第1巻:第3章 不穏な話が続々と
ソルティス帝国の中核を担う聖サクラス教会。中央にある大聖堂は、帝都でもっとも高い建物である。大聖堂には4階建て相当の土台となる建物があり、その上に大きなドームが載っている。そして更にドームの上から、天に向かって高い尖塔が伸びていた。
その大聖堂の隣に、帝国議会の議事堂が建っている。議事堂は3階建てであるが、中央に高い時計塔を兼ねた部分があった。高さは大聖堂のドームと同じぐらいだ。その塔にある最上階の部屋に、帝国議会の幹部議員たちが集まって円卓を囲んでいた。壁ぎわには男女数人の神官たちが控えている。書記や準備係など、神官たちは議会の裏方なのだ。
「いやいや、すまぬ。もう、話は始まっておるのかな?」
今にも床が抜けそうなほど肥った男が、軽い口調で謝りながら部屋に入ってきた。
「クリプトン卿、遅いではないか。とうに始まっておるぞ」
「すまぬ、すまぬ。巻き上げ機の動きが遅くてのう」
遅刻した男が、自分の席へ向かいながら言い訳してくる。それに別の議員たちから、
「巻き上げ機はだいぶ前から調子が悪いようですが、上まで30分もかかりませんぞ」
「せっかくですから減量のために階段を利用されてはいかがですかな?」
「その意見には私も賛成ですな。体重が私の3倍もあるのは重すぎます」
と皮肉が投げられてきた。
「最上階まで階段? それは勘弁させてもらいたいなあ」
本気でイヤそうな表情を浮かべて、肥った男が自分の席に腰を下ろした。
「ところで、今は何の話をしておられたのかな?」
「一連のテロ事件です。昨日は犯行を未然に防いだそうです」
そう答えたのは、この話し合いの議長だ。
「ようやく未然に防げたのか。それで逮捕者は?」
「残念ながらゼロです。最初の事件発生から今日で19日ですが、これまでに起こされたテロ事件は8件。被害者は5,000人を超えてます」
「犯行声明を出したのは、ドラゴン教のアサ……何と言いましたかな?」
「過激狂信者集団の1つ、アサッシニオ派です。推定300人ともいわれる、最悪の武装集団です」
そう答えた議長が、深い溜め息を吐く。
「その武装集団だが、帝都に何人ぐらい潜伏してるのかのう? まさか300人全員ということはあるまいな?」
「その件については、わたしが説明しましょう」
細面の男が手を挙げて、説明役を買って出た。
「一昨日ですが、近衛隊が賊どものアジトを見つけて踏み込みました。残念ながらアジトはもぬけの殻でしたが、規模と様子からだいたい80名が潜伏していたと推察されます。
楽観的な想定では、事件以降昨日までに逮捕した数は、生死を問わず68名。これより今も残った10名程度の賊が、テロを繰り返していると考えられます。
一方で最悪の場合を想定すれば、同じ規模のアジトが帝都内に複数あり、今も何処かに潜伏していると考えられます。ちなみに帝都の出入り口を固める守備兵からの報告によれば、事件発生以降、毎日のように武器を持ち込もうとした者が見つかっております。うち逮捕した数は生死を問わず35名、逃走した者は延べ283名です。そのうち昨日取り逃がした数は26名ですので、その26名だけが帝都に侵入できてないと考えれば、アサッシニオ派推定300名から逮捕者103名と逃走した26名を引いた170名ほどが潜伏している可能性があると……。
まあ、わたしはテロの規模が少しずつ小さくなってきているので、多くても20名ぐらいではないかと思いますが……」
「20名……。それでも厄介だのう」
話を聞いていた肥った男が、そう零して深い溜め息を吐いた。
「たしか連中の声明は、デスペランの調査中止と調査隊の解散でしたな」
「調査隊が向かうのはマウンテン・ドラゴンの棲む竜の山脈。ドラゴン教にとっては聖なる土地ですから、そこを異教徒に踏み荒らされたくないのでしょう」
「ところで、ここに来る直前、その調査隊が潰滅したと聞いたのだが……」
「その件は会議の最初に済ませました」
男の言葉を遮って、議長が話を元に戻そうとした。それを、
「まあまあ、議長殿。状況を教えるぐらいは良いではありませんか」
と、議長の隣に座るカイゼル髭の男が意見してきた。その反対側の席には、立派な僧服を着た教皇ことソルティス教の大司教が座っている。
「アキロキャバス卿が仰るのでしたら……。大司教さま、よろしいでしょうか?」
意見してきたのは帝国の内務大臣であり、帝国内でもっとも大きな領地を持つ大貴族、ユーベラス公国の王アキロキャバス卿だった。その意見に少しためらった議長が、反対側に座る大司教に判断を求める。
「まあ、説明してやっても良いでしょう」
「大司教さまのお許しが出たので、手短に説明します」
大司教の首が縦に動いたのを見て、議長が軽く咳払いする。
「調査隊潰滅の報告は、今朝方、宮廷に届きました」
「まさかアサ何とかの本隊に襲われたのか?」
「いえ、ドラゴンと一戦を交えることとなり、潰滅したと……」
「それは何処でかのう? 出発してから1か月と経っておらぬから、まだ竜の山脈には着いておらぬのじゃろ? 伝令が帝都へ戻るまでの時間を考えると……」
「ドラゴンとの一戦は一昨日です。場所は目的地である竜の山脈の麓……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。竜の山脈まで、ここから2400kmもあるのだぞ。今ごろはまだフルヴィ川を溯ってるところではないのか? それに、そんなに遠くで起こった事件が、どうして1日やそこらで帝都に伝わるのだ? 鳩でも3日はかかるのだろ?」
「クリプトン卿……。あなた、何年前の話をしてるのです?」
議長が呆れた顔で肥った男を見やる。
「動力船や電信をご存じないのですか? 水路があれば1日に400kmを移動し、電線さえあれば、どんなに遠くからでも一瞬で言葉を伝えられる技術です。まあ、電信のある町まで鳩を飛ばしたため、事件が伝わるまで1日かかりましたが……」
「いつの間に、そのような時代に……」
議長の言葉に、今度は肥った男が呆れる番だった。男は知らぬ間に、時代に取り残されていたようだ。
「いやいや、そんなことはどうでも良い。調査隊は何千という兵に護衛されていたのだろう。それに対ドラゴン用の大砲はどうした? 使わなかったのか?」
「対ドラゴン砲の件は知りませんが、総勢3千程度の軍勢ではドラゴンに太刀打ちできなかったのでしょう。これは確定ではありませんが、生存者は2百名前後という話です」
「い、1割も残っておらぬのか……」
議長の説明に、男が目を見開いて言葉を失った。
「それで現在、大ケガを負った者たちを付近の町に残し、動ける者だけが帝都に向かっているそうです。到着まで10日以上かかるでしょうが、その間に第2次調査隊を招集し、調査へ向かわせることと決まりました」
「2次隊の派遣は、生存者が戻って報告を受けてからでも良いのではないか?」
「そのような意見もありましたが、デスペランが大流行してからでは手後れです。対策は早め早めに打ちませんと」
「ふむ。それでは徒に犠牲者が増えるだけと思うのだが……」
議長の伝える決定事項に、肥った男が割りきれない気持ちを吐露する。
「さて、時間が押してきましたので、調査隊の件を終わりにして本題に入ります」
もう少し何かを聞き出そうとする男を無視して、議長が会議を本件へと戻した。
「本日、ご多忙のところみなさまにお集まりいただきましたのは、今回のドラゴン病ならびテロ事件を含め、これらに今後どのように対処するかです。そこで……」
「そこから先は、わたしに言わせてくれませんか」
議長の隣に座る大司教が、静かな口調で言葉を遮ってきた。それで言葉を止めた議長が、態度で主導権を譲る。それを受けて、
「この会議は、わたしとアキロキャバス卿の権限で招集しました。急な招集であるにもかかわらず、欠席者がなかったことに、まず神とご出席のみなさまに感謝します」
と話し始めた大司教が、軽く手を合わせて短い祈りを捧げる。
「案件を単刀直入に言います。帝国は現在、かつて人口の3分の2を死に追いやったデスペランの脅威にさらされております。それに加えドラゴン教徒によるテロ事件も頻発し、これらへの対策が急がれるところです。そこでソルティスの神の教えに従い、これら難局を乗りきる打開策の決定を御神託のくじびきに委ねたいと考えております。ない知恵を絞って議論を重ねても、時間を意味もなく浪費するだけですから……」
柔和な口調で語りながら、大司教が集まった幹部議員たちを見まわした。
「しかし、もしも有効な打開策があるのに、無為に結論を御神託に委ねてしまうのは忌むべき思考放棄です。そこで御神託を行う前に、この難局を乗りきる打開策がおありでしたら、是非とも指し示していただきたい」
「ドラゴンを根絶やしにすれば、万事解決すると思いますが」
大司教の問いかけに、1人の幹部が自信に満ちた顔つきで意見してきた。それを聞いたアキロキャバス卿が、やれやれと言いたそうな口調で肩をすくめる。
「ビーズマス卿。それは何の解決案にもなってませんよ。第一、数千人に護衛された調査隊を潰滅させるようなドラゴンを、いったいどうやって根絶やしにするのですか? 我々が求めてるのは理想論や空想論ではなく、実行できる具体的な方法です」
「うぬ。そ、そうか?」
アキロキャバス卿の注意に、意見した男が自信に満ちた顔から一転、ばつの悪そうな顔に変わっていた。これはテストで赤点を出さない方法を問われ、それにテストがなければ赤点にならないと答えたようなものだ。ただの戯れ言である。
「やはり良い意見は出そうもありませんか。では、御神託を進めて良いですかな?」
また大司教が幹部たちを見まわして、反対意見の有無を求めた。それに誰からも発言がないことを確かめて、大司教が軽く息を継ぐ。
「すでにみなさまの手許には紙の束が配られております。そこに心に思い浮かぶまま素案を書き留めていただき、それをくじ札にしたいと思います」
幹部たちの座る席には、あらかじめメモ帳のような紙の束が置かれていた。その束を手に取って、パラパラと中を検めている幹部もいる。
「それでは紙に素案を書き、4つ折りにして後ろに控える神官たちの持つ箱にお入れください。突拍子のない内容でも構いません。心に思い浮かぶままを紙に書いてください。それらはすべて神のご意思です。素案は1人でいくつ書かれても構いません。同じ内容でも白紙でも大いに結構。神は間違った案を選びません」
大司教の話を聞きながら、幹部たちがせっせとくじ札を作っていく。ここから先は宗教的な儀式のようなものだ。誰もが式次第に戸惑うことなく、慣れた感じである。
「大司教殿。わたしは午後の用があるので、このあたりで失礼しますよ」
そう断ったアキロキャバス卿が席を立ち、くじ札を女性神官の持つ箱に入れた。
「おや、どちらかへお出かけですか?」
「帝国技術研究所です。こうも毎度毎度ガス灯が標的にされては堪りませんからな。ガス灯に代わる技術がないか視察しにいくんですよ」
大司教の問いかけに、アキロキャバス卿が東を指差しながら答えた。その言葉を耳にした幹部議員数人が、
「アキロキャバス卿はもう出られるのか!? ならば、わしも急がねば……」
「視察!? しまった! 馬車の手配を忘れた!!」
「おぬしも視察の予定であったか。馬車の手配がまだなら一緒に乗って往かぬか」
次々と立って、作ったくじ札を箱に入れていく。
「ほう、ガス灯に代わる灯りですか。そう言えば、大聖堂にやたら明るい灯りがあるのですが……。はて、あれは何というものでしたか……?」
そう言いかけた大司教が、何処か気持ち悪そうな表情を浮かべた。存在を知りつつも、肝心の名前が出てこないようだ。その大司教にアキロキャバス卿が、
「ところで大司教殿。今晩の晩餐会ですが、料理人はあのメイベルくんですかな?」
と尋ねる。
「おやおや。すっかりお気に入りのようですね」
「彼女の料理に、すっかり魅了されましてな。まるで中毒ですよ」
アキロキャバス卿がそう笑顔で言って、ぴしゃっと額を叩いた。
「しかし残念ですが、今晩の料理人はメイベルではありません。メイベルは午後出かける用事があるので、今日の料理番はできないのです」
「外出ですか、それは残念ですな」
今日はメイベルの料理ではないと知って、アキロキャバス卿が肩を落としている。
「まあ、技研へ行かれるのでしたら、メイベルとはあちらで会うでしょう」
「……技研で!?」
大司教の言葉に、アキロキャバス卿が首を傾げた。だが、大司教が疑問に答えることはなかった。
議事堂の塔で会議が行われてる頃、話題になったメイベルは、
「暑ぅ〜。ここの厨房って、夏はまるで拷問部屋だわ」
狭い厨房で野菜を炒めていた。
ここは宮廷に隣接する、近衛隊の詰め所にある厨房。メイベルはここで今、両側に取っ手のついた大きなフライパンで料理をしてた。その後ろではパセラが大きなウチワを煽いで、メイベルに風を送っている。パセラはメイベルの手伝いだ。
「ゴメンね、メイベルちゃん。夏バテで倒れた料理人の代わりをお願いして……」
厨房と食堂の間にあるカウンター越しに、クラウがそんな言葉をかけてきた。厨房からは油物を炒めるジュジュっという音が聞こえている。
「このままだと今日の昼食もパンと生温かい牛乳と干し肉だけになるところでしたよ」
「困った時はお互いさまよ。それに近衛隊のみなさんは、テロリスト捜しで大変な時でしょう。そんな時にちゃんとした料理が食べられないんじゃ、士気に影響するじゃないの」
そう返したメイベルが、野菜炒めに調味料で味つけした。そして軽く味見して、
「今日は暑いから、ちょっとお塩を追加ね」
気持ちだけ砕いた岩塩を加える。
「はい、できたわ。あとの盛りつけはパセラに任せるわね」
メイベルが完成した野菜炒めを、フライパンごとカウンターの内側に置いた。
「うぉ〜。これは良い香りだ」
「辛抱堪らん。早く食べてえ」
野菜炒めの香りに誘われて、腹ぺこの近衛兵たちが殺到してきた。その近衛兵たちに押されて、クラウがカウンターの板に顔面を密着させている。
カウンターには野菜炒めよりも先に作られた肉料理とスープも置かれていた。それに近衛兵たちが熱い眼差しを注ぎ、中にはよだれを垂らしてる者もいる。
「これから配りますから、並んでくださぁ〜い」
メイベルにウチワを渡して、パセラがトングを手に近衛兵たちに声をかけた。その言葉を受けて、兵たちが隊長のクラウを先頭にして行儀良く並ぶ。
並んだ兵たちは、最初に食器兼トレイの金属板を取る。これは1枚の金属板をプレスして、大小の仕切りを設けた物である。それからフォークとスプーン、それと切れ込みの入ったパンを自分でトレイに載せるのだ。
そこから先はパセラと配膳係たちが、流れ作業的に仕切られた窪みにスープや肉料理、野菜炒めを入れていく。兵たちはそれを持って、テーブルで食べるのである。
「ところでさ、クラウさん。テロを起こしてるドラゴン教徒、いつになったら全員捕まるのかしら? こうもたびたび事件を起こされたら、怖くて外出できないんだけど……」
配膳する後ろでウチワで煽ぎながら、メイベルが気になることを尋ねた。クラウは食事を載せた金属トレイを持ったままテーブルへは着かず、カウンターの隅にいたのだ。
「これまでに逮捕ないし沈黙させた賊は70人ほど。確実に数を減らしてますので、もうしばらくの辛抱ですよ」
「その割には騒ぎは減ってないわよ。どんどん都に入ってきてるんじゃないの?」
「その可能性はありますが、都の出入りは厳しく検問してますからね。武器を持った賊がその検問をすり抜けるとは考えにくいのです」
「考えにくいって……。それは近衛隊のメンツがあるから認めたくないだけじゃない?」
「メイベルちゃん。それは手厳しい指摘ですね」
苦笑したクラウが、困った顔で頭の後ろに手をやる。
「まあ、そんなにテロ事件が怖いのでしたら、メイベルちゃん。是非とも見習い修道女らしく外出を控えるように奨めたいのですが……」
「それはイヤ」
クラウの忠告を、メイベルが即座に拒否してくる。
「教会の敷地内にいれば安全ですよ」
「それじゃ、わたしの心の中が平穏じゃなくなるのよ」
勝手なことを言ったメイベルが、ウチワで煽ぎながら視線を厨房内に戻した。
そんなメイベルの横顔を、クラウが困った顔で見ている。
「それにしても、ここは換気が悪いわね。こんなに熱気が籠ってたら、料理人が夏バテで倒れるのも当然だわ。それに油臭いし、カビが生えて不衛生だし……」
メイベルのぼやきに、クラウが軽く溜め息を吐いた。そして、
「春ごろまでは、何も問題はなかったのですけどね。1月ほど前から、急に熱気が籠るようになったのですよ」
と状況を説明する。
「水車が壊れたんじゃないの? 冷蔵庫も冷えてないみたいだから……」
「こちらでもそのように思って技師に調べてもらったのですが、水車は壊れていませんでした。まったくの正常だそうです」
「壊れてないの? ……あ、ひょっとして、あれ……かしら?」
クラウの説明を聞いたメイベルが、ふとウチワの動きを止めた。そしてゆっくりと天井を見上げて、何かを言おうとする。
ところがメイベルの言葉は、
「うぉ〜。美味ぇ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
「これがタマネギ3個の味かぁ! 美味すぎて涙が出てくる……」
「宮廷料理って、これより美味いんだろ。俺、想像できねえよ」
「俺、絶対お代わりするぞ!」
食事を始めた兵たちの声に止められてしまった。
その声に誘われて、まだトレイを持って待っている兵たちが、配膳を急かしてくる。
その様子に目を向けたメイベルが、またパタパタとウチワを煽ぎ始めた。
「メイベルぅ。好評みたいですよぉ」
最後の兵に料理を取り分けたパセラが、ようやく一息を入れてそんなことを言ってきた。そして自分たちと取り置きの分のトレイを用意して、そこにも料理を盛りつけていく。取り置きは街へ警備に出たまままだ戻ってない隊員たちの分だ。
「それは料理人冥利に尽きる光栄だわ」
相変わらずウチワをパタパタさせながら、メイベルがパセラに近づいてきた。
パセラの横では配膳係が、残った料理をカウンターの奥から食堂側に出している。それを狙って、兵たちがお代わりに殺到してきた。
「でも、ちょっと申し訳ないわね。もっとちゃんとした食材があったら、中途半端じゃない料理を提供できたんだけど……」
『えええぇ〜っ!!? 中途半端??』
メイベルの一言に、お代わりに集まってきた兵たちがいっせいに驚きの声を上げた。
「そうなのよ。この暑さで貯蔵されてた食材が傷んじゃっててね。使える物だけ選んで使ったから、その程度の料理しかできなくて……。干し肉や干涸びた野菜の料理では、あまり満足できなかったでしょう」
「これ、元はあの味気ない干し肉!?」
「気づかなかった……。言われてみれば青菜も……」
兵たちが料理を突っついて、肉や野菜のかけらを凝視している。色の濃いソースで見た目を誤魔化されているが、間違いなく見慣れた干し肉や乾いた葉野菜の姿を留めている。
「メイベルちゃんの手にかかれば、味気ない乾き物でも、こんなに美味しくなるのか」
「と言うより、俺たちの舌にはメイベルちゃんの中途半端な料理でも美味しく感じられるってことだろ。これがまともな料理だったら……」
「うわぁ〜。どんな味か想像できねぇ〜!!」
兵たちがまた賑やかになった。そんな兵たちに、
「やっぱり中途半端な料理を出したままじゃ、毎日捜索や警備で奔走してるみなさんに申し訳ないわ。明日は宮廷の厨房で作って持ってくるから、それで口直ししましょう」
とメイベルが言い放った。その言葉に、
『お願いしまぁ〜すっ♪』
近衛兵たちの弾む言葉が、見事に重なった。
「みなさん、現金ですねぇ。食事の良し悪しで隊員の士気が上下するというのは、本当のことでしたか……」
と零したのはクラウだ。クラウは相変わらずトレイを持ったまま、カウンターの隅に陣取っていたのだ。その理由は、
「メイベルちゃん。席が空いてきましたから、そろそろ僕たちも食事にしませんか?」
メイベルたちと食事するため、待っていたのである。
「そうね。でも、ナバルさんがいないわね。まだ採用試験が終わってないのかしら?」
メイベルがカウンター越しに食堂を見渡した。そこにはまだナバルの姿が見えない。
「ナバルはくじ運が悪いですからね。引く順番が後ろにまわされてるのでしょう」
「あはは。それはありそうだわ」
クラウの言葉に、メイベルがおかしそうに笑う。
「いつ帰ってくるかわかりませんから、僕たちは先に食べましょう」
「そうね。パセラ。わたしたちも食事にしましょう」
そう答えると、メイベルは自分とナバルの分のトレイを持って厨房から出ていく。
「では、配膳係の皆さん、お後はよろしくお願いしますぅ」
パセラも後片づけを配膳係に任せて、自分のトレイを持って食堂へ出ていくのだった。
青空から照りつける陽射しが、教会の真っ白な壁を更に輝かせている。
その壁に反射した光が、正面にある広場を銀色に照らしていた。
「ハズレです。次の者。エド・カイン。アルテース出身。推薦者……」
広場に作られた仮設テントから、名前を読み上げる声が聞こえてくる。
テント横には『帝都近衛隊隊員採用試験会場』と書かれた看板が立てられていた。
テントでは今、若者が壺に差された無数の串の中から、どれを引こうか迷っている。若者は右手を宙に浮かべたまま、完全に動きが止まっていたのだ。
「焦ることはありません。自分の運命です。慎重に選びなさい」
採用官の1人が、若者にそう声をかけた。その言葉に若者からの返事はない。串選びに集中していて、声が耳に届かなかったようである。その若者がいきなり、
「見えた!」
という言葉を放った。そして1本をしっかりと摘まみ、気合いを込めて引き抜く。
「お願いします」
「預かります」
若者が引き抜いた串を、採用官が儀式張った仕種で両手で受け取った。
「天からの啓示が見えましたか?」
「はい。棒の先が赤く光りました」
「それは吉きお導きかもしれませんね」
興奮する若者にそう答えて、採用官が串を検める。
串の先には紙が巻かれていた。それを解いた採用官が内側に書かれた文字を読み、
「エド・カイン。近衛軍第2警備隊採用」
と読み上げる。と同時にくじを引いた若者が、「やった〜!」と天に向かって吠えた。
「それでは、エド・カインくん。奥で採用手続きを済ませなさい」
「は、はい。ありがとうございます」
採用官に深々と頭を下げた若者が、嬉しそうにテントの奥に入っていく。その様子を、これからくじを引く者たちが羨ましそうに見ていた。
「次の者。ナバル・フェオール。ユーベラス出身。推薦者アキロキャバス公王」
採用官が次にくじを引くナバルの名を読み上げた。そのナバルを推薦した貴族名を聞いた志願者たちが、「おお〜」っと驚きの声を上げている。
「それでは引いてください」
「はい!」
肩に軽く力を込めたナバルが、右手を無数の串の入った壺に伸ばした。
(運が悪いな。前のヤツが採用じゃ、圧倒的に不利じゃねえか)
ナバルは1人採用者が出たら、そこからしばらくは採用者が出ないと思っていた。
(そう言えば前のヤツ、棒が赤く光ってたとか言ってたよな……。俺は光る棒なんて見たことないが……)
などと考えながら、ナバルが手を宙で滑らせている。
「自分の運命です。心ゆくまで慎重に選びなさい」
採用官がなかなか選ばないナバルに、そう声をかけた。それにナバルが、
(ダメだ。光る棒なんかねえ。ならば……)
光る棒を探すことをあきらめて、覚悟を決めた。
「これをお願いします」
無造作に抜き出した串を、そのまま採用官に渡した。それを採用官が、
「預かります」
と、先ほどと同じように儀式張った態度で受け取る。
(どうだ? 今度こそ採用か!?)
採用官がゆっくりと串に巻かれた紙を解く様子を見ながら、ナバルが心の中で叫んだ。その目の前で、試験官が紙の内側に書かれた文字に目を落としている。
「ナバル・フェオール。ハズレです」
「く……」
ナバルが顔をゆがめて天を仰いだ。更に口を衝いて「またか」という言葉が出てくる。
「次の者。……」
試験官はたたずむナバルには構わず、事務的にくじびきを続けていく。
そんな採用試験会場を、ナバルは重い足取りで後にするのだった。
「ホント、美味しいですね。とても元が干し肉や干涸びた菜っ葉とは思えませんよ」
席に着いて食事を始めたクラウが、さっそくメイベルの料理を誉めた。
クラウがいるのは6人がけのテーブルだ。向かい側にはメイベルとパセラが座っている。そしてクラウの隣にある空いた席には、取り置きのトレイが置かれていた。
「ありがと。で、さっきの空調の話だけど」
軽くお礼を返したメイベルが、すぐに別の話に切り替えてくる。
「ひょっとして地下の水路、水の流れが弱くなってるんじゃないかしら?」
「さすが、メイベルちゃん。お察しの通りですよ。修理をお願いした技師たちも、流れが弱いのではお手上げと言ってましてね。困ってるんですよ」
「でしょうね。水の流れが弱まったら、生活のあらゆるところに支障が出るものね」
などと零しながら、メイベルがパンの切れ目に肉料理を詰めている。そのメイベルに、
「メイベルぅ。流れが弱くなると、どうして生活に支障が出るのですか?」
とパセラが尋ねてきた。
「それは簡単な話よ。わたしたちの生活は、今では水車なしでは語れないの。昔ならお米のもみ殻を取るとか、小麦を細かく碾くとか、その程度だったけど……」
と答えながら、メイベルが千切ったパンを頬張った。そして食べ物を口に入れたまま、
「今は生活のあらゆるところに水車が使われてるわ。糸を紡いで布を織る紡織機も、新聞を刷る大型印刷機も、工場にある機械はどれも水車が動かしてるのよ。それに……」
と話を続ける。そのメイベルに、
「メイベルぅ。お行儀が悪いですぅ。飲み込んでから話してくださいよぉ」
パセラが困った顔で注意した。その言葉に、メイベルが話をやめてゴクンと飲み込む。
「それに水車が動かすのは工場の機械だけじゃないのよ。水道のお水を上の階まで運んだり、大きな建物では空調や巻き上げ機を動かしたり。最近では水力列車などの乗り物を動かすようにもなったし、冷蔵庫や洗濯機もあるわ。他に大聖堂の照明がロウソクから明るいアーク灯に変わったでしょう。あの明かりも水車が生み出してるの」
「へぇ〜。水車はいろんなところに使われてるのですねぇ。知りませんでしたぁ」
メイベルの説明に、パセラが気の抜けた声を返してくる。そのパセラが、
「ところで水車が、どうやって冷蔵庫を冷やすのですか?」
と、首を傾げて訊いてきた。
「それは水車が冷蔵庫のポンプを動かすからよ。ポンプがアンモニアを気化させて……って……。パセラ、説明を聞きたい気持ちはわかるけど、理解できるの?」
「非道いですよ、メイベルぅ。理解するように努力します」
「努力させられるのは、間違いなく説明するわたしの方だと思うけど……」
そう言って説明をやめたメイベルが、スープを口に運んだ。そのメイベルの横顔を、パセラが怨めしそうに見ている。そんなパセラを無視して、
「あ、それでさっきの流れが弱くなってる話だけど、都市整備局に事情を話して、詰め所の上流にある建物を調べてもらった方が良いと思うわ」
と、最初の話に戻してきた。
「事情を説明するのは構いませんが、流れが弱くなっただけでは役人たちは動きませんよ。問題点を具体的に指摘しませんと……」
「流れが弱まった説明なんて簡単じゃない。詰め所よりも山側に出来の悪い水車が作られたか、何かが水の流れを堰き止めてるか、そのどちらかよ」
メイベルがクラウの迷いに、明確な答えを返してきた。
「1か月前から空調や冷蔵庫がおかしくなったとなると、怪しいのは法務局の新庁舎ね。あちらに取りつけられた水車が、ちゃんと動いてるか調べてもらうべきだと思うわ」
「法務局ですか? テロの影響ではないのですか? それに、法務局の隣に建った教皇庁の第3庁舎の可能性も……」
「1か月前じゃ、まだテロは起きてないでしょ。それに教皇庁の庁舎には問題ないと思うわ。何かあるとしたら、絶対に法務局よ」
クラウが最後まで言う前に、メイベルが原因を断言してくる。
「法務局にはこれまでにも車輪型のバカでかい水車を取りつけて、水路を堰き止めた前科があるのよ。どういうわけか法務局と財務局、それと商業庁の役人たちは、性能よりも見栄えを気にする悪いクセがあってね。重すぎて動かないような大きな水車を作って、そのたびに周りに迷惑をかける事件を繰り返してるのよ。学習能力がないのよね」
「メイベルぅ。食べるか話すか、どちらかにしてくださいよぉ」
食べながら説明を続けるメイベルに、パセラがまた注意した。それで口許を隠したメイベルが、しばらく黙って咀嚼を優先する。
「そ・れ・と、修理に来た技師は、水路の水が減ったではなく、あくまで流れが弱まってると言ったのでしょう?」
食べ物を飲み込んで、メイベルが話を再開する。
「流れは前の水車で弱められても、80cmも流れ落ちれば必要な勢いを取り戻すわ。このサクラスの都は、そのために山の斜面に築かれたんだものね。だけど教会周辺の土地は平らで、この詰め所と法務局の新庁舎はほとんど同じ高さの地面に建てられてるでしょう。水路に多少の傾斜をつけてるとはいえ、法務局で弱まった流れは詰め所に来るまでに勢いを取り戻せてないと思うのよ。だから……」
「なるほど。それで法務局の新庁舎が怪しいと考えられるわけですか」
メイベルの説明にクラウが相槌を打った。一方、隣で話を聞いていたパセラは、
「お水さんは水車に弱められても、80cm流れると元の流れに戻るのですか。でも、法務局とここは200m近く離れてますよぉ。何か説明がおかしいですぅ」
脳ミソが消化不良を起こして、それを説明の問題にしている。そんなパセラの呟きを聞いたメイベルが、「あんたねぇ」と、呆れた顔をしていた。
「おっ。ナバルが帰ってきましたよ」
そう言ったクラウが、顔を食堂の入り口へ向けた。
食事を終えた兵たちと入れ替わるように、ナバルが食堂に入ってくるところだ。そのナバルに手を振って、クラウが自分たちの居場所を伝えようとする。
「採用試験。合格できたでしょうか?」
パセラがそう言って、後ろを振り返った。メイベルも入り口に目を向けて、
「今日が2回目の挑戦だったわね。う〜ん、逆光で表情が見えないわね」
と零した。その3人に、
「ただいま。外はイヤになるほど暑いぞ」
と、ナバルが不愉快そうな顔を向けてくる。
「落ちましたか。テロ事件で除隊者が増えたため、採用枠が広がったというのに……」
とはクラウの言葉だ。それにナバルが、
「落ちたのではない。神が近衛隊に入るのはまだ早いと仰られたのだ」
と、不機嫌に憂いを1滴混ぜたような顔で言い返してくる。
「まあまあ、良いじゃないの。1年に3回まで受けられるんだから、あと1回、受ける機会はあるんでしょう」
「まあな……」
メイベルに宥められたナバルが、相変わらず不機嫌そうな顔で空いた席に座った。
「次の採用試験は、また半月後です。それまで、また時間を持て余しますね」
「まったくだ。半月は長すぎるぜ」
クラウにそう言い返したナバルが、取り置かれたトレイからパンを摑む。そして苦虫を噛み潰したような顔で、パンを不愉快そうに喰い千切った。
「どうして半月に1回なのでしょうか?」
2人の話を聞いていたパセラが、そんな疑問を口にする。
「毎日やったら大変、月に1回では少なすぎる。で、中を取って半月に1回じゃない?」
「ああ、なるほど」
メイベルの適当な説明に、パセラが妙に納得した。それにクラウが、
「きみたちは本当に修道女なのですか? ソルティスの神の教えに従い、1度くじびきをしたら、次の14日間は同じ目的のくじびきをしてはならないのではありませんか」
とツッコミを入れる。その言葉にパセラが、
「そう言えば、そんな教えがありましたねぇ」と返し、メイベルは、
「くじびきでむりやり出家させられた修道女だもの」と愚痴をぶつけてくる。
そんな2人の態度に、ナバルが、
「そうか。2人には信仰心が足りないから、天は修道女にして鍛え直そうとしたんだな」
などと憎まれ口を叩いた。そんなナバルに、メイベルが冷たい視線を向けている。そのメイベルが頬杖を突いて顔を横に向け、
「くじびきで痛い目に遭ってるのに、どうしてナバルさんは神さまを信じられるのかしらね? くじびきに流される人生を歩んでたら、いつか絶対に不幸な結果になると思うわ」
と、不愉快そうに言ってきた。
「わたしはくじびきなんかに左右されず、自分の人生は自分で決めるの。幸い教会の周りには宮廷図書館や御用学者の研究所があるからね。好きなだけ勉強ができるでしょう。だから、わたしはこの環境を活かして、絶対に学者になってみせるわ」
「えっ!? 料理人にはならないのですか?」
メイベルの発言を、クラウが驚いた顔で聞き返してきた。
「料理人なんて、礼拝をサボる口実よ。厨房係ならみんなが礼拝してる時間でも、調理を口実に出なくても済むじゃないの」
「そ、そういう理由だったのですか?」
メイベルの答えに、クラウがすっかり呆れている。それに追い打ちをかけるように、
「それに料理が上手になれば、それだけあちこちから声がかかって仕事が増えるでしょ。おかげでもう3か月ぐらい礼拝に顔を出してないわ。あはは」
と、メイベルが笑い飛ばした。そんなメイベルに、
「そうまでして礼拝に出たくないのですか? メイベルちゃんは筋金入りですね……」
クラウが完全に脱力させられている。
「あ、そうだ。今、何時ぐらいかしら?」
急に話を打ちきって、メイベルが時間を尋ねてきた。その求めに、クラウが懐から鎖のついた時計を出してくる。
「12時40分ですよ」
「良かった。まだ時間はあるわね」
時間を聞いたメイベルが、ホッと胸を撫で下ろした。
隣に座っていたパセラは一足早く食事を終え、トレイを持って片づけるところだ。
「何かご予定でもあるのですか?」
「アウル博士に誘われて、1時すぎに帝国技術研究所へ出かけることになってるの」
質問に答えたメイベルが、早く食事を済ませようと野菜炒めを頬張った。
「帝国技研ですか。どのようなご用で?」
「テロ事件って、いつも最初にガス灯が狙われてるじゃない。それでガス灯は危ないということで、代わりになる街灯が検討されてるのよ。それで今日、帝国議会の貴族議員たちが技研を視察するから、説明と案内役をわたしに任せたいらしいわ。テロが始まってから今日で何日だっけ? もっと早く視察に来ればいいのにね」
「ああ、その視察ですか。警備の問題があるので控えてもらってたのですが、昨日、とうとう父が押しきったみたいでして……」
そんなことを言うクラウの前に、金属製のマグカップが置かれた。パセラがトレイを片づけるついでに、人数分の飲み物を持ってきたのだ。
「つまり。父が音頭を取って視察に行くので、そこで気を利かせたアウル博士が父にメイベルちゃんを紹介し、僕との仲を取り持とうと……」
「クラウさん。額にフォーク、突き立てましょうか?」
メイベルがジャガイモの刺さったままのフォークをクラウに向けた。そのフォークに、クラウがラッキーとばかりにパクつく。それを見たメイベルが、ジトッとした表情になって、フォークから手を離した。
「アウル博士がわたしに説明役を任せるのは、議会やお役所がわたしを小娘扱いしてるのが気に入らないからなんだって。それで新しい照明技術を視察する機会を利用して、わたしを一人前の学者としてお披露目させたいらしいわ」
手をゆっくり引っ込めながら、メイベルがそう言って経緯を話した。クラウの口では持ち主のなくなったフォークが、もごもごと縦に揺れている。そのフォークを口から出し、
「説明役は良いのですが……」
と、クラウが口を開いた。
「貴族議員たちの視察する研究。メイベルちゃんがやってるのですか?」
「わたしはたまぁ〜に手伝ってるだけよ。わたしの専攻は博物学だから、照明技術は専門外になるんだけどね。まあ、ちょっと水力技術には深入りしてるけど……」
クラウにそう答えて、メイベルがスープをすする。そのメイベルのトレイに、パセラが新しいフォークを持ってきて置いた。それに軽くお礼を言ったメイベルに、
「メイベルさんって、学者なのか? 料理人でも魔導師でもなくて……」
ナバルが疑問を挟んできた。
「わたしは学者でも料理人でもないわ。ただの見習い修道女よ」
「その通りです。ただの博識な万能見習い修道女ですよぉ」
メイベルの否定を、パセラが明るい声で訂正してきた。その言葉に、
「博識な万能って……。パセラぁ……」
メイベルがツッコむ言葉を失っている。そのメイベルが飲み物を半分残したまま、
「わたし、そろそろ行くわ」
と言って、トレイとマグカップを持って席を立った。パセラも、
「それでは参りましょう」
と、メイベルについていく。
「おや、友人Aくんもご一緒するのですか?」
「はい。議員さんたちは視察したあと、技研で検討会をするんです。その準備をしなくてはなりませんので」
クラウの問いかけに、パセラが振り返って答えた。それにメイベルも、
「検討会って言っても、お茶会の口実よ。だから視察のたびに給仕係が連れまわされるの。って言うか、クラウさん。いい加減にパセラの名前を覚えてあげてよ!」
と返してくる。
「でしたらメイベルちゃん。技研まで僕たちとご一緒しませんか?」
クラウもトレイを片づけながら、そんなことを言ってきた。
「クラウさん。テロの警備は大丈夫なの?」
「僕の隊は父が帝都にいる間の警備役ですから、父が技研に行くとなれば、僕も警備で行かなくてはならないのですよ」
「ああ、そうなんだ」
仕事モードに入ったクラウの顔を見ながら、メイベルが何となく納得する。
「僕たちは父の乗る馬車を警備しながら、1時20分頃に教会を出る予定です。父の馬車は広いので、一緒に乗られてはいかがですか?」
「それはごめんなさい。わたしは一足先に行って、準備をしておかないと……」
「準備ですか。それは残念ですね」
本気で残念そうな表情を浮かべて、クラウが肩を落とした。そのクラウに、
「それじゃ、技研で会いましょう」
と言い残して、メイベルが食堂から出ていった。その姿を見送りながら、
「あ、警備の下見を口実に、メイベルちゃんと一緒に行くって手がありました」
とクラウが零した。
帝国技術研究所。それは都を囲む内側から3番目の城壁の東側にある施設だ。そこには4階建ての大きな建物が5つと、いくつもの小屋が点在している。敷地はまるで研究内容を隠すような厚い木立ちと高い鉄柵に囲まれ、周囲に小さな家が密集する中、ここだけが異空間のような雰囲気になっている。
その敷地を囲むように、今、20m置きに近衛兵たちが警備している。図らずもここに重要人物が集まってると教えていた。
研究所正門の内側には大きな馬車置き場が作られている。今、そこに駐まっている馬車は40台ほど。牽いてきた馬たちは騎乗用の馬とともに、馬車置き場の横に作られた馬小屋に繋がれていた。
その馬車置き場から建物を挟んだところにある庭に小さな滝が作られている。その滝の周りに、30人ほどの貴族議員たちが集まっていた。他に老学者アウルや研究員たち、議員のお付きの者たち、それとクラウとナバルなど、集まった人の数は50を超えている。
「以上で発電に関する説明を終わります。まあ、電気というものは、水の力を一時的に別の力に置き換えるものとだけ理解くだされば、それで十分です」
メイベルが細くて白い指し棒を持って、議員たちに説明していた。メイベルが示すのは、滝の下に置かれた水車だ。水を受ける羽根は平らな板ではなく、お椀のような形をしている。それが3台並んで、流れ落ちる水を受けて勢い良くまわっていた。
「うむむむむ……」
メイベルの説明を聞きながら、カイゼル髭の男が神経質そうに跳ね上がった髭の先を指でなでている。帝国技研を視察に来たアキロキャバス卿だ。
「父さん。どうしました?」
「クラウよ。先ほどから説明してる娘、非常にメイベルくんに似ているのですが……」
尋ねてきたクラウに、アキロキャバス卿が逆に問い返した。
クラウと一緒に、警備を手伝うナバルも議員たちの後ろで説明を聞いている。
ナバルの腰には少し古ぼけた剣が下がっていた。折られたサーベルの代わりだ。鞘の腰で隠れる場所に『近衛騎兵隊 備品16』と書かれているのはご愛嬌である。
そのナバルの見ている前で、
「ひょっとして彼女は双児ですか?」
「ここの教会に姉妹がいるとは聞いてませんねぇ」
アキロキャバス卿の疑問を、クラウがあっさり否定した。
「すると、他人の空似……」
「メイベルちゃん本人ですよ。いつもの修道服を着てるではありませんか」
「本人……!? 本人……」
言葉を反芻しながら、アキロキャバス卿が納得できる理由を探している。
「なるほど。宮廷料理人だから議員に顔が利くということで、案内役を頼まれて……」
「ここで研究を手伝ってるそうです」
やっと見つけた納得できそうな理由も、あっさり否定されてしまった。それでしばらくの間、アキロキャバス卿の思考が停止状態になる。
「手伝いというのは、食堂の……?」
「研究ですよ、父さん。専門は博物学とか言ってましたけど、水力技術に関しても、かなり造詣が深いようです。今日の昼食の時にも、たっぷり技術話を聞かされましたよ」
「えっ!? メイベルくんは宮廷料理人ではないのですか? あれほどの料理を作れる料理人は、そうそういるものではありませんよ」
クラウの言葉に、アキロキャバス卿が目を見開いて驚いている。
「料理人をしてるのは、礼拝をサボる口実らしいですよ。料理が上手くなれば、あちこちからお声がかかってサボる口実が増えると言ってました。メイベルちゃんにとって料理とは、その程度のものなのですかねぇ」
「礼拝をサボる口実!? 見習い修道女が……ですか? ……ふむ、それは大物ですね」
視線をメイベルに向けて、アキロキャバス卿が軽く笑った。話題のメイベルは、
「電気はこの金属の線を通って力を伝えます。この場合……」
と、水車から出る2本の茶色いコードを持って説明している。
「メイベルちゃんが大物……ですか?」
「料理人なら誰もが一度は夢見る宮廷料理人を、ぬけぬけと礼拝をサボる口実にするなど、なかなかの大物ぶりではありませんか」
アキロキャバス卿が熱い視線をメイベルに向けている。その視線の先ではメイベルが、
「こちらの金属の線で、先ほど灯りを見ていただきました部屋へ力を伝えております」
と議員たちに説明していた。
その説明を聞きながら、女性議員が物珍しそうにコードを手に取っている。
「ちなみに電気は冬場、金物に触れた時にビリビリとくる現象の1種です。このコードにはビリビリと来ないようにゴムを塗ってますけど、一部むき出しになった金属の部分には触らないよう気をつけてください。冬のビリビリは一瞬ですが、こちらは手が離れるまでビリビリが続きますので……」
「ひっ!!」
メイベルの話を聞いた女性議員が、慌ててコードを放り捨てた。その時の女性議員の声に、他の議員たちが失笑を漏らしている。それで恥をかかされた女性議員がメイベルを睨みつけて「そういうことは先に言いなさい」と目で訴えていた。
「きみ。触れるとビリビリすると言っておるようだが、危険ではないのか?」
議員たちの中から、そんな疑問がかけられてきた。
「どれほどの危険があるのか。それはまだ研究が進んでませんのでわかりません」
「危険かわからないだって!?」
「そんな得体の知れないものを、ガスの代わりにしろと言うのかね?」
メイベルの答えに、議員たちから怒りとも拒絶反応とも思える声が上がってきた。その雰囲気にアキロキャバス卿が、
「ガス会社の族議員どもが、さっそく仕掛けてきましたか」
と顔をしかめた。少し離れた場所では老学者アウルも、
「はてさて、メイベルはこの場面をどうやって切り抜けますかな?」
と零して、この状況を不快に思いつつ助け船を出す頃合いを見計らっている。
「事故が起こってからでは遅いのだ。きみが責任を取れるのかね?」
「お言葉ですが、この世の中に絶対に安全なものはありません」
ここぞとばかりに噛みついてくる議員に、メイベルが物怖じせずに答えた。
「ガスは爆発します。ですからテロの標的となったのでしょう。そのような危険があっても使うのは便利だからです。馬車も馬が暴れれば大変に危険な乗り物です。サクラスでは毎日のように事故が起きてます。それでも馬車が使われるのは、やはり便利だからです。それともガスも馬車も、危険があるから使ってはならないのでしょうか?」
「ゔ……、それは……。き、詭弁ではないか……」
メイベルがしれっと返した言葉に、噛みついてきた議員たちがたじろいだ。
「何か危険のあるものでも、正しく使えば安全です。少なくとも電気はガスのように爆発する心配がありませんので、ガス灯に代わり得る候補として紹介してるのです。もし実績をお求めでしたら、教会の大聖堂に足をお運びください。すでにロウソクに代わる灯りとして使われてますから」
落ち着いた口調で話すメイベルに、族議員たちは完全に沈黙していた。その一部始終を見ていたアキロキャバス卿が、
「はっはっはっ。これはお見事な切り返しでしたな」
と、笑いながら拍手を送る。
「メイベルくん。議員の非礼は、わたしが代わって詫びましょう。政策を預かる者として技術の安全性を気にするあまり、ちと暴走したようです。まことに申し訳ありません」
「いえ、何も詫びていただかなくても……」
軽く頭を下げるアキロキャバス卿に、メイベルが恐縮することになった。
その様子を黙って見守っていたアウルが、
「アキロキャバス公王の助けがありましたが、無事に切り抜けましたか。メイベルは普段の愚痴は多いのに、ここ一番となると肚が据わりますな」
と安堵する。そのメイベルは、
「それで、先ほどご注意した件ですが……」
と説明を再開していた。
「研究のために金属がむき出しになった部分がありますので、その部分は触らないでくださいというお願いでした。これが街灯として街中に置かれる時には、金属の部分をすべてゴムや陶器などで覆ってしまうので、金属に触れてビリビリが来る危険はなくなります」
「なるほど。つまりこのゴムの部分なら、触れても安全というわけですかな?」
アキロキャバス卿がコードを指差して尋ねてきた。
それにメイベルが「はい」と答えて、ゆっくりと頷く。
「ふむ。ビリッとは来ませんな」
アキロキャバス卿がゴムの部分を持ってコードを持ち上げた。続いて他の議員たちも、
「触っても大丈夫なのか!? では我が輩も……」
「3人目がビリッと来るなんて、ないじゃろうな」
恐る恐る手を出して、コードを物珍しそうに触れ始めた。先ほどコードを放り捨てた女性議員も、へっぴり腰ではあるがもう1度コードに触れてみようとしている。電気に対する過剰な恐怖心は解消されつつあるようだ。
その一部始終を、議員たちの後ろでクラウとナバルが見ていた。
「あいつ、説明慣れしてるな」
「場慣れしてるのは当然ですよ。メイベルちゃんは宮廷料理人ですからね。晩餐のたびに貴族たちの前で料理の説明をしていますから」
感心するナバルとは対照的に、クラウは涼しい顔で微笑んでいる。
それと同じ頃、アキロキャバス卿は、
「これはアウル博士、ひょっとしてあなたがメイベルくんの先生ですかな?」
アウルがいたことに気づき、さっそく声をかけていた。
「お久しぶりです。アキロキャバス公王」
「妻が病気になった折りには、博士には薬師として大変にお世話になりました。あれ以来ですから、もう12〜3年ぶりになりますかな?」
アキロキャバス卿が老学者の手を取り、固く握手を交わす。そのアキロキャバス卿に、
「ところで、いかがですかな。メイベルの説明ぶりは?」
と、アウルが気になることを尋ねた。
「なかなか説明が堂に入ってますな。正直、有望な宮廷料理人と思っていただけに、彼女が最先端の研究技術を流暢に説明したことにまだ違和感がありますよ」
「はっはっはっ。それはさもありなんですな。わしのお気に入りの教え子ですよ」
そんな言葉を交わして、2人がようやく握手していた手を離した。
「アウル博士の教え子ですか? アウル博士のご専門は、たしか薬草を中心とした博物学でしたな。とすると彼女も……」
「メイベルの専門は博物学の中でも薬草や食用の植物です。料理人をしとるから、食べられる野草に興味があるのかのう。それと食中毒と関係があるからなのか、細菌学や病理学にも興味があるようです」
ふさふさの白い髭をなでながら、アウルが相好を崩している。その話を、
「ほほう。やはり料理人としての研究でしたか……」
アキロキャバス卿が、自分に理解しやすいように解釈しようとしていた。
「今日の説明ですが。さぞかし時間をかけて下準備されたのでしょうねぇ」
「メイベルに下準備などいらぬよ」
アキロキャバス卿の言葉に、アウルが待ってましたとばかりに言い返した。
「第一、昨日いきなり視察すると言われて、どれほどの準備ができますかな?」
「はあ……。それは急に決まったことなので……申し訳ありません」
アウルの言葉に、アキロキャバス卿が心なしか小さくなっている。
「まあ、メイベルの専門は博物学ですが、興味を持ったら何にでも顔を突っ込みたいらしくてのう。今日の照明に関する技術の他にも、水力技術、電気、製鉄、錬金化学、材料学など、あの歳でありながらも並みの学者では太刀打ちできぬほどの博識です。なので今回のような急な視察で、それもガス灯に代わる技術を求めるようなものであれば、メイベルが一番の適任じゃと思うとるよ。他の学者たちは自分の研究しか知らず、それを売り込もうとするでしょうからな」
「うむ。そういうものですかな……?」
さすがに言葉だけでは信じられないのか、アキロキャバス卿が複雑な表情を浮かべている。そこに少し表情を固くしたアウルが、
「それともう1つ、わたしからどうしても帝国議会に言いたいことがあります」
と切り出してきた。アウルにとって、ここからが言いたいことの核心だ。
「今、帝国に迫っているデスペランの脅威に関することです。最初に脅威に気づき、警鐘を鳴らしたのはわたしです。だが、各地から寄せられた報告書を丹念に調べ、デスペランと思われる病気の発生源が竜の山脈であることを突き止めたのはメイベルです。そのおかげで調査隊を竜の山脈へ向かわせることができたのです。しかし、その調査隊の出陣式にメイベルは出席できませんでした。政治家どもが調査隊派遣を決めることとなった報告書の作成者が見習い修道女、それも16歳の小娘では体裁が悪いと抜かしたからです」
「じゃあ、本当の功労者はメイベルくん……ですか? それではアウル博士が式典にご出席されなかったのは……?」
「ささやかな抗議の気持ちです」
「なるほど。そういうことでしたか……。体裁がどうのとは馬鹿馬鹿しい……」
アウルの話を聞いたアキロキャバス卿が、そう零して黙り込んだ。
「博士のお話はよくわかりました。でしたら近々第2次調査隊が編成されますので、メイベルくんがそちらの出陣式には出席できるように取り計らいましょう」
「えっ!? 今、第2次と申されましたか?」
「はい。実は今朝、調査隊がドラゴンと一戦を交えて潰滅したという報せが入ったもので、急遽次の調査隊を出すこととなりました。今日中にも隊員の抽籤が始まると思います」
「それは、なんとしたことか……」
言葉に詰まったアウルが視線をメイベルに向けた。そこではメイベルが議員たちを前に、
「そうです。この線を建物の中に張り巡らせれば、水車から歯車やシャフトで力を伝える必要がなくなりますので、部屋を広く使えると思います」
「まあ、それは素晴らしいわ」
などと電力技術がもたらす便利さの話を続けていた。
「それでは、みなさま。いつまでも夏の炎天下にいるのはお身体に障りますので、これで中に戻りましょう。次は灯りについて説明します」
アウルの視線に気づいたメイベルが、そう言って議員たちを建物の中へと誘導する。どうやらアウルとアキロキャバス卿が話し込んでいたので、それが終わるまで時間を繋いでいたようだ。
「ああ〜、涼しい……」
「さすがに今の季節は、暑くて年寄りには堪えますな」
建物の中は空調が利いていた。水車でいくつもの風車をまわし、水を蒸発させることで冷やした空気を循環させているのだ。そんな建物に入った議員たちの口から、次々にそんな言葉が漏れてくる。
暑さから解放された議員たちを、メイベルが大きな実験室へ招き入れる。そこは部屋の半分が暗幕に覆われた薄暗い実験室だった。暗幕で覆われた暗い側にあるテーブルには、いくつものガラス玉や管が置かれている。
そのうちの1つが、煌々とオレンジ色の光を放っていた。そのガラス玉に近寄り、
「それでは、続きまして灯りについてご説明いたします」
と、メイベルが屋内での説明を始める。
「ただいま光っておりますのが、教会の大聖堂にあるものと同じアーク灯でございます。ロウソクよりもはるかに明るい光ですが、大聖堂ではロウソクの色合いに近いということで採用したと聞いております」
と説明しながら、メイベルが灯りを次々とつけていく。
「うわぁ〜。綺麗ですわ」
澄んだ黄色、深いオレンジ色、赤みのある紫色、青みがかった白色……。色とりどりに輝くガラス管を見て、女性議員が感嘆の声を上げた。
「たくさんの色があるのだな」
「はい。ガラス管の中には、それぞれ異なった種類の気体が詰められています。ただいま研究所では、どの気体が何色の光を出すか、そして気体を混ぜることで、どこまで太陽の光に近づけるか。そういう研究をしてます」
灯りに注目する議員たちに、メイベルが軽く光について説明する。
「なかなか明るいな。これに比べるとガスやロウソクは暗すぎるではないか」
「あ、これは色を見比べていただくために、かなり暗くしてあります。あまり強く光らせると眩しくて色を見るどころではありませんので」
「何!? もっと明るくなるのか? すると夜の街も明るくなるのだな」
話を聞いていた議員たちが、灯りを凝視して瞳をキラキラ輝かせている。
「ところできみ。先ほどの水車1機で、いくつの灯りがつくのかね?」
1人の議員が手を挙げて、技術の話よりも具体的な数字を求めてきた。
「そのご質問の答えは、流れの勢いと街灯の明るさによって答えが変わってきます。仮に水を80cmの高さから落として、この明るさの灯りをつけたとすると、軽く40個はつけられます」
『おおぅ!』
メイベルの答えに、議員たちから感嘆の声が漏れた。
「きみ。大聖堂の灯りはかなり明るいではないか。あの明るさにするには、いくつの水車が必要になるのかね?」
先ほどとは別の議員が、更に具体的な答えを求めてくる。
「大聖堂では、1つの水車で2つの灯りをつけています」
「では、大聖堂の灯りは、この20個分の明るさかしら?」
間髪を容れず、今度は女性議員が灯りを指差して尋ねてきた。その質問にメイベルが、
「いえ、たしか1,200個に相当する明るさだったと記憶してますが……」
あごに小指を当てて、答えを正確に思い出そうと小首を傾げる。だが、
「すみません。灯り1つで1,200個分だったのか、2つで1,200個分だったのか忘れてしまいました」
と言って、軽く舌を出した。
そんなメイベルの仕種を見た女性議員が、優しく微笑んでいる。
「さて、電気の説明はここまでにして、次は新しいオイルランプの研究をご紹介します」
そう言ったメイベルが電気の灯りを次々に消して、議員たちを部屋の隅に置かれていたオイルランプの周りに案内した。そしてランプのつまみをまわし、魔法で火をつける。
「ガス灯やアルコールランプと比べると、オイルランプは扱いにくいもの。たぶん、多くの方がそのように感じてると思います。事実、油は流れにくくべとつき、しかも手入れが大変です。しかし、ガス灯やアルコールランプより明るく、そしてロウソクよりも安価であるために、多くの市民がお皿に芯を浸して灯りにしています」
最初くすぶって煤を出した灯りが、徐々に輝きを増していく。そのランプを示して、
「そこでこちらのオイルランプは油の中に小さな泡を発生させることにより、油の欠点である流れにくさを解消しました。しかも泡の効果で炎の温度が高くなり、ランプが従来の何倍にも明るく輝いてます」
と説明を始める。
「これは眩しいな……」
「それよりも、何か香ばしい匂いがしてこないか?」
「何かしら? 美味しそうな香りだわ」
ランプの周りに集まった議員たちの口から、そんな言葉が漏れてくる。それに悪戯っぽい笑みを浮かべたメイベルが、
「あ、お気づきになられましたか? ただいまランプで燃やしている油は、実は昨日の宮廷のお茶会で出しました、ドーナツを揚げた時の廃油なんです」
と、匂いの種を明かした。
「小さな泡の効能は流れやすく、かつ明るくするだけではありません。更に不純物を取り除くことにも一役買ってます。ですので料理に使った廃油をそのまま灯りとして利用できますので、費用を安く抑えられます。しかも高温で燃えるために油をほとんど燃やし尽くします。長い間オイルランプを使っていると部屋が油汚れでベタベタしてきますが、このランプであれば不快な油汚れをかなり抑えられると期待できます」
「ほう。使う油は廃油で十分なのか。それは安上がりで有り難いな」
電気よりも馴染みが深いだけに、この新しいランプに興味を持つ議員が多いようだ。
「それにしても、この香り……」
「昼食を摂ったばかりというのに、無性にドーナツが食べたくなってきましたな」
「それも然り。こんな灯りが街中に立てられたら、毎晩食欲を刺激されて肥りそうだ」
「あはは。タリム議員の仰る通り、これでは毎日夜食を食べそうだわい」
その一言が議員たちのツボにはまったのか、いきなりドッと笑いが起こった。
「やっと終わったぁ〜……」
議員たちのいなくなった実験室で、ようやくイスに座れたメイベルが、そのままテーブルに突っ伏していた。今、部屋にいるのはメイベルの他に、アウルとクラウ、それとナバルの4人だけだ。
視察に来た議員たちは今、別室で用意されたお茶会をしながら検討会をしている。
その視察であるが、終わってみれば1時間半にもなった。最初こそ事務的な視察だったのだが、メイベルの説明が面白くて引き込まれたのか、議員たちが細かなところまで質問を浴びせてきたからだ。
「お疲れさん。なかなか良い説明でしたな」
「はひ。無事にお役目をはたせて、ホッとしてまふ」
すっかり緊張の抜けきったメイベルが、今にもとろけそうな声でアウルに答える。
「いやぁ〜、メイベルちゃんの説明ぶりに、父が感心してましたよ」
「そう? それは良かったわ。あぁ〜、喉が痛い……。ちょっと水飲んでくるわ」
クラウにそう答えて、メイベルが水飲み場へ行こうとする。そこに、
「お茶を持ってきましたけど、飲みますかぁ?」
と言って、パセラがティーセットを持ってきた。
「あ、良いトコに来たわ。さっそく1杯ちょうだい。喉が痛いの」
「あらまあ。メイベル、ずっとしゃべりっ放しでしたから」
トレイを手近なテーブルに置いて、パセラがその場でお茶を注ぎ始めた。そのパセラが、
「ところでメイベルぅ。この近くでドーナツを作ってるお店を知りませんか?」
などと尋ねてくる。
「ドーナツ? それをどうするの?」
「実は議員さんの中に、どうしてもドーナツを食べたいと仰る方が何人かいらっしゃいますので、買い出しに出かけようかと……」
「ドーナツって……。あぁ〜……」
受け取った紅茶で軽く喉を潤したメイベルが、議員たちが何故ドーナツが食べたいと言い出したのか思い至った。そのメイベルが、横目でチラッとオイルランプを見る。
「それなら大通りまで出たところにパン屋さんがあるけど……」
と言いかけたところで、メイベルが席を立った。
「わたしも案内ついでに一緒に行くわ。大通りにあるパン屋さんよりも、もっと美味しいドーナツを揚げるお店を知ってるのよ」
「ええ〜!? メイベルは疲れてるでしょう。休んでてくださぁい」
メイベルの提案に、パセラが困った表情を浮かべる。
「遠慮はいらないわ。どうせ1人で行っても、たくさんで抱えきれないでしょう。それに相手は貴族議員よ。あまり固い食べ物に慣れてないから、ソフトタイプのドーナツの方が好まれるわ。となると崩れないように箱に詰めてもらうから、帰りはかさばるわよ」
「ああ、そこまで考えてませんでしたぁ。いろいろあるのですねぇ」
パセラが気の抜けたような声を出して、考える素振りをみせた。
「それでは、メイベルも一緒に行きましょう」
「帰りは大荷物になるのなら、俺も荷物持ちで行こうか?」
出かけようとした2人に、ナバルが声をかけてくる。それにメイベルが、
「荷物持ち? 来てもらえるなら有り難いわ。できれば貴族議員たちに失礼のないように、1人2つずつ配りたいものね。1つだと貧乏臭いと感じる人たちだから」
と、有り難く手伝いをお願いした。
「それでしたら、メイベルちゃん。僕もご一緒に……」
「おまえ、近衛騎兵隊長だろ?」
「ゑっ!?」
自分も荷物持ちにと申し出たクラウだったが、ナバルの言葉に動きが止まった。
「警備を任されてる隊の隊長が、現場を離れてもいいのか?」
「そうでしたぁ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
クラウが頭を抱えて悲しそうに吠えた。その恰好のままクラウの時間が止まる。
「さあ、今のうちに行くぞ」
クラウに白い目を向けて、ナバルが出かけるようにうながした。そんな若者たちの様子を、アウルが微笑ましそうに見ている。そこに、
「アウル先生。こちらにいらっしゃいましたか」
と言って、抱えるほどの木箱を持った女性神官が部屋に入ってきた。彼女の持つ木箱には、『デスペラン第2次調査隊選抜』と書かれた紙が貼られている。
その彼女に出口を塞がれる形になったメイベルたちが、何事だろうかと足を止めた。
「もう2次隊を選抜するくじびきが、始まっておるのですかな」
「おや、もうお聞きになられてましたか。それは説明の手間が省けて助かります」
心持ち微笑んだ女性神官が、そう言いながらアウルに歩み寄っていく。その話を耳に挟んだメイベルが、
「2次隊って、今度は何を調査するんです?」
と女性神官に問いかけた。
「デスペランの調査に向かった調査隊が潰滅したらしいの。それで、急遽2次隊を編成することになったのよ」
「潰滅って、いったい何が?」
「そこまでは知らないわ。でも、こうやって調査に出向く学者の選抜を行ってるのよ。メイベルとパセラも、教会に戻ったらくじびきが待ってると思うわ。調査隊の身のまわりの世話のために、今回も修道会から何人か同行することになってるから」
女性神官が説明している間に、アウルはくじを引いていた。そのくじを広げて、
「ご協力ありがとうございました。博士はこのままお仕事をお続けください」
アウルが選外に漏れたことを帳簿に書き留める。
その一部始終を、メイベルが不安そうな表情で見ていた。
「メイベルさん。買い出しに行かなくていいのか?」
「今はそっちの方が大事だったわね」
ナバルに声をかけられたメイベルが、そう答えて深い溜め息を吐いた。
「メイベルぅ。いったい何があったのでしょうか?」
「さあ、わからないわ。何か事故があったのかしら?」
廊下を歩きながら、パセラとメイベルが複雑な表情で言葉を交わす。その2人とナバルは、当たりくじを持って考え込んでいる若い学者の横を通りすぎていった。




