第3巻:第1章 少しだけ見えてきた
フォルティアース大陸。それは北半球の極地から南半球の寒帯まで伸び、中央にはまるで大洋のような巨大な内海を抱え込んだ超大陸である。
その内海より東側の一帯を、王国連合帝国が支配している。東西3千km、南北に至っては1万kmを超える大帝国である。この帝国を1つにまとめるのは、大陸でもっとも大きな宗教であるソルティス教だ。そのため帝国を統べる皇帝はソルティス教の大司教が務め、政治的な中心も大陸の東にある宗教都市に置かれている。そのため帝国は帝都の名を取って『サクラス帝国』と称されることもある。
もっとも大司教は皇帝を兼ねた教皇としての地位を与えられてはいるが、強大な権限は何1つ持っていない。帝国を支配するのは連合に所属する王国の代表者たちによって構成される帝国議会である。
帝国の中心となる帝都は、ソルティス教の総本山である聖サクラス教会を中心に広がっている。その中心地である聖サクラス教会は、白い塀に囲まれていた。敷地の真ん中には大きなドームのある大聖堂が建てられている。その大聖堂の東側に事務関係の施設が並ぶ一角がある。そこにある建物の1つに、メガネをかけたやや丸顔の少女が入っていった。
少女は半袖で明るい灰色の修道服を着ていた。見習い修道女の着る夏服だ。少女の左袖には金色に縁取られた袖章がつけられている。袖章に描かれているのは、1枚のお皿の上で交差させた1組のナイフとフォークである。
「すみません。今日もメイベルからの手紙が届いてるでしょうか?」
建物に入った少女が、そう言ってカウンターの中で働く職員に声をかけた。
少女の入った建物は聖サクラス教会と帝国議会に集まる郵便物を扱う集配施設である。
カウンターの前には、少女の前に先客がいた。どこか軽薄さを漂わせる近衛隊の青年士官だ。その青年士官が、
「おお、これはメイベルちゃんの友人Aくんではありませんか。奇遇ですね」
と言いながら、少女に近づいてくる。
「あれ、クラウさん。どうしたのですか?」
「僕は帝都の治安を守る者として、見まわりに立ち寄ったところですよ。見まわり……」
少女の質問に、青年士官クラウがさわやかに白い歯をキラキラさせながら答えた。
そのクラウを少女が上目遣いでジッと見詰める。
「ところでクラウさん。わたしの名前はパセラ・アヴィシスです。いつまでも友人Aで呼ばないでください。でないと、わたしもクラウさんを、クラウ・アキロキャバスさんって呼んじゃいますよ」
「うわっ。そんな庶民的な呼び方はやめてください!」
少女パセラの反撃に、クラウがめまいを起こしたような仕種で待ったをかけてきた。そして軽く姿勢を正して、
「僕にはロード・クラウ・アスピス・リ・フローレス・ド・アキロキャバス・ユーベラスという立派な名前があるのです。貴族たる者、その誇りにかけて、名前はみだりに略してはならないのですよ」
と、パセラに訴えかける。クラウは王国連合帝国で最大の貴族であるユーベラス公国のアキロキャバス公王の三男坊。そして帝都を守る近衛騎兵隊の小隊長なのだ。
「なるほど。いつまでも友人Aくんと呼ばれるのはご不満なのですね。友人Aでは名もなき登場人物となるのが気に喰わないというわけですか」
「あのぅ、登場人物って……?」
クラウの意味不明な発言に、パセラがきょとんとした表情になった。その前で、クラウがぽんと手を打って、顔をパセラに向けてくる。
「わかりました。それではお望み通り呼び方を変えましょう。友人Pくんと……」
「友人Aでいいです……。はぁ〜…………」
クラウの物言いにパセラが負けてしまった。がっくりと肩を落とし、見せつけるように深く長い溜め息を吐いている。
「あら、パセラ。そろそろ来るころだと思ってたわ」
そこに帳簿を抱えた、金髪で赤い瞳の少女が近づいてきた。
少女は見習い修道女の着る灰色の服を身につけていた。左袖には羊皮紙のような絵が描かれた金縁の袖章がついている。羊皮紙の絵のある袖章は、事務などを受け持つ書記係の意味だ。その彼女の袖章には、羽ペンを思わせる絵が1つ重ねて描かれている。
「メイベルからの手紙、今日も届いてるわよ。ちゃんと取り置きしておいたわ」
そう言った少女が、持ってきた帳簿をカウンターに置いて広げた。その間に1通の封筒が挟まれている。その帳簿を広げた少女が顔を上げ、
「と、その前にクラウ。まだいたの? いい加減、仕事に戻ったら?」
と、クラウに冷たいことを言った。
「レジーナちゃん。僕は帝都の治安を守る者として……」
「だったら、こんなところで油を売ってないで、街を見まわった方がいいんじゃない?」
クラウの言い訳に、少女レジーナがまっとうな意見を返してきた。それに反論できず、クラウが頬を引き攣らせている。そのクラウに見せつけるように、レジーナが手紙を指に挟んでひらひらさせた。そして、
「見まわりが本当の理由だったら、今すぐに街へ見まわりに行く。それとも、他に理由があるのかなぁ〜?」
と、意地悪っぽい表情を浮かべてきた。
「すみません。メイベルちゃんの手紙が目当てで、ずっと待ってました」
「お〜っほっほっほっ。思った通りね」
頭を下げるクラウの前で、レジーナが手の甲を口に当てて勝ち誇ったように笑う。だが、それも一瞬のこと。すぐに、
「まあ、人間、素直なのが一番よ。本能に素直すぎるのも困るけどさ」
と言いながら、持っていた手紙をパセラに渡した。
「レジーナ。ペーパーナイフがあったら、貸してくださいませんか?」
「ペーパーナイフ? あるわよ」
パセラの求めに、レジーナがカウンターの内側にある机の抽き出しからペーパーナイフを出してきた。そして刃の方を持ってパセラに柄を向ける。
「さて、今日のメイベルからの手紙は……」
封を開けたパセラがペーパーナイフをレジーナに返して、出した便箋を広げた。
「『パセラ、元気にしてる?』」
さっそくパセラが手紙を読み始める。手紙の差出人は、救世の旅に従者として旅立つことになったパセラの大親友だ。だが……。
「『今日は8月……』。あのぅ〜、クラウさん……」
横から覗き込んでくるクラウに気が散って読むのをやめてしまった。そのパセラが、
「クラウさん。わたしはあとで読みますから、どうぞ先に読んでください」
と言って、あきれた表情を浮かべて手紙を渡す。
「いいの、パセラ?」
今のやり取りを見ていたレジーナが、カウンター越しに尋ねてきた。そのレジーナに、
「別に検閲されて困るようなことは書いてないと思います」
と答えて、パセラがはかなげな笑みを浮かべる。
「ところで、第5次調査隊の選抜は、もう決まった頃でしょうか」
パセラがカウンターに両肘を置いて、レジーナに質問を投げかけてきた。クラウが読み終わるまで、雑談をしながら時間を潰すつもりだ。
「5次隊? そう言えば御神託を始めてから、今日で4日になるわね」
レジーナがそう答えながら、建物の外に顔を向ける。
集配所の前は大聖堂である。その大聖堂の上にあるドームの最上階では今、ソルティス教の教義にのっとった御神託の儀式が行われているのだ。
「正式な御神託は時間がかかるからね。下手したら何か月も続くわよ」
そう答えたレジーナが、視線をパセラに戻してきた。
「4次隊までは抽籤で決めてたのに、どうして急に御神託に変えたのでしょうか?」
「それは当然、抽籤で決めた結果、失敗が続いたからでしょ。抽籤よりも御神託の方が、神さまのお導きを正しく読み取れるものね。自然な流れだと思うわ」
パセラの疑問に、レジーナが簡単な推測を返す。
「そうなのですが? 抽籤でも御神託でも、くじびきには変わりないでしょう?」
「やってることから大違いよ。御神託は神通力を持つ神官たちがくじを引くのよ。ここが大きく違うのよね。って……」
説明するレジーナの表情が、不意にジト〜ッとした目つきに変わった。
「あのね、パセラ。あんた、見習いでも修道女でしょ。それも聖サクラス教会に集められた。そのあんたが、こんなことも知らないでどうするのよ?」
「あぅ。そう言われるとその通り……ですけど……」
パセラが口許を手で押さえて、困った表情を浮かべた。それでも、
「あのぅ、もう少しだけ……。抽籤で決めるくじびきは、神さまのお導きを正しく読み取れないのでしょうか?」
と、疑問に感じたことをレジーナにぶつけてみる。
「あんたねぇ。そんな基本的な質問を……」
レジーナが気難しそうな表情を浮かべて、重い溜め息を吐いてみせた。
「抽籤でも何でも本当に選ばれる人は、神さまから当たりくじを引くように神通力を与えられるって話でしょ。だから、けして悪い選び方じゃないと思うわ。それどころか時間をかけなくて済むから、急ぐ時には抽籤で選ぶのが一番よ」
「でも、選ばれるべき人の前に、神通力のない人が当たりを引いちゃったら……」
「あんたも屁理屈言うわね」
パセラの一言に、レジーナが苦笑いする。
「たしかに抽籤ではそういう事故が起こるかもしれないわ。そこで本番のくじを引く前に、引く順番をくじで決めることがあるでしょ。まあ、調査隊を決めるくじびきの時は、順番を決めるくじびきはしてなかったわけだけど……」
そう答えたレジーナの目が、パセラの後ろに向かった。
「クラウ。まだ手紙読んでるの? そんなにたくさん書かれてるのかしら?」
レジーナがカウンターに身を乗り出すような恰好で、クラウに声をかけた。
「書かれてることは便箋2枚ですが……」
手紙から顔を上げたクラウが、困った表情を向けてきた。そしてマジメな顔で、
「友人Aくん。僕はきみを尊敬します」
と言ったクラウが、手紙の文面もパセラに向けてくる。直後、
「僕にはメイベルちゃんの書いた文字が読めません。っていうか、これはどこの国の文字ですか? 時々見かけるような気はしますけど、謎の文字ですよ」
と文字を指差しながら泣き言を零してきた。
「ええ!? 読めないのですか? メイベルの字は綺麗で読みやすいと思うのですけど」
パセラが口許を押さえて、クラウの指差す文字をジッと見詰めた。
その文字を一緒に見るレジーナが、
「クラウ。どこの国の文字も何も、それ、アルファベットの線文字じゃないの」
と、あきれた声で言った。
「線文字ですか? アルファベットには大文字と小文字しかなかったと思いますが」
「アルファベットには大文字のアルテース文字と小文字のユーベラス文字の他に、線文字とか中文字と呼ばれるシルヴ文字があるのよ。知らなかったの?」
「だ、第3のアルファベットがあったのですか……。それは僕の勉強不足でした……」
虚ろな表情になったクラウの目が、ふらふらと何もない宙を游いでいる。そんなクラウを見てくすっと微笑んだパセラが、
「メイベルはシルヴ侯国南部のレヴァイン地方出身ですから、シルヴ文字を一番よく使うのです。それにしてもクラウさんが線文字をご存じでなかったなんて意外でした」
と、手紙に書かれた文字のことを教えた。
「クラウ。アルファベットなんてたった21文字なんだから。貴族のたしなみとして覚えておきなさいよね。なんか知らないけど、ユーベラス地方とかグレーシィ地方とか、帝都の周りではシルヴ文字を忌み嫌って、覚えようとしない人が多いんだけどさ」
レジーナがそういう物言いで、敢えてクラウに覚えようとしない逃げ道を用意する。
世の中には言い訳ではなく、信念から何かを覚えようとしない人もいるからだ。
「それでは、わたしが手紙を読みますね」
クラウから手紙を受け取ったパセラが、向きを正してからコホンと咳払いした。
「『パセラ、元気にしてる? 今日は8月28日。くじびきで行き先なんか決めてるせいで、またまた水の都マゼリオンに戻ってきちゃったわ。今回はグレーシィ地方南部の運河を8日かけてぐるりと1周しただけ。まったくバカみたいな話よね。でも、また前に泊まった教会とは違うの。最初はマゼリオン中央教会で、次に来た時は北教会。で、その次は聖アルバ教会で、昨日泊まったのは西教会なのよ』」
「おやおや。岩の山脈を越えるまでは順調だったのに、グレーシィ地方に入ってからは迷走しまくりではありませんか」
クラウが頭の中に地図を思い浮かべて、大きく肩をすくめた。
手紙の主メイベルの旅の行程は、帝都サクラスからかなり直線的に北西へ向かって続き、岩の山脈を越えたオーマンドの町まで達している。だが、そこから先はいきなり迷走を始め、グレーシィ地方の真ん中にある水上都市マゼリオンを基点にするように、北へ行って、東へ行って、そして今度は南へ行って戻ってきていたのだ。まるで地図の上に一筆書きで三つ葉の絵を描いたような経路である。
「『この調子だと、いつ竜の山脈にたどり着けるか不安だわ。マゼリオンから目指してる竜の山脈のふもとの町ヴァレーまで、運河を使えば3日で着くのにね。まあ、その話は横に置いといて、またマゼリオンの図書館で調べ物ができたから、ちょっと満足できたわ。マゼリオンの図書館はサクラスの宮廷図書館に負けないぐらい本があるから、時間があったら入り浸ってみたいわね。それじゃ、そろそろ旅立ちの神事が始まるから、今日の手紙はこれで終わりにするわ。メイベルより』と、以上です」
手紙を読み終えたパセラが、便箋を折りたたんで封筒の中へ戻した。
「メイベルちゃんとナバルの救世の旅。まだまだ大変そうですね」
クラウがそう零して、ふうっと軽く息を吐く。その言葉に、
「そうですね。でも……」
と受けたパセラが、窓から議事堂のある方角に目を向けた。
「御神託でメイベルとナバルさんにすべてを任せて旅立たせたはずでしょう。なのに、どうして調査隊の派遣を続けるのでしょうか?」
「ん? そう言われてみると、気になるわね」
パセラの疑問に、レジーナも初めて事の不自然さに気づいたようだ。ただクラウは、
「有事においては、複数の施策を同時並行で進める。何もおかしいと思いませんが……」
2人の感じる疑問を、まったく不自然とは思っていないようである。
「その件、ちょっと調べてみるわ」
レジーナが広げていた帳簿を閉じて、そんなことを言う。
「どうするのですか?」
「今日のお昼、お父さまとクリプトンおじさまと一緒にお食事することになってるの。その時にちょっと探りを入れてみるわ」
パセラの質問に答えるレジーナが、腰に手を当て凛々しくポーズを決める。
「小テルル卿とクリプトン卿とお食事ですか。さすがはテルル公王の孫娘レジーナ・ラ・ルース・ド・テルル・アイシア・アルテースですね」
「今はただの見習い修道女レジーナ・テルルよ」
クラウの言葉を、レジーナが訂正して髪をぱさっと掻き上げた。
さて、3人の話題になっていた2人──救世の旅に出た勇者と従者は今、帝都サクラスより西北西へ約2,600km離れた辺境の田舎町にいた。
「まだ暑さの残る季節とはいえ、山の中は思ってた以上に冷え込むわね」
山道を登ってきたメイベル・ヴァイスが、そう言って後ろを振り返った。
山は深い森に覆われていた。ふもとの森の青い葉が強い陽射しを照り返して、ところによっては白や黄色に輝いている。だが、視線を山の上へ向けると森は赤や黄色に色づき、これから少しずつ冬に向かっていくことを予感させていた。
山は全体に丸みを帯びている。だが、山頂付近には岩肌の露出した場所が多い地形だ。
「出る時に冬服を着るように言われたのは、こういう事情があったからなのね」
そう零しながら、メイベルがまくっていた袖を伸ばした。
延々と続く山道が、ふもとの町へと続いている。その先は青々とした大草原。いや、正しくはどこまでも広がる水田や麦などの畑だ。小さな起伏はあるものの、地平線が見渡せるほど大きな平原地帯である。そこには灌漑と物流のために築かれた運河や水路が、まるで網目のように張り巡らされていた。
「ほう。けっこう登ってきたんだな」
メイベルが立ち止まったことに気づいて、ナバル・フェオールも少し先で足を止めた。
山から吹き下りてくる風が木々の葉を揺らし、さわさわと葉がすれの音を立てている。
この2人が帝国から救世の使命を帯びて旅を続ける勇者と従者だ。勇者のナバルは近衛士官の服を着た剣士。従者のメイベルは青い修道服を着たソルティス教の修道女である。
2人が帝都サクラスを旅立ってから、今日までに47日の時が流れていた。
ナバルは勇者の証として腰に勇者の剣を携えている。メイベルも従者の証として、左手に従者の杖を握っていた。
「正修道女メイベル。疲れましたか?」
その2人を、赤い修道服を着た修道女が先導していた。凛とした印象が強く、年齢不詳感のある女性である。その修道長の手には、大きなバスケットが提げられていた。
「いえ、修道長クラーナ。少し道端の花を見てただけです」
そう言って、またメイベルが坂を登り始めた。
「そうですか。お2人にお見せしたい遺跡は、もう少し先にあります。あそこの尾根を越えれば見えてきますわ。あと20分ほどで着きますよ」
メイベルが登ってくるのを待っていた修道長が、再び歩き始める。
「今日はせっかくの休養日でしたのに、山にお連れしたのは失礼だったかしら?」
「いえ、そんなことはありません。初めて見る草木が多いので、わたしとしては願ったり叶ったりですよ。帰り道ではたくさん持ち帰ることになりそうで……」
などと答えたメイベルが、持ってきた植物採集キットを手でなでながら目を少し上に向けた。山道の上に小枝が垂れ下がってきている。枝になった実が色づき、重みでしなっているのだ。その実を小枝に留まる2羽の小鳥たちが、首を伸ばしてついばんでいる。
その小鳥たちがメイベルの視線に気づいて、慌てて飛び去っていった。それで小枝が激しく揺れ、ついばまれていた実が地面に落ちてぐちゃりと潰れる。
その様子をしばらく目で楽しんだメイベルが、また先に進んだ2人を追いかけていく。
「お2人が風の町アウラスに来られ、しかも旅立ちの神事で休養日を選ばれたのは、きっと神さまのお導きですわ」
「なんか知らんが、くじの前に手をかざすと、選ぶべきくじに吸い寄せられるんだ。これは勇者となった俺の手に、神が宿った証拠ではないかと思ってる!」
修道長の言葉に、ナバルが意味もなく上機嫌に答えた。
勇者と従者に選ばれた2人は教会から出発するごとに旅立ちの神事を行い、次に向かう教会のある町をくじびきで決める旅を続けてきた。そして今、2人は最終目的地と考えていた竜の山脈にたどり着いていたのだ。
もっとも、本当の目的地であるヴァレーの町は、ここから800km以上も南にある。2人がたどり着いたのは同じ竜の山脈でも、北端のふもとにあるアウラスの町だった。
「はぁ〜。思い込みって怖いわ……」
とは追いついてきたメイベルの嘆きだ。だが、
「それはどうかしら? 本当に宿っているのかもしれませんわ」
と修道長が言ってきた。
「本当にって……?」
「ところで、お2人さま。今朝の礼拝でのお言葉で、まだ旅の使命を果たす方策を何1つ摑まれてないと話されてましたが、漠然とでも足がかりは見えてないのですか?」
メイベルと修道長の言葉が重なった。それで質問をさえぎられる形になったメイベルが、
「それが、まださっぱり……」
と、先に答える。
「勇者さまは?」
「俺の脳ミソは、考えるようにはできてない!」
「……あの、そんなにキッパリ答えられても……」
質問した相手が悪かった。質問した修道長もあきれて、その場で歩みを止めてしまう。
そこにまた山から風が吹き下りてきた。
木々がざわめき、風の動きが木の葉の照り返しの変化で見て取れる。その風で生まれた白い帯が、山のふもとにある町へと移動していった。その町には数多くの風車があり、風を受けた羽根が勢いよくまわっている。
そこがナバルとメイベルが昨晩泊まった町アウラスだ。グレーシィ地方の北西のはずれにある、小さな田舎町である。そこは西側にある山から常に強い風が吹き下りてくるため、風の町とも呼ばれている。
「それはそうと今日の礼拝は、久々に大盛況でしたわ。信者さんたちがあれほど集まったのは、いつ以来かしら?」
話題を切り替えて、修道長がまた歩き始めた。
「やはりみなさん、勇者さまと従者さまのお言葉が聞きたいのですね。しかもメイベルさんはソルティス教の総本山、聖サクラス教会に籍を置く若き正修道女ですもの。しかもお綺麗な上に宮廷料理人、それもタマネギ3個という高い位にあるでしょう。信者さんたち、お声を聞けただけでも大喜びでしたわ」
そう言いながら、修道長がメイベルの左袖に目を向けた。二の腕に付けられているのは、金で縁取られた袖章だ。そこには大きな鍋と3個のタマネギの図柄が描き込まれている。
「それだけでも喜ばしいことでしたのに、メイベルさんのお話もまた期待を裏切らない素晴らしいものでしたわ。お題目は聖者ナッシュビルの書き記した『強き運の書』でしたわね。聖典を確率統計学に基づいて解釈すると、とてもわかりやすい内容だったのですね。聖者ナッシュビルは元は数学者でしたから、なるほどと感心させられましたわ。彼の書は聖職者でも読み解ける人が少なかったので、今日のお話は大変に大きな収穫でした」
「あはは。そう言っていただけると、話したかいはありましたかね?」
修道長の言葉に、メイベルがはにかんだ笑みを浮かべる。そのメイベルに、
「礼拝嫌いだったメイベルさんが、この旅の間にすっかり礼拝上手になったよな」
とナバルが茶化してきた。そのナバルに、メイベルが怨めしそうな視線を向けている。
「それで……ですね、メイベルさん。もしよろしかったら、明日は同じ聖者ナッシュビルの記した『裏目の書』を語っていただけませんか」
「『裏目の書』ですか?」
修道長の言葉に、メイベルが複雑な表情を浮かべた。
「すみません。『裏目の書』に書かれてる内容はどうも理屈として信じられないので、わたしとしてはあまり語りたくないと言うか……」
「あら、そうですの? それは残念ですわ」
軽く嘆息した修道長が、大きく肩を上下させてみせる。
「メイベルさん。『裏目の書』に何か変なことが書かれてるのか?」
並んで歩くナバルが、うっかり疑問を口にしてしまった。質問されたメイベルの目が、キラリと輝きを放つ。
「聖者ナッシュビルの書き残した2つの書は、どちらも数学の知識なしで読み解くのは難しいものなの。特に『強き運の書』は今でいう確率統計論や線形計画理論、ゲーム理論を800年前の古い数学知識で語った、バリバリの数学書よ。で、もう1つの『裏目の書』も確率統計論が使われてて、中心に語られているのは、多くの人にとって当たりくじを引き当てる確率は、理論的に期待できる確率よりも低くなるという法則なの」
解説を始めるメイベルの右手が、元気にくるくると回り始めた。
「これを聖者ナッシュビルは実験で徹底的に確かめたらしいわ。それで誤差の範囲からはみ出すのは、常に理論値よりも低い側だったの。ところが、ごく稀に高い確率で当たりを引き当てる人がいたらしいのよ。そこで聖者ナッシュビルは、ほんの一握りの人たちのくじ運が高いのは、その他大勢の人たちから少しずつくじ運を寄せ集めてるんじゃないかという仮説を立てたのよ。このくじ運を集める力を神通力と呼んでるの」
「……神通力……ねぇ……」
解説を聞かされるナバルが、虚ろな表情を浮かべていた。それを見たメイベルが、
「それじゃ、『裏目の書』をわかりやすく宝くじで説明するわ」
と、説明のやり方を変えてくる。
「1万枚に1枚だけ9,000倍になる大当たりと、10枚に1枚だけ1倍の小さな当たりのある宝くじがあったとしましょう。これをすべて買えば買った額と同じ額が戻ってくるわ。そこで、この宝くじで期待できる払い戻しは買った額と同じだけ返ってくる1倍になるの。これは買っても買わなくても同じ。運が良くも悪くもない状態ね。理解した?」
「うん、たぶん……」
ナバルが計算をすっ飛ばして、取り敢えず理解したことにする。
「だけど、この宝くじの大当たりは1万枚のうち1枚しかないし、宝くじのすべてを買うなんてできないでしょう。だから多くの人にとっては、大当たりを除外した部分が本当の意味での期待できる払い戻し額になるの。つまり宝くじを買ったら、その瞬間から10分の1倍しか期待できないってことね。これ、聖者ナッシュビルの言ってる、理論値よりも実際の結果が低くなる現象に似てるでしょ」
「すまん。勘弁してくれ。俺にはさっぱりわからん……」
眉間にシワを寄せたナバルが、とうとう逃げ出してしまった。山道を先に進むナバルの背中に向かって、
「もう……。ナバルさんは説明のしがいがないわね」
とメイベルが不満をぶつける。とはいえ、少しは解説できたせいか、どこか上機嫌な表情だ。説明が無駄骨に終わったことを何も気にしたような様子もない。
「あ、そうだ」
不意にナバルが立ち止まって、後ろを振り返ってきた。そして、
「わけのわからん話で聞き損ねたが、どうしてそんな数学書が聖典とされてるんだ?」
と、知りたかった部分だけを尋ねてくる。
「そうね。ソルティス教はくじびきで物事を決めようとしてるけど、くじびきで安易に決めると悪い結果を招くという警告が書かれてるからかしら。まあ、もう1つの世の中にはくじ運の強い人がいるという仮説が書かれてるせいかしらねぇ。神の導きで佳いくじを引く、神通力を持つ人がいるという論拠になってるから……」
「なるほど。つまり勇者である俺が正しいくじを引き続けるのは、神から神通力を授かったからなのだな!」
「誰もそんなこと言ってないわよ」
ナバルの勝手な解釈に、メイベルが立ち止まって大きな溜め息を吐く。そして、
「それに、わたしは神通力なんて信じてないわ。実験の結果が理論的な確率よりも低くなる理屈として、どうして神通力が出てくるのか。そのあたりの論理の飛躍が納得できないのよね。だから『裏目の書』は数学書としては異端なのよ」
と言って、先を行くナバルに怨めしそうな視線を向けた。
「あらあら、それだけお詳しいのでしたら、是非とも明日の礼拝では『裏目の書』を語っていただきたいですわ」
そこにそんなことを言ってきたのは、一足先に尾根の上に着いていた修道長だった。その修道長が後ろを振り返って、2人の到着を待っている。
「おおっ。あれは何の遺跡だ?」
先に追いついたナバルが、尾根の向こうに見える光景に驚きの声を上げた。その声に、
「ナバルさん。何かあったの?」
好奇心を刺激されたメイベルが駆け出していく。
「うわぁ〜。何よ、あれ!? まるで廃虚になった大都市じゃないの!」
尾根に着いたメイベルの目に、巨大な遺跡の姿が飛び込んできた。
遺跡は森に呑まれて、部分部分しか見えない。だが、山の斜面一体に遺跡が広がっている様子から、そこがかつて大きな街であったことを物語っている。
「修道長クラーナ、あの遺跡は?」
「今から9世紀ほど前、ドラゴンによって最初に滅ぼされたと伝えられる都です」
「最初に滅ぼされた都だって?」
ナバルが驚いた顔で遺跡に目を向けた。
遺跡はかなり広い範囲に散らばっている。山の斜面に作られた都。しかも中央に大きな建物があり、その周りを囲むように広がる都の姿は、規模こそ小さいが、まるで王国連合帝国の帝都サクラスを思わせる姿だ。
その街の作られた斜面は、山肌に沿って中央がくぼんでいる。そこには沢があったと思われるが、昔の人はその沢に流れる川を上流で堰き止め、水を地下の用水路に流して動力として利用し、また飲み水としても使っていたようだ。そんな堰が遺跡の上の方に3つあり、今でも水を満々と湛え続けている。
「アウラスの町に残る古い言い伝えによれば、今から千年ほど前に水車を動力とするようになった人類は、町を平地から山の斜面へ移すようになったそうです。あそこに見える遺跡は、その中でももっとも早く作られた水力都市になるそうですわ。その証拠とされているのが、都の名前が始まりの町という意味のプリモと呼ばれていることです」
「古代都市プリモ……」
話を聞いていたメイベルが、遺跡を見詰めたまま都の名前を呟いた。
「都の成り立ちはどうでもいいよ。気になるのは、どうして都がドラゴンに襲われたのか、そのわけだ」
「さあ、それはどうしてかしら?」
結論を急かしてくるナバルに、修道長が説明に困った顔をする。その修道長が、
「わたしは歴史にはまったく詳しくありませんわ。ただ今朝の旅立ちの神事で、今日は旅立たないと決まりましたでしょう。それでお2人にあの遺跡を見ていただいたら、ひょっとしたら何か使命を果たす糸口のようなものが摑めないかと思い立ち、ご案内しようと考えましたの」
と遺跡に案内する理由を明かしてきた。
「ところで勇者さま。人は本来、どのような場所に住む生き物と思いますか?」
「人の住む場所!? 家……じゃないのか?」
「ナバルさん。質問の意味が違うわよ」
素でボケるナバルに、メイベルが軽いツッコミを入れる。そのメイベルが、
「修道長クラーナ。ご質問の住む場所は、人が文明を持つ以前の話でしょうか?」
と質問の内容を確認してきた。そんな2人をのやり取りを、
「うふふ。質問が漠然としすぎてましたわね」
と笑いながら、修道長が見ている。
「文明を持つ以前って、俺が生まれる前の話だろ。俺が知ってるわけねえよ」
「あらあら」
きっぱりと思考放棄したナバルの答えに、修道長が困った顔で肩をすくめる。
「先ほどの質問ですが、言い伝えによれば人は平地の生き物です。それに対してドラゴンは山の生き物。互いに住む場所が違ったおかげで、人とドラゴンは有史以前から長い間、対立することなく共存してきたとされています」
話を元に戻した修道長が、語りながら遺跡へ向かうゆるやかな坂道を下りていった。
「その間に人は伝説で語られているように、多くのことをドラゴンから学んだのではないでしょうか。伝説の通りであれば、学んだのは言葉や文字、農業、天文学、幾何学などです。もしもドラゴンと交流することがなかったら、人は文明を持つこともなく、今もまだ野生生物と変わりない暮らしをしていたのかもしれません」
「と言っても、所詮は伝説の話だろ」
修道長の話に、ナバルがそんな横槍を入れてきた。それに修道長が、
「仰られるように、ドラゴンから何かを学んだというのは、ただの伝説かもしれません。残念ながら記録の多くがその後の人竜戦争で失われたため、今では知る人がほとんどいないそうですから……」
と答えて、軽く苦笑する。
「それで襲われた理由ですが、町に残る古い言い伝えでは水車を使うようになった人類が平地から山へ移り住むようになったため、それでドラゴンの住む場所を侵すこととなり、人竜戦争が始まったとされています」
そう話している間に、3人は遺跡の入り口になる崩れた門のところにたどり着いた。
都を囲む壁は周りにある木々よりも低い。だが、それでも優に12〜3mの高さがある。表面をツル植物に覆われて崩れ落ちたところもある。その表面には今も白いモルタルが残っている様子から、ここに都があった当時は真っ白な壁が都を囲んでいたようだ。
崩れた門のがれきが邪魔になって、門から遺跡の中へ入ることができない。そこで修道長は、2人を壁が崩れて入ることのできる場所へと案内した。
「すげえ。まだ住もうと思えば住めるんじゃないか?」
都に入ったナバルが、中の様子を見てそんなことを言い出した。
石畳に覆われた大通りは、今もほとんど雑草が生えないまま当時の姿を留めていた。とはいえ建物の方は傷みが激しい。屋根が崩れ、家の中から木が生えているのだ。その木の根で持ち上げられた石畳の間から、雑草が顔を出している。他の場所では木の根が地下を流れる水路を塞いだのだろう。澄んだ地下水があふれて出ている。その水の流れに沿って苔や水草が生えていた。都が放棄されてから数百年。植物たちがゆっくりと時間をかけて、廃虚を壊し続けている。
「ナバルさん。あれ……」
メイベルがナバルの袖を摑んで、通りの先に見える建物を指差した。
「ありゃ、いったい……」
メイベルの示す建物を見て、ナバルが怪訝そうな顔になった。
「あれ、ドラゴンの炎に焼かれたんじゃないのかな?」
そう言いながら、メイベルが問題の遺跡に近づいていく。
その建物の表面には、まるでただれたような跡が残されている。ただれの見た目は、ガラスのような光沢がある。熱に熔かされて壁が流れたような跡だ。その表面には沸騰して気泡ができたようなブツブツが残されている。
「あそこにあるのは、爆発した跡かしら?」
ブツブツを指で触ってみたメイベルが、通りの先にある広場に木々が密集している場所を見つけた。
広場にはいくつものすり鉢状のくぼみができている。そこは生け垣とはまるで違う。上を覆っていた石畳が吹き飛ばされ、下の土が露出したような形だ。規模こそ大きいが、帝都サクラスでテロ事件があった時に見た爆発跡に、形がよく似ている。
そのくぼみの底に見える土から、木々が競うように生えているのが今の姿だ。
「あの置き物に、何か書かれてるわね」
広場に岩を模した作り物がいくつも置かれていた。その中でももっとも大きな作り物の横に、彫ったのか銘板を埋めたのかはわからないが、文字らしきものが見て取れる。
「何て書かれてるんだ?」
「さあ、わたしには読めませんわ。ドラゴンの使う文字という話ですけど……」
ナバルの疑問に、修道長が肩をすくめてみせる。
「『人とドラゴンが、いつまでも善き隣人であらんことを』……」
「メイベルさん。読めるのですか?」
メイベルがぽつんと呟くのを聞いた修道長が、驚いた声で尋ねてくる。
「読めるも何も、これ、少し形が違いますけど線文字ですよ。アルファベットが28文字ある時代の古い文字ですけど読めませんか? それなりに読めると思いますが……」
「線文字? 聞いたことありませんわ」
メイベルの言葉に、修道長が頬に手を当てて困ったような表情を浮かべた。
「聞いたことないですか? 他に中文字とか、シルヴ文字って呼び方がありますけど」
「そう仰られましても……」
メイベルの言葉に、修道長が更に困った顔つきになっていく。その雰囲気を見て、
「あれ!? 知らないですか? 伝説ではドラゴンから学んだ最初の文字で、この文字から大文字のアルテース文字と小文字のユーベラス文字が生まれたことになってますけど」
と、少し釈然としない顔をした。
「でも、修道長クラーナ。この文字を見る限りでは言い伝えにあるように、人がドラゴンの住む場所を侵したために戦争になったようには思えませんよ」
そう言いながら、メイベルが作り物の岩を見上げた。
「この上にドラゴンが留まって、街の人たちと話をしてたのかしら」
メイベルの脳裡に、奇岩の高地で会ったドラゴンの記憶がよみがえってきた。
あの時、ドラゴンは草原から突き出した岩の上に留まっていた。マウンテン・ドラゴンにとっては、平らな場所に立つよりも大きな足の指で岩を摑むように留まった方が居心地が良いのではないか。そんな感じがしてきたのだ。
そんな岩の作り物が、広場にはいくつも置かれている。この様子から、ここに都があった当時は多くのドラゴンが岩の上に留まり、人々と語らっていた光景が予想される。
「やはりメイベルさんをこの遺跡にお連れして正解だったみたいですわ」
岩を見上げるメイベルを見ながら、修道長がそう言ってきた。
「それならば、遺跡の中央にある神殿と思われる建物の壁にも、ドラゴンが書いたとされる文字というか落書きがあるのです。見ていただけませんか」
「落書き……ですか?」
修道長の示す方角に顔を向けて、メイベルが尋ね返した。
「ドラゴンが都を滅ぼしたあとに、書いたとされる文字ですわ」
そう説明しながら、修道長がかつての都の中央へ向かって歩き始めた。
通りは緩やかな下り坂になっていた。通りを挟んで建つ建物は、レンガではなく平らな石をセメントで固めながら積み上げたものだった。しかも、当時はまだアーチ構造が知られてなかったのだろう。小さな建物の窓には大きな横石で上辺を支える構造が使われ、大きな建物の窓には上からの力を左右に分散させるために菱形に組む構造が使われている。
そんな街並みを見ながら、2人は修道長に案内されて神殿と思われる建物にやって来た。
「うわぁ〜。これは何というか……」
メイベルが建物を見上げて、そんな言葉を放った。
遺跡は四角い壁に囲まれた建物だった。高さは20mぐらいあるだろうか。平らな石をセメントで固めながら積み上げ、表面をモルタルで平らに化粧している。だが、今はその壁のほとんどが、張りついているツル植物に厚く覆われていた。
その壁のあちこちに、上側にとがった三角形の窓が開いている。形が三角形なのは、上からの力を分散するためだろう。
建物の出入り口があるのは、山のふもとに向かう面だ。この出入り口も上側がとがるような形で石を組んである。
「ドラゴンの落書きは、どのあたりだったかしら?」
そう言いながら、修道長が建物の正面から左側の壁へまわっていった。
「ありましたわ。たぶん、あれだったと思います」
ついて来た2人に教えるように、修道長が建物の上の方を指差した。
「ホントだ。何か書かれてるわね」
ドラゴンが書いたという落書きは、地面から6m以上の高さにあった。そこもツル植物に覆われていて、文字はわずかに見える程度だ。文字は不明だが、モルタルの壁に赤い塗料を使って書かれていることは見て取れる。
「ツルが邪魔で見えないわ」
壁に近づいたメイベルが、建物を覆うツル植物を引っ張った。だが、ツル植物はしっかりと壁に張りついていて、引っ張っても簡単には取れそうもない。
「メイベルさん。ちょっと退いてくれ」
ナバルが腰に下げていた勇者の剣を抜き放ち、メイベルを後ろに下がらせた。剣でツル植物を断ち切ってしまおうとしてるのだ。
「……えっ?」
軽く剣を振ったナバルが、ツルを一太刀するなり驚きの声を漏らした。
「ナバルさん。どうしたの?」
「どうしたって……。今、切った時に手応えを感じなかったというか……」
メイベルにそう答えながら、ナバルが怪訝そうな表情をしている。切った感触が十分に伝わらない違和感を覚えたようだ。
「手応えを感じないって……。ああ、そういえばナバルさん。その剣で何かを切るのは、これが初めてだったっけ?」
早くもメイベルは、ナバルが何に違和感を覚えたのかわかったようだ。
「サクラスを出る前に、勇者の剣はチタンでできてるって話があったでしょう。チタン製の刃物は切れ味が鋭いから、物がスパッと切れるのよ」
「スパッと?」
話を聞いたナバルが、もう一度ツル植物を剣で切りつけた。切られたツルがカサッと小さな葉音を鳴らして、断たれた下の部分が地面に落ちていく。
「ホントだ。信じられないぐらいスパッと切れるから、あまり手応えがないんだ」
ツル植物を切った剣を目の高さまで上げて、ナバルが目を丸くした。そのナバルを見ながら、
「ね、よく切れるでしょ。すごく切れ味がいいから、わたしもチタン製の庖丁が欲しいのよね。実験用に作られた庖丁で、一度だけ料理してみたことがあるけどさ」
とメイベルが話し始める。
「チタン製といっても、正しくはチタン合金ね。純チタンだと刃物にするには柔らかすぎるから、あまり切れ味は良くないの。で、チタン製の刃物なんだけどね、鋼の刃物よりも切れ味が鋭いの。その上、丈夫で刃こぼれが少ないのよ。たしか刃こぼれは6分の1だったと思うわ。しかも鋼の元になる鉄には油脂に馴染みやすい性質があるけど、チタンにはそれがないって聞いてるわ。この違いはお肉を切る時に大きいわよ。どういうことかと言うと、鋼の刃物は脂がこびりついてすぐに切れ味が悪くなるけど、チタン製の刃物には脂がこびりつかないから切れ味が落ちないってことね。きっとお手入れが楽だと思うわ。
あ、そうそう。鋼の剣は重さで切るところがあるでしょう。だから重い方が良いなんて発想があるみたいじゃない。だけどチタン製の刃物は滑らせるように切れば、力を入れなくても切り裂くほどの切れ味があるでしょ。だから鋼の剣のように力を入れて振りまわす必要がないから、体力の消耗も少ないわ。もしも戦いが長引いたら有利になりそうよ」
「おおっ。言ってることはさっぱりわからんが、まさに勇者のための剣というわけだ」
ナバルがそう言って剣を高々と掲げた。
そんな2人のやり取りを横で聞いている修道長は、ツッコミどころに困っている。
「さあ、さくさく切るぞ!」
ナバルがツル植物の撤去作業に戻った。
「それじゃ、わたしも魔法で……。風よ切り刻め!」
メイベルも持っていた魔法の杖を構えて、魔術を解き放った。
周囲の風が掻き乱され、無数の渦が生まれる。その風が壁を覆うツル植物を細かく刻み、天高く舞い上げようとする……はずだったのだが……。
「あれれ? ほとんど利いてなかった……かな?」
メイベルがマヌケな顔で壁を見上げている。
魔法の風は葉を千切って舞い上げただけで、壁についた茎までは引きはがせなかった。茎も細かく刻まれているが、それらは壁にぶら下がったまま落ちる気配がない。
「どうしようかな……?」
頬を指先でぽりぽりと掻きながら、メイベルが次の作戦を考え始める。
一方でナバルは、
「おお、すごい。メチャクチャ切れ味がいいじゃないか!」
茎を引っ張りながら、壁に引っかかっている鉤ひげを丁寧に切っていた。
どうやら茎がさくさくと切れるため、ちょっと気分が良くなっているようだ。
もっとも、ナバルがツル植物を片づけられるのは、せいぜい剣が届く4〜5mの高さまでだ。落書きのある6m以上の高さまでは届きそうもない。
「そうだわ。まずは思いっきり冷やして、そこに衝撃を加えてやれば……」
次の作戦を思いついたメイベルが、再び魔法の杖を構えた。そして、
「冷却せよ!」
壁に向かって冷却魔法をかけた。
たちまち壁一面に霜が張り、冷やされた白い空気が白いもやとなって舞い降りてくる。その様子を確認したメイベルが、
「噴砕の風よ!」
更に次の魔法を放った。
風を受けたツル植物が、チリチリと音を立てながら砕けていく。しかし、
「ああぁ〜。冷やし足りなかったみたいだわ」
壁からツル植物が取り払われたのは、冷却魔法のかかった範囲の中心付近だけだった。十分に冷えて固まらなかったため、風で砕けなかったようだ。
それでも、落書きの一部が露になっている。その文字を読んだメイベルが、
「『愚かな』なんて、なんだかバカにされてるみたいだわ」
と、不愉快そうな表情を浮かべた。
「すげえな。魔法なら一気に片づきそうだ」
そう言ったのは、壁の下側に張りついたツル植物を取り除いていたナバルだ。それに、
「ええ、一気に片づけてあげるわ!」
と息巻きながら言ったメイベルが、魔法の杖を構えて呼吸を整える。
そして、壁を睨みつけて、
「あまねく冷却せよ!」
力を込めて冷却魔法を放った。
再び壁一面が白く染まっていく。その壁の表面を伝って、真っ白に冷やされた空気がもやとなって静かに下りてきた。だが、壁の中ほどではもやが生まれていない。物質はある温度以上に冷やされると、比熱が急速に小さくなる。このような状態になると触れた空気から熱を奪って冷やせなくなるため、白いもやを生み出せなくなるのだ。
「トドメよ! 破砕の爆風よ!!」
壁全体が白くなったところを見計らって、メイベルが次の魔法を放った。
杖の先から衝撃波が生み出され、壁に向かって広がっていく。直後、
「すげえ……」
壁を覆っていたツル植物が、まるで大きなステンドグラスが砕けたように崩れ落ちてきたのだ。その光景を見るナバルが目を丸くし、その場で茫然と立ち尽くしている。
地面に叩きつけられた葉が粉々に砕かれた。それが空に舞い上がっていく。その様子は初めのうちは白い煙だった。それが徐々に緑色の煙に変わっていく。
「すごい魔法ですわ。これで文字が見えるように……」
修道長が感動混じりに言いかけた横から、ドサッという音が聞こえてきた。
「あぅ〜。つい意地になって、魔法を使いすぎたわ……」
音の主はメイベルだった。そのメイベルは石畳の上に突っ伏して、ぺちゃんと潰れている。それを見たナバルが、
「おいおい。またやっちまったのか?」
と、あきれた口調で言いながら近づいてきた。
「勇者さま。メイベルさんは、いったいどうされたのですか?」
「魔法で体力を使い切って、全身から力が抜けただけですよ」
驚く修道長の疑問に、ナバルが平然とした顔で説明する。
その2人の前で石畳に突っ伏しているメイベルは、
「ああ、考えてみれば、相手はツル植物よね。壁全体を冷やすなんて大技を使わなくても、小さな火で鉤ひげだけ焼いちゃえば良かったんだわ……」
と、一人反省会をやっていた。
「あらまあ、体力を使い切っただけでしたか。それでしたら、少し時間が早いのですが、ここでお昼にしましょう。お食事すれば、すぐに体力も戻りますわ」
それほど心配はいらないと感じた修道長が、持ってきたバスケットを置いて昼食の準備を始めた。紫色の敷布が広げられ、そこに紙皿や紙コップが並べられていく。バスケットの中身は三角形に切られたサンドイッチや簡単な揚げ物だ。
「ほら、起こすぞ」
「はぅ〜。またご迷惑かけますぅ〜……」
ナバルに抱き起こされるメイベルが、情けない声で詫びを入れてきた。
毎度のことながら脱力したメイベルは首が据わっていない。まるで糸の切れた操り人形のような状態だ。
そんなメイベルを見た修道長が、準備する手を休めて、
「あら、ぐったりされてますわね。メイベルさん。お食事できそう……ですか?」
と、心配そうに尋ねてきた。
「今はちょっと無理かも……」
「大丈夫だ。俺が食べさせてやる」
「えっ!? た、た、た、た、食べさせてってって……」
ナバルの言葉に、メイベルが激しく動揺した。顔が真っ赤になって、言葉がしどろもどろになっている。そんなメイベルをナバルが、
「今日は呂律までまわってないな。少しは体力を残すようにしろよ」
などと注意しながら抱き上げた。その朴念仁ぶりに、
「うん。そうする。あはは……」
メイベルが悲しそうな表情を浮かべて、頬をひくひくと引き攣らせている。
「あのさ、ナバルさん。お昼の前に、少し壁の落書きを見たいんだけど」
軽く嘆息したメイベルが気持ちを切り替えて、ナバルにそんなお願いをした。
ナバルは首の据わってないメイベルの頭を、手で支えるように抱えている。
「どうだ、見えるか?」
ナバルが身体を傾けて、メイベルが落書きを見やすいように位置を合わせた。
落書きは高い場所に書かれている。だが、メイベルはナバルに抱えられて顔が上に向かっている。そのため首に負担をかけず、非常に見やすい位置関係になっていた。
「ああ……。ところどころ文字が欠けてるわ」
落書きを見上げるメイベルが、そう言って軽く息を吐いた。
落書きは壁の表面を覆うモルタルの上に書かれている。そのモルタルにひびが入って欠け落ちているため、落書きには虫喰いのように読めない箇所ができていた。それでも、
「『人間たちよ。豊かさに溺れて……』かな。その次は『心を失い……』か『欲望に目を奪われ』かしら? 文字が欠けてて、よく読めないわ」
メイベルは前後に残る文字から、欠けた部分を推理しながら読み始めた。
「『同じ過ちは……して……きた。ゆえに……ナントカで……ない』かしら。たぶんここは否定よね。『我々は歴史を拒絶のナントカ……とは考えない。未来を切り拓く……』のあとは『教訓』かしら。壁がごっそり落ちてるわ。『我々は力には力を、言葉には言葉をもって答える。愚かな……ナントカのナントカを願う』……ねぇ……」
落書きを読み終えたメイベルが、そう零して考え始める。
「メイベルさん。読めたのか?」
ナバルがメイベルに目を落として尋ねてきた。それでナバルと思わず目が合ってしまったメイベルが、一瞬息を止めて視線を逸らせている。そこに修道長が、
「メイベルさん。ひょっとしてあの落書きは、もう読まれました?」
と訊きながら近づいてきた。その彼女は両手で、サンドイッチを載せた紙皿を持っている。「読みました。読めるところだけ……ですけど」
「そうですか。それで何が書かれてるのですか?」
「たぶん、わたしたち人間に対する伝言ではないかと……」
そう答えたメイベルが、また落書きの書かれた壁に目を向けた。
「伝言ですか? それはどのような……」
「それが、よくわからないんですよねぇ。『力には力』の下りが警告のように思えますし、『言葉には言葉』の下りが話し合いを求めてるようにも思えますし……」
「欠けた部分が多すぎるのかしら?」
「それもありますけど、見たことのない文字や知らない単語が使われてるのも詳しく読めない理由です。辞書が欲しいところですが、持ってきてませんよねぇ」
「あらあら……」
そう嘆息した修道長が、持ってきたサンドイッチを1つ手に持った。
「それでしたら、あの落書きを写し取って持ち帰りましょう。絵の道具は持ってきてますから、あとで時間をかけて調べれば良いのですわ」
「それしかないでしょうね」
修道長の提案に、メイベルが複雑な表情を浮かべる。
「でも、適当に写し取ったのでは……」
「ご安心ください。わたしは絵筆2本の絵画係です」
心配事を口にするメイベルに、修道長が左腕にある袖章を見せてきた。そこに描かれているのは、金銀の縁取りこそないもののパレットと2本の絵筆である。
絵画係とは、貴族などの似顔絵を描いたり、事件や事故、ならび記念式典などの記録を絵に描いて残したりすることを任された人たちだ。
「アウラスの教会では床や机の上に、神さまがよく図形を残されるのです。その図形を正確に写し取ることでは定評がありますの。どうぞ大船に乗ったつもりでお任せください」
「床や机に描かれる図形って、まさかクラドニ図形ですか!?」
修道長の言葉に、メイベルが不安な表情を浮かべる。
「あれは風による建物の震動が……うぐっ」
「さあさあ、そうと決まったら、お食事にしましょう」
何かを解説しようとするメイベルの口にサンドイッチを押し込んで、修道長が昼食に誘ってきた。メイベルの口に押し込まれたのは、タマゴサンドだ。
「はい、勇者さまも♡」
「それじゃ、いただく」
次にナバルの開けた口にも、修道長がサンドイッチを押し込んだ。ナバルの口に入れたのは、チーズレタスサンドである。
「あぐあぐ……」
メイベルは何か言いたいようだが、サンドイッチが邪魔でしゃべれないようだ。その邪魔なサンドイッチを早く食べてしまおうと、一生懸命に口を動かしている。
「さあ、それではあちらに戻って……。あら!?」
振り返った修道長の目に、バスケットの周りに小さなドラゴンが集まっている光景が飛び込んできた。尻尾を除く身長が30cmぐらいの、首が長く翼のあるドラゴンだ。
「うふふ。ポケット・ドラゴンですわ」
食べ物を盗もうとする小さなドラゴンを見て、修道長が微笑んだ。
ドラゴンといっても1種類だけではない。マウンテン・ドラゴンのように大きくて高い知能を持った生き物もいれば、ポケット・ドラゴンのように小さくて野生のままの生き物もいる。霊長類でたとえれば、人とリスザルのようなものである。
そんな小さなドラゴンたちが3人の視線に気づいて、大慌てで空へ逃げていった。その小さな手には、奪った食べ物が抱えられている。
だが、よほど慌てたのだろう。そのうちの1匹が抱えたサンドイッチを落としてしまった。それで拾いに行こうか逃げようかあたふたしてるドラゴンを見て、
「あらあらあら……」
と、修道長が優しい目で微笑んでいた。
それとほぼ同時刻、時差の関係ですでに昼食を終えた帝都サクラスでは、
「第5次調査隊は軍隊を伴わず、わずか24名の編成になるそうだな」
議事堂にある大きな部屋に、一部の貴族議員たちが集まってきていた。そこは幹部議員の1人──ビーズマス卿に与えられた議員控え室だ。部屋には長く大きなテーブルが置かれ、そこに集まった貴族議員たちが座っている。
その部屋の主──窓辺にいたビーズマス卿が外に顔を向けたまま、部屋にいる者たちにそんな言葉をかけた。
「やけに貧弱な編成だが、内訳はどのように決まったのだ?」
「まだ神託中のため未確定ですが、学者2名と護衛の兵士8名は確定という話です」
「護衛がたった8名とは……。それではドラゴンにやられに行くだけではないか」
ビーズマス卿がわざとらしく肩を上下させ、大きく嘆息する。そのビーズマス卿に、
「しかし、ビーズマス卿。編成は貧弱でも、悪い話ばかりではありませんぞ」
と、白髪の目立つ男が話を持ちかけてくる。
「午前中の御神託で、調査隊を指揮する全権大使にクリプトン卿が決まりましたぞ」
「ほう。サンクヮッドの英雄殿のご出陣か。それはめでたい」
今の話に、ビーズマス卿がほくそ笑んだ。だが、すぐに複雑な表情を浮かべて、
「しかし、全権大使というのが引っかかるな……」
と零した。
「それにしても終身幹部のクリプトン卿が亡くなれば、幹部議員の席は1つ空くのだな」
テーブルについていた議員の中から、そんな言葉が飛び出してくる。
「こらこら。それは気が早いではないか」
「おっと。これは失言失言」
今の会話を聞いた周りの議員たちが、声を押し殺して笑い出した。どうやら冗談ではなく、この場にいる誰もが心の底では同じことを願っているようだ。
「それにしても、とうとう調査隊まで神託で決めるとは……。大司教とアキロキャバス卿は、いったい何を考えておるのだ?」
窓辺で外の景色を見ながら、ビーズマス卿が不愉快そうに不満を口にした。
ビーズマス卿が外を見ている窓は南側に面していた。そこからはレンガ造りの街並みが一望できる。しかも帝都サクラスは山の南斜面に作られているため、街並みの背後にはふもとを流れる大河──フルヴィ川が横たわって見えていた。そしてその先には緑に覆われた水田地帯が広がっている。
「まあまあ、ビーズマス公王さま。御身の考えられた『救世の勇者』は、なかなか良い案でございましたな」
「うむ。あれは我ながら妙案であったと思っておる」
いやらしい笑みを浮かべたビーズマス卿が、身体をくるりと室内に向ける。
「帝国民の関心とテロリストどもの注意が、でっち上げられた『救世の勇者』に向かっておるのだからな。体の良い囮役として役立っておるわ。それに政府の策が失敗に終わっても、責任は運の悪い2人の若造に押しつけられるわけだ」
「これはビーズマス公王さまもお人が悪い」
「大の虫を生かすために小の虫を殺す。これが政治というものだよ。その案が神託で選ばれたのだ。わたしの考えは間違いではなかったのだよ」
ニヤッと笑ったビーズマス卿が、テーブルに向かって歩き出した。向かうのは上座に置かれた大きなイスだ。そこに腰を下ろしたビーズマス卿に、侍女がお茶の世話をする。
「しかし、御神託で決まったのであれば、神の意志が働いたのでは?」
「それはなかろう」
1人の男が放った疑問を、ビーズマス卿がすぐさま否定する。
「本気で勇者を神託で決めるのなら、人選もまた神託で行うはず。それなのにわざわざ目立つように街中に抽籤所を作ってくじをしたのは、あくまで帝国民の関心を向けさせるためだろう。となれば本当に神託を行ったのかすら怪しいものだ」
そう話したビーズマス卿が、ティーカップに指をかけた。そしてカップを持ち上げ、
「それで選ばれた勇者と従者が、ともに大司教とアキロキャバス卿のお気に入りの若造たちであったとは、なんとも小気味好いではないか」
そんな邪気のこもった言葉を呟いてから、渇いた喉を軽く紅茶で潤そうとする。
そのビーズマス卿から離れた席では、そこに座る若い議員たちが小さな声で、
「『はず』『だろう』って、ビーズマス卿は幹部議員だろう。詳細を知らないのか?」
「知らんだろ。幹部議員ではあるが、実際に政治を行う執政幹部ではないからな」
「執政幹部ではないって、ビーズマス卿は貴族序列第3位の大幹部だぞ。まさか……」
「大貴族にして西アルテース公国の国王ではあらせられるが、日頃の思慮に欠ける言動の積み重ねがありますからね。そのため幹部貴族の中でも発言は軽んじられ、執政幹部には選ばれてないのですよ」
「それでは我が西アルテースからは、帝国の執政幹部を出してないのか?」
「サンクヮッドの英雄がいるだろ。それがビーズマス公王には目障りだろうがな」
と、ヒソヒソ話をしていた。
「さて、そこでだ」
ティーカップをテーブルに戻したビーズマス卿が、考えていた話を切り出してきた。
その言葉に若い議員たちがヒソヒソ話をやめ、顔をビーズマス卿に向ける。その前で話されたビーズマス卿の案に、集まった議員たちの顔が青くなっていった。
議事堂でそんな密会が行われている頃、大聖堂を挟んだ反対側にある建物でも、
「第5次調査隊は、たった24人だけ……なのですかぁ?」
「それは……、何かの聞き間違いでは?」
「間違いじゃないわ。お父さまとクリプトンおじさまから、直々に聞いてきた話よ」
パセラとクラウが、レジーナの持ってきた御神託の話に目を丸くしていた。
3人は4人掛けのソファに向かい合うように座っていた。一方にクラウとパセラが並んで座り、反対側にレジーナが座っている。
「それで、御神託はすべて決まったのかい?」
「それがそうでもないの。決まったのは調査隊は24人で構成すること。うち学者は2名で、護衛は8名って内訳までね。それで人選で唯一確定したのは、調査隊の全権大使として、クリプトンおじさまが行くことになったぐらいなの」
クラウの疑問に、レジーナがそう答えてマグカップに手を伸ばした。
「でも、人数まで決まったとなると、残りの人選も今日中に決まりそうですね」
「あ、それはないわ。御神託が長引いて神官たちの神通力が弱まったから、あとは残りの内訳を決めるだけで、今日は終わりにするんだってさ」
続いてパセラの言葉もそう否定したレジーナが、カップを口に運んで軽くすする。
「それで、本題に戻るけどさ」
カップをテーブルに置いたレジーナが、そう言って膝の上で指を組んだ。
「御神託で勇者に任せたのに、調査隊を派遣してた理由ね。あれはクラウが言った通り、危機回避策としてやってたそうよ。もしも勇者が使命を果たせなかった場合を考えてね」
「でしょうね」
レジーナの言葉に、クラウがそんなことだろうと思ったという表情をする。
「だけど、調査隊は4回続けてドラゴンにやられて、逃げ帰ってきてるでしょう。それで第5次調査隊を出すかどうかを御神託にかける前に、これまでの派遣が間違ってなかったか、それを御神託に諮ってみたそうなの。その結果、これまでの調査隊はすべて事態を悪化させていたという警告が出たそうよ」
「事態を悪化……ですか? それはどういう意味です?」
「ドラゴンさんを怒らせたということでしょうか?」
「あ〜……、ゴメン。そこまで聞いてこなかったわ」
クラウとパセラの質問に、レジーナが手を合わせて謝ってくる。
「それでね、改めて5次隊を出すかどうか。出すなら調査隊の構成や人の選び方をどうするか。1つ1つの方法を御神託で決めていったそうなの。それで幹部議員の中から全権大使を1人選ぶ方法だけを抽籤として、あとは神託式で選ぶことに決まったそうよ。それでクリプトンおじさまの派遣だけが決まって、他の決定に時間がかかってる原因らしいわ」
「あれ!? 御神託はすべて神儀で行うのではないのですか?」
「パセラぁ〜。あんたは、どうして基本的なことを訊いてくるのかなぁ〜?」
パセラの疑問に、レジーナが怒り混じりの声で聞き返した。
「いい、御神託で『抽籤で選ぶ』と決まったら、やってることは抽籤でも、それは御神託なの。すべてを神官たちの神通力に頼る神儀だけが御神託じゃないのよ」
「あぅ。そうなのですかぁ……」
身体をちぢこませたパセラが、消えそうな声で返事をする。
「ところで神儀では、どのようにくじを選ぶのでしょうか?」
「あんた。本当にいい加減にしてよ……」
パセラの口から出た疑問に、レジーナが更に怒りを強くする。
それで怯えた顔をするパセラを見て、レジーナがニコッと微笑んだ。そのレジーナが、
「でも、御神託が神儀だけっていうのは、よくある勘違いみたいよ」
と言ってくる。そして、
「その勘違いから、勇者は政府の無策から注意をそらすための囮だなんて心無いウワサが立ってるみたいね。その根拠となってるのが、勇者と従者の選び方が神託式ではなく抽籤だったこと。それから教会を出る時に、次の目的地を旅立ちの神事で選んでるでしょ。これも政府が問題を解決するまでの時間稼ぎとかウワサされてるそうよ。どちらも御神託で決められた選び方なのにね」
と言って肩を大きくすくませてみせた。
「それではメイベルとナバルさんは?」
「ちゃんと御神託で選ばれたんだもの。正真正銘の救世の勇者と従者でしょ」
パセラの確認に、レジーナがはっきりとした口調で断言する。そのレジーナを上目遣いで見るパセラが、おずおずと手を挙げた。
「あのぅ、それで気になったのですが、勇者の御神託が出たってことは、誰かがくじ種を書いたからですよねぇ。何を考えて勇者を思いついたのでしょうか?」
「そんなこと、あたしが知るわけないでしょ!」
パセラの疑問を、レジーナが間髪を容れず跳ねのける。
「まあ、誰が何のつもりで書いたかなんて、どうでも良い話よ。神儀で勇者のくじが選ばれた。これだけが御神託のすべてでしょ」
「はぁ……。まあ、そうですねぇ……」
熱く語るレジーナの言葉に、パセラが気のない相槌を打つ。その前で、
「気になるのは5次隊の存在意義ね。本当に調査隊なのか。それとも勇者の補佐部隊なのか。神さまは、5次隊に何をさせようとしてるのかしら?」
と呟いたレジーナが、顔を大聖堂のある方へ顔を向けた。
その大聖堂では、今も御神託の神儀が行われていた。
「7番の札を持つ者、部屋に入られよ」
薄暗い小部屋の中から、神官長が外にいる神官たちに声をかけた。
部屋の外には40人を超える数の神官たちが、イスに座って待っていた。その中から呼ばれた初老の男性神官が立ち上がり、ゆっくりとした足取りで小部屋に入っていく。
その男性神官が、小部屋の中央に用意された台の前まで歩いてきた。その前で神官長がくじ種の紙を丁寧に混ぜ、20枚ある紙を裏返しのまま台に一列に並べる。
「さて、この神官は何を選びますかな?」
「ここまで引かれたくじは、すべてバラバラですな」
小部屋には5人の帝国議会議員が立ち会い、不正が行われないか目を光らせていた。
その前で神官長が、
「御神託のくじを選ばれよ」
と、入ってきた男性神官にくじを選ぶように言う。
部屋は薄暗いため、くじ種の紙に多少の汚れがあっても見分けることは難しい。そんな紙に手をかざして、男性神官が気のようなものを感じ取っているようだ。そして20枚すべてに手をかざし終えたのち、右から5番目にある紙を選んだ。
「くじを検める」
神官長が選ばれたくじを裏返して、そこに書かれている文字を検める。その神官長が、
「お立ち会いの方々に神儀の結果をお伝えします。くじを引く12名のうち、7名が同じくじを引く可能性がなくなりました。よって、ただいまの神儀は御神託なしと判断し、用意されたくじ種はすべて廃棄します。ならび、儀式が長引いておる関係で神官たちの疲労が溜まっております。よって、本日の神儀はこれにて終了とします」
と結果を伝え、議員たちに一礼した。
「御神託なしか……。こういうこともあるのだな」
終わりと聞いた議員の1人が、そう零しながらゆっくりと席を立った。
「さすがに神通力のある神官たちでも、くじ種の中に答えがなければ何ともならぬか」
「それにしても12名中7名以上が同じくじを引くなど、有り得ぬと思ったが……」
「御神託がある時は9人、10人が同じくじを選ぶとは、始めて見たがこれは驚きだ」
神儀が終わって緊張が解けたのだろう。席を立った議員たちが、軽い雑談を交わしながら部屋を出ていった。
部屋の外にいた神官たちも、今日の神儀は終わったと聞いて帰り支度を始めている。
そして神儀に使われた小部屋では暗幕を開けた神官長が外の明るさに目がくらみ、めまいを起こしてしゃがみ込んでいた。
さてさて、その頃、昼食を終えた救世の勇者と従者は何をしているのかというと、
「さすがに昼をすぎると、ぽかぽかして暖かいな」
遺跡の見学を終え、山を下っているところだった。
遺跡で魔法を使い果たして倒れたメイベルは、今も脱力したまま回復していない。そのため、またナバルに背負われていたのだ。
「あぅ〜。頭がのぼせるぅ〜……」
メイベルは首が据わってないために、今日も頬が背負ってくれるナバルに密着している。そのことを意識しすぎるメイベルが、また頭をゆだたせていた。
そんな2人の後ろを、
「なかなか動けないみたいですわね。うふふ」
と微笑みながら、修道長がついてきている。その修道長がメイベルに近寄ってきて、
「メイベルさん。役得ですわね。わざとかしら?」
と、メイベルの耳許でささやいた。
「な、な、な……。そんなことは……」
「あらあら。おほほ……」
耳たぶまで真っ赤にするメイベルを見て、修道長が口許を手で隠した。
「役得!? え、そんなつもりは……。あれれ?」
メイベルの頭の中で『役得』の文字がグルグル回り始めた。払い除けようと意識すると、余計に『役得』の文字が大きくなって意識してしまう。
「あのぅ、それで修道長クラーナ。教会に戻れば辞書はあるでしょうか?」
そんな意識を他へ向けようと、メイベルが別の話題を持ち出した。
「辞書ならありますわ。あ、でも、ドラゴンの落書きを読み解くためでしたら、役に立たないかもしれませんわね。あまり立派な辞書は置いてませんから」
そう言いながら、修道長がバスケットを開けて革製の紙入れを出してきた。その中に、ドラゴンの落書きを写し取ったスケッチがあるのだ。
「この写し方で良かったかしら?」
「それはそれで、あまりにも十分すぎるというか……」
修道長の描いた絵は、模写というよりも精巧な水彩画のスケッチだった。文字だけでなく壁の崩れ方を含め、まるでカラー写真をトレスしたような、絵筆2本の絵画係の名に恥じないほどの出来栄えである。
「それほどの絵が描けるのに、修道長クラーナは銀縁ですらないのですか?」
「うふふ。わたしは見たままを描くしか能がなかったもので……」
メイベルの疑問に、修道長が微笑みながら答えた。その言葉に「なるほどね」と、メイベルが理由を察する。
写真と違って絵の良いところは、必要な部分を誇張できるところだ。特に似顔絵のようなものであれば、モデルによって凛々しく描いたり、美しく描たりするなどの細工する能力が求められる。むしろ正確に描く方がモデルに失礼になることもあるのだ。
「あ、ところでメイベルさん」
メイベルをおぶっているナバルが、思い出したように声をかけてきた。
「ん、なぁに?」
「こいつの中が空っぽだが、何か採るつもりじゃなかったのか?」
問い返してくるメイベルに、ナバルがそう言って持っていたものを見せてきた。それはメイベルが持ってきた、植物採集キットの容れ物だった。
「ああぁ〜、すっかり忘れてたわね」
容れ物に目を向けたメイベルが、さてどうしたものかと言うように答える。
「植物採集ですか? お手伝いしますわ。どれを採れば良いのかしら?」
ナバルから容れ物を預かった修道長が、メイベルにお目当ての草木を尋ねてきた。
「修道長クラーナ。ありがとうございます。それでしたら……」
手伝いを申し出た修道長にお礼を言って、メイベルが目を周囲に動かした。
「あ、それでは、あの白いユリのような花をお願いします」
メイベルが道端に咲く花を見つけ、その採集をお願いした。その言葉を聞いて、メイベルを背負うナバルが歩みを止める。
花の高さは1mほど。ユリを思わせるラッパ状の花が咲いているが、花の下に大きな瘤があるところがユリとは大きく異なっていた。茎は太く、その上に3つの花が咲いている。葉は細長く、根本からしか生えていなかった。
「このシャーマでよろしいのかしら?」
「その花、シャーマというのですか? それをお願いします」
採集する個体を確かめてくる修道長に、メイベルが採集を依頼した。
「修道長クラーナ。お手数ですが、土の下もすべて採っていただきたいのですが……」
「シャーマはこの下の球根が美味しいですものね。ちゃんと掘り出しますわ」
メイベルの持ってきた容れ物の横には、スコップを収納するポケットが設けられている。それに気づいた修道長が、そのスコップを持って草花の根本を掘り始めた。
「そのシャーマという花は食用なのですか?」
「ええ、球根と花の下で瘤になっている果肉のところが食べられるのです。ただし、葉っぱや茎はあまり食用には向きませんの。せっかくですから多めに採って、夕食の時にお出ししましょう」
そういうと修道長は1本だけ全体を採集し、他のシャーマは必要な果肉と球根だけを採って、花や茎、葉っぱの部分を道端に捨てた。
それを待っていたように、ポケット・ドラゴンたちが舞い降りてきた。そして捨てられた花や葉っぱを手にすると、それを口に運んでむさぼり始める。
「修道長クラーナ。あれは……?」
「このシャーマはドラゴンの大好物ですわ。中でも花と葉っぱを好むみたいですの」
集めたシャーマの果肉と球根をバスケットに入れて、修道長が採集を終えた。そして、
「それでは、次は何を採りましょうか」
とメイベルに尋ねながら、また山道を下り始めた。
それから、更に3日の時が流れた。
王国連合帝国の帝都にある聖サクラス教会では、
「御神託が出たわね」
「出ましたね。ようやく……」
大聖堂の正面にある式典広場に大きな掲示板が用意され、そこに決定内容を告げる紙が貼り出されていた。広場にはその掲示を一目見ようと、大勢の人たちが集まっている。
「『第5次調査隊の編成は以下の通りとする。調査隊全権大使』これはクリプトンおじさまね。『大使の世話係として執事1名、侍女1名。学者2名。護衛として近衛騎兵隊より8名』これがクラウの小隊ね。『馬車の編成は4台。馭者4名。他に修道院より随行者7名。内訳は造営係2名、炊事係1名、医療係1名、通信係1名』があたし、『雑用係2名』でパセラ。『以上24名とする』ねぇ……」
最前列で掲示板を見るレジーナが、書かれていた編成をかいつまんで読み上げた。
掲示板には調査隊員全員の名前が書かれているが、そこは割愛である。
「いよいよお呼びがかかっちゃいましたぁ」
「まさか3人とも選ばれるとは、神さまも粋なことをしますねぇ」
レジーナの隣では、同じく調査隊に選ばれたパセラとクラウが掲示板を見ていた。
離れた場所では、掲示板に名前が挙げられていた見習い修道女が、まるで死刑宣告を受けたように怯えて泣きわめいていた。同じように選ばれた医療係の正修道女は、血の気の失せた顔で掲示板の横に座り込んでいる。そんな2人をしばらく見ていたクラウが、次に隣にいるパセラとレジーナに目を向けて、
「2人とも調査隊に選ばれたのに、妙に落ち着いてませんか?」
と声をかけた。
「今回の調査隊は、ちゃんと御神託で選ばれたんでしょ。だったら大丈夫よ」
「う〜ん。まあ、なるようになるんじゃないですかぁ?」
「ふむ。物は考えようですか」
2人の性格通りの答えに、クラウがそう零して肩をすくめた。
そこに真っ白な髪の老学者が、
「おやおや、パセラちゃんにクラウ坊ちゃん。それにレジーナ嬢ちゃんも一緒じゃったか。次の調査隊には、3人とも出動のようじゃな」
と言いながら、人を掻き分けながらゆっくりと3人に歩み寄ってきた。
「これはアウル博士。博士もご一緒のようですね」
「ほっほっほっ。年寄りに長旅とは、ちとキツイ仕打ちじゃがのう」
話しかけてきたアウルは、好々爺と呼ぶに相応しい雰囲気を持っていた。そのアウルが小さな丸メガネの奥にある目を優しく微笑ませ、ふさふさの髭をなでながら、
「それにしても次の調査隊の顔ぶれは、なかなか興味深いと思わぬかな?」
と話題を振ってくる。
「最初のテロ事件の時の顔ぶれ……ですかぁ?」
パセラが周りを見ながら、そんなことを答えた。そのパセラが見ているのは、掲示板の横で放心している3本杉の正修道女と、泣き崩れてる宮廷聖歌隊の見習い修道女だ。
他に工作係の修道士が、腕を組んで静かに目をつむっている。
「ほう、パセラちゃんはそのように解釈するかね」
アウルが面白い見方もあるものだと、感心するような表情でパセラを見た。そして、
「たしかに事件に関係のある者が集まってるようじゃ。テロに限らず、いろいろとのう」
と言って、再び掲示板を見上げる。
そのアウルの横顔をちらっと見たクラウが、
「くじ運の悪い者ばかりというオチ……ではないですよね?」
と、小さな声で零した。
その頃ナバルとメイベルは、まだ第5次調査隊が決まったことは知らなかった。
その2人は今、大きな図書館に寄っている。
「従者さま。お探しの本らしき古文書を集めて参りました」
テーブルで調べ物をしているメイベルのところに、司書が手押し台車にたくさんの本を載せて運んできた。紐で綴じられた本や、書類フォルダに挟まれた書物の断片などだ。
「ありがとう。これは、なんともすごい数ね」
「申し訳ありません。古い文字を読める職員がいないもので、古文書を手当たり次第に持って参りました。この中にお探しの本があると良いのですが……」
そう言いながら、司書が運んできた本をテーブルに積み上げていく。
その司書は古文書を汚さないように、白くて薄い手袋をしていた。それと同じ手袋をしたメイベルも丁寧にページをめくりながら、
「それらしい本は何冊か……。閉館時間まで居座らせてもらうと思うわ」
1冊ずつ求める資料かをどうかを確かめている。
「ところで従者さま。こちらの絵は……?」
持ってきた本のすべてをテーブルに移した司書が、メイベルの横に置かれていた絵に興味を持った。それは風の町アウラスで見た遺跡で描かれた、壁の精巧なスケッチだ。
「ドラゴンの残した落書きよ。これに関係のありそうな資料を探してるの」
「ドラゴンも文字を使うのですか? なんとなく古文書の文字に似てますね」
司書の言葉に、メイベルが「まったく同じだから」と短くツッコんだ。そのツッコミに、司書が意外そうな表情を浮かべて首をかしげている。
「それでは従者さま、これでわたしは失礼しますが、何か御用がありましたら気兼ねなくお声をおかけください。勇者さまも、どうぞごゆっくり……」
すぐ仕事の顔に戻った司書が、そう断ってから離れていく。
「まさか、またマゼリオンの図書館に来られるとは思わなかったわ。しかも今回泊まったのは図書館の裏にある水門橋教会。その上、今日は1日休養日って……。図書館にこもって調べものができるのは嬉しいけど、何というか……」
司書を見送ったメイベルが、そう零しながら調べものに戻った。
「だから、俺の手には神が宿ってると言っただろ。勇者である俺の引くくじに、間違いはないんだ!」
隣のテーブルにいるナバルが、そう言ってこぶしを目の高さまで挙げた。
そのナバルが読んでいるのは、剣術に関する本だった。




