ユーシュカ・リリフィリアはかく語りき
ごきげんよう、そしてはじめまして。わたしの名前はユーシュカ。ユーシュカ・リリフィリアと申します。年齢は・・・・・・きちんと数えたことがないため答えられない。性別は・・・・・・あまり意識したことは無い。
わたしは今、容れ物になっている。器、中身にはたくさんの本を詰めている。
「これはかなり背徳的ですよ?」
ゲル状のテラリウムのような状態になっているわたしを抱えている、黒色の髪の美しい少女が悩ましげに目を細めている。
背徳的などといかにも非日常然とした単語を使いたがる黒色の少女、彼女は頭部の黒猫のような耳をピクリ、と動かしている。
「スス」
少女の名前を呼ぶ声がする。少女・・・・・・ススと同じようなタイミングで私も声のする方に視線を向けてみる。
右隣。そこにはススと同年齢と思わしき別の少女がいた。
「スーちゃん」
白髪に黒の虹彩の流麗な彼女はススに今日の用事について確認してくる。
「これから向かう先って、かつて自分が・・・・・・」
彼女は情報の出処を固定するかのように、自らの胸元にそっと手を添えている。
「自分が通っていた中等部教育機関で、よろしいのよね?」
「はい、はい、そうです、クゥさん」
クゥ、という名称で白色の少女は呼ばれている。ススはクゥに手短な同意と再確認を執り行う。
「この度我が・・・・・・いえ、我らがラストダンジョン城にお招きすべき素晴らしい魔物の一個体を確保するため、こうして馳せ参じて降りましてですね」
だいぶ異様な会話内容であることを、はたしてこの麗しの少女たちはちゃんと自覚しているのだろうか?
仮のこの世界が、リチウムイオン電池で動くスマートフォンと血の因子によって導き出される究極神秘な魔術、その両方を平然と受け入れるような混沌極まりない世界であるとする。
それらを事実として踏まえたとしても、どの道彼女らの展望は無謀極まりないものでしか無かった。
何故なら。
「ぼくたちはいつか取り戻さなければなりません」
ススが語る、その願望は。
「この世界に殺された、「死に値するもの」として扱われた彼女を、ぼくは何としても取り戻したい」
事実上、死者の蘇生と何ら変わりのないくだらない妄言に等しいものだからだ。
と、そこへ。
「ああああああああああああああああああああ」
とてつもなく不快な叫び声が聞こえた。
動物、あるいは人間とも異なる声。強いて言うなら思いつくまま浮かんできた管楽器のいちばん低い音を一斉に吹き鳴らしたかのような音。
「おや」
ススがほうけたようなため息をこぼした。
「あらら」
クゥは取り立てて特別な様子もなく周辺を観察する。
目下確信をもって言えることはもれなく命の危険が迫っているということ、ただそれだけだった。
〔緊急警報発令! 緊急警報発令! 乗客の皆さんは慌てずに、どうか慌てずに! 慌てないで!!〕
辛うじてドミノ倒しの肉布団だけは回避出来ている混乱具合。
その最中にてクゥとススは逃げ惑う人々の群れの進行方向とは真反対に歩を進めていた。
「このような街中にやっこさんが現れるとは、なかなか珍しいですね」
ススは往来にニホンザルが出現した程度の驚きだけを表明している。
「そうねぇ」
クゥも同様にさしたる動揺はしていないようであった。異常事態そのものよりも考慮すべき問題があるようである。
「それはともかく自分らまだ正式に「アーキビースト」として承認されてないけど、大丈夫かしらね?」
クゥはこの世界におけるハンター的立ち位置の職業を意味する固有名詞を呟いた。
「最近は闇取引の取り締まりも結構厳しくなっているのに!」
間違いなく身の危険が迫っているというのに、この美少女たちはやれルールだ規則だと机上の空論ばかりを心配している。
わたしとしては社会的生命よりも命そのものの安全について真剣に悩んで欲しいところなのだが……。
と、そこへ。
空を切る落下物が向かってくる。
「!?」
疑問符を浮かべるのと回避行動を体に命ずること、ススは己ひとつの体にそれらを同時並行させた。
クラウチングスタートのような突発さでクゥの胴体をホールドする。そしてその勢いのままで彼女の体を壁沿いのゴミ捨て場に倒しこんだ。
一方的な解釈をするならばススはもう少しまともな物陰にクゥのお嬢さんを収めたかったのだろう。だがさすがに緊急事態で贅沢も言ってられない、ススはクゥにささやきかける。
「援護射撃は任せました」
「イェイイェイ♪」
クゥは気軽な許諾をしている。
「おまかせあれ、ですわよ」
クゥが長い杖を構えると同時にススも自らの魔法を展開させていた。
「んるる・・・・・・」
ススは緊張の面持ちで右手にひとつの香水瓶を構える。
少女の手のひらに軽く収まる程度の小瓶、エジプシャンガラスのような瀟洒な設えのそれには黒色のインクが収められている。
墨のように黒くほのかに甘い香りがするインク、それがススの魔法の形だった。「なんでも出来る」を基本とする能力である魔法、それらは自由すぎるが故に一定量のコントロールを必要とする。ススが使用しているものは数ある魔法の中でもかなり基本の軸によりそったシンプルな作りとなっている。
ススが走り出す。手のひらの小瓶からこぼれるインクは偏った四角錐へと固定される。鋭さを有した形状は忍者などが使用していたとされているクナイによく似ていた。
ト、とススは軽く足踏みをする。小粋なステップかと見紛う軽やかさ、たったそれだけの動作でススは軽々と壁の側面を伝い屋根の上まで移動していた。
魔法で重力を操作しているのである。上から下に物が落ちるという事実を書き換え、下に落ちにくい、という現実を描き出しているのだ。
屋根の上、視界が広がれば敵の姿をより細やかに観察することが可能になる。
ススは敵を見据える。少女の緑色の右目が獲物の姿を把握する。
敵は巨大な碁石のような形状をしていた。黒色では無い、白色の立体な楕円形である。
遠目にはUFOのように見えなくもない珍奇な浮遊物体、しかしそれは確実に我々に向けて具体的な敵意を抱いていた。
「あれは・・・・・・?」
如何様なる存在なのか? ススが具体的な思考を巡らせようとした、その矢先に。
「いいいぃ、あ」
敵が鳴き声を発しながらこちらへ先制攻撃を仕掛けてきていた。
楕円形の底面が海面のように波打ち形を変える、白く伸びる触手が形成され一閃の雷光のような速度でススに襲いかかってきた。
「回避!」
後方からクゥの指示が飛んでくる。
普段はぼんやりしているススも戦闘中となるとひとが変わったかのような鋭敏さをみせる。
ひとえに彼女が戦闘に特化したタイプの魔物であるがゆえ、突然の攻撃にもある程度は対処可能であった。
今回もまた視野に感知できる全ての攻撃を素早く回避する。速度そのものがすでに人智を超えた素早さである。
だがしかし相手側も単純な刺突だけで事を済まそうとはしなかった。
「?」
何かが弾けるような音がした。炭酸水のそれにちかしい、ただ若干粘度を感じさせる嫌に緩慢な破裂音。
一拍の間を挟んで二度目の破裂音、途端白色の触手から細やかな筋が大量に炸裂してきた。
「! 」
ススは急いで回避行動を取ろうとした。反射神経そのものは実に優れていると言えよう、事実並の「人間」であれば意識が届くよりも先に全身を穴まみれのスポンジ状態にされてもおかしくはなかった。
だとしても敵の猛攻は少女にいくばかりの損傷をもたらした。
「ぐ、う、ぅぅ・・・・・・」
痛みが迅速に肉体の損傷を情報として脳に伝達する。それは精神面の防衛よりももう少し単純、短絡的な肉体の防護機能と呼べた。痛みはただの神経の刺激でしかなく傷の具合を確かめるため、ただそれだけのための信号でしかない。
右の上腕から激しく流血をしている、肉のそれなりに深い所まで抉れてしまったようである。
わたしに内蔵されているハイリー共感機能が彼女の痛みをつぶさに吸い上げ、情報として言語へと変換していく。
むき出しになった皮下組織は熱傷の勢いのような不快感を長期的に訴えかけてくる。
さいわいにも動脈は損傷してはいないようだが、いかんせん傷の範囲が広いため出血の量が多い。敵の触手はあまり鋭利ではないようだ。
「っ、ぅう、いたた・・・・・・」
ジクジクとスーツの内側に血液が滲んでいく。不快感を奥歯で嚙み潰すようにススは顎をきしませる。神経伝達に蔓延る不快感を無理やり押し込めて再び敵を見据えた。
「手厳しい握手でしたが、おかげで大体の形は把握できました」
ススは再び瓶の中のナイフを敵に向けて構えた。
「お嬢さん」
ススはクゥに指示を出す。
「はいよ」
特別大きな声を発した訳ではないと言うのにクゥのレスポンスは迅速且つスムーズであった。
「盾魔法の展開を希望します」
ススはクゥに補助魔法を頼んでいる。
「可能であれば随時チェーンで捕縛も頼みたい」
「任せなさい!」
後方に構えクゥは長杖をくるりと半回転させる。時計の長針のようないでたちの武器、その先端からだいだい色の盾魔法が展開された。
幅10センチ程のリボンに似た形状をしている魔法、それらはススの周りを柔らかく漂よったのち公転軌道のような形状へと固定された。
「んるる」
ススは喉を小さく鳴らした。体内、血中に含まれる魔力を意識的に煮立たせる、小さなヤカンでお湯を沸かすイメージを頭の中で小さく転がす。
身に纏うリボンの魔法に意識を集中。そして己の持つインクの魔法をオレンジ色の表面へとまとわせる。
「んーるる」
ススは喉を鳴らし魔法の香水瓶を敵に向けて掲げる。
腕を伸ばす、姿勢を整える、その所作は長弓を引く作法に通ずるものがあった。
ススは呪文を唱える。
「Fountain of day to day」
わたしはいまだ生きている。誰かに対する報告をする、その姿を模した魔物は「グレースケールの化け猫」の名を冠していた。
水、水がしたたり落ちる音、それらが立て続けに連続する。
雨にも似たその音は瞬きのうちに溜まり、溢れんばかりの水量を帯びていく。
ススの頭の上、脳天から十数センチほどの距離、そこに魔法で練り上げた海のようなものが現れていた。
それは小さな海だった、あくまでも偽物の。