第1巻:第4章 御神託ってマジなの?
メイベルたちがまさに買い出しに出ようとした時刻、帝都を騒がしているドラゴン教徒の残党が、帝国技術研究所の近くに集まっていた。
「これは物々しい警備ですね」
大通りには約30mほどの間隔を空けて、近衛兵が警備のために立っていた。その様子を長髪にメガネをかけた優男が、大通りに面した建物の陰から窺っている。
「ここを集合場所に指定したのは間違いではありませんか?」
「大変に申し訳ありません。いつもはこれほど警備されてなく、それに人通りが多いので雑踏に隠れるには好都合な場所だったのですが……」
優男の疑問に、ヒゲ面の男が恐縮したような態度で事情を説明する。その言葉を聞いた優男が顔を建物の陰に引っ込めて、
「それにしても、ずいぶんと数が減ったものですね」
と、その場に集まったドラゴン教徒たちを見まわした。そこにいるのは、わずか8名の信者たちだった。
「これで全員ですか?」
「いえ、まだ16人いるのですが到着してません。いつも通り目立たないように2〜3人ずつに分かれて、ここで落ち合う予定だったのですが……」
「この警備で動けなくなったか、それとも見つかって戦いになったか……」
優男がそう零して、報告する男に背中を向けた。その優男が、
「そういえば、あなたたちと連絡を取るために接触した情報屋から聞いたのですが、また新しい調査隊が編成されるそうですね」
と、ぽつりと呟くように言った。
「申し訳ありません。ブルーノ・アサッシニオさまが直々にご足労くださいましたのに、我々は十分な結果を出せないまま、徒に仲間を失っております」
「それは致し方ありません。ソルティスの異教徒どもも必死なのです。それにサクラスは帝国の中心地。数の上では圧倒的に不利どころか、まともにやっては初めから勝ち目のない戦いです。だからこそ、テロを仕掛けてるのではありませんか」
この一見して物腰の柔らかそうな優男が、テロを仕掛けているドラゴン教の過激狂信者集団アサッシニオ派の首領ブルーノだった。
「それに帝都への侵入も難しくなってますね。わたしは夜陰に乗じて空から侵入しましたが、それができるのはわたしの他にはこの2人だけ。増員どころか補給路まで断たれては軍資金が乏しくなり、テロを仕掛けるどころか暮らすだけでも大変でしたでしょう」
そう言って、ブルーノが腰に下げていた麻袋をヒゲ面の男に渡す。大きさは、だいたい男の頭の半分ほどだ。
「当座の活動資金です」
「アサッシニオさま御自らお運びくださるとは……。まこと有り難くちょうだいします」
ヒゲ面の男が、恭しい態度で麻袋を受け取る。ブルーノと一緒に来た2人の男も、それぞれ持ってきた麻袋を近くにいる一味の男に渡していた。
「時に第6隊長。今、残っている隊長クラスは、あなただけですか?」
「いえ、まだ来てませんが、第1隊長と第3隊長が健在です」
「8人いた隊長クラスが残り3人ですか。では正魔導師は? 6人いたはずですが……」
「1人です。すでに弾薬が底を突いた現状では、テロは魔導師とわずかに魔法の使える者の働きだけが頼りで……」
「おや? 弾や火薬を作れる者を同行させたはずですが?」
「工房に踏み込まれ、1人が殉教、あとの2人は逮捕されました」
「ふむ。それは思ってもみませんでした。知っていれば、持てるだけの弾や火薬も持ってきたのですが……」
報告を聞きながら、ブルーノが厳しい表情を浮かべる。そこに、
「すまぬ、すまぬ。今日はやけに警戒が厳しくてのう。いったい何事かと調べてて、手間取ってしまったぞ」
と言いながら、四角い顔の男が笑顔でやってきた。その男が、
「うをっ!? ア、アサッシニオさま?? 御大が、出向かれてきたのですか?」
ブルーノの顔を見るや表情を凍らせて後退りしている。
「第3隊長ですか。無事で何よりです」
「はい。せ、成果が出ないので、制裁に来られたのですか? それとも粛清?」
四角い顔の第3隊長が冷や汗をダラダラと流しながら、更に一歩下がっていく。
「何を怖がってるのですか? ただの様子見です」
「様子見……ですか? 本当に?」
第3隊長は、ちょっと懐疑的になっていた。
「それで、この厳しい警戒の理由。何かわかったのですか?」
「あ、そうそう。その警備ですけど……」
ブルーノに尋ねられて、第3隊長が聞いてきた話を伝えようとする。
「軽く街の者に聞いてみたんですが、どうやら帝国の偉い議員たちが、この先にある帝国技術研究所ってトコへ集まってるらしいんですよ。何のためかまでは探れなかったのですが、その中に帝国の内務大臣アキロキャバスを見たって人もいまして……」
「アキロキャバス公が? それは標的とするには好都合ではありませんか」
話を聞いたブルーノが、そう言ってほくそ笑んだ。
「第6隊長。聞きそびれましたが、火薬がないのに、どうやって爆破テロを続けているのですか? 魔導師にも外で伝え聞いたほどの大きな爆発魔法は使えないはずですが……」
「それはガス爆発を利用しているからです」
ブルーノの質問に、第6隊長が控えめな口調で答える。
「地中に埋められたガス管を壊して、適当にガスが溜まったところで引火させる作戦です。破壊術を使える者、透視術で地下の様子を探れる者、発火術を使える者それぞれが協力し、活動を続けております」
「なるほど。とすればガスは帝都の至る所にありますね。それは良い話を聞きました」
大きな宗教一派をまとめるだけに、ブルーノは理解の早い男だった。さっそく、
「それなら帝国技術研究所とかいう所も、ガスで爆発させようではありませんか」
と、聞いた作戦を利用してテロを仕掛けようと考える。
「アサッシニオさま。申し上げにくいのですが、仕掛けようにも肝心の魔導師が到着しておらんのですが……」
「そう言えば、先ほど残りは1人と言ってましたね」
第6隊長の言葉に、ブルーノが眉をひそめた。
「しかし、この作戦は正魔導師がいなくても構わないのでしょう。先ほど破壊術と透視術、それと発火術を使える者がいれば事足りると言ったではありませんか」
「畏れながら今、ここに来てる者だけでガス爆発は起こせません。発火術であればわたくしが使えますが、破壊術と透視術を使える者がまだ到着してませんもので……」
「ふむ。わたしの使える魔法は飛行術と跳躍術の移動系ですし、同行した2人も似たような飛行戦士です。目の前に絶好の餌がぶら下がっているのに、これは悔しいですね」
そう零して、ブルーノが残念そうな顔をする。
その間に、また3人の信者たちがやってきて、一味に合流していた。これで一味の数はブルーノたちを含めて15人である。
「アサッシニオさま。魔導師殿が来ました」
第3隊長が、そう言って大通りの反対側を指差した。
そこには頭にハンティング帽を載せた、まるで新聞記者のような恰好の若者がいた。身元がバレないようにと、一般市民に変装した魔導師の姿だ。その魔導師が慌てた顔で一味に向かって駆けてきている。
「これで作戦ができますね。……ん?」
変装した魔導師に目を向けて、ブルーノが訝しそうな表情を浮かべた。それは、
「大変だ。何やら御神託があったらしいぞ!」
駆けてくる魔導師が、必死に何かを訴えていたからだ。
「御神託とは何です?」
「ア、アサッシニオさまが、どうして帝都に!?」
何事かと問いかけるブルーノを見て、魔導師が驚きの声を上げる。だが、すぐに、
「ドラゴン退治というか、ドラゴン病の根絶というか……。それを解決する勇者を選抜する抽籤を行うとかで、そこら中にくじびき所が作られてまして……」
と、息を切らせながらも魔導師が見てきたことを伝えてきた。それに、
「ドラゴン退治ですって?」
ブルーノの眉が跳ね上がった。
「それは聞き捨てなりませんね」
強く握ったこぶしが小刻みに震えている。心なしか顔も赤くなってきた。
「くじびきなんぞで選ばれた勇者に、偉大なるドラゴンさまが倒されるものか」
「何を甘いことを言うのですか」
不愉快そうに言い放った男の言葉を、ブルーノが強い口調でたしなめた。
「たかがくじびきですが、されどくじびきです。そのたかがくじびきで、ソルティス教は帝国を持つ一大宗教になったのではありませんか。やつらの御神託はバカにできません」
そう言い放ったブルーノが、大きく息を吸う。そして、
「研究所の襲撃はお預けです。くじびき所に案内しなさい。その御神託とやらを潰す方が先決のようです」
と、肩を怒らせて歩き出した。
「わかりました。こちらです!」
案内を求められた魔導師が、小走りにブルーノを追いかけていく。そのあとを、
「勇者だって!? まったくバカげた御神託だな」
「こうなりゃ、完膚なきまで叩き潰してやろうぜ」
などと言いながら、他の者たちもぞろぞろとついていくのだった。
その頃、買い出しに出かけたメイベルたちは、大通りにあるケーキ屋でソフトタイプのドーナツを買い占めていた。研究所から、だいたい7〜8分歩いたところにある店だ。
「問題は、これをどうやって運ぶかね」
目の前に置かれた大量のドーナツを前に、メイベルが必死に考えていた。
「店長さぁ〜ん。取っ手のない箱は、ないのですかぁ?」
「残念だけど、これしか用意してないのよねぇ」
パセラは店のカウンターに置かれた容れ物を見詰めている。それをせっせと組み立てているのは、この店の女性店長だ。
この店が用意したお持ち帰り用の箱は、中に仕切りのある厚紙でできた6個用の箱だった。そこには取っ手がついてるため、そのままでは積み重ねることができない。
「買ったのは98個で、箱は6個入りだから17個。無理すれば魔法で8個は浮かせられるけど、安全を考えるとせいぜい5個。残りを1人4箱ずつ抱えられないことはないけど、これでは無事に持ち帰れる自信がないわ。ひとまとめにできれば問題は解決だけど」
メイベルが運び方を考える前で、店長が組み立てた箱に丁寧にドーナツを入れてフタを閉じていく。そしてでき上がった箱はカウンターに並べられた。なんとも壮観な光景だ。
「メイベルぅ。この取っ手に細長い板か棒を差し込んで、担いで帰るのはどうでしょうか?」
「それは間抜けだけど、それしかないのかしら?」
パセラの提案に、メイベルが運んでいる光景を思い浮かべた。板か棒を籠担ぎのようにしてドーナツを持ち帰る光景だ。その情けない姿に、メイベルが憂いを帯びた表情になる。
そのメイベルに、荷物運びのためについてきたナバルが、
「おまえら、何を悩んでるんだ?」
と尋ねてくる。
「何をって……。あれだけの数を、どうやって運ぼうか考えてるんじゃないの」
「箱を抱えて持ち帰れば良いじゃないか」
「うっかり落としたら、どうするの? 事故を起こすような持ち方は避けたいのよ」
「ふむ。そういうものなのか?」
メイベルから帰ってきた答えに、ナバルが釈然としない表情を浮かべる。
その間も店長は箱詰めを続けていた。すでに10箱を超えている。
「ところでメイベルさん。これだけの品物、どうやって店に運び込んだんだろうな?」
「え!? 何よ、唐突に……」
ナバルから思わぬ質問を受けて、メイベルが考えを中断させる。
「ほら、触ったら潰れそうなものが多いだろ。それをたくさん運び込んでるってことは、それなりに運び方があるんじゃないか? 大きな木箱があるとか……」
「あっ! ナバルさん。冴えてるじゃない☆」
ナバルの言葉に、メイベルが問題解決の糸口を摑んだと思った。そこでさっそく、
「店長さん。こんなにたくさんのお菓子を、どうやってお店に運んでくるのですか?」
と、毎日品物を運んでる人に尋ねてみる。
パセラも、その答えを聞きたいとばかりに、女性店長に熱い視線を向けた。
もしも大きな木箱があるなら、それに載せて運べばいいのだ。ところが、
「運んでくるも何も、完成した物を奥にあるケーキ工房から持ってくるだけだから……」
ちょうど上手い具合に、奥からトレイを持った若いケーキ職人が出てきた。彼の持つトレイには焼き立てのドーナツが載っている。メイベルたちが買い占めた分を、さっそく補充してるのだ。それを見たパセラの口から、
「あらぁ〜。参考になりませんでしたねぇ」
という落胆した言葉が漏れる。
「あああぁ〜っ!! もう、どうやって運べば良いのよ!」
考えに行き詰まったメイベルが、髪を掻くような仕種で天井に向かって吠えた。
それを聞いた店長が、
「おや、お嬢ちゃんたち。どうやって持ち帰ろうかって悩んでたのかい?」
と何喰わぬ顔で尋ねてくる。それにメイベルが憔悴したような顔で、
「そうなんですよ。だから、人数多めで来たのですが」
と答えた。
「それなら心配ないわよ。お店には、ちゃんとそれなりの用意があるからね」
ようやく箱詰めを終えた店長が、そう言って大きな紙袋を出してきた。そして、
「時々、お嬢ちゃんたちみたいに、何かの集まりとかがあって、たくさん買いに来る人がいるのよ。それで、そういう人のためにちゃんと用意してるの」
と話しながら、袋の底に箱を3つ並べる。そして、その上に中敷きになる厚紙が入れられた。それが取っ手に載って安定し、その上に更に3箱が入れられる。
「この紙袋には9箱入るけど、せっかく3人で来てるんだから、3袋に分けるわね。その方が箱も安定するから一石二鳥だわ」
そう言った店長が、2つめの紙袋を用意する。その様子を見るメイベルが、力のない指先を紙袋に向けていた。
「1袋に9箱、入るんですか?」
と訊いたのはパセラだ。
「そうよ。これなら100個ぐらい買っても、両手に提げれば1人で持ち帰れるわ」
「はぁ、それはそれは……。世の中は便利にできてるんですねぇ……」
パセラの口から、そんな惚けた言葉が飛び出してくる。メイベルに至っては、肩を小刻みに震わせて、口をパクパクさせて言葉にならないようだ。
「わたしたち、いったい何を悩んでたのよぉ〜?」
メイベル、少し頭がまわりすぎる故の空まわりだった。餅は餅屋ではないが、ある人にとっての難問も、別の人にとってはすでに解決済みのこともある。
まあ、この場合は考えすぎて墓穴を掘っていただけなのだが……。
「あっ!! また……」
突然、メイベルが強い魔法の波動を感じた。そのメイベルが漏らした声を聞き逃さず、
「まさかテロか?」
と言って、ナバルが店頭の大きな窓越しに見える通りに目を向ける。
直後、爆音が鳴り響いた。大きな窓ガラスがビリビリと震えて音を立てている。
それから少し遅れて、店の右方向から真っ白な砂ぼこりが舞ってきた。
「いきなり爆発!? これまでのテロとは違うじゃないの!」
店の外が真っ白になっている。それを見たメイベルが、大窓に駆け寄って爆発があったと思われる右側に目を向ける。それよりも先に、ナバルも似た行動を取っていた。
「誰か、空にいるぞ」
背が高い分、先に空を見渡せるようになったナバルが、そこに男の姿を見つけた。その男は片手に剣を持ち、もう一方の手には何かを握っている。
「どうなってるの? いつものガス爆発じゃないの?」
一方でメイベルは、なかなか晴れない砂ぼこりにイラ立っていた。
「空にもう1人いるみたいだが……。なかなか地上が見えないな……」
「何が起こってるのよぉ〜!」
窓に張りついて、2人が外の様子を窺おうとしている。その2人に向かってパセラが、
「そんなところにいるとぉ、危ないですよぉ〜」
おろおろしながら声をかけた。パセラはテロが怖くて、かなり店の奥へ逃げている。
「爆発する物を投げてるみたいだな」
「それ、爆弾じゃないの? あの人たち、他人の命を何だと思ってるのよ!?」
注意されても2人は窓から離れなかった。剣術が使えることと魔法が使えること。そのためにパセラよりも恐怖心が弱いのだ。そこにテロを仕掛けてきた相手に感じた義憤が、2人からテロへの恐怖心を奪っている。
「見えた。交差点のあたりだわ」
ようやく砂ぼこりが晴れてきた。
2つの大通りが交差する場所で戦いが行われている。その周りには爆発に巻き込まれたのだろう。大勢の市民が倒れていた。
その有り様を見たナバルが「加勢する!」と言って店から駆け出していった。
「待ってよ。向こうには魔導師がいるのよ。……わたしも行くわ!」
少しためらったものの、次の瞬間にはメイベルも店から飛び出そうとする。それを、
「ああ、メイベル」
と、パセラが呼び止めようとした。ところが、そのあとパセラの口を衝いて出たのは、
「荷物は……?」
という言葉だった。
「戻るまで待ってて!」
そう言い残したまま、メイベルも外へ飛び出していく。
「えっと……。どうしましょう?」
1人残されたパセラが、誰にとはなく疑問を投げかけた。心細いという気持ちと、自分が何をするべきかわからないという気持ちと、更に外は怖いという気持ちが入り雑じって混乱しているのだ。
そんなパセラの肩にポンと手を置いて、
「袋は2つにまとめます?」
女性店長は冷静を装いつつも、心の中は思いっきり動揺していた。
交差点では爆撃跡を中心に、ドラゴン教徒と近衛警備隊が戦っていた。
数的には近衛兵たちの方が優勢だ。だが、魔導師と魔法の使えるドラゴン教徒たちを相手に、警備隊は苦戦を強いられていた。しかも空にいる3人の飛行戦士が急降下攻撃しては離れる牽制攻撃を仕掛けているため、すっかり浮き足立っているようだ。
「どうやら今いる近衛兵には魔法を使える者がいないみたいですね。これは好都合です」
空から地上を見下ろして、ブルーノがにやりとほくそ笑んだ。
地上ではヒゲ面の第6隊長が近衛兵と斬り合っている。剣の腕は第6隊長の方が高いようだ。そこに空を飛べる一味の飛行戦士が、近衛兵の背後にまわって急降下していく。
「うわぁ〜!」
近衛兵が背中をバッサリと斬られた。
バラバラに動く警備隊に対して、ドラゴン教徒たちはしっかりと連携し合っている。
「え〜いっ!! 敵は少人数だ。突撃しろ!」
明らかに破れかぶれと取れる号令がかかった。手をこまねいていた近衛兵たちが、その合図でいっせいに突撃する。向かう先は目立った戦いをする第6隊長だ。
それで密集してくる近衛兵たちを目がけて、
「これでも喰らいなさい!」
ブルーノが手に持った紙筒に火をつけて投げ入れた。
紙筒を見た第6隊長が後ろへ跳んだ。その横から魔導師が出てくる。その魔導師が紙筒が落ちてくる方向へ「旋風の盾よ」と術を放った。
直後、紙筒が激しい轟音と共に爆発する。
「うおっ!」
「どわぁ〜……」
突撃してきた近衛兵たちが爆発に吹き飛ばされた。そのまま地面に叩きつけられ、苦しそうに呻いている。対して一味は魔導師の作った盾に守られて無傷だ。
「さ、散開しろ! 固まると狙われるぞ」
先ほどとは逆の号令がかかった。近衛兵たちは自分がやられるのは堪らないと、互いの距離を広げていく。これでは大人数で一味を各個撃破する集団戦法が使えず、自ら数的な有利を放棄したようなものだ。
そんな警備隊の様子を見たブルーノが、
「くくくっ。敵の隊長は無能ですか? それとも、ここにいるのは雑魚だけですか?」
邪悪な笑みを浮かべながら、新たな紙筒を手に握る。
地上では散開した近衛兵が1人ずつ倒されていた。味方が倒されているのに、周りにいる近衛兵たちは尻込んでいる。斬り込んだら自分もやられるという思いから、迂闊に援護に入れないのだ。
そのため警備隊は数で上まわりながらも心理的には劣勢に立たされていた。このままではいつ総崩れになってもおかしくない。
せいぜい遠巻きに包囲して、外へ逃がさないようにするのが精いっぱいだ。
その近衛兵たちに向かってブルーノが、
「それでは我々の声明を伝えましょう。要求は1つ。神託にあったというドラゴンを退治する勇者選びを中止しなさい。ドラゴンさまは我々ドラゴン教団の守り神です。この要求を受け容れない場合、それは我々ドラゴン教団への宣戦布告と見做します」
と、要求を突きつけた。
交差点の隅には壊されたテントがある。そこが最初に襲われた、勇者選びのくじびき所だ。そこではケガした神官たちが、抽籤の箱だけでも守ろうとしている。
「ふざけるな。そんな要求が呑めるわけないだろ」
「暴力に屈したら、それこそてめえらの思う壺じゃないか」
包囲する警備隊から、そんなヤジが飛んでくる。だが、威勢の良い口調に反して、相変わらず尻込んだまま包囲を狭めようとしていない。
そこに、
「すまん。到着が遅れたな」
「おお! アサッシニオさまも来られてたのですか!!」
と言って、到着の遅れていた狂信者たちが集まってきた。
爆発の音が、彼らを集める合図にもなっていたのだ。
「おらおら、邪魔だ邪魔だ!」
背後から新手のドラゴン教徒に襲われて、警備隊の包囲が一気に崩れる。それを見て取ったドラゴン教徒たちが、包囲の外へ飛び出そうとする。
「逃がすものか!」
「ええいっ、うっとうしい!!」
逃げ出そうとする一味の前に、勇敢な近衛兵が立ち塞がる。その近衛兵の剣を、ヒゲ面の第6隊長が剣で受け止めた。
勇敢な近衛兵の行動も、味方が続かなければ意味はない。彼の足留めしようという思いを余所に、ドラゴン教徒たちが横をすり抜けていく。
「灼熱たれ」
剣を受け止めていた第6隊長が、剣に魔法を放った。たちまち第6隊長の持つ剣が真っ赤な光に包まれていく。その色がオレンジから黄色へと変わり、更に光を強く放ちながら白く変わっていく。
「け、剣が……!」
白熱化した剣が近衛兵の剣を熔かして折り曲げた。その剣が強引にへし折られる。
「うわぁ〜!」
近衛兵がそのまま白熱した剣に斬られた。ジュッというイヤな音がし、あたりに焼け焦げた臭いが漂っていく。
「低温たれ」
近衛兵を倒した第6隊長が剣に別の魔法をかけた。そして仲間たちの方へ走りながら、
「急いで冷やさないと、剣が鈍っちまうからなあ」
などと軽口を叩いている。
真っ赤になるほど熱した金属は、自然に冷ますと軟化して変形しやすくなる。そうならないために一気に冷やして硬く強くしたのだ。
「そろそろ潮時でしょうか。あまり時間を取ると、守備隊が来てしまいますから」
一味が包囲から逃れたところを見て、ブルーノが状況を読んだ。そして、
「長居は無用です。引き揚げますよ」
と言って、部下たちに撤収を呼びかける。そこに、
「てめえらぁ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
と叫びながら、ナバルが斬り込んできた。
「ぎゃあああぁ……」
優勢ぶりに油断していた一味のうちの1人が、ナバルの剣に倒れた。更に、
「うぐっ……」
返す刀で近くにいた者が斬りつけられている。
もっとも、これは浅かったのか、戦力を奪うまでには至っていない。
「ほう、異教徒にも勇敢な者がいるのですね」
ブルーノは涼しい顔でその様子を見ていた。空にいるため、自分は安全という気持ちがあるからだ。ところが、
「なっ!?」
何処からか飛んできた火の玉が、ブルーノの持つ紙筒を撃ち抜いたのだ。咄嗟に紙筒を放り出し、ブルーノが反対方向へ急降下して逃れようとする。だが、紙包みは空中で爆発し、その衝撃波に呑まれてブルーノは地面に叩きつけられる目に遭った。
「アサッシニオさま!!」
突然の事態に慌てたドラゴン教徒たちが、ブルーノの処へ駆け集まってきた。その中で、
「わたしは大丈夫です。警戒しなさい!」
と注意したブルーノが、起き上がって再び地上から離れていく。
そのブルーノを見上げて、
「惜しいっ! 奇襲失敗だわ」
と零したのはメイベルだった。
「あの小娘が、今の火の玉を?」
空に戻ったブルーノが、メイベルの姿を見つけた。そのブルーノを、メイベルが睨むように見上げている。
「あの服、まだ見習い修道女ではありませんか」
異教徒の小娘の姿に、ブルーノが不愉快そうな表情を浮かべた。そのブルーノを指差し、
「ナバルさん。あれが事件を起こしてる親玉みたいよ!」
と、メイベルが大きな声で伝える。
「ちっ。空にいるヤツと、どうやって戦えってんだ!」
空を見上げたナバルが、そんな不満を零した。だが、次の瞬間には足許の石を拾い、
「これでも喰らいやがれ!」
と、思いっきりブルーノに投げつけた。
「おおっ! その手があったか」
とは、周りで見ていた近衛兵の声だ。たちまちナバルに倣って投石攻撃が始まった。
「うわっ。いててて……」
たちまち空にいた1人が浮力を失って墜とされた。
これまで手を出せなかった鬱憤も手伝って、兵たちは力を込めて投げていた。だが、
「風の障壁よ! もう、何やってるのよ!?」
メイベルが空に向かって結界を張り、近衛隊に向かって文句を言った。メイベルの張る結界は少し大きくて、一部はナバルの上にまで届いている。
メイベルが結界を張った理由は、
「バカ〜! やめろやめろ」
「いててててて。こりゃ堪らん」
空に投げた石は、当然地上に落ちてくる。それで降ってくる石に襲われるのは、反対側にいる味方なのだ。悪く言えば同士打ちである。
この石の雨が降ってきたことで、投石攻撃はすぐに終わってしまった。
それを結界の下で見ていたナバルが、
「これは俺のせいかな?」
と、間抜けな顔でメイベルに尋ねている。
「ああ、逃げられちゃう!」
急にメイベルが結界を解いた。空にいるブルーノたちが飛び去ろうとしてるからだ。
「こうなったら、灼熱の炎よ!」
足留めしようとしたメイベルが大きな火焰を撃ち出した。その炎が空中で玉になり一直線にブルーノを背後から襲う。
「何!?」
捉えられる寸前、ブルーノが火焰玉に気づいて身をかわした。そのブルーノの横を、火焰玉が通り抜けていく。
「今の炎。さっきの小娘が……!?」
思わず空中に止まったブルーノが、振り返ってメイベルを睨んだ。そのメイベルが、
「戻れ!」
撃ち出した火焰玉に、更なる魔法をかけた。
飛び去るはずの火焰玉が、大きな弧を描いて戻ってくる。それに気づいた飛行戦士が、
「アサッシニオさま。炎が戻ってきます!」
と声を張り上げてブルーノを弾き飛ばした。
戻ってきた火焰玉が、飛行戦士の背中をかすめる。その瞬間を見計らって、
「炸裂せよ!」
メイベルが新たな術を放った。
「うをっ!?」
火焰玉が空中爆発した。炎が膨らみ、飛行戦士が呑み込まれる。だが、
「大丈夫ですか?」
「ええ、何とか……」
飛行戦士は服を焦がされながらも、炎から飛び出してきた。それを見たメイベルが、
「これも惜しいっ! 浅かったみたいね」
パチンと指を鳴らして残念がる。
「メイベルさん。今の攻撃は?」
「ちょっとした思いつきよ。思ったよりも巧くできたけど、やっぱり練習がいるわね」
頭の中でもう一度魔法の組み立て方を再現しながら、メイベルがそうナバルに答える。
そこに身体を低くしたドラゴン教徒が、剣を横に構えたまま飛びかかってきた。
「この小娘がっ! よくもアサッシニオさまを」
挑みかかってきたのは、ヒゲ面の第6隊長だ。それをブルーノが、
「待ちなさい! 深追いは危険です」
と慌てた声で制するが、第6隊長は止まらない。声は彼の耳まで届かなかったようだ。
「させるか!」
ナバルがメイベルの前に身体を滑り込ませて斬戟を受け止めた。それを見て、
「灼熱たれ」
第6隊長が剣に魔法をかけ、刀身を白熱させる。高熱でナバルの剣を融かし斬る腹積もりだ。ところが、
「冷却せよ!!」
メイベルが対抗呪文を放った。
「これは……!?」
ナバルが変わっていく自分の剣に目を丸くする。刀身が凍りついて輝き、更に無数の氷のトゲを生やしていたのだ。
見た目には真っ白に輝く2つの剣がぶつかっている。だが、片方は高熱を発し、もう片方は冷気を放っていた。
2人に向かって周囲から風が吹き込んでくる。熱気と冷気。相反する、それも大きな力が衝突しているため、2人の周りに強い上昇気流が生まれていた。それが激しく渦を巻き、強いつむじ風へと成長していく。
「ぬぬ。氷が融けない……だと?」
「おまえ、自分でやってて熱くないか? 顔が真っ赤だぞ」
「やかましい!」
つむじ風の下で、2人は互いに剣を押しつけ合っていた。周りから吹き込んでくる風に舞い上げられて、今にも渦に吸い込まれそうだ。そのため2人は激しく動くことができず、硬直状態に陥っているのである。
もっとも魔法で剣を白熱化させている分、第6隊長の方が体力的には不利だ。ナバルは自分では魔法を使っていないため、その分の体力を戦いに全力投入できる。
「ええいっ。迂闊すぎます」
空から地上の様子を見ながら、ブルーノが吐き捨てるように言った。
「あの小娘、さっきから狙ってやってるのか、それともその場の思いつきだけでやってるのか。どちらにしても厄介な使い方をしてくれます」
動きを封じられた第6隊長を見て、ブルーノが魔法を作り出したメイベルを警戒する。しかし、そんなブルーノの思いとは裏腹に、
「この異教徒の小娘ぇっ!」
「いい気になるんじゃねえ!!」
更に2人のドラゴン教徒がメイベルに斬りかかっていった。いや、2人だけではない。
「これでも喰らえっ! 灼熱の炎よ」
ドラゴン教の魔導師も、炎の塊をメイベル目がけて撃ち放ってきた。
「メイベルさん!!」
メイベルが狙われているのを見たナバルが、一瞬注意を逸らしてしまった。その好機を見逃さず、
「戦いの中で余所見するんじゃねえ!」
第6隊長が渾身の力を込めて押しきってくる。それで体勢を崩したナバルの膝がガクンと落ちた。
「小僧! ここまでだ」
ナバルの身体が流れ、大きな隙が生まれた。そこを狙って第6隊長が白熱化した剣を降り下ろしてくる。
「旋風よ!」
剣がナバルを捉える寸前、メイベルが新たな魔法を放った。
「おおお……!?」
直後、第6隊長の足が浮き、そのままつむじ風に吸い上げられていく。それで離れていく剣先が、ナバルをかすめたものの虚しく空を斬っていた。
「聖なる光の盾よ!」
メイベルが立て続けに術を放った。虚空に光の盾が現れ、炎の塊を四散させる。だが、
「拡が……」
メイベルが光の盾を横に拡げようとするよりも早く、斬り込んできたうちの1人がまわり込んできた。
「れ……!!?」
盾の準備が間に合わなかった。ここまで迫られると、もう次の魔法を出す余裕もない。
ナバルは体勢を崩したままだ。目ではメイベルの危機を捉えているが、助けに行こうにも身体の反応が間に合わない。
メイベルに凶刃が迫ってきた。腰が退け、メイベルの身体が後ろに流れていく。
もうだめ。そう思った瞬間、
「おいおい。俺たちの存在を忘れてないか?」
斬り込んできた男の前に近衛兵が立ちはだかり、剣の攻撃を受け止めていた。
「女と若造だけに活躍されちゃ、俺たちの存在価値がないじゃないか」
更に別の近衛兵が横から飛び込んできて、男を背中から串刺しにする。
もう1人の斬り込んできたドラゴン教徒は、メイベルの拡げた盾に当たって弾かれていた。その彼は今、駆け込んできた近衛兵たちに囲まれ、トドメを刺されている。
「メイベルさん。ケガはないか?」
出遅れたナバルが駆けつけてきた。そのナバルに顔を向け、メイベルが「たぶん」とだけ答える。その顔は恐怖とかいう以前に、目の前で何が起こったのか、まだ理解しきれていないような様子だ。
「第6隊長。無事ですか?」
一方、ブルーノはレンガ畳に転がる第6隊長に声をかけていた。第6隊長はつむじ風に呑み込まれる直前、咄嗟に身をひねって渦から逃れていたのだ。もっとも渦の外側を旋回する風に、10m以上も吹き飛ばされていたのだが。
「まだ動けます。指示をください」
近くに転がっていた剣を拾って、第6隊長が命令を求めた。彼の拾った剣は、まだ刀身が赤く輝いている。そこに「低温たれ」と魔法をかけ、金属が鈍る前に焼き固めた。
「撤退します。異存はあるでしょうが、今は生き延びることを優先にしましょう」
「了解。生きてりゃ、やり返す機会は何度でも訪れますな」
構えた剣を近衛兵たちに向けつつ、第6隊長がじりじりと後ろへ下がっていく。
一味が撤退を決めたことなど知らず、ナバルが、
「メイベルさん。地上のヤツは近衛隊で何とかできると思う。俺としては空にいるヤツを何とかしたいのだが……」
と、メイベルに耳打ちしてきた。
「空の人を? じゃあ、炎を撃ちまくって……」
「魔法で、俺を空に上げてくれ」
さっそく火の玉を撃とうとしたメイベルに、ナバルがそんな作戦を持ちかけてくる。
「ナバルさんを空に?」
「不可能か、可能か。それだけ答えてくれ」
「それは可能だけど、それをやったら……」
「だったら、後先なんか考えるな。俺をあいつのトコへ飛ばすんだ!」
ためらうメイベルに、ナバルが命令するように言ってきた。それで覚悟を決めたメイベルが、ナバルの腕を摑む。
「飛んでる途中でわたしの体力が尽きて、落っこちちゃっても知らないわよ!」
「それで終わる運命なら、そこまでだ」
念を押すメイベルに、ナバルが決意のほどを答えてくる。
「わかったわ。それじゃ、浮け」
メイベルが軽く浮遊術をかけた。それで重さのなくなったナバルの足が、宙にふわっと浮き上がる。そのナバルを浮かせたままメイベルが駆け出し、
「高く飛べ!!」
そのまま反動をつけて放り投げた。
「何っ!?」
思わぬ攻撃に、ブルーノが自分の目を疑った。剣を横に構えたナバルが、自分を目がけて急上昇してきたのだ。
「おりゃぁ〜〜〜〜〜っ!」
大声を上げてナバルが斬りかかってきた。剣同士がぶつかり、ブルーノが弾かれる。
「速く飛べ」
空を見上げるメイベルが、次の術を放った。弾け飛ぶブルーノを追って、ナバルが追撃を仕掛ける。
「そ、そんなバカなことが……」
ナバルと空中戦をしながらも、ブルーノは今の状況が信じられなかった。
「高く浮け。止まれ。戻れ。速く飛べ。……」
メイベルが次々と魔法を繰り出して、ナバルの空中戦を演出していた。対してブルーノは、
「エメー……。うわっ!」
魔法で身体を浮かせることに手いっぱいで、反撃するまでの余裕がない。
「アサッシニオさま!」
そこに飛行戦士が援護に飛び込んできた。だが、
「電撃よ!」
「うっ……」
地上から放たれた電撃が、飛行戦士の剣を弾いた。その電撃を放ったのもメイベルだ。
「あの小娘……」
ブルーノが忌ま忌ましそうにメイベルを睨む。
「そういえば女性魔導師は、訓練せずとも同時に2つの魔法が使えたのですね。男にはなかなか真似できませんから、これは厄介な伏兵でした」
空中戦を続けながら、ブルーノが苦笑いを浮かべた。そのブルーノの表情を、
「何をぶつぶつ言ってるんだよ!」
ナバルは不快に感じている。
「でも、女性魔導師には体力がありません」
「何だって!?」
ブルーノの言葉に、ナバルが眉をひそめた。直後、
「お……」
吊り糸が切られたように、ナバルの身体が落下を始めた。
「なかなかよい作戦でしたね。焦りましたよ」
落ちていくナバルに、ブルーノがそんな言葉をかけてくる。
「ご苦労さまでした、若き剣士くん。あとは地面に叩きつけられて、ゆっくりと休みなさい。永遠に……」
ブルーノはすっかり勝ち誇り、落ちていくナバルを冷たい目で追っていた。
「メイベルさんは?」
落ちる中で、ナバルはメイベルに目を向けた。メイベルは近衛兵たちに守られる中で、体力が尽きたのか倒れていた。
「無茶……させすぎた……かな?」
自分の運命を感じつつも、ナバルは妙な清涼感を味わっていた。やるだけのことはやった。だから悔いはない。そんな清々しい気持ちに浸っている。
「受け止めよ!」
ナバルが地面に叩きつけられる寸前、何処からか力強い呪文の声が聞こえてきた。
直後、ナバルの下に光の網が現れた。その網に包まれていくナバルの耳に、
「銃器隊、前へ!」
という号令が聞こえてくる。
何事かと思って顔を向けるナバルの目に、青い制服に身をまとった近衛守備隊の姿が飛び込んできた。その最前列に並ぶのは、小銃を構えた兵たちだ。
「撃てぇ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
隊長の号令と共に、銃口がいっせいに火を吹いた。狙いはナバルの真上だ。
砲火に狙われるブルーノともう1人の飛行戦士が、上空へ逃れようとする。だが、
「おおっ!! やったぞ!」
飛行戦士が砲火に捉まってしまった。力を失い、大きな弧を描いて地上へ墜ちてくる。
「よくやってくれた。あとは我々近衛守備隊に任せたまえ」
網の上で『大』の字になるナバルに、守備隊長が手を差し伸べてきた。そしてナバルの手をしっかりと握り、助け起こしてくれる。その彼の背後では、
「逃がすな。追撃戦開始!」
「敵には魔法が使える者がいる。くれぐれも単独での深追いはするな」
逃げていく一味を追って、守備隊が追撃戦を始めた。そして、守備隊長も、
「それでは、わたしも失礼するよ」
と軽く断って、一味の追撃戦に加わった。ナバルを受け止めた網が、光の糸となって形を崩していく。そしてその糸は、走っていく守備隊長の右手へと吸い込まれていった。
「俺は生きてる……のか?」
起き上がったナバルが、自分の手を見ながらそんな言葉を漏らした。たしか地面に墜ちて死んだような気がする。もし助かってても、あの高さから墜ちたのだ。血塗れになってるはずだ。それなのに、手は血に染まっていない。そんな思いから、
「どっちだろ?」
という間抜けな疑問が、ナバルの口を衝いて出た。
視線を地面に落とすと、足許に剣が転がっていた。それを拾い上げる腕に、ずっしりとした剣の重みが伝わってくる。
「そうだ。メイベルさんは?」
ふと我に返ったナバルが、剣を鞘に収めてメイベルに目を向けた。今もメイベルは倒れたままだ。近衛兵たちが心配そうに囲んでいるが、誰も手を出す様子がない。
「メイベルさん。大丈夫か?」
駆け寄ったナバルが、メイベルに声をかけた。
突っ伏したまま動かないが、肩のあたりが大きく上下している。そのメイベルが、
「……ん〜。おでこ打った……」
と、思いっきり素っとぼけた答えを返してきた。どうやら倒れた際に、地面におでこをぶつけたようである。その答えに、
「おいおい。動かないから心配したじゃないか」
と、ナバルが安堵した。だが、メイベルは突っ伏したまま、まったく動く気配がない。
「おい。動けないのか?」
どうしたんだろうと思ったナバルが、腰を落としてメイベルの肩を揺する。
「それが……、わたしもいい加減に起き上がりたいんだけどさぁ……」
「……ん? 起きたきゃ、起きれば良いだろ」
相変わらず突っ伏したままのメイベルに、ナバルが首を傾げた。そのナバルに、
「身体中が怠いというか、まったく力が入らないというか、さっぱり動けないのよ。そうねぇ、金縛りに遭ったみたいな感じというか。魔法を使いすぎると、しばらくこうなったまま動けなくなっちゃうのよ」
メイベルがそんなことを言ってきた。
「あぅ〜……。この恰好でいるのもつらいわぁ〜」
「ったく、しょうがねえなあ」
苦笑を浮かべたナバルが、メイベルを抱き起こそうとする。
「ホントにフニャフニャだな」
メイベルの身体は、まるで糸の切れた操り人形のようだった。腕はだらしなく下がり、首も据わっていない。
そこでナバルは頭の後ろに左手を当てて、メイベルの首を支えた。そのメイベルの額には、見事なほどハッキリとレンガ畳の跡がついている。
「ゴメン。空から墜ちなかった?」
首を支えてくれるナバルに、メイベルがそんなことを言ってきた。
「ナバルさんが無事に戻れるように、体力は残そうと思ってたんだけど……」
「墜ちたよ。でも、助かった。だから、もう何も言うな」
優しい言葉をかけて、ナバルが唇に手を当てた。その言葉に、メイベルが含羞むような表情を浮かべる。そんな2人に、
「こほんっ。お2人だけの世界に浸っているところを申し訳ないのだが……」
わざとらしく咳払いをして、話しかけてくる者がいた。服についた階級章から、どうやら近衛警備隊の小隊長らしい男だ。その男の言葉に、
「2人だけの世界って……」
絶句したメイベルの顔が、瞬時に真っ赤になった。
そんなメイベルの表情の変化を面白そうに見ながら、
「まずはありがとう。きみたち2人の活躍で、劣勢だった形勢を一気に逆転できたよ」
と言って、男が握手を求めてきた。その求めに空いた手で応えたナバルが、
「でも、本当に活躍したのはメイベルさんですよ。俺は元々ただの剣士ですから」
と言って、次にメイベルの右手を持って男と握手させる。
それを見た警備隊員の中からパラパラと拍手が起こり、それが周りに伝わっていった。
「ナバルさん……」
拍手の中、メイベルが震える声でナバルの名前を呼んでくる。顔も心なしか真っ青だ。
「わたし、今ごろになって怖くなってきちゃった……。今になって思い出すと、とんでもないこと……やってたのよね」
「そうだな。メイベルさんはよくやったよ」
ナバルが宥めるように、持っていたメイベルの手を強く握る。
「ま、もうすぎたことだ。イヤなことは忘れちまえ。前だけ見て歩こうぜ」
「そうね。そうしようかな」
少し生気を戻したメイベルが、安らかそうな表情で目を閉じる。そのメイベルに、
「そうそう。倒れる時も、前倒りってな」
と言って、ナバルがまだレンガ畳跡の残る額をピンと指で弾いた。
それに何も言い返せないまま、メイベルがまた顔を真っ赤にしている。
「……ん!?」
その時、ナバルの目に交差点の片隅で作業する者たちの姿が飛び込んできた。ケガをした神官たちが、テントらしき物を立てている姿だ。
「あれは何だ?」
と疑問を発して、ナバルがメイベルの頭をそちらへ向ける。
「ああ、あれは勇者を選ぶくじびき所らしい」
ナバルの疑問には、先ほどの小隊長らしき男が答えてくれた。
「勇者って、どういうことです?」
と、今度はメイベルが尋ねる。
「昼前に御神託があったそうだ」
「御神託!?」
男の答えに、メイベルが訝しそうな表情を浮かべた。そのメイベルに、
「ああ、御神託だ。それで昼すぎから勇者を選ぶ神事の準備を始めてたんだ。で、ようやく神事を始めた途端、いきなりドッカ〜ンとな」
と、男が話を続ける。彼の言う『神事』とは『くじびき』のことだ。
「御神託では何の勇者を求めてるんですか?」
「最近、ドラゴン病のウワサとか、ドラゴン教団のテロとか、厄介な事が続いてるだろ。それでドラゴンを退治する勇者を、市民から選び出そうってことらしい」
「ドラゴン退治って……」
メイベルが絶句した。
「御神託って、要するに教会からのお達しだろ。メイベルさんは何も聞いてないのか?」
「聞いてるわけないでしょ。今日は朝から図書館で調べものして、アウル博士の研究を手伝って、そのあと近衛隊で料理を作って、そこから直接技研へ行ったんだもの。日の出前に修道院を出たっきり、一度も帰ってないわ」
そうぼやいて、メイベルが呆れたように嘆息する。その言葉を聞いたナバルが、
「日の出前って……。じゃあ、朝の礼拝は今日もサボって……」
ジトッとした目つきになって、呆れたように呟いた。そのナバルに相変わらず身体を支えてもらってるメイベルが、
「それにしてもドラゴン退治って……。何処かで話がすり替わったんじゃないかしら?」
と零して大きく息を継いだ。
「そう思う根拠は?」
何の気なしに、ナバルがそんな質問をぶつけてきた。
「根拠なんて明白よ。倒せたらの話だけど、1体や2体減ったからって何も変わらないわ。この世界には何十万体、何百万体というドラゴンがいるのよ」
「ドラゴンって、そんなにいるのか?」
「らしいわ。わたしは見たことないけど」
「俺も見たことがない」
話の腰を折られて、メイベルが言葉を失った。首が動かないので、怨めしそうな視線だけをナバルに送っている。そのメイベルが、
「そ・れ・に、ドラゴン病なんて呼ばれてるけど、わたしはデスペランとドラゴンに何の関係もないと思うの」
と話を再開した。
「それなのにドラゴンを倒したりしたら、それこそ人間とドラゴンの全面戦争になるわ。それどころかドラゴン教団も黙ってないでしょうから、宗教戦争も避けられないわね」
「う〜ん。なんつうか、複雑だな……」
そう零して、ナバルが静かに空を見上げた。そのまま数秒間黙り込む。
「ところでさ。あのくじびき、俺が引いてもいいのかな?」
いきなり視線を落としたナバルが、先ほどの小隊長らしき男に顔を向けて尋ねた。
「誰でも参加できる。きみなら勇者に適任だ。是非とも参加しなさい」
「そうか……。勇者か……」
勇者という単語に、ナバルの瞳が輝いていた。
「近衛隊の採用試験に落ち続けたのは、きっとこの時のために神が与えた布石だったんだ」
更にナバルの表情が恍惚みを帯びてくる。自分がきっとその勇者に違いないという気持ちが膨らみ、勝手に運命を感じているのだ。そのナバルに、
「ナバルさん。わたしの説明、ちっとも理解してないでしょ」
と、メイベルが冷たい声をぶつけている。そのメイベルをいきなり抱き上げて、
「よし。それじゃ、さっそく……」
ナバルがくじびき所へ向かおうとした。
「待って!! ナバルさん。今、引いちゃダメよ!」
「今はダメって……。何でだよ?」
くじびきを止めようとしてくるメイベルに、ナバルが不満をぶつけてくる。
「ダメに決まってるじゃない。わたしたちは何のために街に来てるの? ドーナツを買って、技研に持ち帰るためでしょ。それなのに、わたしはこんな状態だし、もしもナバルさんが勇者に決まったら、そのまま宮廷へ連れていかれるわ。そうなったらナバルさんまで荷物運びができないでしょう。パセラ1人に運ばせるつもり?」
「いや、しかし……だな」
メイベルの筋の通った意見に、ナバルが表情を硬くする。
「くじびきに参加するのは、ソルティス教徒の義務であって……」
「だからって、すぐに引くのは考えものよ」
メイベルが『この堅物!』と思いながら、ナバルに意見をぶつける。
「考えてみて。帝国の命運を担う勇者よ。きっと宮廷に帰れば、近衛隊でも行われてるわ。街角で引く素性の知れない人たちと、近衛隊の精鋭たち。天はどちらの中から勇者を選ぼうとするかしら?」
「なるほど。言われてみれば、帰ってから引いた方が天に選ばれるかも」
メイベルの口車に、ナバルはあっさりと乗ってしまった。
「それじゃ、さっきの店に帰るか。俺たちの帰りを、きっと心細そうに待ってるんだよな。えっと……、友人Aちゃん……だっけ?」
そう言って、ナバルがメイベルを抱いたまま歩き始めた。そのナバルに、
「パセラよ。名前はちゃんと覚えてあげてよ」
と、メイベルが苦笑しながら注意する。
「それはそうと……。メイベルさんって、けっこう軽いな。ちゃんと食べてるのか?」
「食べてるわよ。って、あの……」
そう言い返しかけたメイベルが、急に自分が抱かれたままだったのを思い出した。それを意識した途端、また顔が真っ赤になって言葉が続かなくなった。
(えっと……。これは『吊り橋効果』よ。さっき怖い思いをしたばかりだから、気持ちが勘違いして……というか……。ふぇ〜ん。急に恥ずかしくなってきたぁ……)
心の中で必死に言い訳を考えるメイベルだったが、意識すればするほど泥沼にハマっていく。しかも身体中から汗が噴き出すような泥の温泉だ。
「えっと……、どの店だったかな?」
メイベルの葛藤も知らず、ナバルは店の飾り窓を覗き込んで、知った顔がいないか探していた。街には不案内なため、そういう方法で店の場所を思い出そうとしているのだ。
「あの……ナバルさん……」
ようやくメイベルの言葉が声になった。それに「何?」と答えたナバルが、抱き上げているメイベルに視線を落としてきた。メイベルは首が動かせないため、思わずナバルと目が合ってしまった。それでますますメイベルの顔が真っ赤になっていく。
「顔が赤いな……。しまった、熱射病か!」
メイベルの顔色を見たナバルが、慌てて日蔭を探した。
今は夏。それも小暑の頃の暑い盛りだ。そんな炎天下で身体を横になるように抱かれたメイベルは、立っている時以上に多くの陽射しを浴びてしまう。そのため熱にやられたのではないかと思ったのだ。
「ごめん。陽射しのことまで頭がまわらなかったよ」
「あの、そうじゃなくて……」
自分を抱いたまま駆け出したナバルに、メイベルは何と言えば良いのか迷った。
その間にナバルは建物の影に駆け込み、
「ここなら陽射しはしのげるけど、風がなくてやけに暑いな……」
次に風のありそうな場所を探そうとする。街はレンガに覆われているため、その照り返しで日蔭にも熱がこもりやすい。しかも密集する建物が風の流れを止めているのだ。
「あの、ナバルさん。わたしは熱射病じゃなくて、その……」
そう言いかけたメイベルに、ナバルが視線を落としてくる。それでドキッとしたメイベルの言葉が、また途切れてしまった。それでも、
「ちょっとしたお願いなんだけど……さ……」
気持ちだけ俯き加減にして、メイベルが必死に言葉を続ける。そして、
「いつまでも抱っこじゃなくて、おんぶにして欲しい……かな……と…………」
だんだん消え入りそうになりながらも、ようやくメイベルは言いたいことを伝えられた。
「おんぶか……。それもそうだな」
お願いを聞いたナバルが、メイベルの意見になるほどと納得する。
「おぶった方が、運びやすいもんな」
「……あのね…………」
ナバルの思わぬ一言に、メイベルが思わずツッコんでいた。
どうやらナバルは、どうしようもない朴念仁であったらしい。
「うふふ。メイベルがナバルさんに背負われて技研に戻った時のクラウさんの慌てぶり。何度思い出しても笑えますぅ」
「うわぁぁぁ〜……。お願いだからパセラ、その話題はもう忘れてよぉ……」
日暮れが近づいた頃、メイベルとパセラはようやく教会に戻ってきた。
余談ながらあの事件のあと、ナバルはメイベルを背負いつつ、紙袋を1つ持ってパセラと一緒に技研に帰った。それを出迎えたクラウがぐったりしたメイベルの姿に驚き、血相を変えて宿直室から寝袋を持ってきたり、「今度は僕の背中で」と言ってきたり、医者を呼びに行って病院から間違えて受付嬢を連れ帰ってきたりと、とにかく散々な慌てぶりだったのだ。それを思い出すたびに、
「ダメですぅ。お腹……痛い…………」
パセラは可笑しさで行動不能に陥っていた。今は教会に帰って、長い廊下を歩いているところだ。そこの柱にもたれて、今にも撃沈しそうなほど肩を震わせている。
そんなパセラの態度に呆れ顔のメイベルが、
「だ〜か〜ら〜。いい加減に忘れなさいよぉ〜……」
と頭を抱えた。
その2人の横を灯りを持った青い服の修道女が、何事だろうと首を傾げながら通りすぎていく。その彼女は持っている灯りの火で、廊下にあるロウソクを灯してまわっていた。
「おや、メイベルとパセラ。おかえりですか。よいところで会いました」
そこに女性神官とワインレッドの修道服をまとった修道女長の一団が通りかかった。
一団は2つの大きな木箱を持っている。その先頭を歩く女性神官が、2人の前まで歩いてきて立ち止まった。
「第2次調査隊の件と、ドラゴン退治の勇者の件ですか?」
「どちらも聞いてましたか。ならば説明の手間が省けて助かります」
メイベルの言葉に、女性神官が落ち着いた口調で答えてくる。
「聞いたのは調査隊が潰滅したという話だけで、その理由までは何も……。それとドラゴン退治の勇者は耳に挟んだだけで、詳しいことはさっぱり……」
「調査隊の件は、そこまで知っていれば十分……とは思いますが……」
女性神官が、その先を説明しようかどうか迷った。だが、
「黙っててもメイベルの耳には、すぐに詳しい情報が入るでしょう。ならば、あとあと変に勘繰られないためにも、ちゃんと今、ここでお伝えした方がスッキリしますわね」
と言って、メイベルの目をまっすぐに見てくる。
「まず、調査隊はドラゴンと遭遇し、潰滅しました。どちらが先に仕掛けたのかは不明ですが、生存者は1割にも満たないと聞いてます」
「ドラゴンと遭遇!? 戦ったんですか?」
「さあ、そこまでは……。戦ったのか、それとも襲われて一方的にやられたのか……」
メイベルの質問に、女性神官が頬に手を当てながら答える。
「それで、急遽、第2次調査隊を編成することになりました。わたしたち修道会からは、調査隊の雑用係として40名を供出します。志願者が優先されますが、志願の意志がない場合はくじを引いてください」
そう言って、女性神官が木箱の1つを指差した。そこにはメイベルたちが技研で見たものと同じ『デスペラン第2次調査隊選抜』と書かれた紙が貼られている。
「うわぁ〜。もう、残り少ないです」
くじを引く前に、パセラが箱を覗き込んだ。残ったくじ札は少なく、底が見えている。
「残りは50枚ほど。その中に当たり札が2枚あります」
「残り2枚? 意外と少ないのね」
「このまま修道院で暮らすより、命の危険を冒しても外へ出たいと思う志願者が8名いましたので……。メイベルも志願しますか?」
「わたしは人生を賭けても、命まで賭けるつもりはないから」
メイベルが女性神官の言葉を、うんざりするような表情で否定する。つらくても生きてさえいれば起死回生の機会は何度でも訪れる。それがメイベルの信条なのだ。
そんなやり取りが行われてる間に、パセラが先にくじを引いていた。
「当たり札には数字が書かれてます」
「ひゃああああぁ〜……」
女性神官が当たり札の説明を始めたと同時にパセラが変な声を上げた。パセラの引き当てたくじ札には『36』と書かれてある。
「あぅ〜……」
パセラの胸の鼓動が限界近くまで高まっていた。あまりにも大量の血液を送り込まれて、脳が今にも機能停止に陥りそうだ。目が宙を游ぎ、焦点が定まる気配がない。このままではいつ卒倒してもおかしくないだろう。
そのパセラが手に持ったくじ札を見て、
「パセラ・アヴィシス。36ですか」
女性神官が数字を読み上げた。
「今回は8名の志願者が出ましたので、33以上の数は当たりとは見做しません」
「………………はい?」
パセラの目の焦点が、ピタッと女性神官の顔に合わさった
「パセラは選外です」
「ああ……、良かったですぅ……」
ホッと安堵したパセラが、その場に座り込んでしまった。一度地獄に突き落とされて、そこから天国へ引き戻してもらったような気分だ。助かったとは思っても、いまだ胸の鼓動は速まったまま元に戻る気配がない。
「わたし、くじ運が悪いからなぁ〜……」
などとぼやきながら、次にメイベルが木箱に腕を入れている。
「春の運動会では、遠駆けの選手にされてさぁ。何が悲しくて28kmも走らされなくちゃならなかったのかしら?」
手を箱の中でまわすメイベルの脳裡に、過去のイヤな思い出が浮かんでくる。
「スキーで山の上まで行かされたこともあったわ。雪の中をスキーを担いで山頂まで登るのも大変だったけど、滑り降りる時はもっと地獄だったわ。そう言えばあの時のくじ、パセラは麓でソリ遊びだったのよねぇ」
メイベルのイヤな思い出のとばっちりがパセラに向かった。箱に腕を入れたままぶつぶつ言い続けるメイベルに、女性神官たちの一団が笑いを堪えている。
「メイベル。くじびきは天啓を受ける大切な神事です。これからの自分の運命を決めるのですから、納得のいくまで選んで構いません」
「納得いくまでって言われてもねぇ……」
くじ札を1枚摑んだものの、メイベルは箱から手を出せなかった。それを見たパセラが、
「メイベルぅ。引く時にぶつぶつ言うから、運が逃げちゃうんですよぉ」
などと忠告してくる。
「そうですわ。神さまも愚痴の多い人には佳いくじを渡したくないでしょう」
とは、パセラの発言を受けた修道女長の言葉だ。
「それも一理あるわね」
何も持たないまま一度手を引き抜き、メイベルが気合いを込めて顔をピシャッと叩く。そして大きく深呼吸したのち、
「じゃあ、笑顔で引き抜いてみるわ」
と言いながら、くじ札をサッと引き出してきた。
「この笑顔なら、神さまも佳いくじにしてくれるかしら?」
「メイベル、笑顔が引き攣ってますぅ。と言うかぁ、怖いですよぉ〜」
パセラがメイベルの質問に、そう受け答えた。そのメイベルの引いたくじ札を持って、
「このくじ札を検めても構いませんか?」
と、女性神官が訊いてくる。
「お願いします」
急に真剣な表情に戻ったメイベルが、マジマジとした視線を女性神官の手許に向けた。
女性神官が折り畳まれていたくじ札を広げる。そして、中をメイベルに向けて、
「メイベル・ヴァイス。選外です」
と結果を伝えた。くじ札には何も書かれていなかった。
「た、助かったわ……」
「それでは、もう1つのくじびきをお願いします」
一難去ってまた一難。メイベルがゆっくりと安堵する間もなく、女性神官が次の木箱を示してきた。そこには『救世の勇者の従者選抜』と書かれた紙が貼られている。
「あれ!? これはドラゴン退治の勇者とは違うんですか? と言うか、従者って……」
「勇者に関しては、本日昼前に御神託があり、ただいま帝都内で救世の勇者を選ぶ神事が行われてます。その勇者さまの従者を1名、修道会から出すこととなりました。こちらは内容が内容ですので、志願者は求めておりません」
「救世の勇者?」
女性神官の答えに、メイベルが怪訝そうな表情を見せる。
「それがドラゴン退治……ですか?」
「さて、何処からドラゴン退治という話が出たのでしょうか? わたしが聞いている御神託の内容は、ドラゴン病とドラゴン教団のテロ、その2つの解決を救世の勇者に任せるというもの。それがドラゴン退治かどうかは聞いておりません」
メイベルの確認に、女性神官が頬に手を当てる仕種をしながら答えてきた。
「ということは、ドラゴン退治っていうのは、ただの街のウワサ……かな?」
「みたいですねぇ」
メイベルの言葉に、パセラが何か腑に落ちなそうな表情で同意してくる。
「それにしても救世の勇者って、何をするんですか?」
「さあ、そこまでは……」
メイベルに尋ねられた女性神官が答えに困った。そこで、
「たぶん解決策を含めて、すべて一任されるのではないかと……」
と、当たり障りのない言い方で答えを濁す。
「まあ、いいわ。従者になってもないのに、そんなことを気にしてもねぇ」
そんなことを言いながら、メイベルがサッとくじ札を引き出した。
先ほどの40人を必要とする調査隊とは違い、従者はたった1人だ。そんなくじにはそうそう当たるはずがない。そんな気持ちから、メイベルは気楽に引き抜いたのだ。
ところが、
「メイベル・ヴァイス。従者決定です」
くじ札を検めた女性神官の口から、そんな言葉が飛び出してきた。
「…………へっ?」
メイベルの表情が凍りつき、口から間抜けな音が漏れた。そのメイベルに広げたくじ札を見せた女性神官が、
「おめでとう、メイベル。あなたは神さまに選ばれた従者よ。従者として学識豊かなメイベル以上の適任者はいないと思うわ。それを神さまもお認めになったのよ」
と言って手を取ってきた。神さまは選ぶべき人をちゃんと見てくださっている。そういう思いが、彼女の口調を熱くさせている。だが、
「…………ほぇ?」
メイベルの方は思考が止まってしまい、とても何かを言い返せるような状態ではない。
そのメイベルを心配そうに見るパセラが、
「わたしもくじを引いた方が良いですか?」
と箱を持つ修道女長に尋ねた。それに彼女は苦笑しながら、
「もう必要はないでしょう」
と答える。
「メイベル。宮廷に勇者と従者の部屋が用意されてますので、のちほど迎えに伺います」
「…………はひ……」
すっかり呆けたまま、メイベルが返事する。
「本日中に救世の勇者が決まれば、明日にも大司教さまの謁見式が行われて旅立つことになるでしょう。旅に必要な物はすべてソルティス教会が用意しますが、私物として持っていく物があるようでしたら、そちらも迎えに伺うまでに用意しておいてください」
「…………ふわぁ……」
話を聞くメイベルの目は、完全に游いでいた。女性神官の話を何処まで理解しているのか怪しい状態だ。だが、そんなことには構わず、
「それでは、のちほど」
女性神官たちの一団はメイベルにそう告げて、廊下を歩いていってしまった。
「あのぅ、メイベル?」
一団が見えなくなったのちも、メイベルは固まったまま動かなかった。それを心配するパセラの声に、ただ「ん?」とだけ返ってくる程度だ。
この状態が更に数分続く。そして、窓の外がすっかり暗くなった頃、
「ぬゎぁ〜んでぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!?」
メイベルの絶叫が、教会中に鳴り響くのだった。




