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くじびき勇者さま  作者: 清水文化
4盤札 誰が女神さまよ⁉
16/20

第4巻:第1章 とにかく南へ

 フォルティアース大陸の東で南北に()びる(あお)(さん)(みゃく)。その南にある(ゆる)やかな斜面(しゃめん)に大きな(みやこ)(きず)かれていた。

 都の建物は3階から5階建てのレンガ造りが多く、通りもレンガで()(そう)されている。しかも赤いレンガ、(かっ)(しょく)のレンガ、黄色いレンガ、青白いレンガに灰色のレンガと、様々な色のレンガが使われているため、街には(ゆた)かな(いろど)りがあふれている。それでいながら(はな)やかさを(おさ)えて落ち着いた雰囲気を(たも)っているのは、都市計画が働いているからだろう。

 ここは宗教(しゅうきょう)都市(とし)サクラス。大陸最大の宗教ソルティス教の中心地であり、宗教によって80以上の王国が集まる王国連合帝国の帝都でもある。

 その街中を大きな荷物を背負(せお)った若い男女が()けていた。近衛(このえ)(ちゅう)(たい)(ちょう)ナバル・フェオールと、ソルティス教の(せい)(しゅう)道女(どうじょ)メイベル・ヴァイスだ。

 ナバルは(こし)に大きな(けん)を差した剣士。メイベルは柑橘系(かんきつけい)を思わせる色の修道服をまとい、手に魔法の(つえ)(にぎ)った聖修道女だ。しかもメイベルの背負(せお)うリュックサックの外側には、フライパンやまな板、お玉などの調理器具がぶら下がっている。

 そんな2人が聖サクラス教会のある方から、まっすぐ南へ延びる坂を()(くだ)っていた。

「メイベル。追っ手が動き始める前に都を出るぞ!」

 ナバルは魔法の杖を握るメイベルの(うで)(つか)んでいた。それで引っ張られるメイベルが、

「あ〜、もう。わたしの運勢絶悪(うんせいぜつあく)だわ」

 とぼやいて、(そで)で浮かんできた涙をぬぐう。

「ナバル。逃げるあてはあるの?」

「そんなもの考えてない。今はとにかく……。メイベル。あれに乗るぞ!」

 ナバルが通りを走る水力列車を見つけた。水力列車は2(りょう)編成で、1輌あたり8mほどの長さだ。列車の外側にはステップと(つか)まるための手すりが付いていて、そこに大勢の市民が(むら)がっている。外は危険だが、タダで乗れる場所なのだ。そんな列車が2人の走る前をゆっくり速度を落としながら、停車駅(ていしゃえき)に入ろうとしていた。

「ちょうどいいわ。中に入りましょう」

 水力列車は各車輌の前と後ろに、ドアのない開けっ放しの乗り口が(もう)けられている。今度はメイベルがナバルの(うで)を引っ張るようにして、停車した列車に後ろから乗り込んだ。

「ふぅ。どうにか乗り込めたわね」

 2人が駆け込んだ直後、水力列車がすべるように走り始めた。そんな2人に、

「お客さん。駆け込み乗車は危ないですよ」

 と、(しゃ)(しょう)が注意してきた。

「ごめんなさい。ちょっと急いでいたもので」

「おやおや、これは若い聖修道女(セイント)さんとこちらも若い近衛中隊長殿ではありませんか」

 2人の恰好(かっこう)を見た車掌が、そう(こぼ)して(まゆ)をぴくっと動かした。その車掌が、

「何か特命(とくめい)ですか? できれば……ですが、今後は気をつけるように(ねが)いますよ」

 と(あやま)るメイベルに注意して、2人より先に乗った客のところへ歩いていった。

「あれ!? あの車掌、(おれ)たちから乗車賃は取らないのか?」

 車掌が乗客から(こう)()を受け取り、()わりに(きっ)()(わた)している。その光景を見たナバルが、そんな疑問をメイベルに(たず)ねた。それに、

「ああ、それはわたしが宗教関係者、ナバルは近衛隊長だから公職者ってことで、この水力列車の乗車賃はタダなのよ」

 と、メイベルが息を(ととの)えながら答える。

「タダって……なんで?」

「この水力列車は、教会が運営してるからなの。だから貴族と公職者、それと宗教関係者はタダで乗れるのよ」

「へぇ〜、そういうことか……」

 理由を聞いたナバルが、別に自分が無賃乗車してるわけではないと知って安心する。

「でも、これから先、タダで乗れる乗り物ばかりじゃないし、追われてるとなると教会に寝泊まりするわけにもいかないわ。運賃、宿(しゅく)(はく)()、食費……。何かとお金がかかるわね」

 メイベルが()いた席に腰を下ろして、お金の心配を始めた。

 そのメイベルが背負(せお)っていたリュックサックを開けて(かわ)(ぶくろ)を出した。()(ぎん)を入れてある袋だ。それが中身が()まってパンパンに(ふく)らんでいる。(きゅう)(せい)の旅の間に、たくさんのお金を路銀として渡されたおかげだ。

 窓越しに革袋を見た市民たちが、袋に詰め込まれた大量の金貨や銀貨などの硬貨を見て目を血走らせている。それも当然。市民感覚では2〜3年は遊んで暮らせそうな大金だ。しかし、これからの逃亡生活を考えると、路銀はこれだけあっても心配が残る。その他にも、このお金がどこまで通用するのか。そういう面での心配もある。

「メイベル。今はお金のことなんか忘れて、逃げることだけを考えようぜ」

 メイベルの(となり)(こし)を下ろして、ナバルが少し落ち着いた口調で言ってきた。

「とにかく今は逃げることが最優先だろ。(つか)まったらお金の心配なんて意味ないだろ? むしろ、それだけあればお金の心配をせずに逃げられる。そう考えようぜ」

「それもそう……かもね」

 ナバルにそう(さと)されたメイベルが、静かに袋の口を閉じた。

 とはいえ、メイベルは先々のことが心配だった。リュックサックに革袋を押し込めたところで、また()(いき)が口を()いて出てしまう。

 そんなメイベルたちを窓越しに目を血走らせて見ていた市民たちも、ふと空を見上げて深い溜め息を()らすのだった。


 その頃、(てい)()の中央にある(せい)サクラス教会にある一室では、

「いつの間にニセくじにすり替えられたのやら……」

 ソルティス教の(だい)()(きょう)が、(かん)部議(ぶぎ)(いん)たちを集めて(きん)(きゅう)(かい)()を開いていた。

 大司教は帝国をまとめる皇帝(こうてい)兼任(けんにん)している。もっとも、大司教は(きょう)(こう)としての地位を与えられてはいるが巨大な権限(けんげん)は存在しない。帝国を支配するのは連合に所属(しょぞく)する王国の代表者たちによって構成(こうせい)される帝国議会であり、その中心となるのは更に選抜(せんばつ)された執政(しっせい)(かん)部議(ぶぎ)(いん)たちである。

「どれもこれも処刑(しょけい)するものばかりとは、なんと()(れつ)真似(まね)をする犯人だ」

「しかも筆跡(ひっせき)()(もと)がバレないように(かつ)()を使ってますか。なんと(わる)知恵(ぢえ)の働くことか」

「この活字は、最近出てきたタイプライターとかいう機械の文字ですかな?」

「タイプライターですか。そんな高価なものを使える人となると、かなり(しぼ)られますね」

「それに悪知恵を働かせて活字を使った割に、打ち間違いを手書きで直してますよ」

「この(とく)(ちょう)のあるクセ字は、やはり犯人はあの方でしょうか?」

「最後の()めの甘さは、あの方以外にないと思いますが……」

 集まった幹部議員たちがニセモノのくじを見ながら、口々に意見を()わしている。

 そんな幹部議員たちに、

「まあまあ諸君。犯人が誰なのかも大事であるが、その前に今回の事件の状況(じょうきょう)(せい)()から始めようではないか」

 と、カイゼル(ひげ)の男がうながしてきた。帝国一の実力者であるアキロキャバス(きょう)だ。

 次に左隣(ひだりどなり)に座る(りっ)()僧服(そうふく)を着た大司教が、

「今回の事件を要約すると、ビ……、いやいや、決めつけはよくありませんな、何者かが式典で使う(ほう)(しょう)のくじをニセモノにすり替えたことに(たん)(はっ)してます」

 と、事件のあらましを語り始める。

「犯人の(もく)論見(ろみ)はわかりませんが、ニセモノのくじの内容から、2人の功労者(こうろうしゃ)()き者にしようとしたことが()み取れます」

「うむ。もしも2人がすり替えられたくじを引いていたらと思うと、ゾッとしますな」

 大司教の言葉に、アキロキャバス卿が(けわ)しい表情でそんな感想を()らした。

 幹部議員たちの間からも、

「どれを引いても処刑(しょけい)のくじばかり。2人にとっては()(げき)じゃからのう」

「くじは神聖なものである以上、書かれている通りに実行しなくてはなりませんからな」

「理由は何であれ、帝国にとっての功労者(こうろうしゃ)を処刑したとなると()(しん)が地に()ちますぞ」

「いやはや、まさに危機(きき)一髪(いっぱつ)でしたな」

 という声が()れ出てくる。その言葉に、

「もしも2人が引いていたとしたら、その時はくじを()(こう)にするべきところです」

 と、大司教が意見を加えてきた。

「くじを無効とすれば、聖サクラス教会ならび帝国の威信は落ちるでしょう。だからと言って、功労者をくじで決まった通りに処刑したとしても威信は地に墮ちます。どちらに転んでも威信に傷がつくのならば、くじを無効として2人の処刑を()け、()(れつ)な犯人を捕まえることで威信を回復するべきところです。その時は腹を()えねばなりませんが……」

「ほほう。たしかに大司教の(おっしゃ)る通りですな」

「なかなかのご英断(えいだん)だ。それこそ大司教に(えら)ばれるだけある、ご聡明(そうめい)な意見です」

 大司教の話を聞いていた幹部議員たちが、(きも)()わった考えに感心している。

「とはいえ、犯行はあと少しというところで()(けん)しました。見習い修道女(シスター)パセラのちょっとしたドジではありますが、あそこで(ころ)んでくれたことは大変な幸運でした」

 と話を続けた大司教が、視線を部屋のすみで(かべ)を背に座っている少女に向けた。

 少女はやや丸みのある顔でメガネをかけていた。見習い修道女のパセラ・アヴィシスだ。パセラが着ているのは明るい灰色をした半袖(はんそで)の修道服。見習い修道女の着る夏服である。その服の(ひだり)(そで)には金色に(ふち)取られた(そで)(しょう)が付けられている。1枚のお皿と、その上で交差させた1組のナイフとフォークが()(がら)として(えが)かれた袖章だ。

「ではあるが、神聖なる式典での失敗です」

 大司教がパセラを(きび)しい目で見ながら言ってきた。そこに他の幹部議員たちも、

「本来であれば厳罰(げんばつ)モノの大失態(だいしったい)であると思うのですが……」

「ちゃんと罰は与えておかないと、それもまた威信の失墜(しっつい)になりかねません」

 と(こぼ)しながら、パセラに顔を向けている。

 そんな幹部議員たちの視線が痛いのか、パセラが大きく呼吸しながら(きん)(ちょう)した顔で()(すじ)を伸ばしていた。パセラが部屋に呼ばれたのは、この罰の件があったからだ。

 その状況を少し離れた壁ぎわで見ていた見習い修道女が、

「パセラも災難(さいなん)ねぇ」

 と零した。金髪で赤い(ひとみ)のレジーナ・テルルだ。レジーナは幹部議員ではないが、パセラの付き()いとして会議の(ぼう)(ちょう)(ゆる)されたのである。その(となり)では近衛(このえ)()兵隊(へいたい)の小隊長であるロード・クラウ・アスピス(以下略)も、一緒に会議を()いている。

「まあ、そんなこともあり式典の主役である2人の功労者は、命の危険を感じて逃げてしまった……というところですか。さて、2人をどうやって呼び戻しましょうか?」

「大司教。2人を追おうとした近衛隊を止めたのは、どのようなお考えからですか?」

 1人の幹部議員が手を()げて、事の真意を(たず)ねてきた。

「それは危険と感じたからですよ。逃げる2人は命の危険を感じてますから、(つか)まりそうになれば必死に抵抗(ていこう)するでしょう。それに追う近衛兵は2人が逃げる事情を知らないでしょうから、(にん)()(ちゅう)(じつ)になるあまり()(あら)い手段を使ってでも捕まえようとするでしょう。となれば双方に無意味なケガ人が出ることは()けられません」

「なるほど。言われてみればその通りです」

 質問した議員が、大司教の回答に感動したように感心している。

「大司教はそれを一瞬の判断でなさったのですか?」

「いえ、あれは直感です。あの時はわたしには何が起こっているのかわかりませんでした。ただ逃げる2人の様子がおかしかったので、反射的(はんしゃてき)に止めたと言いますか……」

「理由はともかく、あれは賢明(けんめい)指示(しじ)でしたな」

 返事に困っている大司教に、アキロキャバス卿がそんな助け船を出した。そのアキロキャバス卿が、

「取り()えずだいたいの事情がわかったところで、1つずつ案件を片づけましょう。まずはパセラくんの罰から決めましょう。緊張したまま待たせるのは()哀想(わいそう)ですからね」

 と、会議を進めていく。

「さて、どうしたものか……」

 幹部議員たちが重い空気を(ただよ)わせながら(だま)り込んでしまった。その議員たちに視線を(そそ)がれるパセラが、()(ごこ)()悪そうにそわそわしている。

「大切な式典での失態(しったい)は、かなり重い罰則になりますからなぁ」

 そんな議員の零す言葉が、パセラの不安を(あお)っている。

「これまでに、どんな処罰(しょばつ)(おこな)われたかのう?」

 たっぷりと()え太った議員が、そんな疑問を(となり)に座る議員に尋ねた。サンクヮッド事変の英雄(えいゆう)。そして先に(おこな)われた調査隊では全権大(ぜんけんたい)使()(つと)めたクリプトン卿である。

(へき)()の教会に()(せん)とか、階級の降格が多いんじゃないか?」

「ふむ。降格のう……。お、それなら……」

 クリプトン卿の(のう)()に、ふと名案が浮かんだようだ。さっそく手を()げて、

「大司教。その件に関して、少々提案(ていあん)があるのだが、よろしいかのう?」

 と指名を求めてきた。

「クリプトン卿。何か名案(めいあん)でもあるのかな?」

「名案かどうかは知らぬが、耳打ちさせてもらってよろしいかのう?」

 そう言ったクリプトン卿が、他人の3倍はある身体(からだ)で立ち上がった。そして、大司教とアキロキャバス卿のところへ歩いていき、ゴニョゴニョと提案を(かた)って聞かせる。

「それは、なかなかの(みょう)(あん)ではありませんか」

「たしかに、それはかなり重い罰ですな。表向きは……」

 提案を聞いた大司教とアキロキャバス卿が、感心したとばかりに笑顔になった。その一方で「重い罰」と聞いたパセラが、びくっと背筋を伸ばして表情をこわばらせている。

「それでは、パセラ。罰を与える前に、きみを正修道女(レディ)(しょう)(かく)させようと思います」

「…………はい??」

 大司教の思わぬ言葉に、不意に緊張の()けたパセラが間の抜けた声を出した。

「あのぅ、大司教さま。わたしの正修道女(レディ)昇格って……?」

「パセラは修道女の中でも、特に優秀な者のうちの1人であると感じています。メイベルが一足先に昇格しましたけど、きみも機会があれば昇格させても良い(ころ)()いであると思ってました。今日はその機会が来たと思ってください」

「はい。それはありがとう……ございます……」

 何か()に落ちないのか。パセラが(うわ)()(づか)いで大司教を見ながらお礼の言葉を述べる。

 その昇格を決めた大司教は、

「ということでパセラ。まずは正修道女(レディ)の服に着替えてきなさい。この昇格証書を渡しますので、これを()装係(しょうがかり)に見せれば新しい服を手配してくれます」

「はい……。それでは着替えてきます……」

 席を立ったパセラが、しきりに首を傾げながら部屋から出ていった。そんなパセラを目で追うレジーナが、

「クリプトンおじさま、いったい何を思いついたのかしらね?」

 と、少し心配そうにしている。

「さて、パセラが戻るのを待つ間、我々は別の案件を進めましょう」

 大司教が軽く呼吸を調(ととの)えてから、会議を次の議題へと変えた。

「次の案件は逃げた2人をどうやって呼び戻すか……でしょうかね?」

「う〜む。それも大切ですが……」

 アキロキャバス卿の問いかけに、大司教が少し考えながら答える。

「逃げる2人を放っておくのは可哀想ですが、2人の件はあとで考えましょう。それよりも、ここは犯人の(あつか)いをどうすべきか。その決定を優先するべきでしょう」

「犯人の扱い……ですか。それは難しい問題ですね」

 大司教の方針に、アキロキャバス卿がそんな言葉をかけてくる。そのアキロキャバス卿がニセくじをひらひらさせて、

「それにしてもビーズマス卿は、なんのつもりでこんな真似(まね)をしたのやら……」

 という問題点を口にした。

「アキロキャバス殿。あまり犯人を決めつけるというのは……」

「大司教殿はこれほどの(しょう)()があるのに、(しん)(ちょう)ですな」

「これはややこしい国際問題だからです」

 大司教がテーブルにひじを突き、ふうと大きな()(いき)()く。

()(こう)に問題があるとは言え、ビーズマス卿は西アルテース公国の公王です。そのような人物を安易に犯人と決めつけるのは……」

「良いではありませんか。証拠は十分にそろっているのですから。ただ、わたしは貴族特権と議員特権の2つがあるために、ただちに逮捕できないのが残念ですよ。()(ねん)されていた帝国の連合憲(れんごうけん)(しょう)にある穴を突かれた事件です。ここは(さっ)(きゅう)に見直さなくては……」

 今度はそう言ったアキロキャバス卿が、(てん)(じょう)(あお)いで()(いき)()いた。

「アキロキャバス殿。証拠と言っても筆跡(ひっせき)だけではありませんか。他にビーズマス卿の犯行を裏づける証拠はないのですぞ」

「大司教さま。タイプライターの文字も、十分な証拠になると思います」

 (なん)(しょく)を示す大司教に、レジーナがそんなことを言ってきた。

「レジーナ。それはどういう意味ですか?」

「あたしは郵便物の集配を担当している関係で、タイプライターの文字をよく目にするのですが、大文字のタイプライターで書かれた手紙は西アルテースの、それもビーズマス卿さまに近しいところからしか出てきませんわ」

「大文字のタイプライター? それはどういうことですか?」

 レジーナの話に、大司教が(けわ)しい表情になる。

「タイプライターを使われる方は少しずつ増えてきているのですが、ほとんどが小文字しか打てないもので、大文字の打てるタイプライターは……」

「あ、そういうことですか」

 レジーナの言葉に、アキロキャバス卿が大事なことに気づいたようだ。

「アキロキャバス殿。どうされました?」

「いや、タイプライターは我がユーベラスで発明されたもの。そのために市場に出まわってる機械には小文字と言いますか、ユーベラス文字のみがセットされています。それが大文字、つまりアルテース文字になってるということは、使われたタイプライターは特注品ということになるでしょう。大司教殿。これで証拠は固まりましたな」

「うむ。そうかもしれませんな。それはそれで頭が痛い……」

 そう零した大司教が目を閉じて、先ほどよりも深い()(いき)()いた。その一方で、

「レジーナくん。さすがは(きゅう)(てい)の書記係だ。見事な助言だったよ」

 と感心したアキロキャバス卿が手を(たた)いた。そのアキロキャバス卿に、

「ありがとうございます」

 とお辞儀(じぎ)で返すレジーナの左腕には、事務などを受け持つ書記係の袖章が付いていた。書記係を示す図柄は(よう)皮紙(ひし)の絵だ。レジーナの袖章にはそこに宮廷付きである金の縁取りと、階級を(あらわ)す羽ペンが1つ羊皮紙に(かさ)ねて(えが)かれている。

 そこに「着替えてまいりましたぁ」と言いながら、パセラが戻ってきた。パセラの衣装は正修道女用の青い夏服に替わっている。

 その声に、大司教が静かに目を開けてパセラに顔を向けた。

「パセラ、戻りましたか。その服を着た感想はいかがですかな?」

「すっごくうれしいですぅ」

 大司教の言葉に、パセラがうれしそうに軽くポーズを取りながら答える。そのパセラの服に触れるレジーナが、

「メイベルに先を越されるのは覚悟してたけど、パセラにまで先を越されるとは思わなかったわね」

 と、うらやましそうに零している。そんな2人を大司教が優しい目で見ながら、

「ふむ。なかなか似合ってますな」

 と感心したように(ほほ)()んだ。その大司教が、

「それでは、次に罰を与えましょう」

 と言って、浮かれているパセラを現実に引き戻した。

 その言葉にパセラの動きが止まり、その恰好(かっこう)のままで次の言葉を待っている。

正修道女(レディ)パセラ。式典で失態を演じた罰として、見習い修道女(シスター)への降格を命じます」

「…………ええぇ〜〜〜〜〜〜〜……!?」

 一瞬の間を置いて、パセラが間の抜けた声を出した。

「うわぁ〜、降格はきついわ」

 とはレジーナの感想だ。

「レジーナちゃん。降格は、ただ見習い修道女(シスター)に戻るだけではないのですか?」

「何を言ってるのよ、クラウ。降格はただ戻るだけじゃないわ。降格したら原則として、このあと3年間は昇格できなくなるのよ」

 疑問を口にするクラウに、レジーナが厳しい口調でそう教える。

「パセラはもうすぐ17歳なのに、18歳を過ぎても見習い修道女(シスター)のままでいなくちゃならないのよ。これは何も知らない人から落ちこぼれの烙印(らくいん)()されるようなものだわ」

「そういうもの……ですか……」

 話を聞いたクラウが、そう零して肩をすくめた。

 もっとも、レジーナの話には一部間違いがある。レジーナは優秀な者を集めた聖サクラス教会の修道院にいるため、18歳前後で正修道女に昇格するのを当たり前のように思っている。だが、一般的な正修道女への昇格は、ほとんどが20歳を過ぎてからなのだ。

「また、着替えてきますぅ……」

 正修道女への昇格はぬか喜びだった。しょんぼりと肩を落としたパセラが、更衣室へ戻って元の服に着替え直そうとする。そのパセラを、

「少し待ちなさい。まだ伝えておくことがあります」

 と、大司教が呼び止めてきた。

「降格は処罰の都合上、少々煩雑(はんざつ)な手続きが必要となります。なので手続きが終わるまで時間がかかりますので、それまでの間はその服を着ていなさい」

「はぁ……」

 大司教の言葉に、パセラが気の抜けた声を返した。

「それともう1つ」

「まだ、何かあるのですかぁ?」

 思わずパセラの口を()いて、そんな言葉が飛び出てしまった。それに(あわ)てたパセラが、口を両手で押さえて「あわわ」と(あせ)っている。

 だが、大司教はそんなパセラを何もとがめず、優しく(ほほ)()みながら、

「パセラにはニセくじ発覚(はっかく)功績(こうせき)(めん)じて、降格に(ともな)う昇格制限免除(めんじょ)特赦(とくしゃ)(あた)えます」

 という()(そく)()(こう)を伝えた。

「と言うことですから、パセラ。手続きが済んで見習い修道女(シスター)に戻っても、今着ている服は大切に取っておきなさい。またすぐに着る機会が来るとも限りませんからね」

「はぁ〜……。ありがとうございます……と言うか……」

 ニコニコしている大司教にお礼を言いながらも、パセラは何が起こってるのか理解できずに小首を(かし)げていた。

「へぇ〜、クリプトンおじさま。なかなか考えましたわね」

 一方で事情を(さと)ったレジーナは、(にん)(じょう)()あふれる裁定(さいてい)にくすっと()みを()らしていた。

 大切な式典で大きな失態を仕出かした以上、重い処罰は避けられない。だが、結果的にはその失態のおかげで最悪の事態が避けられたのだ。そこで重い罰を与えつつも特赦(とくしゃ)などにより差し引きゼロとすることで、処罰があったという実績(じっせき)だけを残したのである。

「あのぅ、わたしはどういう(あつか)いになるのでしょうか?」

 (わけ)()(がお)のレジーナに、パセラが説明して欲しそうな顔向けてきた。

簡単(かんたん)要約(ようやく)するとね。今日からしばらく正修道女(レディ)のコスプレをするのが、パセラに与えられた罰なのよ。わかった?」

 パセラの肩に手を置いて、レジーナが笑顔で答える。かなり乱暴(らんぼう)(かい)(しゃく)ではあるが、間違いではない。

 そんな解釈を聞かされたパセラが、困った顔で言葉を失っている。それを見る幹部議員たちの間からは、声を殺した(しっ)(しょう)()れていた。

「さて、パセラに与える罰の件は、これで決定としましょう。他に案件がなければ……ですが、これから時間をかけて、ニセくじ事件で()(てい)した連合憲章の不備を考えましょう」

 真顔に戻った大司教が、いよいよ最大の問題に取りかかろうとする。

 その言葉を聞いた幹部議員たちも、(きび)しい表情に変わって会議に戻っていった。


 会議でニセくじ事件のことが話し始められた頃、教会から逃げ出した2人は、

「メイベル。これからどっちへ逃げたらいいと思う?」

「そんなことを聞かれても……」

 何事もなくサクラスの南門をくぐり、帝都から旅立っていくところだった。

「ポルタウから川の向こうへ(わた)って、それから考えるか? それなら……」

「ナバル。ポルタウは帝国最大の大都市だけあって、サクラスから毎日大勢(おおぜい)の人たちが出かけてるわ。途中で知り合いとばったり会って、足がつくなんて()(たい)()けたいの」

「ばったり……か……。それは避けたいな」

 門の外で立ち止まって、2人は行き先を決めかねていた。

 南門からふもとのポルタウに向かって、太い坂道がまっすぐ続いていた。(きゅう)勾配(こうばい)ではないが、長く続く坂道は上り下りが大変そうである。その()(ろう)を避けたい市民が、南門の前にある駅で長い(ぎょう)(れつ)を作っていた。下りのケーブルカーを待つ市民たちの列である。

 その市民たちの待つケーブルカーが駅に入ってきた。ケーブルカーはまさに通勤(つうきん)電車(でんしゃ)とでもいうような満員(まんいん)ぶりで、(しゃ)(りょう)から降りた市民たちは、足早に南門へと向かっている。自宅をふもとのポルタウに持ち、そこからサクラスにある職場へ(かよ)っている人たちだ。

 帝都サクラスは大都市ではあるが、山の斜面(しゃめん)に作られた(みやこ)であるために()(がい)()できる場所には限りがある。およそ380mの標高差のある斜面に向かって、(たて)に約8km、横に12kmという(せま)さだ。その中に帝国の主要(しゅよう)(ぎょう)(せい)()(せつ)や有力な貴族たちの別邸(べってい)が集まり、その周りで60万を()える人たちが暮らすという人口()(みつ)都市なのである。

 人口の多さではふもとのポルタウの方が200万都市で帝国一の規模(きぼ)(ほこ)るのだが、その実態はサクラスが小さいために中に家を持てず、ふもとから通ってくる人たちが少なくないからだ。もちろんポルタウに限らずサクラスの周りの斜面には、そういう人たちの住む集落がいくつも作られている。


 そうやって通って来る人たちが、南門からサクラスへ入っていく。その門の外では6人の衛兵(えいへい)が立っていて、不審者が入ってこないか目を光らせていた。

 その衛兵たちには、まだ2人のことが伝わってないのだろう。若い近衛中隊長と聖修道女という珍しい組み合わせに興味を感じつつも、ジッと市民たちに目を向けて(しょく)(せき)をまっとうしている。

「あ〜ん、もう。考えても仕方ないわ!」

 答えに行き詰まったメイベルが、大きく万歳(ばんざい)して息を()いた。そのメイベルが、

「取り()えず、今は東に向かいましょう」

 と、門を背にして左の方向を指差した。そして、もう決定したとばかりに街を囲む城壁に沿って歩き始める。

「東!? どうして東だ?」

「意味なんかないわ。ただ何となくよ」

 理由を(たず)ねるナバルに、メイベルがそう答えて頭の後ろをポリポリと()いた。

「でもさ、南のポルタウは知ってる人にばったり会う可能性があるから避けたって言ったでしょ。で、西は山と川に(はさ)まれた(せま)い地域が続くから、逃げられる場所が少ないわ。だから東へ行くのは消去法で考えて悪くないわ」

「消去法ねぇ……」

 なんとか理由を探そうとするメイベルの考えに、ナバルが(あき)れて嘆息(たんそく)する。だが、

「あ、でもフルヴィ川の河口まで行けば北には大きな平野が広がってるでしょ。それに河口の港町ザンドゥからはたくさんの船が出てるから、向かう先の選択(せんたく)()が広がるわ。最初は直感だったけど、我ながらけっこう()(とう)な考えだったかも」

 考えを(けん)(しょう)するメイベルの頭の中で、少しずつ考えの妥当性が見えてきた。

 もっとも、考えに納得してるのはメイベルだけだ。ナバルの方はというと、

「メイベル。やっぱり、くじびきで決めないか?」

 たとえ(すじ)の通った理由が与えられたとしても、神頼(かみだの)みの方が安心できるようである。


 さて、それとまさに同じ頃、聖サクラス教会の(となり)に建つ議事堂にある一室では、

「あの勇者(ゆうしゃ)若造(わかぞう)(じゅう)(しゃ)()(むすめ)が、帝都から逃げた……だと?」

 帝国で3番目の有力貴族であるビーズマス卿が、部下からそんな報告を受けていた。

 ここはビーズマス卿に与えられた議員(ひか)え室だ。部屋には長く大きなテーブルが置かれ、ビーズマス卿の息のかかった貴族議員たちが集まってテーブルを囲んでいる。

「どうして逃がしたのだ? と言う以前に、式はどうなったのだ?」

「わかりません。それで執政幹(しっせいかん)()たちが集まって、何やら話し合ってるみたいで……」

「話し合ってるだと!? またこのわたしを差し置いて、何を話しておるのだ?」

 部下の話に、ビーズマス卿が(かん)(しゃく)を起こした。

 その様子をテーブルに座っている貴族議員たちが、

「公王さま、また(おこ)ってますな」

「執政幹部に選ばれなかったことを、よほど根に持っておられるのでしょう」

「選ばれたかどうか以前に、今は勝手に大軍を送った件で謹慎(きんしん)中の身だ。執政幹部であったとしても呼ばれるわけはなかろう」

 と、(あき)れた顔で(こぼ)している。その中の1人が、

「ところで前から気になっていたのだが、よくまあ公王さまは50万もの大軍を(りゅう)(さん)(みゃく)へ送れたものであるな。それも10日とかからない短い期間でだ。それに通り道にされたシルヴ侯国(こうこく)は、なぜいまだ(だま)っておるのだ? 同じ帝国の一員とはいえ、(りょう)()を他国の軍に()らされたのだぞ」

 という()(もん)を口にした。

「ああ、それは簡単な理由ですよ。軍隊が通る前に、通り道となる町に大量の(かね)がばらまかれたからだそうです」

(かね)だと!? 買収したのか?」

「まあ、似たようなものです」

 理由を答えた議員が、くすっと()みを()らした。

「軍隊の移動に必要な食料とトイレ、それからベッドや風呂などを用意させるためですよ。通り道付近にいる住民たちにね」

「用意!? どういうことだ?」

 質問した議員が説明の意味がわからず、()(けん)にしわを()せて問い返す。

「つまり、(かね)(わた)して住民たちに食料や()(えい)の用意を(まか)せれば、軍隊はわざわざ野営の準備をせずに済むので移動に専念(せんねん)できるでしょう。それに通り道にされたシルヴ侯国にしても領地を踏み荒らされたとはいえ、街がそれ以上の特需(とくじゅ)(けい)()()いたとなれば(もん)()も言えないわけです。建前(たてまえ)でも文句を言ってしまえば、住民たちの歓迎(かんげい)ぶりに水を差して敵にまわしかねません。なんせ公王さまがばらまいたのは、相場の5倍もの(かね)ですから」

「5倍って……」

 話を聞いた議員が、口を開けたまま固まっていた。そして、やおら大きく息をすると、

「いやはや公王さまは、時たま素晴(すば)らしい(わる)知恵(ぢえ)を思いつくものだな」

 (あき)れた顔で(てん)(じょう)を見上げるのだった。その横で質問に答えた議員も、

「ホント、もっと正しい方向へ頭を使われていれば、執政幹部としてご活躍(かつやく)できたというのにねぇ。と言っても公王さまのお考えは、どこか詰めが甘いのですが……。まあ、そのおかげで逃げ帰る兵たちは無事に国へ戻れたわけですし、()(しょう)(けい)も通り道の住民たちに手厚く手当てしてもらえたわけですが……」

 と(なげ)いて、長い息を()らすのだった。



 それから3時間の時が流れた。

 南門を出て東へ向かっていた2人は、山を(くだ)る長い坂道にいる。

 とはいえ街道(かいどう)の周りにはほとんど木が()えてないため、あまりにも見晴(みは)らしが良すぎる。そのまま大きな街道を進み続けるのを危険と感じた2人は、街道の南側にある細い道に入っていた。ここは大きな街道が造られる前に使われていた旧道だ。街道側とは違い、道を(はさ)んで古くからある小さな集落ができている。2人にとってそこにある建物は、姿を隠すための格好の遮蔽物(しゃへいぶつ)というわけだ。

 2人がその集落に着いた頃は、ちょうどお昼時だった。集落にはいくつかの(しょく)(どう)があり、他にサンドイッチやホットドッグなどの(けい)(しょく)を売るファストフード店も並んでいる。

 そんなファストフード店から、紙袋を持ったメイベルが出てきた。

「ナバルはカツサンドセットで良かったのよね?」

「ん。すまんな」

 外で()物番(もつばん)をしていたナバルが、そう言ってメイベルから紙包(かみづつ)みを受け取る。

「どう? 追っ手は来た?」

「今のところ来てないな。見落としただけかもしれないけど……」

 ナバルは(するど)い視線を坂道の上に向けていた。帝都からの追っ手を警戒(けいかい)してるのだ。

「追っ手が来ないというのは、何か不気味ね」

「そうだな。何か事情があるのかもな」

 ナバルが湿(しめ)った紙タオルで手を()きながら、そんなことを言い出した。

「事情って?」

「くじびきで追いかける方向を決めたら、こっち方面のくじが出なかった……かな?」

「それはありそうね」

 ナバルの口にした適当(てきとう)な理由を、メイベルがなんとなくではあるが納得する。

 帝国の骨格(こっかく)となるソルティス教は、くじびきを神聖なものとする宗教だ。その思想で考えると、あながち有り得ない話ではない。

「さあ、先を急ぎましょう。今は少しでも帝都から離れたいわ」

 メイベルがサンドイッチを(ほお)()りながら、坂道を下に向かって歩き始めた。メイベルが頬張っているのはハムサラダサンドである。

 やがて集落が終わり、旧道は草むらの中を進んでいた。その先がやがて大きな街道と交わり、そのまま街道の反対側へ延びている。

「メイベル。ちょっと待て!」

 いきなりナバルがメイベルの腕を(つか)み、草むらの中へ引き込んだ。

「どうしたの?」

「大通りの方。馬が駆けてくる」

 草むらから顔を出したナバルが、そう言って大通りを指差した。

 ナバルが大通りと呼んだ街道は、旧道よりも少し高い場所を通っていた。これは旧道が坂が(ゆる)やかになるように等高線(とうこうせん)沿()って作られているのに対し、新しい街道はほぼ一直線に坂を下っているためである。そして、その坂道の先には、大きな平野が広がっていた。

「軍服を着てるけど、どこの所属かしら? 近衛騎兵隊でないことだけは確かだわ」

 ナバルの隣で様子を(うかが)うメイベルが、そんな言葉を()らした。

「あれは伝令兵(でんれいへい)だ。近衛隊の伝令兵とは服が違うけど、たぶん間違いない」

「伝令? じゃあ、追っ手とは違うのかしら?」

「それはどうだろう?」

 メイベルの疑問に、ナバルがどう答えれば良いのか(なや)んだ。

 2人が(ひそ)む草むらの前を、伝令兵を乗せた馬が一気に坂を駆け下っていく。それを見送ったナバルが草むらから顔を出し、

「あの伝令兵が(おれ)たちのことを伝えに行ってるとしたら……。たぶんこの先にある街で()()せだな」

「待ち伏せ……」

 ナバルの言葉に、メイベルが困った表情を浮かべる。

「それじゃ、ノトスの街へは入れないのかしら?」

「かもしれん」

 メイベルの疑問に、ナバルが短く答えた。

「わたし、着替えの服が欲しいわ。聖修道女(セイント)の服って目立つんだもの。こんな恰好(かっこう)で歩いてたら、わたしはここにいますって看板(かんばん)背負(せお)ってるようなものだわ」

 メイベルが服をつまんで、一番の心配事を口にした。

「たしかに目立つよなあ。俺の服もさ」

 それはナバルにとっても同じだった。2人の服は目立つ上に、何よりも2人がまだ若いことが周囲の関心を(さそ)ってしまうのだ。これが救世の旅の時のように近衛小隊長と正修道女の服であれば、2人が若くてもそれほど(めずら)しくない組み合わせだ。となれば周囲は2人に強い関心を寄せることはない。

「これは困ったな。これから街に入れそうもないとなると、ずっと()宿(じゅく)生活か……」

「野宿!? これから寒くなるのに? それも問題ね」

 そう零したメイベルが、食べかけのサンドイッチを頬張った。

「さて、これからどうする? 伝令兵とは言っても、俺たちのことが伝わったと決まったわけじゃないけどさ」

 ナバルもサンドイッチを頬張り、メイベルに善後策を尋ねた。それにメイベルが、

「可能性があるのなら、これからはあまり街に入らない方が良さそうね」

 とぼやきながら、紙袋から次のサンドイッチを取り出す。次のサンドイッチはタマゴサンドだ。

「ナバル。この坂を下ったところで南へ向かいましょう」

 サンドイッチの(かど)をパクついたメイベルが、そんな提案を出してきた。

「南? 何かあるのか?」

「何もないわ。ただ、これから野宿が続くのなら、(あたた)かい南へ向かった方が得策でしょ」

「なるほど。言われてみれば、その通りだ」

 メイベルの(かんが)えに納得したナバルが、食べかけのサンドイッチを一気に口へ放り込んだ。

 それもそのはず。秋分の日も過ぎ、今日は9月29日。これから秋に向かう頃だ。今は昼だから半袖(はんそで)姿(すがた)でも問題はないが、日が落ちれば長袖(ながそで)が欲しくなる季節である。

「街に入れないとなると、一番の問題は食べ物か……」

「あら、食べるものの心配ならいらないわ」

 メイベルが残りのサンドイッチを食べながら、ナバルの心配に答えた。

「食べるものなら、そこら中にあるじゃないの」

「そこら中って……」

 草むらを示すメイベルの言葉に、ナバルが一瞬考える。だが、

「そういうことか」

 ナバルはすぐ、救世の旅のことを思い出した。ナバルにとってはただの草でも、野草に詳しいメイベルの目には食べ物の宝庫だ。しかもメイベルは宮廷料理人の1人。それを示すように袖章は金色に縁取られ、大鍋(おおなべ)背景(はいけい)に3つのタマネギが(えが)かれている。最高の腕前を持つ料理人である(あかし)だ。そんなメイベルにとっては草むらさえあれば、いつでもどこでも材料を集めて最高の料理が作れるのである。

「そうと決まったら、南へ行きましょう!」

「ったく、メイベルはたくましいなあ」

 先に立って歩き始めるメイベルのあとを、ナバルが苦笑しながらついていく。

 メイベルは不満があると散々ぼやくのだが、すぐに状況(じょうきょう)に合わせて適応(てきおう)できる強さがある。その生活力の高さには、ナバルも(あき)れるしかないらしい。


 同時刻、昼食が終わったあとの聖サクラス教会の一室では、

「それなら、やはり近衛隊で追いかけて、ちゃんと説明を……」

「ですから、ニセのくじを見てしまった以上、2人は我々に対して強い()信感(しんかん)(いだ)いたと思われるのです。となれば、追いかけた近衛隊員が説明しても耳を(かたむ)けないと……」

「いつまでこの堂々巡(どうどうめぐ)りを続ける気だ?」

 執政幹部議員たちの話し合いは2人にどうやって事実を伝えるかに変わり、そしてどうやって呼び戻すかで頭を(なや)ませていた。



 そんな1日も、そろそろ終わりを(むか)えようとしていた。日がだいぶ(かたむ)き、少しずつ日没(にちぼつ)が近づいてきている。

 街道を下ってきた2人の前を、何台もの馬車を(つら)ねた荷馬(にば)車隊(しゃたい)が横切っていた。荷馬車隊は街道と交差する旧道を進んでいる。その荷馬車隊が通りすぎると、再び街道の先にある城壁に囲まれた大きな街が見えてきた。

「あの街には入らない方がいいわね」

 ゆっくりと坂を(くだ)りながら、メイベルがぽつんと零した。

 街道の先に見える大きな街は、帝都サクラスの東側に位置し、(あお)(さん)(みゃく)のふもとに造られた水力都市ノトスだ。街にはいくつもの水路が向かっていて、左側に見える斜面(しゃめん)には無数の水車が並んだ工場団地まで見て取れる。

 だが、2人はノトスへは向かわず、先ほど荷馬車隊の通った旧道へと入っていった。

 2人の前を荷馬車隊が進んでいる。旧道は街道ほど広くはない。とはいえ、大きめの荷馬車でも十分にすれ違えるほどの広さはある。それに街道ほど勾配(こうばい)は急ではないため、今でも大荷物を運ぶ馬車は旧道を使うことが多いのだ。

 その旧道はゆるやかに下りながら、帝都周辺では(めずら)しくなった(ぞう)()(ばやし)に向かっていた。

「問題は、フルヴィ川をどうやって(わた)るか……よね」

 雑木林よりはるか先には、大きな水の平原が広がっていた。フォルティアース大陸東部を横断(おうだん)するように流れる大河──フルヴィ川の水面(みなも)だ。このあたりは()(こう)から60kmほど上流にあるのに、対岸(たいがん)まで20km近くもある巨大な川である。

「船に乗れば渡れるだろ?」

「すんなり乗れればいいんだけどね」

 ナバルの言葉に、メイベルがそんな不安を(かさ)ねてきた。

「もしも、昼に見た()(へい)伝令(でんれい)だったら、街での()()せが心配されるわ。それと同じように、港でも待ち伏せされてる可能性があると思うのよ」

「港で? そういうものか?」

「そういうものじゃないかしら。たぶん……だけど……」

 メイベルが言葉をよどませながら、ナバルに注意をうながしてくる。それに、

「理由はともかく、今は警戒が必要ってことか」

 と、ナバルがだいたいの心配事を()み取った。

 今の2人には何が起こっているのかがわからない。わかっているのは、(つか)まったら処刑(しょけい)される()(けん)が大きいということ。となれば()心暗(しんあん)()だろうと()(がい)妄想(もいそう)だろうと、とにかく最悪の場合を想定(そうてい)しながら行動するしかない。

「でもさ。俺たちが見た伝令は1人だけで、港へ向かう伝令は見なかったよな」

「別の道を使ったから見なかったとも考えられ……る……。あれ!?」

 突然メイベルが、何かに気づいた。

「ナバル。わたしたち、とんでもないことを見落としてるわ」

 と言ったメイベルが、立ち止まってナバルに身体(からだ)を向ける。

「伝令!? そんなものは必要ないわ。今は電信があるんだもの。それを使えば近くの街どころか、帝国中にだって情報が伝わるわ」

「電信!? なんだっけ、それ?」

 メイベルの指摘に、ナバルが首を(かし)げた。

「電信よ。電信。(りゅう)(さん)(みゃく)へ行った時、ヴァレーの町で帝都に急ぎの(しら)せを送ってもらったじゃないの。(おぼ)えてない?」

「憶えてないなあ。ヴァレーの町では正座させられた記憶ぐらいしか……」

「そういえば、あの時、ナバルは外で(あば)れてたんだっけ……」

 当時のことを思い出して、メイベルが大きな()(いき)()いた。メイベルがヴァレー教会から電信で帝都あてに(しら)せを打ってもらおうとしてた時、ナバルは教会の外でドラゴン教のデモ隊を相手に暴れていたのだった。

「それに電信を使わなくても、伝書鳩(でんしょばと)(しら)せる方法もあるものね。(はと)のことはまったく気にしてなかったから、そっちはどうなってるか……」

 状況整理に(つと)めながら、メイベルが再び歩き始める。と、その時、

「メイベル。前の馬車、何か様子がおかしくないか?」

 と言って、ナバルが坂の先を指差した。その言葉を聞いたメイベルが、

「様子……?」

 考えを止めて顔を前に向ける。

 2人の進む旧道は少し先で(ぞう)()(ばやし)に入っていた。雑木林の長さは300mぐらいだろうか。その先には緑色に()まった麦畑が広がり、その畑の中で道が南と東へ分かれている。

 だが、前を進む荷馬車隊は麦畑に入るより手前、雑木林の真ん中あたりで立ち(おう)(じょう)していた。(きょ)()があるのと木の枝が(じゃ)()になって正確にかぞえられないが、荷馬車は少なくとも4台はあるようだ。

「林の中に誰かいるわ」

「あいつら、()(とう)じゃないのか?」

 雑木林の中から、何人もの男たちが姿を(あらわ)してきた。その男たちが2人のいる場所からでもハッキリとわかるような武器を持ち、馬車に乗っている人たちを()(かく)している。

「すぐ近くに帝都があるのに、こんなところにも野盗はいるんだな」

 ナバルが腰に下げていた(けん)に手をかけた。メイベルも、

「帝都の周りは治安がいいはずなんだけどねぇ。雑木林を()(じろ)にしてるのかしら?」

 と零しながら、持っていた魔法の杖を構える。そのメイベルが、

「そういえば救世の旅の時には、一度も野盗に会わなかったわね」

 などということを思い出した。それに、

「そりゃ、くじびきで行き先を決めてたからだろ!」

 と答えたナバルが、(さや)から(けん)を抜いて坂を駆け下っていく。遅れて、

(きら)いだわ。そういう理由」

 とぼやいたメイベルも「跳べ(サリーレ)!」と魔法を放って、雑木林の上から(きゅう)(えん)に向かった。


 ここで荷馬車隊が野盗たちに囲まれる、少し前へ時間を戻す。

 昼すぎに帝都を出発した荷馬車隊は、もっとも坂のゆるやかな東へ向かう旧道を使って山を(くだ)っていた。馬車は下り坂での事故が多いため、安全を最優先した選択(せんたく)だ。

 荷馬車隊を構成する馬車は六台。それぞれ2頭ずつの騾馬(らば)()かれ、荷台を(かこ)(ほろ)には『メルカトル商会』と文字が書かれている。ちなみに騾馬(らば)雌馬(めすうま)(おす)ロバの交配種(こうはいしゅ)で、馬よりも少し体格は小さいが、(じょう)()で体力があるのだ。

 この荷馬車隊は各地を転々(てんてん)(わた)り歩いて売りまわる商人の一団──(たい)(しょう)だ。そのため馬車の荷台には、これでもかと言うほどの荷物が積まれている。ある馬車の荷台にはコンテナ代わりの()(だる)が並べられ、別の馬車の荷台には4列の(たな)が作られて箱が押し込まれていた。しかも棚の間には()(しょう)()けが入れられ、そこには(ろう)(にゃく)男女(なんにょ)物を問わず様々な服がかかっている。これほどの大荷物を()くのであるから、馬ではなく騾馬(らば)を使うのも当然である。

 そんな隊商が街道と交差する場所でナバルとメイベルの前を横切り、坂のゆるやかな旧道をゆっくりと下っていた。

 先頭を進む馬車の馭台(ぎょだい)には、この隊商の持ち主であるメルカトル夫妻が乗っていた。()(づな)を引くのは筋肉質(きんにくしつ)のメルカトル氏だ。その(とあなり)ではメルカトル夫人が()ている4歳ぐらいの(むすめ)(やさ)しく()いて、馬車の()れに合わせるように()守歌(もりうた)を口ずさんでいる。

「お母さん。ここがわからないよぉ」

 馭台(ぎょだい)のすぐ後ろでは、4人の子供たちが馬車に揺られながら勉強していた。うち2人はメルカトル夫妻の子供で、あとの2人は一緒に旅をする別の夫妻の子供である。

「お兄ちゃんには聞かなかったのかい?」

「聞いたけど、わかんないよぉ」

 質問してきたのは女の子だった。頭に大きなリボンを()せ、フリルの多いピンクのワンピースを着た女の子だ。その後ろでは不貞(ふて)(くさ)れた顔の男の子が、机に頬杖(ほおづえ)を突いて背中を向けている。

「どれがわかんないんだい?」

「これ。クジラはお魚の仲間よね?」

 女の子が教科書を開いてメルカトル夫人に(たず)ねた。

「クジラは()(にゅう)動物(どうぶつ)の仲間よ。お魚とは違うわ」

「どうして? 毛がないし、水の中を泳いでるわ」

「クジラは人や犬と同じように赤ちゃんを生むのよ。だから哺乳動物なの」

 そう答えるメルカトル夫人の(ほお)に木の影が落ちてきた。旧道が雑木林に入り、あたりが薄暗(うすぐら)くなってくる。そんな陽射(ひざ)しをさえぎる木立を見上げた女の子が、

「そうなの? じゃあ、サメも哺乳動物の仲間なの? この前行った水族館の人が、サメはタマゴを産まないって……」

 などという別の質問をぶつけてきた。

「サメは……お魚だけど……。それは……」

 娘の質問に、メルカトル夫人が答えに困った。

 雑木林も真ん中まで来ると、木漏(こも)()がほとんど(とど)かなくなっている。その薄暗さは、まるで今のメルカトル夫人の心情を(あらわ)しているようだ。

 その時、

「止まれ〜!!」

 と(さけ)んだ男が、馬車の前へ飛び出してきた。

「な、何だ!?」

 (おどろ)いた騾馬(らば)前脚(まえあし)()ね上げて(あば)れた。それをメルカトル氏が、()(づな)を引いて(ぎょ)そうとする。急に馬車が止まったためにメルカトル夫人が馭台(ぎょだい)から落ちそうになり、()かれていた女の子が目を覚ました。

「よう。責任者を出しな」

 次に雑木林から出てきた男が、そんなことを言いながら馬車に近づいてきた。男は手に短剣(たんけん)(にぎ)り、(うす)(わら)いを浮かべている。その男に続くように、薄汚(うすぎた)恰好(かっこう)をした男たちがぞろぞろと雑木林から姿を(あらわ)してきた。

「リディア。囲まれたぞ」

 手綱を握るメルカトル氏が、妻に震えた声で言ってきた。

 道の反対側にある雑木林からも、手に武器を持った男たちが出てきている。そのため、隊商はすっかり取り囲まれることになっていた。

 それぞれの馬車に乗る男たちが、武器を構えて野盗たちの(しゅう)(げき)(そな)えた。とはいえ、隊商の男たちはわずか10人だ。しかもその中には、最後尾の馬車で(しつ)()(ふう)の服で身を固めた、初老(しょろう)の商人も含まれている。はたしてこの中に、武器の(あつか)いに()れた者が何人いるだろうか。剣の構え方がぎこちない者もいる。

 それに対して雑木林から出てきた男たちは20人以上だ。しかも、それなりに武器は使い慣れているのだろう。武器の構えに不自然さはない。

「キャラバンの責任者はあたしだよ。これは何の真似(まね)だい?」

 馭台で立ち上がったメルカトル夫人が、そう言いながら武器を構える商人たちに動かないようにと目で合図を送った。その夫人に抱かれる女の子が、(おび)えるような顔で夫人の(うで)を強く(にぎ)ってくる。

「ほう。このキャラバンは女が主人かよ」

 短剣を握る男が小馬鹿にするような口調で(わら)いながら、馬車に近づいてきた。そして、

「なぁに、話は簡単さ。ここを通るなら通行料を払え。それだけだ」

 と、理不(りふ)(じん)な要求を突きつけてきた。この男が野盗たちの(かしら)のようだ。

「何を払えだって?」

「おめえ、耳が遠いのか? 通行料だ。3度目は言わないぜ」

 メルカトル夫人を(にら)みながら、男がそう言ってアゴをしゃくる。それを見たメルカトル夫人が(いき)()き、すとんと馭台に座り直した。

「で、おいくらだい?」

「そうそう。()(なお)になってくれりゃあ、手間(てま)はかけさせねえぜ」

 夫人の言葉にニヤリと笑った男が、短剣をペロリとなめた。

「馬車6台か。なら金貨30枚だ。安いもんだろ」

「バカ言うんじゃないよ!」

 男の要求に、夫人の声が裏返った。

「通行料が金貨30枚だって!? 家でも建てる気かい?」

「30枚ぽっちじゃあ、家は建たねえなぁ」

 夫人の文句に、男がわざとらしく(かた)をすくめてツッコミを入れる。

「それじゃ、金貨25枚にまけてやろうか。出血大サービスだ」

女将(おかみ)さん。(はら)っちゃダメだ!」

 2台目の馬車にいる(わか)い商人が、(いさ)ましい声で夫人に(うった)えかけてきた。

 若い商人は長剣を(かま)え、男たちと戦う気でいるようだ。もっとも、こういう場面には慣れていないのだろう。顔は青白くなり、メルカトル夫人の目からも若者の構える剣が()(きざ)みに(ふる)えてるのがわかる。

「おやおや、勇ましい若造(わかぞう)だな。だがな、気持ちだけじゃ世の中は渡っていけねえぞ」

「うるさい!」

 (ぬす)()猛々(たけだけ)しく(せっ)(きょう)してくる男に、若者が顔を真っ赤にして怒鳴(どな)り返した。その態度が気に(さわ)ったのだろう。男が不機(ふき)(げん)な表情になって、短剣を強く握りしめる。そして、

「おとなしくしてりゃ、通行料だけで見逃してやろうと思ってたものを」

 と言い放つや、()(かく)するように短剣で(ほろ)を切り(きざ)んだ。

「何をするんだい!」

「構わねえ。金目の物はぜんぶ(うば)い取っちまえ!」

 夫人の言葉を無視して、男が手下たちに命令を下した。と同時に、野盗と隊商の男たちの戦いが始まった。

「来るな! 来るな!! 来るなぁ〜〜〜〜〜……」

 若者が剣をメチャクチャ振りまわして、野盗たちを馬車に近づけないようにする。だが若者の反対側から乗り込んできた男が、剣を持つ馭者(ぎょしゃ)を馬車から引きずり落とした。

「お母さん!」

「バカ! 出てくるんじゃないよ」

 先頭の馬車では、メルカトル夫人が小さな女の子を抱いたまま、他の子供たちを馬車の奥へ押し込んだ。自分を(たて)にして、子供たちをかばおうとしてるのだ。

 メルカトル氏は馭台(ぎょだい)から引きずり落とされ、野盗たち()みつけられている。

 そして馭台によじ登ってきた野盗が荷台に踏み込もうとしたまさにその時、

雷よ暴れろ(フルメ・ヴィオラプタ)!!」

 低空を(すべ)るように飛んできた黒雲が、周囲に(かみなり)()き散らしてきた。

「うぎゃあぁぁぁ〜〜〜〜〜……」

 雷に打たれた野盗が、身体(からだ)から(じょう)()を出しながら馭台から落ちた。更に雷は周りにいる男たちにも降り|注《そそ

》ぎ、次々と動きを(ふう)じていく。

「な、なんだ……」

 手下たちに命じていた男が、(まゆ)をひそめて空を見上げる。その男の前に、オレンジ色のスカートをひるがえしてメイベルが降り立ってきた。

「フライパン!?」

 まず最初に男の目に飛び込んだのは、リュックサックに下げられた鉄の(かたまり)だった。その男に背中を向けたままのメイベルが、

灼熱の炎よ(クレマリィ・フレーマ)!」

 と(さけ)んで、馬車の周りで武器を持つ野盗たちを()き払おうとする。

「邪魔するんじゃねえ!」

 男が持っていた短剣を振り上げて、メイベルを背後から(おそ)おうとしてきた。

「あんた、後ろ!」

「え!?」

 メルカトル夫人に言われて、メイベルが振り返った。その(はず)みで、

「うごっぷ☆」

 遠心力で跳ね上がったまな板が、男の側頭部を見事にとらえた。

 頭を痛打された男は、それで平衡感覚(へいこうかんかく)(うば)われたようだ。身体(からだ)が不安定になり、ふらふらと今にも倒れそうである。その男の足が、

「うわぁっ」

 馭台を踏みはずした。そのまま踏みとどまることもできず、無様に地面に落ちて転がるハメになっている。

「お(かしら)!?」

 今の事態で、野盗たちの動きが一瞬にぶった。そこに、

「ちっ!! 出遅れちまった!」

 ようやく駆けつけてきたナバルが、()金色(がねいろ)(かがや)く剣を振りまわして野盗たちに戦いを(いど)んでくる。

「黄金の剣……だと!?」

 頭を起こした()(とう)(がしら)の目に、ナバルの構える勇者の剣の姿が飛び込んできた。その男の視線が剣を持つナバルに向かい、

「あいつ、近衛隊の中隊長じゃねえか!」

 服装を見るなり、瞬時に表情を(あお)くした。

「それに、こっちは聖魔導師(セイント・マギー)!? ウソ……だろ……」

 次に馭台に立つメイベルを見て、男の身体(からだ)が震え始めた。

「お(かしら)。大丈夫ですか?」

「に、逃げろ……」

 助け起こしにきた男に、()(とう)(がしら)が震える声でそう言った。だが、助けにきた男はその意味がわからず、とにかく()(とう)(がしら)を起こそうとしている。その目の前で、

「全員、今すぐ逃げろ! ()(とう)()りだ!!」

 と大声を出した()(とう)(がしら)が、立ち上がると一目散(いちもくさん)に雑木林の(あく)へ逃げていった。

「野盗狩り!? まさか……」

 荷台から木箱を持ち出そうとしていた男が、その言葉に耳を(うたが)った。

 助けに入ってきたのは近衛兵の服を着た若造と、魔法の杖を持った小娘だ。だが、

「近衛中隊長と聖魔導師(セイント・マギー)!? (じょう)(だん)じゃねえ!」

 2人の恰好に気づいた()(たん)、木箱を投げ捨てて馬車から飛び降りた。

 野盗たちには2つの思い込みがあった。近衛隊の中隊長には、100人規模(きぼ)の部下がいる。(けっ)()(さか)んな中隊長の中には先陣(せんじん)を切って敵陣(てきじん)に踏み込む者がいるが、その後ろには必ず100人規模の部下たちが来ているという思い込みだ。

 しかも魔法を使える聖修道女(セイント)が一緒に来たとなると、背後にはソルティス教会、ひいては帝国議会が(ひか)えている。すなわち帝国が本腰(ほんごし)を入れて野盗狩りを始めた。そういう思い込みである。

(つか)まったらタダでは済まないぞ! (きょっ)(けい)だ。拷問(ごうもん)されてさらし首だ」

「まずい。とにかく遠くへ逃げるんだ」

「お(かしら)ぁ〜! 待ってくださいよぉ〜」

 野盗たちの逃げ足は速かった。自分たちがこれまでしてきたことを考えると、どんな罰を受けるのか想像できないだけに恐怖が心を支配していく。

 野盗たちは後ろを振り返らず、必死に下の雑木林の中へと逃げていった。そのため自分たちの思い込みに気づく者はいない。ただ、

「あいつら、(はく)(じょう)だ……」

 ケガやヤケドを()って動けなくなり、置き去りにされた者を(のぞ)いて……。

「あんた。追い払って……くれたのかい?」

 荷台で子供たちをかばっていたメルカトル夫人が、メイベルに声をかけてきた。

「追い払ったというか、勝手に逃げたというか……」

 尋ねられたメイベルが、何と答えれば良いのか困っている。助けに入った途端、野盗たちが勝手に逃げてしまったのだ。そのため(あっ)()に取られていて、今はまだ頭の中で理解が追いつかないようである。

「メイベル。ケガはしてないか?」

 馬車の下にいるナバルが、今も剣を構えたままの恰好で様子を尋ねてきた。それに、

「無事よ。念のために、あの人たちが戻ってこられないようにしなきゃ」

 と答えたメイベルが、野盗たちの逃げた方向に「霧の目隠しよ(ネブラー・テ・ジルト)!」と呪文(じゅもん)を放った。

 たちまち雑木林の中が(きり)で満たされた。それも自ら光を放つ霧のため、中に入ったらたちまち方向(ほうこう)感覚(かんかく)(うば)われそうである。

「おっさん、大丈夫か?」

 馬車から落とされたメルカトル氏を、ナバルが助け起こした。そのナバルに、

「ありがとう。きみらはいったい?」

 と、メルカトル氏がお礼ついでに尋ねてくる。

「俺たちか? 通りすがりの旅の者だ」

 そう答えたナバルが、抜いたままだった剣を(さや)(おさ)めた。馬車の上でも、

「ありがとうよ、お(じょう)ちゃん。あんた聖修道女(セイント)かい? 聖修道女(セイント)なんて初めて見たよ」

 ようやく(あん)()したメルカトル夫人が、助けに来たメイベルにお礼を言う。その夫人の背後から顔を出した子供たちも、「ありがとう、お姉ちゃん」とお礼を言ってきた。

「ところで、あの人たち、何をしてるんですか?」

 お礼に答えるのもそこそこに、メイベルの(きょう)()は馬車から降りた商人たちに向かっていた。そこでは道ばたに落ちてる物を拾って、何やら品定めをしているようだ。

「ああ、あれかい。あれは(ぞく)が残した物を拾ってるんだよ」

 馬車から顔を出したメルカトル夫人が、メイベルが何に興味を持ったのかに気づいて答えた。

「何のために拾うんですか?」

「商売のためさ。良い物なら手入れすれば街で売れるし、ダメな物でも鉄くずや材料として売れるからね」

盗賊(とうぞく)の物を(うば)うって、何と言うか……」

「おや、これはあたしら商人の権利さ。(ぬす)()はあたしらから金目の物を奪おうとする。ならば、反対に奪い取られても文句は言えないだろ。目には目をさ」

「それはまた……、(しょう)(こん)たくましい……ですね」

 メルカトル夫人の言葉に、メイベルが(あき)れた顔で二の句が()げなくなっている。

 そのメイベルをしげしげと見るメルカトル夫人が、

「そう言えば、あんたら旅って……。何か特別な旅なのかい?」

 と、関心があるような顔で聞いてきた。

「見たところ、あんた聖修道女(セイント)にしては、すごく若いわね。あっちの近衛隊長さんも、あの服は中隊長だったかねぇ。にしては、すごく若く見えるけど」

 メルカトル夫人がまるで値踏(ねぶ)みするような目でメイベルと、そしてナバルの人となりを読み取ろうとしてくる。そのメルカトル夫人が、

「その若さで聖修道女(セイント)と中隊長ってことは、あんたら、そうとう優秀なんだろうねぇ。そんな2人がそろって(たび)()(たく)してるなんて、これはかなり重要度の高い特命を受けたんじゃないかい?」

 (ひとみ)(かがや)かせながら(すい)()を楽しんでいる。だが、

「おっと。これは命の恩人(おんじん)さんに、いきなり失礼だったね。いやぁ、商売人は常に最新の情報を仕入れておくのが鉄則だからね。つい商売人の悪いクセが出ちまったよ。気に(さわ)ったらゴメンよ」

 と笑いながら、今の質問をなかったことにしようとする。もっとも舌の根も乾かないうちに、

「まさかとは思うけど、特命じゃなくて駆け落ち……なんてことは……?」

 と、メイベルの耳許(みみもと)でささやいた。

 その一言に、メイベルの顔が真っ赤になって鼻息(はないき)(あら)くなっている。

「か、駆け落ちって……、わたしたちはそんなつもりじゃ……」

「あはははは。冗談さ」

 (あわ)てて否定しようとするメイベルを、夫人が豪快(ごうかい)に笑い飛ばした。その夫人が荷台から外に視線を落として、

「隊長さん。あんたら、これからどこへ向かうんだい?」

 と、今度は馬車の横にいるナバルに尋ねた。

「南だ。それ以外は、まだ決めてない」

「決めてない?」

 ナバルの気になる答えに、メルカトル夫人が首を傾げた。だが、

「ふむ。これは何かありそうだねぇ」

 と零して、2人の顔をニヤニヤとした表情で交互に見詰める。その顔を見たメイベルが、思わず一歩後退(あとずさ)っていた。

「そうだ。ものは相談だけどさ」

 ふと何かを思いついたように、メルカトル夫人がそんなことを言い出してきた。

「南へ行くなら、あたしらと同じだね。それなら、もし良かったらだけどさ。あたしらと一緒(いっしょ)に旅をしないかい? 一緒に行けるところまでで良いからさ」

「一緒に?」

 道ばたから荷台を見上げるナバルが、夫人の提案に()(げん)そうな表情を浮かべる。

「旅の間の費用はこちら持ち。あんたらは腕が立ちそうだから、あたしらには用心棒(ようじんぼう)が増えて助かるってもんさ。どうだい。悪い話ではないだろう」

「用心棒……ねぇ……」

 夫人の持ちかけた提案に、メイベルがどうしたものかと考える。そこに最後尾の馬車にいた初老(しょろう)の商人が、

女将(おかみ)さん。その提案はお2人に迷惑(めいわく)でございますよ」

 と言いながら近づいてきた。

「お2人は見たところ、ソルティス教会の全面的な支援で旅をなさるのではありませんかな。となれば寝泊(ねと)まりも交通手段も、すべて教会の支援を受けて何不自由ない旅ができるはずでございます。それを最新式とはいえ、このような(ほろ)()(しゃ)での旅を持ちかけるなど、失礼というものでございますよ」

「ああ、言われてみれば、その通りだねぇ……」

 初老の商人に注意されたメルカトル夫人が、(ほお)に手を当てて()(いき)()らした。そしてメイベルに顔を向けて、

「それなら、せめて助けていただいたお礼に、今日お()まりする教会までお送りしましょうかねぇ」

 と持ちかけてくる。

「すみません。お気持ちは(うれ)しいのですが、わたしたち、ちょっと事情があって教会には泊まれないんです」

「泊まれない? 事情があって?」

 メイベルから返ってきた意外な答えに、メルカトル夫人の瞳がキラリと光った。

「つまり何かい。教会に泊まれない事情があるってことは、何か教会の人らに知られてはいけない特命を受けてて、その間、こっそりと旅をしなくてはならないのかい?」

「……はい!?」

 いきなりまくし立てるようにしゃべり出した夫人の言葉に、メイベルが目を丸くした。

「それよりも、こういう理由じゃないのかい? あんたら、若いけど聖修道女(セイント)と近衛中隊長じゃないか。そのために何か知ってはいけない()(みつ)(じょう)(ほう)()れてしまって、命を(ねら)われてるんじゃないのかい? それで今日、2人で帝都を脱出したということではないのかねぇ? おお〜、これは有り得る話だわ。しかも最高に燃える状況じゃあないか!!」

「あ、あのぅ、いったい……?」

 夫人が勝手に想像して勝手に盛り上がっている。それで置いてきぼりを喰らったメイベルが、かける言葉を失って困っていた。

 馬車の下でも、

「どうしたんです?」

「申し訳ございません。女将(おかみ)さんは(よう)(しょう)の頃から政治的な陰謀(いんぼう)裏社会(うらしゃかい)()(みつ)めいた話がお好きでございまして、いやはや何と申しますか……」

 ナバルに尋ねられた初老の商人が、白いハンカチで(ほお)(つた)う冷や汗をぬぐっている。

 そんな商人の大先輩の(あせ)りなど気にも()めず、

「と言うことなら、2人の逃走に、あたしらは全面的に協力するよ。どうだい?」

 と、メルカトル夫人が何かを期待するような眼差しで申し出てきた。

「どうだいって言われても……」

 何か楽しそうな展開(てんかい)を待っているような夫人の(ふん)囲気(いき)()まれて、メイベルが返事に困った。そのメイベルの視線が、求めるように馬車の横にいるナバルへと向かう。

「メイベル。一緒に行くかどうか、判断は任せる」

「え!? わたしが決めるの?」

 ナバルに言われて、メイベルがどうしようかと思った。そのメイベルの視線が、再びメルカトル夫人へと移る。

「あのぅ、この馬車は南へ行くと(おっしゃ)られてましたけど、フルヴィ川を(わた)るのは、いつ頃の予定でしょうか」

明日(あす)の午前の船便(ふなびん)を使う予定さ。ひょっとして、ホントに命を(ねら)われてるから、今日中に川を渡ってしまいたいって気持ちなのかい?」

 メイベルの質問に、メルカトル夫人が(ひとみ)(かがや)かせて尋ねてくる。何か急ぐ理由があるのか。それが知りたくてうずうずしてるようだ。

「う〜ん。できれば早く渡りたいのは事実ですけど……」

「やめときなよ。もうすぐ日が落ちるからさ。夜の川渡りは危ないよ」

「はぁ。そう言われると、そうです……よねぇ……」

 夫人に押されっ放しのまま、メイベルが言葉に困っていた。

「一緒にいると、ご迷惑をおかけするかも……」

「あたしゃ、気にしないよ」

 夫人の目は「どんな迷惑がかかるの?」と期待するように輝いていた。

「小さな子もいるようですし、あまり厄介(やっかい)なことには巻き込みたくは……」

「何事も人生の経験さ」

 夫人の瞳に星が浮かんで、「厄介なことって、やっぱり政府の陰謀?」と教えて欲しそうな輝きで(うった)えている。夫人の目は口以上に雄弁(ゆうべん)だった。

 これでは(ことわ)る理由が出てきそうもない。それで根負けしたメイベルが、ふうっと息を吐いて、口の(はし)を少しだけゆるませる。

「それでは、ご好意に甘えさせて……」

「そうこなくちゃ!」

 メイベルが最後まで決定を言わないうちに、メルカトル夫人が(うれ)しそうな顔でメイベルの手を取ってきた。

 馬車の下では、

「近衛隊の中隊長さま。これから女将(おかみ)が何かとご迷惑(めいわく)をおかけすると思いますが、何とぞ、何とぞお気になさらないようにお願いしますぞ」

「いえ、たぶんこちらのかける迷惑の方が大きいと思います。特にメイベルの難解(なんかい)解説(かいせつ)に巻き込まれると……」

 初老の商人とナバルが、先手を打った謝罪合戦(しゃざいがくえん)をしている。そこに更に、

(つま)があらぬ詮索(せんさく)をしないかと、今から心配で……。今のうちにごめんなさい」

 と、メルカトル氏までも加わってきた。そんな男3人に、

「さあさあ、そうと決まったら、出発しようかねぇ」

 と、メルカトル夫人が笑顔で言ってきた。

「隊長さん。ちょっと子供らが多くてうるさいけどさ、この馬車にお乗りよ。お(じょう)ちゃんもいることだしさ」

「では、そうさせていただくか」

 夫人に(さそ)われたナバルが、メイベルの乗っている先頭の馬車に乗り込んだ。

 ナバルが馭台(ぎょだい)を通って荷台へ移ると、次にメルカトル氏が乗り込んで()(づな)を取った。

 馬車の横にいた初老の商人は、自分の乗る最後尾の馬車へ戻っていく。その馬車の馭台では、若い女性の売り子が座って待っていた。

「さあ、出発だよ」

 メルカトル夫人のかけ声と共に馬車が動き出した。

 先頭の馬車の荷台に乗るのは、ナバルとメイベル、それと子供たちだ。その子供たちが2人に話しかけようとするが、馭台に座る夫人から今は勉強の時間と注意され、渋々(しぶしぶ)机に向かって勉強を始めている。

 それでナバルとメイベルは、荷台の後ろにある腰かけに2人だけで座ることになった。

「わたしたち、これからどうなるのかしらね?」

 馬車に揺られながら、外を見るメイベルが不安を零した。

 馬車は野盗に襲われた雑木林を抜け、明るい場所へと出ていく。周りに見えるのは麦畑だ。今は緑色の草に(おお)われているが、それは(りょく)()作物として(そだ)てられている燕麦(えんばく)である。1か月後に予定される冬小麦の(たね)()きを前に、その燕麦を土に()き込む作業が始まっている。

 ナバルもそんな農作業風景を見ながら、

「さあな。それはわからん」

 と、メイベルの疑問にあっさりと答えた。

「救世の旅が終わったばかりなのに、また旅に出てさまようなんて……」

「まあ、そんなに不安がるな。俺の役割は、本当はメイベルの護衛らしいからな。今度の旅では、俺がメイベルを護衛してやるよ。旅が終わるまでな」

 見えない先行きに不安を感じるメイベルに、ナバルが気休めの言葉をかける。だが、それを聞いたメイベルの口から、

「えっ!? それって一生?」

 思わずそんな言葉が()れた。

「……おまえ、一生逃げ続ける気なのか?」

 まぶたを半分閉じた目で、ナバルがメイベルの顔をジトーッと見詰める。それで自分が何を言ったのか思い返したメイベルの顔が、どんどん赤く()まっていく。

「そ、それもいいかも……。じゃなくて、あは、あははははは……」

 顔を真っ赤にしたメイベルが、意味もなく大声で笑い始めた。

 何があったのだろうと思った子供たちが、勉強する手を止めて2人に目を向ける。

 後ろの馬車でも、馭台に座る男たちが何事かと首を傾げていた。

「青春だねぇ」

 と零したのは、2人の乗る馬車の馭台にいるメルカトル夫人だ。

 そんな一行を乗せた隊商は、旧道の分かれ道をまっすぐに南へ進み、そのまま港のある街へ向かって旅を続けるのだった。

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