オオカミさんと白ずきんちゃん
ある晴れた日のこと。お腹を空かせた一匹のオオカミが森の中を歩いていました。
「おお、あんなところに小屋があるじゃないか」
オオカミはにんまりとしました。
「ちょうどいい。住んでいる人間を昼飯にしてやろう」
オオカミはドアをそっと開けました。抜き足、差し足、忍び足。奥へと向かいます。
すると、ベッドに誰かが寝ているのに気づきました。オオカミは舌なめずりをします。
「そこにいるのはだあれ?」
けれども、オオカミが大きな口を開けて飛びかかる前に、相手が起きてしまいました。真っ白な髪をしたおばあさんです。
「あらあら、体の大きな方。毛皮を着ているの? 猟師さんかしら?」
おばあさんはオオカミをまじまじと見つめます。少しにごった青い瞳。どうやらあまり目が良くないようで、オオカミを人間のお客さんと間違えているようです。
「嬉しいわ。よくいらしてくださったわね。お茶でも飲んでいってくださいな」
おばあさんは壁に手をつきながら台所へ移動します。その体はやせていて、骨と皮ばかりが目立っていました。
(こいつはあんまり美味しくなさそうだな)
オオカミはげんなりとします。どうせ食べるなら、もっと丸々と太って健康そうな人間がいいと思いました。
「ばあさん、邪魔したな。俺はもう行くぜ」
オオカミはさっさと外に出ようとしました。ですが、おばあさんに「待って」と引き留められます。
「商店の配達人さん以外のお客様だなんて、久しぶりですもの。どうか少しでいいから話し相手になってちょうだい」
「悪いが、俺は腹が減っているんだ。早くメシにありつきたいんでな」
そうだそうだ、と言いたげにオオカミのお腹がぐうと鳴ります。「あらまあ」とおばあさんが笑いました。
「食べ物なら、うちにもあるわよ。お野菜のスープに、黒パンに……」
「俺はそんなものは食わんぞ」
「好き嫌いはよくないわ。でも、若い人はお肉のほうがいいかしら? だったら、干し肉はいかが? 年寄りにはどうにも堅くて、いつも余らせてしまうの」
おばあさんが貯蔵庫から出してきたのは、薄く切られたいくつもの肉の塊でした。オオカミの表情が明るくなります。
「それだったら食ってやってもいい」
どっちみち、この家には食事をしに来たのです。だったら、食べるのがおばあさんでも干し肉でも同じことだとオオカミは思いました。
椅子に腰かけ、オオカミは干し肉をガツガツと平らげます。おばあさんはその様子をニコニコしながら眺めていました。
「あなたはこの森に住んでいるの?」
おばあさんが尋ねます。
「そうだとしたら、私の仲間ね。私、ここに住んで……あらやだ! もう五年になるかしら! 時がたつのは速いわねえ。こんな森の中にいると、時間の感覚がおかしくなってしまうわ。たまに、今が朝なのか昼なのかも分からなくなるのよ」
おばあさんは「ほほほ」と口をすぼめて笑います。オオカミは「あんた、お喋りだな」と呆れて目玉をぐるりと回しました。
「言ったでしょう? あなたは久しぶりのお客様だから」
おばあさんがため息を吐きます。
「空気がいいからってお医者様に言われて町から移り住んできたけれど……。この森は、一人暮らしの年寄りが住むには広すぎるわ」
不意におばあさんが激しく咳き込み始めました。オオカミは干し肉を頬張る手を止めて「どうしたんだよ」と聞きます。
「だ……大丈夫よ……なんでも……ないわ……」
そう言いつつも、おばあさんの顔は真っ青です。オオカミは「何でもないようには見えないぞ」と言って立ち上がりました。
「ほら、病人はさっさと寝てろ」
オオカミはおばあさんの腕をつかんで、ベッドまで連れていきました。
「薬か何かないのか?」
「……戸棚の赤い箱の中よ」
毛布を顎の下まで引き上げながらおばあさんが言いました。オオカミが薬と水を一緒に渡してやると、おばあさんは大人しくそれを飲み干します。
「俺はもう帰るぜ。病気をうつされちゃたまらねえ」
オオカミはテーブルに残っていた干し肉を口の中にかき込んでから言いました。
「これはうつらない病気よ」
おばあさんが小さな声を出します。ベッドに横たわるその姿はとても弱々しくて、先ほどまで楽しくお喋りしていた女性と同じ人だとはどうしても思えません。胸がざわざわしてきたオオカミは、おばあさんから目をそらしました。
「また、近い内に来てくれる? 干し肉をたくさん買っておくから」
おばあさんがオオカミの背中に問いかけます。オオカミはそれには答えずに、小屋のドアを閉じて森の中に消えていきました。
****
「まあ、いらっしゃい!」
オオカミが小屋のドアを開けると、弾んだ声のおばあさんが出迎えてくれました。
「前の訪問から、もう二週間以上たっているわ。すぐに来てくれると言ったのにひどい人!」
「そんなこと言った覚えはない」
オオカミはぶっきらぼうに言って、台所の椅子にドスンと腰かけました。
「あんた、目が悪いのになんで俺だって分かったんだ?」
「だって、こんな年寄りのところへ来てくれるのは、あなたしかいないもの」
「俺はメシを食いに来ただけだ」
オオカミは不機嫌に言いました。
ですが、本当はずっとおばあさんの様子が気になって仕方がなかったのです。そして、そんなふうに思ってしまう自分に戸惑っていたのでした。
(俺はただ、肉が食べたくて来ただけだ。なにせここにいれば、狩りなんかしなくてすむからな)
おばあさんが出してくれた干し肉を食べながら、オオカミは自分を納得させるように心の中でそう言いました。
「あなたには、お友だちや家族は大勢いる?」
おばあさんがお茶を飲みながら聞いてきました。オオカミは「そんなものはいない」と答えます。
「みんな、俺を見ると怖がって逃げていくからな。それに、つるむ相手なんて欲しくもない。俺は一人で仕事をするほうがいいんだ。そのほうが上手くやれる」
「まあ、強気な人! でも、そういう考え方をしていると、私くらいの歳になってから後悔するわよ」
おばあさんは壁際に目をやります。そこには絵がかかっていました。
描かれていたのは、真っ赤な髪をした女の子でした。澄んだ青い瞳をしており、とても勝ち気そうで綺麗な顔をしています。
「あんたの孫か?」
「いいえ、若い頃の私よ」
おばあさんの言葉に、オオカミは顎が外れそうなくらい驚きました。絵画の女の子と、目の前に座っているおばあさんを交互に見比べます。
「あれがこんなしわくちゃになるのか……」
「まあ、失礼しちゃうわね」
おばあさんはわざとらしく頬を膨らませました。
「でも、あなたの言うことは正しいわ。若い頃の私、とっても大人気だったのよ。真っ赤な髪がフードみたいに顔にかかっているから、『赤ずきん』なんてあだ名で呼ばれていてね。結婚してください、って頭を下げる男の人が毎日のように家に来たわ」
「でも、あんたは誰にも『はい』とは言わなかったんだろ」
「あら、よく分かったわね」
おばあさんはちょっと笑いました。
「だって、どの男の人も、みんな同じに見えたんですもの。あの人たちは私が綺麗だから好きになっただけ。その証拠に、私がこうして年を取って、『赤ずきん』が『白ずきん』になってからは、会いに来る人なんて誰もいない」
おばあさんは真っ白になった髪をふるふると振ります。
「でもねえ、結婚を断ったのは間違いだったかもしれないわ。この年になると、傍に誰もいないのは寂しいと感じてしまうのよ」
おばあさんは少しうなだれたあと、「この話はおしまい」と大げさなくらい明るい声を出しました。
「せっかくの楽しい時間なのに、暗い話題はよくないわ。今度はあなたのお話を聞かせてくれる?」
「俺の? 話すことなんて何もないが」
「そんなことないでしょう? たとえば……普段はどんなふうに生活してるの?」
「別に、普通だ」
オオカミはそれだけ言って会話を終わらせようとしましたが、おばあさんが興味津々の顔でこちらを見ているのに気づき、もう少し続けることにしました。
「あちこち旅をして回っている。行きたいところへ行って、飽きたら別の場所へ行く。それだけだ」
「気ままなのね。じゃあ、たくさん冒険もしたの?」
「まあな」
オオカミは頷きました。
「雲の上まで続いてるんじゃないかと思うくらいの山を登ったこともあれば、何日も荒野をさ迷ったこともある。あの時は腹が減ってぶっ倒れるかと思ったな。なにせ自分以外の生き物なんて、影も形も見えなかったんだから」
「まあ……!」
おばあさんのにごった青い目が輝きます。
「きっと、珍しいものもたくさん見たんでしょうね」
「そうだなあ。空飛ぶ船とか、火山の中にある城とか……」
「素敵!」
おばあさんは感動しているようです。オオカミはその反応をしげしげと眺めました。
「冒険に興味があるのか? それなら、こんなところに閉じこもってないで、出かけたらいいじゃないか。……なんなら、俺が案内してやってもいいが」
オオカミはこんなことを言ったのが自分でも意外に思いました。
けれど、おばあさんは渋い顔です。
「無理よ。私みたいな体の悪い年寄りじゃ」
先ほどまで生き生きとしていたのが一転して、おばあさんは疲れ切った顔になっていました。
「若い人の話を聞くだけで充分よ。冒険に出かけるなんて五十年遅すぎるわ」
「それなら、こういうのはどうだ?」
オオカミはおばあさんの元気のない顔をそれ以上見ていたくなくて、必死になります。
「俺が行った場所の中には、奇跡の泉っていうところがあったんだ。なんでも、そこに古くなったものや壊れたものを投げ込むと、新品になって戻ってくるらしい」
「へえ、面白いわね。……もしかして、そこの泉に私を入れる気? あなた、私が『中古品』だって言いたいのかしら」
「病気なんだし、年を取ってるんだから、別に間違ってないだろう。その泉につかれば、あんたは若い頃の体に戻れるんだ。そうしたら、どこへだって行けるぜ」
「でもその泉、遠いんでしょう?」
「ここから町へ行くより近いさ。心配しなくても、俺の背中に乗せていってやるよ。馬みたいなもんだと思えばいい」
「え?」
おばあさんがきょとんとします。オオカミはしまったと思いました。
(このばあさんは、俺のことを人間だと思っているんだった……!)
「俺はもう行く。用事を思い出した」
オオカミは慌てて席を立ち、小屋の外に出ました。
その時、大きな悲鳴が聞こえてきます。
「オ、オオカミだ!」
まっ青になって震えていたのは、荷馬車を引いている男の人でした。きっと、おばあさんに商品を売りにきた町の人でしょう。
(……もうここには来ないほうがいいか)
オオカミは尻もちをつく配達人の横を通り過ぎ、森の奥へと走り去っていきました。
****
(……なんて思ってたのに、また来ちまったんだよな)
次の日。オオカミはおばあさんの小屋の近くまで来ていました。
どうしてこんなことをしてしまうのか、オオカミにもよく分かりませんでした。それでも、満足にお別れも言えないままおばあさんと離れ離れになるのは嫌だと感じてしまったのです。
「それじゃあ、よろしくお願いしますよ」
小屋のほうから声が聞こえてきて、オオカミは立ち止まります。
「任せてください。必ず仕留めてみせますとも」
茂みの陰からこっそり様子をうかがうと、昨日の配達人が鉄砲を背負った男の人と話しているのが見えました。
「おばあさん。猟師さんが来てくれましたよ」
小屋から出てきたおばあさんに、配達人が笑顔で話しかけます。
「これでもう安心ですね」
「……やっぱり大げさすぎるわよ」
おばあさんは頬に手を当てて不安そうな顔をしています。
「それにまだ信じられないわ。私の家にいたのは本当にオオカミだったの?」
「ええ、間違いありません。あなたの家からあいつが出てくるのをこの目で見ましたから」
配達人はきっぱりと言い切りました。
「あいつは人間と思わせてあなたを騙して、隙を見てぺろりと食べてしまうつもりだったんですよ」
「でもねえ。悪い方だとは思えなかったけど……」
「それがあいつの手口なんですよ! あなたを油断させようとしたんです! 私が近くにいて本当によかった! そうでなければ、今頃おばあさんはオオカミのお腹の中ですよ!」
(なんてことだ……)
オオカミは顔をしかめました。
(俺を待ち伏せしてるんだな。あの背中の鉄砲で退治してやろうというわけだ)
だとするならば、のこのこと出ていくわけにはいきません。オオカミは後ずさりを始めました。
(ひとまず、ばあさんが俺を信じてくれてることが分かっただけでもよしとするか)
オオカミは森の奥へ向けて一気に駆け出そうとしました。
「いたぞ!」
けれど、運の悪いことに偶然茂みを覗き込んだ猟師に見つかってしまいます。鉄砲の先を向けられる寸前で、オオカミは猟師の頭の上を飛び越えました。
「で、出た! 早く倒しちゃってください!」
配達人が悲鳴を上げます。バン! と乾いた音がして、重たいものがドサリと地面に落ちました。
けれど、弾はオオカミには当たっていませんでした。
「そんな……! なんてことを!」
地面に倒れていたのはおばあさんでした。猟師が狙いを外してしまったのです。
「ばあさん!」
オオカミはおばあさんに駆け寄りました。おばあさんの服が血で真っ赤に染まっていきます。
「う……」
おばあさんは苦しそうな声を出しました。オオカミは頭が真っ白になります。
「早く医者を!」
「その前にオオカミを何とかしてくださいよ! あのままだと、おばあさんが食べられてしまいます!」
「分かってる! 分かってるんだが、手が震えて……!」
鉄砲の弾がオオカミの耳元をかすめます。銃声を聞いたおばあさんが顔を起こしました。
「逃げて」
ほとんど見えないはずの青い目で、おばあさんはオオカミをしっかりと見据えてそう言いました。
その瞬間、オオカミは自分が何をするべきか気づきます。
オオカミはおばあさんを背中に乗せました。
「オオカミのやつ、おばあさんをどこへ連れて行く気だ!? 撃て、撃て!」
後ろから猟師が放つ鉄砲の弾が追いかけてくる中、オオカミは背中におばあさんを乗せたまま駆け出しました。
「必ず助けてやる! だから、死ぬんじゃないぞ!」
オオカミとおばあさんはあっという間に木々に紛れ、姿が見えなくなりました。
****
「ねえ、今度はどこへ連れていってくれるの?」
ある晴れた日のこと。泉のほとりを美しい少女が歩いていました。
「そうだな……。怪獣の住んでいる谷はどうだ?」
少女の問いかけに答えたのは、彼女の隣を歩くオオカミでした。
「まあ! 素敵!」
少女は燃えるように赤い髪をふわふわ揺らしながら、はしゃいだ声を出しました。
「冒険って本当に楽しいわね。何度やっても飽きないわ」
「とか言って、また何年かしたら森の中に引きこもっちまうんじゃないだろうな?」
オオカミがからかうように言うと、少女は青い目を細めました。
「そんなことしないわよ。年を取ったら今度も泉に飛び込むの。それで若い体に戻って、また色んなところへ行くのよ。この泉、一生に一度しか使えないなんてことないでしょう?」
少女はクスクスと笑います。
「もちろん、あなたもおじいちゃんオオカミのままではいさせないわよ。私が世界中の珍しいものを見尽くすまで、引退なんかさせないから」
「まったく、とんでもないやつだな。白ずきんだった頃の大人しさはどこへ行ったんだ?」
「泉の底に置いてきたわ」
少女はオオカミの背にひらりとまたがります。
そうして一人と一匹は、新しい冒険へと旅立っていったのでした。