溶融
周囲が急に慌ただしくなる。各地に向けて次から次へと使者を送り出す。彼らはその足を馬に求め、オレたちはせっせと送り出した。程なくして馬屋はもぬけの殻となった。
それと時を同じくした頃、王女誘拐と開戦の噂が人々の間で広まりつつあった。王宮内は騒然としており、つい数日前まで王女の嫁入りに沸き立っていた街の雰囲気もガラリと変わっていた。皆不安げな様子で落ち着かない。それだけには止まらず、ヴァフォード軍は明日にも王都まで侵攻してくるだとか、漁夫の利を狙って隣国も侵攻してきただとか、出所の分からない真偽不明な情報も錯綜しており、人々の動揺を更にかき立てた。
オレはガランとした馬屋を掃除しながら、思案に耽る。もちろん王女のことも心配だったが、それにも増して彼女を守れなかったベルガにその矛先が向きかけていた。平素から親衛隊長であることを鼻にかけ、それを臆面もなく口にしてきたあの男は彼女を敵に明け渡した挙句、自分は命からがら逃げ帰って来た。その事実がオレを無性に腹立たせた。そして一度そう思うと最後、ベルガに対する怒りの炎はメラメラとその勢いを強めた。
「おい……ゴスホークさん、いるかい」
唐突に後ろで声がした。振り返ると、そこにはなんとベルガが立っていた。
「ベルガ……! よくもおめおめと……!」
彼の姿を見とめるや否や、オレは飛び掛かった。彼は特段の抵抗を見せず、背中から地面に倒れ込んだ。
「お前……なんで……」
オレは胸倉を掴む手に力を込める。ここで彼に当たっても仕方ないことは薄々分かっていた。分かっていたけれども、こうせざるを得なかった。一方のベルガはオレを真っ直ぐに見つめたまま動かない。
「……やれよ……殴りたきゃ殴れよっ!」
そう叫ぶ彼の目には涙が浮かんでいた。無念さを多分に含んだ涙、それを見てオレはやるせなくなった。
「くそっ!!!」
言い表しようのない悔しさから地面を叩く。この言い知れない感情の鞘を探していた。
「ユウト、もうそれぐらいにしておけ」
目の前には親方が立っていた。そしてオレとベルガを離すと、双方に手を差し伸べた。その後、ベルガに向かって言い放つ。
「こんなところに何の用だ、まさか一人で王女様を助けようって考えじゃないだろうな」
「だがそうはいかねえ、ご覧の通り馬は出払っている。どうしようもないな」
手を大きく広げて、呆れたような素振りをして見せる。
「そうしたいのは山々ですが、王子から直々に謹慎を言い渡されました。悔しいですが、私は王宮の外には出られません……」
「だからゴスホークさん、力を……力を貸して下さい……」
そう言って深々と頭を下げる。その瞳からは涙が止めどなく滴り、地に落ちて行く。ベルガは自身のプライドをかなぐり捨ててここにやって来たのだ。
「分かった、分かったから顔を上げてくれ!」
「オレはなぁ、こういう湿っぽいのは苦手なんだ」
親方は制するように手を前で動かすと、困ったように言った。かつてひどく罵られ、バカにされた相手からの頼みを快く引き受ける、そんな親方の度量にオレは深く感服した。
「王女はどこにいると思うか?」
「恐らくですが、南ファランク王国の王都・シガーラに連れて行かれたと思われます」
「シガーラか……」
親方は少し考えた後、
「成功するかは分からねえが、一つやってみるか……」
「お前ら、ついて来い!」
そう言い残して宿舎の方に歩き出した。その声色に暗さはなく、その足取りに重さはない。親方は何を考え付いたのか、その内実は全く分からない。ただその後を追うようについて行くだけだ。




