幼なじみと映画館の涙
ミウの家は、両親が都会的な人で娯楽に対して先鋭的な考え方をしていた。家族旅行もよく行っていたし、おもちゃもゲームソフトも最新のものを買ってもらえていた。子供ながらに家の内装なども周りの家に比べると、ひと味ちがうことがわかった。クールな雰囲気で、指紋をつけただけでも怒られるのではないかとビクビクした。
休日、ミウから「新しい映画を見に行くけど来る?」と誘われて僕は彼女の家族と一緒に映画館に行った。映画を見るといえば、週末9時から放送される金曜ロードショーが当たり前で、映画館などオリンピックが開催されるよりも低い頻度でしか行かなかった。
「前評判聞いたけど、怖いシーンとかもあるみたいよ」
ミウは脅かすように目を光らせた。
「泣きたかったらいつでもぼくの胸を貸すよ」
「余裕じゃん」
ふくれっ面でミウはポップコーンを頬張った。
強がってみたものの、僕は『ホラー映画を一切見ない派閥』に所属している。生涯怖いシーンを見ないと、心に誓っているため、もしミウが言うような、無闇矢鱈に観客を怖がらせてビビらせて失禁を誘うようなシーンが続けば……。想像するだけで監督にクレームを入れたくなる。
しかし、もし怖いシーンでミウが泣いてしまったら、ぼくのチャンスだ。男らしいところを見せられれば、株をあげられるだろう。幼なじみというアドバンテージをフルに使いつつ、さらに異性としてみられることだって考えられる。そんな幸福な妄想が広がり、僕は俄然視聴に燃えてきた。何が起こっても落ち着いて行動できるように人という文字を手のひらに書いて飲み込む。ミウが首を傾げたが構わない。
高揚感と緊張感が混ざりながら、開演のブザーが鳴り、ゆっくりと照明が落ちていった。
僕は、映画に食われた。
上映前の下心は綺麗さっぱり洗い流されて、映画の世界にどっぷりと浸かってしまった。CMの売り文句ではないが、大迫力の画面と、臨場感たっぷりの音響に椅子の上から飛び上がるほどの興奮を覚え、その演出に感情変化を見事にコントロールされた。監督の思う壺にハマってしまった。
興奮するところで、顔を赤くし、
怖いシーンで、青ざめ、
幸せなシーンで、にやけまくった。
そして、
「ほら、鼻水ふいていいから」
僕はミウの差し出したハンカチを受け取った。
「そんな感動したの?」
「うん」
最後のシーンが終わり、スタッフロールが下から上に流れる中、とうとうミウに涙を見られてしまった。黒地に白文字でスタッフの名前が書かれているため、劇中よりも、明るく館内が照らされていた。その照り返しを受けて、僕の涙が綺麗に浮かび上がっていたらしい。
嘲笑せずに、そっとハンカチを渡してくれるミウの顔は、母親のように自愛に満ち溢れていて同年齢に見えなかった。思わずその胸で泣きじゃくりたいくらいだったが、さすがに理性がぼくの衝動を止める。受け取ったハンカチで遠慮無く涙と鼻水をかんだ。ミウはそれを確認した後、なにもいわずに背もたれに寄りかかってスクリーンに視線を向けた。薄明かりの中で、その整った鼻筋や、形の良い唇の横顔がくっきり浮かんでいた。
上映前は、ぼくがミウを慰める予定だったのだが、ちゃぶ台がひっくり返されてしまったようだ。
――恨むよスパイディー。
僕は、スクリーンでビルの間を飛び跳ねるヒーローを恨めしく見上げた。