対決
1
何分か走ったところで、街灯のある道に差し掛かった。
街灯があるということは、街の近くまで来ているということだ。
ティレンドは走るのを止めて、歩きはじめる。
――美術館の方は、どうなったのだろう……
自分は美術館を飛び出して外に出たが、まだ館内にいるミュラーはどうしているのだろうか?
怪盗は捕まえたのだろうか。
――いや、それはありえない。どちらにしても、もう手遅れだ。
ここまでやってくる途中で、人とすれ違うことはおろか、その気配を感じたこともない。
ティレンドは考えを巡らせながらしばらく歩いていたが、ふと立ち止まる。
彼の視線の先――街灯の下で、傘をさした男が一人佇んでいた。
男は、真っ直ぐにこちらを見据えている。
その様子から察するに、どうやらただの通行人というわけではないらしい。
二人は、お互いの姿をじっと睨みあう。
ティレンドの視線の先にいた男――それは紛れもなく、ティレンドその人であった――
2
「なるほど……。噂には聞いていたが……」
先に声を発したのは、街頭の下に立っているティレンドだった。
無言で対峙するティレンドに対して、街頭の下にいる彼は不敵な笑みを浮かべている。
「俺がここにいるのが、そんなにおかしいかな。――怪盗シャオメイさん?」
街灯の下に立つ彼は、ティレンドに問いかける。
問われたティレンドは、無表情で、彼の顔をじっと見つめているだけだ。
「まぁ、いい。じゃあ、ゆっくり話そうか――」
彼は右手でポケットからたばこを取り出し、火を点ける。
「ふぅ。まったく、大したもんだ。まさか俺に変装してくるとは……いや、それは予想はしていたことだが……。まぁ、とにかく、見事なもんだ。どっからどう見ても、俺にしか見えないな」
街灯の下に立つティレンドは、煙を吐き出すと、携帯灰皿を取り出し、たばこを押し付ける。
「それじゃあ、渡してもらおうか、その“コートの中に隠している物”を……ね。ほら、さっきから大事そうに右手で抱えてる、そのコートの中身だよ」
彼は、もう一人のティレンドの右脇に視線を向けた。
もう一人のティレンドは、コートの中にある物を、ぎゅっと、握りしめた。
「ふぅん……。……で、どうしてあんたがここにいるの……?」
もう一人のティレンドから発せられた声は、女性のものであった。
3
数日前。
シエルはKitzから情報を受け取ったあと、喫茶店を出てMenoと会った。
彼女との会話の中から、警察内部で若い刑事が配属されたという情報を入手した。
その男の名は、ティレンド。
シエルはティレンドに変装することにした。
それから警察署に潜りこみ、盗聴器を仕掛ける。
盗聴器から、ティレンドが旅行に出かけるという情報を手に入れた。
その時に、シエルはティレンドの旅行を利用することを思いついたのだ。
手順は次の通り。
まず、美術館に予告状を出す。
ティレンドが美術館に来る前に、シエルは美術館のオーナー、しんくたんくに変装した。
直接ティレンドに会うことで、彼のの口調から、しぐさ、服装、それらの特徴を掴むのが目的だ。
ついでに、彼が捜査に出向かないよう、怪盗シャオメイの事を強調して伝えてみたが、案外、これがうまくいった。そのおかげで、手荒い真似をせずに済んだ。(ちなみに、手荒い真似というのは、想像しないことをおすすめする)
ティレンドは事件を降りると署長に告げた。もちろん、これも盗聴して得た情報だ。
犯行当日。
彼が旅行に行くため電車に乗ったのを見届けてから、警察署に電話をする。すると、ミュラーと名乗る男が出た。彼に、旅行が中止になったと伝える。
その夜、変装したシエルはティレンドとして美術館に登場した。
予告した時刻までまだたっぷりと時間があったので、警備の人数など、現場の状況を十分に把握することができた。
ただ、たばこを吸おうとして警備員に止められたときは焦った。ミュラーに『たばこが違う』と指摘されからだ。彼が鈍感で助かった。そのおかげでやり過ごすことができた。
予告した二十三時が、もうすぐという時だ。
タイミングを見計らって、「誰かに変装しているのでは?」と、ミュラーに問いかける。
彼らを混乱させたかったので、時間ぎりぎりに話した。
それから、地下の配電施設に駆けつけ、持っていた閃光弾を投げ、警備員を殴って気絶させる。自分が投げた閃光弾だ、着地点から背を向ければ光は回避できる。
都合の良いことに、鉄パイプが転がっていたので、配電盤を破壊するのも容易かった。
そして、美術館は闇に包まれる。
暗視スコープでも所持していれば、暗闇の中でも視界を確保できたのだが、そんなものを持っていれば服のポケットが膨らみ、怪しまれる。自力で視界を確保するしかなかった。おかげで、暗闇に目が慣れるまで何度も転びそうになった。
『太陽の絵』の元までたどり着くと、警備員を押しのけ、すぐさまレインコートの中にそれを仕舞い込む。
仕上げに「しまった! やられた!」と、盗まれたことをアピールし、美術館から脱出する。その際、右脇に絵画を抱えていたため、左手でドアを開けることとなったのだ。
美術館から人が出てくる気配も無ければ、自分を追いかけてくる者もいない。
ただ一つ例外だったのは――。男が一人、待ち伏せていたことだった。
4
いつの間にか、雨が止んでいた。
自分に変装した怪盗シャオメイが、こちらを見据えている。
「だから、どうしてあんたがここにいるの?」
その声は女性のものだ。もう隠すつもりはないらしい。
ティレンドは、視界に映る自分の姿を前に、思わず笑みを浮かべる。
変装とはいえ、自分そっくりの人間がそこにいるのだ。――いや、そっくりなどではない。目の前にいるのは、自分そのものといっていい。その自分の姿から、女性の声が発せられているのだ。こんなに可笑しいことはない。
「どうして……ね。そりゃ、その絵画を受け取るために決まっている。――その絵画を盗むように依頼したのは、俺だからね」
「……?」
ティレンドの答えに、シャオメイの表情が一瞬、強張った。しかし彼女はすぐに落ち着きを取り戻し、今度は不敵な笑みを浮かべる。
「……ふぅん。あんたが依頼主ってわけ……? だったら、何のために?」
「もちろん、君を捕まえるために決まっている。俺の仕事は刑事だからね」
ティレンドはあっさりとした口調で答える。
「なるほどね……。私はまんまと罠にはめられたってわけ?」
彼女はようやく状況を理解したらしい。
「まぁ、そういうことになるね」
言いながら、ティレンドは、腕時計で時刻を確認する。
「まだ時間はあるみたいだな……。それじゃ、しばらく暇だし、順を追って説明してあげよう」
時間とはもちろん、応援が駆けつけてくるまでの時間だ。
「あ、そう。確かにまだ時間があるわね。それじゃ、どうぞ」
シャオメイは肩をすくめ、投げやりに答えた。
「ずいぶん余裕だな。――ま、いいけどさ。それじゃあ、説明しよう。まず、俺が海外から帰ってきたのは、他でもない、君を捕まえるためだ」
ティレンドの言葉に、シャオメイが目を細めた。
「でまぁ、君がなかなか動きを見せないので、違う事件を担当することになったんだけどさ。ちなみに、その事件が解決されたのが、一ヶ月前。それは知ってるはずだ。ただ、君が知らないのは……、盗まれた宝石類が、もうとっくに発見されているということ。
もちろん、それら宝石類は、すでに警察署内で厳重に保管されている。
今回の件は、宝石を押収した時に思いついたものでね。これを餌に、『怪盗シャオメイ』を誘き出せないかって……そう思ったのがきっかけだ。
まぁ、それからは大変だったよ。情報操作のため、マスコミには偽の報道を流させる。その筋の情報屋も信じるよう、真実を伝えるのは一部の人間だけにしたり……と、まぁ徹底してやったさ。敵を欺くにはまず味方からってね。
……で、俺達は君が動くのを待った。そしたら、案の定、君は美術館に予告状を送ってきた。
俺は事件を捜査する振りをして、美術館に足を運び、その後、休暇が取れないかと署長に相談を持ちかけた。
あ、そうそう。君が署長の部屋に盗聴器を仕掛けたことも、しんくたんくさんに変装していたことも、もちろん全部知ってる。ただ、現行犯じゃなきゃ捕まえれないからな。変装だけじゃ、物的証拠がない。
……とまぁ。これだけ細工をしたんだ。あとは君が俺に変装して美術館に来るのをただ待つのみ、というわけさ。で、やはり君は俺に変装して現れた。
館内で君を確保することもできたが、さっきも言った通り、現行犯でなけりゃ意味がない。だから、君が犯行を犯すまで待つ必要があった。
君が美術館を飛び出したあと、俺への連絡用に潜り込ませていた刑事から、報告を受けた。おかげで、先回りすることができたってわけさ。
ま、そんなところかな。われながら、良い作戦だったと思うよ。多少荒削りな部分もあったけどな。
それにしても……、あの警備の中、本当に絵画を盗んでくるとはね。あっさり捕まるっていうオチも悪く無かったんけどな……。さすがは『怪盗シャオメイ』といったところか」
ティレンドが話し終えると、シャオメイは、コートの中に隠し持っていた絵画を無造作に投げ捨てた。
「おいおい……、なんてことするんだ。いくら餌に利用したとはいえ、それは本当にしんくたんくさんの大切な――」
「そんなの知ったこっちゃないわ」
シャオメイは声を荒立てる。
「それに、私にもプライドってものがあるの。盗むって決めたものは必ず盗む! 今回は盗んで届けるまでが仕事っ! もう届けたんだから私の仕事はこれで終わり! つーかあんた話長いし! この絵画がどうなろうと、知ったこっちゃないわ! それが何か?」
「あぁぁ……こりゃ始末書もんだ……」
ティレンドは雨に濡れる絵画を見て、独りごちた。
それから、右手をコートの内側に突っ込むと、拳銃を取り出した。
「――ちょっ! 早まるな……っ!」
銃口を向けられたシャオメイは焦った様子で両手を上げる。
「早まる……? あぁ、別に絵画を投げたからとかじゃない。――そろそろ時間なんでね。せっかく追い詰めたんだ。逃げられちゃ困る」
遠くからサイレンの音が近づいてきている。応援の到着はもうすぐだ。
「時間稼ぎも済んだし、大人しく捕まって貰おうか。そうすれば手荒な真似をせずにすむ」
「そうね、時間稼ぎもすんだわね……」
「ん? それはどういう――」
ティレンドが言いかけた、その時だった。
どこからか、小さな鉄のかたまりが投げこまれ、一瞬、ティレンドはそれに視線を奪われる。
「ッ!」
投げ込まれたそれが何なのか、すぐ理解することができた。
「閃光弾かッ!」
だが、気づくのが遅かった。
閃光に目を射抜かれ、ティレンドは視覚を奪われる。
――迂闊だった。仲間がいる可能性は十分にあったはずなのに、警戒を怠ってしまった。
ティレンドが応援を待っているのと同時に、シャオメイもまた仲間の到着を待っていたのだろう。
ようやく視界が戻ったところで辺りを見渡すが、もうすでにシャオメイの姿はどこにも無い。
近づいてくるサイレンの音を背に、ティレンドは舌打ちをした。
「やってくれるな……」
5
急いで車に駆け込んだだめ、シートはずぶ濡れになっていた。
助手席に座っているシエルは、運転席の女性にちらりと目をやる。
ロングヘアーの彼女は、紫のロングワンピースに、紫のハイヒールと、こう言ってはなんだが、かなり怪しい人物である。
シエルは先ほど変装に使ったマスクを後部座席に投げ捨て、頬を擦る。
「こらこら! そんなものここに捨てるな!」
その様子を横目にした彼女が、言った。
彼女こそは、喫茶店で電話をかけてきたMenoその人だ。
「あ、ごめ……。ついつい……」
シャオメイは笑って誤魔化す。
「今回は姉さんに助けられたわ。ありがと」
「うむ。でも、今回だけだからね。わたしゃもうとっくに引退したんだから」
「わかってる。それにしても、いいタイミングだったね。さすがは怪盗こちょう、まだ腕は落ちちゃいないってか」
あの時、閃光弾を投げ入れたのはMenoだ。
シエルが逃走したあと、車で拾うことになっていたのだが。待ち合わせの場所に到着した彼女は、しばらく経ってもシエルが現れないないので、外に出て探すことにしたのだと語った。
シエルとティレンドが対峙しているのを見つけると、彼女は建物の影に隠れ、タイミングを計って閃光弾を投げたのだ。
「あ、ごめん。本当はあのタイミングで投げるつもりなかったのよね……」
Menoは、ばつが悪そうに言う。
「えっ?」
「あの時、建物の影に隠れて見てたんだけど……。突然、クモが首すじに落ちてくるもんだから、思わずびっくりして閃光弾投げちった。……あぁ、今思い出しても寒気がする……っ!」
シエルはそれまで窓に掛けていた肘を滑らせ、窓に頭をごんとぶつけた。
「ね、姉さん……そりゃないっすよ……」
シエルはおでこを擦りながら、苦笑まじりに言った。
本気なのか冗談なのか……。いや、彼女のことだ、たぶん、本当の事なんだろう……。たぶん……。
すっかり忘れていた。彼女は天然なのだ。
「それにしても、シエルはまだ予告状なんて出してるんだ」
「ん? まぁね。だってその方がスリルあるっしょ?」
「スリルて……。わたしにはそんな真似できないわ……」
Menoはシエルの先輩であったが、彼女は予告状など出すことはなかった。それ故、怪盗こちょうの名は世間では広く知られていない。
予告状を出すのは、スリルを求めるシエルが好きでやっていることなのだ。
「あぁ……。今回はタダ働きか、ついてないや。こうなったら……Kitzから無理やりにでも報酬をぶんどってやる」
そう言ってシエルは、ひとり納得したように頷く。
「げふっ。Kitzも災難だ……」
車はもうすでに街中に入っていた。ネオンの光が眩しく、人々が群れをなしてぞろぞろと歩いている。
街は、もうすっかり夜の顔となっていた。
シエルは大きく仰け反って、あくびをする。
「ふぁぁ~……疲れた。姉さん、このあと飲みにいかない? あ、その前にまず風呂だわ。まずはスパ銭ね!」
二人を乗せた車は、夜の街に消えたのだった。