ヒルネインの花2
シャーティルは次期女王として育てられた。
幼い頃はまだ見ぬ弟君が王になるだろうと誰もが思っていたが、生憎と王夫婦は男の子に恵まれなかった。
十二歳頃には、父方の従兄弟である二つ上のハルザートとと婚約を望む声が大きくなっていった。
しかしシャーティルはそれが嫌だった。
なぜなら、ハルザートはリアティルが好きだと感じていたからだ。
二人ともから何も言われなかったが、シャーティルはずっと心の中で思っていた。
姉の目からみても自慢の妹と従兄弟はお似合いだったし、結婚して欲しいと心から思えた。
それがこのような形で退場するとはシャーティル自身も思っていなかった。
....使者団が去ってから一週間が経った。
シャーティルの周りはいつもより騒がしくなり、来客が絶えなかった。
シャーティルは自分の境遇のために泣く者には優しく、憤る者には少し困った顔で言った。
「ありがとう」、と。
世界のありったけの優しさを持った王女に皆はただただ顔を上げることができなかった。
「シャーティル様。ハルザート様がお見えになっています」
「通して」
私は使者に返事をしてから面会を望む者は拒んでいない。
あちらに行ったら会えなくなってしまうのがわかっているから。
もう、後戻りができないのだから。
「シャーティル、お邪魔するよ」
「....ハルザート。貴方、ほとんど毎日来ていません?お仕事はどうされたのですか?」
「来てるといっても三十分も居座っていないじゃないか」
「そうですけど、」
「今日はお土産にハルツのチョコを持ってきたんだ。食べるだろ?」
「まあ!それじゃあ、歓迎しないわけにはいかないわね。そうだ、リルも呼びましょう」
「....いや、ダメだ。今日はちょっと真面目な話をしに来た」
「何のお話ですの?今回の事でしたら、お父様達も交えた方がよろしいのでは?」
「大丈夫だ。とにかく座って」
「....わかりました」
「なあ、シャーティル、お前はあの野蛮な国に本気で嫁ぐのか?仮にも女王としてこの国を治める権利を有しているのに。....いや、違う。お前は望まれてヒルネインの王になれるのにこの国から出て行くのか?あの使者どもが去ってから一週間、民がどんなに動揺しているか、優しいお前なら分かるだろう。流通に支障は出ていないが、皆どことなく覇気がない」
「分かっているわ。でもね、この国を守るために今私ができることはこれしかないの。再び戦争だなんて、絶対に嫌」
「お前がそう言うのは分かっている。でもな、民達はお前を守るためにもう一度戦争を起こすことも躊躇わないヤツだっているんだ」
「........」
「ヒルネインの王族とはそういうものだ。俺達は自分達の美しさに傲ってはならない。それを忘れてもならない。判断を間違えると誇り高い国民達は怒るだろう。但し、怒りの矛先は王族ではない。我が領域を侵した相手に向かう。今までの歴史を振り返ってそれは確実だ」
趣味が高じて歴史に精通しているハルザートにぐうの音も出なかった。
私が多少爪を立てたってあっさりと一蹴されて言い訳が思い付かないのは目に見えている。
「それでも私はこの道を歩むわ。サルグホークは大きくて強い国。今のうちに歩み寄って悪いことは無いはずよ」
「お前、本気にこれがヒルネインのためになると思っているのか?シャーティルが次期女王と知っていてお前と婚姻を結ぶような国だぞ?何を考えているのか読めん」
「お互いの国の思惑が見えないことなど度々あることよ。それを承知の上で賭けに出るしかないのだから」
「....いい子だな、シャーティル」
「....そうよ、国のためなら何でもするのよ。それが王族に名を連ねる女としての役割よ」
「....じゃあシャーティル、俺はお前を行かさないよ。それが俺の役割だ」
「っ....!」
あ、危うく霰もない叫びをあげるところだったじゃない!
余りにも突拍子のない言葉が理解できなかったけれど、ようやく頭が回るようになってきたわ。
「ハルザート、何を仰っているのか理解しているの?私をサルグホークへ行かさないなど、誰も許しませんわ。これは個人の取り決めではないのよ?国同士の正式な取り組みを今更覆すなど、威信に関わるわ」
「分かっているさ。でも、これは君の気持ち次第なんだ。陛下も妃様もリアティルも宰相も、みんな了承している。........その時はリアティルが彼の国へ向かうことも」
「ザッツ!何を、何を仰っているの?!」
「シャル、落ち着いて」
「落ち着け、ですって?妹を売れと言った口でそう言うの?!」
「みんなシャルが大切なんだ。お前は王族の女だ、確かにお前の身の振り方には義務が課せられている」
「でしたらっ、前言を撤回なさって!」
「でもな、お前は王族の女である前に次期女王なんだ。今伯父上がいる立場にいつかお前は置かれる、この国に唯一無二の存在なんだ。お前はそれが本当にわかっているのか?」
「っ....!」
痛いところを着かれた。
私とリアティルの唯一の違い、それは生まれた順序。
直系に男子がいないから、私が王になるしかない。
私はただのお姫様ではない。
お姫様のリアティルとは一歩違う。
「........分かっているわ。分かっているけど、その心配に応えることはできないわ」
「何故?」
「意地よ、姉としての。ただ、それだけ」
「........バカだなあ。ホント、どうしようもない。助けてって言えよ。それだけでお前の幸せが掴めるかもしれないのに」
「妹を犠牲にしてまでいらないわ」
「そっか」
「ハルザート、お願いがあるの」
「何?俺にしてあげれることなんて、ほとんどないよ」
「リアティルと結婚して」
ハルザートは虚を突かれたかのように私の顔を見た。
「リアティルと?どうしてまた」
「勿論、リアティルが了承すれば、よ。私はヒルネインの女王の伴侶には貴方がふさわしいと思うの。リアティルの意志を優先するけれど、暫くしてリアティルが拒否のなら、ハルザートがあの子を支えてあげてほしいの」
ハルザートは息を付いた。
「........そう来るかあ」
私はハルザートに嘘をついた。
二人が私の存在のせいで結ばれない、なんてことがあったらきっと私が死んでしまうから。
ハルザートは大きな溜め息を吐き出した。
「分かったよ、シャーティル。リアティルと一度話してみる」
「良かった。今日明日に私から言ってみるわ」
「そうしてくれ。きっと、混乱するだろうから」
ハルザートは混乱するリアティルを想像したのか、少し苦笑いをした。
これからのヒルネインについてと少しの思い出話をしていると、ハルザートの腹心が帰るように促した。
「明日、また来るよ」
「あまり無理はしないで」
いつものように扉を通る背中を見ていると、ハルザートは唐突に振り返った。
「シャル、どこに嫁ごうが根を張ろうが、お前の故郷はここだ。いつでも
戻っておいで」
「私は出戻りなんてしたくないの」
「はは、そうだよな」
ハルザートはそう言って帰って行った。
(最後、なんだったのかしら....?)
言葉を発した意味が分からなくても、その優しさは胸にじんわりと広がった。
(大丈夫、これから行く土地に味方なんていなくても、私はきっと負けないわ。だって、こんなにも愛されているのだから)
第一王女シャーティルが嫁ぐ日、沿道には国民で埋め尽くされていた。
中にはそこにいるのが不思議なくらいの老人までいる。
国民による列は国境ギリギリまで続き、シャーティルの護衛の任を受けたサルグホークの者もこれほどまで慕われている王族がいないので、開いた口が塞がらないようだった。
五日後、サルグホークの王城にシャーティルは到着した。