叙段 勇猛を顕して
「ロード! どうして」
とにかく訳のわからないエディは、目の前に敵がいることさえ忘れ、すっかり人間になってしまったロードの姿を見つめる。ぴったりと盗賊たちに目を合わせたまま、ロードはゆっくりと首を振る。
「私にもわからない。やたらと光る水を飲んで、死んでも死にきれないと思っていたら……いつの間にかこうなっていた」
エディの脳裏に、『人間になった夢を見る』、『この体では山を登れない』と、至極残念そうに呟いていたロードを思い出す。何はともあれ、これでロードと旅は続けられそうだ。エディは強く一歩踏み出し、ロードと並び立った。
「さあ、一緒に行こう」
「ああ」
一度傷を負わせたことのあるエディには何の恐れも抱かなかった盗賊たちだが、荘厳華麗な佇まいの男には、えも知れぬ脅威があった。銘々の武器を握りしめ、盗賊たちは息を呑む。そうして硬直している間に、ロードはエディにささやく。
「その短剣を私に渡してくれないか」
「え?」
「君は血塗れの手でヘレンの手を掴むのか? それはいけない。汚れ役は騎士の務めだ」
エディは短剣に目を落とす。その刃は陽の光を受け、白く眩しく輝いていた。エディは一度柄を握りしめ、それからロードに差し出した。
「ロード。ありがとう」
エディ達は身構え、盗賊たちとの緊迫も限界に達しようとしていた時だ。遠くからいきなり悲鳴にも似た叫びが聞こえてきた。その声は全く言葉を為さず、ただ喚いているだけだ。しかし、そこには恐怖を払い飛ばそうかというような勢いがあった。振り向くと、そこには農具を持って全力で駆けてくる三十人ほどの男達がいた。盗賊どもは目を凝らす。
「何だあ? 山の下の虫けらどもか?」
しかし、彼らはもう弱虫などではなかった。自分の中にあった勇気を絞り出し、大切なものを取り戻すために立ち上がった、三十人の立派な戦士だったのだ。声を限りに、エディに締め上げられ逐一怯えていた男が叫ぶ。
「旅人さん! あんたは先に行け! こいつらは俺達が何とかする!」
「え? で、でも……」
エディが口ごもっていると、ひょろ長い背格好の男が叫んだ。
「俺達に戦う事を教えてくれたのはあんただろ! ここは俺達に任せろ!」
エディはロードと頷きあった。素早く身を反転させると、すっかり立ち尽くしていた男達を蹴り飛ばす。油断していた彼らに踏ん張る力など無く、あっさり男二人が地面に蹴倒された。その間を駆け抜けた二人は、もう一度だけ振り返る。そこは既に、盗賊と村人達が取っ組み合いを始めているところだった。
「頼みます!」
「おお!」
村人達の鬨の声を背に、エディとロードは盗賊の住みかへと乗り込んでいった。後に残された村人達は、数の力で喧嘩慣れしているはずの賊どもを圧倒しようとしていた。一人に三人や四人が一斉に鍬や鋤を振り上げ、殴りかかるのだ。さすがの盗賊もこれにはかなわず、苦悶の声で打ち倒されるものもいれば、苦渋の顔でその囲みから逃げ出そうとするものばかりであった。頭を丸めている一番屈強な男に至っては、五人六人が一斉に殴りかかった。
「こんな雑魚どもに……!」
「雑魚はお前だ!」
村人達に人を殺す勇気はないから刃先は立てない。しかし、五人六人の一撃を食らえばひとたまりも無かった。あっという間に男を打ち倒した村人達は、さらに勢いを増していった。
「ヘレン! ヘレン、どこだよ!」
「ヘレン! 無事なら答えるんだ!」
ときおり現れる盗賊を適当にいなしながら、エディ達は必死に洞窟の中を駆け巡った。蜘蛛の巣のように複雑怪奇に入り交わる道を、エディ達はその直感に任せて駆け回った。
「それ以上好きにやらせるか! この先の女は渡さねえぞ!」
先の分かれ道から、斧を持ち出してきた皮鎧姿の賊が飛び出してきた。ロードは短剣を構え、エディの一足先に出る。ロードに狙いを定めた男が、強く斧を振り上げた。
「通さねえ!」
「押し通る!」
降り下ろされた斧の腹を右手でいなし、その反動でそのまま男に短剣を突き立てた。しかしその刃は革鎧で逸れる。それを見た賊は得意満面の表情をした。
「なぁにが押し通る、だあ?」
「何が何でも押し通る!」
ロードの背後からエディが駆け出し、その肩を借りて飛び上がり、賊の顔面をこれでもかと蹴りつけた。吹き飛び、男は岩壁に叩きつけられ動かなくなる。エディがあっけなく気絶した男の姿を見やった時、奥からヘレンのよく通る声が響いてきた。
「エディ! ここ、ここ!」
「ヘレン!」
エディ達はヘレンの声を追い求めて暗い道を突き進んだ。次第に道が広くなり、たったの松明一本しかない暗い部屋に突き当たった。顔色がよく確認できないが、真っ直ぐに牢屋の格子から突き出される手があった。
「エディ!」
「ヘレン!」
慌てて駆け寄り、エディはヘレンの温かい手を確かに握った。
「ヘレン、大丈夫かい? 変なことされてない?」
「うん、一応ね」
エディはヘレンの手を両手で包み込むと、安堵から込み上げてくるものをこらえることが出来なかった。肩を震わせながら、エディはヘレンの手を額に当てる。
「よかった……本当に……」
ロードは腕組みをした。二人の再会は、彼の中にも込み上げるものがあった。しかし、いつまでもそうさせているわけにもいかなかった。そっと歩み寄ると、心苦しい思いをしながらもエディとヘレンの手を引き離しにかかった。
「いつまでもそうしていてはいけない。奇襲は勢いなんだ。こんなところで油は売れない」
「ああ。分かってるさ」
「ねえ、ロードなんでしょ? どうして人間になっちゃったの?」
ヘレンはロードの姿にかなり戸惑ったらしく、暗い中でもヘレンの目が丸くなったのがよく分かった。その疑問も最もだろうと思ったが、ロードが言った通り、いつまでも安泰でいられるわけではない。
「後で説明するから。今は抜け出すのが先だよ」
そっとヘレンの手を離し、エディは頷いた。そして素早く格子に手を滑らせる。木製のようだ。しかも、かなり乾いている。エディとロードは視線を交わし、頷きあった。どこか一点に力を集中すれば、壊せないこともないだろう。
「ヘレン、入り口はどこ?」
「あそこだと思う」
ヘレンは、いつも賊たちが出入りに使っていた場所を指差した。エディ達は立ち上がると、あれこれ話しながら扉の観察を始めた。ヘレンはその光景を、すっかり安らいだ眼差しで見つめる。その肩を、すっかり毒気を抜かれた様子の少女たちがそっとつついた。
「あの、あの人達は一体誰なんですか?」
「エディ。私達の救世主」
迷わずヘレンが言い切ると同時に、二人は牢屋の入り口を一斉に蹴飛ばした。乾いて脆くなっていた木は、さしたる抵抗もなく割れてしまった。格子の扉が飛んでいくのを見た瞬間、ついに自分達の自由を少女たちは知った。座り暮らしで衰えてしまった体を何とか立たせ、ゆっくりと少女たちはエディ達に歩み寄った。
「あ、ありがとうございます! この御恩は、一生――」
そろそろと歩み寄ってくる十数人の少女達を、エディはそっと手で制した。
「お礼は後で村のみんなにしなよ。勇気を振り絞って、みんな助けに来てくれたんだ」
少女達は足を止めた。半信半疑といった表情で、お互いの顔を窺いながらエディの方をちらちらと見る。
「み、みんなが……?」
「本当なの?」
「ああ。だからもう、みんな助かるよ」
エディが力強く頷いた瞬間、今まで恐怖に打ち沈んでいた彼女達だったが、ようやくその顔に少女らしい笑みが戻り始めた。その様子を見ながら微笑み、ヘレンはエディの方を向いた。彼は決意の眼差しをして、部屋の外を見つめていた。小さく息をつき、ヘレンはエディに尋ねた。
「これからどうするつもりなの?」
「俺にはまだやらなきゃいけないことがある。やっておきたいことがあるんだ」
エディの目には、誇りある獣のような光が宿っていた。その目を見つめながら、ヘレンは足についた土埃を払って立ち上がる。ずっとそばにいると決めたのだ。エディが行くと決めたなら、自分も行かなくては。ヘレンはエディの隣に寄り添った。
「なら私も付いてく。応援するね」
「ああ。ありがとう」
再び三人集ったエディ達は、少女達を後に残して駆け出した。