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我が神を求め  作者: 影絵企鵝
終章 見つけたもの
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承段 最果ての村

 エディ達は、二時間あまりもかけてようやく男の住む村にたどり着いた。この頃には、もう三人ともへとへとだった。ただでさえ荷物が重いというのに、アルプス以来久方振りの高地のため、空気の薄さに体が合っていないのだ。鳥居形の簡素な入口を前に、エディもヘレンもへたりこんでしまっていた。


「何だ? もうくたばったのか」


 口もきけずに座り込んでいるエディやヘレンを見た男はまだ他にも言いたげだったが、先は呑み込んだ。連れてもらったのだからこれ以上の文句は言えない。男は代わりに笑顔で口を開く。


「まあいいや。とにかく、ありがとな」

「ええ……どういたしまして」


 何とか息を整えながら、エディは顔を持ち上げて微笑んだ。その時、村の方角から通りのよい男の声が聞こえてきた。


「ドマ! ドマが戻ってきたぞ!」


 その声の主は村の中央に開けた場所に姿を現し、立ち尽くしているドマを指差した。その声につられて、二十人ほどの人々が飛び出してきた。草もほとんどない灰色のお盆のような空間の中、小さな石造りの家が数戸まばらに立っているだけだから、おそらく村のほぼ全員が出払ってきたのだろう。腰が曲がったお爺さんから、遊び盛りの小さな子供たちまで、みんなが笑顔でドマを出迎えに来ていた。それだけ、ドマという存在はこの村にとって必要なのだ。


「ドマおじさん! たかいたかい!」


 人々がこちらに向かって歩き出したところを、真っ先に駆け寄ってきた三、四歳ほどの女の子がドマに飛びつく。右足を襲った痛みに顔をしかめると、ドマは苦笑いをしながら女の子を引き離した。


「ごめんな。おじさんはちょっと足を怪我してるんだ。この旅人三人に助けてもらったんだよ」

「ふーん?」


 女の子は一瞬残念そうな顔をして、それから興味津々に目を丸くして三人の顔を見渡した。三人揃って白い顔をして、青年は疲れきった表情をして、少女は村人達の顔を一人一人窺っている。そして、女の子の目は背の高い男に止まった。白装束の男は三人の中で一人だけ立っていて、ドマのように筋肉質な外見をしていた。目を輝かせると、女の子はその白装束に駆け寄る。


「おじさん! たかいたかい!」

「え?」

「おい!」


 『たかいたかい』を知らないロードはもちろん、ドマもあっさり鞍替えした女の子を見て呆気に取られてしまった。エディが楽しそうに目を細めると、ロードに向かって何かを抱いて高く持ち上げる動作を何度も繰り返してみせた。それを見たロードは、首を傾げながら女の子の前にしゃがみ込んだ。


「私は『たかいたかい』というものを今までしたことがないから、下手なのは勘弁して欲しい。いいか?」

「たかいたかい!」


 とにかく女の子はたかいたかいをして欲しいらしく、ロードの言うことなど一片も聞いていないようだった。ため息をつくと、ロードは思い切り女の子の脇を支えて持ち上げた。女の子は嬉しそうに声を上げて笑い出す。ロードは初めて触れる無邪気な心に顔を綻ばせるが、そんな温かい光景をエディ達は全く見ていなかった。


「誰なんだあんた一体?」

「どこから来た?」

「真っ白い顔してんなあ……病気か……?」


 エディ達は、たくさんの村人に取り囲まれ、その興味津々な視線に押しつぶされそうになっていた。だが、まあ悪い気はしなかったので、困ったような笑みを浮かべながらもエディは村人達の質問に逐一答えていった。


「僕はエディ、隣はヘレンです。そして、ヨーロッパという遠い遠いところから来ました。ついでに、肌が白いのは元々で、僕達は健康そのものですよ」

「へえ。そんなに『ヨーロッパ』は遠いの?」


 白髪が少し混じった、少々しわが目立ち始めている女性に尋ねられると、エディは勢い良く立ち上がり、その場で勢い良く両手を広げて見せた。


「もちろん! こぉのくらい遠いですよ」

「はい。こんなくらいですね」


 ヘレンも座ったままで、エディと同じく腕をいっぱいに広げてみせる。人々は納得したような、納得しないような顔で、腕組みしたり目を瞬かせたり、唸ったりしていた。


「ううん。こんなくらい、って言われても、よくわかんねえなあ」

「そうねえ」


 そんな中、一つのしわがれた声が人々の背後から響く。


「皆の衆、少しよけてくれんか」

「あ、長老様!」


 村人達はすぐさま二手に分かれ、背後に現れた老婆に道を開けた。老人の例に漏れず背は低いようだが、それでも矍鑠(かくしゃく)とした様子で、腰も曲がっていない。シワだらけの肌の中に、黒い眼がしっかりと光っている。老婆は杖にも頼らず、自分の足でしっかりと歩いてこちらまでやってきた。


「ほほう? そのように遠いところから、一体ここまでいかなる用事ですかな?」


 長老は三人のよそから来た客人の顔をくまなく見渡す。エディはその視線から少々逃げるようにして、目と鼻の先にある遙かな冷峰を見つめた。太陽の光を受け、確かにその山は眩しく輝いていた。エディは老婆に視線を戻し、迷わず答えようと口を開きかけた。のだが、あっさりとドマに遮られてしまった。


「まあまあ長老様。こんなところで話を続けるのもどうかと思いますよ? この若いの達は、俺が足を捻って動けなかった所を助けてくれたんですから」

「なんと!」


 驚くと同時に、長老はドマの足に巻かれている包帯に気が付いた。


「なるほど。確かに真のようだな」


 長老が感心の声色で頷いた途端、人々は顔を輝かせてエディ達に飛び付いてきた。


「ありがとう!」

「うわっ」


 エディ達の顔色をよそに、村人達は二人をもみくちゃにした。


「それなら先に言ってくれなきゃダメじゃないか! お礼が言えないだろ!」

「は、はい。あはは」


 エディが苦笑しながら頭を掻く横で、ヘレンも同じような顔で人々の労いに応えていた。


「お前達は村の恩人だ! ヘレンって言ったか? よくみたら、すごく美人だな!」

「あ、よく見たら……あはは」

「君みたいな女の人にも助けてもらえるんだ。この村も安泰だな!」


 とにかく嬉しそうにしている村人に付いていけず、ヘレンは愛想の良い笑いを浮かべて相槌を打つだけになっていた。そんな村人達を見かねたのか、長老は高らかにその手を叩き鳴らした。


「そこまでにせんか。礼をするどころか、困らせてどうする」

「も、もうしわけありませんでした!」


 言われた途端、村人は長老に向かい揃って頭を下げた。それを目の当たりにしたヘレンは、ふとサラスヴァティの事を思い出してしまった。神と崇められていたかの少女。


……ちゃんと元気でやってる?


 ヘレンは晴れた空を見つめ、いつの間にかサラスヴァティに訴えていた。


「ヘレン、行くよ。歓迎してくれるって」


 エディに肩を叩かれて視線を戻すと、村人達はやや村の方へ戻りつつ、しきりにこちらへ向かって手招きしていた。エディの笑顔に合わせ、ヘレンは頷き、村人達の後についていった。


「おいおい、ちょっと待ってくれ」


 ロードは自分とドマ、そして女の子を置いていこうとした村人一行に戸惑い、慌てて後に付いて行こうとした。しかし、それは女の子が許さない。


「ねえ、もっと遊んでよ!」

「あ、ああ……」


 愛想笑いをしながら、ロードは深々と溜め息をついてしまった。



 土の上にむしろを敷き、真ん中にかまどを据え、火を付けただけの質素な家。その中に長老テンバとドマ、そして三人が集まっていた。エディ達は村人達が歓迎の証にくれた黒い外套を羽織っていた。その外套の、高山に咲く小さな花畑の刺繍には人々の思いがこもっており、今まで羽織ってきたものよりずっと温かかった。


「そうか。ヨーロッパとはそんなに遠くにあるのか……よくはるばるいらしたものだ」


 テンバは、自身もアワの粥を口にしながら何度も頷く。


「ええ。気づいたら、かなり遠い所まで来てました」


 エディはにっこりいつものように笑い、それから粥を口にした。確かに米や小麦に比べると口当たりはあまり良くなかったが、かなりお腹も減っていたからそんなことは問題にならないくらいに美味しかった。旅の終着点でありつくことの出来た食事に詰まっていた温かい心に感動したエディは、思わず目頭が熱くなるのを感じる。


「む、どうしてそのような泣き顔に?」


 テンバが首を傾げると、エディは小さく鼻をすすりながら微笑んだ。


「いえ……美味しかったもので」

「だからって、飯を食ったくらいで泣くなよ。……嬢ちゃんも」


 エディには少々からかった口をきいたドマだが、ヘレンまでもうっすらと涙を浮かべているのを見て、少し困ってしまったようだった。どんな言葉をかければ良いかもわからず、手をこまねいておろおろしている。そんな彼をよそに、ヘレンは浮かんだ涙を拭いて微笑んだ。


「私達は、これまで旅した三年間、色んな人にご馳走になってきました。どの人が作ってくれた料理も、どれも温かくて美味しかったんです。最後まで美味しい食事にありつけたものですから、ついつい思い出してしまって……」


 エディとヘレンはどちらも同じ気持ちだということに思い至り、いつものように笑いあった。そうして、これから待っているであろう幸せな生活がより確かな展望に感じられるのだ。そして、ロードはどうかというと、これが食事をしていなかった。先程から、ドマは何度も粥を差し出すのだが、ロードは曖昧な笑顔で受け付けない。


「どうして食べないんだ? まあそりゃ、ご馳走じゃないかもしんねえが」

「いや……本当にお腹が減らないんだ。申し訳ないが、遠慮させていただく」


 ドマは口を尖らせていたが、テンバは首を振った。


「よさんか。客人が食べたくないと言っているのだ。無理に食べさせるな」

「は、はい」

「申し訳ないです。本当に……」


 ロードはテンバに向かって深々と頭を下げた。本当に、ここのところ空腹を覚えたことがないのだ。思い当たることといえば、自分がリシャールの言った『仮初』の存在となり果ててしまったことくらいだ。口寂しい思いはあるが、一度エディに食事を貰っても丸ごと吐いてしまった。自分の体は、本当に食事をいうものを欲しない体になったらしい。


……結局、『人』にはなれなかったということか……


 ロードは黙って心に染み入ってくる寂しさと、今こうしてエディ達と共にいられる喜びを同時に噛み締める。それは喩えようもない感覚だった。そんなロードの雰囲気を機敏に察したのか、ヘレンが粥を床に置いて首を傾げた。


「どうしたの? ロード」

「いいや。どうもしない」

「じゃあいいんだけど……何だか寂しそうだったから」

「……気にするな。私はいつも通りだ」


 ヘレンの不思議そうな表情を見て、ロードは考えを改めることにした。今から別れだなんだと気にする必要は無いのだ。くよくよ悩むのはやめ、残された時間を精一杯生きよう。そう思うと、自然と楽になれるような気もしてきた。ロードは小さく首を横に振ると、ドマに向かって微笑みかけた。


「もしよろしければ、水を一杯頂けますか。それだけで私は十分です」

「お、おお。よしよし。任せておけ」


 ドマは力強く一回頷くと、おもむろに立ち上がってその場を後にした。そんな折、しばらく黙っていたテンバが再び口を開いた。


「それにしても、主達は如何様(いかよう)な理由でここまでわざわざやってきた? こんなところ、目的がなければ来るまいて」


 エディは静かに頷いた。いよいよ目的が果たされようとしている。答える口にも力が入った。


「実は、僕達は神様を探しに、デオドゥンガに行こうと思い立ったのが旅の始まりなんです」

「デオドゥンガ? それは、あのガウリ・シャンカルのことか?」


 テンバは眉にしわ寄せ、いよいよ真剣な声色となってエディ達にその鋭い視線を突きつけた。今度はヘレンが頷く。


「ええ、その通りです。この世で一番高い場所でなら、神様とも会えるかなあ……と思って」


 テンバは溜め息をついた。呆れたような、困ったような。また、どこか深謀しているような、そんな雰囲気だった。


「そりゃあ。いるだろうさ。デオドゥンガは神がお宿りなさる霊峰なのだから」

「本当ですか!」


 ふもとに住まう長老からのお墨付きに、エディ達は俄然やる気を出し、目を輝かせた。だが、テンバは鋭く視線でその輝きを抑えつける。


「だが、間違っても登ろうとしてはならん! いるんだよ。一世代に一人はあの山を登ろうとする、そして全く言うことを聞こうとしない馬鹿が。ここのさらにふもとからもやってきおる。だが、勇んで出ていったそやつらは、一人たりと帰ってはこなんだ! 間違いなく、土足で神聖な宿場を踏み荒らされた事に対し神がお怒りなさったのだ!」


 テンバの急な変貌に、エディ達は思わずたじろいでしまった。その勢いに飲み込まれて三人が口をきけずにいると、テンバはその様子を訝しんで、さらに詰め寄ってきた。


「まさか主ら、そんなつもりじゃなかろうな?」


 こんな調子に向かって『はいそうです』などと到底言えず、エディ達は口をもごもごさせた。だが、それだけでテンバがエディ達の真意を知るには十分だった。大きな大きな溜め息をつき、テンバは俯いた。


「全く。怖いもの知らずとは主らのことを言うんだろうな……」

「……申し訳ないです」


 テンバはまたも溜め息をついて立ち上がる。


「全く、仕方のない方達だな。まあいい。三年も旅してきたのだろう? ここまで来て、駄目だ駄目だと引き下がらせるわけにはいかんな。仕方ないから、お前たちには特別に、勇気ある者だけが入ることを許されてきた神の祭壇へ向かうことを許してやる。……ドマを助けてもらった借りもあるからな」


 『神の祭壇』。その神妙な雰囲気にエディ達は息を詰める。テンバはそのエディ達の興味津々の顔に、曰くありげな笑顔で応えた。


「その祭壇は、かつてこの村の勇者が、仏陀を見守ったナーガ神の一人ムチャリンダに出会ったという伝説があるんだ……」


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