2-1 << デアイ no 1時間 マエ
2023年。高層ビルの立ち並ぶ夕方の街並み。
さいたま新都心の外れに住んでいるごく平凡な高校1年生、それが俺だ。
夏の気配が始まる7月。熱気を帯びた風が、繁華街を駆け巡る。行き交う人々はこれから来る夏に向けての期待だろうか、とても楽しげに見えた。
学校でもいつ海に行くとか、いつ田舎に帰るとか、周囲の喧騒はそんな話ばかりだった。
だが俺の日常は、大分違っていた。
一つは先ほども言ったように、高校デビュー失敗組と言うこと。日常で口を聞くやつがアキ以外いない。元から特に面倒ならいっそ友達などいらないタイプではあるけど、本当は何気ない一言をかわす位の友達がいてくれるとありがたかった。
もう一つは俺が通ってたのは進学校だったこと。一部の天才と称される人間ではないから、努力するしかない。俺はそんな大多数の方の人間だ。多分に洩れず勉強漬けの毎日だった。特に他にすることがないとはいえ、自由を奪われた苦痛には変わりなかった。
繁華街は会社帰りのサラリーマンでごった返すにはまだ早く、人の流れはそう多くはない。俺は愛用のスマホを眺めつつ、学校帰りに駅前の進学塾にたどり着く。それはいつも通りの光景。特に有名学習塾でもなかったが、さいたま新都心周辺は学生が多く席取りにも一苦労する。
薄いグレーのプレハブの自習室は、10畳ほどのブースで四方周囲を壁側に向くようにして机が配置されている。中央にはグリーンとアロマミストが流れ、空気がひんやりしている。さながらちょっとおしゃれな公共施設の休憩所のようだ。
講師はここにはいない。講義を別の場所で撮影しているのだ。背丈ほどもあるパーティションで分かれた机に備え付けてあるPCに各自が座り、オンラインストリーミングの講義を受けるシステムになっている。
辺りはマイク付きヘッドフォンを付けた多くの学生でごった返していた。学生たちは、既にマルチモニタに座りオンラインにつないでいる。塾の回線は専用線のイントラネットになっており、他の通信は出来ないように社内LANで統制されている。まあ、穴がある訳だが……。
――ログイン完了。
普通の学生はそのまま自分の日程に合わせて講義を聞く。無味な画面だ。俺の予定・成績動向・次の志望大学までの目標偏差値――実に簡素なインターフェースだ。成績のグラフは地の底を這っているが、今は関係ない。システムは限られ、塾同士のみの通信は可能、ご丁寧に外部には接続できないようになっている。
いつもならばそのシステム通り、予定に乗っかる訳だが今日は違った。
今日は少し違うことをしなくちゃいけない。さっきのメール。カノンと呼ばれる人物からのメールだった。
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Date: Tue, 4 July 2023 09:41:07 +0000
From: "$Bk|(B?$Bk}@(B?$Bea6e#iea(B?" <$Bk|(B?$Bk}@(B?$Bea6e#iea(B?>
To: "有野 隼人" <haya_A1999@●●●●.ne.jp>
Subject:はじめまして
本文:
有野 隼人様
あなたの国連軍でのご活躍は拝見しました。
決して脅しではない。話がしたいだけです。
あなたの病気の手助けを出来るかもしれません。
まずは以下のアドレスへ
http://www.XXXXX.●●●.△△.◆◆
カノン
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ご活躍――。これは俺が、国連軍のデーターベースにに不法でアクセスしたことを示している。
俺の名前もスマホのメアドも、ばっちり割れてしまっている。痕跡を消したはずなのに。素性もろばれって奴だ。
相手のメアドはどうやったのか文字化けしてて見れない。匿名化ソフト?いや違う。
俺は、座席のヘッドホンを頭につけたが、USBのコードを外した。代わりに愛用のスマホをPCにつなぐ。画面にはUSBの確認画面。認証後、自動でプログラム起動。
俺はうだつのあがらない努力家ではあるが、興味があるものはどんどんやるタイプだ。昔から、PCは良く触っていた。
これは幼馴染のアキ一家から、影響を受けたのだ。
アキの親父さんは大手の電機メーカーで働いていて、パワードアーマー好きだった。これだけだと、ただの親がロボット系の趣味がある、とある家族の話に過ぎない。しかし一家が他の家と違うところは、ロボットを娘も好きになったということだった。
アキは小学生の頃、3m位のパワードスーツで対戦するVRMMO――○○スフィアの大会に親子でよく出ていた。天才的な能力を発揮していたのはアキだ。親父さんが用意していたプログラムを改変して見事に世界大会で優勝。C-PeX少女として、近所でも有名で取材も来ていたほどだった。
俺も自然と、アキの影響でゲームをやったりしたので、いつの間にかPCの知識が豊富になったというわけだ。
残念ながら、俺の親父は一緒に○○スフィアで遊ぶほど俺とは関わらなかったため、そんな素敵な思い出はない。
PCの画面にはアクセス制限突破の文字が写った。呪文のような文字列が、コマンドプロンプトに勢いよく流れる。オートで起動したプログラムがグローバルアドレスをたどる。
これでファイアウォールを突破すればネットにつながる。サイトを閲覧した時にこちら側に攻撃があることも考慮し、俺は監視ツールやら防壁ツールを起動していく。
国連軍へのアクセスは、勿論許されるわけがない。ただ、やむをえないこともある。俺は病気の原因が知りたかったのだ。現状は医者が対応しているけど、最近は国連軍の介入も目立っていた。事件は報道規制のためか、徐々に姿を消していた。大方、機密事項と言って秘密にされたのだろう。当事者の気持ちなんて、考えちゃいない。
そんな中、カノンと呼ばれる人物に素性がばれたのは誤算だった。念のため、自宅のPCは回線を切断している。ただLANケーブル抜いてるだけだけど。
本当は家のPCでアドレスをたどる方が楽ではあるが、家のPCは相手にばれているためネットに接続できない。漫画喫茶という方法も考えたけど、監視カメラがある。何か問題を起こせばひとたまりもないだろう。そのため、塾という閉鎖環境下でサイト閲覧を決めたのだった。
名前も割れてるんだから下手すれば警察沙汰だが、警察が取り締まれば、俺がハッキングしたことやPCに入っている俺の渾身の力で作り上げた、試作プログラムが見つかってしまう恐れがあった。試作プログラムは世で言うウィルスなんだが――そのこと自体を知られたくなかったので、この件に関しては誰にも口外していない。それに自分はプログラムをウィルスではないと思っている。人々の大いなる誤解なのだ。
まあ、つまりは、言い訳が立たないので事の顛末を見るまでは、事のあらましは家族にも警察にも黙っている事にしたのだ。
それに病気のことを知っているようだったカノンという存在は、見過ごすことも出来なかった。
自作の簡易ブラウザに検索サイトのアドレスを入力してみる。OKだ。次に、指定されたアドレスを入力してみる。しばらく後、出てきたのは海外の出会い系サイトらしきピンク色の画面。英文が並んでいる。
そして、女性のエッチな画面が次々と表示され、俺は一瞬頭の中が真っ白になった。
右上ある謎のローディングバーが加速度を上げて動き出す。
げッ。まずい。
俺は勝手に殺気を覚え、辺りを振り返ったが、特に誰もこちらをみる素振りはなかった。少し安心し、一呼吸。落ち着け、俺。改めてブラウザを閉じる作業に取り掛かる。
悪質なイタズラだ。ウィルスではないようだが、監視ツールにアクセスあり。カノンの仕業か?
コイツ――早すぎる。全てはあっという間だった。もう既に情報を取られてしまったのだろうか。
最後の画面を閉じ終わった瞬間、そこに現れたのはDOSのような真っ黒の画面に白い一行の文字。
【 カノン > ⊇ωレニちレよ。禾厶レよ、ヵ丿・/τ″す。見ぇますカゝ?】
俺は、モニタに向かって静止していた。
状況がよく読み込めなかった。
画面の下の方に点滅カーソルがある。入力する場所のようだ。試しにキーボードを打ってみたら入力が出来た。エンタ―を押す。
【 隼人 > test】
【 カノン > ぁ、見れナニッレま°レヽネ】
この文章は……、さっきから何て読むんだろうか。しばらく考えた後、ある一つの結論に達した。
ひょっとして、ギャル語?非常に読みにくいが、【こんにちは。私は、カノンです。見えますか?】であり、【見れたっぽいね】のようだ。
おちょくられているのだろうか。俺はこのままギャル文字で会話したくはない。
【 隼人 >あの、文字が読めません。文字化けじゃないなら、普通に書いてもらえませんか】
【 カノン > ー⊂″ ぅ もょ з ι < ……あれ、読めないか。今風の高校生の文字って普通こうじゃないのか?】
【 隼人 > 今時でも大抵の高校生は、普通の文章です】
【 カノン > メールを普通に書いてしまったから、そちらに合わせようと、せっかく調べたのに残念だ。翻訳機を使わないで書く】
【 隼人 > そのほうがありがたいです】
随分変わったハッカーだな。国外の人物なんだろうか。
【 隼人 > それにしても随分なブラウザトラップの歓迎ですね。あまり趣味が良くないみたいですが】
【 カノン > 偽装しようと思っててやり方を探していたら、ああいったサイトが最適と判断し、参考にした。趣味などは考えていない】
ご丁寧にわざわざ偽装したのか。回りくどいやり方だ。
【 カノン > 携帯端末からではないのか。映像音声は使えないな】
こちらの情報は丸見えのようだった。先ほどの画面といい、いたずらにしては度が過ぎる。目的は何なんだろう……、油断できない。
【 隼人 > 随分用意周到ですね】
俺は探知ツールを見た。無情なUnknown《正体不明》な文字が並ぶ。どこからアクセスしてるのかでも分かれば……しかしまだ探知できない。これは時間を稼がないといけない。
【 カノン > あ、こっちの事を逆探知しても無理だよ。そういう風にはできてないので】
【 カノン > ということで、本題に入りましょうか。時間大丈夫?】
こっちの考えていることは、バレてる。俺は、素直に従う他なかった。周りにも幸い、見られている気配はない。
【 隼人 > 周りの目もありますが、おkです。なんでしょうか】
【 カノン > では、単刀直入に言った方がいいな。私はある目的の為に、君に接触している。ある目的は残念だが言えない】
【 カノン > 巷に流行っている病気があったな。名前は確か……】
【 隼人 > アティスです。急性透過率増加症候群】
【 カノン > 君のアティスは、直せるかもしれない】
正直何を脅されるかとびくついてたものだから、俺はその文章に拍子抜けした。
俺は画面を見つめたままだった。期待と興奮、そして希望が同時に湧いては消え、複雑に交互に混ざり合った。
【 カノン > ただし、私に協力してくれたら、だが】
すぐに気持ちは不安に汚されていく。
【 隼人 > 本当ですか。ひょっとして、危ないことですか?法に引っ掛かるとか】
【 カノン > 違う。目的は言えないが、法律とかそんな犯罪者になることじゃない。犯罪は行わない方向だけども、今回の件は危ない橋とも言える。どうだ?】
すでに犯罪はあなたが犯している気もしなくもないがと、書きそうになった。どうだ?と聞いてはいるが、半分脅しのようなものではないか。ただ、この飛び抜けたハッキング能力と奇抜なこの人物は、俺の興味を間違いなくひいていた。
それに、よく考えればこの誘いは俺にとっては興味をそそられる内容だった。青天の霹靂か、はたまた悪徳の罠か。俺が物おじして黙っていると、カノンの方から続けてきた。
【 隼人 > 分かりました。話だけでも聞かせてください。お願いします。ただここでは長くは話せそうにありません】
【 カノン > そうか。では今から会えないか?まずは症状が見たい】
【 隼人 > あ、会う?突然ですね。あ、俺の居場所ひょっとして割れてるのかな。いいですよ、別に】
向こうから接触してこようとするのは意外だった。カノンは答えずに続ける。
【 カノン > 渋谷で頼む。風が強く吹いていて、好きな場所なんだ】
【 隼人 > 今からだと渋谷まで、40分くらいかな。1時間はかからないと思います】
【 カノン > 了解】
【 カノン > ××ビルの屋上で待つ。ではまた】
一瞬耳のあたりまで、鼓動を感じた。見知らぬ相手に会うなんて。しかも、正体不明な怪しい人間と。自分の身に危険を感じたら、そこで止めればいい。いつだって止められる。不安と期待で高揚している俺に、カノンはこう書きくわえた。
【 カノン > 大丈夫。きっと直せる】
その後、画面のチャットは自動的に閉じた。再アクセスしても、サイトは既にhttp 404で見れなかった。