第1巻:第2章 宗教対立なんて大キライ
帝都サクラスにある中央市場。そこは数多くの露店が集まる広場である。
そこを臨むレンガ造りの5階建ての建物。その屋上に6人の男たちが集まっていた。
今の時間は広場で騒ぎが起こる、少し前である。
「異教徒どもがうじゃうじゃいやがる」
屋上から広場を見下ろしながら、ヒゲ面で目つきの鋭い男が吐き捨てた。
男がいるのは広場の南側にある建物。今は夏の昼すぎであるため、建物は広場に申し訳程度の影しか落としていない。
「バカヤロウ。弾を削るんじゃねえ。そのまま筒に詰めるんだよ」
「ですが副隊長。この弾、ちょっと大きかったもので……」
「だからって削るヤツがあるか。削りすぎたら隙間ができて、威力が落ちちまうじゃねえか。つーより、ここから下に向けて撃つんだぞ。撃つ前に滑り落ちたらどうする気だ?」
男の後ろで若者が怒鳴られていた。
その怒鳴り声を聞いた男が、ゆっくりと顔を後ろに向ける。そこでは若者が、銃に詰める弾をヤスリで削ろうとしていた。
若者の持つ銃は筒の先から弾と火薬を込め、最後に棒で突き固めてから撃つ先込め式だ。弾と火薬は短いスティック状の紙袋に1回分ずつ小分けされている。撃つ前にこの紙袋を破って先に火薬を入れたあとに、弾でフタをするように突き固めるのだ。
だが、若者の破った紙袋から出てきた弾は、ちょっと大きな不良品だった。こういう場合、別の弾を詰め直せば良いのだが、若者は弾を削って筒に合わせようと思ったようだ。少しばかり貧乏性であったらしい。
「副長。聖戦の前に兵を怒鳴るものじゃねえぞ」
しゅんと悄気ている若者を見て、ヒゲ面の男が副長に向かって意見した。
「隊長。そうはおっしゃられても……」
「未熟でも聖戦に志願した義勇兵だ。その心意気を買って、少しは丁重に扱ってやれ」
隊長と呼ばれたヒゲ面の男が、副長に軽い指導を与える。
その男がまた視線を広場に戻した。
「それにしても、建物、道、広場、この街はどこもかしこも焼きレンガだらけだな。これだけの街を作るために、ドラゴンさまの住まわれる山や森から、いったいどれだけの粘土と木材を奪ってきたんだろうな?」
「まったく、嘆かわしいです」
街を見渡す隊長の隣に、副長がそう言いながらやってきた。
「わたしの生まれ育った村は、裏山の山崩れで潰れました。レンガを作るために裏山を削って粘土を掘り、焼くために木がすべて伐り倒されました。それをドラゴンさまがお怒りになって、山を崩されたのだと聞いてます」
「おまえの故郷もドラゴンさまのお怒りに遭ったのか。俺の田舎も森の木がなくなった途端にドラゴンさまのご加護がなくなって、畑が荒れて住めなくなっちまったよ」
そう言うと、ヒゲ面の隊長が手摺りに肘を突いて嘆息した。
「大火事対策だか何だか知らねえが、レンガを作るためにいくつの山が削られ、森が消されたんだろうな? いや、レンガだけじゃねえ。あそこを走ってる鉄の塊が水力列車っつうヤツか。あいつを1つ作るために、いったい何百本の木が伐られたんだ? 家1軒分のレンガを焼き固めるために、いったい何千本の木が必要なんだ?」
ヒゲ面の隊長が怒りながら、雑踏を睨みつけた。その時、
「隊長。準備完了の合図です」
副長が広場に向かって右側に見える建物の上で、何かがキラキラと輝いているのに気づいた。日光を鏡で反射させているのだ。そこで鏡を持つ者の隣で、もう1人の男が右手を一定のリズムで上げ下げしている。
「奇襲は第1部隊が行う……か」
手の動きは襲撃の手順を伝えるものだった。それを見たヒゲ面の隊長の視線が、合図してる建物にいる別の人物に向かった。
「一番攻撃は、あの魔導師に任せるようですね」
副長も同じ人物に目を向けていた。
「あの魔導師に、騒ぎを起こせるほどの強い魔法が使えたのか?」
「何か考えがあるのでしょう。あ、祈りを捧げ始めました。そろそろですね」
合図が終わり、その建物にいた者たちが輪になってお祈りを始めた。それを見て、
「襲撃開始だ。我々も成功をドラゴンさまに祈るぞ」
ヒゲ面の隊長も部下たちを呼び集める。
「ドラゴンさまは住まう土地を荒らされ、お怒りである。かつての惨劇、あのドラゴン病を、再び我ら人類に向けてばらまかんとしている。我らドラゴン教徒であっても、ドラゴンさまにとっては土地を荒らした異教徒どもと同じ人類にすぎぬ。ドラゴンさまのお怒りは、残念ながら我らドラゴン教徒にも向けられている」
指1本1本を交互に組むように両手を握って、ヒゲ面の隊長が静かに語り始めた。その周りに集まった男たちも、同じように両手を組んで目を閉じ俯いている。
「我ら人類の犯した不始末は、我ら人類の手でけじめをつけなくてはならない。これよりドラゴンさまの住まう土地を荒らした異教徒たちに、ドラゴンさまに代わって我らの手で鉄槌を下す」
隊長の語気が、徐々に強くなってきた。
先ほど弾込めで怒鳴られた若者は、目を強く閉じ、組んだ手に力が入って震えている。
「この聖戦にドラゴンさまのお導きがあらんことを。神竜と共に!」
『神竜と共に!!』
隊長が最後に放った言葉を、他の者たちも繰り返した。と同時に輪が解かれて臨戦態勢に入った。
「副長。火炎瓶は何個ある?」
「8個です。攻撃用の油のみと、放火用の砂糖入りがありますが……」
「じゃあ、砂糖入りを2つよこせ」
ヒゲ面の隊長が、そう言って副長から火炎瓶を受け取った。それは一輪挿しの丸い陶器の口に、白い布が詰められているものだ。
「隊長。火種は?」
「いらん。火をつけるぐらいの魔法は使える」
続いて副長が渡そうとしたランプを、隊長がそう言って断る。
「隊長。魔導師が詠唱を始めました」
今度は銃を構える若者が、隊長に状況を告げてきた。
魔導師が建物の屋上から広場に向かって呪文を唱え始めていた。両手を大きく広げ、右手に持った杖の先が淡く輝いている。
その詠唱が続くと共に、若者たちの緊張も徐々に高まってきた。
1人1人の息が荒くなってくる。それに伴って銃を構える若者の耳に、広場からの雑踏の音が届かなくなってきていた。
魔導師の詠唱は長い。その魔導師と同じ建物にいる者たちは、屋上から身を乗り出して広場を注目している。
「詠唱を止めた!? 失敗したのか?」
不意に魔導師が詠唱をやめた。だが、まだ何も起きていない。
「隊長。こちらから仕掛けますか?」
緊張が極限まで達していた若者が、そんなことを言い出してきた。その言葉に、ヒゲ面の隊長の脳裡に、やってしまおうかという考えがよぎる。
だが、魔導師に魔法を失敗したような素振りはない。同じ建物にいる者たちと同じように広場に目を落とし、何かを待っているようにも見える。
「今は待て。しばらく魔導師の手並みを拝見しようじゃないか」
若者の緊張を解くように、ヒゲ面の隊長が彼の肩をポンと叩いた。そして、
「さて、どうする、魔導師?」
そのまま息を殺して、魔導師の動向に注目する。
時間が淡々と流れていく。魔導師は同じ建物にいる者と、一言、二言、言葉を交わしているようだ。
その魔導師が杖を構え、再び詠唱を始めた。直後、
「始まった!!」
静寂に包まれた広場から、突然、真っ黒な煙が生まれた。それが丸く広がり、呑み込んだ人たちを外に向かって吹き飛ばしていく。
その光景から少し遅れて、お腹に響く轟音が聞こえてきた。
広場では人々が何が起こったのか理解できていないのか、誰もが戸惑っているようだ。それによって生まれた静寂が奇妙なほど長く感じられる。
「きゃ、きゃあぁ〜〜〜〜〜〜〜〜……!!」
誰かの悲鳴が、その静寂を打ち破った。それが呼び水となって、たちまち大きな騒ぎが広場中に伝播していく。
「あの魔導師、あんなに大きな爆発を起こせる使い手だったのか……」
襲撃が始まったことで、銃を構える若者の緊張が少し和らいだようだ。そこに、
「よし、始まったぞ。だが、今はまだ手は出すんじゃねえぞ」
と、ヒゲ面の隊長からの指示が出される。
「隊長。あの魔導師は、いったいどんな手で大爆発を……?」
副長が冷静な目で黒煙の上がるあたりを見ていた。その副長の問いかけに、
「地下にあるガス管を壊して、ガス爆発を起こしたのだろうな」
と、ヒゲ面の隊長も冷静な目で分析してみせる。
「ガス管ですか? ……って、ガスって何ですか。それ!?」
「燃える空気とでも言えばいいのかな。広場に何本も街灯があるだろう。あいつに燃える空気を送り込んでる管が、広場中に埋められているんだ」
「燃える空気……ですか? 帝都には不思議な物があるんですね」
副長が初めて聞くガスという存在に、意外そうな表情を浮かべた。そんな副長の気持ちにはお構いなしに、
「ガス管を壊してガス漏れを起こし、ガスが十分に充たされた頃合いを見計らって火の魔法を放った……というところか。なるほど、それならば強い魔力がなくても、いくらでも大きな爆発を起こせるということか。見事な作戦じゃないか」
ヒゲ面の隊長は魔導師の仕掛けに感心していた。
「隊長。攻撃の合図を!」
気持ちの逸る若者が、また開始の合図を求めてくる。それに隊長が、
「まあ待て。まだ俺たちが手を出す状況が整ってない」
と言って、落ち着いた感じで開始に待ったをかけた。
「第3部隊、参戦したようです」
広場の奥で火の手が上がった。それを見た副長が、銃を構えて立ち上がる。
炎が人々を焼いていた。そこで上がる阿鼻叫喚の悲鳴が、反響音と共に聞こえてくる。
炎を起こした第3部隊がいるのは、広場を挟んだ反対側の建物の上だ。そこから広場に向かって、何かが放り投げられた。
「ヘタクソが……」
結果を見た隊長が零した。
投げられたのは火炎瓶だ。それが露店の布製の屋根に落ちて大きく弾んだのだ。それで勢いを殺された火炎瓶が、別の露店の屋根に落ちて転がっている。割れなかったため、何も被害を起こしていない。
とは言え、2か所で爆発と発火があったため、広場は大変な騒ぎになっていた。群集心理としては騒ぎの中心地からできるだけ離れたい。そのため他人を押し退けても自分が助かろうとする人たちで、広場は大混乱になっているのだ。
「まだ撃つな。もっと引きつけるんだ」
ヒゲ面の隊長は、じっくりと群集の動きを見ていた。
男たちのいる建物は、広場から出る大きな通りに面している。それも坂を緩やかに下っていく大通りだ。そこに逃げ出そうとする人々が殺到してきた頃合いを見計らって、
「撃てぇ〜〜〜〜〜〜〜〜っ‼」
ついに攻撃命令を出した。
押し寄せる群衆に向かって複数の銃口が火を噴いた。
先頭付近を走っていた者が撃たれて、その場に倒れた。その後ろを走ってきた者たちが、倒れる者に足を取られて転倒する。更にその後ろを走ってる者たちも次々と巻き込まれた。しかも下り坂であるために、止まりきれなかった者たちが倒れた者に覆い被さり、折り畳まれるように倒れていったのだ。
それで倒れた人たちが道を塞ぐ形になった。前を塞がれ、パニックになった人たちが引き返そうとする。だが、後ろからは目を血走らせた人たちが殺到してきているのだ。やはり下り坂であるために止まれない。たちまち両者がぶつかってグチャグチャになった。逃げ場が詰まり、大勢の人たちが逃げるに逃げられない状況に陥っている。
「これでも喰らいやがれっ!」
それで動きの止まった群衆を飛び越すように、副長が砂糖なしの火炎瓶を投げた。それが向かい側にある建物の壁に当たって砕け散る。それで飛び散った油に火がつき、地上に火の雨が注がれていく。
この炎が人々の恐怖心を更に煽った。地上の悲鳴がひときわ大きくなったのだ。
他人を殴り倒してでも生き延びようとする人が出てきた。その者に対して周りから怒号が浴びせられる。いったい誰が悪者で誰が被害者なのか。広場から出る道は、そんな渾沌とした状況に陥っていた。
「そーれ、飛んでけっ!」
ヒゲ面の隊長も、反動をつけて火炎瓶を放り投げた。狙いは広場の中央だ。
騒ぎから遠く離れた広場の中央ならば安心などと思わせないため、できる限り遠くまで飛ばそうとしている。
『きゃあああぁ〜〜〜〜〜……』
隊長の狙い通り、火炎瓶は広場中央付近にいた人込みに落ちて砕け散った。隊長が投げたのは放火用に砂糖を入れた火炎瓶だ。砂糖でベタベタになった油は、物にまとわりついて燃え続ける。そんな油が衣服についた人たちが、何人も火ダルマにされていた。
「よし。残りの火炎瓶を投げ終わったら撤収だ。長居は無用だぞ」
2つめの火炎瓶を投げた隊長が、部下たちに引き揚げを告げる。
テロリズムは戦いを目的としない。騒ぎを起こして相手を混乱させ、恐怖を与えることが目的なのだ。そのため犠牲者を出すよりも騒ぎに巻き込まれる人数を増やすことが最優先される。憎しみの余り混乱した民衆にトドメを刺す者もいるが、それよりもまだ被害に遭ってない者を見つけたら、無差別に襲う方が目的に適っている。
しかし、テロリズムの目的はそこで終わらない。民衆に与える恐怖を一時的なものにしないため、テロを起こした者は逃げ延びなければならないのだ。1人でも逃げ延びれば、それが次の襲撃を予感させる恐怖を演出する。しかも逃げ延びた人数が多いほど、民衆の感じる恐怖は大きくなるのだ。
「隊長。すべて投げました」
「うむ。では、撤収だ。全員、バラバラに……」
報告を受けた隊長が、そう言って銃に弾を込めている若者の背中を押そうとする。ところが最後まで言い終わらないうちに、
「隊長! 敵が飛んできます!!」
という部下の言葉に遮られた。
剣を構えた若い剣士が、跳躍の魔法で空を飛んで迫ってきている。
それを見たヒゲ面の隊長が、腰に下げていた剣を抜き放って剣士を待ち構えた。
「させるか!」
弾を込めていた若者が、銃口を剣士に向けた。
その剣士は、空中で剣の先に炎を生み出している。
「灼熱の炎よ!」
若者が引き金を引くよりも早く、剣士が炎を撃ち出した。
若者に巨大な火の玉が迫ってくる。それを前にした若者が、恐怖のあまり固まってしまった。わずか一瞬のことだったが、若者にはそれが命取りになった。
「うわぁぁぁ〜〜〜〜〜……」
若者が逃げようとした時には、もう手後れだった。火の玉に呑まれ、炎が全身を包んで焼いていく。その熱さに堪らず、若者は床に倒れてもがいていた。
その炎の背後から剣士が飛び出してきた。
「うぐっ……」
剣士が反応の遅れた者を斬りつけた。着地と同時に返す剣先でもう1人を串刺しにする。
「隊長!」
「相手にするな。やられた者には申し訳ないが撤収だ」
応戦しようとする副長を制して、ヒゲ面の隊長が逃げるようにうながした。
その言葉を受けて、すでに部下は階段を駆け下っている。
一方、ドラゴン教徒を串刺しにした剣士は、抜いた剣に魔法をかけていた。人を斬った剣には脂がついて切れ味が悪くなる。それを魔法で落として、手入れしているのだ。
そして手入れを終えた剣士が剣を構え直し、
「帝都に仇なす奸賊どもよ。悪事を働いたあなたたちに、帝都を守る近衛騎兵隊長たるこのロード・クラウ・アスピス・リ・フローレス・ド・アキロキャバス・ユーベラスが、天に代わって天誅を下します!」
と名乗りを上げた。ところが、
「……ちょ、ちょっと、きみたちは礼儀というものを知らないのですか!?」
剣士クラウの言葉を最後まで聞かず、ドラゴン教徒たちは屋上からいなくなっていた。あとに残されたのは、虫の息となった者だけである。
「うわぁ〜っ。逃げられました!」
クラウが慌てて駆け出した。向かう先は階段のある建物の入り口だ。だが、
「階段で追ったのでは間に合いません!」
そう思ったクラウが向きを転じた。直感的に広場とは反対方向だ。
そのまま屋上を囲む柵を乗り越え、一気に飛び降りる。
「浮け!! 外から先まわりです!」
自由落下しながら、浮遊魔法で落下速度の調整を図った。5階の窓、4階の窓が通りすぎる。そして3階の窓の少し上に足をつけ、そこからクラウは外壁を駆けた。向かっているのは建物の裏口だ。
「逃がしません!」
クラウが1階に達する寸前、裏口から銃を持ったドラゴン教徒が駆け出してきた。真っ先に屋上から逃走を図った男だ。
その男を逃がすまいと、クラウが壁を蹴って飛び降りる。
「ぐゎ……」
男は相手が上から襲ってくるとは思わなかったのだろう。無防備なまま背中を斬りつけられ、絶叫を上げる間もなく倒されてしまった。
「あと2人……」
振り返ったクラウが、そう零して裏口を警戒した。剣を構え直し、飛び出してきたドラゴン教徒を迎え撃とうとしている。だが、
「出て……きませんね……」
残るヒゲ面の隊長と副長が、裏口から出てくる気配はなかった。
「足音も聞こえませんね……」
クラウが慎重に建物の中を覗き込んだ。外の明るさに目が慣れているため、屋内は真っ暗に見える。しかし徐々に暗さに慣れ、壁や階段の輪郭がハッキリしてきた。
「気配を殺して隠れてますか?」
クラウが警戒を続けながら建物に足を踏み入れた。
裏口から短い廊下が奥へ伸びている。その奥にはドアがあるだけだ。
右側は一面の壁である。そこにドアは1つもない。
そして裏口から向かって左側には階段がある。幅は人がすれ違える程度。階段の両側は壁になっていて、時計まわりで登るようになっている。
「ここを登るのは不利ですね」
階段に近づき、クラウがそう言って見上げた。このような作りの階段では、登る側は内側の壁が邪魔になって剣を扱いづらいのだ。
「来ませんね。ということは……」
しばらく待っても誰も来ないため、クラウは視線を奥のドアへ向けた。
ゆっくりとドアに近づき、小さく開けて中を窺う。
「喫茶店……ですか?」
ドアの隙間から見えた室内には、いくつもの小洒落たイスとテーブルが並んでいた。
ドアの前にはカウンターがある。ドアからはカウンターを横から見るような感じだ。そのカウンターの奥にある棚は、側板が邪魔してドアからは見えない。
そしてカウンター内には、顔を真っ青にしたマスター風の男が立ち尽くしていた。
「すまない、ご主人。わたしの前に、このドアから入ってきた者はいませんか?」
剣を構えたままクラウがドアを開けた。そのクラウの声に、男が「ひいっ」と小さな悲鳴を上げる。だが、男はクラウの服装を見て、
「こ、近衛隊の隊長の方ですか……」
と、少し安心したようだ。軽く深呼吸した男の顔に、少しずつ血の気が戻ってくる。
「いったい、外で何が起きてるんですか?」
クラウの質問には答えず、男が大きな窓の外を指差した。
喫茶店の広場に面した側には、はめ殺しの大きなガラス窓が作られていた。そのガラス窓の外では、大勢の市民が目を血走らせて逃げまわっている。誰も店へ逃げ込んで来ないのが不思議なほどの騒ぎ様である。
「テロです。市民にかなりの数の被害者が出てると思われます」
「テロですか!? この帝都で?」
クラウの言葉に、男が息を呑んだ。
その男が何を思ったのかグラスを2つ用意し、氷を入れてポットから紅茶を注ぎ込む。
「それで、わたしの前に誰か来ませんでしたか?」
「それなら銃と剣を持った2人組があのドアから外へ……」
クラウの質問に、男がそう言って店の出口を示した。
そのドアが外から押されてギシギシ鳴っている。それを見たクラウが、市民たちがどうして店に逃げ込まないのか理解した。ドアは内側から外に向かって開く作りだ。そのため焦って外から押している人たちには開けられない。ただ、それだけの理由だ。
「人込みの中に逃げられましたか……」
窓の外では、今も大勢の人たちが安全な場所を求めて逃げ惑っている。その様子を見ながら、クラウはそう零して息を吐いた。
「ご主人。お騒がせして申し訳ありませんでした」
店の男に詫びを入れて、クラウは抜いていた剣を鞘に戻した。そして軽く一礼してから、外へ出ていこうとする。そのクラウを、
「あ、近衛隊長さん」
と、男が呼び止めてきた。その呼びかけに、クラウが立ち止まって振り返る。
「飲んでいきなさい」
そう言って、男がアイスティーをカウンターに置いた。それは男が先ほどグラスを用意して作り始めた飲み物だ。
「これからしばらくは、何も口にできないでしょう。それに今日みたいな暑い日には、冷たい飲み物は心を落ち着けます」
男がクラウにアイスティーを勧めながら、もう1杯作った分を自分で飲んでいる。クラウに勧めるというより、自分を落ち着かせるために作ったようだ。
「ご主人。お心遣いに感謝します」
カウンターまで戻ってきたクラウが、軽く礼を述べてアイスティーを一気に飲み干した。そして空になったグラスを戻すと、逃げた2人を追って外へ飛び出していった。
その頃、完全に出遅れたナバルは、
「すまん。道を譲ってくれ!」
サーベルを持つ手を高く掲げて、人込みの中で立ち往生していた。
人の流れはナバルの進もうとする方向とはほとんど逆向きだった。しかも前が詰まってギュウギュウに密集しているため、亀の歩みのようにゆっくりとしか流れていない。
「バカヤロー。こんなトコで物騒なもんチラつかせるンじゃねーよ!!」
ナバルの横を通った男が、すれ違いざまに文句をぶつけてきた。
「きゃーっ! こっちに来ないでっ」
次に正面に来た女も、流れを妨げるナバルに怒りをぶつけてくる。
「ったく、どういう人の多さだよ」
流れに押し戻されたナバルが、不満を口にした。ナバルは慣れない人込みに呑まれて、まったくと言うほど進めないでいるのだ。
「ナバルさん。何してるのよ!」
誰かがそう言って、ナバルのサーベルを持つ手を摑んできた。その相手の少女は、魔法で人込みの上に浮かんでいる。
「メ、メイベルさんか? 教会へ逃げたんじゃ……?」
「それはいいから、引き上げるわよ! うわっ、重いっ!!」
メイベルがナバルを摑んだまま引き上げようとする。ところが、
「俺も連れてってくれ」
「あたしも!」
「頼む。わしも助けてくれ!」
引き上げようとしたナバルの足に、市民たちが次々としがみついてきた。その重みに負けて、メイベルが人込みへ引きずり込まれそうになっている。
「おまえら、離せ!」
「自分だけ助かろうとしてるんだろ」
「あたしたちも連れてってよ!」
ナバルが足を振って払い落とそうとするが、摑まる市民たちも助けてもらおうと必死だ。それを引き上げてるメイベルが、
「ちょっと揺らさないでよ! 落ちる、落ちちゃう……」
と下に文句を言うが、誰も耳を貸そうとしていない。
「みんな、離してよ。わたしたちは、これから爆発のあった所へ向かうのよ」
「騙されないぞ。自分たちだけ逃げようとしてるんだろ」
「あたしも連れてってよぉ〜!」
メイベルの必死の訴えも、猜疑心に囚われた市民たちの耳には届かないようだ。摑まってくる人の数が更に増え、今にも重みに負けて落ちそうである。
「そんなに連れてって欲しいなら、おまえを連れてってやる」
いきなりナバルが体格の良さそうな男の首根っこを摑んだ。
「これから騒ぎを起こしたやつらを退治しに行くんだ。おまえ、腕っ節が強そうだから、一緒に戦おうぜ」
「……ええっ!?」
今のナバルの言葉に、男の顔が急に蒼くなった。それと同時に、摑まっていた市民たちが、パラパラと離れていく。
「武器はそこらにある物を適当に使ってくれ。今は戦う人手が欲しかったんだ。献身的な志願を感謝するぜ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。お、俺は……」
男の顔から血の気が失せていた。その男の首根っこから、ふいにナバルが手を放す。
「今だ!! メイベルさん、飛ぶんだ!」
「わかったわ!」
メイベルが奥歯を噛みしめて、ぐいっとナバルを引き上げた。ナバルの機転が利いて、足に摑まっていた市民は誰もいなくなっている。それを確かめたメイベルが、
「一気に飛ぶわよ! 高く飛べ」
弾道軌道を描くように広場の中央を目がけて飛んでいった。
最初の爆発のあった場所、そこは広場を南北に貫く大通りだった。馬車の走る車道にはレンガが敷き詰められ、その横に作られた広い歩道にも別の色のレンガが敷かれている。
そのレンガが今は吹き飛ばされ、そこにすり鉢状の大きなくぼみができていた。
くぼみは深さ2m、直径は3mぐらいだろうか。歩道の地下に埋められた陶器製のガス管がむき出しとなり、車道の地下を流れる動力用の水路が見えている。
ここにいるのはケガして動けなくなった市民と、たまたま現場に居合わせ、献身的に応急手当てをしている聖職者たちだけだ。動ける市民たちは逃げて、今は閑散としている。
そんな中、やることがなく手持ち無沙汰のナバルが、
「俺も何か手伝おうか?」
と市民を手当てしている修道士に声をかけた。
手当てされている商人風の青年は頭に大ケガしていた。なかなか血が止まらないのか、巻かれた包帯が真っ赤に染まっている。
「手当ては我々の仕事だ。それよりもきみは周りを警戒しててくれ」
声をかけられた修道士が、ナバルにそう返して東の方角を指差した。彼の示した先からは銃声や爆音が聞こえてくる。駆けつけた治安部隊とドラゴン教徒の間で、今も戦闘が行われているのだ。
「周りを警戒……ねぇ」
修道士の言葉を繰り返して、ナバルが嘆息した。
メイベルに人込みの中から引き上げてもらったあと、ナバルは再びドラゴン教徒たちを追おうとした。だが、どちらへ向かおうとしても、逃げようとする市民たちでごった返している。そのため更に2度も混雑に呑まれ、そのたびにメイベルに助けられていたのだ。
そんな経緯があったためにナバルは追撃参戦をあきらめ、ここで警備役を買っている。
とはいえ、ここは大通りのど真ん中。近くには視界を妨げる露店はない。しかも周りから市民たちが逃げたため、周囲は丸見えだ。誰かが警戒しなくても、ドラゴン教徒が近づいてくれば丸わかりである。
そのためナバルは自分だけがやることなく、やる気を持て余していた。
そのナバルを3度も人込みから引き上げたメイベルは今、壮年女性を手当てしている。
女性は全身に大ヤケドを負っていた。しかも左腕を骨折し、右の太腿にも深い傷を負っている。パセラはその女性の腿のつけ根を包帯で縛り、更にねじり上げて応急の止血処置を施していた。
「パセラ、包帯を緩めて。止血の具合を確かめたいわ」
メイベルが大量の血で汚れている女性の大腿から手を離した。そして汚れてない手の甲で、玉のように噴き出た額の汗をぬぐう。
パセラが止血のためにねじっていた包帯を緩めた。
「メイベルぅ。ちょっと血が出てますよぉ」
「そうね。でも、このぐらいなら問題なさそうだから、あとは任せるわ」
メイベルが痛がる女性の首にかかっているカードから、赤い色の部分を千切り取った。
そこに、
「お待たせ。教会から救急箱を持ってきたわ。医療チームもすぐに駆けつけるはずよ」
と言って、大きな鞄を持った修道女が飛んできた。
彼女も騒ぎに居合わせた1人だ。飛行魔法が使えるため伝令として教会へ飛び、救急箱を持って戻ってきたのである。ちなみに彼女が着ているのは水色の修道服。青系の修道服は着ている者が一人前の修道女であることを示している。水色はその夏服バージョンだ。
メイベルたちにとっては先輩の修道女である。
「包帯、2つくださぁ〜い。それと消毒と痛み止めのお薬はありますかぁ?」
やってきた女性に、パセラが大きな声で必要な品を求めた。
「はい。包帯と清潔な布よ。それから救急医療カードは足りてるかしら?」
パセラに包帯と布を渡して、先輩の修道女がカードの需要を尋ねてくる。その彼女の額には、メイベルと同じように大粒の汗が浮かんでいる。
「カードを1枚くれ。こっちは赤だ。急いで止血しないと危ないぞ」
そう言ってカードを求めてきたのは、先ほどナバルに声をかけられた修道士だった。
それを聞いたメイベルが、
「こちらは終わりましたので、手伝います!」
と言って立ち上がる。そのメイベルを、
「メイベルは少し休みなさい。あなた、かなり魔法を使ったんじゃない? それにあなたは厨房係でしょう。それも宮廷付きの……。あとは医療係に任せなさい」
と言って先輩修道女が止めてきた。彼女の袖章は赤い3本杉だった。野生生物たちがケガを殺菌力のある杉の葉で手当てするところから、杉は医療の象徴物なのだ。
「まだ動けます。それに、こんな状況で厨房係も医療係もありません。まして宮廷付きなんて……」
「手当ての状況を教えて。赤は何人残ってる? それと黒と黄色の数は?」
メイベルの言葉を遮って、先輩修道女が被害と手当ての状況を尋ねてくる。
「たぶん、ここの赤はこの人で最後だ。黒はいない。あとは黄色が30人以上……」
質問に答えたのは市民の手当てを続ける修道士だ。
会話に出てくる赤や黄色などの色は、救急医療におけるケガ人の区分けである。
赤は命に関わる重傷でこの場での応急手当てが急がれる者。黄色は重傷ではあるが、命の危険がないため手当てを急ぐ必要はないとされた者。逆に黒は命に関わる重傷であるが、応急手当てでは済まないほどの重傷であるために治療を後まわしにされる者の意味だ。他に治療済みないし軽傷を意味する青の区分けもある。
先輩修道女の持ってきた救急医療カードには下から黒、赤、黄色、青の帯が印刷され、被災者の程度に合わせて千切れるようになっている。
「赤はあと1人だそうだから、もう十分だわ。だから、あとは医療係に任せなさい」
先輩修道士がそう言って、持ってきた救急箱を手当てを手伝う見習い修道女に渡した。彼女の袖章は楽譜と音符の絵が刺繍された金縁だ。宮廷聖歌隊の少女である。
「はい。では、お言葉に甘えて……」
先輩に休むように言われて、メイベルはようやく休むことにした。
「ほれ、お疲れさん」
一息つけたメイベルに、ナバルがタオルを放ってきた。それに「ありがとう」と短く返して、メイベルが路肩に転がっている木箱に腰を下ろす。
「なんか、すごく疲れてないか? まるで散々走りまわったあとみたいだぞ」
腰を下ろしたメイベルは、俯いたまま肩で息をしていた。被害者の応急手当てに忙しかったとはいえ、メイベルの疲れ方は大仕事をしたというよりも、激しい運動をしたあとのような感じだ。そんな様子を見たナバルが、心配そうに声をかけてくる。
「それは……当然よ。魔法を使いっ放し……だったんだもの……」
俯いたまま、メイベルが途切れ途切れの息で答えてきた。
「魔法って、そんなに疲れるのか?」
「魔法はね、見かけよりもはるかに大きな体力を消耗するのよ。ただ浮かぶだけでも、同じ時間駆け足するのと同じぐらい疲れるのよ。飛行魔法だと疲れは全力で走るのと同じぐらいよ。それに今日はナバルさんを引っ張り上げて飛んだから、ナバルさんの体重分だけ余計に疲れてるのよねぇ〜。それも3回も」
そう答えたところで、メイベルがゆっくりと顔を上げてきた。その言葉に、ナバルがばつの悪そうな表情を浮かべて「悪かったよ」と零して、頭の後ろを掻いている。
「まあ、それはともかく……だ。その同じぐらい疲れるっていうのは、感覚の話だろ?」
「ちゃんとした科学よ。運動は筋肉の伸縮という縦の動き、魔法は筋肉の振動という横の動きで生まれるの。だから運動と同じように、魔法を使うと疲れるのよ。これは大魔導師で魔法生理学の祖パヴロ・ライルが発見した科学的な事実なの。そして、その後の学者たちによって、魔法を使うことで、どれだけのカロリー消費があるか、どれほどの疲労物質が生み出されるか、しっかりと研究されてるわ」
メイベルがそう言って、ナバルの言葉をビシッと否定した。その言葉に、
「そこまで理屈っぽく否定することはねえだろ……」
と、ナバルが呆れたようにぼやく。
「じゃあ、質問ついでにもう1つ。魔法で手当てしてたみたいだけど、血を止めるぐらいしかしてなかったよな? 魔法なら跡形もなく完全に治すとか、もっとすごいことができるように思うんだが……」
「それは、よくある魔法に対する思い込みね。たぶん不可能ではないと思うけど、それには高度な知識と、それを実現できるだけの魔力が必要になるわ」
そこまで答えて、メイベルが大きく肩を上下させて深呼吸する。
「魔法は知識と想像力がないと使い物にならないの。絵を描く時や文字を書く時を想像してみて。見たままを写生しようと思っても、なかなか上手く描けないでしょう。思い通りの綺麗な文字を書けないなんてことはない? 絵や文字は頭の中に思い描いた映像そのものなの。正確に描けないとか、綺麗な文字を書けないとしたら、それは頭の中でしっかりとした映像を思い描いてない証拠なの」
「言いたいことはわかるが、それが魔法とどんな関係があるんだ?」
「大ありよ。完璧に治療しようと思ったら、治すところの詳しい構造を知ってなくちゃならないの。血管とか、神経とか、筋繊維とかね。でないと傷が治っていく様子を細かく思い描けないでしょ。見た目には跡形もなく治ったけど、手が動かなくなったとか、血が通わなくて壊死したとか。そこまで悪くなくても今まで通りに動かせないとか、感覚がなくなったとか、逆にいつまでも痛みが消えないとか。そんな話、これまでにもイヤと言うほど聞かされてるわ。それほど魔法は、中でも治癒魔法は難しいのよ。もっとも……」
そこまで言いかけたところで、メイベルが手を胸の高さまで上げて天を指差した。その人差し指の先にボッと炎が現れる。それをナバルに見せながら、
「こうやって火を作るとか、飛ぶとか、触れた物を浮かせるとか、血を止めるとかするような魔法は、知識よりも経験と練習で使えるようになれるのよ。だけど、こういう魔法はたくさんの体力を使うから、あまり使えないのよね」
と話を続ける。
「なんだ。そう言われると、魔法はあまり使い物にならないみたいだな」
「そうハッキリ言われるとカチンとくるけど……。ホント、せっかく魔法が使えても、それなりに訓練や勉強しないと大した魔法が使えないのよね」
苦笑したメイベルが、そう言って大きく息を吐いた。
そのメイベルから視線をはずして、ナバルが軽く周囲に目を配った。
話をしてる間に、水色の修道服を着た先輩修道女は、被災者の止血を終えたようだ。その人の首にかけられた救急医療カードから赤い部分が千切られ、今は黄色になっている。
ドラゴン教徒と治安部隊の戦いは終わったのか、銃声や爆音は聞こえなくなった。それで残した荷物が心配で戻ってきたのだろう。露店に1人2人と商人たちが戻ってきている。
「あ、でもね。女の子にとっては苦労しても魔法を使う意味はあるのよ」
唐突に、メイベルがそんな言葉を放ってきた。それにナバルが、
「女の子にとって?」
と、怪訝そうな表情をメイベルに向ける。
「どんな意味があるんだ?」
「それは決まってるじゃない!」
ナバルの質問にメイベルが意味もなくこぶしを握り、
「この世には肥った魔法使いがいないからよ!!」
と返してきた。その言葉に、ナバルの脳内が一瞬真っ白になる。
「はああぁ〜〜〜〜〜〜〜〜…………!!?」
「な、なによ、その驚き方は!? 男の人にはわからないでしょうけどね。肥るか肥らないかは、女の子にとっては命と同じぐらい大きな問題なのよ」
すっかり脱力したナバルに向かって、メイベルが顔を真っ赤にして訴えてきた。
「魔法はね、たくさん体力使うから肥らないの。これ、女の子にとってはすっごく大切なことなんだから」
メイベルが「すっごく」の部分に力を込めた。そんなメイベルの発言に、
「おまえ、不用意な一言で墓穴掘ってないか?」
と、ナバルが呆れている。そこに、
「魔法を使ってれば肥らないって意見には賛成よ」
と言って、水色の修道服を着た先輩修道女がやってきた。その先輩修道女が、
「運動するより、手軽なのが魔法の良いところよね。あ〜、疲れた」
などと言いながら、メイベルの近くに転がる布の上にゴロンと横になった。
「それにしても医療チーム、来るのが遅いわね。何してるのかしら?」
「そう言えば、なかなか来ませんね。ん……!?」
ふいに何かを感じたメイベルが、顔を左に向けた。
「今の感じ、騒ぎの前に感じた魔法の波動に似てない?」
先輩修道女も身体を起こして、左へ向けている。教会のある方向だ。
「まさか広場の騒ぎは陽動で、本当の狙いは教会……」
「違うみたいです! 風の障壁よ!!」
反射的に立ち上がったメイベルが、波動を感じた方向に両腕を伸ばした。メイベルの前に光の壁が広がる。とほぼ同時に、何処からか無数の炎の礫が飛んできた。それらが壁とぶつかり、強烈な閃光を生じさせる。
「なんだ!?」
ナバルが閃光に目を眩まされた。激しい爆音がお腹にズズンと鈍い震動を与えてくる。
「破られた!」
咄嗟に作り出した障壁には、十分な強度がなかった。障壁に穴が空き、そこから炎の礫が入り込んでくる。
「盾よ!」
それを防いだのは、先輩修道女の放った魔法障壁だった。だが、
「異教徒どもめ!」
次の瞬間、ドラゴン教の魔導師が体当たりで魔法障壁に大きな裂け目を作ってきた。魔導師の身体が炎に焼かれるように、魔法障壁に触れて赤く腫れ上がっていく。彼の着ている服も、ボロボロと朽ちるように零れ落ちていった。
「いつの間に!?」
目の前で起きた壮絶な光景にメイベルが怯んだ。メイベルの放つ魔力が弱まり、障壁の形が崩れる。その一瞬を見逃さず、2人のドラゴン教徒が障壁を破って斬り込んできた。
「エ、シル……」
先輩修道女が魔法を組み直すが間に合わない。その彼女にドラゴン教徒の剣先が迫る。
「させるか!」
ナバルが間一髪で斬戟を防いだ。ナバルに突き飛ばされる格好になった先輩修道女が、レンガ敷きの地面に転がる。
襲ってきた男が剣を引いてナバルから離れた。そして剣を両手で構え直すと、姿勢を低くして突進してくる。
2人の刃がぶつかり、カチンカチンと高い音が鳴り響いた。こうなると細いサーベルを武器にするナバルが不利だ。
「くっ……」
案の定、根元からサーベルが折れてしまった。ナバルの足許に落ちた刃先が、回転しながら地面を滑っていく。それで武器を失ったナバルを見てほくそ笑んだドラゴン教徒が、大きく振りかぶって始末をつけようとする。
しかしナバルは、その一瞬の好機を見逃さなかった。振りかぶることで生じた死角を突いて、ナバルは相手の懐へ飛び込んでいた。そして肩を相手の脇に入れ、振り下ろされる剣の動きを封じようとする。
「うぎゃあぁ……!!?」
ナバルの肩に腕が当たった途端、ドラゴン教徒の腕から鈍い音が聞こえてきた。と同時に彼の口から、驚きとも悲鳴とも取れる大声が放たれた。
ドラゴン教徒の手から剣が落ちる。よろめくように逃げようとする彼の左腕は、折れ曲がってだらしなく垂れていた。
そのドラゴン教徒の落とした剣を、ナバルが拾い上げる。形勢逆転だ。しかし、
「邪教の魔術を使う異教徒め!」
障壁を破って斬り込んできたのは1人ではなかった。更に1人が魔導師の背中を踏み台にして、障壁を作るメイベルに襲いかかってくる。
「灼熱の嵐よ!」
反射的にメイベルが炎の術を放った。その炎に焼かれながら、
「神竜と共に!!」
男が叫びながら突っ込んでくる。
「や、やだ……」
メイベルは目を丸くしたまま動けなくなっていた。そのメイベル目がけて、炎に包まれた男が剣を振り下ろしてくる。その恐怖のあまり、メイベルは逃げるどころか目を閉じて顔を背けることすらできなくなっていた。
(やられちゃう!)
そう思ったメイベルの前に、横から黒い影が飛び込んできた。
黒い影が炎に包まれた男にぶつかって弾き飛ばした。それで向きの変わった男がメイベルをかすめ、背後へ消えていった。
「な、なんなのよ……?」
助かったと思ったメイベルの足から、一気に力が抜けていった。そのままへたれ込むメイベルの耳に、何かが地面を擦るズザザッという音が聞こえてくる。
「あちち……」
続いてメイベルの耳に、知っている声が聞こえてきた。それで我に返ったメイベルが、恐る恐る後ろを振り向く。
「ナバル……さん!?」
振り返ったメイベルの目に、背中から炎を上げるナバルの姿が飛び込んできた。ナバルの前には剣を突き立てられ、炎に焼かれる男の姿がある。
「大変だわ。救済の泉よ。火を消して!」
先輩修道女が、慌てて水の魔法を放った。
最初の爆発でむき出しになった地下の水路から、水が勢いよく噴き出してくる。その水が空中で何かにぶつかったように砕けて、シャワーのようにナバルに降り注いだ。
そのシャワーは炎に焼かれる男にも降り注いでいる。それで炎に隠されていた男の黒焦げになった姿が露になってきた。
その姿に顔をしかめたメイベルが、次に視線を男の反対側にいるパセラに向けた。
パセラは男を見詰めたまま、真っ青な顔で立ち尽くしている。そのパセラがメイベルの視線に気づいて、黙ったまま顔を横に振った。
「異教徒どもめ。まだ、終わってはおらぬ」
メイベルの耳に、そんな声が聞こえてきた。声の主はドラゴン教の魔導師だ。メイベルの作った魔法障壁に身を挺して裂け目を作ったため、全身がボロボロになっている。その魔導師が杖を突いて立ち上がり、なおも抵抗を続けようとしている。だが、
「うがあぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜……」
何処かから飛んできた弓矢が、次々と魔導師に突き刺さったのだ。それで断末魔の叫びを上げたまま、魔導師が地面に倒れて事切れる。
その魔導師の姿を、メイベルは黙って見ていた。
「おい。大丈夫か?」
どのくらい茫然としてたのか。誰かに腕を摑まれて、メイベルがハッと正気づいた。
「ナバルさん?」
腕を摑んできたのはナバルだった。ナバルの髪は先ほどのシャワーを浴びたせいで、前以上にボサボサになっている。そのナバルがメイベルを心配そうに見て、
「立てるか? ケガとかは……してないようだな?」
と尋ねた。
「ケガの方は大丈夫。だけど足が……あはは……笑ってるみたい……」
メイベルの口から乾いた笑いが出てきた。ケガはないものの、足がすくんで力が入らないようだ。そこに、
「おーい。みなさん、大事はありませんか?」
と言ってクラウが駆けつけてきた。そのクラウと一緒に、数名の近衛兵が駆けてくる。
「おわっ、メイベルちゃん!! まさか、おケガをされたのですか!?」
座っているメイベルを見て、クラウが驚きの声を上げた。そのクラウに、
「大丈夫よ、クラウさん。ちょっと腰が抜けただけだから」
と、メイベルが苦笑しながら答える。
「腰が!? それだけ……ですか? それなら良いのですが……」
クラウが心配した表情を浮かべつつも、メイベルの無事に安堵した。そして、メイベルの前で片膝を突き、更にメイベルの手を両手で包むように取って、
「大変に申し訳ありません。僕が賊を取り逃がしたばかりにご迷惑をおかけしました」
と謝罪してきたのだ。そのクラウに、
「わざわざ手を握らなくてもいいでしょう」
と、メイベルが冷たい声を返してくる。
「こいつを連行しろ」
腕を折られて戦意を失ったドラゴン教徒を、駆けつけた近衛兵が荒縄で縛っていた。その様子を横目で見るナバルが、
「クラウ。この騒ぎはいったい……」
と尋ねてくる。
「ああ、これはですね」
メイベルの手を放したクラウが、そう言いながら立ち上がった。そして背中に何本もの矢が刺さっている魔導師のところへ行き、足で蹴り上げたのだ。
ひっくり返された魔導師の重みで、背中に刺さった矢がバキバキと音を立てて折れる。その魔導師の胸許に輝く金バッジを指差して、
「このバッジが何だかわかりますか?」
と逆に尋ねてきた。
「知らん」
「ナバル。少しは考える素振りぐらいしてくださいよ」
即答したナバルの言葉に、クラウががっくりと肩を落とした。そして、
「これはソルティス教と対立するドラゴン教団のバッジです。『異教徒には死を』が信条の、過激な狂信集団ですよ」
と話しながら、魔導師の服からバッジをむしり取った。
「ドラゴン教団!? 聞いたことないな」
「ナバルは無学すぎますね」
そう言ったクラウが、大袈裟に溜め息を吐いてみせる。
「ドラゴン教団はマウンテン・ドラゴンを自然の守り神として信仰する宗教一派です。かつてドラゴン族には高度な文明が栄え、人間はそのドラゴンたちから言葉や知識を授かったという伝説がありますけど、実在するドラゴンは人間に危害を加える怪物ですからね。そんなドラゴンを信仰する人たちの気が知れませんよ」
そう説明したクラウが、ナバルにバッジを投げてよこした。
「ドラゴンって、本当にいるのか? 俺、ただの伝説だと思ってたけど」
「ナバル。勝手に伝説にしないでくれませんか」
しげしげとバッジを見ているナバルに、クラウが呆れたと言いたげな視線を送っている。
「それはそうと、メイベルちゃんの友人Aくん。きみはいったい何をしてるのですか?」
ふと視線を横に向けたクラウが、大きな布を持つパセラに声をかけた。そのパセラは、
「いくら異教徒さんでも、屍を野ざらしにされるのは可哀想です」
と言いながら、亡き骸を布で覆っていたのだ。パセラが持ってきた布は、露店で敷布として使われないまま積まれていたものである。
「可哀想って……。きみ、意外と落ち着いてますね」
「そうですかぁ?」
などと言いながら、パセラが魔導師の亡き骸にも布をかぶせた。
「目の前で人死にが出たら、きみが一番泣き叫びそうに思えるのですが……」
「わたし、頼りなさそうに見えても、一応は修道女ですよ。慣れるものではないですけど、事故や災害があると何度も手伝いに駆り出されますから、イヤでも免疫がつきます」
と答えたパセラが、クラウに横を見るようにうながした。その先にいるのはパセラよりも幼い、宮廷聖歌隊の見習い修道女だ。彼女もこういう現場には慣れているのか、テキパキと応急手当てを手伝っている。
「でも、さすがに自分が襲われるのは初めての経験だわ。あんなに怖いこと、もう二度と御免こうむりたいわね」
そうぼやきながら、メイベルがゆっくりと立ち上がろうとする。
「えっ!? メイベルちゃん、賊どもに襲われたのですか?」
メイベルの言葉に驚いたクラウが、丸くなった目を向けてきた。
「僕はてっきり目の前で斬り合いがあったので、それで腰を抜かしたとばかり……」
「わたしも、できればそういう理由で腰を抜かしたかったわ」
クラウの言葉に、メイベルが皮肉を込めて気丈なことを言う。だが、まだ足に十分な力が戻ってないのか、膝がガクンと落ちてよろけてしまった。
「おいおい。気をつけろよ」
「あ、ナバルさん。何度も悪いわね」
ナバルに抱えるように支えられたメイベルが、そう言って軽く舌を出した。そして、
「ちょっと肩を貸してね。まだ膝がガクガク震えてるわ」
ナバルの肩に左手を置いたメイベルが、右手で膝をパンパンと叩いてみる。
それを見たクラウが、
「メイベルちゃん。肩なら僕が貸してあげ……」
と残念そうに言いかけた。そのクラウの背中を、
「クラウさん、出遅れですぅ」
と、パセラが笑いながら叩いている。
「隊長殿。報告します」
そこに駆けつけてきた近衛兵が、クラウの横で立ち止まって敬礼してきた。
「テロリスト数名。取り逃がした模様です」
「何名ですか?」
「詳しくはわかりませんが、隊長殿が遭遇されたという2名を含め、兵たちの情報から逃げた賊は魔導師2名を含めて、少なくとも8名はいるものと……」
「8名……。それは多いですね」
近衛兵からの報告に、クラウが真剣な表情に戻った。
「賊たちの捜索は?」
「すでに5名ずつの班に分けて、捜索を開始しております」
「ふむ、わかりました。それでは……」
と言いかけたクラウの視線がメイベルに向かった。そこではメイベルが、
「ごめんなさい。まだ足が言うことを聞かなくて……」
倒れかけた拍子に、ナバルの胸に頭をぶつけている。それを見たクラウが、
「ぬわぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
出したハンカチに噛みついて引き伸ばした。親友とはいえ、あまりにも羨ましい役得に、醜い男の嫉妬が働いたのだ。その様子に、
「た、隊長殿……」
報告に来た近衛兵が、どうしたものかと対応に困った。
その隣ではパセラが背中を向けて、笑いを押し殺しながら肩を上下に震わせている。
「メ、メイベルちゃん。どうやら医療チームが到着したみたいですから、そろそろ宮廷に帰った方が良い頃合いではありませんか?」
クラウが2人に歩み寄って、棒読み口調で話しかけた。
「あ、医療チーム、やっと来たんだ」とはメイベルの言葉だ。
「それじゃ、早く帰って晩餐の準備を始めないと……」
「そうそう。それは忘れてはいけませんよ」
これで2人を引き離せると思ったクラウが、引き攣った笑みで首を縦に振る。
「クラウ。俺たちはどうする?」
「僕はこれから逃げた賊の捜索です。ナバルも手伝ってください」
「賊が逃げた!? そいつらって、過激な異教徒だろ」
手伝いを求められたナバルが、声音を落として聞き返す。
「それがどうしました?」
「捜索も大事だが、その前に彼女たちに護衛をつけてやれよ。見習い修道女だけで帰すなんて、異教徒にとっては体の良い標的だぞ」
「おおっ!? たしかに護衛は必要ですっ!」
ナバルの言わんとすることを理解して、クラウがポンと手を打った。ところが、
「それではメイベルちゃんの護衛役を……」
とまで言いかけたところで、クラウの思考が止まる。
「えっと、護衛役は……」
誰を護衛につけるべきか。それに迷ったのだ。
「僕が護衛役は……ダメ……ですよね?」
「隊長殿ぉ〜……」
声をかけられた近衛兵が、クラウに冷たい言葉を返した。クラウはこれから近衛騎兵隊の隊長として、現場を指揮しなくてはならないのだ。それが護衛のためと称したところで、現場を離れるのは完全な職場放棄である。
この場合、護衛役として適当なのはナバル以外には有り得ない。クラウもそのことは百も承知している。だが、これ以上ナバルに役得を与えたくない。そんな気持ちから、この結論はなかなか受け容れ難いものであったのだ。
「護衛……。護衛…………」
心の中で激しく葛藤を続けるクラウが、うわ言のように呟いた。他に適当な代案が見つからないため、クラウの目許に涙が浮かんできている。そのクラウが天を仰ぎ、それからガクンと肩を落として今度は頭を垂れた。
「ナバル。メイベルちゃんと友人Aくんの護衛をお願いします……」
ようやく結論を受け容れたクラウが、虚ろな目でナバルに警護役を任せる。そして、
「あ、メイベルちゃん。ナバルは都には不案内ですから、宮廷までの道案内をお願いできませんか。ナバルは都にいる間、宮廷の雑魚部屋で寝泊まりするもので……」
と、力のない口調でメイベルにもお願いしたのだ。そのクラウにメイベルが、
「お願いだからクラウさん。パセラを名前で呼んであげてよ」
と文句を言うが、その言葉は耳に届かないようだ。
虚ろなままのクラウの視線が、宮廷聖歌隊の幼さの残る修道女に向かった。その少女は仲間とはぐれたのか、それとも1人で出歩いていたのかは定かではない。だが、1人で帰るのが怖いのか、先ほどからしきりにメイベルたちを見ていたのだ。いかにも一緒に帰る仲間を探しているという仕種が見て取れる。
「きみも宮廷に戻るのなら、メイベルちゃんたちと一緒に帰りなさい」
「い、いいんですか?」
声をかけられた少女から、安堵と困惑の混ざったような声が返ってくる。その少女に、
「今日みたいな日は、大勢の方が安心ですよ」
とパセラが声をかける。
「それでは、これから僕は賊の捜索に向かいます。道中、お気をつけください」
クラウが隊長らしい表情に戻って、メイベルたちに向かって敬礼した。それに倣い、後ろに控えていた近衛兵も、同じように敬礼をする。
だが、クラウの隊長らしい表情は一瞬だった。引き攣った笑みでナバルに詰め寄り、
「いいですか、ナバルはあくまでも護衛ですからね。くれぐれもメイベルちゃんには絶対に手を出さないでくださいよ。メイベルちゃんは、僕の将来のお嫁さんなんですから!」
と念を押したのだ。そして、
「うぉぉぉ〜っ。ドラゴン教徒のバカぁ〜!」
と泣きながら、捜索へ向かっていく。
そんなクラウに、ナバルが「おいっ」と冷たくツッコミを入れた。




