過去
小さなフィーナはみんなの看病により、次第に元気を取り戻していった。
そして呼び名も一時的に『フィー』となった。
「同じ名前だと混乱するでしょ? それにフィーって可愛いし」
フィーナは照れながら言うとマリアが微笑んだ。
それはフィーナが幼い時に、母からそう呼ばれていたのだと。
◇◇◇
フィーナの母キンバリーは、大事なことは何も教えて貰えずに育った。
姉妹のうちで美しい妹だけが優遇されていたが、そんなことも気にしない幼い時は天真爛漫で素直だった。
成長後にブラルケット公爵家からアディル伯爵家に、求婚の申し込みが多額の結納金を記載されて運ばれた。
理由は一つ。
姉妹が膨大な魔力保有者だから。
父親は「姉であるお前が良いだろう」としか言わなかった。
キンバリーはそれに応じた。
「アディル伯爵家の娘として、立派に嫁ぎますわ」と希望に心を震わせて。
顔合わせで夫となるティアジルを見た時、彼女の胸は踊った。
赤い瞳と艶やかでプラチナの髪を後ろに撫で付けた美しい男。
彼とならば蔑ろにされてきた生活も楽しく変化するのではないか。
愛されるのではないかと。
キンバリーは、気づいていた。
妹だけが優遇されるのが気のせいではないことに。
兄だって儚げで美しい妹ばかりに声をかけて、内緒で贈り物をしていたことを知っていた。
それでも…………。
いつか愛されることを願い、波風を立てずに生きてきたのだ。
恙無く婚約、結婚、妊娠と、大事にされていたキンバリー。
ティアジルも口数は少ないが、妊娠後は母体のことを気にかけてくれるので、愛されていると信じていた。
そして出産し、ティアジルそっくりの女の子が産まれた。
「ああ、なんて可愛い。旦那様そっくりだわ」
幸福に包まれた彼女に、たくさんの祝福の声が届けられる。
そこには何故か神父までが顔を揃え、祝福と共に異なことを告げる。
「奥様、おめでとうございます。産まれたばかりでこれほどの魔力。
きっと帝国の礎として大いに役立つでしょう」
「帝国の礎? 何を言っているの?」
顔を曇らせたティアジルは、余計なことを言うなとばかりに神父を廊下に追い出した。
「元気な女の子をありがとう。疲れているだろう、今はゆっくと休むと良いよ」
「ええ、そうするわ。ありがとう」
出産の疲れで目を閉じるキンバリーだが、寝ていると思った彼女にメイド達が遠慮なく世間話をする。
どうやら出産後の道具を後片付けに訪れたようだ。
「憐れなものだね、ここの奥方は。この子はブルガリ様の代わりだろう?
本当にお貴族さまのやることは分からないよ」
「しっ。黙んなさいよ、あんたは。そんな貴族なんかより私達の命の方が軽いんだからね。
良いじゃないか、嫁ぎ先が決まったのだもの!」
「だってさ皇帝の子を孕むと、子の魔力が多すぎて母体は憔悴して産後に全員死ぬんだろ? 20才前にさ。そんなの生け贄じゃないか」
「しょうがないだろ。この国はそうやって魔力を保持して生きているんだ。
結界だって王女様のお力だそうだ。王族は強くなければならないんだよ」
「だからって、この家は酷いよ。既にブルガリ様がいるのに。帝国に嫁ぐのは年齢順だろ?
次の側妃候補者用に若者を残すように」
「だから今は平民になったのだろうさ。本当に悪知恵が利くもんだ」
「それがこの国なんだよ。私達は恩恵に預かってるのよ。ほら、働いて」
掃除をして出ていくメイド達を横目に、激しく混乱するキンバリー。
「どういうことなの? この帝国の成り立ちって?
それにこの子が妃になって死ぬ運命だなんて!」
翌日も変わらず、ティアジルは優しい。
使用人達もガラスを扱うように、それは丁寧にフィーナを扱う。
すくすくと成長し、彼女が5才になった時ティアジルが言う。
「ここまで成長すればもう良いだろう。キンバリー、君には別邸に移動して貰うよ」
心からの笑みを浮かべた夫に、混乱するキンバリー。
だがそれに続く言葉に絶句する。
「真実愛する妻と子と、やっと一緒に住める日が来たんだ、邪魔だけはしないで欲しい。
…………それに今までとそれほど変わらないはずだよ。
生家で君は蔑ろにされていたんだろ?」
考えが纏まらないまま、目から涙が溢れるキンバリー。
「どうして私達を愛していないなんて言うの?
あんなに大切にしてくれたのに? 嘘だと言ってよ!」
修羅場中に、彼の横に走り出した少女がキンバリーを見る。
「ご苦労様、替え玉さん? これで私達が幸せになれますわ」
そう無邪気に感謝し、拙いカーテシーをする少女。
そして「駄目よ、そんな言い方しちゃ」と慌てて駆け寄る女性は、満面の笑みを浮かべる。
その女性は金の髪に、エメラルドの瞳のとても美しい容姿をしていた。
一瞬でティアジルの頬が緩むのを、見せつけられる。
キンバリーは、思い出していた。
出産後のメイドの言葉を。
「ああっ、始めから仕組まれていた、のね」
くず折れる彼女に、声をかけられる者はいなかった。
◇◇◇
別邸に移ってからは、フィーナと母の元にティアジルは訪れなかった。
だがそれだけ。
生活水準は落ちることなく、フィーナの教育も進んでいる。
メイドも侍女も彼女達に失礼な言動もせず、従順に尽くしてくれる。
まるで始めから知っていたように淡々としていた。
フィーナは母がいて、優しい乳母マリアがいれば良かった。
それが彼女の世界の全て。
でも………………。
母がそうではないと気づくのに、時間はかからなかった。
1日中本邸を眺め、父の名を呟きながら辛そうに泣いているから。
恐らく母は、信じていた父に会えなくて寂しいのだと思った。
だからフィーナは、母に会いに来るように頼もうとして本邸を目指して歩いた。
その途中でフィーナは足を止める。
そこには花咲く庭で、幸せそうにはしゃいでいる親子がいた。
自分には見せたことのない父の眩しい微笑み。
そんな顔が出来るんだと感じるほどに。
そこには母と自分の場所はない。
寂しくて辛くて泣きながら、小さい足で別邸に戻る。
護衛騎士と母が、そこから姿を消したのはそれから暫く後のことだ。
(私には誰もいなくなってしまった)
そんな時に乳母のマリアに抱き締められ、呆然としていた自分の頬が濡れるのを知る。
「フィーナ様。私はフィーナ様が大好きです。ずっと一緒におりますから」
マリアも泣いている。
別邸にいるメイド達も。
母が余計な気を起こさないように、ティアジルから必要以上に母との接触をしないように言い渡されていたと言う。
母に同情し、有利に働く助言をさせないようにだろうか?
若しくは母に味方がいると思わせないように、孤立させる為なのだろうか?
その後に母の失踪を知り、別邸に訪れたティアジルは悔しげに呟く。
「くそっ。こんなことで瑕疵が付けられブルガリが望まれたらどうする気だ。
そうだフィーナ。
お前は母親の病気の療養の為に、一緒に別荘に行くんだ。
そこでひっそりと暮らせば良い。
どうせ皇帝の欲しいのは、魔力のある女なんだから。
それが良い!」
その直後から焦燥した父に逆らうことなど出来ぬまま、森の中で暮らすことになる。
本当の別荘地に行けば、母の不在が他貴族に露見するからだろう。
秘密を守れる少人数で公爵家の所有する家に移動したフィーナだが、人の目を気にしない暮らしは快適なものだった。
フィーナは母を恨んでいない。
今も大好きだ。
母があれ以上、泣いていなければ良いと思うだけだ。
それをずっと繰り返す生活の中、雨の中でフィーと出会ったのだった。