死神の大鎌
《前回までのあらすじ》
「異形」のよって保安所に連れて行かれた主人公・高橋勇翔は保安官によって奴隷商に引き渡される。そして彼は「奴隷」として暗く閉ざされた地下牢で囚われの身となることに……。
依然として暗く閉ざされた地下牢にいる。あれから何時間たったのだろうか、大雑把にもそれを知る術はない。オレと同じく奴隷としてそこに数人ほど囚われているが、皆が皆、口元を布で覆い、一言も発さない。朝晩二回の粗末な食事、用便の臭い立ち込める劣悪な居住環境、そして己が身の不自由さ――。それらはそこにいる全ての人間の生気をジリジリと奪っていく。
(なぜオレがこんな目に……)
考えることはそればかりだった。
「ううう……ううう……」
急に隣の男が唸るように前屈みになる。よくよく目を凝らすと、その皮膚には黒いあざのようなものが出来ていた。
「おい、大丈夫か! しっかりしろっ!」
これは只事ではない、そう思って助けを求める。
「急病人だ! 誰が、誰かいないのか!」
「やめ……てくれ……」
その病人は蚊の鳴くような声でオレを制する。
「なんだ、何を騒いでいる!?」
看守の男がやってくる。この男もそうだ、口元を布で覆っている。
「こいつの様子が変なんだ!」
そう聞き、その病人に一瞥をくれると、
「『死神』にやられたな、担ぎ出すぞ!」
野太い声が辺りにこだます。すると数人の看守が集まり、病人を牢から引きずり出す。
「うわあぁぁぁぁ! やめてくれぇぇぇぇ!」
断末魔とも言うべき、病人の悲痛な叫び声が地下牢全体に反響する。そして次第にそれは遠くなり、聞こえなくなった。
「あんたもひどいことをするねぇ」
向かいに座っている男がおもむろに口を開く。
「えっ、それは……どういうこと……?」
「あの男、もう帰ってくることはないね。今頃生きたまま燃やされているだろうよ」
「そ、なぜそんな……そんなことって……」
オレは悔しかった。そしてひどく憤った。奴隷だからってそんな非人道的な扱いを許せるはずもない。
「仕方がない、誰だってそうさ。『死神』に祟られたらおしまいだ」
他の男も投げやりな様子でそうつぶやく。
「あんたも用心しなされ」
向かいの男はそう言って口元の布に手をかける。
(……そうか、病気か! 『死神』は病気だ!)
すかさずオレも口元に手を当てる。しかしその男には見えていたのかもしれない、オレの背後で大鎌を振りかぶる「そいつ」の姿を――。
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あれから二回寝起きをした。恐らく二日くらい経ったのだろう。その間にオレの身体は急激な変調を見せていた。最初に今までに経験のないほどの倦怠感が全身を襲った。続いて寒気がし、高熱にうなされる。
(食当たりか、はたまたインフルエンザか、困ったことになったぞ……)
ここでは誰の助けも借りることも出来ない。ひたすた耐えるしかないのだ。
(時間が経てば治るに違いない……)
祈りに近い思いで時に身を任せた。だが事態は一向に好転しない。次第に朝晩の少ない食事も喉を通らなくなる。
(おかしい……これはおかしい……)
やがて意識が混濁してきた。重篤な状態であることに間違いはない。
(まさか……これが……)
「そう、『死神』だ。この時代ではそう呼ばれている」
どこからともなく声が聞こえる。聞き覚えのある冷たい声だ。
「……」
返答したいが、声にならない。
「かなりの重態だな、もってあと二日ってところか」
(その声は……アイル!)
「たまたま様子を見に来たら、このザマだ」
心底呆れたようにオレを見る。しかしそれと同時に妙な安心感を覚えたのもまた事実だ。
「お前は黒死病、つまりはペストを罹っているのさ」
ペスト――聞いたことがある。大変な病気、オレにはその程度の知識しかなかった。
「未治療時の致死率はほぼ100%、この時代に治療法など確立しているわけもなく――」
言いかけた言葉を飲み込むと、やや時間を置いて、
「中世を甘く見ていたツケが回ったな……」
アイルは鋭い眼光でこちらを見下ろす。
「お前みたいな転生希望者はみんなそう、どこで得た知識が知らないが、『異世界転生』と言えば『中世ヨーロッパ』を想像する。そしてそこに行くことを望む」
「だが悲しいかな、現実はこの通りだ。お前のいた時代からすれば、医療も衛生環境も人権意識も、何もかもが進んでいない。お前の常識など通用しない、文字通りの『異世界』なのさ」
「……」
返す言葉もない。オレは甘かった、甘すぎた。この時代を舐め腐っていた自分に腹が立つ。そしてこの時代に来たことに、この時代を選んだことに、底なし沼より深く絶望した。
「最後の望み、ここで聞いてやってもいいぞ」
薄れゆく意識の中で思う。
(言わなくちゃ……)
オレは最後の力を振り絞り、言葉を発する。
「病気を……治して……ほし……」
「……分かった。お前の望み、聞いてやろう」
オレの言葉を遮るかのようにアイルはオレの額に手をかざす。まるで憑き物が落ちたように全身からすうっと何かが抜けていく。糸に吊られたように自然と身体が持ち上がる。霧が晴れるように意識が鮮明になっていく――。
「喜べ、これでペストは治った」
「ただ一つ治せないモノがあった。だから特別に、この世界にいる間だけお前を病気に罹らなくしてやった」
(バカは死ななきゃ治らない、と言うだろう……)
気付けばアイルはいなかった。今までの体調不良が嘘のように、オレは元気になっていた。




