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くじびき勇者さま  作者: 清水文化
1番札 誰が小娘よ!?
2/20

第1巻:第2章 宗教対立なんて大キライ

 (てい)()サクラスにある(ちゅう)(おう)(いち)()。そこは数多くの()(てん)が集まる広場である。

 そこを(のぞ)むレンガ造りの5階建ての建物。その(おく)(じょう)に6人の男たちが集まっていた。

 今の時間は広場で(さわ)ぎが起こる、少し前である。

()(きょう)()どもがうじゃうじゃいやがる」

 (おく)(じょう)から広場を見下ろしながら、ヒゲ(づら)で目つきの(するど)い男が()()てた。

 男がいるのは広場の南側にある建物。今は夏の昼すぎであるため、建物は広場に申し訳程度の(かげ)しか落としていない。

「バカヤロウ。(たま)(けず)るんじゃねえ。そのまま(つつ)()めるんだよ」

「ですが副隊長。この弾、ちょっと大きかったもので……」

「だからって削るヤツがあるか。削りすぎたら(すき)()ができて、()(りょく)が落ちちまうじゃねえか。つーより、ここから下に向けて撃つんだぞ。撃つ前に(すべ)り落ちたらどうする気だ?」

 男の後ろで若者が怒鳴(どな)られていた。

 その怒鳴り声を聞いた男が、ゆっくりと顔を後ろに向ける。そこでは若者が、(じゅう)に詰める弾をヤスリで削ろうとしていた。

 若者の持つ銃は筒の先から弾と火薬を込め、最後に棒で突き固めてから撃つ(さき)()め式だ。弾と火薬は短いスティック状の紙袋に1回分ずつ小分けされている。撃つ前にこの紙袋を(やぶ)って先に火薬を入れたあとに、弾でフタをするように突き固めるのだ。

 だが、若者の破った紙袋から出てきた弾は、ちょっと大きな不良品だった。こういう場合、別の弾を詰め直せば良いのだが、若者は弾を削って筒に合わせようと思ったようだ。少しばかり貧乏(びんぼう)(しょう)であったらしい。

「副長。聖戦(せいせん)の前に兵を怒鳴るものじゃねえぞ」

 しゅんと(しょ)()ている若者を見て、ヒゲ面の男が副長に向かって意見した。

「隊長。そうはおっしゃられても……」

()(じゅく)でも聖戦に()(がん)した()勇兵(ゆうへい)だ。その(こころ)意気(いき)を買って、少しは(てい)(ちょう)(あつか)ってやれ」

 隊長と呼ばれたヒゲ面の男が、副長に軽い()(どう)を与える。

 その男がまた視線を広場に戻した。

「それにしても、建物、道、広場、この街はどこもかしこも()きレンガだらけだな。これだけの街を作るために、ドラゴンさまの住まわれる山や森から、いったいどれだけの(ねん)()木材(もくざい)(うば)ってきたんだろうな?」

「まったく、(なげ)かわしいです」

 街を見渡す隊長の(となり)に、副長がそう言いながらやってきた。

「わたしの生まれ育った村は、裏山(うらやま)山崩(やまくず)れで(つぶ)れました。レンガを作るために裏山を削って粘土を()り、焼くために木がすべて()り倒されました。それをドラゴンさまがお(いか)りになって、山を(くず)されたのだと聞いてます」

「おまえの()(きょう)もドラゴンさまのお怒りに()ったのか。(おれ)田舎(いなか)も森の木がなくなった()(たん)にドラゴンさまのご加護(かご)がなくなって、(はたけ)()れて住めなくなっちまったよ」

 そう言うと、ヒゲ面の隊長が手摺(てす)りに(ひじ)を突いて嘆息(たんそく)した。

「大火事対策だか何だか知らねえが、レンガを作るためにいくつの山が削られ、森が消されたんだろうな? いや、レンガだけじゃねえ。あそこを走ってる鉄の(かたまり)が水力列車っつうヤツか。あいつを1つ作るために、いったい何百本の木が()られたんだ? 家1軒分のレンガを焼き固めるために、いったい何千本の木が必要なんだ?」

 ヒゲ面の隊長が(いか)りながら、雑踏(ざっとう)(にら)みつけた。その時、

「隊長。準備完了の(あい)()です」

 副長が広場に向かって右側に見える建物の上で、何かがキラキラと輝いているのに気づいた。日光を(かがみ)反射(はんしゃ)させているのだ。そこで鏡を持つ者の隣で、もう1人の男が右手を一定のリズムで上げ下げしている。

()(しゅう)は第1部隊が(おこな)う……か」

 手の動きは(しゅう)(げき)()(じゅん)を伝えるものだった。それを見たヒゲ面の隊長の視線が、合図してる建物にいる別の人物に向かった。

「一番攻撃は、あの()(どう)()(まか)せるようですね」

 副長も同じ人物に目を向けていた。

「あの魔導師に、騒ぎを起こせるほどの強い魔法が使えたのか?」

「何か考えがあるのでしょう。あ、(いの)りを(ささ)げ始めました。そろそろですね」

 合図が終わり、その建物にいた者たちが輪になってお祈りを始めた。それを見て、

「襲撃開始だ。我々(われわれ)も成功をドラゴンさまに祈るぞ」

 ヒゲ面の隊長も部下たちを呼び集める。

「ドラゴンさまは住まう土地を()らされ、お(いか)りである。かつての惨劇(さんげき)、あのドラゴン病を、再び我ら人類に向けてばらまかんとしている。我らドラゴン教徒であっても、ドラゴンさまにとっては土地を荒らした異教徒どもと同じ人類にすぎぬ。ドラゴンさまのお怒りは、残念ながら我らドラゴン教徒にも向けられている」

 指1本1本を(こう)()に組むように両手を(にぎ)って、ヒゲ面の隊長が静かに語り始めた。その周りに集まった男たちも、同じように両手を組んで目を閉じ(うつむ)いている。

「我ら人類の(おか)した不始(ふし)(まつ)は、我ら人類の手でけじめをつけなくてはならない。これよりドラゴンさまの住まう土地を荒らした異教徒たちに、ドラゴンさまに代わって我らの手で鉄槌(てっつい)(くだ)す」

 隊長の語気(ごき)が、徐々(じょじょ)に強くなってきた。

 先ほど(たま)()めで怒鳴(どな)られた若者は、目を強く閉じ、組んだ手に力が入って(ふる)えている。

「この聖戦にドラゴンさまのお(みちび)きがあらんことを。神竜と共に(ナムナーガ)!」

神竜と共に(ナムナーガ)!!』

 隊長が最後に放った言葉を、他の者たちも()り返した。と同時に輪が()かれて臨戦(りんせん)態勢(たいせい)に入った。

「副長。()炎瓶(えんびん)は何個ある?」

「8個です。攻撃用の(あぶら)のみと、放火用の()(とう)入りがありますが……」

「じゃあ、砂糖入りを2つよこせ」

 ヒゲ面の隊長が、そう言って副長から火炎瓶を受け取った。それは一輪(いちりん)()しの丸い(とう)()の口に、白い布が詰められているものだ。

「隊長。()(だね)は?」

「いらん。火をつけるぐらいの魔法は使える」

 続いて副長が渡そうとしたランプを、隊長がそう言って(ことわ)る。

「隊長。魔導師が(えい)(しょう)を始めました」

 今度は銃を構える若者が、隊長に状況を()げてきた。

 魔導師が建物の屋上から広場に向かって呪文(じゅもん)(とな)え始めていた。両手を大きく広げ、右手に持った(つえ)の先が(あわ)(かがや)いている。

 その詠唱が続くと共に、若者たちの(きん)(ちょう)も徐々に高まってきた。

 1人1人の息が(あら)くなってくる。それに(ともな)って銃を構える若者の耳に、広場からの雑踏(ざっとう)の音が(とど)かなくなってきていた。

 魔導師の詠唱は長い。その魔導師と同じ建物にいる者たちは、屋上から身を乗り出して広場を注目している。

「詠唱を止めた!? 失敗したのか?」

 不意(ふい)に魔導師が詠唱をやめた。だが、まだ何も起きていない。

「隊長。こちらから仕掛けますか?」

 緊張が(きょく)(げん)まで(たっ)していた若者が、そんなことを言い出してきた。その言葉に、ヒゲ面の隊長の(のう)()に、やってしまおうかという考えがよぎる。

 だが、魔導師に魔法を失敗したような素振(そぶ)りはない。同じ建物にいる者たちと同じように広場に目を落とし、何かを待っているようにも見える。

「今は待て。しばらく魔導師の手並みを拝見(はいけん)しようじゃないか」

 若者の緊張を()くように、ヒゲ面の隊長が彼の(かた)をポンと(たた)いた。そして、

「さて、どうする、魔導師?」

 そのまま息を殺して、魔導師の動向に注目する。

 時間が淡々と流れていく。魔導師は同じ建物にいる者と、一言(ひとこと)二言(ふたこと)、言葉を交わしているようだ。

 その魔導師が杖を構え、再び詠唱を始めた。直後、

「始まった!!」

 (せい)(じゃく)(つつ)まれた広場から、突然、真っ黒な煙が生まれた。それが丸く広がり、()み込んだ人たちを外に向かって吹き飛ばしていく。

 その光景から少し遅れて、お(なか)(ひび)轟音(ごうおん)が聞こえてきた。

 広場では人々が何が起こったのか理解できていないのか、誰もが()(まど)っているようだ。それによって生まれた(せい)(じゃく)()(みょう)なほど長く感じられる。

「きゃ、きゃあぁ〜〜〜〜〜〜〜〜……!!」

 誰かの()(めい)が、その静寂を打ち(やぶ)った。それが呼び水となって、たちまち大きな騒ぎが広場中に(でん)()していく。

「あの魔導師、あんなに大きな爆発を起こせる使い手だったのか……」

 (しゅう)(げき)が始まったことで、銃を構える若者の緊張が少し(やわ)らいだようだ。そこに、

「よし、始まったぞ。だが、今はまだ手は出すんじゃねえぞ」

 と、ヒゲ面の隊長からの指示が出される。

「隊長。あの魔導師は、いったいどんな手で大爆発を……?」

 副長が冷静な目で黒煙の上がるあたりを見ていた。その副長の問いかけに、

「地下にあるガス(かん)(こわ)して、ガス爆発(ばくはつ)を起こしたのだろうな」

 と、ヒゲ面の隊長も冷静(れいせい)な目で分析(ぶんせき)してみせる。

「ガス管ですか? ……って、ガスって何ですか。それ!?」

「燃える空気とでも言えばいいのかな。広場に何本も街灯(がいとう)があるだろう。あいつに燃える空気を送り込んでる(くだ)が、広場中に埋められているんだ」

「燃える空気……ですか? 帝都には不思議な物があるんですね」

 副長が初めて聞くガスという存在に、意外そうな表情を浮かべた。そんな副長の気持ちにはお構いなしに、

「ガス管を壊してガス()れを起こし、ガスが十分に()たされた(ころ)()いを()(はか)らって火の魔法を放った……というところか。なるほど、それならば強い魔力がなくても、いくらでも大きな爆発を起こせるということか。見事な作戦じゃないか」

 ヒゲ面の隊長は魔導師の仕掛けに感心していた。

「隊長。攻撃(こうげき)(あい)()を!」

 気持ちの(はや)る若者が、また開始の合図を求めてくる。それに隊長が、

「まあ待て。まだ俺たちが手を出す状況が(ととの)ってない」

 と言って、落ち着いた感じで開始に待ったをかけた。

「第3部隊、参戦したようです」

 広場の奥で火の手が上がった。それを見た副長が、銃を構えて立ち上がる。

 (ほのお)が人々を()いていた。そこで上がる阿鼻(あび)(きょう)(かん)()(めい)が、反響音と共に聞こえてくる。

 炎を起こした第3部隊がいるのは、広場を(はさ)んだ反対側の建物の上だ。そこから広場に向かって、何かが(ほう)り投げられた。

「ヘタクソが……」

 結果を見た隊長が零した。

 投げられたのは()炎瓶(えんびん)だ。それが露店の布製(ぬのせい)の屋根に落ちて大きく(はず)んだのだ。それで(いきお)いを殺された火炎瓶が、別の露店の屋根に落ちて転がっている。割れなかったため、何も被害を起こしていない。

 とは言え、2か所で爆発と発火があったため、広場は大変な騒ぎになっていた。(ぐん)(しゅう)(しん)()としては騒ぎの中心地からできるだけ離れたい。そのため他人を押し退()けても自分が助かろうとする人たちで、広場は大混乱になっているのだ。

「まだ撃つな。もっと引きつけるんだ」

 ヒゲ面の隊長は、じっくりと(ぐん)(しゅう)の動きを見ていた。

 男たちのいる建物は、広場から出る大きな通りに面している。それも坂を(ゆる)やかに下っていく大通りだ。そこに逃げ出そうとする人々が殺到(さっとう)してきた頃合いを見計らって、

「撃てぇ〜〜〜〜〜〜〜〜っ‼」

 ついに攻撃(こうげき)命令(めいれい)を出した。

 押し寄せる群衆に向かって複数(ふくすう)(じゅう)(こう)が火を()いた。

 先頭付近を走っていた者が撃たれて、その場に(たお)れた。その後ろを走ってきた者たちが、倒れる者に足を取られて転倒(てんとう)する。更にその後ろを走ってる者たちも次々と巻き込まれた。しかも下り坂であるために、止まりきれなかった者たちが倒れた者に(おお)(かぶ)さり、()(たた)まれるように倒れていったのだ。

 それで倒れた人たちが道を(ふさ)ぐ形になった。前を塞がれ、パニックになった人たちが引き返そうとする。だが、後ろからは目を血走らせた人たちが殺到してきているのだ。やはり下り坂であるために止まれない。たちまち両者がぶつかってグチャグチャになった。逃げ場が詰まり、大勢の人たちが逃げるに逃げられない状況に(おちい)っている。

「これでも喰らいやがれっ!」

 それで動きの止まった群衆を飛び越すように、副長が砂糖なしの火炎瓶を投げた。それが向かい側にある建物の壁に当たって(くだ)け散る。それで飛び散った油に火がつき、地上に火の雨が(そそ)がれていく。

 この炎が人々の恐怖心を更に(あお)った。地上の悲鳴がひときわ大きくなったのだ。

 他人を(なぐ)(たお)してでも生き()びようとする人が出てきた。その者に対して周りから()(ごう)()びせられる。いったい誰が悪者で誰が被害者なのか。広場から出る道は、そんな渾沌(こんとん)とした状況に陥っていた。

「そーれ、飛んでけっ!」

 ヒゲ面の隊長も、反動をつけて火炎瓶を放り投げた。(ねら)いは広場の中央だ。

 騒ぎから遠く離れた広場の中央ならば安心などと思わせないため、できる限り遠くまで飛ばそうとしている。

『きゃあああぁ〜〜〜〜〜……』

 隊長の狙い通り、火炎瓶は広場中央付近にいた人込みに落ちて砕け散った。隊長が投げたのは放火用に砂糖を入れた火炎瓶だ。砂糖でベタベタになった油は、物にまとわりついて燃え続ける。そんな油が衣服についた人たちが、何人も火ダルマにされていた。

「よし。残りの火炎瓶を投げ終わったら(てっ)(しゅう)だ。(なが)()は無用だぞ」

 2つめの火炎瓶を投げた隊長が、部下たちに引き()げを告げる。

 テロリズムは戦いを目的としない。騒ぎを起こして相手を混乱させ、恐怖を与えることが目的なのだ。そのため()牲者(せいしゃ)を出すよりも騒ぎに巻き込まれる人数を増やすことが最優先される。(にく)しみの余り混乱した(みん)(しゅう)にトドメを刺す者もいるが、それよりもまだ被害に()ってない者を見つけたら、無差別に(おそ)う方が目的に()っている。

 しかし、テロリズムの目的はそこで終わらない。民衆に与える恐怖を一時的なものにしないため、テロを起こした者は逃げ延びなければならないのだ。1人でも逃げ延びれば、それが次の襲撃を予感させる恐怖を演出する。しかも逃げ延びた人数が多いほど、民衆の感じる恐怖は大きくなるのだ。

「隊長。すべて投げました」

「うむ。では、撤収だ。全員、バラバラに……」

 報告(ほうこく)を受けた隊長が、そう言って銃に弾を込めている若者の背中を押そうとする。ところが最後まで言い終わらないうちに、

「隊長! 敵が飛んできます!!」

 という部下の言葉に(さえぎ)られた。

 剣を構えた若い剣士が、(ちょう)(やく)の魔法で空を飛んで(せま)ってきている。

 それを見たヒゲ面の隊長が、腰に下げていた剣を抜き放って剣士を待ち構えた。

「させるか!」

 弾を込めていた若者が、銃口を剣士に向けた。

 その剣士は、空中で剣の先に炎を生み出している。

灼熱の炎よ(クレマリィ・フレーマ)!」

 若者が引き金を引くよりも早く、剣士が炎を撃ち出した。

 若者に巨大な火の玉が迫ってくる。それを前にした若者が、恐怖のあまり固まってしまった。わずか一瞬のことだったが、若者にはそれが命取りになった。

「うわぁぁぁ〜〜〜〜〜……」

 若者が逃げようとした時には、もう()(おく)れだった。火の玉に()まれ、炎が全身を(つつ)んで焼いていく。その熱さに(たま)らず、若者は(ゆか)に倒れてもがいていた。

 その炎の背後から剣士が飛び出してきた。

「うぐっ……」

 剣士が反応の遅れた者を()りつけた。着地と同時に返す剣先でもう1人を(くし)()しにする。

「隊長!」

「相手にするな。やられた者には申し訳ないが撤収だ」

 応戦しようとする副長を制して、ヒゲ面の隊長が逃げるようにうながした。

 その言葉を受けて、すでに部下は階段を駆け(くだ)っている。

 一方、ドラゴン教徒を串刺しにした剣士は、抜いた剣に魔法をかけていた。人を斬った剣には(あぶら)がついて切れ味が悪くなる。それを魔法で落として、手入れしているのだ。

 そして手入れを終えた剣士が剣を構え直し、

「帝都に(あだ)なす奸賊(かんぞく)どもよ。悪事を働いたあなたたちに、帝都を守る近衛(このえ)()(へい)隊長たるこのロード・クラウ・アスピス・リ・フローレス・ド・アキロキャバス・ユーベラスが、天に代わって(てん)(ちゅう)を下します!」

 と名乗りを上げた。ところが、

「……ちょ、ちょっと、きみたちは礼儀というものを知らないのですか!?」

 剣士クラウの言葉を最後まで聞かず、ドラゴン教徒たちは屋上からいなくなっていた。あとに残されたのは、虫の息となった者だけである。

「うわぁ〜っ。逃げられました!」

 クラウが慌てて駆け出した。向かう先は階段のある建物の入り口だ。だが、

「階段で追ったのでは間に合いません!」

 そう思ったクラウが向きを転じた。直感的に広場とは反対方向だ。

 そのまま屋上を囲む(さく)を乗り越え、一気に飛び降りる。

浮け(エメール)!! 外から先まわりです!」

 自由落下しながら、()(ゆう)魔法で落下速度の調整を(はか)った。5階の窓、4階の窓が通りすぎる。そして3階の窓の少し上に足をつけ、そこからクラウは外壁を駆けた。向かっているのは建物の裏口だ。

「逃がしません!」

 クラウが1階に達する寸前、裏口から銃を持ったドラゴン教徒が駆け出してきた。真っ先に屋上から逃走を図った男だ。

 その男を逃がすまいと、クラウが壁を()って飛び降りる。

「ぐゎ……」

 男は相手が上から(おそ)ってくるとは思わなかったのだろう。()(ぼう)()なまま背中を()りつけられ、(ぜっ)(きょう)を上げる間もなく倒されてしまった。

「あと2人……」

 振り返ったクラウが、そう零して裏口を警戒(けいかい)した。剣を構え直し、飛び出してきたドラゴン教徒を迎え撃とうとしている。だが、

「出て……きませんね……」

 残るヒゲ面の隊長と副長が、裏口から出てくる気配はなかった。

「足音も聞こえませんね……」

 クラウが慎重に建物の中を(のぞ)き込んだ。外の明るさに目が慣れているため、屋内は真っ暗に見える。しかし徐々に暗さに慣れ、壁や階段の輪郭(りんかく)がハッキリしてきた。

「気配を殺して隠れてますか?」

 クラウが警戒を続けながら建物に足を踏み入れた。

 裏口から短い(ろう)()が奥へ伸びている。その奥にはドアがあるだけだ。

 右側は一面の壁である。そこにドアは1つもない。

 そして裏口から向かって左側には階段がある。幅は人がすれ違える程度。階段の両側は壁になっていて、時計まわりで登るようになっている。

「ここを登るのは不利ですね」

 階段に近づき、クラウがそう言って見上げた。このような作りの階段では、登る側は内側の壁が邪魔になって剣を扱いづらいのだ。

「来ませんね。ということは……」

 しばらく待っても誰も来ないため、クラウは視線を奥のドアへ向けた。

 ゆっくりとドアに近づき、小さく開けて中を(うかが)う。

喫茶店(きっさてん)……ですか?」

 ドアの(すき)()から見えた室内には、いくつもの()洒落(じゃれ)たイスとテーブルが並んでいた。

 ドアの前にはカウンターがある。ドアからはカウンターを横から見るような感じだ。そのカウンターの奥にある(たな)は、側板(そくはん)が邪魔してドアからは見えない。

 そしてカウンター内には、顔を真っ青にしたマスター風の男が立ち尽くしていた。

「すまない、ご主人。わたしの前に、このドアから入ってきた者はいませんか?」

 剣を構えたままクラウがドアを開けた。そのクラウの声に、男が「ひいっ」と小さな悲鳴を上げる。だが、男はクラウの服装を見て、

「こ、近衛(このえ)隊の隊長の方ですか……」

 と、少し安心したようだ。軽く深呼吸した男の顔に、少しずつ血の気が戻ってくる。

「いったい、外で何が起きてるんですか?」

 クラウの質問には答えず、男が大きな窓の外を指差した。

 喫茶店の広場に面した側には、はめ殺しの大きなガラス窓が作られていた。そのガラス窓の外では、大勢の市民が目を血走らせて逃げまわっている。誰も店へ逃げ込んで来ないのが不思議なほどの騒ぎ様である。

「テロです。市民にかなりの数の()害者(がいしゃ)が出てると思われます」

「テロですか!? この帝都で?」

 クラウの言葉に、男が息を()んだ。

 その男が何を思ったのかグラスを2つ用意し、氷を入れてポットから紅茶を注ぎ込む。

「それで、わたしの前に誰か来ませんでしたか?」

「それなら銃と剣を持った2人組があのドアから外へ……」

 クラウの質問に、男がそう言って店の出口を示した。

 そのドアが外から押されてギシギシ鳴っている。それを見たクラウが、市民たちがどうして店に逃げ込まないのか理解した。ドアは内側から外に向かって開く作りだ。そのため(あせ)って外から押している人たちには開けられない。ただ、それだけの理由だ。

「人込みの中に逃げられましたか……」

 窓の外では、今も大勢の人たちが安全な場所を求めて逃げ惑っている。その様子を見ながら、クラウはそう(こぼ)して息を()いた。

「ご主人。お騒がせして申し訳ありませんでした」

 店の男に()びを入れて、クラウは抜いていた剣を(さや)に戻した。そして軽く一礼してから、外へ出ていこうとする。そのクラウを、

「あ、近衛隊長さん」

 と、男が呼び止めてきた。その呼びかけに、クラウが立ち止まって振り返る。

「飲んでいきなさい」

 そう言って、男がアイスティーをカウンターに置いた。それは男が先ほどグラスを用意して作り始めた飲み物だ。

「これからしばらくは、何も口にできないでしょう。それに今日みたいな暑い日には、冷たい飲み物は心を落ち着けます」

 男がクラウにアイスティーを(すす)めながら、もう1杯作った分を自分で飲んでいる。クラウに勧めるというより、自分を落ち着かせるために作ったようだ。

「ご主人。お(こころ)(づか)いに感謝(かんしゃ)します」

 カウンターまで戻ってきたクラウが、軽く礼を述べてアイスティーを一気に飲み干した。そして空になったグラスを戻すと、逃げた2人を追って外へ飛び出していった。


 その頃、完全に出遅れたナバルは、

「すまん。道を(ゆず)ってくれ!」

 サーベルを持つ手を高く()げて、人込みの中で立ち(おう)(じょう)していた。

 人の流れはナバルの進もうとする方向とはほとんど逆向きだった。しかも前が詰まってギュウギュウに(みっ)(しゅう)しているため、(かめ)(あゆ)みのようにゆっくりとしか流れていない。

「バカヤロー。こんなトコで物騒(ぶっそう)なもんチラつかせるンじゃねーよ!!」

 ナバルの横を通った男が、すれ違いざまに文句をぶつけてきた。

「きゃーっ! こっちに来ないでっ」

 次に正面に来た女も、流れを(さまた)げるナバルに怒りをぶつけてくる。

「ったく、どういう人の多さだよ」

 流れに押し戻されたナバルが、不満を口にした。ナバルは慣れない人込みに呑まれて、まったくと言うほど進めないでいるのだ。

「ナバルさん。何してるのよ!」

 誰かがそう言って、ナバルのサーベルを持つ手を(つか)んできた。その相手の少女は、魔法で人込みの上に浮かんでいる。

「メ、メイベルさんか? 教会へ逃げたんじゃ……?」

「それはいいから、引き上げるわよ! うわっ、重いっ!!」

 メイベルがナバルを摑んだまま引き上げようとする。ところが、

「俺も連れてってくれ」

「あたしも!」

「頼む。わしも助けてくれ!」

 引き上げようとしたナバルの足に、市民たちが次々としがみついてきた。その重みに負けて、メイベルが人込みへ引きずり込まれそうになっている。

「おまえら、離せ!」

「自分だけ助かろうとしてるんだろ」

「あたしたちも連れてってよ!」

 ナバルが足を振って払い落とそうとするが、摑まる市民たちも助けてもらおうと必死だ。それを引き上げてるメイベルが、

「ちょっと揺らさないでよ! 落ちる、落ちちゃう……」

 と下に文句を言うが、誰も耳を貸そうとしていない。

「みんな、離してよ。わたしたちは、これから爆発のあった所へ向かうのよ」

(だま)されないぞ。自分たちだけ逃げようとしてるんだろ」

「あたしも連れてってよぉ〜!」

 メイベルの必死の(うった)えも、(さい)()(しん)(とら)われた市民たちの耳には届かないようだ。摑まってくる人の数が更に増え、今にも重みに負けて落ちそうである。

「そんなに連れてって欲しいなら、おまえを連れてってやる」

 いきなりナバルが体格の良さそうな男の首根っこを摑んだ。

「これから騒ぎを起こしたやつらを退治しに行くんだ。おまえ、(うで)(ぷし)が強そうだから、一緒に戦おうぜ」

「……ええっ!?」

 今のナバルの言葉に、男の顔が急に(あお)くなった。それと同時に、摑まっていた市民たちが、パラパラと離れていく。

「武器はそこらにある物を適当に使ってくれ。今は戦う人手が欲しかったんだ。献身的(けんしんてき)()(がん)感謝(かんしゃ)するぜ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。お、俺は……」

 男の顔から血の気が失せていた。その男の首根っこから、ふいにナバルが手を放す。

「今だ!! メイベルさん、飛ぶんだ!」

「わかったわ!」

 メイベルが奥歯を()みしめて、ぐいっとナバルを引き上げた。ナバルの()(てん)()いて、足に摑まっていた市民は誰もいなくなっている。それを確かめたメイベルが、

「一気に飛ぶわよ! 高く飛べ(アルテ・ウォラーレ)

 弾道(だんどう)()(どう)(えが)くように広場の中央を目がけて飛んでいった。


 最初の爆発のあった場所、そこは広場を南北に(つらぬ)く大通りだった。馬車の走る車道にはレンガが()()められ、その横に作られた広い歩道にも別の色のレンガが敷かれている。

 そのレンガが今は吹き飛ばされ、そこにすり(ばち)(じょう)の大きなくぼみができていた。

 くぼみは深さ2m、直径は3mぐらいだろうか。歩道の地下に埋められた(とう)()(せい)のガス管がむき出しとなり、車道の地下を流れる動力用の水路が見えている。

 ここにいるのはケガして動けなくなった市民と、たまたま現場に居合わせ、献身的(けんしんてき)(おう)(きゅう)手当(てあ)てをしている(せい)(しょく)(しゃ)たちだけだ。動ける市民たちは逃げて、今は閑散(かんさん)としている。

 そんな中、やることがなく手持ち無沙汰(ぶさた)のナバルが、

「俺も何か手伝おうか?」

 と市民を手当てしている(しゅう)(どう)()に声をかけた。

 手当てされている商人風の青年は頭に大ケガしていた。なかなか血が止まらないのか、巻かれた包帯(ほうたい)が真っ赤に()まっている。

「手当ては我々の仕事だ。それよりもきみは周りを警戒(けいかい)しててくれ」

 声をかけられた修道士が、ナバルにそう返して東の方角を指差した。彼の示した先からは銃声や爆音が聞こえてくる。駆けつけた()(あん)部隊とドラゴン教徒の間で、今も戦闘が(おこな)われているのだ。

「周りを警戒……ねぇ」

 修道士の言葉を繰り返して、ナバルが嘆息(たんそく)した。

 メイベルに人込みの中から引き上げてもらったあと、ナバルは再びドラゴン教徒たちを追おうとした。だが、どちらへ向かおうとしても、逃げようとする市民たちでごった返している。そのため更に2度も混雑に呑まれ、そのたびにメイベルに助けられていたのだ。

 そんな経緯があったためにナバルは追撃(ついげき)参戦(さんせん)をあきらめ、ここで警備役を買っている。

 とはいえ、ここは大通りのど真ん中。近くには視界を(さまた)げる露店はない。しかも周りから市民たちが逃げたため、周囲は丸見えだ。誰かが警戒しなくても、ドラゴン教徒が近づいてくれば丸わかりである。

 そのためナバルは自分だけがやることなく、やる気を持て余していた。

 そのナバルを3度も人込みから引き上げたメイベルは今、壮年(そうねん)女性を手当てしている。

 女性は全身に大ヤケドを負っていた。しかも左腕を骨折(こっせつ)し、右の太腿(ふともも)にも深い傷を負っている。パセラはその女性の(もも)のつけ根を包帯で(しば)り、更にねじり上げて応急の()血処(けつしょ)()(ほどこ)していた。

「パセラ、包帯を(ゆる)めて。止血の具合を確かめたいわ」

 メイベルが大量の血で汚れている女性の大腿から手を離した。そして汚れてない手の甲で、玉のように噴き出た(ひたい)の汗をぬぐう。

 パセラが止血のためにねじっていた包帯を緩めた。

「メイベルぅ。ちょっと血が出てますよぉ」

「そうね。でも、このぐらいなら問題なさそうだから、あとは任せるわ」

 メイベルが痛がる女性の首にかかっているカードから、赤い色の部分を千切り取った。

 そこに、

「お待たせ。教会から救急箱を持ってきたわ。()(りょう)チームもすぐに駆けつけるはずよ」

 と言って、大きな(かばん)を持った修道女が飛んできた。

 彼女も騒ぎに居合わせた1人だ。飛行魔法が使えるため伝令(でんれい)として教会へ飛び、救急箱を持って戻ってきたのである。ちなみに彼女が着ているのは水色の修道服。青系の修道服は着ている者が一人前の修道女であることを示している。水色はその夏服バージョンだ。

 メイベルたちにとっては先輩の修道女である。

「包帯、2つくださぁ〜い。それと消毒と痛み止めのお薬はありますかぁ?」

 やってきた女性に、パセラが大きな声で必要な品を求めた。

「はい。包帯と清潔(せいけつ)(ぬの)よ。それから救急(きゅうきゅう)()(りょう)カードは足りてるかしら?」

 パセラに包帯と布を渡して、先輩の修道女がカードの需要(じゅよう)を尋ねてくる。その彼女の(ひたい)には、メイベルと同じように大粒(おおつぶ)の汗が浮かんでいる。

「カードを1枚くれ。こっちは赤だ。急いで止血しないと(あぶな)ないぞ」

 そう言ってカードを求めてきたのは、先ほどナバルに声をかけられた修道士だった。

 それを聞いたメイベルが、

「こちらは終わりましたので、手伝います!」

 と言って立ち上がる。そのメイベルを、

「メイベルは少し休みなさい。あなた、かなり魔法を使ったんじゃない? それにあなたは厨房係(オニオン)でしょう。それも宮廷付き(ゴールド)の……。あとは医療係(シダー)に任せなさい」

 と言って先輩修道女が止めてきた。彼女の(そで)(しょう)は赤い3本(すぎ)だった。野生生物たちがケガを殺菌(さっきん)(りょく)のある杉の葉で手当てするところから、杉は医療の象徴(しょうちょう)(ぶつ)なのだ。

「まだ動けます。それに、こんな状況で厨房係(オニオン)医療係(シダー)もありません。まして宮廷付き(ゴールド)なんて……」

「手当ての状況を教えて。赤は何人残ってる? それと黒と黄色の数は?」

 メイベルの言葉を(さえぎ)って、先輩修道女が被害と手当ての状況を尋ねてくる。

「たぶん、ここの赤はこの人で最後だ。黒はいない。あとは黄色が30人以上……」

 質問に答えたのは市民の手当てを続ける修道士だ。

 会話に出てくる赤や黄色などの色は、救急医療におけるケガ人の区分けである。

 赤は命に関わる重傷でこの場での応急手当てが急がれる者。黄色は重傷ではあるが、命の危険がないため手当てを急ぐ必要はないとされた者。逆に黒は命に関わる重傷であるが、応急手当てでは済まないほどの重傷であるために治療を後まわしにされる者の意味だ。他に治療済みないし軽傷を意味する青の区分けもある。

 先輩修道女の持ってきた救急医療カードには下から黒、赤、黄色、青の帯が印刷され、被災者の程度に合わせて千切れるようになっている。

「赤はあと1人だそうだから、もう十分だわ。だから、あとは医療係(シダー)に任せなさい」

 先輩修道士がそう言って、持ってきた救急箱を手当てを手伝う見習い修道女に渡した。彼女の袖章は(がく)()(おん)()の絵が()(しゅう)された金縁(きんぶち)だ。宮廷(せい)()(たい)の少女である。

「はい。では、お言葉に甘えて……」

 先輩に休むように言われて、メイベルはようやく休むことにした。

「ほれ、お疲れさん」

 一息つけたメイベルに、ナバルがタオルを(ほう)ってきた。それに「ありがとう」と短く返して、メイベルが()(かた)(ころ)がっている木箱に腰を下ろす。

「なんか、すごく疲れてないか? まるで散々走りまわったあとみたいだぞ」

 腰を下ろしたメイベルは、(うつむ)いたまま肩で息をしていた。被害者の応急手当てに(いそが)しかったとはいえ、メイベルの疲れ方は大仕事をしたというよりも、激しい運動をしたあとのような感じだ。そんな様子を見たナバルが、心配そうに声をかけてくる。

「それは……当然よ。魔法を使いっ放し……だったんだもの……」

 (うつむ)いたまま、メイベルが途切(とぎ)途切(とぎ)れの息で答えてきた。

「魔法って、そんなに疲れるのか?」

「魔法はね、見かけよりもはるかに大きな体力を(しょう)(もう)するのよ。ただ浮かぶだけでも、同じ時間駆け足するのと同じぐらい疲れるのよ。飛行魔法だと疲れは全力で走るのと同じぐらいよ。それに今日はナバルさんを引っ張り上げて飛んだから、ナバルさんの体重分だけ余計に疲れてるのよねぇ〜。それも3回も」

 そう答えたところで、メイベルがゆっくりと顔を上げてきた。その言葉に、ナバルがばつの悪そうな表情を浮かべて「悪かったよ」と零して、頭の後ろを()いている。

「まあ、それはともかく……だ。その同じぐらい疲れるっていうのは、感覚の話だろ?」

「ちゃんとした科学よ。運動は筋肉の(しん)(しゅく)という(たて)の動き、魔法は筋肉の振動(しんどう)という横の動きで生まれるの。だから運動と同じように、魔法を使うと疲れるのよ。これは大魔導師で魔法生理学の祖パヴロ・ライルが発見した科学的な事実なの。そして、その(のち)の学者たちによって、魔法を使うことで、どれだけのカロリー消費があるか、どれほどの疲労物質が生み出されるか、しっかりと研究されてるわ」

 メイベルがそう言って、ナバルの言葉をビシッと否定した。その言葉に、

「そこまで理屈っぽく否定することはねえだろ……」

 と、ナバルが呆れたようにぼやく。

「じゃあ、質問ついでにもう1つ。魔法で手当てしてたみたいだけど、血を止めるぐらいしかしてなかったよな? 魔法なら跡形(あとかた)もなく完全に(なお)すとか、もっとすごいことができるように思うんだが……」

「それは、よくある魔法に対する思い込みね。たぶん不可能ではないと思うけど、それには高度な知識と、それを実現できるだけの魔力が必要になるわ」

 そこまで答えて、メイベルが大きく肩を上下させて(しん)()(きゅう)する。

「魔法は知識と想像力がないと使い物にならないの。絵を描く時や文字を書く時を想像してみて。見たままを写生しようと思っても、なかなか上手(うま)く描けないでしょう。思い通りの()(れい)な文字を書けないなんてことはない? 絵や文字は頭の中に思い(えが)いた映像(えいぞう)そのものなの。正確に描けないとか、綺麗な文字を書けないとしたら、それは頭の中でしっかりとした映像を思い描いてない証拠なの」

「言いたいことはわかるが、それが魔法とどんな関係があるんだ?」

「大ありよ。完璧(かんぺき)()(りょう)しようと思ったら、治すところの(くわ)しい構造(こうぞう)を知ってなくちゃならないの。血管(けっかん)とか、神経(しんけい)とか、筋繊(きんせん)()とかね。でないと傷が治っていく様子を細かく思い描けないでしょ。見た目には跡形もなく治ったけど、手が動かなくなったとか、血が通わなくて壊死(えし)したとか。そこまで悪くなくても今まで通りに動かせないとか、感覚がなくなったとか、逆にいつまでも痛みが消えないとか。そんな話、これまでにもイヤと言うほど聞かされてるわ。それほど魔法は、中でも治癒魔法は(むずか)しいのよ。もっとも……」

 そこまで言いかけたところで、メイベルが手を胸の高さまで上げて天を指差した。その人差し指の先にボッと(ほのお)(あらわ)れる。それをナバルに見せながら、

「こうやって火を作るとか、飛ぶとか、触れた物を浮かせるとか、血を止めるとかするような魔法は、知識よりも経験と練習で使えるようになれるのよ。だけど、こういう魔法はたくさんの体力を使うから、あまり使えないのよね」

 と話を続ける。

「なんだ。そう言われると、魔法はあまり使い物にならないみたいだな」

「そうハッキリ言われるとカチンとくるけど……。ホント、せっかく魔法が使えても、それなりに訓練(くんれん)や勉強しないと大した魔法が使えないのよね」

 苦笑したメイベルが、そう言って大きく息を()いた。

 そのメイベルから視線をはずして、ナバルが軽く周囲に目を(くば)った。

 話をしてる間に、水色の修道服を着た先輩修道女は、被災者の止血を終えたようだ。その人の首にかけられた救急医療カードから赤い部分が千切られ、今は黄色になっている。

 ドラゴン教徒と治安部隊の戦いは終わったのか、銃声や爆音は聞こえなくなった。それで残した荷物が心配で戻ってきたのだろう。露店に1人2人と商人たちが戻ってきている。

「あ、でもね。女の子にとっては苦労しても魔法を使う意味はあるのよ」

 唐突(とうとつ)に、メイベルがそんな言葉を(はな)ってきた。それにナバルが、

「女の子にとって?」

 と、()(げん)そうな表情をメイベルに向ける。

「どんな意味があるんだ?」

「それは決まってるじゃない!」

 ナバルの質問にメイベルが意味もなくこぶしを(にぎ)り、

「この世には(ふと)った魔法使いがいないからよ!!」

 と返してきた。その言葉に、ナバルの脳内が一瞬真っ白になる。

「はああぁ〜〜〜〜〜〜〜〜…………!!?」

「な、なによ、その驚き方は!? 男の人にはわからないでしょうけどね。(ふと)るか(ふと)らないかは、女の子にとっては命と同じぐらい大きな問題なのよ」

 すっかり脱力したナバルに向かって、メイベルが顔を真っ赤にして訴えてきた。

「魔法はね、たくさん体力使うから(ふと)らないの。これ、女の子にとってはすっごく大切なことなんだから」

 メイベルが「すっごく」の部分に力を込めた。そんなメイベルの発言に、

「おまえ、不用意な一言で()(けつ)掘ってないか?」

 と、ナバルが呆れている。そこに、

「魔法を使ってれば(ふと)らないって意見には賛成よ」

 と言って、水色の修道服を着た先輩修道女がやってきた。その先輩修道女が、

「運動するより、手軽なのが魔法の良いところよね。あ〜、疲れた」

 などと言いながら、メイベルの近くに転がる布の上にゴロンと横になった。

「それにしても医療チーム、来るのが遅いわね。何してるのかしら?」

「そう言えば、なかなか来ませんね。ん……!?」

 ふいに何かを感じたメイベルが、顔を左に向けた。

「今の感じ、騒ぎの前に感じた魔法の波動に似てない?」

 先輩修道女も身体(からだ)を起こして、左へ向けている。教会のある方向だ。

「まさか広場の騒ぎは陽動(ようどう)で、本当の(ねら)いは教会……」

「違うみたいです! 風の障壁よ(エジス・シルフィーダ)!!」

 反射的に立ち上がったメイベルが、波動を感じた方向に両腕を伸ばした。メイベルの前に光の壁が広がる。とほぼ同時に、何処(どこ)からか無数の炎の(つぶて)が飛んできた。それらが壁とぶつかり、(きょう)(れつ)閃光(せんこう)を生じさせる。

「なんだ!?」

 ナバルが閃光(せんこう)に目を(くら)まされた。激しい爆音がお腹にズズンと(にぶ)い震動を与えてくる。

(やぶ)られた!」

 咄嗟(とっさ)に作り出した(しょう)(へき)には、十分な強度がなかった。障壁に穴が()き、そこから炎の(つぶて)が入り込んでくる。

盾よ(エ・シルダ)!」

 それを(ふせ)いだのは、先輩修道女の放った魔法障壁だった。だが、

「異教徒どもめ!」

 次の瞬間、ドラゴン教の魔導師が体当たりで魔法障壁に大きな()け目を作ってきた。魔導師の身体(からだ)が炎に焼かれるように、魔法障壁に触れて赤く()れ上がっていく。彼の着ている服も、ボロボロと()ちるように(こぼ)れ落ちていった。

「いつの間に!?」

 目の前で起きた壮絶(そうぜつ)な光景にメイベルが(ひる)んだ。メイベルの放つ魔力が弱まり、障壁の形が(くず)れる。その(いっ)(しゅん)()(のが)さず、2人のドラゴン教徒が障壁を(やぶ)って()り込んできた。

「エ、シル……」

 先輩修道女が魔法を組み直すが間に合わない。その彼女にドラゴン教徒の剣先(けんさき)(せま)る。

「させるか!」

 ナバルが間一髪(かんいっぱつ)斬戟(ざんげき)(ふせ)いだ。ナバルに突き飛ばされる格好(かっこう)になった先輩修道女が、レンガ敷きの地面に転がる。

 (おそ)ってきた男が剣を引いてナバルから離れた。そして剣を両手で構え直すと、姿()(せい)を低くして突進してくる。

 2人の(やいば)がぶつかり、カチンカチンと高い音が鳴り(ひび)いた。こうなると細いサーベルを武器にするナバルが不利だ。

「くっ……」

 案の定、根元からサーベルが折れてしまった。ナバルの足許(あしもと)に落ちた刃先が、回転しながら地面を(すべ)っていく。それで武器を失ったナバルを見てほくそ笑んだドラゴン教徒が、大きく振りかぶって始末をつけようとする。

 しかしナバルは、その一瞬の好機を見逃さなかった。振りかぶることで生じた死角を突いて、ナバルは相手の(ふところ)へ飛び込んでいた。そして肩を相手の(わき)に入れ、振り下ろされる剣の動きを(ふう)じようとする。

「うぎゃあぁ……!!?」

 ナバルの肩に腕が当たった途端、ドラゴン教徒の腕から鈍い音が聞こえてきた。と同時に彼の口から、驚きとも悲鳴とも取れる大声が放たれた。

 ドラゴン教徒の手から剣が落ちる。よろめくように逃げようとする彼の左腕は、折れ曲がってだらしなく()れていた。

 そのドラゴン教徒の落とした剣を、ナバルが拾い上げる。形勢(けいせい)(ぎゃく)(てん)だ。しかし、

「邪教の魔術を使う異教徒め!」

 障壁を(やぶ)って()り込んできたのは1人ではなかった。更に1人が魔導師の背中を踏み台にして、障壁を作るメイベルに襲いかかってくる。

灼熱の嵐よ(クレマリィ・ストーマ)!」

 反射的にメイベルが炎の術を放った。その炎に()かれながら、

神竜と共に(ナムナーガ)!!」

 男が叫びながら突っ込んでくる。

「や、やだ……」

 メイベルは目を丸くしたまま動けなくなっていた。そのメイベル目がけて、炎に包まれた男が剣を振り下ろしてくる。その恐怖のあまり、メイベルは逃げるどころか目を閉じて顔を(そむ)けることすらできなくなっていた。

(やられちゃう!)

 そう思ったメイベルの前に、横から黒い影が飛び込んできた。

 黒い影が炎に包まれた男にぶつかって弾き飛ばした。それで向きの変わった男がメイベルをかすめ、背後へ消えていった。

「な、なんなのよ……?」

 助かったと思ったメイベルの足から、一気に力が抜けていった。そのままへたれ込むメイベルの耳に、何かが地面を()るズザザッという音が聞こえてくる。

「あちち……」

 続いてメイベルの耳に、知っている声が聞こえてきた。それで我に返ったメイベルが、恐る恐る後ろを振り向く。

「ナバル……さん!?」

 振り返ったメイベルの目に、背中から炎を上げるナバルの姿が飛び込んできた。ナバルの前には剣を突き立てられ、炎に焼かれる男の姿がある。

「大変だわ。救済の泉よ(サルース・ナイアシア)。火を消して!」

 先輩修道女が、(あわ)てて水の魔法を放った。

 最初の爆発でむき出しになった地下の水路から、水が(いきお)いよく()き出してくる。その水が空中で何かにぶつかったように(くだ)けて、シャワーのようにナバルに降り注いだ。

 そのシャワーは炎に焼かれる男にも降り注いでいる。それで炎に隠されていた男の黒焦げになった姿が(あらわ)になってきた。

 その姿に顔をしかめたメイベルが、次に視線を男の反対側にいるパセラに向けた。

 パセラは男を見詰めたまま、真っ青な顔で立ち尽くしている。そのパセラがメイベルの視線に気づいて、(だま)ったまま顔を横に振った。

「異教徒どもめ。まだ、終わってはおらぬ」

 メイベルの耳に、そんな声が聞こえてきた。声の主はドラゴン教の魔導師だ。メイベルの作った魔法障壁に身を(てい)して()け目を作ったため、全身がボロボロになっている。その魔導師が(つえ)を突いて立ち上がり、なおも抵抗(ていこう)を続けようとしている。だが、

「うがあぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜……」

 何処(どこ)かから飛んできた弓矢が、次々と魔導師に突き刺さったのだ。それで断末(だんまつ)()(さけ)びを上げたまま、魔導師が地面に倒れて事切れる。

 その魔導師の姿を、メイベルは黙って見ていた。

「おい。大丈夫か?」

 どのくらい茫然(ぼうぜん)としてたのか。誰かに腕を(つか)まれて、メイベルがハッと(しょう)()づいた。

「ナバルさん?」

 腕を摑んできたのはナバルだった。ナバルの髪は先ほどのシャワーを浴びたせいで、前以上にボサボサになっている。そのナバルがメイベルを心配そうに見て、

「立てるか? ケガとかは……してないようだな?」

 と尋ねた。

「ケガの方は大丈夫。だけど足が……あはは……笑ってるみたい……」

 メイベルの口から乾いた笑いが出てきた。ケガはないものの、足がすくんで力が入らないようだ。そこに、

「おーい。みなさん、大事はありませんか?」

 と言ってクラウが駆けつけてきた。そのクラウと一緒に、数名の近衛兵が駆けてくる。

「おわっ、メイベルちゃん!! まさか、おケガをされたのですか!?」

 座っているメイベルを見て、クラウが驚きの声を上げた。そのクラウに、

「大丈夫よ、クラウさん。ちょっと腰が抜けただけだから」

 と、メイベルが苦笑しながら答える。

「腰が!? それだけ……ですか? それなら良いのですが……」

 クラウが心配した表情を浮かべつつも、メイベルの無事に(あん)()した。そして、メイベルの前で片膝(かたひざ)を突き、更にメイベルの手を両手で包むように取って、

「大変に申し訳ありません。僕が(ぞく)を取り逃がしたばかりにご迷惑(めいわく)をおかけしました」

 と謝罪(しゃざい)してきたのだ。そのクラウに、

「わざわざ手を(にぎ)らなくてもいいでしょう」

 と、メイベルが冷たい声を返してくる。

「こいつを連行しろ」

 腕を折られて戦意を失ったドラゴン教徒を、駆けつけた近衛兵が荒縄(あらなわ)(しば)っていた。その様子を横目で見るナバルが、

「クラウ。この騒ぎはいったい……」

 と尋ねてくる。

「ああ、これはですね」

 メイベルの手を放したクラウが、そう言いながら立ち上がった。そして背中に何本もの矢が刺さっている魔導師のところへ行き、足で()り上げたのだ。

 ひっくり返された魔導師の重みで、背中に刺さった矢がバキバキと音を立てて折れる。その魔導師の胸許(むなもと)(かがや)く金バッジを指差して、

「このバッジが何だかわかりますか?」

 と逆に尋ねてきた。

「知らん」

「ナバル。少しは考える素振(そぶ)りぐらいしてくださいよ」

 即答(そくとう)したナバルの言葉に、クラウががっくりと肩を落とした。そして、

「これはソルティス教と対立するドラゴン教団のバッジです。『異教徒には死を』が(しん)(じょう)の、()(げき)(きょう)(しん)(しゅう)(だん)ですよ」

 と話しながら、魔導師の服からバッジをむしり取った。

「ドラゴン教団!? 聞いたことないな」

「ナバルは無学すぎますね」

 そう言ったクラウが、(おお)袈裟(げさ)()(いき)()いてみせる。

「ドラゴン教団はマウンテン・ドラゴンを自然の守り神として信仰(しんこう)する宗教一派です。かつてドラゴン族には高度な文明が(さか)え、人間はそのドラゴンたちから言葉や知識を(さず)かったという伝説がありますけど、実在するドラゴンは人間に危害を加える怪物(かいぶつ)ですからね。そんなドラゴンを信仰する人たちの気が知れませんよ」

 そう説明したクラウが、ナバルにバッジを投げてよこした。

「ドラゴンって、本当にいるのか? 俺、ただの伝説だと思ってたけど」

「ナバル。勝手に伝説にしないでくれませんか」

 しげしげとバッジを見ているナバルに、クラウが呆れたと言いたげな視線を送っている。

「それはそうと、メイベルちゃんの友人Aくん。きみはいったい何をしてるのですか?」

 ふと視線を横に向けたクラウが、大きな布を持つパセラに声をかけた。そのパセラは、

「いくら異教徒さんでも、(しかばね)を野ざらしにされるのは()哀想(わいそう)です」

 と言いながら、()(がら)を布で(おお)っていたのだ。パセラが持ってきた布は、露店で(しき)()として使われないまま積まれていたものである。

「可哀想って……。きみ、意外と落ち着いてますね」

「そうですかぁ?」

 などと言いながら、パセラが魔導師の()(がら)にも布をかぶせた。

「目の前で人死にが出たら、きみが一番泣き叫びそうに思えるのですが……」

「わたし、頼りなさそうに見えても、一応は修道女ですよ。慣れるものではないですけど、事故や災害があると何度も手伝いに駆り出されますから、イヤでも免疫(めんえき)がつきます」

 と答えたパセラが、クラウに横を見るようにうながした。その先にいるのはパセラよりも(おさな)い、宮廷聖歌隊の見習い修道女だ。彼女もこういう現場には慣れているのか、テキパキと応急手当てを手伝っている。

「でも、さすがに自分が(おそ)われるのは初めての経験だわ。あんなに怖いこと、もう二度と()(めん)こうむりたいわね」

 そうぼやきながら、メイベルがゆっくりと立ち上がろうとする。

「えっ!? メイベルちゃん、(ぞく)どもに襲われたのですか?」

 メイベルの言葉に驚いたクラウが、丸くなった目を向けてきた。

「僕はてっきり目の前で()り合いがあったので、それで腰を抜かしたとばかり……」

「わたしも、できればそういう理由で腰を抜かしたかったわ」

 クラウの言葉に、メイベルが皮肉を込めて()(じょう)なことを言う。だが、まだ足に十分な力が戻ってないのか、(ひざ)がガクンと落ちてよろけてしまった。

「おいおい。気をつけろよ」

「あ、ナバルさん。何度も悪いわね」

 ナバルに(かか)えるように支えられたメイベルが、そう言って軽く舌を出した。そして、

「ちょっと肩を貸してね。まだ膝がガクガク震えてるわ」

 ナバルの肩に左手を置いたメイベルが、右手で膝をパンパンと叩いてみる。

 それを見たクラウが、

「メイベルちゃん。肩なら(ぼく)が貸してあげ……」

 と残念そうに言いかけた。そのクラウの背中を、

「クラウさん、出遅れですぅ」

 と、パセラが笑いながら叩いている。

「隊長殿。報告します」

 そこに駆けつけてきた近衛兵が、クラウの横で立ち止まって敬礼(けいれい)してきた。

「テロリスト数名。取り逃がした模様です」

「何名ですか?」

(くわ)しくはわかりませんが、隊長殿が遭遇(そうぐう)されたという2名を含め、兵たちの情報から逃げた(ぞく)は魔導師2名を含めて、少なくとも8名はいるものと……」

「8名……。それは多いですね」

 近衛兵からの報告に、クラウが真剣な表情に戻った。

「賊たちの捜索(そうさく)は?」

「すでに5名ずつの班に分けて、捜索を開始しております」

「ふむ、わかりました。それでは……」

 と言いかけたクラウの視線がメイベルに向かった。そこではメイベルが、

「ごめんなさい。まだ足が言うことを聞かなくて……」

 倒れかけた(ひょう)()に、ナバルの胸に頭をぶつけている。それを見たクラウが、

「ぬわぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

 出したハンカチに()みついて引き伸ばした。親友とはいえ、あまりにも(うらや)ましい役得(やくとく)に、(みにく)い男の嫉妬(しっと)が働いたのだ。その様子に、

「た、隊長殿……」

 報告に来た近衛兵が、どうしたものかと対応に困った。

 その隣ではパセラが背中を向けて、笑いを押し殺しながら肩を上下に震わせている。

「メ、メイベルちゃん。どうやら医療チームが到着したみたいですから、そろそろ宮廷に帰った方が良い頃合いではありませんか?」

 クラウが2人に歩み寄って、(ぼう)()み口調で話しかけた。

「あ、医療チーム、やっと来たんだ」とはメイベルの言葉だ。

「それじゃ、早く帰って晩餐(ばんさん)の準備を始めないと……」

「そうそう。それは忘れてはいけませんよ」

 これで2人を引き離せると思ったクラウが、引き()った笑みで首を縦に振る。

「クラウ。俺たちはどうする?」

「僕はこれから逃げた賊の捜索です。ナバルも手伝ってください」

「賊が逃げた!? そいつらって、過激な異教徒だろ」

 手伝いを求められたナバルが、(こわ)()を落として聞き返す。

「それがどうしました?」

「捜索も大事だが、その前に彼女たちに()(えい)をつけてやれよ。見習い修道女(シスター)だけで帰すなんて、異教徒(やつら)にとっては(てい)の良い(ひょう)(てき)だぞ」

「おおっ!? たしかに護衛は必要ですっ!」

 ナバルの言わんとすることを理解して、クラウがポンと手を打った。ところが、

「それではメイベルちゃんの護衛役を……」

 とまで言いかけたところで、クラウの思考が止まる。

「えっと、護衛役は……」

 誰を護衛につけるべきか。それに迷ったのだ。

「僕が護衛役は……ダメ……ですよね?」

「隊長殿ぉ〜……」

 声をかけられた近衛兵が、クラウに冷たい言葉を返した。クラウはこれから近衛騎兵隊の隊長として、現場を指揮しなくてはならないのだ。それが護衛のためと(しょう)したところで、現場を離れるのは完全な(しょく)()(ほう)()である。

 この場合、護衛役として適当なのはナバル以外には有り得ない。クラウもそのことは百も(しょう)()している。だが、これ以上ナバルに役得を与えたくない。そんな気持ちから、この結論はなかなか受け()(がた)いものであったのだ。

「護衛……。護衛…………」

 心の中で激しく葛藤(かっとう)を続けるクラウが、うわ言のように(つぶや)いた。他に適当な代案が見つからないため、クラウの()(もと)(なみだ)が浮かんできている。そのクラウが天を(あお)ぎ、それからガクンと肩を落として今度は(こうべ)を垂れた。

「ナバル。メイベルちゃんと友人Aくんの護衛をお願いします……」

 ようやく結論を受け容れたクラウが、(うつ)ろな目でナバルに警護役を任せる。そして、

「あ、メイベルちゃん。ナバルは(みやこ)には()案内(あんない)ですから、宮廷までの道案内をお願いできませんか。ナバルは都にいる間、宮廷の雑魚(ざこ)部屋(べや)寝泊(ねと)まりするもので……」

 と、力のない口調でメイベルにもお願いしたのだ。そのクラウにメイベルが、

「お願いだからクラウさん。パセラを名前で呼んであげてよ」

 と文句を言うが、その言葉は耳に届かないようだ。

 (うつ)ろなままのクラウの視線が、宮廷聖歌隊の(おさな)さの残る修道女に向かった。その少女は仲間とはぐれたのか、それとも1人で出歩いていたのかは(さだ)かではない。だが、1人で帰るのが怖いのか、先ほどからしきりにメイベルたちを見ていたのだ。いかにも一緒に帰る仲間を探しているという()(ぐさ)が見て取れる。

「きみも宮廷に戻るのなら、メイベルちゃんたちと一緒に帰りなさい」

「い、いいんですか?」

 声をかけられた少女から、(あん)()困惑(こんわく)の混ざったような声が返ってくる。その少女に、

「今日みたいな日は、大勢の方が安心ですよ」

 とパセラが声をかける。

「それでは、これから僕は賊の捜索に向かいます。道中、お気をつけください」

 クラウが隊長らしい表情に戻って、メイベルたちに向かって敬礼した。それに(なら)い、後ろに(ひか)えていた近衛兵も、同じように敬礼をする。

 だが、クラウの隊長らしい表情は一瞬だった。引き攣った笑みでナバルに詰め寄り、

「いいですか、ナバルはあくまでも護衛ですからね。くれぐれもメイベルちゃんには絶対に手を出さないでくださいよ。メイベルちゃんは、僕の将来のお嫁さんなんですから!」

 と念を押したのだ。そして、

「うぉぉぉ〜っ。ドラゴン教徒のバカぁ〜!」

 と泣きながら、捜索へ向かっていく。

 そんなクラウに、ナバルが「おいっ」と冷たくツッコミを入れた。

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