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我が神を求め  作者: 影絵企鵝
十三章 希望の蹄跡
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結段 カブールの鍛冶屋

Eventful Item 

 スライマーンの手紙 紙 下敷き板 画材

 カブールの街は、インド世界へと続く数少ない陸路の一つ、カイバル峠の近くに位置している。オリエント世界とインド世界を結びつける重要な地点であり、『文明の十字路』とも呼ばれている。その繁栄ぶりは、カンダハールをも優にしのぐ。そんな街に、スライマーンに託された手紙を携えたエディ達は何とか辿りついた。アルプス越えよりは遥かにましだったが、それでもロードの老体に上り坂は辛いのだ。


「大分来たねえ。そろそろ旅の終わりも近いのかなあ……」


 視界の遠くに、壁のようにそびえる山脈を見つめながらエディは呟く。その手には絵筆が握られ、目の前にある小さな山脈はその身を半分ほど彩られていた。エディの絵と実物を見比べながら、ヘレンはしんみりとした口調で呟く。


「この山脈はヒマラヤ山脈に繋がってるんだよね。だとしたら……本当に、終りが近いんだね。帰りはどうしよっか」


 筆を振り振り、エディは山脈が被っている万年雪を見つめながら呟いた。


「俺、やっぱり船がいいと思う。シレーヌとの約束もあるから急いで帰らないといけないし、帰るまでが旅なんだから、せっかくなら海も見てみたいんだよね」

「旅費は?」

「大丈夫だよ。トニオさんはどれほどのものだったかしらないけど、僕の絵だってそれなりに売れるようになってきたし」


 気が向くたびに絵を描いて、それを行く先々で売るようになってからというもの、懐事情の心配はさほど必要なくなってきていた。エディの言うことにも納得がいき、ヘレンはそれ以上追求することもなかった。

 山脈を見つめ、ロードが小さく嘶いた。彼の足踏みを聞きながら二人は旅の軌跡を思い出し、懐かしく思っていた。



 感傷に浸るだけがこの街に来た目的ではもちろん無い。絵を描き終えると同時に、二人と一頭は山に囲われた街を再び歩き出し、イドリースなる人物を探し始めていた。二人は手紙を携え、思わず見上げてしまうような家々に挟まれた道に立って、様々な人に話しかけていた。しかし、その苦労はなかなか実らない。


「すみません、イドリースさんを知りませんか?」

「いいや……最近どこかに行ってしまったらしいんですが、私はその場所を聞いていないのです。……それにしても、白い馬とは珍しいですね」


 ヘレンが話しかけた女性は曖昧に微笑み、そっとロードを指差した。ヘレンはロードの穏やかな顔を一瞬見遣った後、苦笑いしながら頷いた。


「ええ。中々この地方では見ないですね。……お手数掛けました」


 女性は頭を下げると、そのまま友人と連れ立ってどこかへと去ってしまった。ムスリマを演じるため、普段はなるべく大人しく黙っているヘレンが動いてもなお手がかりはない。分かったのは、イドリースがかなり名のある鍛冶屋であること、以前は街の中心近くにある街で武器から日用品まで作っている工房を開いていたらしいが、今はどこかへと出奔していて行方知れずということだけだった。手紙をぶら下げ、エディは、肩を落としてため息をつく。


「何の音沙汰もなし、か」

「がっかり……少なくともこの街にはいないってことでしょ?」


 ヘレンも首を小さく振りながら呟く。一度は頷いたエディだったが、急に目を固くつぶり、両手で頬を三度叩いた。


「まあ、それでも約束したんだから見つけないと。もう少し当たってみようよ」

「そうだね。ちゃんと『かばん』のお礼はしなきゃ。でしょ?」


 ヘレンの曰くありげな目配せ。いつかヘレンに向かって言った言葉を思い出し、エディも懐かしそうな目になって頷いた。


「その通り! さて、あの男の人に聞いてみるね」


 そう宣言すると、エディは一直線に何やら食料品をたくさん抱えた男へと近づいていった。


「すみません。少しお聞きしたいことがあるんですが、よろしいですか?」

「はい? じゃあ手短に頼みますよ?」

「あ、持ちましょうか?」

「いいんですか? 感謝します」


 一瞬疎ましげな表情をしたものの、エディが荷物運びを買って出るとすぐに機嫌を直してくれた。額に浮かぶ汗を拭きながら、まだまだ髭が伸び切らない青年は頭を下げる。


「すみませんね。目的地がまだまだ遠いもので……」

「どこへ行くんですか?」


 青年の述懐に相槌を打っただけで、エディには何の気もなかった。しかし、次の言葉はエディ達をひどく驚かせることになる。そうと知らない青年は、すっかり軽くなった荷物を持ち直しつつ、空に昇る真昼の太陽とは反対の方角を指差した。


「イドリース師匠の工房までですよ」

「何ですって!」


 エディがいきなり素っ頓狂な声を上げたものだから、青年は思わず持っていた荷物を落としそうになってしまった。耳がきんとして、心臓も飛び跳ねているのを感じながら青年は顔をしかめた。


「ちょっと、いきなり大声上げないでくださいよ。で、イドリース師匠が一体どうしたのです?」

「その人に手紙を預かっているんです。スライマーンという方からです」


 青年は空を見上げ、軽く唸った。


「うーん……わかりました。あまり人を通さないで欲しいとお願いされているのですが……まあ、たまにはあの人にも休息が必要ですし。ご案内しましょう」

「ありがとうございます!」


 大股に歩き出した青年の後を、エディ達は小走りになりながら後を追っていった。



 イドリースが暮らしていたのは市街地から遠く離れた丘のふもとだった。白い煙を煙突からもくもくと上げた、青年曰く作業場の建物は、扉の前に立っただけでも汗が吹き出てきた。そこで青年は荷物をエディ達に任せると、手が痛くなりそうなほど強く扉を叩き始めた。


「師匠、師匠! お客様がいらっしゃいました! 一瞬だけでもお顔をお出し下さい!」


 ひっきりなしに響いてくる金属音が止んだ。三人がしばらく押し黙っていると、急に扉が開き、白髪混じりで、筋骨たくましい男がぬっと姿を現した。現したなり、男――イドリースはいきなり大声を上げる。


「お客様? ハマド、通すなと言ったろうが! せっかく人から遠ざかって新しい作品を創りだそうとしていたところに!」

「す、すみません。ですが、たまには休みましょうよ。ほとんど隣にも戻られていないではありませんか。お体を壊しては、傑作を創ることなど出来ないと思いますが!」


 ハマドがあまりにもきっぱりと言い切るので、威勢の良かったイドリースもやり込められてしまったようだ。大きな肩をほんの少し縮め、髭もじゃの口を子供のように尖らせた。


「あいわかった。お前には敵わないな。全く」


 ため息混じりに、戸口で立ち尽くしているエディを見つけたイドリースがハマドに尋ねる。


「この方か、お客は?」


 ハマドが頷くと、イドリースはエディとヘレンの方に向き直る。彼が先ほど見せた堅物そうな印象とは裏腹に、イドリースは至極丁寧に頭を下げてみせた。


「すみませんな。見苦しいところを見せてしまいました。して、一体私に何用ですかな?」


 言い方は無骨であるが、彼もムスリムらしく、他人に対して丁寧に接するようだ。最初の態度を見る限り、てっきり不機嫌な態度で出てこられると思っていただけに、エディは拍子抜けしてしまった。そんなせいで、手に持っていた手紙を思わず取り落としそうになる。


「おっと。……はい。カンダハールのスライマーンという方から、一通の手紙をお預かりしてきたんです。どうぞ」

「スライマーン? スライマーン、スライマーン……」


 すっかり人となりを忘れきっているようで、ぶつぶつと名前を唱えながら手紙を取り出し、じっくりと読み始める。そのうちに、みるみるとその表情が変わり始めた。無頓着そのものだったその目が、驚きに見開かれていく。読み終える頃には、すっかりはしゃぎだしていた。


「スライマーンって、あのスライマーンか! 物好きな奴だったなあ……そうか。そんな商売を始めたのか。儲かるのか?」


 イドリースは豪快に笑いながらも首を捻った。エディは愛想よく相槌を打つ。


「ええ。一応人気の店にはなっているようですよ」

「ほう。まあ、好きな奴は好きそうだしな……まあいい。無事に暮らしてることがわかったから、それでよしとしよう。ええと、あなたの名は何と?」

「エドワードと申します」

「なるほど。エドワードさん、相当離れたカンダハールから来たということは、旅でもしていらっしゃるのか」


 一も二もなくエディが頷くと、イドリースは再び堅苦しいお辞儀をしてみせた。


「ならばお頼み申し上げたいのだが、行商をしている俺の友人が、今から二ヶ月ほど後に、彼が住んでいるラホールの街に返ってくる予定のはずなのです。それから一ヶ月は留まっているはずですから、それまでにラホールに辿りついて、その人に俺の手紙を渡して欲しいのですが」

「ラホールの街はどこにあるのです?」

「ここから南東、峠を越えた向こうにあります」


 エディは頭の中で地図を描いた。南東の峠を越えるということは、間違いなくデオドゥンガへと近づいていく道に違いない。断る理由はなかった。ヘレンと顔を見合わせた後、地図を頭の片隅に押しやりエディはすぐさま頷いた。


「ええ。了解しました」

「感謝します。お礼の印といってはなんですが、少し待っていて下さい」


 それだけ言うと、イドリースは工房の中に引込み、一分ほどして何かを片手に戻ってきた。彼が突き出すそれを、エディは少々驚いたような眼差しで見つめる。木製の柄を持ち、恐る恐る鞘から引っ張る。柄と鞘があるのだから、中にあるのは刀身に他ならない。イドリースがくれたのは、白銀に輝く短剣だった。


「た、短剣ですか?」

「ええ。旅先で何かあっては困るでしょうし。それに、万一の事が無かったとしても、魚や肉を裁く時の切れ味を保障します。持って損だとは思わせません」


 エディは刀身を見つめる。らんらんと輝くそれには、イドリース自身の鋼の魂が込められているような気がした。エディは丁寧に刀身を鞘に納め、静かに頭を下げた。


「はい。しかと受け取りました」


使いようによっては凶器にもなってしまうものは、受け取るのにも覚悟が必要だった。





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