第3巻:第3章 とにかく話し合いましょう
ナバルとメイベルが竜の山脈を登り始めた日の昼過ぎ、
「勇者がついに竜の山脈に着いたらしいぞ」
帝都には、早くもその報せが届いていた。
それを聞いた貴族議員たちが、議事堂にある大きな部屋に集まっている。そこは帝国内の3大貴族の1人──ビーズマス卿に与えられた議員控え室だ。
「早すぎるぞ。何かの間違いではないのか?」
「そうだ。そんなに早く到着されては、こちらの計画が台無しではないか」
議員の中には勇者が竜の山脈に着くのを、忌ま忌ましく思う者がいるようだ。
「いや、間違いではない」
「どういうことだ? くじびきで次に向かう教会を決めながら進んでいるのだぞ。そんなに早く着くはずがないではないか」
「そんなことを言われても、理由など知らん。しかも第5次調査隊も明日にはヴァレーに着くという話だぞ」
「明日には、だと!? 帝都を発ってから、まだ6日ではないか。ケオシィから10日かかるはずではなかったのか?」
「10日というのは陸路の話だ。5次隊は運河を使ってるらしいぞ」
「人数が少ないから、狭い運河を使えるというわけか」
「陸路で10日かかる道のりを3日とはな。便利な時代になったものだ」
「それで、調査隊がヴァレーに着くのは、明日の何時頃かわかるか?」
「正確な時間はわからん。だが、現地時間の昼過ぎには着くと思うのだが……」
「昼過ぎか。思った以上に早いな……」
議員たちの間で激しく情報交換が行われている。
その話を、先ほどから部屋の主であるビーズマス卿が黙って聞いていた。テーブルに両肘を突き、組んだ指の上にあごを載せる恰好で静かに目を閉じている。
そのビーズマス卿が静かに目を開け、
「5次隊がいつ着こうと構わぬではないか」
と、落ち着いた口調で言ってきた。
「我が西アルテース軍がヴァレーに到着するのは、たしか明日の朝であったな。作戦に変更はない。予定通りに決行だ」
「ちょっと待ってください、公王さま」
ビーズマス卿の言葉に、若い議員が立ち上がって待ったをかけてきた。
「それでは勇者と5次隊を巻き込むかもしれませんよ」
「気にするな。勇者と従者はたった2人。5次隊もたかだか24人ではないか。何かあっても些細な犠牲だ。運がなかったにすぎん」
若い議員の心配に、ビーズマス卿が非情なことを言ってくる。
次に立ち上がった初老の議員が、
「公王さま。拙者は人竜戦争の再現を恐れておるのですが……」
と、別の心配事を口にしてきた。だが、
「人竜戦争だと? おぬしはそのような昔話を信じておるのか?」
ビーズマス卿には耳を傾ける気もないようだ。
「50万の軍隊に、対ドラゴン砲を20台も持たせているのだぞ。それでどうすればドラゴンに負けるというのだ?」
「いや、しかし……」
ビーズマス卿は圧倒的な数の軍隊を送り込んだことで、すでに勝ったつもりでいた。そんなビーズマス卿の楽観ぶりに、初老の議員が困惑している。その気持ちに追い打ちをかけるように、
「まあ、もしも人竜戦争の再現となったら、昔話にあるように南へ逃げれば良いではないか。ドラゴンは南へは追ってこられんのだろう」
と、ビーズマス卿が無責任なことを言った。その言葉に、
「いや、それは……」
「それは何かが違うような……」
部屋に集まった貴族議員たちが、口々に戸惑いの声を漏らした。
さて、その頃、救世の勇者と従者に選ばれた2人は、
「ふにゅぅ〜。あ、ダメ。その本、まだ読み終わってないわ……」
草むらの中で、今もまだ爆睡し続けていた。
ナバルは相変わらず荷物を背負ったまま、斜面の下へ向けて『大』の字だ。そのナバルを枕にして、メイベルもすやすやと寝ている。
「本は煮込む前に、たっぷり読み込まないと、味が染み込まないのよぉ〜」
いったいどんな夢を見てるのだろうか。メイベルが寝言を漏しながら、ごろんと寝返りを打った。仰向けになったメイベルの髪が広がり、ナバルの鼻と口を掩ってくる。
「うおっぷ……。んん……」
髪の毛に呼吸を邪魔されたナバルが、それで目を覚ました。うっすらと目を開け、焦点の定まらない目で空を見上げている。
「えっと、俺は何してるんだっけ……?」
軽く頭を振って、ナバルが顔にかかっていた髪の毛を振り落とした。
そのナバルはまだ寝足りないのだろうか。頭が働かないまま、また目がとろ〜んと閉じかけていく。
「本は返してもらうわぁ。えっとぉ、どこまで読んだっけぇ〜……」
そのナバルの左腕を摑んで、メイベルが抱きかかえるように持った。それから手相でも見るようにナバルの手を持ち、なにやらページをめくるような素振りをしている。
だが、ふいにメイベルの手がナバルの腕を握ったままパタンと落ちた。そのナバルの手にメイベルが頬ずりしながら、
「ああ〜、もう! お鍋に入れたからぁ、本が茹だっちゃったじゃないのぉ〜」
寝言で誰かに文句を言っている。
そのメイベルの頭が、急に大きく動いた。それがナバルのあごをゴツンと突き上げる。
「うっ☆ いってぇ〜……」
不意打ちを喰らったナバルの頭が、それで正常に働き出す。
「……なんだ!? ここは草むらか?」
意識を取り戻したナバルが、さっそく状況の把握を始めた。次に空を見て、
「今、何時ぐらいだろ。まだ空は青いよな……」
だいたいの時間を読み取ろうとした。
空は真昼ほど青くない。やや白みかけている。これはだいぶ日が傾いた証拠だ。
といっても、まだまだ日没まで時間はありそうではあるが……。
「いったぁ〜。な〜によ〜……」
ナバルに頭突きを喰らわせたメイベルも、ようやく目を覚ましたようだ。まだナバルに乗ったままだが、身体を丸め、右手で頭の打ったところを押さえている。
そのメイベルがナバルの腕を左脇に挟んだまま、むっくりと起き上がった。そして周りをきょろきょろと見まわしながら、
「あっれぇ〜!? 古文書のポトフ、コンソメ味、黒歴史仕立ては……どこぉ〜?」
まだ寝ボケたことを言っている。
「おはよ。ぐっすり寝られたか?」
「ああ、ナバルさん。おっはよぉ〜……。むにゃむにゃ……」
声をかけてきたナバルに、メイベルが反射だけで答えた。そして振り返ろうとしたメイベルの身体が、脇に抱えていたものに突っかかって動きが止まる。
「はやや……。なんだろぉ?」
メイベルが寝ボケたまま、突っかかったものに視線を落とした。
何かを小脇に挟んで、大事そうに握っていた。メイベルの寝ボケた脳はたっぷりと10秒かけて、それが何であるのか答えを導き出した。
「うひゃぁぁぁぁぁ〜っ!!」
答えが出た途端、メイベルが悲鳴を上げて抱えていたものを放り出した。そして、
「あ、にゃ、ナバルしゃ、はひゃ、て、つて、ぐわぁ!」
慌ててナバルの上から飛び降りて、草むらに座り込んだまま宇宙語を話し始める。
そんなメイベルの前で大きく伸びをするナバルが、
「う〜ん。よく寝たな」
と言ってきた。それからリュックサックの肩紐から腕を抜いて身体から離し、
「でも暗くなる前に、今日のホントの野営地を決めないとな……」
などと言いながら身体の向きを変えて、斜面の下を前に見ながら立ち上がった。
そのナバルが、まだ眠っている筋肉を起こすためにストレッチ体操を始めた。そして身体を大きく動かして、
「よし。筋肉痛はなくなったみたいだぞ」
身体の調子を冷静に確かめた。
そんなナバルの様子を、メイベルが黙って座ったまま見上げている。
「メイベルさん。まだ、寝てるのか?」
「お、起きてるわよ」
思わず声をかけられたメイベルが、上ずった声で返事をした。そして立ち上がると、
「えっと、荷物でなくしたものはないかしらねぇ」
とわざとらしく呟きながら、自分の荷物を拾い上げていく。
「毛布はある。テントもある。剣もちゃんとある。リュックサックは紐がほどけてないから、中身は無事だろうな」
ナバルも簡単に荷物を確認した。そのナバルが、
「メイベルさん。本と杖が落ちてるぞ」
と言って、散乱したメイベルの荷物を拾って手渡す。
「ありがとう。これでわたしの方も、なくした物はないみたいよ」
荷物を背負って、メイベルが準備の完了を教えた。
「今は午後の3時を、ちょっと過ぎたってところか……」
立ち上がったナバルが、日の位置からだいたいの時間を割り出した。
「6時間も寝ちゃったのね。徹夜なんてするものじゃないわ」
先に山道に戻ったメイベルが、そう零しながらナバルが出てくるのを待つ。
「これから山を登れるのは、せいぜい3時間か。どこまで登れるかな?」
「3時間も歩けば、頂上まで着くんじゃないかしら。このあたりは竜の山脈の中でも比較的なだらかだし、上の方では岩がゴツゴツしてるけど、それほど高い山はないみたいだし。なによりもヴァレーの町との標高差が1,200mもないし……」
山道を進みながら、メイベルが山の上の方に目を向けた。
竜の山脈は2,000m級の低い山脈である。そのふもとにあるヴァレーの町は、標高約800mの高原にある町だ。その先にあるグレーシィ地方も、標高500m以上の大地の上にある。
「あの岩場に入るあたりが、マウンテン・ドラゴンの土地の入り口かしら?」
山を見上げるメイベルの目に、どこかから山に戻ってきたドラゴンの姿が飛び込んできた。ドラゴンの飛んでいく先は、岩肌がむき出しになった場所だ。山は上3分の1ほどが岩場になっている。
「あっちで、何かあるのかな?」
同じように山を見上げたナバルの目に、岩場から飛び立っていく3体のドラゴンの姿が飛び込んできた。その3体のドラゴンが向かう先は南東の方角。先ほど、岩場に戻ってきたドラゴンが飛んできた方角だ。
「さあ、何かしらね?」
しばらく飛んでいくドラゴンたちを見送ったメイベルが、視線を山道に戻した。その間にナバルが先に進んで待っている。そのナバルに続いて、メイベルも山道を登っていった。
「そんなに登った気がしないな……」
ほんの小一時間登ったところで、2人は岩場の入り口にたどり着いた。
このあたりまで来ると草の背は低くなり、岩の間に小さな草むらを作る程度である。
振り返ってふもとを見下ろすと、ヴァレーの町は見えない。途中に小さな小山があるため、それに隠されているのだ。
一面に広がる麦畑や水田の中に、ヴァレーに向かう道がまっすぐに延びている。右に延びているのは馬車道で、その周りは麦畑だ。今は春小麦の刈り取り時期が近いために黄金色に輝いている。反対に左には運河が延び、その周りは水田だ。こちらはまだ一面の緑で、収穫までまだ時間があることを教えてくれる。
「ここから先は、ドラゴンの土地かしら?」
「そうかもしれないな」
ナバルがメイベルの考えを肯定した。
ここから先の岩場には、無数の大岩が地面から突き出ている。そこに道らしきものが見えないところから、岩場には人が立ち入らないことを物語っている。
その一方で、岩場と並行するように横道が作られていた。
ふもとではすっかりなくなっていた木立ちが、このあたりには残っている。横道は左右にある木立ちの中へ続いているのだ。そのうち右側の木立ちへ入っていく小路の手前に、小さな展望小屋が作られていた。その展望小屋に近づくと、小山に隠れていたヴァレーの町が見えてきた。展望小屋からは斜面に建てられた教会の時計塔が見えている。
どうやら町の人は山菜取りやハイキングで、このあたりまでは来るらしい。
しかも展望小屋の横には簡単な煮炊きができるように、石で囲ったかまどまである。
「このあたりは山菜が豊富にあるのね。お昼食べてないから、お腹が空いてきたわ」
メイベルが展望小屋の周りで山菜採りを始めた。
この山で山菜が豊富なのは事実だ。だが、そのほとんどは町の人が頻繁に採りに来るため採り尽くされている。それでも植物に詳しいメイベルの目には、町の人たちが山菜とは思わない山草まで食べられるものと映っているため、ホントに豊富に感じるのだ。もちろん宮廷料理人であるだけに、珍しい食材であろうと調理の仕方は十分に心得ている。
「おい、メイベルさん。こっちに来てくれ!」
メイベルが山菜を採っている間、ナバルは展望小屋から下界を見下ろしていた。そのナバルが何かを見つけたらしく、それを指差してメイベルに見せようとする。
「ナバルさん。こんなに採れたわ。これなら1週間ぐらい山籠もりできるわよ」
「すごいな。それ、全部喰えるのか?」
メイベルが抱えてきた山菜を見て、ナバルが目を丸くした。だが、
「そんなことより、あれを見てくれ」
と言って、メイベルに南東に見えるものを示した。
ナバルが指差しているのは、ヴァレーからケオシィ方面へまっすぐに延びる街道だ。
「なによ、あれ!?」
顔を向けたメイベルが、すぐにナバルの示すものを見つけた。
街道の左側にある草原が荒れていた。そこにはいくつもの窪地が作られ、土を掘り返したように所々で地面が露出している。しかも、その周りには何か小さく黒いものが無数に散乱してるのだ。
「遠すぎて、肉眼ではよく見えないわね」
メイベルが抱えてきた山菜を展望小屋の床に置き、続いて背負っていた荷物も床に置いた。それからリュックサックの紐をほどいて、中から小物を引っ張り出してくる。
「メイベルさん。それは?」
「オペラグラスよ。ホントは双眼鏡か何か持ってきてれば良かったんだけど……」
メイベルが出してきたのは、折り畳み式のオペラグラスだった。それでしばらく荒れた場所を見たメイベルが、
「はい、ナバルさんも見る? わたしは、もういいわ」
少し蒼褪めた顔で、ナバルにオペラグラスを渡す。
「うわっ。デカく見えるぞ。すごいな、これ」
「5倍までしか大きく見えないけどね。……あれ、調査隊の残骸……よね?」
便利な道具にはしゃぐナバルとは対照的に、メイベルの気持ちは沈んでいた。
土を掘り返したような場所の周りに散乱していたのは、馬車と思われるものの残骸だった。馬車と感じたのは、車輪のようなものが残っていたからだ。黒く見えたのは、火に焼かれて炭化していたからである。
「あれは戦場の跡かな?」
「さあ? わたしは戦場のことは知らないから、何とも言えないわ」
メイベルが小屋におかれていた長イスに腰かけて、ふうっと大きな溜め息を吐いた。
「ナバルさん。わたしたち、いつの間にか目的地に着いたは良いけど、考えてみればまだ何も解決策がないのよね。デスペランの流行をどうやって防ぐかも、ドラゴン教徒のテロをどうやってやめさせるのかも……」
メイベルが憂いのある表情で空を見上げた。
無事に目的地にたどり着いた。旅の間に知らなかった知識に数多く触れられた。それで気持ちが昂ぶっていたおかげで、メイベルは肝心なことを完全に忘れていたのだ。
だが、戦いらしきものの残骸を見たことで、忘れていた現実に引き戻された。
調査隊には数千人規模の軍隊が伴っていた。だが、マウンテン・ドラゴンは、それを物ともせず殲滅してしまう。これから、そんな相手と対面しなければならないのだ。
それなのに、まだ何をすれば良いのか、何1つわかっていない。
メイベルが膝に肘を突き、組んだ指に額を載せて静かに目を閉じた。
「1つだけ確実なのは、ドラゴンが話し合いを求めていること。もしもドラゴンと仲直りできれば……。あ、そうか……。ドラゴンと帝国が和平を結んだら。それができたらドラゴン教徒たちはテロを仕掛けられないわ。ドラゴンと和平を結んだ相手を傷つけるのは、ドラゴン教徒たちの神であるドラゴンの考えに反するものね」
1つの解決策らしいものが、メイベルの頭の中で導かれた。その名案に目を開けたメイベルが、背筋を伸ばして軽く上を向く。
「あ、でも、ドラゴンとの和平なんて、どうすればいいのかしら? わたしたちに権限はないわよね。話し合いのお膳立てを作ればいいのかなあ……」
一瞬のひらめきだったが、それには大きな課題があった。それをどうすれば良いかで、またメイベルが目を閉じ、首を右に傾けて思考をめぐらせる。
「それよりももっと大切なのは、デスペランよねぇ。ヴァレーではけっこう咳してた人が多かったから、かなり広まってるんだわ。草むらに倒れてたネコ。あれも気になるわ。あの症状が人で起こるのも時間の問題かもしれないし……」
「メイベルさん。考えるのはあとだ」
唐突にナバルが、メイベルの考えをさえぎってきた。
「えっ!? 何?」
目を開けたメイベルが、ナバルに顔を向けた。
ナバルは岩場に顔を向けている。その視線を追ったメイベルの目が、
「ドラゴン教徒!?」
岩陰から出てくる異様な雰囲気の男たちを捉えた。
「町の人……じゃねえよなぁ……」
ナバルが腰の剣を摑んで身構えた。
男たちの数は14人。いずれも手に剣や銃などの武器を持っている。
「何度か見た顔がいるな」
ナバルの目が、ヒゲ面の男に向かった。帝都のテロ事件とオーマンドの事件で、2度も手合わせした第6隊長だ。その隣には四角い顔の第3隊長もいる。
「さっぱり来ないと思ったら、こんなところで休んでたのか」
ヒゲ面の第6隊長が、冷めた口調で声をかけてきた。すでに腰にある剣を左手の親指で浮かせ、いつでも抜き放てるように用意している。
「やあ、また会ったね。ちょっと顔見知りになったよしみで、今日はこのまま何も言わずに山を下りてくれないかのう? そうしたら、手荒な真似をせずに済むんだけどさ」
次に気さくそうに言ってきたのは、四角い顔の第3隊長だ。
笑顔の第3隊長と激しい形相で睨む第6隊長。なんとも形容しがたい雰囲気である。
「断ると言ったら?」
「これまで何人もの部下を倒された怨みを、この場で晴らさせてもらう」
ナバルの問い返しに、ヒゲ面の第6隊長が剣を抜き放った。
その動きに倣うように、後ろにいる部下たちもいっせいに武器を構える。
「あのさ。ここは穏便に話し合いで済ませられないかな?」
「山を下りてくれ。要求はそれだけだ」
メイベルの提案に、第3隊長が短く答えた。
「これって、交渉決裂かな?」
魔法の杖を構えるメイベルが、困った声でナバルに尋ねた。それにナバルが、
「その前に交渉もしてねえだろ」
とツッコんでくる。
「聖なる光の盾よ!」
最初に動いたのはメイベルだった。魔法で生み出したのは強い光を放つ魔法の盾。防御と目くらましを兼ねた魔法である。
「メイベルさん、走るぞ!」
ナバルがメイベルの腕を引いて駆け出した。そのまま目くらましに遭って動けないドラゴン教徒たちの間を縫って、岩場へと走っていく。
「に、荷物が……」
「放っておけ!」
荷物を気にかけるメイベルを強引に抱き寄せ、ナバルが岩陰に身を隠した。
「これからどうするの?」
「考えてない」
メイベルの問いかけに、ナバルが無責任な答えを返してくる。そのナバルは、
「このあたりは狭いな。剣を振りまわすには、ちょっと厄介かもしれん」
と言いながら、岩場の地形把握に努めていた。戦う場所を頭に叩き込み、少しでも戦いを有利にしようとしているのだ。
「メイベル、離れろ!」
頭上から靴のかすれるカサッという音が聞こえたと同時に、ナバルは岩陰からメイベルを突き飛ばした。その2人のいた場所に、上から網が落ちてくる。
「投網だと?」
それは相手をからめ捕るための投網だった。その網に向かってメイベルが、
「電撃よ!」
と魔法を放った。
「うわぁぁぁ……」
網を伝った高電圧が、投げたドラゴン教徒を襲った。身体から白い煙を出すドラゴン教徒が、そのまま岩の下にドスンと落ちる。
「さすがに、狭い場所での斬り合いは厄介だな……」
ナバルは迫ってきた剣士との戦いになっていた。その剣士が、
「くっ、岩が……」
振り下ろそうとした剣を岩に引っかけてしまった。その一瞬を狙い、ナバルが剣を突き立てて前に踏み込む。
「ぎゃあああ〜……」
胸を突かれた剣士が悲鳴を上げた。そこに向かって銃を持つドラゴン教徒が、バンバンと弾を撃ってきた。
「おいおい、味方でもお構いなしかよ」
ナバルは剣士を盾にして、岩陰へ飛び込んだ。背中に無数の銃弾を浴びた剣士は、すでに絶命している。
「ちぃっ。ちょこまかと……」
銃士たちが岩の後ろへまわり込み、ナバルに弾を浴びせようとしてきた。だが、それを読んでいたように、ナバルはその前に別の岩陰に隠れていたのだ。
岩陰から出てくる者を、銃士たちはナバルと見做して手当たり次第に撃っている。異教の勇者さえ倒せるならば味方の被害など気にしないとでもいうような戦い方だ。
そのため、ドラゴン教徒たちの間に無用な負傷者が出ている。
「お〜い。どこ撃ってんだよ?」
岩陰から顔を出したナバルが、銃を持つドラゴン教徒たちを挑発した。
「このやろう!」
振り返ったドラゴン教徒が、ナバルに向かって銃を撃った。その横では一発撃った銃士が、手早く銃口から次の弾を詰め込んでいる。
「へたくそ!」
なおも挑発しながら、ナバルが別の岩陰へ隠れた。
「突風よ!」
メイベルが迫ってくるドラゴン教徒たちに向かって、風の魔法を放った。それが岩場の狭い空間に押し込められて、強い噴流を生み出している。
「うがっ」
強烈な風に飛ばされたドラゴン教徒が、背中を岩に叩きつけられた。別のドラゴン教徒は後頭部を打ちつけ、そのまま意識を失って倒れている。
「メイベル! 風の魔法は使うな」
「え!? 何で?」
次の魔法を放とうとしたメイベルに、ナバルから奇妙な注文が入った。その意図がわからず、メイベルが一瞬動きを止める。
「きゃあ〜っ!!」
その一瞬を突いて、頭上から落ちてきた投網がメイベルをからめ捕った。だが、
「すまん。気をそらせちまったな」
すぐにナバルが助けに入った。投網につながる縄を断ち切ったため、メイベルはそのまま吊り上げられずに済んだ。
だが、それで動きの止まったメイベルを狙って、2挺の銃が火を放った。
「ひゃあ!」
激しい号砲に驚いたメイベルが、思わずその場にしゃがみ込んでいた。
「ちっ! この銃は、こんな至近距離からでも当たらねえのかよ」
銃を撃った2人のドラゴン教徒は、どちらもメイベルから6〜7mしか離れていない。それなのに、1発がスカートに穴を空けた程度だ。メイベルにケガはない。
「しまっ……」
銃を撃った直後の無防備になる瞬間を狙って、ナバルが2人に斬り込んできた。咄嗟に1人は斜面を転がって逃げていく。だが、もう1人は逃げる際に肩を岩にぶつけた。それで跳ね返った男の背中を、ナバルが袈裟斬りにする。
「メイベル。何してるんだ?」
「網が邪魔っけで、取れないのよ!」
戻ってきたナバルが、メイベルを小脇に抱えてその場から離れた。そのメイベルはからみついてくる網に少してこずってるようである。
と、その時、
「銃を撃つな! 同士討ちになるぞ!」
第6隊長が大声で攻撃を止めてきた。
岩場に黒い煙が立ち籠り、視界が悪くなってきたのだ。
「こんな狭い場所なのに、銃をバカの1つ覚えで撃ちまくるからだ」
「ナバルさん。これがあるから、風の魔法を止めたのね」
黒い煙の原因は、銃に使われた黒色火薬だった。しかも刺激の強い硫黄臭とアンモニア臭があるため、涙が出てきて戦うどころではないらしい。
その間にナバルはメイベルを抱えたまま、一気に尾根伝いの斜面を駆け上がった。そして斜面の上にある岩陰に駆け込み、そこで身を潜めて気配を殺す。
「今、網を取ってやる。勝手に動くと、余計からまるぞ」
メイベルを膝の上に座らせる恰好で、ナバルがからまっている網をはずし始めた。
この投網にはいくつもの錘のついた紐がぶら下がり、それらが互いにからまり合って、捕まえた者の動きを封じるようにできている。
「ありがとう、ナバルさん。助かったわ」
ようやく網から解放されたメイベルが、ナバルにお礼を言いながら膝から降りた。
ナバルは取った網が、これからの戦いの邪魔にならないようにと岩の下に捨てた。そしてゆっくりと立ち上がって、
「さて、これからどうするか……」
岩の陰からそうっと顔を出してあたりの様子を窺おうとする。そのナバルに、
「ところでナバルさん。さっき、わたしのことを『メイベル』って呼び捨てたでしょ」
と、メイベルが瞳を輝かせながら尋ねてきた。
「なんだよ、急に……。この状況下で、いちいち『さん』付けで呼んでられねえだろ」
「え〜!? そういう理由なの?」
ナバルの答えに、メイベルが唇をとがらせた。
「わかったよ。これからはちゃんと『さん』を忘れないように……」
「そうじゃなくて」
いつもの朴念仁ぶりを発揮するナバルの肩に、メイベルが思わず手を置いた。
「もう2か月も一緒に旅をしてきたじゃない。で、いつまでもお互いに『さん』を付けて他人行儀に呼び合うのもどうかなぁ〜と思うんだけど……」
「おい、それはこういう時に考える話か?」
メイベルの意見に、ナバルが呆れた声でツッコんだ。だがメイベルは、
「わたしもつい『さん』を付けて呼んじゃうけど、やっぱり、そろそろ付けなくても良い頃合いだと思うのよ。だけど問題なのは、そのきっかけが……」
と力説して、持っている魔法の杖をギュッと握る。
そのメイベルの額に、ナバルが握りこぶしをコツンと当てた。
「呼び方なんて、ただの慣れだろ。お互い好きなように呼べばいいし、それで相手の気に障るようなら変えれば済むことだ。メイベルは変なところにこだわるんだな」
「……好きなようにって……」
ナバルの顔を見上げて、メイベルが額の叩かれたところを手で押さえる。
「メイベルが『さん』付けで呼ばれるのを嫌ってるとは思わなかったな。まあ、これからは『さん』を付けないように努力しよう」
「わかってない。この人、まったくわかってない……」
ナバルの筋金入りのわからず屋ぶりに、メイベルが怒らせた肩を震わせている。
「見つけたぞ! そこにある岩の後ろだ」
そんなやり取りをしてる間に、2人はドラゴン教徒たちに見つかってしまった。
見つけたのは第3隊長だった。といっても彼は山頂へ向かう坂を登る途中だったため、2人の隠れる岩から200m以上は離れている。
「こんどこそ逃がすものか!」
居場所を聞いたヒゲ面の第6隊長が、一気に斜面を駆け上がってきた。
ドラゴン教徒たちのいる下の岩場から、2人のいるところまで30mだ。
「メイベル。応戦するぞ!」
「わかったわ、ナバル」
岩の陰から飛び出した2人が、それぞれ持っている剣と杖を構えた。第6隊長の向かう先へ跳び出したのはナバルだ。
それとは反対側に飛び出したメイベルには、ドラゴン教徒たちの銃口が向いていた。
「いたたた……た?」
メイベルの身体に、何発もの鉛玉が撃ち込まれてきた。ところが、
「あ〜、びっくりしたわ」
メイベルに当たった弾は、すべて服に跳ね返されて、ポトポトと落ちていった。
戦いに使われた銃は、あまり性能が良くない。30m以上の距離に加えて上を狙っているため、メイベルに当たる頃には服すら撃ち抜けないほど威力が落ちていたのだ。
銃は離れた場所からも狙える便利な飛び道具である。しかし標的から十数mまで近づかなくては、ほとんど効果を期待できないのだ。
「雷よ暴れろ!!」
仕返しとばかりに、メイベルが魔法を放った。杖から生み出された小さな黒雲が、斜面を滑るようにドラゴン教徒たちに迫っていく。そして爆発するように無数の雷を撒き散らし、ドラゴン教徒たちを一気にしびれさせた。
一方で、ナバルに迫ってきた第6隊長の方は、
「灼熱たれ!」
斬り込む直前に剣に魔法をかけ、刀身を一気に白熱させていた。ナバルの剣を熱で熔かし斬るつもりだ。
「このぉ、バカの1つ覚えが……」
白熱した剣を、ナバルが持っていた剣で受け止めた。
2人の身体が入れ替わり、ナバルは第6隊長に有利な高い場所を取られた。
「なんだ!? なかなか熔けねえじゃねーか」
第6隊長が体重も加え、ナバルの剣に力を加えてくる。その力に、ナバルの剣はしっかりと持ち堪えていた。
「この剣、どうなってやがんだ?」
「それはチタンの剣だからよ。鋼の剣より、ずっと熱に強いの。熔かすつもりなら、あと140度は熱くしないとムダよ!」
下のドラゴン教徒たちを魔法で麻痺させたメイベルが、今度は第6隊長の側面に向かって杖を構えていた。
「140度!? こっちが先に熔けるのか……」
このままでは分が悪いと悟った第6隊長が、飛び退いてナバルから離れる。
そこにすかさずメイベルが、
「冷却せよ!」
と、白熱する剣に魔法を仕掛けた。
「げげっ!! やりやがったな!」
第6隊長の剣がジュジュッと音を立てた。その剣が真っ白な水蒸気に包まれ、更に表面が凍りついて白い霜に覆われていく。
それに驚く第6隊長に向かって、ナバルが坂を駆け上がって斬り込んでいった。
「おりゃぁ〜!」
「くっ! やっぱり、こうなるか……」
第6隊長の剣が根本から4分の1のところでポッキリと折れた。それで武器を失った第6隊長が、ナバルとすれ違うように斜面を駆け下って逃げていく。
その第6隊長が部下たちのところまで戻って、またナバルたちに振り返った。
「ったく、冷やすなら赤くなってる間だけにしろよな。黒くなっても冷やし続けたら、硬くはなるが折れやすくなるじゃねえか」
第6隊長がぼやきながら、持っていた剣を捨てた。そして麻痺して動けなくなっている部下の手から、代わりになる剣を取り上げる。
「メイベル。最高の援護だったな」
「どういたしまして」
斜面の上では、ナバルがメイベルに背中を預けてきた。
下に第6隊長の部隊。そちらはメイベルの魔法で大半が戦力にならないが、山頂側の側面には第3隊長の部隊が無傷でいるのだ。しかも50mのあたりまで近づいてきている。このままでは挟み打ちされてしまう。
と、その時、
『やかましいぞ。おまえら、我々の土地で何をしてるのだ』
と言って、1体のドラゴンが岩場に舞い降りてきた。
体長は10mぐらい。口には鋭い牙があり、太く大きな足と背中に生える大きな翼が印象的なマウンテン・ドラゴンだ。そのドラゴンが先ほどまでナバルとメイベルの隠れていた岩に着地し、太い足の指でしっかりと岩を摑んでいる。
『我々を挑発しに来たのか? ならば受けて立つぞ』
更に3体のドラゴンが、ドラゴン教徒たちのいる岩場に下り立った。
1体は体長12mあり、残り2体は体長7〜8mと小振りだ。そして、
『この山はわしらの大切な住み処である。それをどのような了見で荒らしに来たのだ?』
最後に降りてきたドラゴンは体長15m。他のドラゴンたちに比べて、圧倒的な大きさを誇っている。
「も、申し訳ございません。わたくしたちには、けして荒らすような意図はなく……」
第6隊長が持っていた剣を前に置き、一番大きなドラゴンに向かってひれ伏した。
周りに転がっているドラゴン教徒たちも、動ける者はその場で起き上がって平伏している。これは第3隊長の部隊も同じだ。
「ドラゴンさま方にご迷惑をおかけしましたことを、心よりお詫び申します」
平身低頭する第6隊長が、ドラゴン教徒たちを代表して非礼を詫びる。
だが、最後に来たドラゴンの関心は、斜面の途中で立ち尽くしているナバルとメイベルに向かっていた。2人のいる場所は、ちょうどドラゴンの目の高さだ。
『おう、これはナバルとメイベルではないか。ついに西の山にたどり着いたのか』
「カ、カームさん!?」
声をかけられたメイベルが、驚きで目を丸くした。
2人に声をかけてきたのは旅の途中、奇岩の高地で出会ったマウンテン・ドラゴン──カーム・コップだった。
『この人間は、長老のお知り合いですか?』
『うむ。死に神咳の調査を命じられ、旅を続けている若者たちである。わしとは以前、マルル山のふもとで出会ったのだ』
最初に来たドラゴンの質問に、カームが目を細めながら答えた。そんな話をするカームを、ドラゴン教徒たちが困惑した顔で見上げている。
『ああ、この前からお爺上が「来たら客人として迎える」と仰ってた人間であるか』
『本当に来るとは、思わなかったわ』
ドラゴン教徒のいる岩場に立つ2体の小振りなドラゴンが、口々にそんなことを言う。
この2体のドラゴンは他の3体と比べて身体が小さだけではなく、翼の膜の赤みが強い。しかも首に飾りをつけてオシャレしてるところから、どうやら女性であるようだ。
「お、畏れながらドラゴンさま。この2人は、ドラゴンさまの客人になるのですか?」
第6隊長がナバルとメイベルを指差して、気になることを尋ねてきた。
『そのつもりである』
「そ、そんな、バカなことが……」
カームの答えは、第6隊長には信じられないことだった。
それも当然。ドラゴン教徒にとって神と崇めるマウンテン・ドラゴンの長老が、よりによって仇敵である異教の勇者を客人として迎えると言うのだ。これには第6隊長に限らず、他のドラゴン教徒たちも同じように戸惑っている。
『おぬしらが、何に難渋しておるのか。だいたいの察しはつく。しかし、この2人は人間の代表としてここに来たのだ。客人として迎えることに、何も問題はない』
「人間の代表じゃないっす。そいつらは……」
カームの言葉に、ドラゴン教徒の若者が異論を挟んできた。
『では、反対するおぬしらには、人間の代表たる資格を有しておるか? 資格があるとすれば、それは何人の人間を代表するのであるか?』
「それは……」
カームからの問い返しに、若者は返す言葉がなかった。
『この2人を代表とすることに反対する者はあろう。だが、王国連合帝国の代表として来たのは紛れもない事実である。暴力でしか己が主義を主張できぬ者に、わしらドラゴンは貸す耳を持たぬ。早々に立ち去るが良い』
「それでは我々の……」
そこまで言い返したところで、第6隊長が頭を地に着けたまま言葉を飲み込んだ。
周りでは部下のドラゴン教徒たちが、気怠そうに立ち上がろうとしている。そんな中でも、第6隊長だけはドラゴンに向かって頭を下げたままだった。
「第6隊長。今日のところは退こうじゃないか」
四角い顔の第3隊長が、第6隊長に歩み寄って肩に手を置く。
頭を上げた第6隊長は顔を真っ赤にして悔し泣きしていた。これまで追ってきた敵の勇者が手の届く場所にいる。それなのに見逃さなければならない悔しさにはらわたが煮え立っているのだ。
それでも渋々ではあるが、ドラゴン教徒たちが帰り支度を始めた。倒された仲間たちを抱えて、重い足取りで山を下りていく。その姿を見送るカームが、
『ふぅ〜。無事に帰ってくれたか』
なんとも大きな仕種で、安堵の息を吐いた。
『さて、次はおぬしらであるな』
そう言って、カームの視線がナバルとメイベルに移った。
2人は斜面の上、カームの目と同じ高さの場所から動いていなかった。
『よく西の山まで来られた。わしは2人を客人として迎えよう』
「あ、はい。ありがとうございます。……というか、お邪魔します?」
声をかけてくるカームに、メイベルが慌てて頭を下げた。
隣にいるナバルは剣を抜いたままだったことに気づいて、すぐに腰に下げた鞘に納める。
『しかし心苦しいお願いをせねばならぬ。わしは客人として2人を迎える。じゃが、わしらの群の中に、人間を迎え入れることに懸念を示す者がおるのだ。そこで申し訳ないが、わしの説得が済むまで、しばらく待ってもらえぬかのう』
「つまり、ここで待てということか?」
『ここでなくとも構わぬ。この岩場より先には、しばらく立ち入らんで欲しいのだ』
ナバルの確認に、カームが困った顔で答えてきた。
『長老の権限で、2人を招き入れることは簡単である。しかし、わしとしては、そのような強行策は使いたくないのでのう』
「なるほど。ドラゴンの社会では、あくまでも話し合いが基本なのね」
『ほう。たしかおぬしがメイベルであったな。わしらドラゴンのことを、多少調べてきたようであるな』
メイベルの言葉に、カームが目を細めて感心したように微笑んでいる。
「わかりました。カームさんの説得が済むまで、わたしたちは待たせていただきます」
『うむ。せっかく遠路はるばる来られた客人にすまぬことである』
「いえいえ、こちらとしても来たは良いけど、まだ何をするべきか決まってなくて。考える時間ができたから願ったり叶ったりというか……」
『……おい』
メイベルの余計な一言に、カームが呆れた声でツッコんできた。そのカームが、
『それで、おぬしの調べておる死に神咳について、どこまでわかっておるのだ?』
と、冷静な口調で尋ねてくる。
「それが、まったくわからないんです」
『わからぬと?』
メイベルの答えに、カームが訝しそうに目を動かした。
「ふもとのヴァレーの町ではデスペラン……、カームさんたちは死に神咳って呼んでるんですよね、それの初期症状が出てる人を大勢見かけました。瀕死のネコも見かけました。ですから事態は、かなり切迫してると思うんです。だけど、何と言えばいいのかしら……」
そこまで話したところで、メイベルが困った顔で首筋に手を当てる。
「その症状が死に神咳なのかというと、何かが違うんじゃないかって思うんです。これはわたしの勘で、ハッキリした根拠があるわけではないんですけど……」
『それはまた頼りない話であるな。まあ、お互いに機は熟しておらぬのであろう』
そう零したカームが、苦笑したまま空を見上げて嘆息した。
その時、山から風が吹き下りてきた。といっても風は弱く、土ぼこりを舞い上げるほどの強さはない。その直後、
『げほっ、げほほっ……』
『くしゅん。は、は、は、は〜っくちゅ☆』
『ふぇ、ふぇ、ふぇ……、ふぇ〜っくしょいこのやろー!』
いきなり3体のドラゴンが、ほとんど同時にくしゃみをした。
『目が痛いわぁ〜』
くしゃみをした女性ドラゴンの目は、真っ赤に充血していた。
『たまらねぇなあ』
洟水を垂らしたドラゴンが、近くにある小川へ飛んでいって、そこで顔を洗っている。
「何、今の!? まるでデスペランの初期症状じゃないの?」
ドラゴンたちに起こったできごとを見たメイベルが、大きな声でカームに尋ねた。
『ただの風邪である。このところ流行っておるのだ』
「風邪って、どう見てもデスペラン……。ううん、死に神咳の症状よ、それ!」
『いや、死に神咳とはまるで別物である』
メイベルの言葉を、カームが断言するように否定してきた。
『メイベル。おぬしの申す死に神咳の症状とは、人における症状ではないか? 前に奇岩の岩場で会った時、おぬしから死に神咳に初期症状があると聞いたのでのう。それでわしも興味を抱いて古い記録を調べてみたのだ』
『わらわのお爺上は歴史学と社会学の学者なのじゃ』
カームの後ろから、女性ドラゴンがそんな一言を加えてきた。どうやらカームの孫娘であるらしい。
『記録には洟水や目の充血のような記述は残されておらぬ。その代わり、舌に紫色の斑点があるという記述が出てきた。これがドラゴンにおける死に神咳の初期症状ではないか。わしはかように考えておる』
『んべーっ。斑点はあるか?』
『ないわよ。べぇ〜☆』
語るカームの後ろで、ドラゴンたちが互いに舌を出して見せ合っていた。
「やっぱり、デスペランじゃないのかしらねぇ〜」
ドラゴンたちを見ながら、メイベルがこれをどう考えればいいのか悩んでいる。
『それでは、わしは反対派の説得に戻る。ここで失礼させてもらうぞ』
そう断ったカームが、そのまま翼を広げて飛び去っていった。あとに続くように、
『わらわも戻らせてもらうぞ』
『長老が帰ったのなら、俺たちも残る意味ねーし』
『それじゃ、またね』
他のドラゴンたちも、2人に手を振って山へ戻っていく。そして岩場には、ナバルとメイベルの2人だけが残されることになった。
「メイベル。俺たちはどうする? 町に戻って、明日また出直すか?」
「そうねぇ……」
ナバルに意見を求められたメイベルが、どうしようかと考えた。だが、すぐに、
「じゃあ、下の展望台に置いてきた荷物を取ってきて、今日はここで野宿しましょう」
と結論を出した。その理由は、
「もう日が暮れるから、山を下りるのは危ないわよ、きっと」
という状況からだった。
「ん〜、いい匂いだな」
香ばしい匂いに誘われて、ナバルが調理するメイベルに近づいてきた。メイベルは今、焚き火で炒め物をしているのだ。その2人の頭上では強い魔法の光が輝いている。メイベルが明かり取りのために作った魔法の灯火だ。
「山菜を炒めてるの。つまんでみる? 美味しいわよ」
「あ、これは美味いな……」
大きめの葉っぱをつまんだナバルが、もう一口食べたそうな顔でフライパンを見ている。
「メイベルがいると食事に不自由しなくて済むから大助かりだな。教会で渡された3日分の携帯食はどうする?」
「ビン詰めと粉物は使えるけど、堅焼きのビスケットは扱いに困るわねぇ」
葉っぱをもう1枚失敬しようとしたナバルの手を、メイベルがペチッと叩いた。
「あのビスケットは堅くて食べづらいし、食べてお腹を壊す人がいるものねぇ。だから、あまり使いたくないわ」
そう言ったメイベルが、炒めた山菜を大きなお皿に盛りつけた。そしてフライパンの中を軽く布巾で拭いてから薄く油を敷き、ビン詰めの中身を炒め始める。ビンの中身は蒸し鳥のオイル漬けだ。
「ビン詰めは味が滲みてて美味しいんだけど、容れ物が重いのが難点よね」
漬け汁だけが残ったガラスビンを持って、メイベルがビン詰めの問題点を挙げた。
「ガラスの代わりにブリキ缶に詰めたものもあるらしいけど、そっちはナイフで缶をこじ開けるのが大変らしいわ。携帯できる保存食というのも、いろいろと難しいみたいね」
それから残った汁を小麦粉の入ったボウルに入れ、そこに更に水を加えて手早くかき混ぜる。そして、その中に炒めた鳥肉をすべて混ぜ込んだ。
「鳥肉入りのパイか?」
「そうよ。少し手間を省いてるけどね」
フライパンにボウルの中身を少し入れ、それを広げながら焼いていく。小麦の焼けた時の香ばしい匂いがあたりに広がり、それに反応したのかメイベルの背後からグゥゥ〜っとお腹の鳴る音が聞こえてきた。
「ナバルぅ。もう少し待ってね♡」
「え!? 今の、俺じゃねえぞ」
甘えた声を出すメイベルの言葉を、ナバルが否定してきた。そのナバルの頭上から、
『今のわしだ。すまねえだの』
という声が聞こえてきた。
「ド、ドラゴン?」
『こっそり覗くつもりだっただが、匂いに負けちまっただの』
やって来たのは体長5mほどのマウンテン・ドラゴンだった。その後ろにも、
『わあ〜。人間が料理してるぅ〜☆』
『わらわも、また来てしまった。お邪魔するぞ』
『子供だけで行かせるわけにはいかんからな。俺は引率で来たんだぞ。引率で』
数体のドラゴンが来ている。中にはカームの孫娘など、日中に会ったドラゴンもいた。
『いい匂いだの。人間の食べ物って、どんな味がするだの?』
物欲しそうにしてるのは、一番小さなドラゴンだった。来てるドラゴンの中で、一番幼いのだろう。とはいえ体長は5m。人と比べれば、はるかに巨大である。
「えっと……。食べてみます?」
フライパンの中身を十文字に切ったメイベルが、それをすくってお皿に移した。
『それでは、ありがたくいただくだの』
子供ドラゴンが、パイを器用につまんで口に放り込む。直後、
『お、お、お、美味しいだのぉ〜〜〜〜〜っ!!』
子供ドラゴンが頬を押さえて、瞳をキラキラと輝かせた。
『わらわにも1つよこすのじゃ』
『ふむ。少々味つけが濃いな』
焼き立ての鳥肉のパイが、あっという間にドラゴンたちのお腹に入ってしまった。
『こっちにも何かあるだの。うわぁ〜、こっちも美味しいだの!』
『本当じゃ。人間とは、このような美味しいものを食しておるのか』
『俺たちの群れの中に、まともな料理のできるヤツがいないだけだ。あ、美味いな』
「あ〜、わたしたちの夕食が……」
お皿に山盛りされた山菜炒めも、ドラゴンたちの巨大な身体にはおつまみ程度だった。メイベルの作った料理が、次々にドラゴンたちのお腹に消えていく。
その光景を、メイベルが悲しそうな目で見ていた。
「こういうものもあるが、食べてみるか?」
メイベルとは対照的に、ナバルは別の食べ物をドラゴンたちに振る舞おうとしている。メイベルが扱いに困っていた堅焼きのビスケットだ。
『これは歯応えがあって、いい感じだの』
『うむ。これは噛み応えがあって、なかなかの珍味だ』
『これいい! 美味しい!! もっと欲しいわぁ☆』
ドラゴンたちの味覚や食感には、堅焼きビスケットは絶品であったらしい。
「もっとと言われても、俺の分はもうないぞ」
3日分あったナバルの堅焼きビスケットは、あっという間になくなっていた。それで、
「メイベル。おまえの分もご馳走しちゃっていいか?」
と確認してくる。もっとも、すでにナバルはメイベルの荷物を開けていたのだが……。
「全部食べてもらってもいいわ。もう好きにして……」
ボウルに残っていた材料で、メイベルはパイを焼いていた。だが、それまで一番小さなドラゴンに食べられていたのだ。それで完全に夕食を奪われたメイベルが、
「今晩は食事しないで寝ることにするわ」
と、すっかり食事をあきらめている。
「メイベル。食事の材料なら、また採ってくればいいじゃないか。いっぱいあるんだろ」
「それはそうだけど……」
ナバルの言葉に、メイベルは反論する気も起きなくなっていた。
この調子だと、また作ってもドラゴンたちに食べられそうと感じていたのだ。
『これはすまぬことをした。これは、そちたちの夕食であったのじゃな』
カームの孫娘が、これは悪いことをしたと感じて肩を狭めている。その孫娘が、
『それでは夕食を食べてしまったお詫びに、今度はわらわたちがドラゴンの調理を振る舞うとしよう。人間の口に合うかは保証できぬが、それもまた一興じゃ』
と言ってきた。
『それなら、鍋パーティしようぜ。鍋パーティ♪』
話を聞いていた別のドラゴンが、そんなことを提案してきた。
『人間と一緒にお食事? それも面白そうね』
女性ドラゴンが、すぐさまその提案に乗った。
『そうと決まれば、わらわは材料を取ってくるぞ。パゲトンちゃん、手伝うのじゃ!』
『任せるだの』
カームの孫娘と小さなドラゴンが山へ帰っていく。それで残ったドラゴンが、
『それじゃ、俺は鍋でも作りながら待ってるか』
と零しながら、手ごろな大岩をひょいと拾い上げた。
「作る?」
ドラゴンの気になる言葉に、メイベルが首をかしげる。そのメイベルの前でドラゴンが魔法を使って大岩を空中に浮かせ、それをコマのように回転させた。
「ええええ〜っ!?」
直後、目の前で繰り広げられた光景に、メイベルが大声を上げた。
ドラゴンが口から火を吐いて、回転する岩に浴びせた。それで赤化した岩が熔けて柔らかくなり、遠心力で引き伸ばされていく。その大岩は重力と遠心力の作用で、伏せたお皿のような形になっていた。
『あとは形を整えて……』
そう言うと、ドラゴンが岩を拾って焼けた大岩を左右から挟んだ。
ろくろ細工とは上下反対だが、大皿の形が縁の丸まった大鍋の形へと変わっていく。
そして、岩の鍋が冷えたところで、
『まあ、こんなもんだろ』
ドラゴンが鍋のでき具合を確かめ、それを裏返してトンと地面に置いた。
大きさは幅3m、高さはメイベルの胸の高さだ。もっとも、鍋を作ったドラゴンの体長は12mはあるから、それほど大きい鍋には見えない。
「き、器用……ですね」
『俺の仕事は、道具作りの職人だから当然だ』
メイベルにそう答えたドラゴンが、次にお碗などの食器類も作り始めた。その間に、
『ただいま戻ったぞ。材料をいっぱい持ってきたのじゃ』
『おいおい。おまえたちだけで楽しむなんて、ずるいじゃないか』
『あたしたちも仲間に入れて〜!』
食材を取りに行ったカームの孫娘が、数体の仲間を連れて戻ってきた。
メイベルとナバルの周りで、8体のドラゴンが鍋を囲んでいる。いずれもドラゴンとしては小振りだが、体長は7m以上。なんとも豪快な光景である。
『それでは、鍋を始めるぞ』
カームの孫娘が場を仕切りながら調理を始めた。手始めに苔を鍋の底へ敷き詰め、その上に千切った野草を盛りつけていく。それから岩塩を砕いて簡単な味つけをしたあと、最後に小川から汲んできた水を流し込んで材料を浸した。
「あのぅ、火はどうするのですか?」
鍋を覗き込んでいたメイベルが、下ごしらえするカームの孫娘に尋ねた。これからこの鍋をどうやって煮立てるのか。それが気になるのだ。
『それなら、そちの後ろで準備しておるぞ』
カームの孫娘が香味野草を細かく刻みながら、そう答えてきた。それで後ろを振り返ったメイベルの目に飛び込んできたのは、
『このぐらい焼けば十分かの?』
『まだ赤いだけじゃないか。黄色くなるまでガンバレ』
空中に浮かべた直径1mほどの岩を3つ、ドラゴンたちが火で炙って熱しているところだった。
「これって、まさか……」
加熱されて輝いている岩を見て、メイベルはこれから何をしようとしてるのか悟った。
そのメイベルに、
『そこにおると危ないぞ。鍋から離れるのじゃ』
と言って、カームの孫娘が手に載せる。彼女の大きさはメイベルの5倍ぐらい。その手は香味野草を千切っていたため、シソとハッカがまざったような香りがしていた。
「あ、ありがとう。えっと……」
『フェレラじゃ』
お礼を言って顔を見上げるメイベルに、カームの孫娘が名乗った。そのフェレラが、
『それでは入れるのじゃ』
と、調理の開始を合図する。
『わかった。お湯跳ねに気をつけろよ』
鍋に真っ赤に熱せられた3つの岩が同時に放り込まれた。
直後、鍋の水が小さな水蒸気爆発を伴いながら一気に沸騰した。グツグツと泡立つ鍋から、山菜の芳醇な香りが漂ってくる。
「これは豪快な料理だわ」
メイベルはフェレラの手から飛び降りると、鍋に近づいていった。鍋に入れられた岩はまだ熱を持っているらしく、その周りでは今も激しく沸騰が続いている。
『そろそろ煮えた頃合いじゃな。それでは、みなで食べるのじゃ』
そう言うフェレラの手には、お碗と箸が握られていた。その箸を器用に使って、フェレラがメイベルとナバルの食器に火の通った山菜を取り分けてくれる。
「そんな2本の棒で、器用に挟めますね」
『2本の……? ああ、お箸のことか? 人間はお箸を使わぬのか?』
箸を器用に動かしながらフェレラが尋ねてきた。それに、
「それ、お箸というのですか。わたしは初めて見ました」
と答えながら、メイベルがどうやって動かしてるのか興味深そうに見ている。そんなメイベルが使っている食器は、スプーンとフォークだった。
『ところで、お味はいかがじゃ?』
フェレラがメイベルの顔をジッと見詰めて、感想を尋ねてきた。
「これは素朴な味だけど、けっこう美味しいわ。でも、この草はダメみたい」
そう言いながら、メイベルが口に合わなかった山菜を取り分けて別のお皿に移した。
『おや。シャーマはお気に召さぬようじゃな』
「これ、言われてみればシャーマですね。球根と果肉のところは美味しいのに」
『人間は球根と果肉を食べるのか!? あそこは食べるところではないぞ』
メイベルの答えに、フェレラが驚きの声を上げる。
『シャーマの一番美味しいところは花びらじゃ。花びらは生でも美味しくいただけるぞ。葉っぱと茎も生で食べられるが、ここは茹でるともっと美味しいのじゃ』
そう言いながら、フェレラがメイベルが取り分けたシャーマをつまんで、パクッと口に放り込んだ。
『人間はもったいないことをするのじゃな。あ、わらわたちは人間が食べる球根と果肉を捨てておるからのう。お互いさま……なのか?』
フェレラが箸を咥えたまま、何やら考え事を始めている。
その頃、鍋の前では一番小さなドラゴンが、
『ラピパラ。シャーマばかり食べるのはダメなのだの。他の草も食べるだの。プリフラ。早くバーナ菜を取らないと、茹だってしまうだの。ガンビバ。お碗に取った草を戻してはいけないだの!』
と、すっかり鍋奉行していた。その隣ではナバルが、
「この苔が一番腹に溜まるなぁ〜」
と言いながら、苔のコリコリとした食感を楽しんでいた。
そんな鍋パーティもいつの間にか終わっていた。
頭上で光っていた魔法の明かりは消え、今、あたりを照らしているのは焚き火の光だ。
その焚き火の周りを囲むようにして、ドラゴンたちが身を丸めて寝ている。
ナバルは一番小さなドラゴンにもたれ、腕を組む恰好で寝ている。メイベルも仲良くなったフェレラの身体にもたれて、持ってきた古文書を読んでいた。フェレラは人間であれば、メイベルと同じぐらいの年頃らしい。
そのフェレラの身体は、本を読むメイベルにとって上手い具合に反射材になっていた。焚き火の明かりがフェレラの身体を照らし、その照り返しのおかげで、背中を預けた恰好のままでも本が読めているのだ。そこに、
『さっぱり帰ってこぬと思ったら、やはりここで寝てしまったのであるか』
と言いながら、カームがやって来た。
「あ、カームさん。いらっしゃい」
『ふむ、見まわりに来たのである。起きておるのは、メイベル1人のようであるな』
岩場に下り立ったカームが、そう言いながら周りを見まわす。
「みなさん。お鍋を食べたら、急に眠ってしまって……」
『それは当然である。わしらは人間とは違い、体内で熱を作り出せぬ。それゆえ日が沈むと長く活動できず、寝るようにできておるのだ』
そう言いながら、カームが焚き火に近づいていく。
『若者たちとは仲良くできたようであるな』
「はい。楽しくおしゃべりできました」
『そうであるか。それを聞いて安心したぞ』
カームも焚き火の前で身体を丸め、メイベルに優しそうな目を向けてくる。
『人間を客として迎えることに反対してた者たちであるが、若者たちがメイベルたちと鍋パーティをすると聞いて考えを改めたようだ。取り敢えず2人を迎え、話を聞いてみたいと言うことである。明日にも登ってきても構わぬぞ』
「そうですか。それは説得してくださって、ありがとうございます」
身体を起こして、メイベルがそうカームにお礼を述べる。
「でも、死に神咳について、まだ何も手がかりがありません。山を登って、そこで何か見つかれば良いのですが……」
『ふむ。それは困りものであるな』
メイベルの言葉に、カームがそんな言葉を返してくる。そのカームの目が、メイベルの手にある古文書に向かった。
『ところで、おぬし。何を熱心に読んでおるのだ?』
「これは、シャーマについて書かれた古文書です。昔、人とドラゴンが仲良くしていた頃に書かれたもので、シャーマは人とドラゴンにとって共存の象徴だったそうです」
『ほう。それはなにゆえであるか?』
「人はシャーマの花や茎、葉っぱを食べることができません。でも、この部分はドラゴンにとってご馳走です。反対にドラゴンの食べない球根と果肉は、人にとっては美味しく食べられる部分です」
『それは面白い話であるな。互いに食べるところが異なるのであるか。まさしく共存の象徴である』
メイベルの話に興味を感じたのか、カームが身体を起こして顔を近づけてくる。
『他には、どのようなことが書かれてるのであるか?』
「気になるのは、黄色いシャーマについて……」
『黄色!? 黄色いシャーマと申したか?』
メイベルの言葉をさえぎって、カームが険しい表情で問い返してきた。
『それには、どのようなことが書かれておるのか?』
「すみません。その部分はまだ読みかけで……」
解説を求められたメイベルが、そう言ってまだ読み終えてないことを断る。
「あ、でも、黄色いシャーマは何かの突然変異で、人にとっても、ドラゴンにとっても毒草になるそうですよ。食べると人間の場合は下痢、発熱、悪寒などの症状があって……」
『黄色いシャーマ。う〜む……』
カームがまた丸まって、何か考え事をしながら唸っている。
「何か心当たりがあるのですか?」
『ある。あることはあるが……』
そこまで言って、カームが黙ってしまった。
そのカームの横顔を、メイベルも静かに見詰めている。だが、
『メイベルよ。その話は、明朝にでも聞こう。わしにも眠りの時が来たようだ』
カームが大きなあくびをして、静かに目を閉じてしまった。
「何かしらねぇ? 気になるわ……」
眠りに入ったカームを見ながら、メイベルが少し何だろうかと考える。
だが、考えても答えは出ないと判断すると、焚き火に薪になる木の枝をくべ、また古文書を読み進めていくのだった。
「ん……。あれ!? もう朝……?」
うっすらと開けたメイベルの目に、朝の日の光が飛び込んできた。
東に広がる平原から太陽が昇っている。すでに空は一面の青空だ。
「メイベル。おはようさん。遅いから先に食べてるぞ」
先に起きたナバルは、朝食を摂っているところだった。といっても携帯食のビン詰めと、粉にお湯を注いで溶いた簡単なスープである。
焚き火の上には小さな金物の台が置かれ、そこでポットが沸いていた。
「おはよう、ナバル。すぐに食事を作……」
目をこすりながら起きたメイベルの身体から、ぱさっと毛布が落ちた。
「あ、この毛布……」
「秋分が近いから朝は冷え込むだろ。だから、かけといた」
「あ、それはありがとう……。ナバル……」
お礼を言ったメイベルが、思わず毛布でにやついた口許を隠している。
『おはようじゃ、メイベル。よく眠れたかのう?』
「あっ、おはよう、フェレラ」
フェレラに声をかけられたメイベルが、慌てて身体を起こした。フェレラに背中を預けたままだったのに気づいたのだ。
「さて、簡単に食事の用意をしましょう。フェレラたちも食べる?」
起き上がったメイベルが、さっそく調理の準備を始めた。それを見るフェレラが、
『メイベル。昨日、食べたばかりではないか。まだ食べるのか?』
などと不思議そうな顔で尋ねてくる。
「昨日食べたばかりって……。朝、昼、晩、1日に3回は食べるけど……」
『何っ!? 人間とは、そんなに食べてばかりおるのか?』
フェレラがメイベルの答えに驚いた。そのフェレラも身体を起こして、太陽に向かって手を大きく広げる。
周りを見まわせば、起きているドラゴンたちも同じ恰好で太陽を見ている。
ただカームだけが、今も身体を丸めて眠っていた。
「そんなにって……。じゃあドラゴンは1回食べたら、次はいつ食事するの?」
『そうじゃのう。魔法を使わなければ……じゃが、次の食事は半月後じゃ』
「半月!? そんなに食べないで、お腹空かないの?」
『腹など空かぬから食べぬのじゃ。2か月ぐらいなら食べなくても平気じゃ』
「うっわぁ〜。人間がそんなに食べなかったら、飢えて死んじゃうわね」
そう言いながら、メイベルは太陽に向かって手を広げているドラゴンたちを、珍しそうに見上げていた。
「ところで、フェレラ。みんなで何をしてるの? 何かの儀式かしら?」
『何って、日光浴に決まっておろう。温かくて気持ち良いぞ』
「日光浴?」
メイベルがドラゴンたちを見上げて「何のために?」という顔をしている。それに、
『ん……。ドラゴンは人間と違って、身体の中で熱を作らぬ。それゆえ、太陽で身体を温めて、体温を上げるのである』
と答えてきたのは、まだ身体を丸めているカームだった。
『ドラゴンは身体の中で体温を作らぬ。それゆえ、わしのような巨体であっても、1年に食べる量は人間の5倍から6倍で済むのだ。その代わり、太陽の光で体温を調節せねばならぬがのう』
そう教えてくれたカームが、大きなあくびをした。そして、
『ドラゴンの年寄りは、身体が大きいゆえに朝に弱いのである。若者は朝が早くて、うらやましいのう』
と零すと、またムニャムニャと言いながら目を閉じてしまった。そんなカームに、
「それ、人間とは反対ですね。人間はお年寄りの方が朝が早いですよ」
と微笑みながら言葉をかけたメイベルが、朝食を作り始める。
「なあ、メイベル。ドラゴンは、どうして歳を取ると朝に弱くなるんだ?」
「理由は簡単よ。身体が大きいから、その分、太陽を浴びても温まるまでに時間がかかるんでしょう」
水で溶いた小麦粉をフライパンで焼きながら、メイベルが簡単に解説する。
「あ、そういえば昨日の夜、カームさんだけ他のドラゴンたちが寝てる時にも起きてたわ。身体が大きい分保温が利いたから、夜更かしできたのかしらね?」
メイベルが作ったのは、簡単な無醱酵パンだった。その焼き立てのパンを、さっそくナバルが千切って口に運んでいる。
メイベルは作るのはパンだけにして、あとはナバルと同じように携帯食で済ませることにしたようだ。布巾でフライパンとボウル、ヘラを手入れして片づけると、ナバルの横に腰かけてビン詰めのフタを開けた。そして、その中身を無醱酵パンで包むようにして食事を始める。
『おう、そうだ、メイベルよ』
そこにまた目を開けたカームが声をかけてきた。
『昨晩は黄色いシャーマの話が途中であったな。あれから何かわかったことはあったかのう?』
カームはまだ眠そうにしている。それでも黄色いシャーマのことが気になるようだ。
「古文書に詳しく書かれてました。黄色いシャーマは毒草で、人間が食べると下痢、発熱、悪寒などの症状があって、量が多いと意識障害を起こすそうです。ドラゴンにも下痢と意識障害の症状が出るそうです」
『ふむ。まあ、その前に不味くて喰えたものではないがのう』
ゆっくりと身体を起こしたカームが、他のドラゴンたちと同じ恰好で日光浴を始める。
「それで、もっと気掛かりなことですけど、花粉にも微量の毒があるそうです」
『花粉にも毒であるか? それはどのような症状を起こすのであるか?』
「大量に吸うと激しい炎症を起こして、全身がただれるようなことが書かれてました。その前に花粉で洟水やくしゃみが止まらない症状が出るとか、発病する人には元々病気になりやすい傾向があるとか……。これを今の医学知識で解釈すると、花粉アレルギーになりやすい体質の人がいて、その人が花粉を大量に吸うとアナフィラキシーショックを起こして死ぬかもしれないという意味でしょうかねぇ。それとも毒素のせいなのか……」
求めに応じて古文書の内容を話したメイベルが、またビン詰めをパンで巻き始めた。
『花粉毒であるか。う〜む……』
やはり昨晩と同様、カームは黄色いシャーマに心当たりがあるようだ。
そんなカームを見上げながら、メイベルはビン詰めを巻いたパンを口に運ぶ。
「ん!? 何があった?」
その時、ナバルが山の上から何体ものドラゴンが編隊を作って、いっせいに南東の空へ飛び立っていく光景を見つけた。そのうちの1体が編隊から離れて、ナバルたちに向かって急降下してくる。
『長老。こちらにいらっしゃいましたか!』
急降下してきたドラゴンが、そう言って近くに舞い降りてきた。
『何かあったのであるか?』
『また人間たちが軍隊を送ってきました。それも、これまでの10倍。いや、20倍の規模はありそうです』
カームの質問に、報告に来たドラゴンが淡々とした口調で状況を伝えてくる。
『こちらからは先に手を出すでないぞ』
『それは重々承知して……』
報告に来たドラゴンがそう言いかけた時、遠くからド〜ンという号砲が聞こえてきた。
「まさか第5次調査隊じゃ……?」
メイベルが手近にあった高台へ駆け登り、音の出処を求めた。
その場所はすぐにわかった。ドラゴンたちの飛んでいった方向だ。ここからでは丘に隠れて見えないが、丘の向こう側から黒い煙が昇っている。それを見たカームが、
『どうやら人間たちに話し合う気はないようであるな』
と零した。
『緊急出動である。身体が温まってない者は、ただちに魔法で温めよ!』
岩場にいるドラゴンたちに向かって、カームが出撃命令を下した。
カームからすごい熱気が伝わってきた。魔法で巨体を温めているのだ。
そのカームを置いて、他のドラゴンたちが次々に飛び立っていく。そして、
『ナバルとメイベルよ。すまぬが、2人はこの場から動かないでくれぬか。それからパゲトン。おぬしはまだ幼い、よってこの場での留守番を申しつける。2人を頼むぞ』
と言い残して、カームも岩場から飛び立っていった。
『行ってらっしゃいだの』
小さなドラゴンが手を振って、カームたちを見送っている。
「ちょっと待ってよ!」
高台にいたメイベルが、待ったをかけながら駆け降りてきた。だが、すでにカームは天高く飛んでいったあとだ。
その間も丘の向こうから、ドンドンと大砲の音が聞こえてくる。その方向を悲しそうに見詰めて、
「このバカ! 何てことをしてくれるのよ!!」
メイベルが軍隊に向かって悪態を吐いた。
昨晩、ドラゴンたちと打ち解けて仲良くなった。それで山に調査に入ることを認められたのに、それが水泡に帰したかもしれない。
そんな努力を無にするバカ者たちを、メイベルは赦せない気持ちになっていた。




