ヒルネインの花1
交易で利を得る国に一方的な侵略をした。
明らかにこちらが悪いが、軍事力がものを言うのだから仕方がない。
他国の益など気にしていては我が国が危うくなるのだから。
ルーガインはそう考える。
勝った国が負けた国の全てを貪り、奪い、跪かせる。
ルーガインにとって常に勝国とは自国サルグスホークであり、敗国とは侵略した国であった。
侵略したばかりの国ヒルネインに示したのはサルグスホーク軍の常置と優先的な関税、第一王女シャーティルと第一王子ルーガインの婚姻。
いつもの条件だが、人質としての結婚は要らないのではないかと思う。
毎回するわけではないが、ヒルネインはあまり軍事力に重きを置いていないので軍の常置だけで牽制は十分だ。
必要のない婚姻を結んだのは噂の美しい女を側で愛でたいから。
噂は国境を越え海を越え、余程の辺境でなければ噂の端っこ程度は皆知っているだろうと言われている。
元々ヒルネインは美しい女が多い。
貿易で他国や異民族間での交わりが激しいが、少しでも血を引いていたら凡人よりは上だ。
特に今のヒルネインの直系は純血なのでその美は比類ない。
かく言うルーガインもヒルネインの曾祖母を持つ。
そのおかげか同腹の兄弟共々社交界ではもてはやされる。
武芸に秀でたルーガインにとってはこの顔は無用の長物でしかない。
人を落とすことに関しては、だいぶ役に立っているが。
ヒルネイン王室に人が集まっていた。
王と后と王女二人と家臣達。
妻は一人であるのが好ましい風潮があるので王には后以外に他の女性はいなかった。
「なんと、なんと言うことだ」
王は美しい装飾が施された書簡を握りしめた。
后は肩が震え、妹姫は大きな瞳に涙を溜めていた。
「お姉様は、この国の母となるべきお方なのにっ....!」
「サルグスホークめ....!」
唯一姉姫だけが呆然とし、瞳の色を失っていた。
(私が、サルグスホークの元に?)
この世の美を全て持ち合わせ、囲まれ、好んでいるヒルネインの王族にとっては他国に恋愛感情なしに嫁ぐなど侮辱以外の何ものでもなかった。
「どうにかならないのですか....?姫は、シャルは....」
后は夫である王と家臣達に縋った。
「后よ、姫を外に出したくないのは私とて同じだ。しかし、国を、民を守るためには....」
「ダメよ、お父様!お姉様はこの国に必要なお方。私を、私に身代わりを....!」
姉姫ははっとしたように顔を上げた。
「リアティル、お前こそこの国の宝。あなたが行ってはなりません。私の存在ひとつで愛する祖国をーー美しいヒルネインを守れるのでしたら、何も惜しむものはございません」
「お姉様、おやめください!お姉様がもの同然に他国へ渡されるなど、天罰が下ります!お父様、私が身代わりに!」
この姫君達は仲がいい。
それが美徳であり、二人の名を広める要素であり、この国の自慢であったのに。
十六の第一王女か、十四の第二王女か。
目に入れても痛くない美姫二人のどちからを侵略国に差し出さねばならない。
「御前失礼いたします!」
「どうしたのだ!」
突然入ってきた兵士に家臣のひとりが応えた。
「使用人が一人、サルグスホークの使者にっ....!」
ーーー公然で犯されました、と。
その兵士は悔しそうに叫んだ。
その声は誰が聞いても泣いていた。
女の叫び声は悲痛だった。
他の女は目を背け睫を濡らし、兵士達は何もできないという悔しさで唇から血が滲んでいた。
男は女のむき出しになった太ももを撫でた。
「へ、へへ........。この国は男も女もキレーだなあ」
「オレ、男でもイケるぜー?」
およそ公衆の面前ですべきでない下品な会話に女達は身を震わせ、しかし動くものなら野蛮な者に目を付けられるという恐怖心からその場から立ち去れなかった。
この国はこのような者が闊歩するようになるのか。
理性が、美を愛する者としてのプライドが叫び声を上げる。
「やめろ、蛮族が!おまえ達の好きなようにはさせないっ....!」
兵士のひとりが槍を構え、サルグスホークの使者に突進した。
使者の一人が目を見開き、さっと避けた。
「なんだ、お前、俺たちに逆らうのか?」
「黙れ!侵略者が!」
もう一度槍を構え、体に力を込めた。
「やめろっ!」
兵士の構えた槍の柄に宰相の手がかかっていた。
「さ、宰相様....」
「すまぬ。我慢してくれ....。ワシが、話をしよう」
「はっ」
王や他の者よりも少しだけ世界を長く見続けた瞳は強い意志が宿っていた。
宰相は地面に伏せた女を見、目を伏せ、使者を見た。
「その子をそろそろ解放させてくれぬか」
「は、ああ、コレですか」
「まだ足りないけど、いいか」
使者達は、はは、と嘲た。
すぅ、と宰相は目を細めてから周りの兵士に合図した。
兵士達は迅速に動き使者達からの目を守る壁となり、その間に使用人の女達が泣きながら連れて行った。
「使者殿、我らが敗者といえどあまりにも無礼が過ぎるのではないか。このヒルネインは負けても誇りを曲げるつもりも捨てるつもりもない」
「こちらは《侵略》を理解しない者に仕置きをしたまで。非はないですな」
「公然で女を辱めることが?」
「仕置き、ですから」
「ヒルネインの子は私の子。お前達が手を出した子は孫も同然。我らは治外法権を認めておらん」
「はっ、そんなものーーー」
「何をしているのだっ、愚か者共め!」
足音を盛大に立てて使者団団長が割り込んできた。
「女を皆の目の前で犯しただと?この、恥曝し共め!」
使者団団長イグザスは容赦なく部下二人を殴った。
「宰相殿。今回の件、平にご容赦願う。この二人はヒルネインの法で裁いてくだされ」
「言われなくともそのつもりだ」
宰相は兵士に合図をし、使者二人を連行した。
宰相とイグザス、そして警護の兵士が残った。
「この戦の結果はヒルネインの隷属ではなく和睦ではなかったのか?」
「本当に申し訳ない事をした。彼女にもこの国の誇りにも傷を付けた。ーーー少々場所を変えて話をしても?」
宰相は頷いた。
使者として始めて王の間に通されたとき、ぞっとした。
右を見ても左を見ても、息を飲むほど美しい。
場違いだと感じた。
ヒルネインの城下で接待されたときもそうだった。
この国はあまりにも綺麗だ。
その顔も、身だしなみも、心も。
美しいが故に傲ることもない。
だって、美しいのは当たり前。
それを自慢する理由もない。
自らの美しさを磨いても他人を貶めない。
だって、それは美しくないことだから。
ヒルネインには罵倒する者も怯える者もいない。
ヒルネインの者は侵略者を映した瞳に憐れみをみせていた。
それを隠すこともなく、彼らは喋っていた。
「ここで良かろう。さて、イグザス殿、話を聞かせてくれぬか?」
「はい。実は、あの二人は反ルーガイン派。お恥ずかしい話ですが、今回の戦で再び成果を上げたルーガイン様をよく思ってはいない者共。ルーガイン様の名声を陥れるための愚行に出たのでしょう」
「ルーガイン殿下は賢きお方と聞いていたが、内政はまだ安定しておらぬようだ。そんな国にシャーティル様を向かわせよと?姉姫は将来この国の母となる方。間違っても取引の道具としてはならぬ」
「お言葉ですが、宰相殿。ルーガイン様は本当に賢き方。果ては名君になりましょう。ただ、まだお若い。経験を凌駕するほどの才能を持っておられるが、固執した者が大勢居過ぎるのです」
「何故それが姫を寄越せという理由になる?ワシはそれが解し難い」
「ルーガイン様は次期国王になるでしょう。しかし、その后はまだ決まっておりませぬ。后様にはルーガイン様の美貌と知性に見合うお方が必要。候補はどちらもあるが一歩足りていない、若しくは性格が少々曲がっていたりと我が主君に相応しくない方ばかり。ルーガイン様は気にしておられぬようだが、家臣一同心配でなりませぬ」
「姫を殿下の隣で笑う見せ物にせよと?そうおっしゃるのか?」
「そうではなく、噂の姫君ならルーガイン様も人を愛してくださるのでは、と」
宰相はこの使者団団長が誠を尽くしていることを感じ取っていたが、素直に頷けなかった。
(シャル様にもリル様にも本当の愛を知っていただきたい。縛られた御身分のために苦しむことが多いだろうから、愛する事を知ってもらいたい)
宰相の閉じた瞳の裏にかつての女達の顔が浮かんで消えた。
「我が国は戦に負けた国。そちらに従わねばならない。だが、もう一度婚姻以外の条件を探してもらうわけにはいかぬか?」
イグザスの答えは「否」だろう。
イグザスの口が応えようとすると、扉が前触れもなしに開いた。
「シャル様!」
「宰相、お話中にごめんなさい。そちらはサルグスホークの使者ですね?」
イグザスは一礼する姫に呆気に取られた。
呆けた顔をしたのはその美しさが想像以上だったから。
「シャル!」
「お姉様!お止めになって!」
騒々しく入ってきたのは国王一家を先頭に家臣達。
噂に違わず美しい姫姉妹。
姉は強い意志でイグザスを見、妹は潤んだ瞳で姉を見上げた。
「使者殿、シャーティルはサルグスホークに嫁ぎましょう」
「だめっ、お姉様!使者殿、私ではだめなの?!私を、私を....!」
イグザスは一瞬美しい姫君達に目を奪われた。
「我が主はシャーティル様を心待ちにしておられる。姫君達は美しきお方。どちらも殿下の隣に相応しいが、年齢を考えると姉君に是非来ていただきたい」
「だめ、だめよぉ....!お姉様は、ヒルネインの....!」
「我が儘言ってはダメよ、可愛いリアティル。私はルーガイン殿下に嫁ぐのではないわ。私は国のために契約を結ぶのです。だから嘆かないで。私に祝福を下さいな、お姫様」
「おねぇ、さまあ....」
こんなにも美しい女の涙は見たことない、とイグザスは思った。
「使者殿、今回の婚姻を了承する旨をお伝えください」
「では、親書の通り、一月後に迎えをよこします」
「いえ、二月後にしてください」
「何故?理由無き要望にはこちらも説明を求めます」
「理由など、私が女性である事以外にありますか?私は女であり、ヒルネインの第一王女です。張りぼての花嫁を演じよとはプライドが許しませんの」
「....大変失礼なことを申しました。主に進言します。ルーガイン殿下は心広き方。そのようなことではお怒りにならないでしょう」
「はい。それでは私はこれで失礼致します」
姉姫が去るとそれに続いて一同も去った。
残ったのはイグザスと宰相、その護衛たち。
(なんというか、その....)
「我が姫君は素晴らしい御方でしょう?」
宰相はイグザスに問いてはいたが、完全に言い切っていた。
(ルーガイン様と良い勝負ができそうというか....)
部下一同、この婚姻が良であることを祈る以外何もできなかった。
読了ありがとうございます。
短編にしようと思っていたら長くなりました....。