第三話
図書館は長い坂長の上にある。近くにはこの世の不安を一身に詰め込こんだ様な色をした松本城や、明治建築として有名な旧開智学校がある。
ポケモンGoが流行した時は、そこらかしこにスマホを片手にした人がまるでゾンビのように歩く光景をよく目にしたが、最近はめっきり減ってしまった。
図書館の二階へと上がる、勉強ペースの端で大学ノートに漢文をせこせこと書き写している赤穂を見つけた。
どうやら彼は夏体みの課題に精を出していたようだった。
「調子はどう?」と僕はトントンと彼の使っている木製の机を叩いた。
「全く駄目だ。終わる気配すら無いよ。あと夏休みが一ヶ月ほど欲しい程だ。君はどうだ」
「僕も同じだよ。特に数学は30ページも残っている」
僕がそう言うと赤穂は仲間を見つけたかのようにニヤリと笑って「そうかそうか」と言った 。
わざわざ図書館まで出向いた訳なのだが、呼び出した理由が「今夜学校の屋上で流星群を見よう」との事だった。
そんな物、ラインなり電話なりで話してくれればいいものなのだが、何らかの理由で口頭で済ませたかったのかどうなのか。その理由は未だに解らない。
図書館に来たのだから本の一冊でも借りていこうと思い立ち、小説が置いてある棚を見物した。
まず目に入ったのは村上春樹の新作である。
海辺のカフカ以外は読んだことがないので借りるのはやめた。
次に目に入ったのは宮沢賢治の銀河鉄道の夜だった。
宮沢賢治はよだかの星しか読んだことが無く、銀河鉄道の夜は名前しか知らなかった。
高校生になってまで銀河鉄道の夜を読んでいないのはどうなのかと考え、その本を手に取った。
図書館で『銀河鉄道の夜』と『悪の華』と『シラノ・ド・ベルジュラック』を借りると、私はその足でTSUTAYAへと向かった。
大地で18と書かれている黒い幕を捲るとそこは桃源郷であった。
どう見ても高校生に見えない女性が当たり前の顔をして高校生を演じているDVDなんかが雁首揃えて並べられている。
一つレンタルしようとし、財布の中を見てみると運の悪いことにTSUTAYAカードが無かった。僕は肩を落とした。
諦めて黒い幕から出ると、昔の洋画が並んでいる棚があった。
知らないタイトルばかりの棚の中、一つだけ知っているタイトルの映画を見つけた、『スタンド・バイ・ミー』だ。
原作者はかの有名なスティーヴン・キング、ホラーの帝王とも呼ばれる人。
たしか内容は治安の悪い町に住む12才の少年達が死体を見つければ英雄になれると勘違いして奮走する話しだったような。
いや違うか?確か死体は本当に見つけるんだっけ。昔見たからか、ラストが思い出せ無かった。
なんだろう、モヤモヤする。
その夜、学校に向かう途中の未知で栗澤に会った。
「やあ」
「今晩は。君も赤穂呼ばれたのか」
そうだ、と僕は言った。栗澤は喜んだかのような顔で「そうかそうか」と呟く。
そのまま僕達は校内に入った。何故だか鍵は空いていて、屋上までは簡単に行けるようだった。きっと赤穂の仕業なのだろうが、一体どうやったのだろう。謎の多い奴である。
時計は22時30分を指していた。流星群のピークは23時の筈。
屋上にはブルーシートが敷かれていて、中央には横になって天を見上げている赤穂がいた。
僕達が赤穂の顔を除き込むと、何処か虚空を見るような目をしていた赤穂がむくりと起き上がり、「やあ、今晩は」と挨拶をした。
「どうやって鍵を空けたんだ、まさかガラスを割ったのか」と僕が聞くと、赤穂は「そんな事は別にいいだろ」とそっぽを向いた。
きっとガラスを割って鍵を開けたに違いない。
万が一教師にバレるようなことがあったら、全責任は赤穂にあると主張しよう、そう僕は栗澤とアイコンタクトを交わすと、赤穂と同じようにブルーシートに寝転がった。
天を見ると雲一つ無く、星がよく見える事を感じさせた。オリオン座がキラキラと輝いている。白鳥座も直ぐに見つけた。
白鳥座は十字に見えることからヨーロッパ圏ではキリストの星座らしい。そんな事を赤穂は話してくれた。
ぼおっと見ているとひゅう、と白い光が空を走った。流れ星だ。その後も何度も白い光が夜空を駆けた。
私はそのどれかに願い事をしようとしたが、いかんせん消えるのが早くて出来なかった。
ふと、隣に居た赤穂が言葉を発した。
「『そのとき汽車はだんだん川からはなれて崖がけの上を通るようになりました。向う岸もまた黒いいろの崖が川の岸を下流に下るにしたがってだんだん高くなって行くのでした。そしてちらっと大きなとうもろこしの木を見ました。その葉はぐるぐるに縮れ葉の下にはもう美しい緑いろの大きな苞ほうが赤い毛を吐はいて真珠のような実もちらっと見えたのでした。』」
「なんの小説?」
「『銀河鉄道の夜』だよ。今度読んでみるといい」
「・・・・・・ああ」
偶然にも今日借りた、その言葉を僕は飲み込んだ。
時計を見る。時刻は一時をまわっていた。
「そろそろ時間だ、帰ろう」
「分かった」
三人がかりでブルーシートを片付けると、私は屋上から見える景色に驚いた。
「星、綺麗だったな」
帰り道に赤穂が言ったが、僕は同意しなかった。
正直夜景の方が綺麗だったからである。