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男3人、いなかですごす。  作者: なずとず
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第1話 なにもない駅前から

 今でも、ときどきあの日のことを思い出す。


 桜散る春の優しい陽射しがさす、小さな喫茶店。温かな空気にコーヒーの香りと、焼き立てのトーストが混ざった、幸せな空間。僕の、はじめてのアルバイト先。


 ウェイター姿の僕は、気持ちばかり大人になったような気分で背筋も伸びる。制服に袖を通していると、僕も他の人と同じように笑顔で明るく話せたものだ。


 店内の様子を伺いながら歩いていた僕は、コーヒーや紅茶を楽しむ客たちに混ざって、ひとりのおばあさんが店を訪れていることに気付いた。


 はじめて来る店で、勝手がわからなかったらしい。店の入口で困っていた彼女を、丁寧に席までご案内した。メニューに書いてある文字が小さすぎたり、わかりにくいらしいおばあさんのために、一生懸命説明してあげた。


 当時の僕はまだ高校生で、世の中のなんにもわかっていなかった。けど、そのぶん純粋だったと思う。ひとりのお客さんに大切に向き合った。美味しい紅茶とお菓子をトレイに乗せて、おばあさんの席まで持って行ったりなんかして。


 おばあさんはゆっくり食事を楽しんで、それでお店を出るときに、わざわざ僕を探して声をかけてくれたのだ。


 「店員さん、親切にどうもねぇ。ありがとう、また来るわ」


 その優しくて柔らかな言葉が、その後の僕を決めたのだ。


 ──決めたのだった。




 


上神南(かみかんなん)、上神南です。お降りの方はお忘れ物のなきよう──」


 電車での長旅に疲れ果て、居眠りをしていたらしい。ふと目を覚ました僕は、零れ落ちかけていた涙を拭って顔を上げる。


 懐かしい夢を見た気がする。ああでも、このところ毎晩見る夢のようにも思った。まだ現実に戻り切れていなくて、胸がぎゅうっと苦しい。はぁっ、とひとつ溜息を吐く。


 それで、僕は気付いた。電車が止まっている。今どこだって言った? 駅のホームを見て驚く。ここは、降りる予定の駅じゃないか。


 発車のベルが鳴り響き、僕は飛び起きた。ねぼけまなこで慌てて荷物をまとめ、電車の扉からホームへと飛び出す。


 それで僕は、まだ重い瞼を何度か瞬きした。


 温かい電車内から冬空の下へ放り出され、顔と手がきんと冷えて一気に目が覚める。そこは駅のホームだとは思う。白線が引かれていて、駅名の看板も立っているし。駅舎と思われる小さな建物もある。でも、他にはなんにも無い。寒々とした光景だ。


 ドラマや映画で見るような、典型的な田舎の無人駅。改札の真新しい自動改札がなんとも不思議な感じがする。僕は動きはじめた電車を見送りつつ、のろのろと改札へと向かった。


「うわ……」


 駅のホームを出れば、そこに広がるのは冬枯れの田んぼと畑、空き地に荒地、山と平屋の家ばかり。見える範囲にまだやっていそうな店はなく、古びたロータリーにはタクシーはおろか車の一台もない。僕のいつも見ている駅前とは、まるで別世界だ。


「うわーー……」


 ホントのホントに、田舎へ来てしまった。僕はある種の感動を覚えて、次の瞬間には強烈な不安に襲われた。


 こんなところに、インターネットは来ているのか? コンビニは? 通販の荷物は届くのか? そもそも、こっちに着いたら買おうと思っていた物をどうしたら。


 きょろきょろしていると、遠くの方から一台の軽トラが走ってくるのが見えた。そして近付くにつれ、その窓を開いて「おーい」と手を振る男の人が見えてくる。駅の周りを見ても、ここには僕しかいないから、たぶん僕に手を振ってるんだろう。恐る恐る、極めて小さく手を振り返していると、軽トラは僕の前で止まった。


陽翔(はると)ぉ! しばらく見ないうちに、でっかくなったなあ! ……陽翔で、あってる?」


 窓から顔を出した陽気な男性は、不安そうに首を傾げた。


 黒い髪を染めもせずに、ボサボサに伸ばした中年男性だ。この寒いのにヨレヨレのシャツを羽織っている程度で、ダウンを着ている僕とは大違いの服装だ。


 顔には覚えがある。優しい顔立ちはしているけど、表情や立ち居振る舞いが豪快な人だったと記憶していた。僕は父さんから聞いた名前を記憶から引っ張り出す。


「は、はい。一ノ瀬陽翔(いちのせはると)です。えと、お世話になります、(じん)叔父さん……?」


 仁叔父さん、と呼ぶと、彼は「わっはは」と大きな声で笑いながら軽トラから降りてきた。


「そうかしこまらなくてもいいよ、仁とか叔父さんとかにしたら。仁叔父さん、なんて長いしな!」


「は、はぁ。じゃあ、仁さん……これからよろしくお願いします」


 ぺこり、と頭を下げると、仁さんはまた笑って僕の背中をバンバン叩いた。よろめいていると、仁さんは大きな声で言う。


「よろしくなぁ、陽翔!」


「あ、は、はい……」


「んじゃあ、荷物はこっちに置いてくれ」


 軽トラの荷台のホロを剥いで、仁さんが手を伸ばす。慌てて荷物を渡した。仁さんは受け取ってから、僕の持ち物がトランクひとつきりなのに気が付いて、それと僕を交互に見てから言った。


「こんだけ?」


「は、はい……。その、こまごましたものは、こっちのコンビニとかで買おうと思ってたんですけど……」


「あ~~……」


 仁さんは納得したような、どうするか思案するような声を出しながら、何度も頷いた。仁さんが遠くを見ているから、僕もそっちに視線を移すと、はるか彼方に小さな看板が見える。その辺まで行けば、コンビニもあるということだろう。でも、いくらなんでも駅から遠すぎないか、と僕は眉を寄せる。


「……んじゃあ、陽翔。うちに案内する前に、ちょっと街で買い出しをしておくか! なにせうちに来たら、最寄りの店まで車で40分だ。お前、車の免許ないんだろ?」


「な、ないです」


「じゃあ、自由に買い物に出るわけにもいかんもんな。よし、乗ってくれ。どこへでも連れてってやるからよ」


 仁さんはそう明るく笑って、キビキビ荷台にトランクを放り込むと、ホロを止めて運転席に行ってしまった。僕はといえば、そんな仁さんに圧倒されるやら、申し訳ないやら、ありがたいやらで。慌てて助手席に乗り込むと、何度も「すいません」と頭をさげた。






『──流星群は今夜──、──には南の空で──ますが、関東はあいにく──残念ながら見るのは──。ただ────────』


 軽トラのラジオから聞こえていた声は次第にブツブツと切れはじめ、ついにざらざらした音しか出さなくなってしまった。


 一車線で、ガードレールも苔むした暗い道路を、仁さんの軽トラはズンズン進んで行く。道を囲む林を見下ろせば意外なほど急斜面で、落ちたらひとたまりもないと思うとシートベルトを握る手に力が入った。


 こんな山道の向こうで、に暮らしている人がいるんだろうか。もしかして、変な場所に連れて行かれて、ホラー映画みたいに生贄とかにされないかな。ちょっと不安になりながらも、僕は揺られているしかない。


 長く長く、うねり続ける一車線の山道をひたすら上り、いい加減、サスの効いていない座席のおかげで腰痛がしそうになってきた頃。


 それまで道路に木々が覆い被さり、呑みこもうとするようだった視界が、突然明るく開けた。


 春を待つまだ冷たい太陽が、傾きながら広い敷地を照らしている。田んぼや畑、小屋などの並ぶ空間を、車一台が通れるほどの砂利道が抜けている。いよいよガタガタ揺れてしかたないので、手すりに捕まりながら前を見ていると、ようやっと家が見えてきた。


 古い日本家屋だ。よくテレビやなんかで見る昔ながらの古民家、といった印象。くすんだ石瓦に、焼き杉の壁。小さな縁側があり、庭にはニワトリが走り回っているような、そんな──。


 ん? ニワトリ?


「わっ! 野生のニワトリ!」


 思わず叫ぶと、仁さんは大きな声で笑った。


「野生なんかじゃないさ、ウチで飼ってんのよ」


「飼ってるって……その辺歩いてますよ!?」


「放し飼いって知ってるか、陽翔」


「放すにもほどがないですか!?」


 言っている間にも、仁さんの軽トラは進み続け、ニワトリも慣れたようにそれを避けていく。呆気に取られている僕をよそに、軽トラはようやく家の前で止まった。


「ようこそ、陽翔! 俺の素敵なマイホームへ!」


 仁さんがニカっと笑うものだから、俺もひきつった顔をしながら笑って頷くしかなかった。


 トランクと、店で買った荷物を下ろして、さっそく仁さんの「素敵なマイホーム」へと向かう。


「ただいまー」


 仁さんは玄関を開けるなり、大きな声で挨拶をした。まるで誰か、他に住人がいるみたいだ。仁さんは独身だと聞いている。もちろん、返事はない。


 タイル敷の玄関はひとり暮らしにしては広く、古くて立派な靴箱が置かれているのに靴がたくさん出しっぱなしになっている。灯りが少ないのか薄暗くて、なんとなく気味が悪い。立派な板敷きの床にはスリッパなんて気の利いたものも置かれてなくて、ひんやりとしていた。


 向かって正面の壁には大きな彫刻が飾られていたけど、ぐねぐねうねうねした形のそれがなんであるかはさっぱりわからない。ますます薄気味悪い気持ちになりながら、僕は小さく「お、お邪魔します」と口にして、仁さんに続いた。


 玄関を入ってすぐに廊下は二手に分かれていた。向かって正面の短い廊下と、左に長い廊下。長いほうには障子や戸で区切られた部屋が左右に並んでいる。外で見たよりも、結構広い家のように思えた。


「あっちに風呂とトイレがあるから、あとで案内するな。とりあえず陽翔の部屋はこっち」


 長い廊下のほうへ、仁さんがズンズン進んで行く。僕は慌ててあとを追いながら、きょろきょろしていた。


 古い家のわりに、廊下も襖や壁も全然傷んでいるようには見えない。むしろ、新品のように見える。もしかして、仁さんがリフォームしたんだろうか。そんなことを考えているうちに、僕は廊下の一番奥、突き当りにある部屋へと案内されていた。


 畳張りの六畳間だ。壁際には押し入れがあり、それを避けるようにいくつか古びたタンスや引き出しなどが置いてある。昭和レトロ感溢れる電灯が天井から下がっていて、仁さんがカチカチ明かりをつけると部屋は薄ぼんやりと明るくなった。部屋の奥の大きな窓から、傾いた太陽が床を照らしている。


「ここが陽翔の部屋な」


 仁さんはぐるりと部屋を見回して言った。


「まあ、お前がどうするにしろ、何日かは過ごすだろ。部屋にあるもんは、自由に使っていいから。布団は押し入れの中。今日は疲れたろ、とりあえずゆっくり休むなり、荷解きするなりしな」


「は、はい。すいません、ありがとうございます……」


 仁さんは僕の背中を叩くと、そのまま部屋を出て行ってしまった。僕はといえば、素直に荷物を部屋に降ろしながら、もう一度部屋を見回す。


 これから僕は、帰りたいというまで、ここで暮らすのだ。


 そう改めて実感すると、なんだかこれまで緊張でよくわからなくなっていた不安のようなものが、どっと胸に押し寄せて。僕はぎゅっと服を握り締めた。


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