急段 繋がりの果て
「こんな、一体どうなって……」
ロードは光り始めた自分の体に絶句した。同時に、手や足の感覚が薄れてきていることに気がつく。未知の恐怖にわずかながら震えていると、エディ達もロードの異変に気がついたようだった。
「ロ、ロード!」
ヘレンは素っ頓狂な声を上げ、慌てて彼に寄ってその肩を掴んだ。その間にも、丸がちな目をさらに見開くロードの姿は儚げになっていく。エディはただただ戸惑い動揺したが、自分までそれでどうすると叱咤して、一番この事態に知識がありそうな人物――リシャールに問いかけた。
「リシャールさん、僕達の仲間に一体何が……」
リシャールも苦虫を噛み潰したようなしかめっ面でその光景を眺めていた。
「『アクア=デウス』? そんなまさか……」
「今何と?」
「え? あ、いえ。こちらの話です」
耳慣れない言葉にエディが怪訝な顔をすると、リシャールは慌ててその表情を打ち消し、真剣そのものの顔をした。
「おそらく、ですが、ロードさんの体は『仮初め』のものとなってしまったのだと思います」
「何なんですかそれは! まるでロードの体が偽物みたいな言い方を……」
血の気を無くしたロードを座らせ、ヘレンは舌鋒鋭く迫ろうとした。が、その声は尻すぼまりとなり、ヘレン自身も血相を変えて崩れてしまった。既に真っ赤になっていた目からさらに涙を溢れさせ、ヘレンはすっかり頭から抜け落ちていた事実をリシャールに向かって吐露する。
「そうなんです。ロードは元々馬で、さらわれていた私と再会してみたら、その時には人間になっていて……」
リシャールは同情の眼差しをロードに向け、そして溜め息をついた。何かに倦み疲れたような、そんな雰囲気を持っていた。左手の杖を握りしめると、リシャールは肩を落として三人の表情を見回した。
「やはり……『仮初め』というのは、先ほどエドワードさんにはお話ししたのですが、我々の意志や、魔法など、形がこの世に存在しないものが関わる部分です。あの世とはまた違うんですが、この世ではありません。火に触れて熱いと感じるのが現実なら、熱いと感じて火が生じるのが『仮初』です。つまるところ、ロードさんの体は……元々人になりたがる動物がかなり珍しいんですが、馬だった頃は体があって、意志があったんです。が、今あるあなたの姿は、意志があって、体が存在するんです」
リシャールが話している間にも、ロードの息は浅くなり、胸を押さえた彼は静かにうずくまってしまった。エディもさすがにただ冷静でいるわけにはいかなくなり、上ずった声を上げて言葉を選んでいる最中のリシャールに訴えた。
「理屈はもういいです! このままだとどうなるのかと、どうすればいいのかだけを簡潔に教えて下さい!」
目を丸くしてエディの表情を見つめたリシャールだったが、彼の必死さを受け取り頷いた。
「わかりました。簡潔に申しますと、ロードさんの体は今、ロードさんが取り込んだ膨大な魔力と、彼の意志によってこの世に実体として現れている状態となっているんです。いわば魔力そのものなんです。ですが、その姿を保ち続けるにもまた魔力が必要なんです。まず、存在を現実から仮初へと変えるだけで膨大な魔力を消費したはずです。おそらく、あなたはその後残った魔力を使い切ろうとしているのでしょう。そして、完全に使いきればあなたは消滅します」
地面に座り込んでうつむいているヘレンが息を呑んだのが、エディにもリシャールにもわかった。ロードも、苦しそうに胸を押さえながら、今まで堂々としてきた彼には似合わない悲しげな表情を浮かべ、哀願するような眼差しで不思議な魔法使いの事を見上げている。その目を同じく悲しげな表情で見つめながら、リシャールは話を続けた。
「ですが、希望がないことはありません。私がおります。何かを依り代として、私の魔力をある程度注ぎ込むんです。幸いにして、私は魔力に恵まれました。今ある魔法石の魔力も含めて……デオドゥンガに赴くまでの魔力なら、何とか工面してあげられると思います。」
エディとヘレンはゆっくりと顔を合わせた。二人とも同じ事を考えていた。思えば、きっと運命だったのだ。アンナから渡されたリボンは、シレーヌとの友情の証となって胸に光っている。そして、レイリーの恋人、フィーナから渡されたお守りは、今木彫りの馬となり、そしてきっと、ロードの命となるのだ。ヘレンは、そっと自分の腰帯から、木彫りの馬を取り出した。普段は細くして巻いていたのだが、咄嗟に帯を広げてその中に滑りこませていたのだった。精巧な部分がたくさんあったが、今もしっかりと木彫りの馬は掌の上にその堂々たる姿を晒していた。ヘレンはリシャールに、そっとそれを差し出す。
「なら……これを依り代にして下さい」
丁寧に受け取ったリシャールは、二人に向かってそっと顔を綻ばせた。
「いい木ですね。これはヒイラギですか。私が求めていた依り代の中でもかなり良い方です。これなら十分魔力を溜められる……」
それだけ言うと、リシャールは素早く杖で幾何学的な模様を描き始めた。慣れた手つきで、円やら、文字やら、多角形やらが赤茶けた地面に刻み付けられていく。ヘレンは祈るように手を組んで、エディは黙って立ち尽くして、ロードはじっと自分が消えて行く苦しみに耐えながら、リシャールが黙って魔法陣を描いていく様子を眺めていた。やがて、描き終わった彼はその中心に木彫りの馬を据える。杖のてっぺん、ヘレンの握りこぶしほどある水晶玉がくくりつけられた側を木彫りの馬に向けると、右手で水の魔法石を転がしながら、リシャールは目を深く閉じて念を込めはじめた。
杖にはめられた水晶の中に青い光がこもっていく。それと共に魔法陣も青く輝き、そして木彫りの馬も青く光りだす。リシャールは額から冷や汗を流し、顔をしかめて苦しげに荒い息遣いを始める。少々無理をしているかに見えた時、リシャールはいきなり凛と立っていたその姿勢を、がくりと崩してしまった。かなり無理をしているようだ。その様子がどこか気の毒で、エディは心苦しくなる。魔力を使うということが、ここまで人を疲弊させるとは思わなかった。しかし、ここでやめさせることは、すなわちロードは旅を最後まで成し遂げられないということだ。その板挟みに苦しみ、エディが眼を閉じてしまった時、ヘレンはゆっくりと立ち上がってリシャールのそばへと歩み寄り、杖を握っている左手に自分の右手を添えた。
「ヘ、ヘレンさん……」
「……私も魔法が使えるみたいなんです。……他人にあまり迷惑掛けたくありません。私も手伝います」
ヘレンの真剣にロードを助けようとする心に触れて、リシャールは冷や汗を拭い、小さく微笑んだ。
「そうですね。少々苦しいですが、私と共に頑張ってください」
彼がそう言った途端に、ヘレンは鉛の服でも着たように体が重くなるのを感じた。水晶玉の光は増し、わずかに白い光も混じるようになる。その疲労感にどこか満足を覚えながら、ヘレンはただ自分の中にある魔力をどうにか取り出してみることを続けた。
「ヘレン……」
エディの目にわずかに悔しげな眼差しが宿った時、ようやく魔法陣が霧散し、杖の水晶の光も消えた。後に残ったのは、青白く輝く木彫りの馬だ。疲労困憊で膝を付いてしまった二人に駆け寄ろうとしたエディだったが、ヘレンはそれを制して木彫りの馬を指差す。
「私は大丈夫だから、それを……早く」
「あ、ああ。わかった」
エディは重みを増した木彫りの馬を両手で何とか持ち上げると、既に消え入りそうになっていたロードの前まで持っていく。深呼吸で息を整えながら、リシャールはロードを指差した。
「何とか立ち上がってください。それだけでいいです。そして、エドワードさんはロードさんの心臓あたりにその依り代を突っ込んで下さい」
「つ、突っ込む? どうやって!」
苦しみをこらえて何とか立ち上がろうとしているロードの姿を尻目に、エディは鉛のように重くなった木彫りの馬を持て余してしまう。突っ込むと言われても、ロードの心臓あたりに穴はない。
「ぶつけるように突き出して下さい! それで十分なんです!」
「……ロード!」
ロードは既に体が透けたようになり始め、一切の予断を許さない。それを見たエディは覚悟を決め、馬頭を先端にしてロードに突っ込んだ。
「ぐあっ!」
なんと木彫りの馬はロードの体をすり抜け、その中に収まってしまった。ロードは心臓を押さえ、再び地面にうずくまる。手で押さえられた胸元が青く光り、そしてその光は一気に全身を走った。その瞬間に、ロードは再び確かな容姿を取り戻していた。光化が消えた自分の体を見つめ、そしてロードは体を起こして微笑んだ。
「ありがとう。エディ、ヘレン。そして……」
ロードが口ごもると、杖を頼りに立ち上がったリシャールが微笑む。
「リシャールです。御無事なようで何より」
ロードは居住まいを立て直し、リシャールに向かってひざまずく。その様子は、まるで王に拝謁している騎士のようだった。
「本当に感謝しております。見ず知らずのあなたに、命を救って頂けるとは……」
「いえいえ。困っている人に手を差し伸べる事がどれだけ大切な事か、私も旅をしてきて学んだことですから」
ここまで微笑みながら口にして、急にその笑みを吹き消した。
「それに、私はあなたの命を完全に救えたわけではありません。おそらくあなた方の目的地までは持つでしょうが、元々あなたは魔法の才が無く、自分で『仮初の世界』から魔力を引き出してきて、貯めておくことができない。その後はきっと……」
「構いません。私の願いは今まで従ってきた二人の旅を見届ける事。亡霊と魔力で体が成り立っているというのなら、魔力が尽きずとも、未練が果たされれば、その時私自身も果てるでしょう」
未だ膝をつき、肩で息をしているヘレンも、隣にひざまずくエディと共に頷いた。元はただの馬だった。しかし、この長い年月の間で築いてきた絆があるから、別れはとても辛い。しかし、リシャールが別れの猶予を作ってくれたことで、何とか気持ちを整理できそうだった。
「私達からも、お礼を言わせて下さい。本当にありがとうございます」
頭を下げた三人を見て、リシャールは再び慈愛に溢れた瞳になって、首を振った。空を見上げ、小さな声で呟いた。
「いえ……お礼を言うのは私ですよ」
「え?」
首を傾げたヘレンに、リシャールは曰くありげに微笑んだ。
「私が旅をしてきたことが間違いじゃなかったこと、今しっかりと実感できました。ですから、ありがとうございます。お礼代わりに、一つ便利な魔法をお教えしましょう。ヘレンさん。あなたは確固たる魔法の才をお持ちのようです。あなたなら、きっとこの魔法を使いこなせる」
リシャールの瞳を見ているうちに、ヘレンは勝手に背筋が正しく伸びてしまうのを感じていた。リシャールは懐から手のひら程の紙を取り出すと、地面に広げ、その中心を杖の先端で打った。するとどうだろう。様々な幾何学模様が入り交じった魔法陣が浮かび上がったではないか。それを拾い上げ、リシャールはヘレンに差し出した。
「『転移』の魔法です。これを使うと、あなたに強い記憶がある場所を、一瞬にして訪れることが出来ます。使い方自体は簡単です。中心の円にあなた達二人が入れる程度の大きさに拡大してその魔法陣を地面に描き、その中心に立って、強くあなたの訪れたい場所を想起しながら、踵で一回地面を打つだけです」
ヘレンは戸惑い通しだった。ほんの十分ほど前に出会ったような関係なのに、この青年はエディを助け、ロードを助け、さらには自分達の旅まで助けてくれたのだ。いくらリシャールが感謝の念を覚えていたとしても、さすがに至れり尽くせりにも程があると思った。
「……どうしてそこまで私達に?」
その質問には答えず、リシャールは旅嚢を背負って歩き出す。その足取りは美しく、優雅な雰囲気さえあった。そんな彼が脇を通りすぎようとした時、エディはとあることに気がついてハッとなった。
「リシャールさん。どうして僕達の名前を……教えてないのに」
彼は立ち止まった。立ち止まって、振り返りざまに彼は変わらない微笑みを見せる。
「時が来ればわかるのではないでしょうか。同じ旅人として、ね。……それでは」
彼は踵を返し、その薄紫のマントを翻しながら歩いて行く。彼の不思議な雰囲気に飲み込まれ、エディもヘレンも声が出せないでいた。しかし、彼らはリシャールという魔法使いにどこか惹きこまれるような、運命のようなものを感じていた。
彼の先は語るまい。リシャールが伏せた意味が無くなってしまう。エディとヘレンが悟る時を待つことにしよう。