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くじびき勇者さま  作者: 清水文化
4盤札 誰が女神さまよ⁉
18/20

第4巻:第3章 自分にできること

 まだ日中は(あたた)かいが、(まち)()()う人たちの(よそお)いはすっかり秋物(あきもの)()わっていた。

 レンガ(だたみ)の広い通りに出された()(たい)には、()(せつ)果物(くだもの)(なら)んでいる。リンゴ、ブドウ、ナシ、(そう)(じゅく)のミカンにベリー(るい)。すでに季節のすぎたモモはビン詰めされたものが置かれ、プルーンは乾燥物(かんそうもの)()まれている。

 そんな通りへ今、(せい)サクラス(きょう)(かい)から1台の黒い馬車が走り出していった。

「おや、今の馬車は?」

「これはクラウ(たい)(ちょう)。午前の見まわり、お(つか)れさまでした」

 馬車と入れ替わるように、白馬に乗った(この)()(へい)が教会に戻ってきた。(てい)()を守る近衛隊で、()兵隊(へいたい)(ちょう)(まか)されているクラウだ。

 そのクラウを、守衛(しゅえい)敬礼(けいれい)して()(むか)えてくる。その守衛に、

「きみ、今の馬車にビーズマス(きょう)が乗っていたようですが」

 と声をかけながら、クラウが馬から下りた。そして通りに目を向けるクラウに、

「ああ、あれですか」

 と言って、守衛も同じ方へ顔を向ける。

「西アルテースが(せい)(じょう)()安定(あんてい)になってるとかで、いつまでも国家元首(げんしゅ)が帝都に(とど)まってられないと、(いそ)いで帰られるそうですよ」

「政情不安ですか。()(ごう)()(とく)とは言え、50万もの軍を(うしな)ったのですから……」

 守衛の言葉に、クラウがそう言って嘆息(たんそく)した。そして、

独断専行(どくだんせんこう)や大軍をこっそり持っていたことも問題ですけど……。今は西アルテースの国民たちが50万もの軍を失った事件を知って、すっかりヒステリー(じょう)(たい)ですからねぇ。はたしてビーズマス卿の帰国で、どんなことになるのか……」

 と(こぼ)したクラウが、馬を引いて馬小屋へ向かおうとする。

「クラウ隊長。今日もこのあと、レジーナさまのところへ行かれるのですか?」

「そのつもりです。ニセくじ事件から今日で10日目。メイベルちゃんの足取りが気になりますからね」

 守衛に声をかけられたクラウが、軽く立ち止まって()り返る。

「ニセくじと()配書(はいしょ)の犯人は、やっぱりあの人ですか?」

「本人は()(てい)してますが、他に考えられませんからねぇ。まあ、肯定(こうてい)したとしても、(こう)(しゃく)さまには()族特権(ぞくとっけん)()員特権(いんとっけん)があるためにお(とが)めなしですから、メイベルちゃん、とんでもない人から逆怨(さかうら)みされたものですよ」

 そう答えたクラウが、馬を引いて歩き始めた。そのクラウを見送る守衛が、

「まったく(なん)()なことで」

 と(つぶや)いて大げさに(かた)をすくめる。そして軽く通りを(なが)めてから、門の横にある守衛所へと入っていった。



 さて、帝都で小さな動きがあった頃、メイベルは、

「これは(いた)み止めになります。それと、こっちはお(つう)じにいい薬草で……」

 大量に集めた薬草を、立ち寄った街にある(くすり)(どん)()()ねた(くすり)()に持ち込んでいるところだった。

 メイベルを店に案内(あんない)したカメリエラは、()(しょう)(ひん)売り場で薬剤(やくざい)()の女性と楽しそうに()(けん)(ばなし)している。どうやらここは馴染(なじ)みの店なのだろう。

 この薬問屋の売り場では薬品だけではなく、(かた)手間(てま)で化粧品も(あつか)っている。薬品の一部が化粧品としても使われるため、このような組み合わせができたようだ。

 雑談(ざつだん)するカメリエラを店先に残して、メイベルは奥の部屋で薬草を売り込んでいた。

「ふむ。これはよく集めてきましたね。しかも、きちんと乾燥(かんそう)させてあるようだ」

 (しょう)談相(だんあい)()は薬問屋の若旦(わかだん)()だった。若旦那は長身で物腰(ものごし)(やわ)らかそうな(いん)(しょう)のある人物だ。その若旦那が身体以上に大きく見える手で、薬草に()れて品定(しなさだ)めしている。

「しっかり乾燥させないと、重量を容赦(ようしゃ)なく2掛けされちゃうんですよね。だから、ちゃんと(かわ)かしてきたんですけど、薬草の成分が(こわ)れないように夜中に(かげ)()しするから、(みず)()()けるまで5日もかかりましたよ」

「はっはっはっ。5日で乾けば早い方ですよ。まあ、今の季節は空気が乾いてますから、きちんと風に当ててやれば早く乾くものですけど」

 そう言いながら若旦那が(くき)(ゆび)でなぞったり、()(うら)をめくったりしながら品質に問題がないかをじっくりと調べている。

「間違いなく陰干しされてますね。この薬草は日に当てて乾かすと、茎のところに白い斑点(はんてん)が出てくるのです。なので少しでも日に当たれば一目(いちもく)(りょう)(ぜん)ですよ」

「へぇ〜、そうなんですか。でも斑点って、変質するのですか?」

「まさにその通りです。この草は日に当たると茎から(しる)を出す性質があるのですよ。その汁が薬になるのですけど、それが日に当たると白く変質して壊れてしまうのです。なので、斑点があったら、もう薬としての価値はないのです」

 そんな話をしながら、若旦那が薬草を1本ずつ確かめている。

「カメリエラ(じょう)の紹介ですから、少し()(てい)を甘くしようと思ったのですが……。あなた、薬草の(あつか)い方を良く(こころ)()てますね。なかなか良いものを取りそろえてますよ」

 査定を終えた若旦那の口から、そんなお()めの言葉が出てきた。

「痛み止めは品薄(しなうす)でしたので助かります。それから(せき)()めはこれから寒くなるにつれて需要(じゅよう)が増しますから、これらは高く買い取りましょう。そうですね……。こんなところでいかがですか?」

 若旦那が紙に数字を並べ、そして合計額(ごうけいがく)をメイベルに見せてきた。

「やった、それでいいわ。ホントに咳止めは、いいお金になるんですね」

「それはもちろん欲しい人は多いのに、入ってくる数が少ないのですから当然です。それにしても、あなた。よくこんなに集めてきましたね。この咳止めの薬草は、なかなか見つからないと聞いてますよ」

「えへへ。だいたい()えそうな場所の()(ぼし)は付きますから……」

 そう言ってペロッと舌を出したメイベルの前に、薬草の代金(だいきん)が置かれた。その数をかぞえたメイベルが、

「それで、こっちに分けた薬草は?」

 と、まだ取り引き楽の決まってない薬草を指差す。

「すみません。そちらはわたしの知らない薬草です。わたしの勉強不足で大変に申し訳ないのですが、お引き取りできないのです」

「知らないって、これが(えん)(しょう)のお薬になって、こっちは()(ちょう)のお薬になるのですが……」

「そう説明されましても、薬は人の健康(けんこう)に関わるものですから、店としては()(しょう)できるものだけを扱いたいのですよ。商売は信用が第一ですからね。あなた、お店の人が『知らない薬だけど()くらしい』と出してくれた薬を飲めますか?」

「それは……、遠慮(えんりょ)したいですね」

 若旦那の説明を納得(なっとく)して、メイベルが苦笑(にがわら)いする。そこにカメリエラが、

「メイベルちゃん。そろそろ終わった頃かしら?」

 と言って、部屋を(のぞ)きにやって来た。

「大変に良い買い物をさせていただきましたよ」

 先に答えたのは若旦那だった。若旦那は買い上げた薬草を大きな紙に(つつ)んでいる。

「そういえば……」

 薬草をまとめた若旦那の手が止まり、視線がメイベルに向かった。その若旦那が、

「あなた、見事なピンクブロンドをしてますね」

 と、メイベルに言ってくる。

「ピンクブロンドで何かあったような記憶があるのですが……。何でしたかねぇ?」

「えっ!?」

 若旦那の言葉に、メイベルが(いっ)(しゅん)(あわ)てた。だが、

「う〜ん。思い出せないってことは、そんなに(じゅう)(よう)なことではないのでしょう」

 と(こぼ)して、若旦那が自己(じこ)完結(かんけつ)させてしまった。それにメイベルがホッと(あん)()している。

 その前で若旦那が紙包(かみづつ)みを(かか)えて立ち上がり、

「そうそう。せっかくですから、2人に良い物をあげましょう。少し待っててください」

 と言ってきた。その若旦那が紙包みを持って売り場へ出ていった。そこで薬剤師の女性に紙包みを渡し、奥の部屋から顔を出してきた2人に、

「これは()(きょう)(ひん)ですが、よかったら使ってください」

 と言って、紙に巻かれた(ぼう)(じょう)のものを手渡してきた。

「これは何ですの?」

「リップクリームですよ。普通は軟膏(なんこう)をくちびるに()るのですが、子供のお絵描(えか)きに使うクレヨンにヒントを得ましてね。固めて棒状にしてみたのです。このあたりでは秋の今ごろは乾燥しますからね。くちびるの乾燥が気になる女性に売れると思うのですが」

 試供品を(もの)(めずら)しそうに見るカメリエラに、若旦那が()(まん)するように説明する。

「それで、これはどうやって使いますの?」

「紙を少し(やぶ)って、むき出たところをくちびるに塗ってください」

「紙を(やぶ)って……。あ、これは便利ですわ。指が汚れませんもの」

 さっそく言われたように使ってみたカメリエラが、その便利さに(かん)()の声を上げた。

 軟膏(なんこう)だと指で薬を伸ばすために指先が汚れるが、これにはそれがないのだ。

「先が()ったら、また紙を少し(やぶ)れば使えます。便利でしょう」

「本当に便利ですわ。こういう口紅(くちべに)も欲しいですわね」

「おおっ! カメリエラ(じょう)、その案、いただきますっ!!」

 カメリエラの何げない一言(ひとこと)に、若旦那が声を(はず)ませた。

「若さま。どちらへ?」

「開発に決まってるじゃありませんか。新製品(しんせいひん)ですよ。新製品!」

 アイデアを得た若旦那が、すぐさま売り場の(となり)にある調(ちょう)剤室(ざいしつ)に飛び込んでいった。そこで新製品を開発するのだろう。新製品のアイデアが、商売人の(たましい)に火をつけたようである。

「すみません。若さまはアイデアが出ると、もう(しん)(しょく)まで忘れてしまうもので……」

 売り場に残された薬剤師が、そう言って放置された2人に(あやま)ってきた。

 もっとも、メイベルの方は開発に(きょう)()があるのか、ガラス越しに見える調剤室を熱心に(のぞ)き込んでいる。だが、

「メイベルちゃん。あまり長居するのも失礼ですから、帰りましょう」

 とカメリエラにうながされると、渋々(しぶしぶ)店をあとにするのだった。

「あ、思い出しました。ピンクブロンドって……」

 2人が店から出てすぐ、若旦那が調剤室から顔を出してきた。

「あれ!? カメリエラ嬢と、もう1人のお嬢ちゃんは?」

「もう帰りましたけど」

 店内を見まわす若旦那の疑問に、薬剤師の女性が首を傾げながら答える。

「若さま。どうかされたのですか?」

「さっきのピンクブロンドのお嬢ちゃんですよ。ほら、そこにある手配書にある、(きゅう)(せい)の旅をした聖女さまですよ。カメリエラ嬢も『メイベルちゃん』って呼んでいたでしょう」

「あ、まったく気づきませんでした」

 店のすみにある(けい)()(ばん)に、手配書が()られていた。それはメイベルとナバルを(しょう)金首(きんくび)とする手配書だった。

「通報しますか?」

「それは、やめておきましょう」

 薬剤師の確認に、若旦那が首を振って答える。

「何があったのかは知りませんけど、あのお嬢ちゃんはドラゴン病から帝国を救ったのでしょう。(おん)(あだ)で返すわけにはいきませんよ」

 そう言って、若旦那が軽く(いき)()いた。そして、

「失敗しましたね。あの薬草は、逃げるための()銀稼(ぎんかせ)ぎでしょう。もっと早く気づいていたら、もっと高く買い取ってあげられたのに……」

 と残念そうに(こぼ)しながら、また開発に戻るのだった。


 そのメイベルたちであるが、

「今日中にアテル川手前のリバポットの(みなと)まで行くよ。そうすりゃ明日(あした)には川を(わた)って、東アルテースの(おう)()サンルミネに入れるからね」

 立ち寄った街を出た隊商は、そこから海岸に沿って南に向かう街道を驀進(ばくしん)していた。

「リディア。このぐらいの速さなら、次の街まで騾馬(らば)()つと思うか?」

「このぐらいなら、なんとかなるんじゃないかい」

 馬車は速足(はやあし)ぐらいの速度で進んでいた。

「ルビノちゃん。ラトゥース大洋は大きいわね」

「あは、広いの……」

 馭台(ぎょだい)の後ろに座るメイベルとルビノが、(ほろ)から顔を出して外を見ていた。

 (いし)(だたみ)()()めた街道は丘陵(きゅうりょう)の上を通っている。そこから左に見える海に向かう斜面(しゃめん)には草地が広がり、やがて草が切れて真っ白な砂浜(すなはま)へと続いていた。

「ルビノちゃん、反対側を見て。(まつ)(ばやし)が切れたわ。こっちの水田も広いわね」

「わぁ、青いの……」

 街道の反対側は松林だった。時々林が切れると、その先には一面青々とした水田が広がっている。このあたりの水田では2期作が(おこな)われているため、まだ2期目の()り入れまで1か月以上あるのだ。

「それにしても、このあたりではこの時季は空気が(かわ)いてるって本当なのね」

「そこの草むらに降りて横になるんだったら、今の季節は空気が乾いてて気持ちいいよ。でも、馬車に乗って風を受けるのは、ちょっと身体(からだ)に悪いかねぇ。ほら、ルビノ。ちょっとお茶飲んどきな」

 そう言ったメルカトル夫人が()(おん)ポットから小さなカップにお茶を(そそ)いで、それをルビノに渡した。

「すぐそこに大きな海があって、反対側には広い水田……というか、帝国の中でも最大のアルテース大湿(だいしっ)()(たい)。これだけ水に関係するものに囲まれてるのに、どうして空気が乾くのでしょうね?」

「あっはっはっ。あたしに聞いても答えなんか出やしないさ」

 メイベルの疑問を、メルカトル夫人が豪快(ごうかい)に笑って吹き飛ばしてきた。その後ろでは両手でカップを持ったルビノが、ちびちびとお茶を飲んでいる。

 メイベルとルビノのいる馭台(ぎょだい)の後ろは、子供たちの勉強部屋になっていた。そこに置かれる机は4つ。隊商と一緒に旅をする子供たちは5人だが、ルビノを(のぞ)く4人が(しゅう)学年齢(がくねんれい)のため、ここで勉強しているのだ。

 メイベルは移動の間、ここで子供たちに勉強を(おし)えている。だが、今は休み時間。机に()()して()てる子もいれば、荷台の(おく)でクッションの上に()(ころ)んでいる子もいる。

 後ろを振り返ってそんな子供たちを見たメルカトル夫人が、

「みんな、明日(あした)にはサンルミネだよ。課題は間に合うのかい?」

 と声をかけてきた。それに休んでいる子供たちから、

「大丈夫だよ。聖修道女(セイント)のお姉ちゃん、教えるの(じょう)()だから……」

「あたしも大丈夫。あと社会が5ページだもの。今日中に終わるわ……」

「わたしも、たぶん終わります。メイベルさんの説明が脱線(だっせん)して、面白(おもしろ)い話を延々(えんえん)と続けなければ……ですけど」

 という言葉が返ってくる。

 子供たちは隊商と一緒に旅をしてるため、通信(つうしん)(きょう)(いく)義務(ぎむ)教育を受けていた。この通信教育はソルティス教会が運営するもので、学校へ通わない子供たちは教会を窓口(まどぐち)として、そこで(きょう)()(しょ)()(だい)を受け取り、そして仕上げた課題を期日内に(てい)(しゅつ)して添削(てんさく)()(どう)を受ける仕組みができているのだ。

 もちろん、この通信教育は、親と一緒に旅をして暮らす子供たちでも利用できる。その場合、子供たちは課題を提出する際に添削指導されたものをどこの教会で受け取るのか、それを指定できるのだ。

 余談ながらこの隊商の子供たちは、帝都サクラスに寄った時に前の課題を提出していた。その添削指導は、次に寄るサンルミネで受け取るように手配していたのだ。

「メイベルちゃん。子供らの勉強見てもらって、助かるよ」

 視線を子供たちからメイベルに移して、メルカトル夫人がお礼を言ってきた。

「あたしらじゃ、せいぜい語学と計算、それと社会しか教えられないからね。図形や理科を教えてもらえるのは本当に助かるよ」

「いえ、こちらも一緒に旅をさせてもらってますので」

 メルカトル夫人の言葉に恐縮(きょうしゅく)したメイベルが、かしこまった態度でそう答えてくる。

「子供らの勉強もそうだけど、一番お礼を言いたいのはルビノのことかねぇ」

「ルビノちゃんの?」

 夫人の言葉を、メイベルがきょとんとした顔で聞き返した。

「なんか最近、調子良さそうじゃないかい。カメリエラから聞いたけどさ、あんた、ルビノの病気を料理で治そうとしてくれてるんだって?」

「ああ、そのことですか……」

 夫人が何を言おうとしてきたのか。メイベルがようやく理解した。

「えっと……。もし、何か期待させてたようでしたら……すみません。以前、宮廷料理人の先輩(せんぱい)が、ルビノちゃんの症状(しょうじょう)に似た病気を料理で治したという事実はあるのですけど、その時に先輩がどのような料理で治したのか、今もまださっぱり思い出せなくて……」

「あらあら……」

 メルカトル夫人が、メイベルの言葉にそんな声を()らした。

「なので、思い出すまでの間、お()びの気持ちも兼ねてルビノちゃんにはできるだけ美味(おい)しく料理を食べてもらおうとしてるだけで……。取り()えず指先が冷たかったので体温を上げる薬草と、体力を付けてもらおうと()(よう)(きょう)(そう)の薬草の2つを使ってますけど……」

「あっはっはっ、メイベルちゃん。あんまり気にしなくていいよ」

 軽く笑い飛ばした夫人が、ふうっと(いき)()いた。

「ルビノの病気は、一流のお医者さまもサジを投げたんだ。勝手に期待して(うら)()られたからって、それで(うら)むなんて筋違(すじちが)いさ。それに、あたしゃ、ルビノが楽しそうに笑ってるのを見てるだけで(しあわ)せだよ。あんたらと一緒に旅をするまではあきらめてたことだからさ」

 そう言って、夫人がルビノの頭を(やさ)しくなでる。そこに()(づな)(にぎ)ってるメルカトル氏が、

「これはやっぱ、聖女さまの()(せき)なんじゃねえのかな?」

 と、会話に加わってきた。その言葉にメイベルが「奇跡って……」と、意外そうな表情を浮かべる。だが、そんなメイベルの気持ちには構わず、

「メイベルちゃんは聖修道女(セイント)なんだろ。となりゃ当然、奇跡を起こす力を持ってるんじゃないか?」

 と、メルカトル氏が手綱で騾馬(らば)(ぎょ)しながら言ってきた。

 多くの人が聖女と聞いて思い浮かべるのは、神に選ばれて奇跡を起こす人物像だ。メルカトル氏はメイベルが聖女であることから、そういう力を期待したようである。

「わたしに奇跡を起こす力はないと思いますよ。不幸に巻き込まれることでしたら、自信がありますけど」

「不幸に巻き込まれるって……。イヤな聖女さまだな……」

 メイベルの一言に、メルカトル氏が苦笑した。そのメルカトル氏が、

「奇跡じゃないってことは、美味(うま)い料理は人を元気にさせるってことなのかね?」

 と言いながら騾馬(らば)の速度をゆるめる。道がゆるやかな下り坂になったため、安全のために速度を落としたのだ。

「俺の料理じゃルビノを元気にできなかったが、メイベルちゃんほどの料理の(うで)ならルビノを元気にできるってことか。こりゃ、もっと腕を(みが)かにゃいかんな」

「あのぅ、そんな(かい)(しゃく)をされても困るんですけどぉ……」

 メイベルが返す言葉に困った。謙遜(けんそん)の気持ちで困っているのではなく、メイベルとしては科学的に間違った解釈をされることの方が困るようだ。

 そのメイベルの顔を、ルビノがジッと見上げている。ルビノの小さな手が持っているカップには、まだお茶が半分残っていた。

「そう言えば……」

 そう零したメイベルの顔が、荷台の後ろの方へ向かった。

 そこではナバルが荷台の(かこ)い板に背中をもたれて、熱心に本を読んでいる。しかも投げ出した足の上には、(しゃく)の短いそろばんが置かれていた。

女将(おかみ)さん。ナバル……」

「ああ、隊長さんかい。ただいま(ちょう)簿()猛勉(もうべん)強中(きょうちゅう)さ」

 後ろを指差すメイベルに、メルカトル夫人が笑顔でそう答えてきた。

「それは知ってますけど、ナバルが帳簿の勉強って、あまり似合わないような……」

「そうかい? あたしゃ、あの隊長さんには性格的に合ってると思うよ」

 そう答えたメルカトル夫人が、ルビノから(から)になったカップを受け取った。

「ナバルの性格に合ってる? ()マジメな堅物(かたぶつ)だからですか?」

「あっはっはっ。(じっ)(ちょく)で自分の役目に(ちゅう)(じつ)で、その上で根気があると言ってやんなよ」

 メイベルの言葉に、メルカトル夫人が苦笑を浮かべて訂正(ていせい)する。そして、

昨日(きのう)から帳簿付けを手伝ってもらってるんだけどさ。()み込みが早くて教えがいがあるから、あたしも楽しませてもらってるよ」

「へぇ〜、ナバルが……」

 そう零したメイベルの視線に気づいたのだろう。ナバルが少し顔を上げて、メイベルをチラッと見てくる。

 それで目が合ったメイベルが、立ち上がってナバルに近づいていく。

「ナバル。帳簿のお勉強、ガンバってるんだって?」

「うん」

 メイベルの質問に、ナバルが空返(からへん)()した。そのナバルの横にメイベルが身体(からだ)を向けて、ちょこんと座る。

「それって、面白い?」

「わかってくると、わりと……」

 そう答えたナバルが、ぱらっとページをめくった。それから本に出てくる問題を解いているのだろう。ひざに()せた短いそろばんの(たま)を、指でパチパチと(はじ)いている。

「そろばんを使うの? 女将(おかみ)さんは計算卓(けいさんたく)だったけど……」

「俺にはこっちの方が合ってる」

「えっと……」

 会話の取っかかりが(つか)めなくて、メイベルが困った顔をしている。そのメイベルが、

「わたしも本、読もうかなぁ」

 と零して、紙袋から分厚い本を出してきた。ナバルとメイベルの荷物は、荷台の後ろに置いていたのだ。メイベルが子供たちに勉強を教えている間も、ナバルはここで荷物番をしていたのである。

 その荷物から出てきた本が気になったのか、ナバルがメイベルに顔を向けてきた。

「メイベル。その本……、まさか、さっきの街で買ったのか?」

「うん。そうよ」

 そう答えたメイベルがニコッと(ほほ)()んで、表紙をナバルに向けるように持ち直した。

「『栄養学大(えいようがくだい)()(てん)』よ。ちょっと高かったんだけどね。今日、薬草がけっこう高く売れたから、奮発(ふんぱつ)して買っちゃったの。前から読みたかったのよね、これ」

「おいおい……」

 メイベルの話を聞いたナバルが、(なげ)くように言って(ひたい)に手を当てる。

女将(おかみ)さんの予想、大当たりだ」

女将(おかみ)さんの予想!? それ、何なの?」

「メイベルは頭がいいから、知恵を使ってお金を(かせ)ぐことができる。だけど、それでいつでも稼げると思って、ついつい無駄(むだ)(づか)いするってさ。それで下手(へた)すりゃ(しゃっ)(きん)()(ごく)だ」

「ゔ……。借金地獄になるほど、わたしは()節操(せっそう)じゃないと思うけど……」

 そう言いかけたメイベルが、(ほお)(ふく)らませて気まずそうな顔に変わっていく。そんなメイベルの表情の変化に、ナバルが()(げん)そうな顔をした。

「メイベル。1つ質問するぞ。今日買った本の()(だん)と、薬草売って手に(はい)った金。どっちが大きい?」

「あぅ……。それは……」

 ナバルの質問に、メイベルはすぐに答えられなかった。ナバルからはずれた視線が本に向かい、次に不自然に(ちゅう)(およ)ぎ始める。

「なるほど、本の方が高いか」

「でもさ、今日はたまたまそうだけど、これまでに売った薬草の分で考えたら……」

 ナバルの一言に、メイベルが(あわ)てて自己(じこ)(べん)()を始めた。それに、

「ホントに女将(おかみ)さんの予想通り、()節操(せっそう)無駄(むだ)(づか)いしやがって」

 と、ナバルが(あき)れた声で零した。それに顔を真っ赤にしたメイベルが、

「む、()節操(せっそう)じゃないもん。ちゃんと手持ちのお金ぐらいはわかってるもん」

 と言って、すねて更に大きく(ほお)(ふく)らませる。

 とはいえ、メイベルはあまりお金の使い方には()れてなかった。宮廷料理人として材料の買い出しへ出かけることはあっても、修道院暮らしのために自分の自由になるお金を持った経験がほとんどなかったからだ。

「ったく、女将(おかみ)さんが言った通り、いつも一緒にいる誰かが金の出入りを見てないと、そのうちホントに金に困ることになるぞ」

「いつも、一緒にいる誰か?」

 ナバルのぼやきを聞いたメイベルの表情がコロッと変わった。

「あ、ひょっとしてナバル、それで帳簿のお勉強を始めたの? わたしのために!」

「興味が()いたから覚えてみようと思っただけだ。っつか、最後の『わたしのため』は、どこから出てきた台詞(セリフ)だ!?」

 急に(ひとみ)(かがや)かせてきたメイベルに、ナバルがツッコみ返した。それで余計なことを口走ったと気づいたメイベルが、「あはは」と笑って誤魔化(ごまか)そうとする。そんなメイベルの顔をジ〜ッと見詰めるナバルが、

「こりゃ、今日にでも俺たちの帳簿を付け始めた方がいいかもな」

 と、帳簿管理の必要性を強く痛感(つうかん)した。

「あはは。笑ったら、くちびるのかさかさが気になってきたわ」

 ようやく乾いた笑いをやめたメイベルが、指で下くちびるをなぞった。その指に乾いてざらざらした(かん)(しょく)が伝わってくる。そのくちびるを手入れしようと、メイベルがポケットから(ぼう)(じょう)のリップクリームを出してきた。

「メイベル。それは何だ?」

 くちびるにクリームを()るメイベルを見たナバルが、少し(こう)()(しん)()じりに聞いてきた。

「リップクリームよ」

「まさか、それも買ったのか?」

()(きょう)(ひん)よ、試供品。さっきの街で(くすり)(どん)()さんにもらったの。軟膏(なんこう)みたいに指で伸ばさないで、くちびるに直接()れるのが便利なのよ」

「ふ〜ん。そういうものなのか?」

 リップクリームを塗るメイベルを、ナバルが興味深そうに見ている。そのナバルに、

「ナバルも使う? くちびる、()れてるわよ」

 と言って、メイベルがニコッと(ほほ)()んだ。

「そうか? 俺は気にしないけどな」

「わたしは気になるわ。塗ってあげましょうか?」

 イタズラっぽく言ったメイベルが、ナバルの口にリップクリームを塗ろうとする。

「いいよ。顔に何か塗るなんて、男がするもんじゃないだろ」

「これは()(しょう)じゃないわ。ただの身だしなみじゃないの」

「そういうもの……なのか?」

 リップクリームを押しつけようとするメイベルに、ナバルが考えながら聞いてみる。

「だから、塗りましょ♪」

「おい。メイベル……」

 ナバルがうっとうしそうな目をリップクリームに向ける。だが、

「わかった。わかった」

 と言って、メイベルの主張に押し負けてしまった。

「わかったけど、自分で塗るから貸せ!つ」

 ()(いき)()いたナバルが、メイベルの手からリップクリームを取った。

「こうやって塗ればいいのか?」

「そうそう。くちびる全体に伸ばすようにね。それで、最後に上と下のくちびるをすり合わせるようにするの」

 ちょっと残念(ざんねん)そうな顔をしながら、メイベルが塗り方を教える。それで教えられた通りにクリームを塗ったナバルが、くちびるの上と下を合わせてクリームを伸ばそうとした。その時のナバルの表情を見て、メイベルが()き出しそうになる。

「なんか、変な感じだな」

「男の人は塗り慣れてないからよ。すぐに慣れ……」

 そこまで言いかけたメイベルの表情が、急に(かた)くなった。

「なんか気持ち悪いな。やっぱ男の塗るもんじゃないよ」

 くちびるから感じる違和(いわ)(かん)に、ナバルが不快そうな顔をしている。そのナバルを見ているメイベルの(ほお)が、少しずつ赤く()まっていった。そのメイベルの手に、

「ほれ、返す。ありがとよ」

 と言って、ナバルがリップクリームを返してきた。

(こ、これって……)

 リップクリームを手にするメイベルは、相変わらず固まっていた。その理由(わけ)は、

(うわぁ〜……。これ、間接(かんせつ)キス……よね……)

 という状況に気づいたからだ。このことをメイベルは、渡す時には()で何も気づいてなかったのだ。

(ナバルは気づいて……ないのかしら?)

 クリームを塗ったナバルは、帳簿の勉強に戻っていた。広げた本を見ながら、パチパチとそろばんの(たま)(はじ)いている。そんなナバルを見るメイベルが、

(ああ〜。ムショーに腹が立つというか(くや)しいというか残念というか……)

 1人悶々(もんもん)として懊悩(おうのう)し始めた。だが、

(でも……)

 リップクリームの先を見るメイベルの顔が、思わずほころんでくる。

「あっと……」

 その時、突然馬車が跳ねた。どうやら道にあった小石に乗り上げたのだろう。

 その(はず)みで、メイベルの手からリップクリームが飛び出してしまった。

「あっ! ちょっと待って!! ダ、ダメ☆」

 空中に放り出されたクリームを(つか)もうと、メイベルがわたわたする。だが、ここは足場の不安定な馬車の荷台だ。(つか)んだつもりが指先で(はじ)いて、クリームを思わぬ方向へ飛ばしている。そして、

「あああ〜〜〜〜〜〜〜〜っ☆」

 クリームを追ったメイベルが、荷台の外へ手を伸ばした。しかし、クリームはあと数cm(センチ)(とど)かないまま、(いし)(だたみ)()(めん)に落ちてしまった。それを後続(こうぞく)の馬車を()騾馬(らば)()みつけ、グシャッと(つぶ)してしまう。

「どうした、メイベル?」

「リ、リップクリーム……。落としちゃった……」

 何事かと(たず)ねてきたナバルに、メイベルが(なみだ)()(うった)えてきた。

(ひろ)ってくるか?」

「もういいわ。騾馬(らば)に踏まれて、(つぶ)れちゃったから……」

 がっくりと(かた)を落としたメイベルが、(うな)()れたまま首を左右に振った。そのメイベルが少しだけ顔を上げて、

「ところでナバル、さっきクリームを塗った時……」

 と、ナバルに何かを尋ねようとする。

「やっぱり、いいわ」

 ナバルの答えを聞かず、メイベルが荷台の(すみ)で丸くなった。

 ナバルの表情を見れば一目(いちもく)(りょう)(ぜん)。まだ間接キスのことには気づいてないようだ。たぶん、このまま気づかないままだろう。そんなナバルを見てると、メイベルは自分だけが意識してるのをバカバカしく思えてきた。

「ふぇ〜ん。わたしのヴァカぁ〜……」

 メイベルの口から、泣き言なのか(いか)りなのか、どちらともつかない声が()れた。

 ナバルは少し心配そうな顔をしたが、1人にさせておこうと思ったのだろう。軽く嘆息(たんそく)すると、また帳簿の勉強に戻った。そのナバルをチラッと見たメイベルが、(うら)めしそうな顔ですねてしまう。

「お母さん。お姉ちゃん、どうしたの?」

 馭台(ぎょだい)のところで2人のやり取りを見ていたルビノが、母親に説明を求めた。それに、

「青春してるのよ」

 と答えると、メルカトル夫人は「うふふ」と(やさ)しい()みを(こぼ)すのだった。



「あ〜、夜までに着かなかったねぇ。さすが秋の日は、つるべ落としで(みじか)くなるわ」

 そう零したメルカトル夫人が、馭台(ぎょだい)から南に小さく見える街の明かりを見ていた。

 隊商は街道を走る途中で、夜の(やみ)()まれてしまった。隊商が立ち(おう)(じょう)したのは、街に通じる最後の丘を越えるあたりだ。そこから街道の先に、小さな街明かりが見えている。アテル川沿いに作られた港町の明かりだ。

 とはいえ街道には街灯(がいとう)が1本もない。このまま(やみ)の中を走り続けるのは大変に危険だ。そのため隊商は街道の(はし)に馬車を寄せて、このまま夜を明かすことにしたのである。

「リディア。今日の夜食に(ちょう)()めの大ビン、2つ使うよ」

 夜食の準備をするメルカトル氏が、夫人に料理に使うビンを見せてきた。

「これは春、サンルミネで仕入れたものだね。まだ残ってたのかい」

「みたいだな。早く(ざい)()処分(しょぶん)せにゃな」

 夫人がビンをメモに取り、使用に(きょ)()を出した。それを見て、メルカトル氏がビンを持っていく。それを見たナバルが、

「材料を料理に使うだけで、許可が必要なのか?」

 と夫人に(たず)ねた。それに、

「元は売り物として仕入れたものだからね。ということで隊長さん。帳簿に書くよ」

 と言って、夫人が(ちょう)簿()の準備を始める。

「あれも帳簿に書くのか?」

「そうさ。隊長さん、最初は基礎(きそ)(でん)(ぴょう)だよ」

 机に帳簿が広げられた。夫人はその机の横に立ち、イスにはナバルが腰を下ろした。

「基礎伝票は、お金の出入りがあったら書くんじゃなかったか?」

「お金の出入りってのは、実際(じっさい)にお金が動くことだけじゃないよ。売り買いの他にも、売り物にならなくなった商品を処分(しょぶん)するとか、さっきのビン詰めみたいに自分らで使うとか、そういうこともぜんぶ書くのさ」

「ぜんぶと言われてもなあ。何がぜんぶなのかさっぱりなんだが……」

「まあ、そういうことはおいおい覚えていけばいいさ」

 そんな話をしてる間に、ナバルはカードのような伝票を用意した。そこにある金額欄(きんがくらん)に、夫人がメモした数字を書き、摘要欄(てきようらん)には『ビン詰め2コ』と書いている。

「これは売り上げじゃないよな。処分になるのか?」

「自分らで使うのは『自家消費』と書くのさ。それと伝票の票番号は忘れずに振っておきなよ。連番でも何でもいいけど、あとで探す時に必要になるからね」

「わかった。ここは最初に書く(くせ)をつけた方がいいな」

 夫人に指導されながら、ナバルがマジメに帳簿管理を進めていく。

 その馬車の外では、

「ルビノちゃん。野草集めを手伝ってくれるの?」

「うん。お姉ちゃんと一緒がいいの」

 ザルを持って野草探しに出たメイベルの後ろを、ルビノがちょこまかとついてきていた。

 メイベルの上には魔法の光が浮かび、周りを明るく()らしている。そこでメイベルは草むらを()き分けて、料理に使えそうな野草を集めていたのだ。そのメイベルを見ながら、

「これ、食べられる?」

 と、ルビノも野草探しを真似(まね)ていた。メイベルが集めた野草の葉っぱを見て、同じ形の葉っぱを(たよ)りに探してたのだ。もっとも、

「これは毒があるから食べられないわ。(くき)(むらさき)色になってるのは()らないでね」

 葉っぱの形だけではなく、野草には茎にも違いがある。他に()(みゃく)の形や茎からの()(かた)など、種類ごとの違いはいろいろあるのだ。

 メイベルに間違いを教えてもらったルビノが、

「じゃあ、これ」

 と、小さな野草を持ってきた。それをまだ育ってないと思いながらも、メイベルは「ありがとう」と言って受け取る。その言葉に、ルビノがニコッとうれしそうに笑った。

「お姉ちゃん。この虫さん、お食事中なの」

 次の野草を探そうとするルビノが、大きなカマキリを見つけた。そのカマキリは暗闇(くらやみ)の中でも()(もの)仕留(しと)めていたのだろう。細長い葉っぱの上で、バッタを頭からムシャムシャと食べている。

 そのカマキリをジッと見詰めるルビノが、指で突こうと思ったのかそっと手を伸ばした。

「ルビノちゃん。手を出しちゃダメよ」

 メイベルに注意されて、ルビノの動きが一瞬止まった。そこにカマキリが大きなカマを振って()(かく)してくる。

「わあ……」

 (おどろ)いたルビノが、指を引っ込めて尻もちを突いた。

「ルビノちゃん、大丈夫? ケガしなかった?」

「んっと……、だいじょぶなの。あはっ☆」

 尻もちを突いたままのルビノが、顔をメイベルに向けて楽しそうに笑い始めた。

 その笑顔を見るメイベルが、目でケガがないことを確かめて(あん)()する。

「さあ、帰りしょうか」

 ザルを(かか)え直したメイベルが、そう言って身体(からだ)を馬車へ向けた。それに、

「うん。帰るの」

 と言って立ち上がったルビノが、メイベルに追いついて背中に()きついてくる。

「ルビノちゃん。びっくりしたじゃないの」

「あは。一緒なの」

 メイベルはすっかりルビノに気に入られたようだ。

 その様子を馬車から顔を出して見ていたメルカトル夫人が、

「おやおや、ルビノが笑ってるよ」

 メイベルに手を引かれて楽しそうに戻ってくる我が子の姿に、驚きの色を(かく)せないでいる。その夫人が、

「おや、また数字の喰い違いが出たようだね」

 ナバルが計算に困ってることに気づいて、顔を馬車の中に戻した。そして、

「どこかで計算を間違えたのかい?」

「いや、3度検算(けんざん)したが計算は間違えてない。基礎伝票からも(うつ)し間違えてない」

「そうかい? でも、何か間違ってなきゃ、数字は必ず同じになるはずだけどねぇ」

 そう零しながら、メルカトル夫人がナバルの付けた帳簿をパラパラとめくる。

「おや? 隊長さん、さっきの『自家消費』、こっちに()(わけ)されてないじゃないか」

「お、それがあったか!」

 見落としに気づいたナバルが、手早く帳簿を直していく。

「うむ。間違いの差額とピッタリだ。ホントに2つの数字が違ってると、どこかに間違いがあるんだな」

「そりゃそうさ。帳簿の計算法は、間違いを早く見つけるために考えられたものだからね。ついでに言うと、この計算法を覚えておくとね、誰かがこっそりとお金を使い込んでいると、どこかで計算が合わなくなるから隠し事ができないのさ」

「なるほど。しかし、この計算方法を知ってる者なら、使い込んでも何か適当に誤魔化せると思うのだが……」

(ちょう)(じり)()わせのことかい? それはあるかもしれないけどさ」

 ナバルの意見に、夫人がくすっと()みを()らした。

「そんなことをしても、この計算法を知ってる人が帳簿を見たら、不自然な数字が出てくれば一目(いちもく)(りょう)(ぜん)じゃないか。違うかい?」

「おおっ! つまり、これは正義のための計算なのか」

 多少の勘違(かんちが)いはあるようだが、ナバルが帳簿管理に強い使命を感じてきたようだ。そのナバルに、

「それが終わったら、あとは日締(ひじ)め集計だね。帳簿には日誌のように、その日の天候(てんこう)や場所も書いておくんだよ。できれば気温もあった方がいいね。そういう記録を残しておくとね、あとで何かの役に立つのさ。天気と売れ行きの関係とか、流行の変化とかさ」

 と、夫人は最後の帳簿まで(まか)せようとしている。

「そうか。それはメイベルの(しょく)(ぶつ)(ひょう)(ほん)と同じだな。とにかく何でもいいから記録を残しておけば、いつか使う日が来るかもしれないと」

「あはは、そんなもんさ」

 メルカトル夫人はメイベルの(ひょう)本採(ほんさい)(しゅう)のことは知らない。だが、取り()えず言ってることに間違いはなさそうなので、そのまま受け流した。そこに、

『お姉ちゃん。お(いも)、洗ったの』

 という明るい声が聞こえてきた。野草集めから戻ったルビノが、今度は料理を手伝っているようだ。馬車からチラッと顔を出して外を見たメルカトル夫人が、

「こりゃ本当に、聖女さまの奇跡が起きてるのかねぇ」

 と、ルビノの明るい表情を目にして()みを()らした。

 ()き火には大きな(なべ)がかけられ、そこでスープが作られている。そのスープを()き混ぜているのはメルカトル氏だ。

 メイベルはルビノの洗った芋を手早く小さな角切りにして、スープに放り込んでいた。ルビノはそのスープ作りを手伝っているつもりだろう。ふいごを持って風を送っている。

 もっともルビノは風を火へではなく、(なべ)(はら)に向けて送っている。そんな子供らしい勘違いに(ほほ)()みながら、メルカトル夫人が再び馬車の中へ視線を戻した。

 机では今もナバルがパチパチとソロバンの(たま)(はじ)いている。その姿を見た夫人が、

「本当に隊長さんは生マジメで根気がありそうだから、メイベルちゃんよりも帳簿管理には向いてるのかしらね」

 と零して荷台の(かこ)い板に腰を落とした。

 そして、その日の夜は特に何事もなく過ぎていくのだったが……。



 翌朝(よくあさ)、東アルテースの(おう)()サンルミネにある教会では、

「以上で朝の礼拝(れいはい)を終わります。みなさま、本日も()き1日をおすごしください」

 いつもの礼拝が終わり、(だん)(じょう)にいる赤い(しゅう)道服(どうふく)を着た(ろう)(しゅう)道女(どうじょ)が、帰っていく市民たちを見送りつつ、手を合わせて今日も平和な1日であることを(いの)っていた。そこに、

修道長(マスター)アンシャン」

 と呼びかけて、数人の市民が(だん)の前まで歩み寄ってくる。

「また新しい()配書(はいしょ)()られてましたよ。それで回収してきたのですが……」

「あら、これはピリポ都議(とぎ)。お手数をおかけしました」

 集まってきた者たちは、いずれも手に手配書を持っていた。それはメイベルとナバルに賞金をかけた手配書だ。

「しかし()せませんな。帝国が出した手配書を教会が回収するとは」

「あら、帝国は出しておりませんわ。だって、帝国が手配書を出したのでしたら、それを貼り出すのは教会の役目ですもの。帝国名義になっているのに教会が与り知らぬ手配書は、あってはならないのです」

「ふむ。たしかに言われてみれば、おかしな話ですな。誰が貼ってるのでしょうか?」

 老修道女に手配書を渡した都議が、そう言って(まゆ)をひそめる。

「さて、今日はどこが貼ったのでしょう。()安警察(あんけいさつ)とテルル公王(こうおう)近衛(このえ)(けい)()(たい)、それから()(ちょう)広報(こうほう)()には(てい)()から手配書が送られてきても、けっして貼り出さないようにとお(ねが)いしてるのですが……」

「送られてきて? それはまるで怪文書(かいぶんしょ)ですな。この(しょう)(きん)を目当てに、(しょう)金稼(きんかせ)ぎたちが無関係な市民を(おそ)う事件が起きてますし。いい迷惑(めいわく)ですな」

 老修道女の言葉に、都議が()(げん)そうな表情を浮かべた。

「ところで、この手配書にある聖修道女(セイント)と近衛隊長が(きゅう)(せい)聖女(せいじょ)勇者(ゆうしゃ)というのは、本当なのですか? この事件を伝えてるのがソロリエンス新聞だけなので、他紙はこの事件と手配書をソロリエンスの自作自演と報じておるのですが。なんとも判断(はんだん)(がた)い」

「その質問には、何と答えれば良いのか。(かく)すつもりはないのですが、(むずか)しいですわ」

 そう言いながら、老修道女がゆっくりと足許(あしもと)を確かめながら(だん)から降りる。

「実はわたくしたちにも、事情がよくわかりませんの。そこで帝都にいるレジーナさまに確認を求めたところ、いくつか回答をいただいたのですが……」

「レジーナさま!? そっか、レジーナ王女は今、サクラス教会においででしたな」

 老修道女の話をさえぎって、都議がそんなことを零した。その都議が話の腰を()ったことに気づいて、続けてくださいと催促(さいそく)するように老修道女に手で(あい)()する。

「何者かが救世の勇者と聖女を、()き者にしようとしてるのは間違いないようですわ。それで命の危険を知ったお2人は帝都を(のが)れ、現在は(しょう)(そく)()(めい)になっているそうです」

「2人を亡き者にとは……。いったい誰が何のために?」

「さあ、そこは犯人が(つか)まってないとかで、なんとも……」

 都議の疑問に、老修道女がゆっくりと頭を左右に振って答える。

「ただレジーナさまからいただいた話によると、帝都から(のが)れた翌日(よくじつ)、聖女さまがピスキの町で目撃(もくげき)されているそうですわ。ピスキの町はフルヴィ川を渡ったところにある町ですから、そのまま南へ向かって逃げているのかもしれません」

「帝都から南へ向かって……ですか。するとサンルミネに来るかもしれませんな」

 そう零した都議が、顔を礼拝堂(れいはいどう)の外に向けた。

 礼拝堂の(まど)から見える街は、朝のにぎわいを見せていた。通勤(つうきん)通学(つうがく)のために、大勢(おおぜい)の市民たちが通りを()()っている。

「お2人が帝都から(のが)れたのが9月29日で、今日は10月9日ですから11日目ですか。運河を使って逃げているとしたら、もう通りすぎているのではありませんか? 帝都からここまで、3日もあれば来られますから」

「その可能性はありますが、帝都からここまではおよそ700kmです。歩きで早ければ20日、馬車を乗り()いでいたらそろそろでしょうか」

騾馬(らば)()く馬車ならば8日もあれば来られますが、まあ、それはないでしょう」

 都議と一緒にいる男たちが、そんな言葉を交わした。

 騾馬(らば)は馬よりも少し小さいが、体力があるために馬よりも遠くまで動くことができる。だが、男が騾馬(らば)の可能性を否定したのは、騾馬(らば)は非常に高価なため、あまり使われていないためだ。騾馬(らば)が高価になる理由は(ひん)()(おす)ロバの交配種(こうはいしゅ)で、(せい)(しょく)(のう)(りょく)を持たない一代限りの生き物のために数が少ないからである。

 まあ、そんな話題は横に()いて都議が、

「それで、修道長(マスター)アンシャン。もしもお2人がサンルミネに立ち寄ったら、教会はどうするおつもりですか?」

 という疑問を老修道女に投げかける。

「こちらから何かをするつもりはありませんわ」

 そう答えた老修道女が、先ほどと同じようにゆっくりと頭を左右に振った。そして、

「ただ教会の誰かが、こっそりと()(えん)するかもしれませんけど……」

 と(ほほ)()んで、(あん)に支援を黙認(もくにん)するようなことを言う。

「もしもお2人が教会に保護(ほご)を求めてきたら?」

「さあ、その時は……」

 老修道女は都議の質問に、言葉を(にご)して答えなかった。だが、

「でも、逃げている聖女さまは、レジーナさまとパセラの大親友と聞きました。わたくしにとって、2人は(まご)のようなものですもの。悲しませることはしたくありませんわ」

 と話して、それを答えとした。


 その老修道女に孫のようなと言われた2人は、

「それにしてもビーズマス卿は、つくづく(わる)知恵(ぢえ)の働く人だわ。教会ではなく地方の役人に手配書を送るなんてね」

「帝国議会の名義で手配書がまわってきたら、お仕事ですから()ってしまいますものね」

「それが問題なのよ。帝国議会名義で(くば)られる書類は、本来は教会が、あたしたち(きゅう)(てい)()(ぞく)(じょう)(ほう)(きょく)(あず)かって、ここから帝国全土へと伝えられるのよ。それなのに、どこから来たのかも確かめないで受け取ったらそのまま貼り出すなんて。少しは疑問に思いなさいよ!」

「意外と疑問に思わないのですよ。きっと……」

 などと言い合いながら、紙テープの山と格闘(かくとう)していた。

 2人は今、(しゅう)(はい)()(せつ)にある電信室の前で、数人の職員たち紙テープの仕分けを手伝っていた。ここには電信を介して帝国中から情報が集まってきている。それで出てきた紙テープの中から、必要な情報を探すついでに仕分けを手伝っているのだ。

 他に郵便物(ゆうびんぶつ)も集まってくるため、ここにいると多くの情報が得られるのである。

 そこで紙テープに目を通しているパセラは、今もまだ青い修道服を着ていた。しかも寒い季節に向かっているため、服は夏物から冬物に替わっている。

「それにしてもメイベルの情報、さっぱりありませんねぇ」

「ソロリエンス新聞も完全に2人を見失ってるみたいね。それで手配書の適当(てきとう)な記事でお茶を(にご)してるけど、案外、他の新聞社が書いてるみたいに、一部自作自演だったりして」

「レジーナぁ。それは失礼ですよぉ」

 情報整理する手を少し休めて、パセラが苦笑した顔で注意する。

 その時レジーナの目が、

「ん!? ミラ教会の正修道女(レディ)が、(くすり)(どん)()に薬草を持ち込んだピンクブロンドの少女を見かけたと報告(ほうこく)してきてるわ」

 という電信報告を見つけた。

「薬草を持ち込むピンクブロンドの少女ですかぁ? そんなことをするピンクブロンドの少女って、メイベル以外にいないんじゃ……」

 レジーナの読む紙テープを、パセラが横から(のぞ)き込もうとする。だが、

「一緒に旅商人がいるみたいだけど、これって……」

「えっと、ちょっと待ってください。たしかピスキで目撃された時も……」

 紙テープから目を離したパセラが、(たな)からファイルボックスを出した。ファイルボックスの中には仕切りになるフォルダが入っていて、そこに整理前の報告書類が大雑(おおざっ)()な区分けで(はさ)み込まれている。

「レジーナぁ。ピスキの目撃情報は、9月30日でしたっけ?」

「えっと、日付で聞かないでよ。ニセくじ事件の翌日だから……、あ、9月30日だわ」

 そう答えるレジーナも仕分けの手を止めていた。そのレジーナの見ている前で、

「ありましたぁ。やっぱりこの時も、どこかの旅商人さんと一緒にいたみたいですぅ」

 報告された紙テープを見つけたパセラが、それを貼ったファイルを持って戻ってきた。

「ということはメイベルと勇者くんは、旅商人と一緒に南へ向かってるのかしら?」

「そういうことになり……ますかねぇ? そういえば他にも……」

 見つかった紙テープを貼ったファイルを並べて、2人がこの情報を推理する。そこに、

「レジーナちゃん。何か新しい情報は届きましたか?」

 などと言いながら、クラウが集配施設に入ってきた。

「あ、クラウ。ちょうどいいところに来たわ」

 レジーナが見つかった紙テープとファイルを持って、いつものカウンターのあるところへ移動した。そして、

「新しい目撃情報よ。昨日(きのう)、ミラで旅商人と一緒にいたらしいわ」

 と言いながら、クラウに紙テープとファイルを見せた。

 そこに(おく)れてきたパセラが、地図を広げてクラウに向ける。

「ミラ教会の正修道女(レディ)が、昨日(きのう)、薬問屋に薬草を持ち込んだピンクブロンドの少女がいたと報告してきたわ。その時に、旅商人が一緒だったらしいの」

「薬問屋に薬草ですか。それはメイベルちゃんらしいですね」

 クラウが紙テープを手に取って、報告文を2度3度と読み返した。

「でも、聖修道女(セイント)とは書かれてませんね。人違いでは?」

「その可能性はあるけど、聖修道女(セイント)の服は目立つでしょ。どこかで着替えたと考える方が自然じゃない? 一緒にいる旅商人から服を()りてるとか……」

「ああ、なるほど」

 レジーナの意見に、クラウが納得したような顔をする。

「他に目撃情報はないのですか?」

「今日、見つかったのは、今のところそれだけよ。それで、これまでに届けられた情報を並べてみると……」

「えっとですねぇ、先月30日にピスキで目撃されたのが最初です。それから今月3日には、アルバシェアで旅商人の売り子にピンクブロンドの目立つ娘がいたって……」

 と、パセラが関係のありそうな情報を並べる。

「3日にアルバシェアですか? それはかなり有力な目撃情報ですね」

 そう言ったクラウが、地図に印と日付を書き込んだ。ピスキ、アルバシェア、ミラ。この3つは1つの街道沿いにある町だ。

「この情報が正しければ、メイベルちゃんとナバルは南へ向かってるのでしょうか?」

「その可能性は高いわね」

 地図に2人の行動が(えが)かれた。だが、

「先月30日にピスキ。今月に入って3日にアルバシェア。昨日(きのう)8日にミラ。けっこう()(どう)が速いですね。馬車を乗り()いでるのでしょうか?」

 という疑問をクラウが口にする。

「クラウ。そんなに速いの?」

「ええ、運河を使ってるのなら話は別ですが、歩きや馬車で動いてるとしたら。これはかなりの速さですよ」

 そう説明しながら、クラウが海岸(かいがん)沿()いを走る街道を指でたどった。

「この街道に並行して走る運河はありません。水上バスや水上貨物を使えば時間的に不可能ではないのですが、いちいち街道に戻る意味があるのかどうか」

「旅商人と一緒だから、(いち)を開くために戻ってきてるじゃないの?」

「だったら、街道沿いよりも運河沿いの大きな街で目撃されると思うのですが」

「あ……。あれ!?」

 クラウの言葉に、レジーナが首を(なな)めにした。

「それはともかく、昨日(きのう)、ミラで目撃されたとなると、この速さなら今日はアテル川の北岸にあるリバポットに着いて1(ぱく)。川を渡るのは明日(あした)。で、サンルミネに入るのは明日(あした)の夜になるか、明後日(あさって)になるか。どのみち旅商人なら……」

 そこまで言ったところで、クラウが口を()一文(いちもん)()(むす)んだ。

「確認のために、今すぐサンルミネへ向かいましょう」

「これからサンルミネへ行くの?」

 突然持ち出されたクラウの提案に、レジーナが目を丸くした。

「運河を使えば、今から出ても明後日(あさって)の夜ないし翌朝(よくあさ)にはサンルミネの教会に()きます」

「それだと1日遅いんじゃない?」

「いえ、旅の商人なら、これほどの大都市で商売しないはずがありません。となれば、これは2人に追いつく絶好(ぜっこう)の機会じゃないですか。絶対に()(のが)せませんよ」

 力説するクラウの言葉に、レジーナとパセラが顔を合わせる。

「2人に追いついて、連れ戻すの?」

(ぼく)は連れ戻すために行くのではありません。2人にニセくじのことを伝え、()(かい)()きたいのです。それで戻るかどうかは、2人の判断に任せます。とにかく2人は自分の命がかかってますからね」

「そうね。これは2人に事情を伝える最初で最後の機会かも……」

 考えを理解したレジーナが、目をパセラに向ける。

「パセラ。ここはあんたが行くべきと思うわ」

「ええっ!? わたしですかぁ?」

 レジーナの言葉に、パセラが目を丸くした。

「クラウの説得(せっとく)では今1つ信用に()けるし、あたしも2人を信用させる自信がないわ」

「レジーナちゃん。僕の説得では信用に欠けるって、どういう……」

 レジーナの言葉にクラウが不満を言ってくる。だが、レジーナはそれを無視して、

「だけど、パセラならメイベルも信用してくれるわ。パセラは絶対に腹芸(はらげい)ができないって、あたしたちは知ってるものね」

「はぁ、腹芸……ですかぁ」

 レジーナの言葉に、今度はパセラが不服そうな表情を浮かべている。

「それに降格の手続きが遅れてるから、今のパセラはまだ正修道女(レディ)でしょ。見習い修道女(シスター)のあたしよりも外出への制約は少ないわ。ということだから、パセラが一番の適任(てきにん)でしょ。それでクラウ、あんたにはパセラの()(えい)(まか)せたいんだけど」

「その役目は僕以外にありませんよ。いつでも出られるように準備はできてます」

 レジーナの提案を、クラウがそう言って引き受けた。

「それで、あたしは2人が出かけたあとの(あと)()(まつ)を引き受けるわ。クラウのことを近衛隊に伝えるのと、大司教さまにもこのことを伝えておかないとね。事後報告になるから、大司教さまから待ったがかかるかもしれないけど、その連絡は途中に寄りそうな教会へ伝えておくわ。それと途中の教会へは、必要になりそうな情報もね。あとは……」

 レジーナが必要なことを考えながら指を折っていた。そのレジーナが、

「それにしても、勇者くんの情報がまったくないわね」

 いきなりそんなことを言い出した。それに、

「それだけメイベルちゃんの美しさが人目を()くのですよ」

 と、クラウが笑顔で言う。

「あとはないわ。そっちは(まか)せていいかしら?」

 途中まで折りかけた指を止めて、レジーナがやることを頭の中で整理し終えたようだ。

 それを受けて、

「では、行きましょう。友人Aくん!」

 と言って、クラウが建物の外でパセラを待った。

「早く行きなさい」

「わかりました。レジーナぁ、あとのことはよろしくお願いします」

 レジーナにうながされたパセラが、そう言って深く頭を下げる。そして、

「クラウさん。お待たせしましたぁ」

 クラウのあとについて、サンルミネへ出かけていくのだった。


 さて、その頃、メイベルたちと一緒に旅するメルカトル商会の隊商は、

「なかなか熱が下がらないねぇ」

 朝、ルビノが高熱を出していたため、街道の(わき)に馬車を()めたまま立ち(おう)(じょう)していた。

 もっとも、道端(みちばた)に駐まっている馬車は5台だけ。いつも最後(さいこう)()を走る馬車だけがどこかへ出かけている。

 隊商の先頭に駐まるメルカトル()(さい)の馬車では荷台にある子供部屋に、小さなベッドが用意されている。ルビノはそこに布団(ふとん)()いて()かされているのだ。

女将(おかみ)さん。薬草を()んできました。すぐに(ねつ)()ましを作ります」

「すまないねぇ、メイベルちゃん。こういう時に、あんたみたいな子がいると助かるよ」

 戻ってきたメイベルに、メルカトル夫人がお礼を言う。それに、

「いえ、こちらもお世話になってますから」

 と返して、メイベルが手荷物からフライパンなどの調理道具を用意する。

「ところで、馬車が1台いないようでしたけど……」

「リデルの馬車かい。リデル(おや)()は町へお医者さんを(むか)えに行ってるんだよ」

「カメリエラさん、町へ行ってるんだ……」

 まな板で薬草を切り(きざ)みながら、メイベルがそんなことを(こぼ)した。そのメイベルが、

「って、(おや)()!? あの(しつ)()さんとカメリエラさんって、(おや)()だったの?」

 と、(おどろ)いた顔を夫人に向けてくる。

「あらあら、気づいてなかったのかい。あんな年頃の女の子が、1人でキャラバンにいるなんて考えられないだろ。まあ、よほどの(わけ)ありなら別だけどさ」

「はぁ、まあ、そう言われてみれば」

 夫人の言葉に、メイベルが(ほう)(ちょう)口許(くちもと)(かく)すような()(ぐさ)をする。それをチラッと見た夫人が、ルビノの頭に()せていたタオルを取って、洗面器で()らし直した。

「それで、お医者さんは、いつ頃来られるのでしょう?」

「そうさねぇ。早ければ1時間じゃないかい」

「1時間……ですか」

 言葉を繰り返しながら、メイベルが薬草の下ごしらえに戻った。といっても集めてきた薬草の根の部分だけを千切(ちぎ)り、フライパンへ放り込んでるだけなのだが……。

「それだけ早いのでしたら、薬は使わない方が良いかもしれませんね」

「そういうものかい?」

 夫人がルビノの頭に()れタオルを()せて、メイベルに顔を向けてくる。

「お医者さんが良い薬を持ってくるかもしれません。その前に違う薬を飲んでたら、飲み合わせによる(ふく)()(よう)(こわ)いんですよ。それに薬で熱を下げたおかげで、診察(しんさつ)を間違えるかもしれませんし……。2時間かかるのなら、飲ませるところですけど」

「へぇ、そんなことがあるのかい。1時間といっても決まってるわけじゃないからねぇ。飲ませるべきか判断(はんだん)(むずか)しいねぇ」

 そんな話をする2人を、ルビノが薄目を開けて見ていた。それに気づいた夫人が、そのルビノに(ほほ)()みかけて(やさ)しく頭をなでる。そこに、

「リディア。リデルの馬車が戻ってきたぞ」

 と、メルカトル氏が伝えてきた。

「えっ!? 意外と早かったねぇ」

「一緒に乗ってるの、町医者じゃないか?」

 隊商が()まっているのは、丘から街を見下ろす場所だった。そこに向かって2頭の騾馬(らば)()かれた馬車が坂を登ってきている。その馭台(ぎょだい)では(しつ)()(ふく)を着たリデル氏が()(づな)(にぎ)り、その(となり)には大きな黒カバンを(かか)えた初老の男が座っていた。その馭台の後ろには、カメリエラの姿も見える。

女将(おかみ)さん。お医者さまをお()れしましたわ」

 戻ってきた馬車がメルカトル夫妻の馬車に並ぶように停まった。それで位置を合わされた馭台から馭台へと初老の医師が乗り移ってくる。

「失礼しますぞ。子供が熱を出したと聞きましたが……」

「先生、お願いします。この子です」

 ()(むか)えるメルカトル夫人が、そう言って医師をルビノの横へ(まね)いた。

「ふむ。顔が真っ赤ですな」

 ベッドの横に置かれたイスに腰かけ、医師がさっそく容態(ようだい)()(はじ)めた。

 まず顔色を診て、次に下まぶたを引っ張って目の色を診る。それから(した)の色を確かめてから、指を頚動(けいどう)(みゃく)に当てて軽く(しょく)(しん)する。

「それでは、服の前を開けてもらいましょうか」

 そう言うと、医師が大きな黒カバンから(ちょう)(しん)()を出してきた。その間にメルカトル夫人が、()布団(ぶとん)をはいでルビノの服のボタンをはずしていく。

「ちょっとの()(まん)だよ。はい、大きく息を()って」

 医師に言われるように、ルビノが口を少し開けて息を吸った。それで肩が上がった頃、

「次はゆっくり()いて」

 と、医師が次の指示を出す。

「もう十分です。あまり布団で(あたた)かくしないでください。それと(あせ)()れた服は小まめに替えるように……」

 耳から聴診器をはずして、医師がそれをカバンに仕舞った。その間に、夫人は手早くルビノの服の前を閉じている。

「あの、ルビノの様子は?」

「診たところ、軽い脱水(だっすい)(つか)れではないかと思うのですが……」

 そう言いかけた医師が、夫人が()(げん)そうな顔をしてるのに気づいた。それで、

「お母さん。この子に(びょう)(れき)はありますかな?」

 と、()往歴(おうれき)(たず)ねてくる。

「それでしたら、こちらにこの子の診察簿(カルテ)があります」

 いつでも見せられるように用意してたのだろう。夫人がベッドの横から診察(しんさつ)()(ろく)を出してきた。それを医師に渡しながら、

「この子は前々から病弱(びょうじゃく)で、(にゅう)退院(たいいん)を繰り返してました。今の医学では治せない(むずか)しい病気と聞きましたので、少しでも一緒にいようと病院から連れ出して……」

 と、必死の思いで(うった)える。

「難しい病気!? はて……」

 記録を読む医師が、()(けん)にしわを寄せて小さく(うな)った。

「最近、元気になったように思ったのですが、そろそろ限界なのでしょうか?」

「限界も何も……。わしにはとても判断は……というか、そのようには……」

 夫人の質問に、今度は重い声でう〜んと唸る。

「……ん? この(にお)いは……」

 その時、医師がフライパンで何かを熱しているのに気づいた。メイベルは荷台の(すみ)で、薬の下ごしらえを続けていたのだ。

「きみ、そこで作ってるのは熱冷ましかね?」

「あ、はい。(ねん)のために作ってたんですけど、この薬は使わない方が良いですか?」

 メイベルが草の根の(せん)()(あい)に注意しながら、医師にそう尋ねた。

「ほう、これはゴモリの根っこではないか。わしの持ってきた薬では、あの子には()き目が強すぎる。このくらいの薬の方が良いだろう」

「そうですか? それは良かった……」

 医師の言葉に、メイベルがそう返して下ごしらえを続ける。そのメイベルに、

「根っこは湿気を飛ばしたら、それ以上は熱を加えぬようにな。それを薄めに()れた薬湯(やくとう)を小まめに飲ませれば良いだろう。それでしばらくはしのげるはずです」

 と、医師が簡単な注意を加える。

「さて、お母さん」

 再びメルカトル夫人に顔を向けた医師が、そう呼びかけて診察記録を返してきた。

「このキャラバンは、これからどちらへ向かう予定ですかな?」

「予定では今日中にアテル川を渡って、夜までにサンルミネに入るつもりでした」

「ほう、サンルミネですか」

 話を聞きながら、医師がカバンから新しい診察簿(カルテ)(ひっ)記具(きぐ)を出してくる。そして、それに走り書きしながら、

「それでしたら、サンルミネにあるできるだけ大きい病院へ行かれるのが良いでしょう」

 と提案してきた。

「この子の容態(ようだい)は、そんなに悪いのですか?」

「それは、わしには判断できません。なので(しょう)(かい)(じょう)を書きますから、大きな病院で精密検(せいみつけん)()を受けさせてください」

 医師が書き上げた書類を封筒(ふうとう)に入れて、心配する夫人に手渡した。医師が書いていたのは紹介状であった。

「精密検査……ですか? リバポットにある病院ではダメなのですか?」

「残念ながらリバポットには、精密検査のできる病院がありません。それではどこで診察(しんさつ)しても、わしと同じ診断になると思います」

 そう言って、医師がルビノの頭にそうっと手を()れた。

「この場で見た限りでは、熱はあるものの病気とは思えませんでしたからな。精密検査のできるちゃんとした施設で診てもらった方が良いでしょう」

「そう……ですか。では、そのようにします」

 紹介状に目を落とした夫人が、下くちびるをギュッと()んだ。

 その後ろでは薬の準備を終えたメイベルが、それを薬湯にしてルビノに飲ませている。

「みんな。すぐに出発するよ。できるだけ早い船で川を渡って、今日中にサンルミネに入るんだ!」

 馬車から顔を出した夫人が、外にいる商人たちに大きな声で出発を呼びかけた。馬車から降りた商人たちは出発の合図が来るまで、街道脇(かいどうわき)の草むらで身体(からだ)を休めていたのだ。

「よし、出発だ!」

「忘れ物をするな。急いで積み込め!」

 草むらにはシートが広げられ、そこでお茶をしてくつろいでいた商人たちもいる。その商人たちが手早くシートを丸め、馬車へ投げるように積み込んでいった。

「それじゃ、お医者さんは、来た時の馬車で送り(とど)けさせてもらいます。診察(しんさつ)(りょう)は馬車の者から受け取ってください。それでいいかね、リデルさん?」

「はい。お任せください、女将(おかみ)さん」

 リデル親子の馬車は、来た時のままメルカトル夫妻の馬車に横付けされていた。その馭台(ぎょだい)()(づな)(にぎ)っているリデル氏が、片手を()げて呼びかけに答えてくる。

「それじゃ、出発するよ! リデルさん。もし船に乗り遅れたら、その時はサンルミネの教会前広場で合流だ。いいね」

 医師がリデル親子の馬車に乗り移ったのを見たメルカトル夫人が、そう言い残して出発の合図を出した。と同時に、5台の馬車がいっせいに動き出していく。

「さあ、お父さま。わたしたちもお医者さまをお(とど)けしたら、急いで川を渡りましょう」

「わかってます。馬車の向きを変えますので、お気をつけを」

 そう言うと、リデル親子の馬車は一度反対方向へ動き出した。それから騾馬(らば)たちが大きな()(えが)きながら馬車を反転させる。そして他の馬車たちからかなり遅れて、街道を港のある町へ向かって下っていくのだった。


「次の船には、馬車を()せる()(ゆう)が2台分しかない? なら、その2台分もらったよ。残りの3台は次の船へ載せとくれ」

 港に着いた隊商は、さっそく切符(きっぷ)売り場で連絡船(れんらくせん)(じょう)(せん)手続きをしていた。だが、すぐに出る船には、馬車を載せられる余裕が2台分しか残されてなかった。

 それで乗船切符を買って戻ってきたメルカトル夫人が、

「ちょいと聞いとくれ。ここでキャラバンを更に2つに分けるよ。最初の船に載せられる馬車は2台だけだ。なのであたしらとトリフォニーの馬車を()せるよ。残りは次の船を使っとくれ」

 1人1人に乗船切符を(くば)りながら、()動方針(どうほうしん)を隊商の商人たちに伝えてくる。

「それから、乗客の方には十分にお余裕があるらしいから、子供らを先に行かせるよ。メイベルちゃんと隊長さんも、あたしらと一緒に先に行こうじゃないか」

「はい、わかりました」

 夫人の決めた方針で、メイベルも動くことにする。まあ、荷物をメルカトル夫妻の馬車に載せているのだからメイベルからすれば当然といえば当然なのだが、夫人にとっては薬の心配があるからだろう。

 メイベルと並んでいるナバルも、片手を()げて(りょう)(かい)したと意思表示している。

「それで川を渡ったら、あたしらの馬車は病院へ向かう。で、子供らはトリフォニーの馬車に乗ってサンルミネ教会へ向かっておくれ。それで次の教材を受け取って来な」

「えええ〜!?」

 夫人の指示に、一番上の男の子アダモが不満の声を上げた。

「母ちゃん。まだ課題、終わってないよ」

「だったら、今のうちに終わらせな。というか、昨日(きのう)大丈夫って言ったのは誰だい?」

「あれれ!? そんなこと言ったっけ?」

 (つい)(きゅう)してくる夫人から、アダモが()っとぼけた顔で離れていく。

 そんな隊商を、少し離れた場所から見てる男たちがいた。数は8人。全員が(こし)(けん)()げた、(あら)くれ者の(いん)(しょう)のある男たちだ。

「おい、あの売り子と(となり)用心棒(ようじんぼう)()配書(はいしょ)にあった(しょう)金首(きんくび)じゃないか?」

 まるでライオンのようなヒゲ(づら)の男が、仲間たちに意見を求めてきた。

「ただのキャラバンの売り子と用心棒だろ?」

「よく見ろ。売り子が魔法の(つえ)なんか持つか? 普通……」

「ああ、そう言われると変だな」

 2人を遠巻きに見ながら、男たちがひそひそと意見を()わしている。

 その男たちのいる場所の近くに、町の広報用(こうほうよう)(けい)()(ばん)が立っていた。そこに()られた手配書をライオン男がはぎ取って、

聖女(せいじょ)の方はピンクブロンドの()(どう)()だ。当たりじゃないか?」

 と、手配書に書かれている(とく)(ちょう)を読み上げる。

(けん)()の方は帝国(ていこく)(けん)(じゅうつ)大会(たいかい)(じゅん)(ゆう)(しょう)した腕前(うでまえ)か。2人合わせて金貨400枚は()(かく)だな」

 2人に()けられた賞金額は、いつの間にか()り上げられていた。

「おい、やつら、これから船に乗るようだぞ」

「こりゃ、()(ごう)がいい。(おれ)たちと同じ船か」

(おき)に出れば逃げ場はないからな。仕掛けるか?」

「当然だ。しかしやつらの持ってる(つえ)(けん)、かなり(りっ)()そうなやつだぞ。そうとう()(ごわ)いんじゃないか?」

 男たちがそんなことを話しながら、乗船客の列に並ぶ。

「武器の価値に何の意味もない。気にするな」

「その通り、問題は腕前だ。それに、こっちは8人で、あっちは2人。楽勝だろ」

「それもそうだ。いいか、見失うんじゃねえぞ」

 そう言いながら、ライオン男が検札(けんさつ)(がかり)に切符を見せた。それを見た検札係が切符に切れ込みを入れる。

 そことは別の乗船口からは、馬車が船に乗り込んでいた。その馬車の馭台に立って、

「それじゃ、あたしらは先に行くよ。あとで教会前の広場で会おうじゃないか」

 メルカトル夫人が次の船を待つ商人たちに(わか)れを()げていた。

 やがて馬車の乗り込みが終わると銅鑼(どら)の音と共に()ね橋が上げられていく。そして岸壁(がんぺき)に船をつなぎ止めていたロープがすべてほどかれると、警笛(けいてき)派手(はで)銅鑼(どら)(れん)()(あい)()に船が岸から離れていった。

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