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我が神を求め  作者: 影絵企鵝
二章 門出のイングランド
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結段 強き剣士

 矢を受けた男は、うめき声を上げてのた打ち回る。ダルタニアンは素早く駆け寄り、怪我を確かめる。柄が短いその矢は、クロスボウの物だ。幸いにも矢は急所を逸れており、すぐにも治療を施せば助かるだろう。頭を掻きむしり、ダルタニアンは舌打ちをした。


「枢機卿側の刺客か。やっぱり先回りされていたみたいだな」


 事態の急変に二人が戸惑っていると、ダルタニアンが目を見開いてヘレンの袖を強く引いた。ヘレンがよろけながら引き寄せられる。彼女が元いた場所に矢が飛んだ。ダルタニアンは二度目の舌打ちをし、ヘレンの袖を引いたまま、狭い路地へと急いだ。エディは慌ててその後を追う。


「君達も狙われているかもしれない! 私と一緒に来るんだ!」

「あぁ。どうしてこうなるのさ……」


 エディは本日の星の巡り合わせの悪さを嘆きながら、ダルタニアンの隠れている物影へと急いだ。背後では突如として起きた惨状に悲鳴や怒号が聞こえる。


「一体どうするんですか!」


 エディ達は素早く駆けて行ってしまうダルタニアンの事を必死に追いかける。


「きっと正門は見張られているはずだ。北門だってそうに違いない。君達、門以外からこの街の外に出られる方法を知らないか?」


 ヘレンは反射的に首を振った。今来たばかりなのに知るはずも無い。しかし、エディは違った。エディがぶつかった紙切れは、この街の詳細な地図だったのだ。初めて見たときは気にも留めなかったが、今では大事な生命線だ。彼は急いで地図をなぞる。そして見つけた。ある一点から、破線が町の外まで伸びている。


「あります! 城塞都市なので、この街の政務官の家には有事の為の脱出口が隠されているんですよ。そこを使えば出られます!」

「人の家に勝手に入るの? それじゃ泥棒と同じだよ?」


 ヘレンは心配そうな声を上げるが、自分でも背に腹は代えられない事はわかっていた事なので、それ以上は何も言わなかった。


「ぐずぐずと迷っている暇なんか無いぞ! 窓を破ってでも入るんだ!」


 ダルタニアンは先頭に立ち、年長らしく二人を引っ張ろうという姿勢を見せた。のはよかったのだが、折は悪かったようだ。


「いえ。あるのは裏庭ですし、そこまで意気込まなくても大丈夫だと思いますよ」

「……先に言え」


ダルタニアンは肩を落とすと、よろよろとした足取りでエディに先頭を任せてしまった。



 政務官の裏庭を仕切る塀の前に辿り着いたエディ達は、見張りをダルタニアンに任せながら、二人で塀を乗り越えようと近くで見つけた木箱を積み上げた。エディが先陣を切って木箱で出来た階段を軽い足取りで上がり、一瞬塀の下を覗き込んだかと思えばそのまま飛び込んだ。


「大丈夫です。中は芝生だから飛び降りても大して痛くないですよ」

「そうか。なら次は私が」


ダルタニアンは周囲に誰もいない事を確認しながら、一分と待たず芝生に降り立った。続いてヘレンの番だ。恐る恐る木箱をよじ登ったはいいものの、そこで足が竦んでしまった。今までままごと遊びや読書ばかりで育ってきた大人しい女の子だったのだ。三ヤードの高さから飛び降りた事など一度も無い。


「怖いのかい!」


 エディが心配そうな声を上げると、ヘレンは必死に頷いた。下を見ることさえ怖くて仕方が無い。見ていられなくなったエディは、ゆっくりと彼女の方へと一歩踏み出して両腕を広げた。


「大丈夫だよ! 僕が受け止めてあげる!」


 ヘレンは唇が震えるのを感じながらも、木箱の上に立ち上がる。足も震え、まともに力が入らない。だが、このままもたもたしていたら他の二人に迷惑がかかる。その思いと、エディの笑顔で覚悟を決めた。


「信じてるからね。えいっ」


 エディは飛び込んで来たヘレンを両手でしっかり受け止めた。勢いを殺しきれずに地面に倒れ込んでしまったが、どうせ芝の上で痛くはない。


「ほらね。大丈夫だったでしょ?」


 芝に倒れ込んだ体を起こしながら、エディはヘレンに笑いかけた。まだ少し顔色が悪いが、ヘレンも笑顔だった。


「脱出口を見つけた! 二人とも、さっさと抜け出そう!」

「泥棒! 泥棒よ!」


 ダルタニアンの声、間髪置かずに女の叫びが裏庭にこだまする。エディ達は慌てて立ち上がり、裏庭の真ん中に仕掛けられていた地下へと続く階段に飛び込んだ。入り口を閉じることが出来ればなお良かったのだが、三人にその余裕はなかった。十七段の階段を駆け下りると、エディはほっと息をつきながら周りを見回す。土をくり抜いただけかと思われたその抜け穴だが、一応整備されているようだ。床に敷かれた石畳や壁を補強する木組みが入り口から漏れる光に照らし出されていた。それでもやはり暗いので、ダルタニアンは腰に提げていたランプに火を付ける。


「中々頑丈な造りだな。崩れる心配はなさそうだ」


 感心する思いで通路を眺めていたダルタニアンとは正反対に、ヘレンは細かく震えながら周囲を窺っていた。


「つ、土の中なんだよね。そ、そしたら、ミ、ミミズが居るの?」


 大人しい顔をして、植物のスケッチをする母の横で平然とトンボやらバッタやらを触っていたヘレンだが、どうしても土の中の生き物だけは駄目だった。エディにしても、見たり触ったりはあまり気持ち良くないが、笑って励ます。


「出たら俺が何とかするよ。だから怖がってないで」

「心配するな。これだけ固めてあったら這い出てこれるのは蟻くらいなものだ」


 壁を叩きながら言ったダルタニアンの言葉に、ヘレンはようやく安心して普段どおりの足取りに戻った。歩くうちに、道幅が広くなり、遠くから光が差し込んでくるのがわかる。しかし、同時に絶望がよぎった。三人は足を止める。目の前には、鞘走りの音をさせ、レイピアを抜いた黒ずくめの男がいた。ダルタニアンは顔をしかめる。


「待ち伏せしていたのか」

「ああ。たまたま地図を拾っていたんだよ。お前らが逃げ回っているすきに、正面から堂々とお邪魔して、ここに入らせてもらったのさ。お前らはそうしなかったようだがな。聞こえたぞ、外の騒ぎが」


 男はレイピアの切っ先をダルタニアンの心臓に向ける。


「銃士。貴様を生かしておくわけには行かない。枢機卿(すうききょう)猊下(げいか)の考えを邪魔するような人間は、ここで殺す」


 エディとヘレンは震え上がってしまった。まだイングランドも出ていないというのに、こんな暗くじめじめした所で殺されなければならないのかと、二人は絶望した。しかし、ダルタニアンはただでやられるような男ではなかった。むしろ、向かいの男は一人で待ち伏せしていた事を後悔しなければならない程の強さを持った男だった。


「心配するな。巻き込んでしまった以上は、私が責任を持って君達を守ろう」


 ダルタニアンはレイピアを抜き放ち、男の心臓に切っ先を合わせる。そばに置かれたランプが彼の顔色を照らし出す。黒い髪、ぼうっと照らされた白い顔は、男に死神の姿を連想させた。言い知れぬ威圧感を感じ、男はレイピアを握り締める。


「危ないから下がって。目を伏せて耳を塞いでいなさい」


 エディ達はダルタニアンの言葉通りに、五ヤード程間合いを取った。後顧(こうこ)の憂いが無くなったダルタニアンは、男に再び向き直る。命を懸けたやり取りなのだ。真剣なものであればあるほど、神妙に執り行なわなければならない。二人は一歩、また一歩と下がり、六ヤード程の間合いを取る。レイピアを目の前に立て、そのまま切っ先を下げて相手の顔に向け合う。それが決闘開始の合図だった。


 ダルタニアンは一気に間合いを詰める。男は合わせて剣を突き出す。ダルタニアンは切っ先を絡め、鍔迫り合いに持ち込む。二人は同時に一歩退く。男は飛び出し、ダルタニアンの心臓に向け突き出した。紙一重でかわしたダルタニアン。そのまま男の太腿に切っ先を突き刺す。男は小さく呻いた。しかし、それ以上は怯まない。男は手首を返す。半身になっていたダルタニアンに、しなった切っ先が襲いかかる。ダルタニアンは左手の甲を犠牲にした。苦痛に表情を歪めながらも、ダルタニアンは左手から剣を抜いて間合いを取り直す。


「くそっ!」


 男は右足に体重がかけられず、思わずふらついてしまって悪態をついた。ダルタニアンは手の甲から流れる血をなめながら不敵に笑う。


「一人で待ち伏せしていたのは失敗だったな」


 ダルタニアンは身を躍らせると、真っ直ぐに突き通した。切っ先は肝臓に突き刺さり、男は激痛に表情を歪めて後退りする。腹部を押さえながら、剣を握り締め、男は吼えた。


「猊下の為に!」


 レイピアを構え直して突っ込んでくる男に、ダルタニアンは感嘆にも似た言葉を洩らす。


「肝臓を突かれてもまだ動けるのか。なかなかやるな」


 それでも、ダルタニアンは容赦無かった。剣腹を軽く弾くと、男の体の芯を貫いた。一瞬の沈黙が暗闇の中を満たした後、小麦粉をたっぷりと詰め込んだ袋が落とされるような音が響く。ダルタニアンはレイピアを収めると、二人が居るであろう方向を見て、溜め息をついた。


……見ていたのか。


 エディは蒼白な顔で立ち尽くしていた。その足元ではダルタニアンの言葉を忠実に守ったヘレンがうずくまっている。


「終わった、みたい……だよ」


 興味本位で決闘を眺め、結果的に人が死ぬ瞬間を目の当たりにしてしまった。後悔しながら、エディは声を震わせヘレンの肩を叩いた。ヘレンは細い声でエディに尋ねる。


「死んだの?」

「ああ」

「いや。人が死んでるなんて、見たくない」


 エディはヘレンの手をゆっくりと引いた。ヘレンは目を閉じたまま立ち上がり、エディに引かれるままに歩いて行く。途中で肉とも魚ともつかない生臭い匂いが鼻をついたが、彼女は感じなかったふりをした。

 やがて、目を閉じていても遮る事の出来ない光の刺激を感じてヘレンは目を開いた。いつの間にかエディ達は外に出て来ていたのだ。脱出口はドーバーに近い小高い山林の中に通じており、ドーバーの様子をよく見て取れる。ヘレンは不安のあまりに呟いた。


「どうしよう。私達、ドーバーに戻れるかな……」


 ダルタニアンは静かに遠くを指差した。旅人然とした何人かがあちらこちらを指差して散って行く。旅人に扮した刺客達だった。ドーバーから逃げられた事を悟った刺客達は、あてのない追撃の旅へ出てしまったのだ。ダルタニアンは満足気に笑みを浮かべて息を付く。


「心配ないな。あいつらは勝手に町の外へと出ていくよ。むしろ、ここに居続けた方が見つかりそうで危ないな。折角消えてくれたんだから、街の入り口から堂々と入ればいい。念のために、私もついて行こう。お礼もしていないしね」



 ドーバーの街前まで行く道すがら、エディはダルタニアンに話しかけた。


「それにしても、英語がお上手なんですね」


 ダルタニアンの扱う英語は、多少フランス特有の流れるような訛りがあるが、十分『流暢』と呼べる範囲だった。彼は頭を書きながら頷く。


「まあ、それはな。貴族のたしなみとして隣国の言葉くらいは学んでおくさ」

「へえ……」


 少しは自分も外国の言葉を学ばなければと思っていると、今度はダルタニアンが首を傾げながら尋ねかけてきた。


「君達は見たところ十五にもなっていないようだけど、どうして旅しようという気になったんだ?」


 エディは深呼吸をした。今がその時だ。命を守ってくれた相手に、到底嘘は付けそうになかった。良心が絶対に許してくれない。ダルタニアンの顔をしっかりと見据え、はっきりと言ってみせた。


「神様を探しに行くんです」


 ダルタニアンは驚き、そして呆れた。どんな大司教も神の存在を信じよと説く。旧教徒も、清教徒も関係ない。しかし、神を探し求めよと説く人間は誰もいない。眉間にしわ寄せ、彼は首を傾げる。


「とんだ事を考えたものだな。それで親は納得したのか」


 言ってしまった後で、ダルタニアンは後悔した。二人の顔色に陰りが見えたからだ。それも、親の反対を押し切って、などという生やさしいものには感じられなかった。そこで、ダルタニアンはある可能性に気がつく。


「すまない。君達は孤児だったのか。……悪いことを聞いたな」


 申し訳なさそうに目をそらすと、静かに懐から手紙を取り出した。


「これを私の隊長に渡してくれないか。名前はトレヴィルというんだ。私の友人も頼るといい。アトス、アラミス、ポルトスだ」


 エディは頷くと、失くさないよう懐に収めた。


「ダルタニアンさん。ありがとうございます。でも、最後に一つだけよろしいですか」

「何だ?」

「神はこの世に現れると思いますか」


 ダルタニアンは天を仰ぐと、静かに頭を垂れた。


「私は、神は天におられるものだと思っている。しかし、シナイ山だとか、聖なる場所で真剣に願えば言葉ぐらいは聞けそうだとも思っている。すまないな。君達に持たせられるような事を言えなくて。だが、私は応援しよう。君達が旅を成し遂げる事を」


 エディは笑顔で頷き、握手した。


「ありがとうございます」


 頷き返したダルタニアンは、ロンドンへの道を悠然と歩き出していった。華麗な銃士の背中は、エディにそこはかとない憧れを抱かせた。エディは誓う。何があっても、ヘレンだけは必ず守ると。


 この後、ダルタニアンは与えられた任務を無事に遂行してフランスへと帰還した。その功績により、ダルタニアンは銃士隊長の座を約束されることとなる。


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