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ティーヴァ  作者: 加上鈴子
3/3

後編:ティーヴァ

 やっぱり母親は起きていて、息子が消えていることに気付いていた。

「どこ行ってたの!!」

 近所中に響き渡る怒号に父親も起きたらしく、2人から同時に責められる状況は針のむしろだ。どんなに縮こまっても謝っても、次のテストが90点以上じゃなければ怒りが解けることはないのだ。

 けれど叱られる辛さは、思ったよりも軽かった。両親に怒鳴られることよりも、登校しなきゃいけないことの方が、ずっと胃が痛いのである。リオがどんな顔をするかと思うと、からかってやろうと思っていた子のはずなのに、胸が苦しい。やっぱり正直に、先ほど告白すべきだったのではと後悔の念が襲ってくる。

「……ロア?」

 息子の様子を敏感に感じとった母親が、怒るのをやめて顔を覗き込んでくる。見るなよと思ってロアは一層、うつむいて顔を隠す。

「海に入って、風邪ひいたんじゃないでしょうね? 早くシャワー浴びなさい。学校も休む?」

「おい、そこまで甘やかすと、」

「そこまでってことないじゃない。あなたが厳しすぎるのよ。シャナが生まれて可愛くて、この子が可愛くなくなっちゃったんでしょ」

「シャナは関係ないだろう!」

 母親の怒りは、夫たる父親への不満から来ているものだ。だから、ちょっとでも不満の片鱗が見えると、すぐに怒りの矛先を父親へと向ける。ロアが見たくないものの一つでもあった。

 しかもロアのことを可愛くないだの何だのと、本人の目前で引き合いに出す神経が理解できない。母親こそ、まだ5歳の妹が可愛くて大切で、言うこと聞いてくれない生意気な息子をうざったく思っているんだろう?

 あんたらの説教が長いから風邪ひきそうなんだろ、と内心で文句を言うも、口に出したことはない。

「シャワー浴びます」

 と、お行儀よく退室するのが賢明だとロアは知っている。だから学校にも行くのだとも言える。家にいたくないのが理由で塾に通っているのだと両親が知ったら、どんな顔をするだろうか。

 熱はない。リオと顔を合わせることは怖いが、それよりも家にいたくない。いっそ共働きで母親も出かけてくれたら楽な家になるのにと舌打ちしたくなる。自分の時間がない。

 明け方という自由時間は、ロアにとって甘美な思い出だった。


 来るなら来い、という決闘でもするかの覚悟で、登校したものだった。

 ロアは早起きしていることもあって登校も早い。対してリオは、学校にいる時間をなるだけ少なくしようとしているようで、チャイムぎりぎりに入ってくる。走ってくるような、やんちゃな姿は誰にも見せたことがなかった。

 今までは。

「リオ……さん!?」

 近くの席なのだろう女子が、駆けこんできたリオを見て驚いている。さもありなん。汗に光る彼女の表情が笑みでキラキラしていれば、女子はおろか男子だって目を奪われるというものだ。

「おい、ロア。あのリオが息きらしてやがるぜ」

 などと、からかう口調ながらも、そいつもリオを気にかけていたのだとは、ロアには丸わかりである。

 しかも彼女が「さん、は要らないよ。リオでいいよ。ええと……マセワ……ちゃん」だなんて、どもっているのを聞いた日には。

「なんだ、あいつ。割りと普通じゃん」

「いいことでもあったのかな?」

 お前ら、うるさいな。普通以上だよ、彼女は。

 と言いたい口を引き結んで「さあ?」とだけ応じてやる。「お前ら、ああいうのが好みなんだ?」などと決めつけてしまえば、大否定して二度と彼女の話をしなくなるのが男ってものだ。

 でも女は、したたかである。

 マセワも口に当てていた手をおろして、友情の笑みを見せている。

「ちゃん、も要らないよ。マセワでいいよ。リオはお昼って、お弁当だったよね? 今日も?」

「うん。お祖母ちゃんが作ってくれたから」

「じゃあ一緒に食べようよ! 実は可愛いお弁当箱だなって、気になってたんだー」

「あれ、マセワ。リオとしゃべってる。ずるい、私もしゃべる!」

 などと、どんどん話が広がっている。女性の会話能力は恐ろしい……とロアは眺めて、目をそらした。あまり見ていたら、目が合ってしまう。というか今、目が合った気がする。

「何だよ、ロアだってリオを見てるじゃねぇかよ」

「違う違う! 俺はドアを見たの。もうチャイム鳴ったじゃん。先生、来るぜ」

「おう」

 友達をあしらって、教科書を用意して。でも、まだ生徒の大半は立ち歩いている。

 リオが近付いてくるかも知れない。俺がティーヴァだと……いや、ティーヴァのふりをしていたクラスメイトだと、バレるかも知れない。今日の彼女は別人だ。昨日までは装着していなかった笑顔を、あんなに自然に出して急に皆に溶け込んでいるだなんて、お前の方がどんなお化けだよって思うよ。

 ロアは顔を斜めに、外へと向けて空を眺める。すっかり日が高い。セミの声も聞こえる。美術室の方向から、かすかに風鈴の音も聞こえる。課外授業で作った土鈴だ。けれど明け方の海で聴いた風鈴の方が、もっと綺麗で涼しげだった。

 2人だけの秘密。

 だなんて思っているのは、ロアだけで。

 気になって、ほんの少しだけ……と思って勇気を出して室内に目を戻したが……想像しいていたリオからの視線はなかった。そのまま授業中も、午後も彼女は気付いてない様子だった。ないことにバレてないと安堵はしたが、同時に寂しさも覚えていた。

 放課後、彼女にばったり会うまでは。


 いや、ばったりではなかったのだろう。

 待ち構えられていたのに違いない。ロアが校門をくぐりかけた時、彼女が背後から声をかけてきたからだ。ぶっちゃけ、振り向くのが怖いくらいの低い声だった。

「ティーヴァ」

 と呼ばれた日には。

「ティーヴァ?」

 一緒に下校しようとしていた塾仲間が、怪訝な目でロアとリオとを見比べている。

「ごめん、先に行っててくれよ」

「ふぅん?」

 なおも2度ほど見ていたが、塾仲間はじゃあなと去ってくれた。よほどリオが鬼の形相なのかと思うと、やっぱりまだ怖くて見られない。悪かった、とまずは口にすべきか。

「ロア」

 だが彼女の方が先にロアの名を呼んだものだから、振り向かないわけには行かなくなって。おずおずと、でも意を決して背中越しに彼女を見たら……。

「……リオ」

 怒り顔を作ろうとしている笑顔の彼女が、そこにいた。

 うながされて帰路につくと、大通りに向かって歩く。家が同じ方向だとは、今朝の出会いから気付いているのに違いない。

 歩きながら、彼女が言う。

「今日一日、あんたが今朝のティーヴァだって気付いてから、ずっとどうしてやろうか考えてたわよ」

 やはり気付かれていたのだ。彼女が自分を非難する姿を想像していたというのに、そんな素振りをカケラも見せずに無視されていたのだ。

「あとから皆に何か言われると厄介だから、教室では声かけないようにしてたの」

 とまで言われては、一体どんな報復が来るのやら。

 からかってやるつもりだったのは事実だ。罰せられても文句は言えない。彼女を傷つけたかも知れない痛みは、ずっと何とかしたかったのだ。

 ロアは彼女の前に立つと「ごめん」と頭を下げた。お前が先に俺のことをティーヴァかって訊くから、俺も「うん」って言ってみたんだよ……と、頭では反論が思い浮かんだが、それは口に出さなかった。両親に対して言えない文句とは、違う意味で。

 最初はからかってやるつもりだったんだ。けれど段々と……といった言葉も脳裏には浮かんだ。でも、それも言わずにロアは、ただ「ごめん」とだけ、もう一度言った。

「悪いって思ってくれてるんだ?」

「うん」

「ワンピース脱いだのも、見たんだものね」

 え? そこ? とは内心で思ったが、それも一つの罪である。すっかり忘れていたのに思い出してしまって、途端に顔に火がついた。

 ボンと赤くなるロアの顔を見て、リオまでつられて赤くなり、

「ちょっと! 思い出さないでよ!」

 照れ隠しにつかみかかられ、ロアは2発ほど可愛らしいパンチを受けた。

「いや、ちょ、ごめん。ホントごめん。忘れてたんだけど、言われて思い出しちゃって、」

「忘れてた? あんた私の下着を見ておいて、忘れてたって言うの!?」

「ちょちょちょ、リオ、声が大きいっ」

「あ」

 傍からは、じゃれあっている風にしか見えないことに、2人とも気付いていない。当人らにしてみれば必死なのである。あの明け方が大人に知られたら、もっと叱られる。嫌われる。誰にだかは分からないけど。

 だから、リオは「ん」と手を出した。

「?」

「握手よ」

「どうして?」

「明け方同盟よ」

「あ、明け方同盟?」

 いきなり何を言い出すのやら、やはりリオはビックリ箱である。先ほどまで嫌われるかもとビクついていた気分は、早々に吹っ飛んでいた。というのも、彼女がロアを嫌っていないと察したおかげだ。

「今朝のことを内緒にするの。誰にも知られちゃいけない」

「うん、それは同じこと考えてた」

 今朝は握りそびれた彼女の手は、思ったよりも暖かくて、思った以上に柔らかかった。

 彼女は今朝と同じ笑顔で「また明日」と言って駆けていった。昨日とは違う、今日とも違う明日に、彼女と会えるのだ。


 ティーヴァは、いるのかも知れない。

 だから時々、朝の心持ちが違ったりするのだろう。

思いつきで付けた名にしては、検索しても大御所くさい作品とかぶってなくて、ほっとしました「ティーヴァ」という名称(笑)。ファンタジーで付ける名前は、時々思いがけない用語だったりして焦ります。

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