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永遠に、ぼくの心を  作者: 春乃光
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第一章・写 真 ◇4

 ベッドに身を横たえると、窓越しに空を見上げた。天気の崩れはもう少しあとらしい。多少雲は多めだが、まだ青空の面積の方が大きかった。

 階下の仕事場から母の踏むミシンのモーター音が聞こえてきた。章乃のワンピースを縫ってくれているのだ。真っ青のビロード生地である。母が選んでくれた。

 目を閉じ、それをまとった姿を心の鏡に映し出してみる。袖を通す日が本当に来るのかは分からない。それでも、健祐との再会の日の晴着にと決めている。

 ビロードは縫製ほうせいに骨が折れるだろうに。母の気持ちに感謝するばかりだ。

 母との二人きりの生活を顧みた。

 父が遺してくれたこの家に生まれ、物心ついたときには既に父はなく、母と二人だけであった。だが、寂しいと思ったことは一度たりともない。

 母は明るい人だ。いや、敢えてそう振舞ってくれていたのだと章乃は知っている。女手ひとつでここまで自分を育てるには並大抵の苦労ではなかったろう。なのに娘には決して苦労など顔に出して見せはしない。

「お金持ちは、下に落ちるだけ。うちみたいな貧しい家庭は下はないの、上るだけよ」

 母はいつも冗談めかす。

 貧しい生活であったが十分に幸せだった。何の不満もない。

 母は腕のいい職人だ。祖母は、女は和裁だけできればいい、と洋裁には否定的な古い考えの大正生まれの人だった。祖母の言いつけには従いつつも、根っからの好奇心から洋裁にも手を出していた。生来の器用さゆえに、短期間でめきめきと腕を上げていったらしい。技術習得の早さ、才は周囲も驚嘆するほどだった、と叔父が教えてくれた。

 その腕前は素人の章乃から見ても納得する。 母は、紳士服、殊に背広の仕立て直しまでやる。肩口を全て解いて、肩で袖丈を詰め、元に戻す。その人の体型に合わせ、着られるようにするのは至難の業である。相当の腕が要る。洋服のリフォームは、一から仕立てるよりも難しい仕事だ、とも言われている。背広となると殊更なのだ。

 それゆえ、客足が途絶えることはなかった。口コミで広まっていった。わざわざ列車で二時間かけて来訪する客もいた程だ。

 数千万円相当の毛皮のコートを請け負ったときには章乃は面食らった。

「もし失敗したら、そちらに弁償してもらうわ」

 母は客の脅し文句など意に介すことなく見事にやってのけた。章乃自身も誇らしい気分であったが、母にしてみれば、随分と神経を磨り減らす羽目になったようだ。あのような仕事は、もうこりごりだとも漏らしていた。

 骨の折れる仕事の割には左程収入には繋がらない。たったひとりきりの作業ではそんなものだ。しかも章乃の入院費用の捻出まで負担をかけている。田代家の緊縮財政はそのせいが大きい。それを思うと章乃は悔しくて堪らなくなる。

「私が元気に生まれついていたのなら……」

 母に苦労させずに済んだのに。もっと楽をさせてあげられたのに。「お母さん、ごめんなさい」

 深く溜息をついて目を開けた。

 雲の流れが速くなった。ガタガタと窓ガラスが揺れる。風が強まってきた。

 父の面影を思い出そうとしてみた。写真の中の父ではなく、自分の記憶のどこかに置き去りになった父を。記憶の蔦のどれを手繰ろうとも、絡まった蔓はどうしても手元には引き寄せられない。父が生きていた頃のほかの記憶は、断片的ではあるが、残っているというのに、なぜ父の面影だけが脳裏から抜け落ちてしまったのか。それが悲しくてならない。

 枕元の手鏡に手を伸ばし、自分の顔に父の顔を重ね、映してみた。父親似であることは仏壇の写真を見れば分かる。

「アヤノ」

 鏡に向かって自分の名を呼んでみる。父の肉声を聞きたかった。

 しばらく鏡を覗いたあと、ベッドの上に身を起こすと、窓越しに外の景色を見やった。


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