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しばらくして私は目が覚めた。
豪華絢爛で涼しい室内。ここは天国かしら……そう思っていたら、ぬっと少し丸く優しい顔をした初老の女性が顔を覗き込んできたので、思わずびっくりして声を上げてしまった。
「あら、驚かせてしまいましたわね。私はマリー。公爵家の侍女長を務めております。リリー様のご体調はいかがですか?門の前で立ち続けて倒れられたんですよ。栄養失調と熱中症ですって。これからはごはんをもりもり食べなくてはいけませんね」
水が勢いよく出るかのように話かけてくるマリー。
こんなに人に話しかけられたことがないので、何と答えれば良いかわからず言葉に詰まってしまう。
そんな私の様子を見て、マリーがまた話しかける。
「起きたばかりですものね。点滴で水分は補給されているはずですけど、喉は乾いてますよね。こちら冷たい蜂蜜水を用意しておいたのですけど……いかがですか?」
蜂蜜水を勢いよく手渡され、その迫力で思わずコクリと飲んでしまった。
甘くて冷たい感触が私の体にしみわたっていく。
こんなにおいしい飲み物は生きていて初めて飲んだかもしれない。
「とても……とてもおいしいです」
「それは良かったです。ところでご体調はいかがですか?」
「あ……元気です。申し訳ございません。ご迷惑をかけてしまって……」
「ご迷惑なんてことありませんよ!元といえば坊ちゃんがリリー様を放置したから……あ!ご体調がよろしければ、お風呂にしませんか?このマリー腕によりをかけてリリー様を磨いて磨いて磨きまくらせていただきたいですわ」
「え……そんなご迷惑……それにリュカ様にご挨拶も倒れてしまったお詫びもしていないですし……」
「あら~気にしなくて大丈夫ですわよ!これもどれも坊ちゃんのご命令ですのよ」
「え……?」
そう言ってマリーはにんまり笑って、私をぐいぐいお風呂に引っ張っていったのだ。
ーーー
ケスチェ家では使用人と同じような生活をしていたので、温かいお湯で体を洗うという経験をしたことがなかった。
お湯に体を浸からせるということは、こんなにも気持ちの良いことだったのか……と感動が体を駆け巡る。
しかし……今まで自分の体は自分で洗っていたので、人に体を洗われるという行為はなんだかとても恥ずかしい。
とても良いにおいの石鹸で優しい手つきでお風呂付の侍女に体全体を洗われているのだが、体に力が入って緊張してしまう。
自分で洗うと言ったけれど、却下されてしまったのだ。
ようやく体を洗い終わったかと思ったら、次はマッサージだという。
もうどうにでもなれの心境である。
侍女達にアレコレされた後、凝っているけれど無駄な装飾のない上品なドレスに手を通し、薄く化粧をされ、櫛が通るようになった髪をきれいにまとめられる。
マリーが満足そうに私を見つめ、他の侍女達に話しかける。
「これでまだまだ磨ける余地は無限大にあるというのが……私たちの手が鳴りますね」
他の侍女達も満足そうに頷き、私の目の前に姿見を移動させてきた。
そこに映っていたのは、見たことのない女性。
折れそうなほど痩せているけれど、艶のある髪は美しく結い上げられていて、うっすらとしてある化粧により血色が添えられている。上品なドレスのおかげで、病的な細さも儚げで美しい印象に見えている。
「これは……私……?」
マリーがにっこり笑いながら答える。
「はい。リリー様、とても美しくございます」
信じられない。
父親からも父の再婚相手からも義妹のシェリルからも義弟のアレクからも、青白い肌に薄気味の悪い薄い水色の髪がお化けのようだと嫌われ、ぎょろりと大きい不気味な赤い目が恐ろしいからこちらを見ないようにと言われていた。
でもここにいるのはお化けでもなんでもない。
上品な水色の髪にぱっちりと美しい赤い目をした女性。
まじまじと鏡を覗き込んでしまう。
そんな私にマリーから声がかかる。
「そろそろ坊ちゃま……旦那様のお食事の時間なのですが、もしよろしければご一緒されてはいかがでしょうか?」
そこではっと現状に気づく。
ここは暗殺するリュカ・ムーンの家。
いくらマリーが優しくしてくれたも気を抜いてはいけない。
彼を油断させ、殺すこと。それが私の使命。
私が油断させられている場合ではないのだ。
「……はい。是非お願いいたします」
こうしてリュカ・ムーンと初めて対面することになったのだった。