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我が神を求め  作者: 影絵企鵝
十三章 希望の蹄跡
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転段 カンダハールの珍品売り

Eventful Item 

 イルヤースの手紙 紙 下敷き板

 カンダハール。アジアの西と東を結びつける要衝(ようしょう)の一つで、行商人も集い、物流が盛んである。当然そんな街だから、珍しい品物もたくさん集まってくるし、商いを営んでいる者が多い。この地方は元々商業が盛んだが、この街は特にその傾向が強い。エディ達も固く締めてきた財布のひもを緩めないようにするのに苦労するほどだった。


「遠くで見ててもきれいだなあ……」


 ヘレンは巾着の中を指でかき混ぜながら呟く。彼女の視界の真ん中で、青い宝石、瑠璃をあしらった様々な装飾品を広げた露天商が地べたに座り込んでいた。彼女の好みにかなう、飾りすぎない清楚な髪飾りもあった。しかし、最近は魚が釣れるような水場がない。食糧の入用が多く、お金を無駄遣いしてしまうわけにはいかなかった。そんな少女の悩みをよそに、エディは黙々と露天商の前につつましい服装をした男女が集まっている様子を描き出していた。


 エディが絵を書いている時の生き生きとした表情を見る。それはヘレンの楽しみの一つではあったが、ジレンマに苦しんでいる自分をよそに明るい表情をされると、誰だって文句の一つや二つは言いたくなる。


「そんなに楽しい?」


 ヘレンが目を糸のように細めているのを見て、エディは気まずく肩を竦めてしまった。楽しい、というよりは自分の人生に必要不可欠なものだと思っていた。とっくにヘレンにも理解されていると思っており、少し戸惑ってしまう。


「た、楽しいって聞かれても……」


 エディが答えに窮している間にも、ヘレンは露天商が広げる髪飾りに釘付けだった。ため息をつくと、額を何度か叩きながらエディは軽く唸った。そしてため息をつくとロードのそばに寄り、旅嚢から折り畳んだ一枚の絵を取り出した。二ヶ月ほど前に描いた、ヘラートのモスクであった。その絵を両手に持ちながら、素早く周囲に目を走らせた。商業の街だけあってか、金回りが良さそうな、清潔な外見をした人が多い。エディはその中でもやや恰幅の良い男性に狙いを定めると、目の前を通り過ぎようとした瞬間に呼び止めた。


「すみません」

「はい? どうしました?」


 エディは人当たりの良い笑みを浮かべると、モスクのデッサンを男性に向かって突き出した。エディの絵の秀逸さは誰もが一目で知るところのようで、男性も髭に包まれた口元をほんの少し動かし、感心したような声を上げた。


「この絵、いくらかで買って頂けませんか?」

「買う? 売り物なんですか?」

「ええ、まあ」


 ヘレンはエディの笑顔を横目で見つめる。エディがいきなり絵を売り出した理由にはとっくに気がついており、彼には気を使わせてしまったかと、膝を抱えながら苦笑した。だが、男性の行動はエディどころか、隣のヘレンまでも驚かせた。


「白黒なのが少し残念ですが、まるでその場で見ているようだ。これくらいの価値はありそうです」


 そう言って男性が取り出したのは、なんと銀貨二枚だった。銅貨が二、三枚出てくればいいところだろうと思っていた所に、予想もつかない高額。エディ達は思わず顔をほころばせてしまった。


「こんなに出してくれるんですか?」

「ええ。このように写実的な絵は見たことがないですから、非常に珍重な品として周囲に自慢できます」


 自分の絵を自慢できると言われ、嬉しくならないわけがない。初めて稼いだ銀貨二枚を握りしめ、感じた喜びは噛みしめながら頭を下げる。


「ありがとうございました!」


 丁寧に絵を懐に収めて再び悠然と歩き去っていく男の背中を、エディは喜びに頬を緩ませながら見送った。やがて見えなくなると、エディはヘレンに銀貨を一枚投げ渡す。銀貨を見つめてきょとんとしているヘレンに向かって、エディは申し訳なさそうな目をしながら微笑んだ。


「ごめんね。まあ、ある程度はお金稼ぎのめども立ちそうだし、これで買えるんなら、さっきから欲しがってるあの髪飾りを買ってきなよ」


 ヘレンははっとした。はっとしながら、露天商の方に目を向け、お目当ての髪飾りを見つめる。瑠璃が塗り込められた部分は、陽を浴びている深い海のようだった。銀貨を握りしめ、おずおずとヘレンはエディの屈託ない笑顔を見つめた。


「いいの?」

「うん。ああいう色、ヘレンは好きなんでしょ? 僕も似合うと思うな」


 ヘレンは真っ赤になった。何か言いたそうに口をもごもごして、そのまま露天商の方に駆け出していく。エディはそんな彼女の様子に、ちょっとした可愛らしさを覚えていた。



 無事に髪飾りを手にした二人は、厩舎にロードを預けて再び街中へと向かって繰り出した。今度の目的はスライマーン氏である。


「今回もやっぱり、人に聞くのが早いかな」


 広い草原を割る道の中、道行く人々に焦点を合わせながら、エディは独り言のように呟いた。厩舎のあった農村地帯と市街地を結んでいるこの通りは、荷物を運んでいる牛馬が農村の方から流れてくる。今も二人は作物を積んだ牛車をかわしたばかりだ。後ろでのんびりと歩いている牛の顔を一瞥してから、ヘレンは強く頷いた。


「うん。住所を知ってるわけじゃないし、その方が絶対早いと思うな」

「よし。じゃあ……」


 ヘレンの言葉で考えを固めると、エディはぴたりと立ち止まり、人々の姿をひと通り眺めた。といっても、今見えるのは牛車に乗った一人と、先を行く一人しかいない。鼻歌交えてお気楽そうにしている牛車乗りの方が尋ねやすそうだと勝手に決めつけ、エディはヘレンを伴って牛車の方に近づいた。


「あの、すみません」

「はい? どうしました?」


 牛車乗りは髭を生やしておらず、まだ少年のあどけなさを残している。久しぶりに同世代と話せるのが少々嬉しく、エディは言葉に若干の親しみを込めた。


「お仕事、お疲れ様です」

「あ、ああ。ありがとうございます。で、どうしたんですか?」


 いきなり見知らぬ人物に労われ、すっかり戸惑ってしまった様子の牛車乗りだったが、すぐに気を取り直し、再びエディ達の要件を聞こうと耳を二人に近づける。


「いやあ、あの、ここに住んでいるはずなんですが、スライマーンさんという方を知りませんか?」

「ああ、あの珍しい物をたくさん売っているスライマーンさんかな? それならよく知っていますよ。今から街に向かうので、ご案内しますよ」


 思いの外の嬉しい申し出に、エディ達は再び顔をほころばせた。


「お願いします!」



 そんなこんなで案内されたのは、大小様々な棚の上に、いかにも珍しい、という雰囲気を携えた品々を並べた店だった。店の真ん中に立ち、エディとヘレンは声を揃えてスライマーンさんと呼びかける。と、階段を降りる音で店を満たしながら、細面の男が大きな荷物を抱えて現れた。


「いらっしゃいませ。一体何がご入用でしょうか。普通の店にあるものはございません。しかし、普通の店に置いてないものは数々取り揃えております……」


 決まり文句を思わせる、抑揚の強い口調でスライマーンと思しき痩身の人物は二人に話しかけてきた。しかし、二人は特に何が入用ということはない。スライマーンの言葉は軽く聞き流し、エディは懐から手紙を取り出し差し出した。


「別に買おうというものもありませんが、渡したいものならありますよ」


 実のところ、来れば誰もが何かを買っていくので、エディ達のような人物は珍しく、寂しかった。一瞬残念そうな顔をしたスライマーンは、エディが差し出したものをのろのろと受け取った。


「む? 手紙?」


 一瞬眉を持ち上げたかと思えば、スライマーンはいきなり表情に喜びを溢れさせた。


「あ、あ、あ! イルヤースさんからではないですか! ……って、どうして持っているのです?」

「はい。私達は西から東へ旅をしているのですが、その時に出会って、託されたんです」

「そうだったんですか……懐かしいなあ。何年振りだろう……すみません、今すぐ読んでも構いませんか?」

「ええ。どうぞどうぞ」


 エディが手を差し出すと、スライマーンは喜び勇んで封を切り、その場に立ち尽くしたまんまでじっと手紙に目を通し始めた。彼が読み終わるのを待つ間、エディ達はぶらぶらと店の品物を見てまわる。窓に布を張り、店の中はわざと薄暗くしているらしい。奇妙な品が余計不可思議なものに見えた。奇妙な形をした置物(エジプトの品だとエディは思った)もあれば、緑色の空き瓶(ヘレンは何だか懐かしくなった)も置いていた。最初のうちは何の欲もなく、ただある種感慨にふけりながら品物を見つめていたが、一つないし一揃えだけ、エディの目を惹きつける物があった。


「うわぁ! 画材だ!」


 スライマーンの気が散らないように声を殺しつつも、エディは興奮に身を震わせた。絵の具も赤、青、黄、緑、白に黒と最低限のものは揃っている。ついでに、絵筆も指の幅程度のものと、さらにそれより細いものと二つ並べて置かれていた。それを見た途端、エディに堪え難い感情が沸き上がってきた。ヘレンの方を振り向き、エディは必死に祈るような仕草をした。


「ヘレンお願い! 俺、これ買ってもいいかな? 頼む。喉から手が出そうなんだ」


 もちろんヘレンにダメと言う理由は無かった。ただ、基本的に物欲に無関心なエディにしては珍しいので、ヘレンに悪戯心が芽生えた。口元に人差し指を当て、勿体つけて明後日の方角を向く。


「ううん。どうしようかなあ。お金も無駄遣いできないし……」

「わかってるって……頼むよ。これを買って、もっと絵の勉強をしたいんだ」

「ふうん?」


 ヘレンは横目でエディの必死な目を窺う。エディはヘレンの素っ気ない態度に焦り、頭をかきむしった。それからいきなり胸に手を叩きつけると、無意識のうちに大声で叫んでいた。


「僕の夢なんだよ! トニオさんみたいな絵を描くのが!」


 ヘレンは慌ててスライマーンさんの方を向く。彼はぽかんと口を開けてこちらを見つめていた。手紙を折りたたんだ手が固まっている。少し泳がせ過ぎたと反省しながら、ヘレンはいっぱいに微笑んでエディの両手を自分の両手で包み込んだ。


「うんうん。分かってるよ。珍しいなあと思ってちょっとからかっちゃったの。ごめんね。もちろん買っていいから」


 エディは天にも昇る心地になった。顔を太陽のように輝かせたかと思うと、構わずヘレンを抱き寄せ、そのまま無邪気に飛び跳ねる。


「ありがとう! 大好きだよ!」


 ヘレンは耳まで真っ赤になった。頭の中もぐちゃぐちゃに取っ散らかり、返す言葉も見つからなくなる。抱き込まれて不自由になった腕を必死に動かし、ヘレンはもがいた。


「エディ……好きでも何でも嬉しいけど、他人の前では勘弁して」

「あ。ごめん」


 頬元を緩ませたまま、気のこもっていない謝罪をすると、エディは画材を掻き集め、急いでスライマーンのところまで持っていく。


「すいません! これ、みんな買います!」

「……買う? いえいえ。構いませんよ」


 スライマーンが首を傾げ、手をひらひらさせた理由がわからず、エディ達も同じく首を傾げた。


「何が構わないんです?」

「持って行きなさい。手紙を運んでくれた礼ですよ。……もし、私の出したいところへ手紙を運んでくれるというのなら、それを入れるために、革のかばんもつけましょう」

「どこに行くんですか?」


 背中でヘレンが勝手に世界地図を抜き取っていくのを感じながら、エディは身を乗り出して尋ねた。スライマーンはエディ達から背を向け、一枚の手紙を取り出した。宛名にはイドリースと記されている。


「実は、ここより北東へ三百マイルほど向かったところに、カブールという街があります。昔私が珍しい品物を求めて旅していた頃に知り合った人がおりまして、私自身、何度も旅して届けようかと思ったのですが、いつの間にやら私の店も休むとがっかりされるような店になってしまいましてねえ。この手紙も一年は前に書いたものなんですが、いつまでも届けられないままになってしまっているのです。ですから、もしお願いできれば……」


 エディはヘレンの方を見る。ヘレンはインドの北辺りを指さしていた。目的地であるデオドゥンガまで行くのに避けては通れない道の上にあった。これならば丁度いい。エディは腰を低くしているスライマーンに向かって、力強く頷いた。


「大丈夫です。そこなら旅先で通りかかるはずですから、お届けいたしますね」

「本当ですか! なら早速かばんを取ってこなければ……少し待っていてくださいね!」


 慌ただしく店の奥に引っ込んでいったスライマーンの背中を、エディは希望に溢れた目で追っていた。



 彩りがある料理は美味しそうに見える。絵も同じだ。




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