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くじびき勇者さま  作者: 清水文化
3番札 誰が聖女よ!?
11/20

第3巻:第1章 少しだけ見えてきた

 フォルティアース大陸(たいりく)。それは北半球の(きょく)()から南半球の寒帯(かんたい)まで()び、中央にはまるで大洋のような巨大な内海(うちうみ)(かか)え込んだ(ちょう)大陸(たいりく)である。

 その内海より東側の一帯(いったい)を、王国(おうこく)連合(れんごう)帝国(ていこく)()(はい)している。東西3千km、南北に至っては1万kmを超える大帝国(だいていこく)である。この帝国を1つにまとめるのは、大陸でもっとも大きな宗教(しゅうきょう)であるソルティス教だ。そのため帝国を()べる皇帝(こうてい)はソルティス教の(だい)()(きょう)(つと)め、政治的な中心も大陸の東にある宗教(しゅうきょう)都市(とし)に置かれている。そのため帝国は(てい)()の名を取って『サクラス帝国』と(しょう)されることもある。

 もっとも大司教は皇帝を()ねた(きょう)(こう)としての地位を与えられてはいるが、(きょう)(だい)権限(けんげん)は何1つ持っていない。帝国を支配するのは連合に所属(しょぞく)する王国の代表者たちによって構成される帝国()(かい)である。

 帝国の中心となる帝都は、ソルティス教の総本山(そうほんざん)である(せい)サクラス(きょう)(かい)を中心に広がっている。その中心地である聖サクラス教会は、白い(へい)(かこ)まれていた。(しき)()の真ん中には大きなドームのある大聖堂(だいせいどう)が建てられている。その大聖堂の東側に事務(じむ)関係(かんけい)()(せつ)が並ぶ一角がある。そこにある建物の1つに、メガネをかけたやや丸顔の少女が入っていった。

 少女は半袖(はんそで)で明るい灰色の(しゅう)道服(どうふく)を着ていた。見習い修道女の着る夏服だ。少女の(ひだり)(そで)には金色(きんいろ)(ふち)()られた(そで)(しょう)がつけられている。袖章に(えが)かれているのは、1枚のお皿の上で交差させた1組のナイフとフォークである。

「すみません。今日もメイベルからの手紙が(とど)いてるでしょうか?」

 建物に入った少女が、そう言ってカウンターの中で(はたら)(しょく)(いん)に声をかけた。

 少女の入った建物は聖サクラス教会と帝国議会に集まる郵便物(ゆうびんぶつ)(あつか)(しゅう)(はい)()(せつ)である。

 カウンターの前には、少女の前に先客がいた。どこか軽薄(けいはく)さを(ただよ)わせる近衛(このえ)(たい)青年(せいねん)()(かん)だ。その青年士官が、

「おお、これはメイベルちゃんの友人Aくんではありませんか。()(ぐう)ですね」

 と言いながら、少女に近づいてくる。

「あれ、クラウさん。どうしたのですか?」

(ぼく)は帝都の()(あん)を守る者として、見まわりに立ち寄ったところですよ。見まわり……」

 少女の質問に、青年士官クラウがさわやかに白い歯をキラキラさせながら答えた。

 そのクラウを少女が(うわ)()(づか)いでジッと見詰(みつ)める。

「ところでクラウさん。わたしの名前はパセラ・アヴィシスです。いつまでも友人Aで呼ばないでください。でないと、わたしもクラウさんを、クラウ・アキロキャバスさんって呼んじゃいますよ」

「うわっ。そんな庶民的(しょみんてき)な呼び方はやめてください!」

 少女パセラの反撃(はんげき)に、クラウがめまいを起こしたような()(ぐさ)で待ったをかけてきた。そして軽く姿勢を正して、

「僕にはロード・クラウ・アスピス・リ・フローレス・ド・アキロキャバス・ユーベラスという立派な名前があるのです。()(ぞく)たる者、その(ほこ)りにかけて、名前はみだりに(りゃく)してはならないのですよ」

 と、パセラに(うった)えかける。クラウは王国連合帝国で最大の貴族であるユーベラス公国のアキロキャバス公王の三男坊(さんなんぼう)。そして帝都を守る近衛(このえ)()兵隊(へいたい)(しょう)(たい)(ちょう)なのだ。

「なるほど。いつまでも友人Aくんと呼ばれるのはご不満なのですね。友人Aでは名もなき(とう)(じょう)人物(じんぶつ)となるのが気に喰わないというわけですか」

「あのぅ、登場人物って……?」

 クラウの意味不明な発言に、パセラがきょとんとした表情になった。その前で、クラウがぽんと手を打って、顔をパセラに向けてくる。

「わかりました。それではお望み通り呼び方を変えましょう。友人Pくんと……」

「友人Aでいいです……。はぁ〜…………」

 クラウの物言いにパセラが負けてしまった。がっくりと肩を落とし、見せつけるように深く長い()(いき)()いている。

「あら、パセラ。そろそろ来るころだと思ってたわ」

 そこに(ちょう)簿()(かか)えた、金髪(きんぱつ)で赤い(ひとみ)の少女が近づいてきた。

 少女は見習い修道女の着る灰色の服を身につけていた。(ひだり)(そで)には(よう)皮紙(ひし)のような絵が()かれた金縁(きんぶち)(そで)(しょう)がついている。羊皮紙の絵のある(そで)(しょう)は、事務(じむ)などを受け持つ(しょ)()(がかり)の意味だ。その彼女の袖章には、羽ペンを思わせる絵が1つ(かさ)ねて描かれている。

「メイベルからの手紙、今日も(とど)いてるわよ。ちゃんと取り置きしておいたわ」

 そう言った少女が、持ってきた帳簿をカウンターに置いて広げた。その間に1通の封筒(ふうとう)(はさ)まれている。その帳簿を広げた少女が顔を上げ、

「と、その前にクラウ。まだいたの? いい加減、仕事に戻ったら?」

 と、クラウに冷たいことを言った。

「レジーナちゃん。僕は帝都の治安を守る者として……」

「だったら、こんなところで油を売ってないで、(まち)を見まわった方がいいんじゃない?」

 クラウの言い訳に、少女レジーナがまっとうな意見を返してきた。それに反論できず、クラウが(ほお)を引き()らせている。そのクラウに見せつけるように、レジーナが手紙を指に(はさ)んでひらひらさせた。そして、

「見まわりが本当の理由だったら、今すぐに街へ見まわりに行く。それとも、他に理由があるのかなぁ〜?」

 と、意地(いじ)(わる)っぽい表情を浮かべてきた。

「すみません。メイベルちゃんの手紙が目当てで、ずっと待ってました」

「お〜っほっほっほっ。思った通りね」

 頭を下げるクラウの前で、レジーナが手の甲を口に当てて勝ち(ほこ)ったように笑う。だが、それも一瞬のこと。すぐに、

「まあ、人間、()(なお)なのが一番よ。本能に素直すぎるのも困るけどさ」

 と言いながら、持っていた手紙をパセラに渡した。

「レジーナ。ペーパーナイフがあったら、貸してくださいませんか?」

「ペーパーナイフ? あるわよ」

 パセラの求めに、レジーナがカウンターの内側にある(つくえ)()き出しからペーパーナイフを出してきた。そして刃の方を持ってパセラに()を向ける。

「さて、今日のメイベルからの手紙は……」

 (ふう)を開けたパセラがペーパーナイフをレジーナに返して、出した便箋(びんせん)を広げた。

「『パセラ、元気にしてる?』」

 さっそくパセラが手紙を読み始める。手紙の差出人は、(きゅう)(せい)の旅に(じゅう)(しゃ)として旅立つことになったパセラの大親友(だいしんゆう)だ。だが……。

「『今日は8月……』。あのぅ〜、クラウさん……」

 横から(のぞ)き込んでくるクラウに気が散って読むのをやめてしまった。そのパセラが、

「クラウさん。わたしはあとで読みますから、どうぞ先に読んでください」

 と言って、あきれた表情を浮かべて手紙を渡す。

「いいの、パセラ?」

 今のやり取りを見ていたレジーナが、カウンター越しに尋ねてきた。そのレジーナに、

「別に検閲(けんもん)されて困るようなことは書いてないと思います」

 と答えて、パセラがはかなげな笑みを浮かべる。

「ところで、第5次調(ちょう)()(たい)選抜(せんばつ)は、もう決まった頃でしょうか」

 パセラがカウンターに(りょう)(ひじ)を置いて、レジーナに質問を投げかけてきた。クラウが読み終わるまで、雑談(ざつだん)をしながら時間を(つぶ)すつもりだ。

「5次隊? そう言えば()神託(しんたく)を始めてから、今日で4日になるわね」

 レジーナがそう答えながら、建物の外に顔を向ける。

 (しゅう)配所(はいじょ)の前は大聖堂である。その大聖堂の上にあるドームの最上階では今、ソルティス教の(きょう)()にのっとった御神託の()(しき)(おこな)われているのだ。

「正式な御神託は時間がかかるからね。下手(へた)したら何か月も続くわよ」

 そう答えたレジーナが、視線をパセラに戻してきた。

「4次隊までは(ちゅう)(せん)で決めてたのに、どうして急に御神託に変えたのでしょうか?」

「それは当然、(ちゅう)(せん)で決めた結果、失敗が続いたからでしょ。(ちゅう)(せん)よりも御神託の方が、神さまのお(みちび)きを正しく読み取れるものね。自然な流れだと思うわ」

 パセラの疑問に、レジーナが簡単な推測(すいそく)を返す。

「そうなのですが? (ちゅう)(せん)でも御神託でも、くじびきには変わりないでしょう?」

「やってることから大違いよ。御神託は神通力(じんつうりき)を持つ神官たちがくじを引くのよ。ここが大きく違うのよね。って……」

 説明するレジーナの表情が、不意にジト〜ッとした目つきに変わった。

「あのね、パセラ。あんた、見習いでも修道女でしょ。それも聖サクラス教会に集められた。そのあんたが、こんなことも知らないでどうするのよ?」

「あぅ。そう言われるとその通り……ですけど……」

 パセラが口許(くちもと)を手で押さえて、困った表情を浮かべた。それでも、

「あのぅ、もう少しだけ……。(ちゅう)(せん)で決めるくじびきは、神さまのお(みちび)きを正しく読み取れないのでしょうか?」

 と、疑問に感じたことをレジーナにぶつけてみる。

「あんたねぇ。そんな基本的な質問を……」

 レジーナが()(むずか)しそうな表情を浮かべて、重い()(いき)()いてみせた。

(ちゅう)(せん)でも何でも本当に選ばれる人は、神さまから当たりくじを引くように神通力を与えられるって話でしょ。だから、けして悪い選び方じゃないと思うわ。それどころか時間をかけなくて済むから、急ぐ時には(ちゅう)(せん)で選ぶのが一番よ」

「でも、選ばれるべき人の前に、神通力のない人が当たりを引いちゃったら……」

「あんたも屁理(へり)(くつ)言うわね」

 パセラの一言に、レジーナが苦笑いする。

「たしかに(ちゅう)(せん)ではそういう事故(丶丶)が起こるかもしれないわ。そこで本番のくじを引く前に、引く順番をくじで決めることがあるでしょ。まあ、調査隊を決めるくじびきの時は、順番を決めるくじびきはしてなかったわけだけど……」

 そう答えたレジーナの目が、パセラの後ろに向かった。

「クラウ。まだ手紙読んでるの? そんなにたくさん書かれてるのかしら?」

 レジーナがカウンターに身を乗り出すような恰好(かっこう)で、クラウに声をかけた。

「書かれてることは便箋(びんせん)2枚ですが……」

 手紙から顔を上げたクラウが、困った表情を向けてきた。そしてマジメな顔で、

「友人Aくん。僕はきみを尊敬(そんけい)します」

 と言ったクラウが、手紙の文面もパセラに向けてくる。直後、

「僕にはメイベルちゃんの書いた文字が読めません。っていうか、これはどこの国の文字ですか? 時々見かけるような気はしますけど、(なぞ)の文字ですよ」

 と文字を指差しながら泣き言を零してきた。

「ええ!? 読めないのですか? メイベルの字は()(れい)で読みやすいと思うのですけど」

 パセラが口許(くちもと)を押さえて、クラウの指差す文字をジッと見詰めた。

 その文字を一緒に見るレジーナが、

「クラウ。どこの国の文字も何も、それ、アルファベットの線文字じゃないの」

 と、あきれた声で言った。

「線文字ですか? アルファベットには大文字と小文字しかなかったと思いますが」

「アルファベットには大文字のアルテース文字と小文字のユーベラス文字の他に、線文字とか中文字と呼ばれるシルヴ文字があるのよ。知らなかったの?」

「だ、第3のアルファベットがあったのですか……。それは僕の勉強不足でした……」

 (うつ)ろな表情になったクラウの目が、ふらふらと何もない(ちゅう)(およ)いでいる。そんなクラウを見てくすっと(ほほ)()んだパセラが、

「メイベルはシルヴ侯国(こうこく)南部のレヴァイン地方出身ですから、シルヴ文字を一番よく使うのです。それにしてもクラウさんが線文字をご存じでなかったなんて意外でした」

 と、手紙に書かれた文字のことを教えた。

「クラウ。アルファベットなんてたった21文字なんだから。貴族のたしなみとして覚えておきなさいよね。なんか知らないけど、ユーベラス地方とかグレーシィ地方とか、帝都の周りではシルヴ文字を()(きら)って、覚えようとしない人が多いんだけどさ」

 レジーナがそういう物言いで、()えてクラウに覚えようとしない逃げ道を用意する。

 世の中には言い訳ではなく、信念(しんねん)から何かを覚えようとしない人もいるからだ。

「それでは、わたしが手紙を読みますね」

 クラウから手紙を受け取ったパセラが、向きを正してからコホンと咳払(せきばら)いした。

「『パセラ、元気にしてる? 今日は8月28日。くじびきで行き先なんか決めてるせいで、またまた水の都マゼリオンに戻ってきちゃったわ。今回はグレーシィ地方南部の運河を8日かけてぐるりと1周しただけ。まったくバカみたいな話よね。でも、また前に()まった教会とは違うの。最初はマゼリオン中央教会で、次に来た時は北教会。で、その次は聖アルバ教会で、昨日(きのう)泊まったのは西教会なのよ』」

「おやおや。岩の山脈を越えるまでは順調だったのに、グレーシィ地方に入ってからは迷走(めいそう)しまくりではありませんか」

 クラウが頭の中に地図を思い浮かべて、大きく肩をすくめた。

 手紙の主メイベルの旅の行程(こうてい)は、帝都サクラスからかなり直線的に北西へ向かって続き、岩の山脈を越えたオーマンドの町まで達している。だが、そこから先はいきなり迷走を始め、グレーシィ地方の真ん中にある水上都市マゼリオンを()(てん)にするように、北へ行って、東へ行って、そして今度は南へ行って戻ってきていたのだ。まるで地図の上に一筆(ひとふで)()きで()()の絵を(えが)いたような(けい)()である。

「『この調子だと、いつ竜の山脈にたどり着けるか不安だわ。マゼリオンから目指してる竜の山脈のふもとの町ヴァレーまで、運河を使えば3日で着くのにね。まあ、その話は横に置いといて、またマゼリオンの図書館で調べ物ができたから、ちょっと満足できたわ。マゼリオンの図書館はサクラスの(きゅう)(てい)図書館に負けないぐらい本があるから、時間があったら入り(びた)ってみたいわね。それじゃ、そろそろ旅立ちの神事が始まるから、今日の手紙はこれで終わりにするわ。メイベルより』と、以上です」

 手紙を読み終えたパセラが、便箋(びんせん)を折りたたんで封筒(ふうとう)の中へ戻した。

「メイベルちゃんとナバルの救世の旅。まだまだ大変そうですね」

 クラウがそう(こぼ)して、ふうっと軽く息を()く。その言葉に、

「そうですね。でも……」

 と受けたパセラが、窓から議事(ぎじ)(どう)のある方角に目を向けた。

()神託(しんたく)でメイベルとナバルさんにすべてを(まか)せて旅立たせたはずでしょう。なのに、どうして調査隊の()(けん)を続けるのでしょうか?」

「ん? そう言われてみると、気になるわね」

 パセラの疑問に、レジーナも(はじ)めて事の不自然さに気づいたようだ。ただクラウは、

「有事においては、複数の()(さく)を同時並行(へいこう)で進める。何もおかしいと思いませんが……」

 2人の感じる疑問を、まったく不自然とは思っていないようである。

「その件、ちょっと調べてみるわ」

 レジーナが広げていた(ちょう)簿()を閉じて、そんなことを言う。

「どうするのですか?」

「今日のお昼、お父さまとクリプトンおじさまと一緒にお食事することになってるの。その時にちょっと(さぐ)りを入れてみるわ」

 パセラの質問に答えるレジーナが、腰に手を当て凛々(りり)しくポーズを決める。

「小テルル(きょう)とクリプトン(きょう)とお食事ですか。さすがはテルル公王の(まご)(むすめ)レジーナ・ラ・ルース・ド・テルル・アイシア・アルテースですね」

「今はただの見習い修道女(シスター)レジーナ・テルルよ」

 クラウの言葉を、レジーナが訂正(ていせい)して髪をぱさっと()き上げた。



 さて、3人の話題になっていた2人──(きゅう)(せい)の旅に出た勇者(ゆうしゃ)(じゅう)(しゃ)は今、(てい)()サクラスより西北西へ約2,600km(はな)れた(へん)(きょう)田舎(いなか)(まち)にいた。

「まだ暑さの残る季節とはいえ、山の中は思ってた以上に冷え込むわね」

 山道を登ってきたメイベル・ヴァイスが、そう言って後ろを振り返った。

 山は深い森に(おお)われていた。ふもとの森の青い葉が強い陽射(ひざ)しを()り返して、ところによっては白や黄色に(かがや)いている。だが、()(せん)を山の上へ向けると森は赤や黄色に色づき、これから少しずつ冬に向かっていくことを予感させていた。

 山は全体に丸みを()びている。だが、山頂付近には岩肌(いわはだ)()(しゅつ)した場所が多い地形だ。

「出る時に冬服を着るように言われたのは、こういう事情があったからなのね」

 そう(こぼ)しながら、メイベルがまくっていた(そで)を伸ばした。

 延々(えんえん)と続く山道が、ふもとの町へと続いている。その先は青々とした大草原。いや、正しくはどこまでも広がる水田や麦などの畑だ。小さな()(ふく)はあるものの、地平線が見渡せるほど大きな平原地帯である。そこには灌漑(かんがい)と物流のために(きず)かれた運河や水路が、まるで(あみ)()のように張り(めぐ)らされていた。

「ほう。けっこう登ってきたんだな」

 メイベルが立ち止まったことに気づいて、ナバル・フェオールも少し先で足を止めた。

 山から吹き下りてくる風が木々の葉を揺らし、さわさわと葉がすれの音を立てている。

 この2人が帝国から救世の使命を()びて旅を続ける勇者と従者だ。勇者のナバルは近衛(このえ)()(かん)の服を着た(けん)()。従者のメイベルは青い(しゅう)道服(どうふく)を着たソルティス教の(しゅう)道女(どうじょ)である。

 2人が帝都サクラスを旅立ってから、今日までに47日の時が流れていた。

 ナバルは勇者の(あかし)として腰に勇者の(けん)(たずさ)えている。メイベルも従者の(あかし)として、左手に従者の(つえ)(にぎ)っていた。

正修道女(レディ)メイベル。(つか)れましたか?」

 その2人を、赤い修道服を着た修道女が先導(せんどう)していた。(りん)とした印象が強く、年齢(ねんれい)()(しょう)(かん)のある女性である。その修道長の手には、大きなバスケットが()げられていた。

「いえ、修道長(マスター)クラーナ。少し道端(みちばた)の花を見てただけです」

 そう言って、またメイベルが坂を登り始めた。

「そうですか。お2人にお見せしたい()(せき)は、もう少し先にあります。あそこの尾根(おね)を越えれば見えてきますわ。あと20分ほどで着きますよ」

 メイベルが登ってくるのを待っていた修道長が、再び歩き始める。

「今日はせっかくの(きゅう)(よう)()でしたのに、山にお()れしたのは失礼だったかしら?」

「いえ、そんなことはありません。初めて見る草木が多いので、わたしとしては(ねが)ったり(かな)ったりですよ。帰り道ではたくさん持ち帰ることになりそうで……」

 などと答えたメイベルが、持ってきた(しょく)物採(ぶつさい)(しゅう)キットを手でなでながら目を少し上に向けた。山道の上に小枝が垂れ下がってきている。枝になった実が色づき、重みでしなっているのだ。その実を小枝に()まる2羽の小鳥たちが、首を伸ばしてついばんでいる。

 その小鳥たちがメイベルの視線に気づいて、()てて飛び去っていった。それで小枝が激しく揺れ、ついばまれていた実が地面に落ちてぐちゃりと(つぶ)れる。

 その様子をしばらく目で楽しんだメイベルが、また先に進んだ2人を追いかけていく。

「お2人が風の町アウラスに来られ、しかも旅立ちの神事で休養日を選ばれたのは、きっと神さまのお(みちび)きですわ」

「なんか知らんが、くじの前に手をかざすと、選ぶべきくじに吸い寄せられるんだ。これは勇者となった俺の手に、神が宿(やど)った(しょう)()ではないかと思ってる!」

 修道長の言葉に、ナバルが意味もなく(じょう)()(げん)に答えた。

 勇者と従者に選ばれた2人は教会から出発するごとに旅立ちの神事を(おこな)い、次に向かう教会のある町をくじびきで決める旅を続けてきた。そして今、2人は最終目的地と考えていた(りゅう)(さん)(みゃく)にたどり着いていたのだ。

 もっとも、本当の目的地であるヴァレーの町は、ここから800km以上も南にある。2人がたどり着いたのは同じ竜の山脈でも、北端(ほくたん)のふもとにあるアウラスの町だった。

「はぁ〜。思い込みって(こわ)いわ……」

 とは追いついてきたメイベルの(なげ)きだ。だが、

「それはどうかしら? 本当に宿(やど)っているのかもしれませんわ」

 と修道長が言ってきた。

「本当にって……?」

「ところで、お2人さま。今朝(けさ)礼拝(れいはい)でのお言葉で、まだ旅の使命を果たす方策(ほうさく)を何1つ(つか)まれてないと話されてましたが、漠然(ばくぜん)とでも足がかりは見えてないのですか?」

 メイベルと修道長の言葉が(かさ)なった。それで質問をさえぎられる形になったメイベルが、

「それが、まださっぱり……」

 と、先に答える。

「勇者さまは?」

「俺の脳ミソは、考えるようにはできてない!」

「……あの、そんなにキッパリ答えられても……」

 質問した相手が悪かった。質問した修道長もあきれて、その場で(あゆ)みを止めてしまう。

 そこにまた山から風が吹き下りてきた。

 木々がざわめき、風の動きが木の葉の照り返しの変化で見て取れる。その風で生まれた白い帯が、山のふもとにある町へと移動していった。その町には数多くの風車があり、風を受けた羽根が(いきお)いよくまわっている。

 そこがナバルとメイベルが昨晩(さくばん)()まった町アウラスだ。グレーシィ地方の北西のはずれにある、小さな田舎(いなか)(まち)である。そこは西側にある山から常に強い風が吹き下りてくるため、風の町とも呼ばれている。

「それはそうと今日の礼拝は、久々(ひさびさ)大盛(だいせい)(きょう)でしたわ。信者さんたちがあれほど集まったのは、いつ以来かしら?」

 話題を切り替えて、修道長がまた歩き始めた。

「やはりみなさん、勇者さまと従者さまのお言葉が聞きたいのですね。しかもメイベルさんはソルティス教の総本山(そうほんざん)(せい)サクラス教会に(せき)を置く若き正修道女(レディ)ですもの。しかもお()(れい)な上に宮廷料理人(ゴールド・オニオン)、それもタマネギ3個(スリー・オニオン)という高い(くらい)にあるでしょう。信者さんたち、お声を聞けただけでも(おお)(よろこ)びでしたわ」

 そう言いながら、修道長がメイベルの(ひだり)(そで)に目を向けた。二の腕に付けられているのは、金で(ふち)取られた(そで)(しょう)だ。そこには大きな(なべ)と3個のタマネギの()(がら)()き込まれている。

「それだけでも喜ばしいことでしたのに、メイベルさんのお話もまた期待を裏切らない素晴(すば)らしいものでしたわ。お題目(だいもく)聖者(せいじゃ)ナッシュビルの書き(しる)した『強き運の書』でしたわね。聖典(せいてん)確率(かくりつ)統計学(とうけいがく)(もと)づいて(かい)(しゃく)すると、とてもわかりやすい内容だったのですね。聖者ナッシュビルは元は数学者でしたから、なるほどと感心させられましたわ。彼の書は聖職者でも読み()ける人が少なかったので、今日(きょう)のお話は大変に大きな(しゅう)(かく)でした」

「あはは。そう言っていただけると、話したかいはありましたかね?」

 修道長の言葉に、メイベルがはにかんだ()みを浮かべる。そのメイベルに、

礼拝嫌(れいはいぎら)いだったメイベルさんが、この旅の間にすっかり礼拝(じょう)()になったよな」

 とナバルが茶化してきた。そのナバルに、メイベルが(うら)めしそうな視線を向けている。

「それで……ですね、メイベルさん。もしよろしかったら、明日(あした)は同じ聖者ナッシュビルの記した『(うら)()の書』を語っていただけませんか」

「『裏目の書』ですか?」

 修道長の言葉に、メイベルが複雑(ふくざつ)な表情を浮かべた。

「すみません。『裏目の書』に書かれてる内容はどうも()(くつ)として信じられないので、わたしとしてはあまり語りたくないと言うか……」

「あら、そうですの? それは残念ですわ」

 軽く嘆息(たんそく)した修道長が、大きく肩を上下させてみせる。

「メイベルさん。『裏目の書』に何か変なことが書かれてるのか?」

 並んで歩くナバルが、うっかり()(もん)を口にしてしまった。質問されたメイベルの目が、キラリと(かがや)きを(はな)つ。

「聖者ナッシュビルの書き残した2つの書は、どちらも数学の知識なしで読み()くのは(むずか)しいものなの。特に『強き運の書』は今でいう確率(かくりつ)統計論(とうけいろん)線形(せんけい)計画(けいかく)()(ろん)、ゲーム理論を800年前の古い数学知識で語った、バリバリの数学書よ。で、もう1つの『裏目の書』も確率統計論が使われてて、中心に語られているのは、多くの人にとって当たりくじを引き当てる確率は、理論的に期待できる確率よりも低くなるという法則なの」

 解説を始めるメイベルの右手が、元気にくるくると回り始めた。

「これを聖者ナッシュビルは実験で徹底的(てっていてき)に確かめたらしいわ。それで誤差(ごさ)(はん)()からはみ出すのは、(つね)()(ろん)()よりも低い側だったの。ところが、ごく(まれ)に高い確率で当たりを引き当てる人がいたらしいのよ。そこで聖者ナッシュビルは、ほんの一握(ひとにぎ)りの人たちのくじ運が高いのは、その他大勢の人たちから少しずつくじ運を寄せ集めてるんじゃないかという仮説を立てたのよ。このくじ運を集める力を神通力(じんつうりき)と呼んでるの」

「……神通力……ねぇ……」

 解説を聞かされるナバルが、(うつ)ろな表情を浮かべていた。それを見たメイベルが、

「それじゃ、『裏目の書』をわかりやすく宝くじで説明するわ」

 と、説明のやり方を変えてくる。

「1万枚に1枚だけ9,000倍になる大当たりと、10枚に1枚だけ1倍の小さな当たりのある宝くじがあったとしましょう。これをすべて買えば買った(がく)と同じ額が戻ってくるわ。そこで、この宝くじで期待できる(はら)(もど)しは買った額と同じだけ返ってくる1倍になるの。これは買っても買わなくても同じ。運が良くも悪くもない状態ね。理解した?」

「うん、たぶん……」

 ナバルが計算をすっ飛ばして、取り敢えず理解したことにする。

「だけど、この宝くじの大当たりは1万枚のうち1枚しかないし、宝くじのすべてを買うなんてできないでしょう。だから多くの人にとっては、大当たりを除外(じょがい)した部分が本当の意味での期待できる払い戻し額になるの。つまり宝くじを買ったら、その瞬間から10分の1倍しか期待できないってことね。これ、聖者ナッシュビルの言ってる、理論値よりも実際の結果が低くなる現象に似てるでしょ」

「すまん。勘弁(かんべん)してくれ。俺にはさっぱりわからん……」

 ()(けん)にシワを寄せたナバルが、とうとう逃げ出してしまった。山道を先に進むナバルの背中に向かって、

「もう……。ナバルさんは説明のしがいがないわね」

 とメイベルが不満をぶつける。とはいえ、少しは解説(かいせつ)できたせいか、どこか(じょう)()(げん)な表情だ。説明が無駄(むだ)(ぼね)に終わったことを何も気にしたような様子もない。

「あ、そうだ」

 不意にナバルが立ち止まって、後ろを振り返ってきた。そして、

「わけのわからん話で聞き(そこ)ねたが、どうしてそんな数学書が聖典とされてるんだ?」

 と、知りたかった部分だけを尋ねてくる。

「そうね。ソルティス教はくじびきで物事を決めようとしてるけど、くじびきで(あん)()に決めると悪い結果を(まね)くという警告(けいこく)が書かれてるからかしら。まあ、もう1つの世の中にはくじ運の強い人がいるという仮説が書かれてるせいかしらねぇ。神の導きで()いくじを引く、神通力を持つ人がいるという論拠(ろんきょ)になってるから……」

「なるほど。つまり勇者である俺が正しいくじを引き続けるのは、神から神通力を(さず)かったからなのだな!」

「誰もそんなこと言ってないわよ」

 ナバルの勝手な(かい)(しゃく)に、メイベルが立ち止まって大きな()(いき)()く。そして、

「それに、わたしは神通力なんて信じてないわ。実験の結果が理論的な確率よりも低くなる理屈として、どうして神通力が出てくるのか。そのあたりの論理の()(やく)納得(なっとく)できないのよね。だから『裏目の書』は数学書としては()(たん)なのよ」

 と言って、先を行くナバルに(うら)めしそうな視線を向けた。

「あらあら、それだけお(くわ)しいのでしたら、是非(ぜひ)とも明日(あした)の礼拝では『裏目の書』を語っていただきたいですわ」

 そこにそんなことを言ってきたのは、一足先(ひとあしさき)尾根(おね)の上に着いていた修道長だった。その修道長が後ろを振り返って、2人の到着を待っている。

「おおっ。あれは何の遺跡だ?」

 先に追いついたナバルが、尾根の向こうに見える光景に驚きの声を上げた。その声に、

「ナバルさん。何かあったの?」

 (こう)()(しん)()(げき)されたメイベルが駆け出していく。

「うわぁ〜。何よ、あれ!? まるで廃虚(はいきょ)になった大都市じゃないの!」

 尾根に着いたメイベルの目に、巨大な()(せき)の姿が飛び込んできた。

 遺跡は森に()まれて、部分部分しか見えない。だが、山の斜面一体(しゃめんいったい)に遺跡が広がっている様子から、そこがかつて大きな街であったことを物語っている。

修道長(マスター)クラーナ、あの遺跡は?」

「今から9世紀ほど前、ドラゴンによって最初に(ほろ)ぼされたと伝えられる(みやこ)です」

「最初に滅ぼされた都だって?」

 ナバルが(おどろ)いた顔で遺跡に目を向けた。

 遺跡はかなり広い範囲に散らばっている。山の斜面に作られた都。しかも中央に大きな建物があり、その周りを囲むように広がる都の姿は、規模(きぼ)こそ小さいが、まるで王国連合帝国の帝都サクラスを思わせる姿だ。

 その街の作られた斜面は、山肌(やまはだ)に沿って中央がくぼんでいる。そこには(さわ)があったと思われるが、昔の人はその沢に流れる川を上流で()き止め、水を地下の用水路に流して動力として利用し、また飲み水としても使っていたようだ。そんな(せき)が遺跡の上の方に3つあり、今でも水を満々(まんまん)(たた)え続けている。

「アウラスの町に残る古い言い伝えによれば、今から千年ほど前に水車を動力とするようになった人類は、町を平地から山の斜面へ移すようになったそうです。あそこに見える遺跡は、その中でももっとも早く作られた水力都市になるそうですわ。その証拠とされているのが、都の名前が始まりの町という意味のプリモと呼ばれていることです」

「古代都市プリモ……」

 話を聞いていたメイベルが、遺跡を見詰めたまま都の名前を(つぶや)いた。

「都の成り立ちはどうでもいいよ。気になるのは、どうして都がドラゴンに襲われたのか、そのわけだ」

「さあ、それはどうしてかしら?」

 結論を()かしてくるナバルに、修道長が説明に困った顔をする。その修道長が、

「わたしは歴史にはまったく(くわ)しくありませんわ。ただ今朝(けさ)の旅立ちの神事で、今日は旅立たないと決まりましたでしょう。それでお2人にあの遺跡を見ていただいたら、ひょっとしたら何か使命を果たす糸口のようなものが(つか)めないかと思い立ち、ご案内しようと考えましたの」

 と遺跡に案内する理由を明かしてきた。

「ところで勇者さま。人は本来、どのような場所に住む生き物と思いますか?」

「人の住む場所!? 家……じゃないのか?」

「ナバルさん。質問の意味が違うわよ」

 ()でボケるナバルに、メイベルが軽いツッコミを入れる。そのメイベルが、

修道長(マスター)クラーナ。ご質問の住む場所は、人が文明を持つ以前の話でしょうか?」

 と質問の内容を確認してきた。そんな2人をのやり取りを、

「うふふ。質問が漠然(ばくぜん)としすぎてましたわね」

 と笑いながら、修道長が見ている。

「文明を持つ以前って、俺が生まれる前の話だろ。俺が知ってるわけねえよ」

「あらあら」

 きっぱりと()考放(こうほう)()したナバルの答えに、修道長が困った顔で肩をすくめる。

「先ほどの質問ですが、言い伝えによれば人は平地の生き物です。それに対してドラゴンは山の生き物。互いに住む場所が違ったおかげで、人とドラゴンは有史以前から長い間、対立することなく共存してきたとされています」

 話を元に戻した修道長が、語りながら遺跡へ向かうゆるやかな坂道を下りていった。

「その間に人は伝説(でんせつ)で語られているように、多くのことをドラゴンから学んだのではないでしょうか。伝説の通りであれば、学んだのは言葉や文字、農業、天文学(てんもんがく)幾何(きか)(がく)などです。もしもドラゴンと交流することがなかったら、人は文明を持つこともなく、今もまだ野生生物と変わりない暮らしをしていたのかもしれません」

「と言っても、所詮(しょせん)は伝説の話だろ」

 修道長の話に、ナバルがそんな横槍(よこやり)を入れてきた。それに修道長が、

(おっしゃ)られるように、ドラゴンから何かを学んだというのは、ただの伝説かもしれません。残念ながら記録の多くがその後の(じん)(りゅう)戦争(せんそう)で失われたため、今では知る人がほとんどいないそうですから……」

 と答えて、軽く苦笑する。

「それで(おそ)われた理由ですが、町に残る古い言い伝えでは水車を使うようになった人類が平地から山へ移り住むようになったため、それでドラゴンの住む場所を(おか)すこととなり、人竜戦争が始まったとされています」

 そう話している間に、3人は遺跡の入り口になる(くず)れた門のところにたどり着いた。

 都を(かこ)(かべ)は周りにある木々よりも低い。だが、それでも(ゆう)に12〜3mの高さがある。表面をツル植物に(おお)われて崩れ落ちたところもある。その表面には今も白いモルタルが残っている様子から、ここに都があった当時は真っ白な壁が都を囲んでいたようだ。

 崩れた門のがれきが邪魔になって、門から遺跡の中へ入ることができない。そこで修道長は、2人を壁が崩れて入ることのできる場所へと案内した。

「すげえ。まだ住もうと思えば住めるんじゃないか?」

 都に入ったナバルが、中の様子を見てそんなことを言い出した。

 (いし)(だたみ)(おお)われた大通りは、今もほとんど雑草(ざっそう)()えないまま当時の姿を(とど)めていた。とはいえ建物の方は(いた)みが激しい。屋根が崩れ、家の中から木が生えているのだ。その木の根で持ち上げられた石畳の間から、雑草が顔を出している。他の場所では木の根が地下を流れる水路を(ふさ)いだのだろう。()んだ地下水があふれて出ている。その水の流れに沿って(こけ)や水草が生えていた。都が(ほう)()されてから数百年。植物たちがゆっくりと時間をかけて、廃虚(はいきょ)を壊し続けている。

「ナバルさん。あれ……」

 メイベルがナバルの(そで)(つか)んで、通りの先に見える建物を指差した。

「ありゃ、いったい……」

 メイベルの示す建物を見て、ナバルが()(げん)そうな顔になった。

「あれ、ドラゴンの炎に焼かれたんじゃないのかな?」

 そう言いながら、メイベルが問題の遺跡に近づいていく。

 その建物の表面には、まるでただれたような跡が残されている。ただれの見た目は、ガラスのような光沢がある。熱に()かされて壁が流れたような(あと)だ。その表面には沸騰(ふっとう)して()(ほう)ができたようなブツブツが残されている。

「あそこにあるのは、爆発した跡かしら?」

 ブツブツを指で(さわ)ってみたメイベルが、通りの先にある広場に木々が(みっ)(しゅう)している場所を見つけた。

 広場にはいくつものすり(ばち)(じょう)のくぼみができている。そこは生け(がき)とはまるで違う。上を覆っていた石畳が吹き飛ばされ、下の土が()(しゅつ)したような形だ。規模(きぼ)こそ大きいが、帝都サクラスでテロ事件があった時に見た爆発跡に、形がよく似ている。

 そのくぼみの底に見える土から、木々が(きそ)うように生えているのが今の姿だ。

「あの置き物に、何か書かれてるわね」

 広場に岩を()した作り物がいくつも置かれていた。その中でももっとも大きな作り物の横に、()ったのか銘板(めいばん)()めたのかはわからないが、文字らしきものが見て取れる。

「何て書かれてるんだ?」

「さあ、わたしには読めませんわ。ドラゴンの使う文字という話ですけど……」

 ナバルの疑問に、修道長が肩をすくめてみせる。

「『人とドラゴンが、いつまでも()隣人(りんじん)であらんことを』……」

「メイベルさん。読めるのですか?」

 メイベルがぽつんと(つぶや)くのを聞いた修道長が、(おどろ)いた声で尋ねてくる。

「読めるも何も、これ、少し形が違いますけど線文字ですよ。アルファベットが28文字ある時代の古い文字ですけど読めませんか? それなりに読めると思いますが……」

「線文字? 聞いたことありませんわ」

 メイベルの言葉に、修道長が(ほお)に手を当てて困ったような表情を浮かべた。

「聞いたことないですか? 他に中文字とか、シルヴ文字って呼び方がありますけど」

「そう(おっしゃ)られましても……」

 メイベルの言葉に、修道長が更に困った顔つきになっていく。その雰囲気を見て、

「あれ!? 知らないですか? 伝説ではドラゴンから学んだ最初の文字で、この文字から大文字のアルテース文字と小文字のユーベラス文字が生まれたことになってますけど」

 と、少し(しゃく)(ぜん)としない顔をした。

「でも、修道長(マスター)クラーナ。この文字を見る限りでは言い伝えにあるように、人がドラゴンの住む場所を(おか)したために戦争になったようには思えませんよ」

 そう言いながら、メイベルが作り物の岩を見上げた。

「この上にドラゴンが()まって、街の人たちと話をしてたのかしら」

 メイベルの(のう)()に、()(がん)の高地で会ったドラゴンの記憶がよみがえってきた。

 あの時、ドラゴンは草原から突き出した岩の上に()まっていた。マウンテン・ドラゴンにとっては、平らな場所に立つよりも大きな足の指で岩を(つか)むように留まった方が居心地が良いのではないか。そんな感じがしてきたのだ。

 そんな岩の作り物が、広場にはいくつも置かれている。この様子から、ここに都があった当時は多くのドラゴンが岩の上に留まり、人々と語らっていた光景が予想される。

「やはりメイベルさんをこの遺跡にお連れして正解だったみたいですわ」

 岩を見上げるメイベルを見ながら、修道長がそう言ってきた。

「それならば、遺跡の中央にある神殿(しんでん)と思われる建物の壁にも、ドラゴンが書いたとされる文字というか落書きがあるのです。見ていただけませんか」

「落書き……ですか?」

 修道長の示す方角に顔を向けて、メイベルが尋ね返した。

「ドラゴンが都を滅ぼしたあとに、書いたとされる文字ですわ」

 そう説明しながら、修道長がかつての都の中央へ向かって歩き始めた。

 通りは(ゆる)やかな下り坂になっていた。通りを(はさ)んで建つ建物は、レンガではなく平らな石をセメントで固めながら積み上げたものだった。しかも、当時はまだアーチ構造が知られてなかったのだろう。小さな建物の窓には大きな横石で(じょう)(へん)を支える構造が使われ、大きな建物の窓には上からの力を左右に分散させるために菱形(ひしがた)に組む構造が使われている。

 そんな街並みを見ながら、2人は修道長に案内されて神殿と思われる建物にやって来た。

「うわぁ〜。これは何というか……」

 メイベルが建物を見上げて、そんな言葉を放った。

 遺跡は四角い壁に囲まれた建物だった。高さは20mぐらいあるだろうか。平らな石をセメントで固めながら積み上げ、表面をモルタルで平らに()(しょう)している。だが、今はその壁のほとんどが、張りついているツル植物に厚く(おお)われていた。

 その壁のあちこちに、上側にとがった三角形の窓が開いている。形が三角形なのは、上からの力を分散(ぶんさん)するためだろう。

 建物の出入り口があるのは、山のふもとに向かう面だ。この出入り口も上側がとがるような形で石を組んである。

「ドラゴンの落書きは、どのあたりだったかしら?」

 そう言いながら、修道長が建物の正面から左側の壁へまわっていった。

「ありましたわ。たぶん、あれだったと思います」

 ついて来た2人に教えるように、修道長が建物の上の方を指差した。

「ホントだ。何か書かれてるわね」

 ドラゴンが書いたという落書きは、地面から6m以上の高さにあった。そこもツル植物に(おお)われていて、文字はわずかに見える程度だ。文字は不明だが、モルタルの壁に赤い()(りょう)を使って書かれていることは見て取れる。

「ツルが(じゃ)()で見えないわ」

 壁に近づいたメイベルが、建物を覆うツル植物を引っ張った。だが、ツル植物はしっかりと壁に張りついていて、引っ張っても簡単には取れそうもない。

「メイベルさん。ちょっと退()いてくれ」

 ナバルが腰に下げていた勇者の(けん)を抜き放ち、メイベルを後ろに下がらせた。剣でツル植物を()ち切ってしまおうとしてるのだ。

「……えっ?」

 軽く剣を振ったナバルが、ツルを(ひと)太刀(たち)するなり(おどろ)きの声を()らした。

「ナバルさん。どうしたの?」

「どうしたって……。今、切った時に()(ごた)えを感じなかったというか……」

 メイベルにそう答えながら、ナバルが()(げん)そうな表情をしている。切った(かん)(しょく)が十分に伝わらない違和感を覚えたようだ。

「手応えを感じないって……。ああ、そういえばナバルさん。その剣で何かを切るのは、これが初めてだったっけ?」

 早くもメイベルは、ナバルが何に違和感を覚えたのかわかったようだ。

「サクラスを出る前に、勇者の剣はチタンでできてるって話があったでしょう。チタン製の刃物は切れ味が(するど)いから、物がスパッと切れるのよ」

「スパッと?」

 話を聞いたナバルが、もう一度ツル植物を剣で切りつけた。切られたツルがカサッと小さな葉音を鳴らして、()たれた下の部分が地面に落ちていく。

「ホントだ。信じられないぐらいスパッと切れるから、あまり手応えがないんだ」

 ツル植物を切った剣を目の高さまで上げて、ナバルが目を丸くした。そのナバルを見ながら、

「ね、よく切れるでしょ。すごく切れ味がいいから、わたしもチタン製の(ほう)(ちょう)が欲しいのよね。実験用に作られた庖丁で、一度だけ料理してみたことがあるけどさ」

 とメイベルが話し始める。

「チタン製といっても、正しくはチタン合金ね。純チタンだと刃物にするには(やわ)らかすぎるから、あまり切れ味は良くないの。で、チタン製の刃物なんだけどね、(はがね)の刃物よりも切れ味が(するど)いの。その上、丈夫で刃こぼれが少ないのよ。たしか刃こぼれは6分の1だったと思うわ。しかも(はがね)の元になる鉄には油脂(ゆし)馴染(なじ)みやすい性質があるけど、チタンにはそれがないって聞いてるわ。この違いはお肉を切る時に大きいわよ。どういうことかと言うと、(はがね)の刃物は(あぶら)がこびりついてすぐに切れ味が悪くなるけど、チタン製の刃物には(あぶら)がこびりつかないから切れ味が落ちないってことね。きっとお手入れが楽だと思うわ。

 あ、そうそう。(はがね)の剣は重さで切るところがあるでしょう。だから重い方が良いなんて発想があるみたいじゃない。だけどチタン製の刃物は(すべ)らせるように切れば、力を入れなくても切り()くほどの切れ味があるでしょ。だから(はがね)の剣のように力を入れて振りまわす必要がないから、体力の(しょう)(もう)も少ないわ。もしも戦いが長引いたら有利になりそうよ」

「おおっ。言ってることはさっぱりわからんが、まさに勇者のための剣というわけだ」

 ナバルがそう言って剣を高々と(かか)げた。

 そんな2人のやり取りを横で聞いている修道長は、ツッコミどころに困っている。

「さあ、さくさく切るぞ!」

 ナバルがツル植物の撤去(てっきょ)作業に戻った。

「それじゃ、わたしも魔法で……。風よ切り刻め(チョプス・ラファーラ)!」

 メイベルも持っていた魔法の(つえ)を構えて、魔術を()(はな)った。

 周囲の風が()き乱され、無数の(うず)が生まれる。その風が壁を覆うツル植物を細かく(きざ)み、天高く舞い上げようとする……はずだったのだが……。

「あれれ? ほとんど()いてなかった……かな?」

 メイベルがマヌケな顔で壁を見上げている。

 魔法の風は葉を千切って舞い上げただけで、壁についた(くき)までは引きはがせなかった。茎も細かく刻まれているが、それらは壁にぶら下がったまま落ちる気配がない。

「どうしようかな……?」

 (ほお)を指先でぽりぽりと()きながら、メイベルが次の作戦を考え始める。

 一方でナバルは、

「おお、すごい。メチャクチャ切れ味がいいじゃないか!」

 茎を引っ張りながら、壁に引っかかっている(かぎ)ひげを丁寧(ていねい)に切っていた。

 どうやら茎がさくさくと切れるため、ちょっと気分が良くなっているようだ。

 もっとも、ナバルがツル植物を片づけられるのは、せいぜい剣が(とど)く4〜5mの高さまでだ。落書きのある6m以上の高さまでは届きそうもない。

「そうだわ。まずは思いっきり冷やして、そこに(しょう)(げき)を加えてやれば……」

 次の作戦を思いついたメイベルが、再び魔法の杖を(かま)えた。そして、

冷却せよ(レ・フリーザ)!」

 壁に向かって(れい)(きゃく)魔法をかけた。

 たちまち壁一面に(しも)が張り、冷やされた白い空気が白いもやとなって舞い降りてくる。その様子を確認したメイベルが、

噴砕の風よ(アウラ・フラクティオ)!」

 更に次の魔法を放った。

 風を受けたツル植物が、チリチリと音を立てながら(くだ)けていく。しかし、

「ああぁ〜。冷やし足りなかったみたいだわ」

 壁からツル植物が取り払われたのは、冷却魔法のかかった範囲の中心付近だけだった。十分に冷えて固まらなかったため、風で砕けなかったようだ。

 それでも、落書きの一部が(あらわ)になっている。その文字を読んだメイベルが、

「『(おろ)かな』なんて、なんだかバカにされてるみたいだわ」

 と、不愉快そうな表情を浮かべた。

「すげえな。魔法なら一気に片づきそうだ」

 そう言ったのは、壁の下側に張りついたツル植物を取り(のぞ)いていたナバルだ。それに、

「ええ、一気に片づけてあげるわ!」

 と(いき)()きながら言ったメイベルが、魔法の杖を構えて()(きゅう)(ととの)える。

 そして、壁を(にら)みつけて、

あまねく冷却せよレ・フリージ・ユニヴァ!」

 力を込めて冷却魔法を(はな)った。

 再び壁一面が白く()まっていく。その壁の表面を伝って、真っ白に冷やされた空気がもやとなって静かに下りてきた。だが、壁の中ほどではもやが生まれていない。物質はある温度以上に冷やされると、比熱が急速に小さくなる。このような状態になると()れた空気から熱を(うば)って冷やせなくなるため、白いもやを生み出せなくなるのだ。

「トドメよ! 破砕の爆風よ(ボルス・フラクティオ)!!」

 壁全体が白くなったところを見計らって、メイベルが次の魔法を放った。

 杖の先から(しょう)(げき)()が生み出され、壁に向かって広がっていく。直後、

「すげえ……」

 壁を覆っていたツル植物が、まるで大きなステンドグラスが(くだ)けたように崩れ落ちてきたのだ。その光景を見るナバルが目を丸くし、その場で茫然(ぼうぜん)と立ち尽くしている。

 地面に叩きつけられた葉が粉々(こなごな)(くだ)かれた。それが空に舞い上がっていく。その様子は初めのうちは白い煙だった。それが徐々に緑色の煙に変わっていく。

「すごい魔法ですわ。これで文字が見えるように……」

 修道長が感動(かんどう)混じりに言いかけた横から、ドサッという音が聞こえてきた。

「あぅ〜。つい意地になって、魔法を使いすぎたわ……」

 音の主はメイベルだった。そのメイベルは(いし)(だたみ)の上に突っ伏して、ぺちゃんと(つぶ)れている。それを見たナバルが、

「おいおい。またやっちまったのか?」

 と、あきれた口調で言いながら近づいてきた。

「勇者さま。メイベルさんは、いったいどうされたのですか?」

「魔法で体力を使い切って、全身から力が抜けただけですよ」

 驚く修道長の疑問に、ナバルが平然とした顔で説明する。

 その2人の前で石畳に突っ伏しているメイベルは、

「ああ、考えてみれば、相手はツル植物よね。壁全体を冷やすなんて大技(おおわざ)を使わなくても、小さな火で(かぎ)ひげだけ焼いちゃえば良かったんだわ……」

 と、一人反省会をやっていた。

「あらまあ、体力を使い切っただけでしたか。それでしたら、少し時間が早いのですが、ここでお昼にしましょう。お食事すれば、すぐに体力も戻りますわ」

 それほど心配はいらないと感じた修道長が、持ってきたバスケットを置いて昼食の準備を始めた。(むらさき)色の(しき)()が広げられ、そこに紙皿や紙コップが並べられていく。バスケットの中身は三角形に切られたサンドイッチや簡単な()げ物だ。

「ほら、起こすぞ」

「はぅ〜。またご迷惑かけますぅ〜……」

 ナバルに抱き起こされるメイベルが、情けない声で()びを入れてきた。

 毎度のことながら脱力したメイベルは首が()わっていない。まるで糸の切れた(あやつ)り人形のような状態だ。

 そんなメイベルを見た修道長が、準備する手を休めて、

「あら、ぐったりされてますわね。メイベルさん。お食事できそう……ですか?」

 と、心配そうに尋ねてきた。

「今はちょっと無理かも……」

「大丈夫だ。俺が食べさせてやる」

「えっ!? た、た、た、た、食べさせてってって……」 

 ナバルの言葉に、メイベルが激しく動揺した。顔が真っ赤になって、言葉がしどろもどろになっている。そんなメイベルをナバルが、

「今日は()(れつ)までまわってないな。少しは体力を残すようにしろよ」

 などと注意しながら()き上げた。その朴念仁(ぼくねんじん)ぶりに、

「うん。そうする。あはは……」

 メイベルが悲しそうな表情を浮かべて、(ほお)をひくひくと引き()らせている。

「あのさ、ナバルさん。お昼の前に、少し壁の落書きを見たいんだけど」

 軽く嘆息(たんそく)したメイベルが気持ちを切り替えて、ナバルにそんなお願いをした。

 ナバルは首の()わってないメイベルの頭を、手で(ささ)えるように(かか)えている。

「どうだ、見えるか?」

 ナバルが身体(からだ)を傾けて、メイベルが落書きを見やすいように位置を合わせた。

 落書きは高い場所に書かれている。だが、メイベルはナバルに抱えられて顔が上に向かっている。そのため首に()(たん)をかけず、非常に見やすい位置関係になっていた。

「ああ……。ところどころ文字が欠けてるわ」

 落書きを見上げるメイベルが、そう言って軽く息を()いた。

 落書きは壁の表面を覆うモルタルの上に書かれている。そのモルタルにひびが入って欠け落ちているため、落書きには虫喰いのように読めない()(しょ)ができていた。それでも、

「『人間たちよ。(ゆた)かさに(おぼ)れて……』かな。その次は『心を失い……』か『欲望(よくぼう)に目を(うば)われ』かしら? 文字が欠けてて、よく読めないわ」

 メイベルは前後に残る文字から、欠けた部分を(すい)()しながら読み始めた。

「『同じ(あやま)ちは……して……きた。ゆえに……ナントカで……ない』かしら。たぶんここは()(てい)よね。『我々は歴史を拒絶(きょぜつ)のナントカ……とは考えない。未来を切り(ひら)く……』のあとは『(きょう)(くん)』かしら。壁がごっそり落ちてるわ。『我々は力には力を、言葉には言葉をもって答える。(おろ)かな……ナントカのナントカを願う』……ねぇ……」

 落書きを読み終えたメイベルが、そう(こぼ)して考え始める。

「メイベルさん。読めたのか?」

 ナバルがメイベルに目を落として尋ねてきた。それでナバルと思わず目が合ってしまったメイベルが、一瞬息を止めて視線を()らせている。そこに修道長が、

「メイベルさん。ひょっとしてあの落書きは、もう読まれました?」

 と()きながら近づいてきた。その彼女は両手で、サンドイッチを()せた紙皿を持っている。「読みました。読めるところだけ……ですけど」

「そうですか。それで何が書かれてるのですか?」

「たぶん、わたしたち人間に対する伝言(でんごん)ではないかと……」

 そう答えたメイベルが、また落書きの書かれた壁に目を向けた。

「伝言ですか? それはどのような……」

「それが、よくわからないんですよねぇ。『力には力』の(くだ)りが警告(けいこく)のように思えますし、『言葉には言葉』の下りが話し合いを求めてるようにも思えますし……」

「欠けた部分が多すぎるのかしら?」

「それもありますけど、見たことのない文字や知らない単語が使われてるのも(くわ)しく読めない理由です。()(しょ)が欲しいところですが、持ってきてませんよねぇ」

「あらあら……」

 そう嘆息(たんそく)した修道長が、持ってきたサンドイッチを1つ手に持った。

「それでしたら、あの落書きを写し取って持ち帰りましょう。絵の道具は持ってきてますから、あとで時間をかけて調べれば良いのですわ」

「それしかないでしょうね」

 修道長の提案(ていあん)に、メイベルが複雑な表情を浮かべる。

「でも、適当に写し取ったのでは……」

「ご安心ください。わたしは絵筆2本(デュアル・ブラシ)(かい)()(がかり)です」

 心配事を口にするメイベルに、修道長が左腕にある(そで)(しょう)を見せてきた。そこに(えが)かれているのは、金銀(きんぎん)(ふち)()りこそないもののパレットと2本の()(ふで)である。

 絵画係とは、()(ぞく)などの似顔絵を描いたり、事件や事故、ならび()念式典(ねんしきてん)などの記録を絵に描いて残したりすることを(まか)された人たちだ。

「アウラスの教会では(ゆか)(つくえ)の上に、神さまがよく図形を残されるのです。その図形を正確に写し取ることでは(てい)(ひょう)がありますの。どうぞ大船に乗ったつもりでお任せください」

「床や机に描かれる図形って、まさかクラドニ図形ですか!?」

 修道長の言葉に、メイベルが不安な表情を浮かべる。

「あれは風による建物の震動(しんどう)が……うぐっ」

「さあさあ、そうと決まったら、お食事にしましょう」

 何かを解説しようとするメイベルの口にサンドイッチを押し込んで、修道長が昼食に(さそ)ってきた。メイベルの口に押し込まれたのは、タマゴサンドだ。

「はい、勇者さまも♡」

「それじゃ、いただく」

 次にナバルの開けた口にも、修道長がサンドイッチを押し込んだ。ナバルの口に入れたのは、チーズレタスサンドである。

「あぐあぐ……」

 メイベルは何か言いたいようだが、サンドイッチが(じゃ)()でしゃべれないようだ。その邪魔なサンドイッチを早く食べてしまおうと、(いっ)(しょう)懸命(けんめい)に口を動かしている。

「さあ、それではあちらに戻って……。あら!?」

 振り返った修道長の目に、バスケットの周りに小さなドラゴンが集まっている光景が飛び込んできた。尻尾を除く身長が30cmぐらいの、首が長く(つばさ)のあるドラゴンだ。

「うふふ。ポケット・ドラゴンですわ」

 食べ物を(ぬす)もうとする小さなドラゴンを見て、修道長が(ほほ)()んだ。

 ドラゴンといっても1種類だけではない。マウンテン・ドラゴンのように大きくて高い知能を持った生き物もいれば、ポケット・ドラゴンのように小さくて野生のままの生き物もいる。(れい)(ちょう)(るい)でたとえれば、人とリスザルのようなものである。

 そんな小さなドラゴンたちが3人の視線に気づいて、大慌(おおあわ)てで空へ逃げていった。その小さな手には、(うば)った食べ物が(かか)えられている。

 だが、よほど慌てたのだろう。そのうちの1匹が抱えたサンドイッチを落としてしまった。それで拾いに行こうか逃げようかあたふたしてるドラゴンを見て、

「あらあらあら……」

 と、修道長が優しい目で(ほほ)()んでいた。



 それとほぼ同時刻、時差の関係ですでに昼食を終えた(てい)()サクラスでは、

「第5次調(ちょう)()(たい)は軍隊を(ともな)わず、わずか24名の編成(へんせい)になるそうだな」

 議事(ぎじ)(どう)にある大きな部屋に、一部の()(ぞく)()(いん)たちが集まってきていた。そこは(かん)部議(ぶぎ)(いん)の1人──ビーズマス(きょう)に与えられた議員(ひか)え室だ。部屋には長く大きなテーブルが置かれ、そこに集まった貴族議員たちが座っている。

 その部屋の(あるじ)──(まど)()にいたビーズマス卿が外に顔を向けたまま、部屋にいる者たちにそんな言葉をかけた。

「やけに(ひん)(じゃく)な編成だが、内訳(うちわけ)はどのように決まったのだ?」

「まだ神託(しんたく)(ちゅう)のため()確定(かくてい)ですが、学者2名と()(えい)の兵士8名は確定という話です」

「護衛がたった8名とは……。それではドラゴンにやられに行くだけではないか」

 ビーズマス卿がわざとらしく肩を上下させ、大きく嘆息(たんそく)する。そのビーズマス卿に、

「しかし、ビーズマス卿。編成は貧弱でも、悪い話ばかりではありませんぞ」

 と、(しら)()の目立つ男が話を持ちかけてくる。

「午前中の()神託(しんたく)で、調査隊を指揮(しき)する全権大(ぜんけんたい)使()にクリプトン(きょう)が決まりましたぞ」

「ほう。サンクヮッドの英雄殿(えいゆうどの)のご(しゅつ)(じん)か。それはめでたい」

 今の話に、ビーズマス卿がほくそ笑んだ。だが、すぐに複雑な表情を浮かべて、

「しかし、全権大使というのが引っかかるな……」

 と(こぼ)した。

「それにしても(しゅう)身幹(しんかん)()のクリプトン卿が()くなれば、幹部議員の席は1つ()くのだな」

 テーブルについていた議員の中から、そんな言葉が飛び出してくる。

「こらこら。それは気が早いではないか」

「おっと。これは失言失言」

 今の会話を聞いた周りの議員たちが、声を押し殺して笑い出した。どうやら(じょう)(だん)ではなく、この場にいる誰もが心の底では同じことを願っているようだ。

「それにしても、とうとう調査隊まで神託で決めるとは……。大司教とアキロキャバス卿は、いったい何を考えておるのだ?」

 窓辺で外の景色を見ながら、ビーズマス卿が不愉快そうに不満を口にした。

 ビーズマス卿が外を見ている窓は南側に面していた。そこからはレンガ造りの街並みが一望できる。しかも帝都サクラスは山の(みなみ)斜面(しゃめん)に作られているため、街並みの背後にはふもとを流れる大河──フルヴィ川が横たわって見えていた。そしてその先には緑に(おお)われた水田地帯が広がっている。

「まあまあ、ビーズマス公王(こうおう)さま。(おん)()の考えられた『救世の勇者』は、なかなか良い案でございましたな」

「うむ。あれは我ながら(みょう)(あん)であったと思っておる」

 いやらしい笑みを浮かべたビーズマス卿が、身体(からだ)をくるりと室内に向ける。

「帝国民の関心とテロリストどもの注意が、でっち上げられた『救世の勇者』に向かっておるのだからな。(てい)の良い(おとり)役として役立っておるわ。それに政府の(さく)が失敗に終わっても、責任は運の悪い2人の若造(わかぞう)に押しつけられるわけだ」

「これはビーズマス公王さまもお人が悪い」

「大の虫を生かすために小の虫を殺す。これが政治というものだよ。その案が神託で選ばれたのだ。わたしの考えは間違いではなかったのだよ」

 ニヤッと笑ったビーズマス卿が、テーブルに向かって歩き出した。向かうのは上座に置かれた大きなイスだ。そこに腰を下ろしたビーズマス卿に、()(じょ)がお茶の世話をする。

「しかし、御神託で決まったのであれば、神の意志が働いたのでは?」

「それはなかろう」

 1人の男が(はな)った疑問を、ビーズマス卿がすぐさま否定する。

「本気で勇者を神託で決めるのなら、人選もまた神託で(おこな)うはず。それなのにわざわざ目立つように街中に(ちゅう)(せん)所を作ってくじをしたのは、あくまで帝国民の関心を向けさせるためだろう。となれば本当に神託を(おこな)ったのかすら(あや)しいものだ」

 そう話したビーズマス卿が、ティーカップに指をかけた。そしてカップを持ち上げ、

「それで選ばれた勇者と従者が、ともに大司教とアキロキャバス卿のお気に入りの若造たちであったとは、なんとも小気味好(こきみよ)いではないか」

 そんな邪気のこもった言葉を(つぶや)いてから、(かわ)いた(のど)を軽く紅茶で(うるお)そうとする。

 そのビーズマス卿から離れた席では、そこに座る若い議員たちが小さな声で、

「『はず』『だろう』って、ビーズマス卿は幹部議員だろう。(しょう)(さい)を知らないのか?」

「知らんだろ。幹部議員ではあるが、実際に政治を(おこな)執政(しっせい)幹部ではないからな」

「執政幹部ではないって、ビーズマス卿は()族序列(ぞくじょれつ)第3位の大幹(だいかん)()だぞ。まさか……」

「大貴族にして西アルテース公国の国王ではあらせられるが、日頃の()(りょ)に欠ける言動の()(かさ)ねがありますからね。そのため幹部貴族の中でも発言は(かろ)んじられ、執政幹部には選ばれてないのですよ」

「それでは我が西アルテースからは、帝国の執政幹部を出してないのか?」

「サンクヮッドの英雄がいるだろ。それがビーズマス公王には()(ざわ)りだろうがな」

 と、ヒソヒソ話をしていた。

「さて、そこでだ」

 ティーカップをテーブルに戻したビーズマス卿が、考えていた話を切り出してきた。

 その言葉に若い議員たちがヒソヒソ話をやめ、顔をビーズマス卿に向ける。その前で話されたビーズマス卿の案に、集まった議員たちの顔が青くなっていった。


 議事堂でそんな密会(みっかい)(おこな)われている頃、大聖堂(だいせいどう)(はさ)んだ反対側にある建物でも、

「第5次調査隊は、たった24人だけ……なのですかぁ?」

「それは……、何かの聞き間違いでは?」

「間違いじゃないわ。お父さまとクリプトンおじさまから、直々(じきじき)に聞いてきた話よ」

 パセラとクラウが、レジーナの持ってきた()神託(しんたく)の話に目を丸くしていた。

 3人は4人掛けのソファに向かい合うように座っていた。一方にクラウとパセラが並んで座り、反対側にレジーナが座っている。

「それで、御神託はすべて決まったのかい?」

「それがそうでもないの。決まったのは調査隊は24人で構成すること。うち学者は2名で、護衛は8名って内訳までね。それで人選で唯一確定したのは、調査隊の全権大使として、クリプトンおじさまが行くことになったぐらいなの」

 クラウの疑問に、レジーナがそう答えてマグカップに手を伸ばした。

「でも、人数まで決まったとなると、残りの人選も今日中に決まりそうですね」

「あ、それはないわ。御神託が長引いて神官たちの神通力(じんつうりき)が弱まったから、あとは残りの内訳を決めるだけで、今日は終わりにするんだってさ」

 続いてパセラの言葉もそう否定したレジーナが、カップを口に運んで軽くすする。

「それで、本題に戻るけどさ」

 カップをテーブルに置いたレジーナが、そう言って(ひざ)の上で指を組んだ。

「御神託で勇者(ゆうしゃ)に任せたのに、調査隊を()(けん)してた理由ね。あれはクラウが言った通り、危機回避策としてやってたそうよ。もしも勇者が使命を果たせなかった場合を考えてね」

「でしょうね」

 レジーナの言葉に、クラウがそんなことだろうと思ったという表情をする。

「だけど、調査隊は4回続けてドラゴンにやられて、逃げ帰ってきてるでしょう。それで第5次調査隊を出すかどうかを御神託にかける前に、これまでの派遣が間違ってなかったか、それを御神託に(はか)ってみたそうなの。その結果、これまでの調査隊はすべて事態を悪化させていたという警告が出たそうよ」

「事態を悪化……ですか? それはどういう意味です?」

「ドラゴンさんを怒らせたということでしょうか?」

「あ〜……、ゴメン。そこまで聞いてこなかったわ」

 クラウとパセラの質問に、レジーナが手を合わせて(あやま)ってくる。

「それでね、(あらた)めて5次隊を出すかどうか。出すなら調査隊の構成や人の選び方をどうするか。1つ1つの方法を御神託で決めていったそうなの。それで幹部議員の中から全権大使を1人選ぶ方法だけを(ちゅう)(せん)として、あとは神託式で選ぶことに決まったそうよ。それでクリプトンおじさまの派遣だけが決まって、他の決定に時間がかかってる原因らしいわ」

「あれ!? 御神託はすべて(しん)()(おこな)うのではないのですか?」

「パセラぁ〜。あんたは、どうして基本的なことを()いてくるのかなぁ〜?」

 パセラの疑問に、レジーナが(いか)り混じりの声で聞き返した。

「いい、御神託で『(ちゅう)(せん)で選ぶ』と決まったら、やってることは(ちゅう)(せん)でも、それは御神託なの。すべてを神官たちの神通力に頼る神儀だけが御神託じゃないのよ」

「あぅ。そうなのですかぁ……」

 身体(からだ)をちぢこませたパセラが、消えそうな声で返事をする。

「ところで神儀では、どのようにくじを選ぶのでしょうか?」

「あんた。本当にいい加減にしてよ……」

 パセラの口から出た疑問に、レジーナが更に(いか)りを強くする。

 それで(おび)えた顔をするパセラを見て、レジーナがニコッと(ほほ)()んだ。そのレジーナが、

「でも、御神託が神儀だけっていうのは、よくある勘違(かんちが)いみたいよ」

 と言ってくる。そして、

「その勘違いから、勇者は政府の無策から注意をそらすための(おとり)だなんて心無いウワサが立ってるみたいね。その根拠(こんきょ)となってるのが、勇者と従者の選び方が神託式ではなく(ちゅう)(せん)だったこと。それから教会を出る時に、次の目的地を旅立ちの神事で選んでるでしょ。これも政府が問題を解決するまでの時間(かせ)ぎとかウワサされてるそうよ。どちらも御神託で決められた選び方なのにね」

 と言って肩を大きくすくませてみせた。

「それではメイベルとナバルさんは?」

「ちゃんと御神託で選ばれたんだもの。(しょう)(しん)(しょう)(めい)(きゅう)(せい)勇者(ゆうしゃ)(じゅう)(しゃ)でしょ」

 パセラの確認に、レジーナがはっきりとした口調で断言(だんげん)する。そのレジーナを上目遣いで見るパセラが、おずおずと手を()げた。

「あのぅ、それで気になったのですが、勇者の御神託が出たってことは、誰かがくじ(だね)を書いたからですよねぇ。何を考えて勇者を思いついたのでしょうか?」

「そんなこと、あたしが知るわけないでしょ!」

 パセラの疑問を、レジーナが間髪(はんはつ)()れず跳ねのける。

「まあ、誰が何のつもりで書いたかなんて、どうでも良い話よ。神儀で勇者のくじが選ばれた。これだけが御神託のすべてでしょ」

「はぁ……。まあ、そうですねぇ……」

 熱く語るレジーナの言葉に、パセラが気のない相槌(あいづち)を打つ。その前で、

「気になるのは5次隊の存在意義ね。本当に調査隊なのか。それとも勇者の補佐部(ほさぶ)(たい)なのか。神さまは、5次隊に何をさせようとしてるのかしら?」

 と(つぶや)いたレジーナが、顔を大聖堂のある方へ顔を向けた。


 その大聖堂(だいせいどう)では、今も()神託(しんたく)(しん)()(おこな)われていた。

「7番の札を持つ者、部屋に入られよ」

 薄暗い小部屋の中から、神官長が外にいる神官たちに声をかけた。

 部屋の外には40人を超える数の神官たちが、イスに座って待っていた。その中から呼ばれた初老(しょろう)の男性神官が立ち上がり、ゆっくりとした足取りで小部屋に入っていく。

 その男性神官が、小部屋の中央に用意された台の前まで歩いてきた。その前で神官長がくじ(だね)の紙を丁寧(ていねい)に混ぜ、20枚ある紙を裏返しのまま台に一列に並べる。

「さて、この神官は何を選びますかな?」

「ここまで引かれたくじは、すべてバラバラですな」

 小部屋には5人の帝国議会議員が立ち会い、不正が(おこな)われないか目を光らせていた。

 その前で神官長が、

「御神託のくじを選ばれよ」

 と、入ってきた男性神官にくじを選ぶように言う。

 部屋は薄暗(うすぐら)いため、くじ種の紙に多少の(よご)れがあっても見分けることは(むずか)しい。そんな紙に手をかざして、男性神官が気のようなものを感じ取っているようだ。そして20枚すべてに手をかざし終えたのち、右から5番目にある紙を選んだ。

「くじを(あらた)める」

 神官長が選ばれたくじを裏返して、そこに書かれている文字を検める。その神官長が、

「お立ち会いの方々に神儀の結果をお伝えします。くじを引く12名のうち、7名が同じくじを引く可能性がなくなりました。よって、ただいまの神儀は御神託なしと判断し、用意されたくじ種はすべて(はい)()します。ならび、儀式が長引いておる関係で神官たちの()(ろう)()まっております。よって、本日の神儀はこれにて終了とします」

 と結果を伝え、議員たちに一礼した。

「御神託なしか……。こういうこともあるのだな」

 終わりと聞いた議員の1人が、そう零しながらゆっくりと席を立った。

「さすがに神通力(じんつうりき)のある神官たちでも、くじ種の中に答えがなければ何ともならぬか」

「それにしても12名中7名以上が同じくじを引くなど、有り得ぬと思ったが……」

「御神託がある時は9人、10人が同じくじを選ぶとは、始めて見たがこれは(おどろ)きだ」

 神儀が終わって(きん)(ちょう)()けたのだろう。席を立った議員たちが、軽い雑談を交わしながら部屋を出ていった。

 部屋の外にいた神官たちも、今日の神儀は終わったと聞いて帰り()(たく)を始めている。

 そして神儀に使われた小部屋では暗幕(あんまく)を開けた神官長が外の明るさに目がくらみ、めまいを起こしてしゃがみ込んでいた。



 さてさて、その頃、昼食を終えた救世の勇者と従者は何をしているのかというと、

「さすがに昼をすぎると、ぽかぽかして(あたた)かいな」

 遺跡の見学を終え、山を下っているところだった。

 遺跡で魔法を使い果たして倒れたメイベルは、今も(だつ)(りょく)したまま回復していない。そのため、またナバルに背負(せお)われていたのだ。

「あぅ〜。頭がのぼせるぅ〜……」

 メイベルは首が()わってないために、今日も(ほお)背負(せお)ってくれるナバルに(みっ)(ちゃく)している。そのことを意識しすぎるメイベルが、また頭をゆだたせていた。

 そんな2人の後ろを、

「なかなか動けないみたいですわね。うふふ」

 と(ほほ)()みながら、修道長がついてきている。その修道長がメイベルに近寄ってきて、

「メイベルさん。役得(やくとく)ですわね。わざとかしら?」

 と、メイベルの耳許(みみもと)でささやいた。

「な、な、な……。そんなことは……」

「あらあら。おほほ……」

 耳たぶまで真っ赤にするメイベルを見て、修道長が口許(くちもと)を手で隠した。

「役得!? え、そんなつもりは……。あれれ?」

 メイベルの頭の中で『役得』の文字がグルグル回り始めた。(はら)()けようと意識すると、余計に『役得』の文字が大きくなって意識してしまう。

「あのぅ、それで修道長(マスター)クラーナ。教会に戻れば()(しょ)はあるでしょうか?」

 そんな意識を他へ向けようと、メイベルが別の話題を持ち出した。

「辞書ならありますわ。あ、でも、ドラゴンの落書きを読み解くためでしたら、役に立たないかもしれませんわね。あまり立派な辞書は置いてませんから」

 そう言いながら、修道長がバスケットを開けて革製(かわせい)の紙入れを出してきた。その中に、ドラゴンの落書きを写し取ったスケッチがあるのだ。

「この写し方で良かったかしら?」

「それはそれで、あまりにも十分すぎるというか……」

 修道長の(えが)いた絵は、()(しゃ)というよりも精巧(せいこう)水彩(すいさい)()のスケッチだった。文字だけでなく壁の(くず)れ方を(ふく)め、まるでカラー写真をトレスしたような、絵筆2本(デュアル・ブラシ)(かい)()(がかり)の名に()じないほどの出来栄(できば)えである。

「それほどの絵が()けるのに、修道長(マスター)クラーナは銀縁(シルバー)ですらないのですか?」

「うふふ。わたしは見たままを()くしか能がなかったもので……」

 メイベルの疑問に、修道長が(ほほ)()みながら答えた。その言葉に「なるほどね」と、メイベルが理由を(さっ)する。

 写真と違って絵の良いところは、必要な部分を()(ちょう)できるところだ。特に()(がお)()のようなものであれば、モデルによって凛々(りり)しく(えが)いたり、美しく(えが)たりするなどの(さい)()する能力が求められる。むしろ正確に描く方がモデルに失礼になることもあるのだ。

「あ、ところでメイベルさん」

 メイベルをおぶっているナバルが、思い出したように声をかけてきた。

「ん、なぁに?」

「こいつの中が(から)っぽだが、何か()るつもりじゃなかったのか?」

 問い返してくるメイベルに、ナバルがそう言って持っていたものを見せてきた。それはメイベルが持ってきた、(しょく)物採(ぶつさい)(しゅう)キットの()れ物だった。

「ああぁ〜、すっかり忘れてたわね」

 容れ物に目を向けたメイベルが、さてどうしたものかと言うように答える。

「植物採集ですか? お手伝いしますわ。どれを()れば良いのかしら?」

 ナバルから容れ物を預かった修道長が、メイベルにお目当ての草木を尋ねてきた。

修道長(マスター)クラーナ。ありがとうございます。それでしたら……」

 手伝いを申し出た修道長にお礼を言って、メイベルが目を周囲に動かした。

「あ、それでは、あの白いユリのような花をお願いします」

 メイベルが道端(みちばた)に咲く花を見つけ、その採集をお願いした。その言葉を聞いて、メイベルを背負(せお)うナバルが(あゆ)みを止める。

 花の高さは1mほど。ユリを思わせるラッパ状の花が咲いているが、花の下に大きな(こぶ)があるところがユリとは大きく(こと)なっていた。(くき)は太く、その上に3つの花が咲いている。葉は細長く、()(もと)からしか()えていなかった。

「このシャーマでよろしいのかしら?」

「その花、シャーマというのですか? それをお願いします」

 採集する個体を確かめてくる修道長に、メイベルが採集を()(らい)した。

修道長(マスター)クラーナ。お手数ですが、土の下もすべて採っていただきたいのですが……」

「シャーマはこの下の(きゅう)(こん)美味(おい)しいですものね。ちゃんと掘り出しますわ」

 メイベルの持ってきた容れ物の横には、スコップを(しゅう)(のう)するポケットが(もう)けられている。それに気づいた修道長が、そのスコップを持って草花の根本を掘り始めた。

「そのシャーマという花は食用なのですか?」

「ええ、球根と花の下で(こぶ)になっている()(にく)のところが食べられるのです。ただし、葉っぱや茎はあまり食用には向きませんの。せっかくですから多めに()って、夕食の時にお出ししましょう」

 そういうと修道長は1本だけ全体を採集し、他のシャーマは必要な果肉と球根だけを採って、花や茎、葉っぱの部分を道端(みちばた)に捨てた。

 それを待っていたように、ポケット・ドラゴンたちが舞い降りてきた。そして捨てられた花や葉っぱを手にすると、それを口に運んでむさぼり始める。

修道長(マスター)クラーナ。あれは……?」

「このシャーマはドラゴンの大好物ですわ。中でも花と葉っぱを(この)むみたいですの」

 集めたシャーマの果肉と球根をバスケットに入れて、修道長が採集を終えた。そして、

「それでは、次は何を採りましょうか」

 とメイベルに尋ねながら、また山道を下り始めた。



 それから、更に3日の時が流れた。

 王国連合帝国おうこくれんごうていこく(てい)()にある聖サクラス教会では、

()神託(しんたく)が出たわね」

「出ましたね。ようやく……」

 大聖堂(だいせいどう)の正面にある式典広(しきてんひろ)()に大きな(けい)()(ばん)が用意され、そこに決定内容を()げる紙が()り出されていた。広場にはその掲示を一目見ようと、大勢の人たちが集まっている。

「『第5次調査隊の編成は以下の通りとする。調査隊全権大使』これはクリプトンおじさまね。『大使の世話(せわ)(がかり)として(しつ)()1名、()(じょ)1名。学者2名。()(えい)として近衛(このえ)()兵隊(へいたい)より8名』これがクラウの小隊ね。『馬車の編成は4台。馭者(ぎょしゃ)4名。他に修道院より随行者(ずいこうしゃ)7名。内訳(うちわけ)造営(ぞうえい)係2名、(すい)()係1名、()(りょう)係1名、通信(つうしん)係1名』があたし、『雑用(ざつよう)係2名』でパセラ。『以上24名とする』ねぇ……」

 最前列(さいぜんれつ)で掲示板を見るレジーナが、書かれていた編成をかいつまんで読み上げた。

 掲示板には調査隊員全員の名前が書かれているが、そこは割愛(かつあい)である。

「いよいよお呼びがかかっちゃいましたぁ」

「まさか3人とも選ばれるとは、神さまも(いき)なことをしますねぇ」

 レジーナの隣では、同じく調査隊に選ばれたパセラとクラウが掲示板を見ていた。

 離れた場所では、掲示板に名前が挙げられていた見習い修道女が、まるで死刑宣告を受けたように(おび)えて泣きわめいていた。同じように選ばれた医療係の正修道女は、血の気の失せた顔で掲示板の横に座り込んでいる。そんな2人をしばらく見ていたクラウが、次に隣にいるパセラとレジーナに目を向けて、

「2人とも調査隊に選ばれたのに、(みょう)に落ち着いてませんか?」

 と声をかけた。

「今回の調査隊は、ちゃんと御神託で選ばれたんでしょ。だったら大丈夫よ」

「う〜ん。まあ、なるようになるんじゃないですかぁ?」

「ふむ。物は考えようですか」

 2人の性格通りの答えに、クラウがそう(こぼ)して肩をすくめた。

 そこに真っ白な髪の老学者が、

「おやおや、パセラちゃんにクラウ(ぼっ)ちゃん。それにレジーナ(じょう)ちゃんも一緒じゃったか。次の調査隊には、3人とも出動のようじゃな」

 と言いながら、人を()き分けながらゆっくりと3人に(あゆ)み寄ってきた。

「これはアウル(はか)()。博士もご一緒のようですね」

「ほっほっほっ。年寄りに長旅とは、ちとキツイ仕打ちじゃがのう」

 話しかけてきたアウルは、好々(こうこう)()と呼ぶに相応(ふさわ)しい(ふん)囲気(いき)を持っていた。そのアウルが小さな丸メガネの奥にある目を優しく(ほほ)()ませ、ふさふさの(ひげ)をなでながら、

「それにしても次の調査隊の顔ぶれは、なかなか興味深いと思わぬかな?」

 と話題を振ってくる。

「最初のテロ事件の時の顔ぶれ……ですかぁ?」

 パセラが周りを見ながら、そんなことを答えた。そのパセラが見ているのは、掲示板の横で放心している3本杉(トリプル・シダー)の正修道女と、泣き崩れてる(きゅう)廷聖(ていせい)()隊の見習い修道女だ。

 他に工作係の修道士が、腕を組んで静かに目をつむっている。

「ほう、パセラちゃんはそのように(かい)(しゃく)するかね」

 アウルが面白い見方もあるものだと、感心するような表情でパセラを見た。そして、

「たしかに事件に関係のある者が集まってるようじゃ。テロに限らず、いろいろとのう」

 と言って、再び掲示板を見上げる。

 そのアウルの横顔をちらっと見たクラウが、

「くじ運の悪い者ばかりというオチ……ではないですよね?」

 と、小さな声で(こぼ)した。



 その頃ナバルとメイベルは、まだ第5次調査隊が決まったことは知らなかった。

 その2人は今、大きな図書館に寄っている。

「従者さま。お探しの本らしき()文書(もんじょ)を集めて参りました」

 テーブルで調べ物をしているメイベルのところに、司書が手押し台車にたくさんの本を()せて(はこ)んできた。(ひも)()じられた本や、書類フォルダに(はさ)まれた書物の断片などだ。

「ありがとう。これは、なんともすごい数ね」

「申し訳ありません。古い文字を読める職員がいないもので、古文書を手当たり次第に持って参りました。この中にお探しの本があると良いのですが……」

 そう言いながら、司書が運んできた本をテーブルに積み上げていく。

 その司書は古文書を汚さないように、白くて薄い手袋をしていた。それと同じ手袋をしたメイベルも丁寧(ていねい)にページをめくりながら、

「それらしい本は何冊か……。閉館時間まで()(すわ)らせてもらうと思うわ」

 1冊ずつ求める資料かをどうかを確かめている。

「ところで従者さま。こちらの絵は……?」

 持ってきた本のすべてをテーブルに移した司書が、メイベルの横に置かれていた絵に興味を持った。それは風の町アウラスで見た遺跡で()かれた、壁の精巧(せいこう)なスケッチだ。

「ドラゴンの残した落書きよ。これに関係のありそうな資料を探してるの」

「ドラゴンも文字を使うのですか? なんとなく古文書の文字に似てますね」

 司書の言葉に、メイベルが「まったく同じだから」と短くツッコんだ。そのツッコミに、司書が意外そうな表情を浮かべて首をかしげている。

「それでは従者さま、これでわたしは失礼しますが、何か御用がありましたら気兼ねなくお声をおかけください。勇者さまも、どうぞごゆっくり……」

 すぐ仕事の顔に戻った司書が、そう(ことわ)ってから離れていく。

「まさか、またマゼリオンの図書館に来られるとは思わなかったわ。しかも今回()まったのは図書館の裏にある水門橋(すいもんばし)教会。その上、今日は1日休養日って……。図書館にこもって調べものができるのは(うれ)しいけど、何というか……」

 司書を見送ったメイベルが、そう(こぼ)しながら調べものに戻った。

「だから、俺の手には神が宿(やど)ってると言っただろ。勇者である俺の引くくじに、間違いはないんだ!」

 隣のテーブルにいるナバルが、そう言ってこぶしを目の高さまで()げた。

 そのナバルが読んでいるのは、(けん)(じゅつ)に関する本だった。

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