ケアンフトのお母様
ケアンフトの母ダイアナは、マーレラン子爵家の次女だった。
彼女にはトオール男爵家嫡男、レイアという婚約者がいた。
もうすぐ結婚だと心騒ぐ時にレイアは事故で亡くなり、子爵家の事業は何故か急激に不振に陥った。
いつしか借金で、領地や爵位を手放すほど困窮していく。
そこに現れたのが、ランテの父で伯爵のガルトだった。
「何やらお困りのようですね。私のお願いを聞いて下さるなら、全てを解決して差し上げましょう」
それは、ダイアナを愛人として囲うことだった。
彼女の父は娘を妾にするなんて出来ないと思い、潔く平民になろうと思っていた。
近隣の領地にも、既に話をして準備もしていたくらいだ。
「ダイアナが犠牲になることはないよ。父である私の経営がうまく行かなかっただけなのだから。
お前の姉は嫁いでいるし、弟はレイアの家へ養子に行くことになった。
レイア亡き後、他に子のいない男爵家を継ぐんだ。
私が貴族でなくなるからお前には悪いけど、みんなで働いて生きていこう」
父はそう言ってくれた。
けれど生粋の貴族令嬢として生きてきた、母は違っていた。
「ねえ、ダイアナ。伯爵は良い人よ。平民になって苦労するより、大事に囲われて生きるれば贅沢が出来るわ。
生粋の貴族令嬢のあなたが、平民として生きられる訳ないもの。
…………賢いあなたなら分かってくれるわよね」
この時ダイアナは理解した。
母はダイアナを愛人にしてでも、貴族として生きたいのだと。
母とて今さら生家には戻れず、働くことなど考えも及ばないのだろう。
娘を売ることよりも、没落して平民落ちする方が矜持が傷つくということなのだ。
父とて長く貴族として生きてきたから、本当に平民の生活が出来るかは分からない。
けれど、「犠牲になることはない」と強く言ってくれたことが、ダイアナにはどんなことより嬉しかった。
「お父様。弟には、私が生まれた子爵家を守って欲しいのです。だから私は…………」
「あぁ、なんでだ。嫌だ、そんなこと…………」
「大好きです、お父様。その優しさで生きていけますわ」
「すまない、すまない。ああぁ、俺は駄目な男だ」
「まあ、貴方。ダイアナの英断に泣いてはいけませんわ。笑って送り出してあげましょう」
母は満足げにダイアナに微笑む。
父は号泣し、学園の宿舎にいた弟は自分に力がないことに泣いた。
そして伯爵の愛人となり、ケアンフトを孕んだ後で伯爵夫人がダイアナの住む市井の家に訪れた。
「何にも知らないようだから教えてあげるわ。
あんたの婚約者を事故に見せかけて殺したのも、子爵家の事業に圧力をかけて困窮させたのも伯爵の仕業よ。
それなのにあんたは愛人に堕ちて、なんならあの人に感謝までしてさ。
本当に馬鹿みたい。憎い男の子供まで作って。
そんな子愛せるのかしら? おほほほっ」
ダイアナは愕然とした。
「愛するレイアが殺されたなんて。なんでそこまでするのよ。どうして…………」
伯爵からすれば、ただ気に入った女を奪おうと思っただけ。
ダイアナは容姿は、少し美しい程度で美女ではない。
自慢できるのは夕焼けのような暖かい瞳だけだ。
何が伯爵の琴線に触れたのかも分からない。
本当に気まぐれなのだろう。
そして伯爵夫人もまた、夫がダイアナに傾倒し自分を蔑ろにすることに激怒した。
ただでさえ男児を産めないと、前伯爵夫妻から叱責を受けていたからだ。
今は男女関係なく家を継げるのに、やはり男児は尊重されていた。
理不尽に詰られ、愛する人を亡くし、自分の身さえ売られた空虚な状態に、もう生きているのが辛くなった。
でも…………。
お腹の中で確かに命が生きている。
生まれたいと主張している。
「そうなのね。生まれて来たいのね。私も、会ってみたいわ」
絶望のダイアナに、ケアンフトはお腹の中から体当たりして励ましたのだ。
その後出産したダイアナは、伯爵には男児だと喜ばれ伯爵夫人にはさらに憎まれるようになった。
生家の父と弟も新しい命を喜んでくれた。
だが母だけは「愛人なのに子供なんて」と否定的な言葉を投げつけた。
父はダイアナの心配と後悔で酒に逃げ、徐々に体調を崩していた。
後継者である弟が家の仕事を覚えると、父は寝たきりとなり、遂に儚くなった。
立派に家を継承し結婚した弟は、父亡き後は自分の天下だと嫁いびりをしたり贅沢放題になった母を領地に送った。そのなかでも自ら犠牲となって家を支えた、姉に対しての言動が許せなかった。
領地の端の小さな家が終のすみかになるだろう。
幾つになっても弟が、自分に逆らわないと信じていたようだ。
弟は全てを知っていた。
あえて言わなかっただけだった。
その後暫くは、ダイアナとケアンフトの生活は穏やかに過ぎていった。
ダイアナは子爵令嬢として優秀であったから、ケアンフトを教育することに問題はなかった。
伯爵のことは彼の悪事を知る以前のようには思えなかったが、ケアンフトの前では父として貶すことはなかった。
出来るかぎり尊重した。
けれど原因不明の病でダイアナが倒れてからは、彼女は起き上がれずに入院した。
ケアンフトは男児だからと伯爵家に無理矢理引き取られ、使用人のように扱われた。
時にはダイアナへの鬱積を晴らすかのように、伯爵夫人に殴られ蹴られ続けた。
「ダイアナが男なんて、あんたなんて生むから私が責められるんだ! 愛人の子の癖に!」
「なによ、なによ。同じ血が入ってるのに、あんたの方が優秀だって馬鹿にされるのよ。許せない!」
成長した後は、ダイアナの教育の賜物により賢かったことで、伯爵の書類仕事を手伝うようにもなったケアンフト。
変わらずダイアナは入院しており、彼は母の為に伯爵家に尽くし続けた。
その病が、ランテが魔術師に頼んだ呪いだと気づく者はいなかった。
それもそのはず、報酬には莫大な資金が必要で、一介の伯爵家の愛人ごときへ使われる術ではないからだ。
それでも伯爵夫人はダイアナを呪った。
「ケアンフト。私のことは捨てて良いから、自分の人生を生きなさい。その方が嬉しいわ」
「そんなこと言わないで、絶対治してあげるから。元気でいてください。お母様ぁ」
「あぁ、愛しているわ。世界一可愛いケアンフト。ぐすんっ」
涙ながらに話す二人には確かな絆があった。
意地悪な伯爵夫人とランテは、ダイアナに起きた不幸を楽しそうにケアンフトに話して聞かせていた。
彼が苦しみで顔を歪める度に嬉しがる母子も、もうこの伯爵家で暮らしてきたことで、心を壊されていたのかもしれない。
◇◇◇
そしてまた時が過ぎ、彼はフィーナに出会った。
母を守る為に彼女を監視し、彼女の母を汚し、最愛の母を亡くした。
自分のせいで不幸になったフィーナとキンバリー母子の為に、力を使い果たした彼は満足だった。
彼が亡くなる食前にキンバリーが囁いた言葉は「貴方のお母様の呪いは解けたわ。彼女が入院した直後の時間軸で解いたから、彼女は元気で長生き出来るはずよ。それとね…………」
キンバリーはダイアナを治癒する際に、彼女の脳内に夢のように話かけた。
これからの未来でのダイアナのことや、ケアンフトが犯した罪についても。
「あの子は私の為に生きていたのね。…………幸せも知らずに。うっ、うっ」
「それは違うわ。彼は貴女に愛されて、愛することが出来て幸せだったの。だから幸せじゃなかったなんて、言わないで。そして彼にも贈り物があるの。
だからこの夢を信じて、ここから逃げなさい。
再び呪いをかけられないように」
ダイアナが目覚めた時、病院は夜更けで皆寝静まっている。
自由に動かない体は軽くなり、息苦しさもなくなっていた。
枕元には小粒のダイヤモンドが30個は加工されているネックレスが置かれていて、「今までの慰謝料だと思って受け取りなさいな」と、夢と同じ声が聞こえた。
そうと決まれば、この病院から出ることは容易かった。
亡くなった人の衣服が保管してある部屋(何れ纏めて燃やす為に物置に入れてある)から服を選び出し、数枚をそこにあった布袋に入れて肩がけにした。
新しげなタオルも数枚見つけ追加して袋に入れる。
この病院は貴族が多く入院する為か、真新しい衣類もたくさん残されていた。
勿体ないと思うけれど、貧しさを知る者にしかその感覚は分からないだろう。
そもそも病院にかかれるのは、余裕がある者だけなのだ。
「大切に使わせて頂きます。ありがとうございます」
いくら捨てる物だとはいえ、頂くのには抵抗があった。
それでもケアンフトに貰った、この健康な体を生かす為には、不用意な準備では出ていけない。
彼女は着替えを行い、目立たずひっそりと闇に紛れて移動した。
そして夢の声が導く場所へ、歩みを進める。
広場にある噴水へ訪れると、そこには冷たくなった赤ん坊が赤ちゃんかごに入ってポツンと置かれていた。
ダイアナは赤ん坊を抱き上げ、懸命に声をかけた。
「死んでは駄目。生きて。目を開けて!」
背中を優しく擦りながら声をかけると、「おぎゃあ、おぎゃあ」と泣き始める赤ん坊。
「ケアンフト、ケアンフトなの? お母様元気になったのよ」
その声に泣き声が止まり、その瞳は真っ直ぐにダイアナの顔を見つめる。
そして僅かに頷き、眠りに就いてしまった。
「ああ、神様。ありがとうございます。この子は立派に育てますから」
泣きながら赤ん坊を抱きしめたダイアナは宿に泊まり、翌朝一番の辻馬車でそこから離れたのだった。
キンバリーは亡くなる運命にあった赤ん坊を見つけ、その子が肉体から離れた瞬間に治癒を施しケアンフトの霊体を入れた。
そして肉体から離れた霊体と共に、キンバリーは天に戻って行ったのだ。
「一人は寂しいから一緒に行きましょう」
彼女が微笑めば、赤ん坊もきゃきゃと笑った。
再び胸に抱かれて安心したように。
◇◇◇
ダイアナはケアンフトをケアンと呼び、自身のこともイアナと名乗った。
辻馬車の運賃は、ネックレスからダイヤモンド1粒をはずし馭者に渡した。
「夫が子に暴力を振るうので、逃げてきたのです。金貨でなくてごめんなさい」
そう言って謝罪した。
事情があるならタダで良いと言う彼に、イアナは再びダイヤモンドを渡す。
口止め料だと思って受け取って下さいと。
すると彼はダイヤモンドを「ありがとう」と受け取り、彼女を質屋まで案内してくれた。
「ここは良心的なんだ。俺のダチがやってるからさ」
そう言って、彼は先ほどのダイヤモンドを店主に見せた。
「なんだよ、ビル。このダイヤモンドはカッティングが素晴らしいぞ。どうしたんだ?」
怪訝な顔の店主ゲランが尋ねる。
「ああこれさ。暴力夫から逃げてきたこの人のなんだよ。高く買ってあげてよ」
知り合いのような二人は、気安い会話を繰り返した。
「またか! おまえは本当にお節介なんだから」等々と。
その様子に脱力し、イアナはいつの間にか笑っていた。
「ごめんなさいね。何だかとても楽しくなってしまって」
ビルもゲランも、つられて笑っていた。気にすんなよと言いながら。
イアナの上品な振るまいと高そうな衣服に、貴族だと気づかれたものの、不審さは与えなかったようで安心した。 これならば、暴力夫から逃げた話にも信憑性が出るだろう。
丁度ゲランにも幼い子がいて、話を聞いた奥さんのアンが彼女を気にかけ数日家に泊めてくれた。
ダイアナはダイヤモンドを3つ差し出して、買い取って貰うことにした。
ビルは辻馬車代以外をイアナに渡そうとしたが断った。
こんなに助けて貰ったのだから、そのお礼ですと言って。
ダイヤモンドを売ったお金で旅仕度を整え、ビルやゲランとアンにお礼のプレゼントと宿代を渡した。
困っている人から受け取れないと言うも、イアナは元気をたくさん貰ったからと微笑んで退かなかった。
「分かったよ、イアナの覚悟は。でも困ったら頼っておくれよ。あんたじゃなく、ケアンの為にね」
「ありがとうございます、アン。本当に力を貰えました。みなさんも元気でいて下さい」
イアナとアンは旧知の友のように抱き合い、ビルとゲランとその子供達と別れを継げた。
子供達はケアンを可愛がってくれたので、とても寂しそうだった。
「もう俺達、兄弟だから。いつ来ても歓迎するよ」とまで言ってくれて、危うく泣きそうになった。
アンから「旅の訳あり貴族は、金があると思われて狙われるから、護衛を付けるか地味な格好をした方が良い」と言われた。
本当はここらに住むのが安心なんだけれどとも。
でも万が一伯爵が来て、連れ戻されるのだけは嫌だったので、さらに遠方に行くことにしたのだ。
日中の安全な時間を、多くの人が乗る辻馬車で移動する。
誰かに声をかけられれば、この年でやっと出来た子を見せに、実家に移動中だと答えれば笑顔になっていた。
この時イアナは33才だが、それより若く見えたから違和感はなかっただろう。
平民の服や持ち物で身の回りを装い、口調はアンの真似をした。
少しずつ馴染んだ仕草は怪しまれることはなかった。
移動の途中の食堂で、若い女の貴族を探している話を聞いた。
けれど今のイアナは田舎のお嬢さん程度の振るまいと服装だし、おまけに赤ん坊もいる。
捜索の目からは逃れたようだ。
そして移民を受け入れている暖かな街に着き、臨時の学校教師の職を得たイアナ。
まだ出来たばかりで、何もかも自由だった。生徒は読み書きを学び、給食を食べて帰るスタイルだ。
授業料は無料だが、まだまだ働き手の子供は通うだけで大変そう。
イアナはケアンを背負いながら、読み書きを教えていた。
週に1回、2回来る程度の子が多いが、字を覚えて親に教える子が出てくると、子は搾取されない場所で働けるかもしれないと、学校に通わせる親が増えてきた。
家族でも兄弟姉妹全員ではなく、兄や姉が習い弟妹に教えたりと、いろんな通い方が見られた。
みんな真面目なので、イアナも真剣に関わり、良い職に就けた子がいれば共に喜んだ。
そんな生活の中で気の合う男性教師と知り合い、イアナは結婚してケアンと3人で幸せに暮らした。
そのうちにケアンの妹も生まれ、ますます賑やかになっていく。
学校に通う生徒や卒業した生徒も遊びに来て、ケアンと妹を可愛がってくれている。
今のケアンは、ケアンフトの時の記憶は残っていない。
赤ん坊としてたくさん寝て遊ぶことで、夢のように残っていた映像も思い出さなくなった。
イアナはキンバリーが教えてくれた、ケアンフトとキンバリーが自分を助けてくれたことは信じている。
けれど彼女の記憶自体は、若くして入院したものだけだったので、自分が未来に死んだことは想像が出来ないでいた。
ただ入院後に手元から離れた、15才のケアンフトの顔だけは忘れることはなかった。
◇◇◇
彼がマリアを庇って死んだ時、空間魔法の維持で死にかけた体を転送して貰ったはずだったのだが、肉体は時間を越えることは出来ず、結局はその時間軸の彼が彼女を庇って死んだのだ。
ただその思いに答えるように、フィーナ達には彼が大人のケアンフトに見えていた。
彼が亡くなり、彼女達が去った後は15才の姿に戻っていた。
15才のケアンフトにとっては突然の死だったが、未来の自分から瞬時に得た記憶が伝わり、その決断は間違っていないと満足した。
彼は自分の出自が辛くて、何とか母の力になりたかったから。
図らずも願いを叶えたことになり、同時に人生の幕も下りたのだった。
ちなみに彼の妹は、彼とキンバリーとの殺された赤ん坊だった。
彼が妹を可愛がることで、贖罪になるのかもしれない。
そんなことがなくても、ケアンは妹を溺愛することになるのだが。
◇◇◇
フィーナとマリア、ダドリーは、マリアが殺されそうになった現場の近くにいてすぐに集まれたが、ロンダは港の荷運びのアルバイトをしていた。
知らない間に近くにいたことは僥倖だ。
もし遠くで働いていて、フィーナのことを思い出したなら、彼女達が隣国に行った後に探し回っただろう。
彼女を大好きになっていたから。
本当に縁があったものだ。
今は四人で小さな商会を始めた。
未来で流行る物が分かるから、少しだけ有利かもしれない。
今は魔法国のことを思い出す暇もなく、忙しそうである。




