい。それでも母さんの言葉は僕の胸に深く刺さって、なにか大切なことが壊れていくような、そんな感覚がした。


 なにもかも。なにもかも、どうでもいい。僕は仕事を辞めて、部屋に閉じこもるようになってしまった。母さんが電話で誰かに、『本当に手のかかる困った子』とか言っているのが嫌で、音楽を聞いてばかり過ごしていた、ある時。


『陽翔。お前さえよかったら、気晴らしに、叔父さんの家へ遊びに行ってみないか』


 滅多に声もかけてこない父さんが、部屋に入って来てそう提案した。僕ははじめ、まったくそんなつもりはなかった。


 でも父さんが『法事のときに会ったことあるだろ? 叔父さんは田舎暮らしをしていて』『お前も少し、静かなところに行きたいだろう』『大丈夫、合わなかったら帰ってくればいいんだ』と言うものだから、次第に気持ちが揺れていった。


 確かに。この、陰鬱な部屋にいるよりは、マシかもしれない。田舎の空気に触れれば、この気持ちも晴れるかも。それに、少なくとも叔父さんの家に行けば、母さんが僕を悪く言うのを聞かなくてもすむ——。


 要するに僕は、逃げて来たのだ。仁さんの、この家に。




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