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くじびき勇者さま  作者: 清水文化
2番札 誰がお荷物よ!?
9/20

第2巻:第4章 どうして運が悪いの?

昨日(きのう)は本当に(おどろ)きました。お2人が、まさかドラゴンに運ばれてくるなんて……」

 のんびりとお湯に()かりながら、長い黒髪(くろかみ)(しゅう)道女(どうじょ)がメイベルに話しかけてきた。

 メイベルが高原でドラゴンに会ってから、一晩(ひとばん)の時が流れていた。

 今は明け方。太陽が東にある(いわ)(さん)(みゃく)から顔を出し、高原に朝が(おとず)れる時間である。

 そこでメイベルは今、教会にある大きな()(てん)風呂(ぶろ)に入っていた。朝食を済ませたあと数人の若い修道女たちに(さそ)われ、一緒に露天風呂に入ることにしたのだ。

 お湯は白く(にご)って硫黄(いおう)のにおいを(ただよ)わせている。これまでの旅で()まった(つか)れを(いや)すには、最高の(いこ)いの場である。もっとも、

「メイベルさん。待ち伏せしてたドラゴン教徒との戦いで魔法を使いすぎて、気を失われたそうですわね。お(いさ)ましいですわ」

「えっと、それは何というか……」

 長い黒髪の修道女の言葉に、メイベルが返事に困っていた。

 メイベルはあのあと、長老ドラゴン──カームに運ばれてきた記憶がない。あのまま疲れも手伝って、朝まで()ていたようなのだ。

 昨晩(さくばん)、メイベルがなかなか起きてこないので、ナバルは1人で教会の人たちの質問()めに()い、事件の大筋(おおすじ)を語ったようなのだ。その話によれば山を越えたところでドラゴン教徒の待ち伏せに()い、メイベルの魔法でどうにか(とっ)()したことになっていた。しかし、()(がん)の高地まで逃げてきたところでメイベルの力が()き、そこを(かこ)まれて絶体(ぜったい)絶命(ぜつめい)状況(じょうきょう)になった。ところが、そこに運良くドラゴンが(あらわ)れてくれたため、ドラゴン教徒は(せっ)(しょう)をできず引き下がったというながれだ。で、そのドラゴンがなかなか気の()い相手で、親切にも教会まで連れてきてくれたというのである。

 ナバルの性格からして、メイベルが山を越える前に体力が()きたとか、ドラゴンを目の前にした恐怖で()(ぜつ)したとか、不名誉になる部分を(かく)してくれていた。

 まあ、ナバルの()(くば)りはありがたいのだが、そのためメイベルは今さら違うとは言い出せず、()(ごこ)()の悪い気分を味わっている。

 そんな気持ちを誤魔化(ごまか)すように、

「でも、朝の礼拝(れいはい)をサボってみんなで朝風呂って、いいのかな?」

 と、メイベルが話題を変えようとしてきた。

「司教さまが認めてくださったのですから、問題ありませんわ」

「あはは。ホントはこの教会では、何か(いわ)い事のある日にしか礼拝してないのよね。で、今日は勇者さまと従者さまが来たおめでたい日だから礼拝をしようかって話も出たけど、勇者さまがぐっすりお休みだったから、なし崩し的に中止になったのよ」

 教会で一番若い修道女が、お湯の中で楽しそうに泳いでいる。そんな彼女の言葉に、

「久しぶりにベッドで休めたのだから、なかなか起きられないのも仕方ないわね。おかげで旅立ちの神事までの時間ができたから、こうやってお風呂に入れるんだけど……」

 と(こぼ)して、メイベルが両手を()げて大きく伸びをする。

 いつもであれば朝食と礼拝が終われば、すぐに旅立ちの神事が(おこな)われる。神事で決められた行き先によっては、朝早く旅立たなければ、その日のうちに着けるはずが着けなくなって()宿(じゅく)になるかもしれないからだ。

 とは言え、肝心(かんじん)の勇者であるナバルが寝てるのであれば、神事を(おこな)うことができない。そこでナバルが目覚めるまでの時間(つぶ)しとして入浴してるのである。

「このままナバルさん、お昼まで寝てないかなぁ〜」

 などと言って、メイベルがゆっくりと肩まで沈んでいく。

 そのメイベルのところに、教会で一番若い修道女が泳ぎながら近づいてきた。その女の子がニヤッと笑みを浮かべて、

「ねえ、メイベルさん。勇者さまとは、どんな関係なの?」

 と尋ねてくる。

「…………はぁ!?」

「とぼけないでよぉ。2人だけで旅してるんでしょ。もう恋人の関係とか、ぬふふ……」

 女の子が悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべて、ちょっとイヤらしい声で笑った。そんな女の子の()(じゃ)()な質問だったのだが、メイベルはつい真剣(しんけん)に考えてしまう。

「恋人って……。わたしとナバルさんは、恋人なんかじゃないわよ。ただくじびきで決められただけの、勇者と従者……という関係で……」

 メイベルがお湯の中で、人差し指の先をツンツンし始めた。そのメイベルに、

「何もないの? 男の人と女の人が、何日も一緒にいるのに?」

 と、女の子がつまらなそうな表情を浮かべて念を押すように()いてくる。

 そんな女の子の言葉に、メイベルが返事に困ってしまった。

「ないわよ。何も……」

「なぁ〜んだ。つまんないのぉ〜」

 メイベルの答えを聞いた途端、女の子が急に興味を失ったように泳いでいってしまった。それで解放されたメイベルが、大きく(あん)()して鼻までブクブク沈んでいく。

「ゴメンね。あの子、今、何でもかんでも色恋(いろこい)沙汰(ざた)にしたい年頃みたいなんだ」

 そう言ってメイベルに近づいてきたのは、ショートヘアの少女だ。見た感じの年恰好(としかっこう)としては、この教会でもっともメイベルに近いと思われる少女である。その少女に、

「あの手の質問は、なかなか慣れないわ。あはは……」

 と返して、メイベルが赤くなった顔にパシャッとお湯をかける。

「それにしても、こんなに広いお風呂を自由に使えるなんて、ここは(うらや)ましいわね」

「ホント、ここは天国ですわ」

 メイベルの言葉に、長い黒髪の修道女がお湯でとろけそうな顔で答えてくる。

「昔は湯治客が多くて、大変だったそうですわ。でも、ドラゴン教徒がこのあたりを聖地にしてからは、湯治客がほとんど寄りつかなくなったそうですのよ」

「それでも昔の()(ごり)で、今も湯治客の(せっ)(きゃく)(やく)として、あたしたち給仕係(プレート)厨房係(オニオン)()(けん)してるんだよねぇ。日々のお(つと)め以外にやることなんてないのにさ」

 黒髪の修道女とショートヘアの少女が、口々にこの町と教会のことを話してきた。そこに泳いでいた女の子が戻ってきて、

「きゃはは。だから、ほとんど毎日遊んでるんだよね」

 と言うと、またパシャパシャとしぶきをあげてお風呂の(はし)まで泳いでいってしまった。そこまでの距離、だいたい20m。ほとんどプール並みの大きさである。

 そんな女の子に白い目を向けたショートヘアの少女が、

「どこの教会でも似たようなものだけどさ。自由が多いと、遊びまくって()(らく)する人と、自分を(みが)いて成長する人の違いが出るじゃない? この教会は放任(ほうにん)主義が徹底(てってい)してるから、それが顕著(けんちょ)に出てくるんだよね」

 と、メイベルに言ってきた。この少女は時間を遊んですごすのは(きら)いなようだ。

「メイベルさん。メイベルさんの(そで)(しょう)を見たけど、あれ、間違いなく宮廷料理人(ゴールド・オニオン)だよね。それもタマネギ3個(スリー・オニオン)。料理人の中でも、ずっと上の(くらい)の……」

 その少女が真剣(しんけん)(まな)()しをメイベルに向けてくる。

「ねえ、毎日、どのくらい料理の勉強してきたの? ぼくも宮廷料理人(ゴールド・オニオン)を目指してるんだけど、どれだけ努力すればなれるかな? ぼく、毎日10時間は料理の練習してるんだ。それで今年タマネギ1個(シングル・オニオン)になって、今はここの副料理長を任されてるんだよ。それとね、今朝(けさ)の料理は料理長じゃなくて、ぼくが作ったんだ。どうだったかな?」

 真剣(しんけん)(まな)()しというよりは、熱い眼差しだった。

 それもそのはず、メイベルは少女にとっては雲の上の人。それが目の前にいて、しかも一緒にお風呂に入っているのだ。あれこれと聞いてみたいことがあって当然である。

 ちなみにソルティス教の修道士、修道女の中で階級を与えられるのは、全体のせいぜい5人に1人でしかいない。その階級であるが、どの階級も5つの(くらい)があって、象徴(しょうちょう)(ぶつ)が5つ(えが)かれた1番上の(くらい)にはソルティス教の修道会全体で1人しかいない。そして4つ描かれた階級も10人しか認められないため、それらは階級というよりは(くん)(しょう)のような(あつか)いだ。そのため事実上象徴物が3つ描かれた階級が最高位である。

 また、階級とは別に技術の高さが認められれば、袖章に銀の(ふち)()りが入れられる。その中から更に選ばれた者だけが金縁(きんぶち)(きゅう)(てい)専属(せんぞく)となれるのだ。

 当然、階級に縁取りを持つ者は、周囲からは一目(いちもく)()(もく)も置かれることになる。

 ()(だん)であるが、ソルティス教の(ちゅう)(かく)である(せい)サクラス教会には、帝国(ていこく)全土から(ゆう)(しゅう)な者たちが集められている。いずれも階級を持ち、かつ銀縁を認められた者ばかりだ。そして現役の宮廷専属者も、すべて聖サクラス教会にいる。

 宮廷料理人(ゴールド・オニオン)を目指すということは、少女は自分もその仲間になることを夢見ていることだ。もちろん、その(きょう)争率(そうりつ)の高さも十分に(しょう)()した上でである。

「10時間……かぁ。それはすごいわね。わたしは2時間もしてない……かなぁ……」

「ウソ!? ご謙遜(けんそん)でしょ? それで宮廷付き(ゴールド)タマネギ3個(スリー・オニオン)になれるわけ……」

 メイベルの言葉に、少女が(おどろ)いた声で否定してきた。

「本当よ。わたしが旅を始める前、一番力を入れてたのは博物学(はくぶつがく)よ。宮廷付きの学者たちに()じって、一緒に研究させてもらってたわ。それに科学技術や水力技術の勉強したり、それから魔導師の修行したり、もちろん料理の勉強もするけど、料理の腕前だけじゃなくて、食材の勉強もいろいろしたわ。季節ごとの(しゅん)の食材とか、調理法とか、栄養学も勉強したし、(どく)(くすり)についても勉強したわ」

「そんなにいろんなことしたら、料理の勉強する時間がないじゃない」

「うん。あまりないわ」

「ないって……」

 思わぬ答えに、少女が(ぜっ)()しかけている。

「これはわたしの()(ろん)だけど、何かを目指す時に一点豪(いってんごう)()(しゅ)()というのは限界があると思うのよ。砂遊びで(とう)を作ることを考えるとわかると思うけど、あまり高い塔は作れないでしょう。でも、土台を高くすれば塔はいくらでも高くできるわ。料理も似たようなものだと思うのよね。一見関係ないような知識が、料理の役に立つような……」

 メイベルがお湯に肩まで()かり、ゆっくりと空を見上げた。

 青空の中で、朝日を浴びた綿雲(わたぐも)()金色(がねいろ)(かがや)いている。その雲を目で追いながら、

「実際、(ちゅう)(ぼう)(がかり)になって必死に料理を勉強してた頃より、博物学の勉強を始めてからの方が(じょう)(たつ)が早かったように思うわ。初めの頃は道具の(じょう)()な使い方とか、野菜の切り方とか、お(なべ)の火加減とか、お魚の焼き具合とか、そんな小手(こて)(さき)ばかりに気持ちが向かってたけど、料理で大切なのは小手先の技術じゃないのよね。そういう部分は必死に覚えなくていいのよ。大切なのは1つ1つの食材や調味料の性格を知ること。これを知っておくとね、目の前に並んだ材料をどうすれば美味(おい)しく料理できるか、それがわかってくるのよ」

 と料理について語る。

「えっと……。言ってる理屈は何となくわかるけど、どうして博物学なの?」

「理由は簡単よ。博物学は食材や調味料について、それがどんな風土で育って、それがどんな(とく)(ちょう)を持つもので、それを普段食べてる人たちはどんな調理をして、それがどんな歴史をたどってきたのかって知識を与えてくれるのよ」

 少女にそう答えたメイベルが、視線を温泉に戻してくる。

「小手先の技術も大切だけど、それは食材をダメにしない程度で十分だと思うの。本当に必要なのは、どれだけ食材のことを知ってるかなのよ。ありふれた食材でも深く知ってるほど料理や味つけに幅が広がるわ。反対にどんなに(うで)に自信があっても、食材のことをろくに知らない料理人は、最高の食材を与えてもありきたりの料理しか作れないの。たとえば同じ種類のお(いも)でもね、油で()げると真っ黒になる品種と、白いままこんがり()がる品種、それから油の熱で(あま)()が出てくる品種、油に味が溶け出しちゃう品種、油を吸ってベシャベシャになる品種などがあるの。品種によって、ホント、性格が違うのよね」

「材料の性格……。そんなもの、考えたこと……。あ……」

 メイベルの話を聞いた少女が、思わず手で口を(おお)った。

 自分は間違った調理方法で、食材の持ち味を殺していた。そして、それが今朝(けさ)の料理に対するメイベルの感想で、メニューにない油を使った(いも)(りょう)()を例に出して遠まわしに問題を教えてくれている。少女はそう感じたのだ。

 もっとも当のメイベルにはそんなつもりなど()(じん)もなかったのか、

「ふぇ〜。このままお湯に溶けちゃそうだわぁ〜……」

 お湯の心地よさにすっかり目を細めて肩まで()かっている。

 そこに、

「メイベルさん。勇者さまがお目覚めになられましたわ」

 と言って、灰色の服を着た見習い修道女が(だつ)()(じょ)のドアを開けて声をかけてきた。

「ただいまお食事をされてますので、お済み次第、旅立ちの神事を始めるそうですわ」

「は〜い。わかりました」

 伝言を聞いたメイベルが、さっそくお湯から上がって出ていこうとする。



 さて、それと同じ頃、

「ついに勇者(ゆうしゃ)を発見しましたか」

 内陸(ないりく)(みなと)(まち)シェーベスに(もう)けられたドラゴン教アサッシニオ派の活動(かつどう)拠点(きょてん)。そこに到着したブルーノに、さっそくナバルたち発見の(しら)せが伝えられた。

「場所はどこですか?」

「電信は2つあります。1つはレヴィンから。昨日(きのう)夕刻(ゆうこく)、勇者がドラゴンさまに連れられてレヴィンの教会に到着したそうです」

「ドラゴンさまに連れられて?」

 報告の言葉に、ブルーノが()(げん)そうな表情を浮かべる。

「それはいったいどういうことですか?」

(しょう)(さい)の報告はありません。以上です」

 ブルーノが(くわ)しい事情を求めようとしたが、そこまでの情報は入ってきてなかった。

「ふむ……。何があったのかはわかりませんが、ドラゴンさまは勇者がレヴィンに立ち寄ることをお認めになったのでしょうか?」

 ブルーノの表情が()(げん)そうなものから困った感じへと変わっていく。発見の報を受けたのだから、すぐにレヴィンにいる仲間たちに(しゅう)(げき)を命じようと思った。だが、それでは勇者を運んだドラゴンの考えによっては()(ほん)になってしまう。

 ブルーノは結論を出せないまま、

「もう1つは?」

 と、次の報告を求めた。

「2つめはヴェヘムからです。昨日(きのう)の午後、(とうげ)で見張っていた小隊が山を越えてきた勇者と(せっ)(しょく)追撃戦(ついげきせん)を仕掛けましたがドラゴンさまが(あらわ)れ、追撃を止められたそうです」

「またドラゴンさまが?」

 報告を聞いたブルーノが、また()(げん)そうな表情を浮かべる。だが、

「あ、2つめの方が時間的には先ですか。とすると、その追撃を止めてきたドラゴンさまが勇者をレヴィンにある教会へ運んだのですね」

 と、だいたいの状況(じょうきょう)を理解した。そして、

「ドラゴンさまに運ばれたとなると、レヴィンを(しゅう)(げき)するのは得策(とくさく)ではありません。でも、勇者が今レヴィンの町にいるとなれば(こう)()(ごう)。そこから先の道はただ1つ。ふもとにあるオーマンドの町に寄るはずです」

 と、自分たちに有利な状況と見てブルーノがほくそ笑んだ。

「全員、ただちに出発の準備をなさい。これよりオーマンドで勇者たちを待ち伏せます。レヴィンからオーマンドまで3日ですが、2日で来るかもしれません。ここからも丸2日はかかります。時間の(ゆう)()はありませんよ」

 ぞろぞろと建物に入ってくる男たちに、ブルーノが次の命令を与えた。

 (ねら)っていた()(もの)がついに(あみ)にかかった。そのことに男たちの士気がイヤでも高まってきた。ブルーノの命令に、

『おお〜〜〜〜〜っ!』

 と、気合いを入れて返した男たちが、再び次の場所へ旅立っていく。



 そんな1日が、早くも終わりに近づいていた。

 レヴィンの町から旅立ったナバルとメイベルは今、

「まずいな。今日(きょう)雨宿(あまやど)りしたまま()宿(じゅく)になりそうだな」

「うん。そうなりそうね」

 突然の(はげ)しいどしゃ降りに()い、山道沿いに造られた屋根と柱だけの小屋で立ち(おう)(じょう)していた。

 空を厚い雲が(おお)っている。雨の強さはバケツをひっくり返したなどという形容(けいよう)では物足りないほどの激しさだ。雲の上でドジっ()の雨の女神さまが、雨水を入れたタンクの底に穴を()けてしまった。そんな感じがするほどの雨の強さである。

 雨宿りしてる2人は、ブルーノが予想した通りオーマンドの町へ向かっていた。だが、読みは1つだけはずれていた。ブルーノの予想した街道は馬車が通れるように、坂道を(ゆる)やかにするために深い森を大きく()(かい)する経路で作られた道だった。だが、2人は山のふもとまでの約36kmを、一直線に深い森を突っ切る山道を(くだ)っていたのだ。

 もっとも山道とはいえ、日々ロバで荷物を運ぶ道のためにそれなりに整備されている。(きょ)()が36kmもある山道ではあるが、1日で十分に(とう)()可能な道なのだ。

 とはいえ、それが可能なのは天候などの条件が良ければの話。今は整備されたことが逆に(あだ)となって、山道は雨水の流れる(げき)(りゅう)となっている。そこを歩き続けるのは、非常に危険な状況だ。

「ゴメン、メイベルさん。俺が寝坊しなかったら……」

「別にナバルさんの寝坊のせいじゃないわ。もし寝坊してなくても、もう少し先で雨宿りしてただけで、何も変わりないと思うの」

 メイベルはナバルの背中に手を当て、()れた服を乾かそうとしている。すでに自分の服は乾かし終えていたようだ。

 その2人が雨宿りする小屋は、山道から少し高い場所に造られていた。ここでは頻繁(ひんぱん)に大雨が降っては道が川のようになるからだろうか。小屋の床は地面から離して造られ、水が流れ込んでこないようになっている。また小屋の周りには木々が()(しげ)っているため、風で雨が吹き込んでくる心配もない。おかげで床は水浸(みずびた)しにならずに済んでいた。

 その小屋の中には背もたれのない長イスが4つ、四角く並べられている。服を魔法で乾かし終えた2人はその長イスに腰掛け、なかなか降りやまない(そら)()(よう)をしばらくの間見上げていた。その空が少しずつ暗くなってきている。夜の(とばり)が下りてきたようだ。

「さむぅ。冷えてきたわね」

 不意にメイベルが、そう言ってブルッと身体(からだ)(ふる)わせた。

「夏とは言え、やっぱ山は冷えるな。これからもっと寒くなるだろうから、今のうちに冬服に着替えるとしようか」

 そう言うと、ナバルが荷物の中から冬物を引っ張り出して着替え始めた。もちろん、服は近衛(このえ)()(かん)の冬服だ。それを見たメイベルが、

「わたし、あっち向いてるわ!」

 と、(あわ)ててナバルに背中を向けた。

 そのメイベルは着替える準備を何もしてない。それに気づいたナバルが、

「メイベルさんは着替えないのか?」

 と声をかける。

「それが、さあ。わたし、冬服、置いてきちゃったのよねぇ」

 そう答えたメイベルが、頭の後ろをポリポリと()いていた。

「置いてきた!? 出る時に教会で用意してもらってただろ?」

「それがね。たまたまわたしに合う大きさの服がなくて、それで無理に身体(からだ)に合わない服を持ってくのも何だかなぁ〜と思って……」

 背中を向けたまま、メイベルが言い訳ぎみに答えてくる。そのメイベルの頭に、

「仕方ねえなあ。それでも羽織(はお)ってろよ」

 と言って、ナバルが着替えたばかりの夏服の上着をかぶせた。ふわっと広がった上着が、やがて垂れてメイベルの(ほお)に当たる。そこにはまだナバルのぬくもりが残っていた。それを感じた途端、メイベルの顔がボンッと真っ赤になった。

「あ、あ、あ、ありがと……ね……」

 いきなり心臓(しんぞう)の動きが速くなって、メイベルの声が上ずってしまった。だが、ナバルはメイベルの変化には(とん)(ちゃく)せず、荷物を気にしている。

「そういえばメイベルさん。毛布はどうした? まさか、それも置いてきたのか?」

 ナバルが見ていたのは、メイベルの荷物だ。周りにフライパンなどがぶら下がっているが、(もう)()()(ぶくろ)のようなものは見当たらない。

「そ、それも、もう必要ないと思って置いてきちゃった」

 また頭の後ろに手をやったメイベルが、そう答えてテヘッとばかりに舌を出す。それを聞いたナバルが、たちまち表情を(けわ)しくして、

「この大バカ野郎!」

 と怒鳴(どな)りつけてきた。

「メイベルさん。おまえは山を甘く見すぎだ。今日みたいに途中で何が起こるかわからないんだぞ。冷え込みが強かったら命に関わるんだぞ。そのための毛布を置いてくるなんて()(かつ)すぎるじゃないか!」

「いや……そのぅ……」

 (おこ)られるメイベルには返す言葉がなかった。今日中にふもとまで下りられると思って、装備から毛布をはずしてしまったのだ。この判断の(あやま)りは言い訳のしようがない。

「ったく、仕方ないなあ……」

 大きく()(いき)()いたナバルが、そう言って自分の荷物から毛布をはずした。そして、毛布を持ってメイベルの(となり)に腰を下ろすと、

「2人で1枚じゃ、ちと小さいよな」

 と言って、メイベルを()き寄せてきたのだ。

「そ、それは待ってよ! まだ、気持ちの整理というか、覚悟が……その…………」

 思わず逃げてしまったメイベルが(よう)(りょう)()ないことを言ってくる。それに「はあ?」と声を出したナバルが、突っ立っているメイベルの顔を見上げる。

「そんな恰好(かっこう)じゃ、風邪(かぜ)をひくぞ」

「そ、それはわかってるけど……」

 ナバルの言葉に、メイベルが困ったように言葉を返した。そのメイベルが、

「えっと……。上着、借りるわね……」

 と(ことわ)りながら、ナバルの上着の(そで)に腕を通す。

「それを羽織ったぐらいじゃ、まだ寒いだろ」

「うわぁ〜。ナバルさんって、意外と大きいのね。わたしが着るとブカブカだわ」

 メイベルが言葉をはぐらかした。周りから何度もナバルとの関係を言われたせいで、メイベルは自意(じい)(しき)()(じょう)ぎみになっていたのだ。

 それに対してナバルの方は恋愛(れんあい)沙汰(ざた)には()(とん)(ちゃく)な性格のため、けっこうな()(くば)りはできるのだが、メイベルの今の心情に対しては配慮(はいりょ)できないらしい。

 ナバルはメイベルの気持ちが理解できないイラ立ちも手伝って、

「風邪ひいても知らないからな」

 と言うと背中を向けて、怒ったように長イスの上で横になってしまった。

(しまったぁ〜。ナバルさんを怒らせちゃったかなぁ〜?)

 ナバルにそっぽを向かれたメイベルは、強い自己(じこ)(けん)()(おそ)われた。

(急いで(あやま)らなきゃ。でも、どんな言い訳をすればいいのよぉ〜?)

 しかし、謝ろうにもどうすれば良いのかわからないみたいだ。1人で頭を(かか)えて、混乱(こんらん)する()(こう)を必死に整理しようとしている。

 だが、今が寒いのは事実だ。またブルッと()(ぶる)いすると、手近な長イスに腰掛け、

(取り()えず、魔法で身体(からだ)(あたた)めながら考えましょ。(つか)れてるから、あまり魔法は使いたくないんだけど……)

 と考えながら魔法で身体(からだ)を温め始めた。

(どうして逃げちゃったんだろ? 逃げなければ、一緒に毛布を使えたのに……)

 ナバルの背中を見ながら、メイベルが先ほどの行動を反省する。ナバルの方はというと、今も背中を向けたまま寝てしまったようだ。そのナバルの姿がだんだん見えなくなってくる。完全に日が落ち、夜になったようだ。となると森の中は完全な暗闇(くらやみ)になってしまう。

(どうしよう。今からでも入れてもらえるかなぁ? でも、これから毛布に(もぐ)り込むなんて……)

 真っ暗になったせいで、メイベルは気持ちが(あせ)り始めていた。暗闇の中に1人だけでいるのが怖いという気持ちと、恥ずかしいという気持ちが激しくぶつかり合っている。

 取り敢えず、手を伸ばして毛布の(すみ)っこをちょこっとだけ指でつまんだ。これで暗闇の中での()独感(どくかん)(やわ)らいだ。となると、相対的に恥ずかしさの方が強くなってくる。

(ナバルさん、もう寝たかな? 起きてる時に潜り込むのは恥ずかしいなあ。声をかけて確かめてみようか? って、わたし、何考えてるのよ!)

 メイベルが(ひと)(しば)()で頭を(なや)ませていた。思いきって潜り込むしかない。それは自分でもわかっている。早くしないと魔法で体力を使い切ってしまうからだ。昨日(きのう)も体力切れで倒れている。となると若いとはいえ、1日でどれほど回復してるかわからないからだ。

 とはいえ、どうしても潜り込む勇気が出てこない。

(あはは……。なんか、暑くなってきたわね。…………え? 暑く!?)

 そう気づいた時には()(おく)れだった。あっと思った時にはメイベルの身体(からだ)中から力が抜けていたのだ。

(いけない。また、やっちゃった……)

 メイベルの身体(からだ)が、長イスの上にへちょんと横たわった。昨日(きのう)と同じ、感情が(たか)ぶったせいで、魔法の加減に失敗したのだ。

 そして、メイベルは自分のバカさ加減を後悔(こうかい)しながら夜を明かすことになった。



「このアホ! マヌケ!! 大荷物っ!!! 本当に風邪(かぜ)ひくバカがどこにいるんだよ!?」

 翌日(よくじつ)、山のふもとにある教会から、ナバルの怒鳴(どな)り声が聞こえてきた。その理由は、

「お(ねが)い、頭に(ひび)くから、そんなに怒鳴らないでよ。……ごほっ、ごほごほっ……」

 体温計を(くわ)えてベッドに寝かされているメイベルだった。(せき)(のど)をやられたのか、メイベルの声はしわがれたひどい状態になっている。

「いいや、ハッキリ言わせてもらう。あの寒空の下でグーグー爆睡(ばくすい)するなんて、いったい何を考えてるんだよ? おかげで熱出したメイベルさん背負(せお)って、下りてくるハメになったんだからな。脚立(きゃたつ)は上の教会に置いてきちまったから、雨でぬかるんだ山道を、お荷物背負(せお)ったまま大荷物2つ(かか)えて大変だったんだぞ」

 ナバルが文句を言いながら、メイベルの(ひたい)から()れタオルを取った。

 そのナバルの穿()くズボンは(どろ)(よご)れていた。今は乾いて白っぽくなっているが、その汚れがぬかるんだ山道がどれほど大変だったか、十分に物語っている。

 ちなみに今の時間は午後の3時すぎ。ぬかるんだ道と大荷物という悪条件が(かさ)なったため、ナバルは飲まず食わずのまま昼を大きく過ぎた頃に教会へたどり着いたのだ。

 そのナバルがタオルを洗面器の水で冷やして、固く(しぼ)ってからメイベルの顔に()せる。

「あぷっ。あのさ、濡れタオルを替えるか、文句を言うか、どっちかにしてよ」

 メイベルが顔にかけられたタオルを取った。それを折り(たた)んで(ひたい)()せ直しながら、ナバルに苦言をぶつける。

「じゃあ、文句だけにしようか?」

「できれば……、ごほっ、もう1つの方にして……」

 ナバルから冷たい言葉をかけられたメイベルが、(なさ)けない口調でお願いする。そこに、

「勇者さまと従者さま。お昼食をお持ちしました」

 と言って、灰色の修道服を着た女性が部屋に入ってきた。トレイに載っているのは、パンとスープとハムサラダという簡単なものだ。

「今日はまだお食事を()られてないのでしょう。昼食の残り物で申し訳ございませんが、まだ十分にお()わりがありますので、ご不足でしたら気兼(きが)ねなくお申しつけください」

 修道女がそう言いながら、ベッドの横に用意された小さなテーブルにトレイを置く。

 そのテーブルには、砂時計が置かれていた。砂を黄色く着色した砂時計である。すでに砂はすべて下に落ちていた。だが、わずかにガラスの内側に張りついていた砂が、トレイを置いた震動(しんどう)で一気に流れ落ちていく。

「従者さま。お食事の前に体温を()させていただきます」

 砂時計を見た修道女が、メイベルの口から体温計を取った。その修道女の(ひだり)(そで)には、白い(たて)の絵が(えが)かれている。これは()(りょう)(がかり)(そで)(しょう)だ。だが、階級に相当する杉の絵がないところから、彼女はまだ見習いの(かん)護師(ごし)であるらしい。

「38度8分。これは安静(あんせい)にしなくてはいけませんわ」

 目盛(めも)りを読んだ修道女が、そう言って診療簿(カルテ)に体温と症状(しょうじょう)を書き込む。

 その間にメイベルは、食事のためにベッドから身体(からだ)を起こしていた。青い寝巻(ねま)きに着替えているが、()(あせ)でかなり湿(しめ)っている。それに気づいた修道女が、

「ただいま杉2本の医師(ダブル・シダー)往診(おうしん)のため出かけております。教会に戻り次第こちらにお連れしますので、それまではどうかごゆっくりご静養(せいよう)くださいませ」

 と話しながら、替えの赤い寝巻きを持ってくる。

 着替えのために、ナバルとベッドの間にカーテンが引かれた。それでメイベルが着替えている間、ナバルは先に昼食を食べ始めている。

「あ〜あ。風邪をひくなんて最悪だわ。……ごほっ」

 カーテンの向こうから、メイベルが着替えながらブツブツと(こぼ)す声が聞こえてきた。

「どうしてわたしは……ごほっ、こうも運が悪いのかしら?」

「運が悪いんじゃねえ。メイベルさんがバカだから()(ごう)()(とく)なんだよ」

 メイベルの(なげ)きに、ナバルが不満たっぷりに(にく)まれ口を(たた)いてきた。

「な……。バカって何よ。バカって……!?」

 カチンと来たメイベルが、着替えの手を止めて言い返してくる。

「バカにバカと言って何が悪い? (なつ)風邪(かぜ)はバカがひくものだ。(しょう)(めい)されたじゃねえか」

「あ〜の〜ねぇ〜……」

 更に(たた)みかけてくるナバルの言葉に、メイベルが(いっ)(しゅん)怒りで()(きゅう)を止めた。

「わたしのどこがバカなのよ? ……ごほっ、具体的に言いなさいよ」

「ああ、言ってやるよ。そりゃ、メイベルさんは物知りだし、学識豊(がくしきゆた)かだからそっち方面では頭がいいとは思うよ。だけどな、やってることはバカそのものじゃないか」

「なんですってぇ〜……。ごほっ、ごほごほっ」

 怒りからメイベルがむせ返った。それで「言いすぎたかな?」と思って、ナバルが言葉を止める。だが、メイベルの方は気持ちが(おさ)まらなかった。もうすっかり頭に血が(のぼ)ってしまい、熱で真っ赤になった顔が更に真っ赤になっていく。

「運が悪いのがバカなら、くじ運の悪いナバルさんもバカじゃないの?」

 売り言葉に買い言葉というか、頭に血が昇って論理が支離(しり)滅裂(めつれつ)というか。メイベルがすごい剣幕(けんまく)で言い返してきた。そのメイベルが手早く寝巻きを着替え終えると、カーテンを開けてものすごい(ぎょう)相でナバルを(にら)んでくる。

「俺のくじ運が悪い? 冗談を言うな」

 メイベルに睨まれた途端、ナバルも反射的に言い返してしまった。

「そりゃ、なかなか近衛隊に入れないことがあったから、くじ運が悪いと思ったこともあるさ。だが、それは俺が勇者に選ばれるための布石だったと証明されたじゃないか」

「証明された? ごほっ。いったいどうやって証明されたのよ? ごほっ」

「勇者に選ばれたこと自体が証明じゃないか。それで足りないなら、これまでの旅で証明してやるよ。このサクラスからこのオーマンドまで、1度たりともくじびきのせいで寄り道したことがあったか? (いわ)(さん)(みゃく)を越える大変な道もあったが、最短距(さいたんきょ)()で来てるじゃねえか。それに高原で会ったマウンテン・ドラゴン。あれ、俺たちが向かってる竜の山脈の長老だぞ。これらをすべて運のせいにするなら、これほどの強運はねえ。つまり、俺には神がついてる。くじが教えるのは神の(みちび)きだ。最高の幸運であり強運だ」

 メイベルと睨み合いながら、ナバルが言い切った。もっとも、くじびきが神の教えだと信じてないメイベルには、今の言葉が(しゃく)(さわ)ったらしい。

「たかがくじびきに、……ごほっ、神さまがついてると言い張るのね」

 熱も手伝ってか、メイベルの目がすとんと()わった。

「じゃあ、(ため)してみようかしら。……ごほっ」

 と言いながら、くじびきの材料を求めて部屋の中を(ぶっ)(しょく)する。

 そのメイベルの目がナバルの腰に向かったところで、ニヤリとイヤな笑い方をした。

「それじゃ、今日1日。……ごほっ、腰に下げるものをくじびきで決めてみましょうか」

 と言うと、メイベルがフラフラしながら部屋の片隅(かたすみ)にある(そう)()(どう)具入(ぐい)れを開けた。メイベルの目当ては、モップとホウキだった。次に壁から掛かっていたハンガーを取り、それらをベッドの上に並べる。

「おい、そんなものをくじで選んで、どうする気だ?」

(けん)寄越(よこ)しなさいよ。……ごほっ、ナバルさんには神さまがついてるんだから、選ばれるものに間違いはないんでしょ。……ごほっ」

 メイベルの目が完全に()わっていた。

 いつものメイベルなら、不愉(ふゆ)(かい)なことがあれば長々と解説してくるはずだ。だが、今日はそれがない。どうやら熱でいつもとは違う精神(せいしん)(じょう)(たい)にあるようだ。

 そう感じたナバルは今日のところは下手(へた)(さか)らわない方が良いと判断し、

「わかったよ。好きにしろ」

 と言って、腰に下げていた剣をメイベルに渡した。

「えっへっへ〜。ついでだからぁ、これも追加ねぇ。……ごほっ」

 更にメイベルがリュックサックから大きなフライパンとお玉を持ってきた。そして、それらの名前を紙に書いて、即席(そくせき)のくじ札を用意する。

「さあ、さっそく選んでもらいましょうか。……ごほっ」

「おまえ、なあ……」

 そのあとメイベルがやったことに、ナバルが()(つう)(おぼ)えた。

 メイベルはくじ札を布団の中に(ほう)り込んだのだ。おかげでナバルは、布団に手を入れてくじを選ぶという、なんともマヌケなくじびきをするハメになっている。

「は〜い。くじを(あらた)めま〜す。……ごほっ」

 メイベルがわざとらしく明るい声で、ナバルから紙切れを取り上げた。それを広げて、

「ナバルさんが今日腰に下げるのは、フライパンに決まりましたぁ〜♡ ……ごほっ」

 ナバルに紙に書かれている文字を向けた。それを見たナバルが、思わず「げっ」と短い声を漏らしている。

「と言うことだから、ナバルさん。今日は1日、……ごほっ、フライパンを腰に下げてるのよ。これは神さまが選んだことだから、……ごほっ、不服はないわよね?」

 などと勝手なことを言いながら、メイベルが布団の中から残りの紙切れを全部出した。それから布団に(もぐ)り込んで、

「あぅ〜、なんだか、また熱が出てきたわぁ……」

 と(こぼ)して横になった。

「俺は剣士なのに、なんでフライパンを……」

 (まど)()では腰にフライパンを下げたナバルが、物思いにふけった目で空を見上げている。

 その2人のやり取りを最初から最後まで見ていた修道女は、

「仲がおよろしいですわ♪」

 と、(ほほ)()ましく思っていた。



 教会でそんなできごとがあった時と、まさに同じ時刻、

(じゃ)(きょう)勇者(ゆうしゃ)が、もうオーマンドに着いてた……ですって?」

 運河を移動してきたドラゴン教徒たちが、続々と2人のいるオーマンドに到着していた。そこで平底舟(ゴンドラ)を降りるブルーノのところに、勇者滞在(たいざい)(しら)せがもたらされた。報告してきたのは、この町に住むアサッシニオ派のドラゴン教徒である。

「思ったよりも早いですね。それで、いつごろ到着したのですか?」

「目撃報告によれば、それらしき人物が教会を(おとず)れたのは、午後の2時半ぐらいと」

「今から1時間ほど前ですか。ならば、よほどのことがない限り、まだ教会にいますね」

 時計を見たブルーノが、そう言って状況の()(あく)(つと)める。

「このオーマンドに、帝国の軍隊は駐留(ちゅうりゅう)してますか?」

「警備隊が1部隊4人のみ駐留してます」

「なるほど。その程度であれば邪魔される心配はありませんね」

 そう言ったブルーノが、ここに(しゅう)(けつ)した顔ぶれに目を向けた。その数、ブルーノ自身を含めて25名。大半は途中から追撃(ついげき)に加わった者たちだが、サクラスからの歴戦(れきせん)猛者(もさ)もけして少なくない。

「アサッシニオさま。やりますか?」

 最初に声を上げてきたのは、ヒゲ(づら)の第6隊長だ。

「あなたたち、移動の(つか)れはありませんか?」

「そんなものないです。気にせず(たた)きましょうや」

「その通りですぜ。俺たちゃ、そのために来たっすからね」

 ブルーノの問いかけに、男たちから口々に(いさ)ましい言葉が返ってくる。それに、

「わかりました。あなた方の心意気を、思いっきり(じゃ)(きょう)の勇者にぶつけてやりましょう」

 と、ブルーノがこぶしを()げて答えた。それに鼓舞(こぶ)されるように、

「おーしっ。やったるぜ!」

「今日が敵の勇者の(さい)()だ!」

 男たちもこぶしを挙げ、互いの士気を高め合うのだった。


 その頃、自分に追っ手が(せま)ってるとも知らないナバルは、

「ここはのどかな町だな」

 と(こぼ)しながら、教会の窓から見える町の()(しき)をぼんやりと(なが)めていた。

 町に並ぶ建物は、その多くが2階建てだった。その屋根に()せられた風車が、ゆっくりまわっている。風車の羽根は真横ではなく、どれもがやや上向きに取りつけられていた。

 風車の中には(せい)備不(びふ)(りょう)のものがあって、ギギッときしみ音を立てている。だが、それがまた都会の喧騒(けんそう)とは違った落ち着いた()(ぜい)(はな)っていた。それでいながら街の人通りの多さと風車の数が、町に活気があることを感じさせくれる。なんとも(ぜつ)(みょう)(ふん)囲気(いき)である。

 その様子を見るナバルの腰には、大きなフライパンがぶら下がっていた。先ほどメイベルにムリヤリくじを引かされ、持つハメになったフライパンだ。

 そんなナバルの背中を、先ほどからベッドに横なったメイベルが(ほほ)()みながら見ている。ナバルが腰にフライパンを下げている恰好(かっこう)が面白いという理由もある。だが、それよりもちゃんと下げている(りち)()さがおかしいのだ。

 そのナバルが、

()(みょう)な物が走ってるな」

 先ほどから教会の前を何台も通りすぎていく不思議な乗り物に目を向けた。前後に大きな車輪のある、地面を()りながら進む立ち乗り自転車のような乗り物だ。この町は平らな場所に作られているため、このような乗り物が使われているようだ。

(メイベルさんが見たら、絶対に近くまで行って見ようとするよな)

 乗り物を見送ったナバルが、チラッと部屋の中に目を向けた。

 それで思わず目が合ってしまったメイベルが、(あわ)てて視線を()らせている。

「お2人さま。お着替えを用意しました」

 そこに()(りょう)(がかり)の見習い修道女が、2人分の着替えを持って部屋に入ってきた。

 修道女が持ってきたのは、2人分の夏冬各1着ずつだ。メイベルは風邪(かぜ)で休ませるために寝巻きに着替えさせていたが、ナバルは山を下ってきたままの(よご)れた恰好(かっこう)だった。

「お()し物は、こちらに置きますわ。勇者さまはお隣に部屋を用意しましたので、どうぞご自由にお使いください」

 修道女がメイベルの足許(あしもと)に、2人分の着替えを並べて置いた。

「早めに着替えないと、教会の中を(よご)しちまうな」

 そう言って、ナバルが(どろ)だらけになった自分のズボンに目を落とした。今はもう泥は乾いている。だが、そのために歩くたびに細かな(ちり)をばら()いていたのだ。

 それではいけないと思ったナバルが、すぐに着替えようと替えの服を手に取った。

「あのぅ、すみません。この教会には、……ごほっ、お薬はありませんか? せめて()熱剤(ねつざい)ぐらい、……ごほっ、飲みたいんだけど……」

 熱が苦しいのだろうか。メイベルが近くにきた修道女のスカートをつまんで、解熱剤を求めてきた。その声を聞いたナバルが、動きを止めてメイベルに顔を向ける。

「申し訳ありません。まだ杉2本の医師(ダブル・シダー)往診(おうしん)から戻っておりませんので、薬をお出しすることができないのです」

 薬を求められた修道女が、困った表情で(あやま)った。

(じょう)()(やく)みたいなものは、……ごほっ、ないの?」

「はい。調合前の薬剤(やくざい)しかありませので、わたしにはどれをお出しすれば良いのか……」

「薬剤!? じゃあ、……ごほっ。当然、その中には(しょう)(やく)もあるのよね?」

 ゆっくり身体(からだ)を起こしたメイベルが、修道女に教会にある薬の種類を確かめる。

()(よう)でございますが、それが……?」

「それなら、薬は自分で調合するわ。……ごほっ、案内してください」

 メイベルはすっかり自分で薬を作る気になっていた。

「えっ!? ですが、素人(しろうと)がお薬に手を出されるのは……」

「大丈夫よ。わたし、サクラスにある研究所で、御用学者たちと一緒に薬草や薬木の研究をしてたのよ。……ごほっ」

 そう言いながら、メイベルがベッドの(ふち)に座って、スリッパに足を()せた。そして、

「だから、(しょう)(やく)だけなら、……ごほっ、自分で調合できるわ。まあ、材料があるのなら、……ごほっ、()(よう)(きょう)(そう)()(ろう)回復(かいふく)のお薬も作っておきたいわね」

 と言いながら、修道女の肩を借りて立ち上がろうとする。そのメイベルを、

「いい加減にしろよ。そんなこと、少し熱が下がってからでもいいじゃないか」

 と言って、ナバルがベッドに戻そうとした。

「熱を下げるために、解熱剤が必要なのよ!」

 ()極当然(ごくとうぜん)な意見だった。だが、その解熱剤を作るために起き上がった結果、こじらせて熱が上がったとしたら本末(ほんまつ)転倒(てんとう)である。

「とにかく、おまえは寝てろ!」

 着替えを(ほう)り捨てたナバルが、強引(ごういん)にメイベルを()き上げた。そして(なか)ば力ずくでベッドに寝かせ、頭から()(とん)をかぶせてやる。

「ナバルさん。強引すぎ!」

「何とでも言え。おまえはバカだから、絶対(ぜったい)に何か悪い運を引き寄せるぞ」

 ()(なん)してくるメイベルに、ナバルがまたも(にく)まれ口を(たた)いた。そのナバルをメイベルが低い声で(うな)りながら(にら)んでいる。

 と、その時、

『この教会に潜伏(せんぷく)してる(じゃ)(きょう)勇者(ゆうしゃ)()ぐ。ただちに我々の前に出てきなさい』

 という声が、教会の外からかけられてきた。

「なんだ?」と言って、ナバルが窓のある場所に顔を向ける。

「この声……」と(こぼ)したメイベルも、()(とん)をめくって身体(からだ)を起こした。

『きみ個人には(うら)みはありません。ですが、勇者の目的がドラゴン退(たい)()と聞き(およ)んだ以上、我々ドラゴン教団としては、きみの存在を見過ごせません』

 外から聞こえてくる声の主が、なんとも身勝手なことを言っている。それを不愉(ふゆ)(かい)に感じたナバルが、窓から顔を出して声の(ぬし)の姿を求めた。

 ナバルが探すまでもなく、その声の主は教会の正面にいた。その周りに大勢の男たちがいる。手に(けん)(じゅう)などの武器を持った、()(よう)不気味(ぶきみ)な集団だ。

『きみには5分の(ゆう)()をあげましょう。きみが(きゅう)(せい)勇者(ゆうしゃ)自負(じふ)するなら、時間内に出てきなさい。さもなければ、我々は関係のない市民を巻き()えにしてでも、踏み込んできみを(つか)まえてやりますよ』

「あのやろう。好き放題言いやがって……」

 窓から男たちを見ていたナバルが、(しゅう)(あく)(はじ)()らずな言葉に(いか)りが込み上げてきた。

「ナバルさん。まさか、1人で行く気なの?」

 部屋から出ていこうとするナバルを、メイベルが(あわ)てて呼び止める。その横では、

「どうしましょう。困りましたわ。こういう場合は、まずお茶を()れて……」

 修道女が突然の事態に遭遇(そうぐう)して、パニックを起こしていた。

「俺が出ていかなきゃ、あいつら、ためらいもなく市民に()(がい)(くわ)えるぞ」

「ごほっ。それはわかってるけど……」

 ナバルの答えに、メイベルが言葉に詰まった。(てい)()でテロを起こし、数多くの市民を巻き込んだ集団だ。彼らが他人の命を虫ほどにも思っていないのは経験済みである。

 満足な助言もかけられないうちに、ナバルは部屋から出ていってしまった。

「そうだ! ナバルさん、ちょっと待ってよ!!」

 メイベルが大切なことに気づいて、(あわ)ててナバルを呼び止めようとする。それは、

(けん)を忘れてるわよ! フライパン持って、どうする気よ!?」

 ナバルが部屋に勇者の剣を置いたまま出ていったことだ。

 これは一大事と思ったメイベルが、ベッドから飛び降りて剣を(つか)む。ところが、

「ごほっ。……ごほっ、ごほほっ…………」

 熱があるのに急に動いたため、平衡感覚(へいこうかんかく)(うば)われてバタンと倒れてしまった。


「アサッシニオさま。(だれ)かが出てきやすぜ」

 教会の前で待ち構えるブルーノたちの前で、礼拝堂(れいはいどう)(とびら)が大きく開かれた。そこから近衛(このえ)()(かん)の服を着た若者が(あらわ)れて、今、階段をゆっくりと下りてくる。

「これはこれは意外や意外。あの時の剣士くんではありませんか」

 出てきたのは、もちろんナバルだ。その姿を見たブルーノが、見知った顔に目を丸くしている。他にも、

「あの時の若造(わかぞう)か……」

「ソルティスの邪神(じゃしん)め。(あじ)真似(まね)をしてくれたな……」

 と、帝都でナバルと一度手合わせした者たちが、警戒(けいかい)した(おも)()ちで()(がま)えている。

「出てきてやったぞ。これで(もん)()はないか?」

「ほほう。これだけの数を前に、きみは勇敢(ゆうかん)ですね」

 (おじ)けた感じを見せないナバルに、ブルーノが不快そうな顔になった。

「そりゃ、当然だ。俺はソルティスの神に選ばれた勇者だからな」

「ほう。それは大した自信ですね。しかし、1人でこの大人数を相手にできますか?」

 そう言うと、ブルーノが腰に下げていた(けん)を抜き放った。それに(なら)って、ドラゴン教徒たちもいっせいに自分の持つ武器を構えてくる。

(けん)を持つのは6、いや7人か。あとの(じゅう)を持つ(ぞう)(ひょう)は、ただの頭数合わせか」

「てめえ、()めてんじゃねーぞ!」

 (じゅう)を構える若者が、ナバルの言葉に(はげ)しく()(せい)を返してきた。だが、ナバルは若者の言葉など無視するように、

「俺には神の加護(かご)がある。来るならそれなりに(かく)()しろよ」

 と言って右手で腰にあるものを(つか)み、それを高々と()げた。

「……フライパン…………ですか?」

 ブルーノが面喰らった顔で、そう零した。その言葉に、

「あ、そうだった……」

 ナバルが(いっ)(しゅん)(うつ)な表情を浮かべて、ちらりと右手にあるものに目を向ける。

「それは何の真似(まね)ですか?」

 ブルーノが警戒(けいかい)しながら、ナバルにフライパンの意味を尋ねた。

「これは神に選ばれた今日(きょう)の武器だ」

「神に選ばれたって、フライパンが……ですか? ひょっとしてくじびきで……?」

「そうだよ。悪いか!」

 ブルーノにそう答えたナバルが、大きなフライパンを剣を持つ時のように構えた。

 その恰好(かっこう)を見たヒゲ(づら)の第6隊長が、

「アサッシニオさま。どう思いますか?」

 と、ブルーノに耳打ちしてきた。

「ソルティスの邪神(じゃしん)のことですから、何か理由があると思うのですが……」

 ブルーノがフライパンをジッと見詰めて、神の意図を(さぐ)ろうとする。

「くじびきで決めるなどバカバカしく思うのですが、ソルティス教はそれで勢力を拡大し、帝国を持つ大陸最大の宗教に成り上がったのです。()めてかかると痛い目に()いますよ」

 どうやら答えの取っ掛かりすら(つか)めなかったようだ。それでも自分を納得(なっとく)させようと、()(むずか)しい理屈を並べている。

 教会の前を異様な緊迫感(きんぱくかん)(つつ)んでいく。その緊迫感に(こら)えられなくなったのだろう、銃を構えた若者が、(じゅう)(こう)をナバルに向けて引き金に指をかけた。

「させるか!」

 若者の動きに気づいたナバルが、フライパンを銃口に向けて立てる。直後、

「うわっ!」

 (じゅう)(せい)()(ひび)き、ブルーノの後ろにいた男が()(めい)を上げて()()った。

 銃口から出た(たま)がフライパンで()ね返され、それがブルーノの後ろにいた男に(めい)(ちゅう)したのだ。しかも跳ね返る時に弾が変形し、男の身体(からだ)を大きな()壊力(かいりょく)(つらぬ)いた。その際の強い(しょう)(げき)がショックとなって、男は意識まで吹き飛ばされている。

「そんな使い方が……」

 今の一瞬のできごとに、ブルーノが剣を構えて警戒した。倒れた男は、激しいショックのあまり痙攣(けいれん)している。その男に()(くば)せしたブルーノが、憎々(にくにく)そうに顔をゆがめた。

 その間にナバルは、銃を()った若者の顔面(がんめん)をフライパンで(たた)いていた。銃は先込め式の単発式だ。一度撃ってしまうと、弾を込め直すまで次の攻撃ができない。その間に反撃を喰らうと、まったくの()(ぼう)()になってしまう。ナバルが銃を持つ男たちを(ぞう)兵扱(ひょうあつか)いしたのは、そういう理由があるからだ。

()(ぞう)が、()めた真似(まね)をしやがって!」

 ナバルの側面を(ねら)って、ヒゲ面の第6隊長が仕掛けてきた。彼の剣が横なぎにナバルの肩口を狙ってくる。

 反射的に身をかがめたナバルの上を、剣が風を切りながら通りすぎた。だが、その剣がただちに向きを変え、再びナバルを(おそ)ってくる。

 ガチッという音がして、フライパンが剣を(はじ)いた。そのまま2人が(たい)を入れ替え、2回、3回と火花を散らす。

「う、撃てねえ……」

 ナバルが男たちの間に飛び込んだため、銃を持つ者たちが()(かつ)に攻撃できなくなった。

 男たちはナバルを取り囲んでいる。()(よう)によっては有利な立場だ。だが、それは()(そん)じれば、背後にいる味方を撃ってしまう位置関係である。包囲される中でナバルが激しく動いている。そのため男たちは(ねら)いを(さだ)められず、むしろ同士討ちを恐れて引き金に指をかけたまま動けない状況(じょうきょう)になっていた。

 しかも、第6隊長の振りまわす剣に巻き込まれまいとして、男たちは2人から距離を()けようとしている。それが徐々に包囲の輪を大きくする要因になっていた。

「うおっ!」

 一瞬の(すき)を狙われた。広がった輪の弱いところを狙って、ナバルが(ほう)()から外へ飛び出したのだ。その際に1人が足を引っかけられ、後頭部にフライパンを打ち込まれている。

「逃げたぞ! 追え〜っ!!」

 銃を撃つ間もなかった。包囲から逃れたナバルが通りの角を曲がり、建物の影に姿を消してしまう。

 そのナバルを追いかける男たちが、銃の引き金に指をかけたまま通りの角を曲がろうとする。その先頭を行く男の眼前(がんぜん)に、真っ黒な鉄の(かたまり)(せま)ってきた。

「うごぉ……」

 (にぶ)い音がして、先頭の男が吹っ飛ばされた。それに巻き込まれた3人の男の銃が次々と暴発(ぼうはつ)する。そのうちの1発が、剣を持った味方の右肩を撃ち抜いてしまった。

「待ち伏せとは、やってくれるじゃねえか!」

 巻き込まれなかった銃士が、角を大きく曲がって銃を構えた。その彼の目に、通りを逃げていくナバルの後ろ姿が飛び込んでくる。

 直後、銃が火を()いた。しかし、(たま)はナバルに当たらず、地面で小石が(はじ)ける。

「ちっ、はずした!」

 撃ち損じた銃士が、舌打ちしてポケットから次の弾を取り出した。急いで次の弾を込めようとしているのだ。

「おい、敵の勇者はどっちへ逃げた」

 空に浮かぶ飛行剣士が、銃士に目撃情報を求めてきた。()かれた銃士が顔を上げ、

「先の角を左だ!」

 と、短く答える。

「よし、わかった」

 そう言うと、飛行剣士が建物の屋根よりも高く飛んでいく。ナバルを上空から追いかけようとしてるのだ。

 空にはその飛行剣士の他に2人の飛行戦士の姿がある。銃を構えた飛行銃士と、指導者ブルーノの姿だ。

「一瞬の間に、5人がやられましたか……」

 空から地上に目を落としたブルーノが、悔しそうに零した。

 路上には5人が倒れている。教会の前に3人、それと通りの先で2人だ。他に4人の男たちが銃に弾を込めるために脱落(だつらく)している。

(ふた)()に分かれろ。おまえらは右、残りは左だ」

「くっ! また(わか)れ道だ」

「お〜い。空からも見つかんねえのか?」

 追いかける男たちがナバルを見失ったようだ。早くナバルを見つけようと、部隊を少しずつ分けている。だが、それを見たブルーノが(あわ)てて、

「あまり分かれてはいけません。相手は腕の立つ剣士くんです。各個撃破されますよ!」

 地上に向かって大声で指示を与えた。

 相手はナバル1人とわかっていても、ブルーノは(しん)(ちょう)だった。それは最初に遭遇(そうぐう)した時に、ナバルがかなり腕の立つ剣士だと思い知らされていたからだ。

 その時、

「ぐぉ……」

 屋根の上を飛んでいた飛行銃士が()(めい)を上げた。その銃士を(おそ)ったのは、風車の(かげ)から出てきたナバルだった。

「……なっ!?」

 思いがけない場所にナバルを見たブルーノが、一瞬動きを止めてしまう。

 やられた飛行銃士が、地上に落ちてどうっと(にぶ)い音を立てた。その音を聞きつけたドラゴン教徒たちが、いっせいに音のした場所へ集まってくる。

「なぜ、きみが屋根に……」

 そんな疑問を口にしたブルーノに、屋根を駆けるナバルが低い姿勢で迫ってきた。

「それはな、囲まれねえためだ!」

 ナバルの振ったフライパンが、ブルーノの持つ剣の()に当たった。それで(はじ)かれた剣が、回転しながら地上へ落ちていく。その剣が、

「のわっ!! 危ねぇ〜!」

 駆けつけてきたヒゲ面の第6隊長の足許(あしもと)に、見事に突き立った。

 ()(もの)を失ったブルーノが、ナバルのいる屋根から離れていく。そのブルーノの姿を、地上にいる男たちが見つけた。すぐに屋根の上にいるナバルの姿も見つけ、銃を持つ男たちが狙いを定めようとする。だが、

「くっ。(かく)れやがった……」

 銃に気づいたナバルが、屋根の(ふち)から数歩下がった。たったそれだけのことで銃が()(こう)()されている。

「さすがは邪神の選んだ勇者です。なかなかの戦い(じょう)()ではありませんか」

 ナバルを(にく)らしそうに睨むブルーノが、気持ちを落ち着けるようにメガネの位置を正そうとする。そのブルーノを睨み返すナバルも、

「だから言っただろ。俺には神の加護があるってさ」

 と言って、フライパンの持つ手首をくるくると回してみせた。


 その頃、教会の礼拝堂(れいはいどう)では、

「もう、剣なしで、どうやって戦うつもりなのよ。……ごほっ」

 と言って、メイベルが勇者(ゆうしゃ)(けん)(じゅう)(しゃ)(つえ)(かか)えて出ていこうとしていた。

 メイベルは寝巻きの上に、修道服の上だけを羽織(はお)った恰好(かっこう)だ。そのメイベルを、

「従者さま。お熱が高いのです。動いてはお身体(からだ)(さわ)りますわ」

 と、()(りょう)(がかり)の見習い修道女が引き止めようとしている。

「今は自分の身体(からだ)なんか……。ごほっ、気にしてる場合じゃないわ」

 と言いつつも、立ち止まったメイベルが壁に片手を突いた。熱があるため、実際には立っているのもつらい。だが、それでも必死に追いかけようとしているのは、

「早くナバルさんに剣を渡さなくちゃ……。わたしが意固地(いこじ)になって、……ごほっ、くじびきでフライパンなんか持たせたから……」

 自分がしたことへの罪悪感(ざいあくかん)と、従者としての使()命感(めいかん)に突き動かされてのことだ。

(じゅう)の音が、まだ続いてるわ。どうやら、まだナバルさんは無事みたいね。……ごほっ」

 外から何度も銃声が聞こえてくる。それが鳴り止まないのは、まだナバルが戦っている(しょう)()だ。それに少し(あん)()したメイベルが、大きく2度、3度と深呼吸する。そして、再び壁に手を突きながら歩き始めた。

「だけどさ。フライパンで戦いに出るなんて、ムチャクチャだわ。……ごほっ」

 それでもナバルが武器を持っていないのは大きな気がかりだ。そのナバルに早く剣を届けようとするメイベルが、ようやく礼拝堂の(とびら)までたどり着いた。

「剣を持っていく前にやられたら、(しょう)()しないんだからね!」

 そう強い口調で訴えたメイベルが、礼拝堂の扉を開いた。

「……こほっ。…………えっと……」

 扉を開けて表通りを見たメイベルの目に、予想外の光景が飛び込んできた。

 教会の前に3人の男が倒れていた。うち1人は地面を血で()らしている。

 通りの反対側には、たまたま通りかかった市民が数人立ち止まっていた。だが、その中から倒れた男たちを手当てしようとする者はいない。男たちが武器を持っているため、誰も関わりを持ちたくないのだ。

「これ、フライパンでやったのかしら? ……こほっ」

「さあ?」

 メイベルに尋ねられた修道女が、答えに困って首を傾げる。だが、メイベルは尋ねておきながら答えを期待してなかった。メイベルは騒ぎの音に神経を向けている。音が聞こえてくる方向を(さぐ)って、追いかけようとしているのだ。しかし、町の建物はレンガ造りが多いため、壁の(はん)(きょう)(よう)()には場所を特定できないでいる。

「あっちから……かしら? ……こほっ」

 メイベルが音の感じから、教会の正面からやや左の方角に目を向けた。礼拝堂の扉は南に向かっているはずだから、南南東の方角である。

 その音を目指して、メイベルが礼拝堂前の階段を下りていく。だが、

「…………あぅ……」

 最後の1段を残したところで、不意にめまいが(おそ)ってきた。だいぶ日が傾いてきたとはいえ、熱のある身体(からだ)には夏の強い陽射(ひざ)しは(どく)であった。

「従者さま。ですから安静(あんせい)にしてくださいと申してますのに……」

 (あわ)てて駆け寄った修道女が、メイベルの身体(からだ)()(づか)う。そのメイベルは階段の一番下に腰かけ、低い声で「う〜ん」と(うな)っていた。


 さて、戦いの中にいるナバルの方は、

「おしっ! また1人脱落(だつらく)だ」

 屋根の上で今もフライパンを手に奮闘(ふんとう)を続けていた。

 今、1人の剣士がナバルとの戦いに(やぶ)れ、屋根から落とされたところだ。

 ドラゴン教徒たちはナバルを追いかけ、続々と屋根によじ登ってきている。とはいえ屋根の上は(せま)く不安定だ。しかもナバルが屋根から屋根へ飛び移るため、せっかく登っても別の屋根へ逃げられることが何度も繰り返されている。追いかけようにも、屋根の間隔(かんかく)は広いところでは5m近く。踏み切りを少しでもためらえば、次の瞬間には地面に(たた)きつけられる危険がある。実際、ナバルを追いかけた3人が別の屋根に飛び移り(そこ)ねて、地上に落ちて大ケガしていたのだ。となれば飛び移る自信のない者は、

「いてっ。後ろから(ねら)うなんて()(きょう)だぞ!」

 銃で離れた場所から狙うしかないようである。もっとも、

「もっと近くで撃たねえと、当たっても()(りょく)ねえじぇねえか!」

 先込め式の銃では20mも離れると()(めい)(しょう)を与えるのが(むずか)しくなっていた。それが更に40mも離れると、厚い服で(ふせ)げるほど()(りょく)が落ちてしまうのだ。

 離れた場所から狙える飛び道具ではあるが、これではオモチャと大差ない事態である。

 先ほども(たま)がナバルの背中に当たったが、服には穴すら()いてない。

 その銃に対抗するナバルは、

「おおりゃあぁ〜〜〜〜〜……」

 撃った者を特定できたら一気に距離を詰め、弾を込め直す前に地面に(たた)き落としていた。

 まるで屋根の上のモグラ叩きである。

 そして誰かが狙っていると気づいたら、フライパンで一時的に顔を隠している。フライパンは頭部への致命傷を(ふせ)ぐにも格好(かっこう)(ぼう)()だった。

()(ぞう)! いい気になるんじゃねえぞ」

 そこへ屋根に登ってきたヒゲ面の第6隊長が、剣を横に構えて迫ってきた。その構えが急に上段に変わり、渾身(こんしん)の力を込めて打ち込んでくる。

 ナバルが一瞬、()けるのをためらった。屋根の上は不安定だ。そのため体勢(たいせい)(くず)れるのをつい(きら)ったため、反応が遅れたのである。

「くぅ……」

 打ち込まれた剣をフライパンの底で受け止めた。そこを第6隊長がすかさず、

灼熱たれ(レ・カロル)!」

 と剣に魔法をかけ、刀身(とうしん)を一気に白熱(はくねつ)させる。高熱でフライパンを()かし()る作戦だ。

 ところが、

「と、()けねえ……」

 第6隊長の作戦はフライパン相手には意味がなかった。それどころか、

「しまった! こっちの剣がダメになっちまった」

 熱でぐにゃりと折れ曲がったのは、第6隊長の持つ剣の方だった。すぐにナバルの前から撤退(てったい)し、反撃されないように隣の屋根に飛び移った。

「アサッシニオさま。あの武器は(あなど)れませんぜ」

「そのようですね。まさかフライパンが、これほど恐ろしい武器だったとは……」

 第6隊長の言葉に、ブルーノが不愉(ふゆ)(かい)そうな顔をナバルに向ける。

 いつの間にか味方の半数を失っていた。その事態に追い込んだ武器が、信じ(がた)いことにとても戦いに向いているとは思えないフライパンなのだ。

 そのフライパンを持ったナバルは、今、飛行剣士と戦っている。屋根の上にある風車を背後にして、何か()(さく)(ねら)っているような戦いぶりだ。

 しかし、飛行剣士は奇策に感づいたのか、ナバルとの間合いを広げる。

 それを見て取ったナバルが、風車の羽根が通りすぎる間合いを見て、風車の建物の(かげ)に隠れてしまった。飛行剣士が風車の羽根を(まわ)り込んで追いかけようとする。

 だが、それこそがナバルの狙った奇策だった。ナバルが風車に手をかけ、土台を回転させる。それで羽根の向きが変わり、()(そこ)なった飛行剣士の足に羽根が引っかかる。

「うりゃあ!」

 ナバルが体勢(たいせい)(くず)した飛行剣士の後頭(こうとう)()に、フライパンを(たた)き込んだ。ヅガンと(にぶ)い音がして、飛行剣士が屋根の上で動かなくなる。

「これで厄介(やっかい)な飛行野郎は、あいつ1人だけになったな」

 ナバルが足を止めて、空にいるブルーノに目を向けた。

 日が大きく傾き、地上を少しずつ(しゅ)()めていく。

 屋根の上にいるのはナバルとブルーノだけである。あとの者たちは全員地上に下りていた。そこからナバルが屋根を飛び越そうとする一瞬を狙おうと銃で待ち構えているのだ。

「そろそろ、戦うには良い時間ですね」

 ナバルと(たい)()するブルーノが、剣を構えてゆっくりと位置を変えた。少しずつ高度を下げ、ナバルの目線に近くなっていく。そのブルーノの姿が不意に夕陽の中に溶け込んだ。

「やりやがったな!」

 夕陽の目くらましだ。それに気づいたナバルが目を細め、身体(からだ)を横へ動かしてブルーノの姿を(とら)えようとする。

「もう遅いですよ!」

 ナバルが再びブルーノを見た時には、もう眼前(がんぜん)まで(せま)っていた。そのブルーノは剣を大きく振りかぶり、ナバルの腰を狙って()り込んできている。

「うわっ……」

 ()(もの)がフライパンだったのが(さいわ)いだった。幅の広い底が、間一髪(かんいっぱつ)のところで剣を受け止めている。だが、

「げふっ……、うお……」

 ブルーノの突進(とっしん)してきた()(りょく)までは殺せなかった。ブルーノを見つけるために身体(からだ)を横へ動かし、それで体勢が崩れた分だけ踏みとどまれなかったのだ。転がるナバルが、屋根の傾斜を(すべ)り落ちていく。

「ほう、運が良いですね。ギリギリ落ちませんでしたか」

 屋根の(ふち)でナバルの動きが止まった。手から離れたフライパンが、地上に落ちてグシャリと変形する。

「おい、足が見えるぞ!」

 地上にいるドラゴン教徒たちが、屋根から半分飛び出した足を見つけた。それで銃を持つ者たちが、銃口をナバルに向けて構える。今、下から見えるのは足だけだ。だが、それが胴体(どうたい)まで見えたら、すぐに引き金を引くつもりなのだ。

「剣士くん。これで勝負ありましたね」

 屋根の縁まできたブルーノが、そう言ってナバルの(ひたい)(あし)()にした。自分ではトドメを刺さず、手下たちに()(まつ)させるつもりだろう。

「このやろう……」

 何度も足蹴にされるナバルの身体(からだ)が、少しずつずり落ちていく。地上ではナバルが落ちる瞬間を、ドラゴン教徒たちが銃を構えて待っていた。


 その頃、少し休んで再び動けるようになったメイベルが、音を(たよ)りにナバルを追っていた。自分がフライパンを持たせたせいで、ナバルが(きゅう)()に立たされていないか。とにかく、それが心配なのだ。そして(かか)えている勇者の剣を一刻(いっこく)も早くナバルに届けたい。そんな使()命感(めいかん)がメイベルの心を支配している。

「従者さま。あまり無理をなさらない方が……」

 そんなメイベルを()(づか)って、見習い修道女がついてきている。気持ちとしては無理にでも部屋に連れ帰って寝かせたいのだが、教会内の階級的に目上の者に強制できなくて困っているのである。

「わたしは従者なんだから、お荷物にも、足手まといにもなっちゃダメなのよ」

 メイベルはそう自分に言い聞かせて、熱で倒れそうな身体(からだ)を支えている。とはいえ、

「ここを曲がったあたり……かしら? なにか騒がしいみたいだから……。……ごほっ」

 さすがに息苦(いきぐる)しいのか、建物の壁に手を突いて軽く小休止する。

「……こほっ。ここで休んでる場合じゃないわ……」

 大きく深呼吸したメイベルが、気力を振り(しぼ)ってまた前に進んだ。それで角を曲がったメイベルの目に、

「ナ、ナバルさん!?」

 構えた銃を上に向けるドラゴン教徒たちと、屋根から腰まで落ちたナバルの姿が飛び込んできた。

(おう)(じょう)(ぎわ)が悪いですね。さっさと落ちなさい」

 屋根の上にいるブルーノが、執拗(しつよう)にナバルの(ひたい)(あし)()にして落とそうとしている。それに(こら)え切れなくなったナバルの身体(からだ)が、ずるずると沈み始める。

「落ちるぞ!」

 銃を構える者たちが、いっせいに引き金に指をかける。

「させないわ! 祝福の風よ(アウラ・ベネディクト)!!」

 咄嗟(とっさ)に従者の(つえ)を構えて、メイベルが術を(はな)った。

 杖の先に光が集まり、そこから風が()き出す。それが地上を()うような無数の小さなつむじ風となって、ドラゴン教徒たちに迫っていった。

『うわぁ〜っ!?』

 (おどろ)きの声を上げた男たちが、無数のつむじ風に飲まれていく。吹き飛ばされるというより、砂浜で波に足をすくわれたような感じだ。男たちがバタバタと倒れ、銃が次々に暴発する。

 その無数のつむじ風は壁を伝って建物を()い上がっていった。その風の強さにレンガがきしみを上げ、もろい()(しょ)が風に(くだ)かれていく。だが同時に、その風が落ちてくるナバルを受け止めるクッションになった。

「すごい魔法ですわ……」

 メイベルを追いかけてきた見習い修道女が、今の(いち)()()(じゅう)を目に()きつけた。

 空中で落下の止まったナバルが、そのまま風に乗って道の中ほどへ流されていく。

「ナバルさん。大丈夫!?」

 やがて風がやみ、ナバルが地面に下りた。そして立ち上がるナバルに、メイベルが声をかける。その声を聞いたブルーノが、

「あの()(むすめ)は……」

 メイベルを不愉快そうな顔で見た。

 (てい)()で自分たちを苦しめたナバルのみならず、メイベルまで姿を見せてきた。

「まさか、あの小娘が従者ですか? 剣士くんの勇者と小娘の従者。ソルティスの邪神め。悪魔のごとき(しょ)(ぎょう)を……」

 この事態はブルーノにとって、理解を超えたできごとだ。だが、

「しかし、あの小娘。出てくるのが遅かったのは、どうやら病気でもしてましたかね?」

 あくまでもブルーノは冷静(れいせい)だった。メイベルが寝巻(ねま)きの上に上着を羽織(はお)っただけなのに気づいたのだ。しかも体力が尽きかけているのだろう。(うな)()れて大きく息をしている。そのメイベルの身体(からだ)を、一緒に来た見習い修道女が(ささ)えていたのだ。

「くっくっくっ。まだ(しょう)()はこちらにあるようです」

 屋根を()って身体(からだ)を宙に浮かせたブルーノが、地上へ舞い降りようとする。

 部下のドラゴン教徒たちは風の魔法で倒されてはいるが、無事なようだ。剣を持つ者は構え直し、銃を持つ者は弾を込めて決戦に(そな)えようとしている。

 対するナバルはフライパンを失い、今はまったくの丸腰(まるごし)である。

「今度こそ(さい)()ですよ。剣士くん。きみの奮闘(ふんとう)ぶりは、きっと伝説として残るでしょう」

 ブルーノが空中で動きを止め、抜き放った剣の先をナバルに向ける。

「……ん!? 何の音ですか?」

 部下たちにナバルにトドメを刺すように()(めい)しようとした矢先、何かが急に大きな音できしみ出した。と同時に小石や砂が落ちるパラパラという音も聞こえてくる。

「……なにっ!?」

 その直後、ブルーノが信じられない光景を目にした。つい先ほどまでいた建物の壁が、ゆっくりと通りの側へめくれるように倒れ始めていたのだ。

「小娘の魔法の影響……?」

 思わぬできごとに、ブルーノは()(なん)の呼びかけを忘れていた。

 その間も壁はゆっくりと傾きを大きくしている。倒れる先の通りにいる者たちは、まだ自分たちに向かって壁が倒れてきていることに気づいてない。

 そして傾きがとうとう限界に達した。レンガは(あっ)(しゅく)される力には強いが、引っ張られる力には弱い。そのため、一気に壁の崩壊(ほうかい)が始まった。

「壁が倒れてくるぞ!」

「ここから逃げろ!!」

 ようやく身の危険に気づいた男たちが、大慌(おおあわ)てで逃げ始めた。壁とは反対方向へ逃げ出す者。一か八かで通りの先へ逃げようとする者。反応は様々だ。だが、

「げげっ!?」

 ナバルは気づくのが完全に遅れてしまった。逃げようにも、もう目の前まで壁が迫ってきていて()(おく)れだ。そのまま逃げ遅れたドラゴン教徒たちと共に、壁の(した)()きにされる。

「ナ、ナバル……さん……?」

 メイベルは意識が朦朧(もうろう)としていたため、目の前で何が起こったのか、まったく見ていなかった。轟音(ごうおん)に気づいて顔を上げた時には、あたりは一面の土ぼこりで何も見えなくなっている。

「今、何があったの? ……ごほっ」

「それが……、建物の壁が倒れてきて…………」

 メイベルの疑問に、修道女が茫然(ぼうぜん)とした顔で答えた。

 土ぼこりが晴れ、少しずつ状況が見えてくる。

 上空では剣を構えるブルーノが、驚いた顔で固まっている。そのすぐ横にある建物の壁がなくなっていた。建物の2階にいる住人が、恐る恐る外を(のぞ)いている。建物は部屋の中が丸見えになったドールハウス状態だ。

 そして、ようやく土ぼこりが晴れて見えてきた地上では、

「いってぇなあ……」

 ナバルが今も、その場に突っ立っていた。

 そのナバルの頭に、折れた窓枠(まどわく)()っている。どうやらうまい具合に窓の部分にいて、壁の下敷きになる事態を()けられたようだ。だが、窓は運悪く外開きであった。こうなると幸運だったのか不運だったのか判断に悩むところである。

「ナバルさん。……ごほっ、ケガはない?」

「あいよ。無事みたいだ……」

 メイベルの呼びかけに、ナバルが片手を()げて答えた。そのナバルの頭から、(くだ)けた窓枠がパラパラと落ちていく。

「俺には神に選ばれた勇者だぜ。ちゃんと神の加護があった……だ……ろ…………」

 そう言いかけたナバルが不意に言葉を止め、

「いってぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜……」

 その場に頭を(かか)えて(うずくま)った。一時的な(きん)(ちょう)()けたため、緊張によって(おさ)えられていた痛みが戻ってきたのだ。

「痛がるぐらいなら、そんなに心配はいらないわね。……ごほっ」

 ナバルの無事を知って、メイベルが(あん)()する。そのメイベルが修道女の(ささ)えから離れて再び自分の足で立った。そして従者の杖を構え、上空にいるブルーノを睨みつける。

「これは最悪ですね。手負(てお)いと病気とはいえ、勇者も従者もまだ動けますか。それに対してこちらは……」

 ブルーノがそう言って、自分たちの戦力を確かめようとする。

 倒れた壁は通りを(おお)()くし、反対側の建物まで達していた。壁とは反対方向へ逃げた者たちは、これでは(ひと)()まりもなかっただろう。残っている部下たちは、通りの先へ逃れた4人だけだ。

「第1隊長と第6隊長は無事ですか。しかし第6隊長は武器を失い、他の2人も……。あちらは小娘が病気とはいえ、まだ体力は尽きてません。また捨て身で魔法を使われたら(たま)りませんね。しかも、剣士くんの()(もの)まで持ってきてるとは……」

 ブルーノがもう一度戦いを仕掛けるか、それとも撤退(てったい)するかの決断に迷っていた。

 戦力的には2対2。相手の状況を考えると、形勢はブルーノたちに分がある。しかし、繰り返される神の加護のごときできごとを考えると、(あん)()に攻撃には踏み切れなかった。

「今日は撤退します。すみやかに退()きなさい!」

 唐突(とうとつ)にブルーノが決断した。その理由は、

電撃よ(ブリッツァ)!」

 町に駐留(ちゅうりゅう)する帝国軍(ていこくぐん)(けい)()(たい)が、ようやく現場に到着したからだ。最初に攻撃を仕掛けたのは、警備隊の()導剣(どうけん)()である。

「遅くなりました。見習い修道女(シスター)カレン。勇者さまと従者さまはご無事ですか?」

 (かい)級章(きゅうしょう)から警備隊長と思われる男が、修道女に軽く敬礼して声をかけてくる。

「はい。おケガはされてないみたいで……」

「それは良かった」

 そう言って、警備隊長が敬礼を()いた。そして次にナバルに敬礼し、

「では、(こう)()は我々にお(まか)せください」

 と(ことわ)ると、そのまま隊員たちと逃げるブルーノたちを追っていった。

「終わったの……かな? ……こほっ」

 急にメイベルの足から力が抜けた。そのまま地面にへたり込み、手に持った杖と剣が地面に(ころ)がる。そのメイベルに、

「おまえなあ、病人だったらおとなしくベッドで寝てろよ」

 と言いながらナバルが近づいてくる。

「なによ! わたしが来なかったら、かなり危ないことになってたじゃないの」

 メイベルはナバルを(きゅう)()から(すく)ったと言いたかった。

「いや、来たから、もっと(あぶ)ない目に()わされたような気がするぞ」

 ナバルは壁の下敷きにされそうだったことを言ってくる。

「あぅ〜。それは……」

 今の一言は痛かった。熱で魔法の加減ができなかったせいだろう。そのため、ナバルを危ない目に()わせたのは事実だ。そのメイベルの頭に手を()せて、

「でも、まあ助けられたのは事実だからな。ありがとうよ」

 と、ナバルがお礼を言ってくる。その言葉に、メイベルが()れた笑みを浮かべる。

「あのさ、ナバルさん。ごめんなさい。ナバルさんがフライパンで戦うことになっちゃったの、意地を張ったわたしのせいじゃない。だから……」

「わかったわかった」

 ナバルが肩をすくめて、拾い上げた剣と杖を修道女に預けた。そして、

「えっ!? ちょっと、ナバルさん?」

「さっさと教会に戻って、ベッドに(ほう)り込んでやる。話はそのあとだ」

 ナバルがメイベルを()き上げると、そのまま教会へ向かって歩き始める。

「本当にごめんなさい。わたしは従者なんだから、ナバルさんのお荷物にも足手まといにもなりたくないのに……。……ごほっ」

 抱かれるメイベルが、申し訳なさそうにそんなことを言ってきた。そのメイベルに、

「気にするな。お荷物だっていいんだよ。(じゃ)()()(だい)ゴミにさえならなけりゃさ」

 と、ナバルが優しい言葉を返してくる。

「まあ、なんだ。メイベルさんはよくやってると思うよ。時々、思いがけない失敗をしてくれるけどさ」

「その失敗が、問題なのよねぇ……」

 メイベルの目が、(ちゅう)(およ)いでナバルから離れていく。そんなメイベルの反応に、ナバルが苦笑いを浮かべた。そのナバルが、

「そうだ、フライパン。あれは神の選んだ、最高の武器だったぞ」

 などと、少し興奮(こうふん)した声で言ってきた。

「やっぱ、くじびきで選んだ武器には、神の加護があるんだろうな。ホント、すごい武器だったぞ。メイベルさんにも見せたかった」

 ナバルの言葉は今ひとつ(よう)(りょう)()なかった。

「あ、でも、なくしちまったのは残念だったな。あとで探さなきゃ」

「あれはただのフライパンなんだから。また……こほっ、調(ちょう)(たつ)してもらえばいいわ」

 ナバルに視線を戻したメイベルが、そう言ってナバルに笑みを向ける。

 そんな2人の後ろを歩く見習い修道女は、

「ホント、仲がおよろしくて、うらやましいですわ」

 と、2人のやり取りを(ほほ)()ましそうに聞いていた。

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