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我が神を求め  作者: 影絵企鵝
十三章 希望の蹄跡
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承段 ヘラートの指物師

Eventful Item 

 ユースフの手紙 紙

 マシュハドから南東へと向かうと、ヘラートの街がある。肥沃なオアシスに位置し、今まで見てきた街の中でも特に発展著しい街であった。エディ達は一ヶ月ほどかけてその地に到着し、ユースフに託されたイルヤースへの手紙を携え街の中へと足を踏み入れたのだった。


「いつまで見ててもすごいなあ……」


 道端に出来た段差に、二人は並んで座り込んでいた。ロードはその隣で道行く人々をじっと眺めている。そんな彼らの目の前にあったのは、城のように巨大なモスク――彼らが礼拝を捧げるための建物だった。青地の壁には刺繍のように、複雑で美麗、そして緻密な模様で彩られていた。そんな模様を見ると、絵描き見習いのエディとしては情熱をたぎらせないわけにいかなかったのだ。しかし、あいにく『武器』が悪い。


「……上手く描けない……」


 当然だ。紙は割と質が良いものの、下敷きはぼこぼこな地面であり、手にあるのは鉛筆だけだ。いくら剣才があっても、なまくらではまともに戦えないのと同じである。彼の目の前に広がっていたのは、輪郭も何もかもぼやけ、蜃気楼のような光景と化してしまったモスクだ。美しい模様もない。そんな絵を覗き込み、ヘレンもくすくす笑い始めた。


「確かに、これはちょっとひどいかもね。幽霊屋敷みたい」

「ひどい事言うなあ。しょうがないじゃないか、力入れて書いたら子供の落書きみたいになっちゃうんだ」


 そう言いながらエディは鉛筆を描く手に力を込める。下敷きにしている石畳に沿って鉛筆が走るならまだ良かったものの、びりびりと破けてしまった。エディは絵の残骸に向かって舌を突き出す。


「あーあ」


 至極残念そうなエディの表情を見て、ヘレンは苦笑しながら立ち上がった。人々は道端に座り込むエディ達を神妙な目で見つめていたが、全くやつれていないヘレンと目が合うと、彼らはエディ達が乞食でも何でもないと納得して通り過ぎていった。そんな人々を見送りながら、ヘレンは街を見渡し呟く。


「下敷きが必要みたいね。これくらい大きな街なんだし、方々尋ねて回れば板の一枚や二枚くらい手に入るんじゃないかな」


 肩を落とし、肺の空気を全て搾り出すような溜め息を付き、エディは一息に立ち上がった。


「そうだ! ヘレン。僕達はこのヘラートで手紙を渡さなくてはならない人がいるじゃないか。だから、さっさと行こう!」


 紙をくしゃくしゃにして投げ捨て、鉛筆を握りしめながら何度も頷いているエディの強気な目を窺い、ヘレンは再びくすくす笑いをした。


「もう。開き直っちゃって……」


 一人呟いたヘレンを置いて道に飛び出したエディは、ゆったりと歩く小太りの男につかつか近づいていった。


「すみません。この街にイルヤースという方がいらっしゃるとお聞きしたのですが、知りませんか?」


 不意打ちで話しかけられて相当戸惑った様子の男性だったが、幸いエディが人懐っこい外見だったために警戒はしなかった。彼は笑顔で頷く。


「知っているも何も、今から私はイルヤースさんに会いに行くところなのですが」


 エディの意気込みに街は味方したらしい。ぱっと表情を輝かせ、エディは道の脇で腕組みしているヘレンに目配せした。手を振って答えると、ヘレンはロードを引っ張りやってきた。その様子を視界の脇に捉えつつ、エディは男性に向かって尋ねた。


「一緒についていってもよろしいですか?」

「ええ。構いませんとも」



 男性に伴われ、やってきたのは『家具、お作りします』とだけ書かれた看板がかかった、周囲よりも一回り大きな二階建ての家で、立ち並ぶ白い家々の中でも目立っている。男性は一歩先にドアへと近寄ると、軽く叩きながら声を張り上げた。


「すみません! シャーという者ですけども、お頼みしていた家具の修理は終わりましたか!」


 程なくしてドアが開かれ、イルヤースと思しき人物が姿を現した。頭にターバンを巻き、手には金槌をぶら下げている。顔が汗ばんでいる辺り、仕事中であった雰囲気が漂っている。シャーの顔を見つめると、イルヤースは静かに頭を下げた。


「シャーさんですか? すみません。実はまだでして……」

「そうでしたか。いえ、構わないですよ。それよりも、あなたに会いたがっている御一行がおりまして……」

「はい?」


 シャーは背後に立っていたエディに場所を譲る。イルヤースは首を傾げた。話でしか聞いたことのない白人に、知り合いなどいるはずもなかった。話が伝わるかどうかも訝しがりながら、イルヤースは一言一言を丁寧に発音しながら尋ねた。


「あなたは、一体、どなたですか?」


 エディは懐から手紙を取り出しながら、簡単な自己紹介をする。


「僕はエディと言って、ヨーロッパから東へ東へと旅を続けている人間です。一ヶ月ほど前、マシュハドへ通りかかった際にユースフという方に出会いまして、この手紙を託されたんです」


 首を傾げながらエディの言葉に耳を傾けていたイルヤースだったが、ユースフという名前が出てきた途端に表情を晴れさせた。いきなりエディの右手を取り、太陽の光に目を輝かせながら尋ねてくる。


「ユースフさんに出会ったんですか? 元気でしたか、あの人は!」

「え、ええ。これを御覧ください」


 隣にやってきたヘレンと一瞬目配せすると、エディは左手で手紙を差し出した。封を開けるのももどかしいのか、一気に破り開けると、イルヤースは手紙を取り出し、目を通し始めた。あまりの素早さに、目の前の三人には瞳が揺れているようにさえ見える。


「何々……そちらでの生活はどうですか。苦労はありませんか。ええ。大丈夫です。毎日の食事にはありつけていますよ……」


 ユースフが手紙に記したと思しき質問に逐一答えながら、イルヤースは二枚の手紙に目を通していく。その目はユースフに対する感謝の光で満ちていた。イルヤースが手紙を読んでいる間に、用事が済んだからか、シャーは軽く頭を下げて去っていった。


「これからもあなたの無事を祈っております……ありがとうございます。ユースフさん」


 ユースフのお礼を口にしながら、イルヤースは手紙を懐にしまいこんだ。そして、イルヤースの様子をずっと窺っていたエディ達にゆっくり頭を下げる。


「エディさんも、ありがとうございました。ユースフさんが元気でやっていることがわかってよかったです。さて、何かお礼をさせてください。旅をしていらっしゃるのですよね? 何か必要なものはありませんか? ……家具屋ですから、あまり用意できるものは多くありませんが」


 そう言って、イルヤースは笑いかけた。彼の申し出を聞いたヘレンは小さく微笑むと、エディの脇をせっつく。


「ねえ。家具屋だったらあるんじゃない?」

「あ、そうか。そうだね」


 エディは手を打つと、イルヤースに向かって腕を動かし、半ヤード四方の正方形を描いてみせる。


「イルヤースさん。この位の薄い板を頂けますか?」

「ふむ……分かりました。今は手元にありませんが、明日中には用意しましょう。せっかくですから、今日は私の家に泊まってください。今は買い出しに出かけていておりませんが、妻や子共々歓迎しますよ」


 イルヤースの嬉しそうな笑顔につられ、エディ達も表情を輝かせた。


「ありがとうございます!」



 翌朝、玄関先に立ったイルヤースは厚さ一インチほどの板をエディに手渡した。


「これくらいでどうでしょうか。これ以上は薄く出来ませんので、これでは足りないと言われても困ってしまいますが」


 イルヤースは苦笑交えて頭を掻く。エディは板を胸に抱き、満足そうな表情で頷いた。板の面は綺麗に整えられており、これからはもう書きにくさに辟易することもなさそうだ。この街を立ち去る前に、もう一度絢爛(けんらん)なモスクに挑戦してやろうと心に決めながら頭を下げる。


「ええ。これくらい厚さがあったほうが丁度いいです。本当にありがとうございました」

「それならよかったです。……で、私からもお願いしたい手紙があるのですが、構いませんか?」


 エディとヘレンは笑顔で目配せし、すぐに頷く。一晩の宿ももらえたのだから、願いを聞くのは当たり前のことだ。


「ええ。南東方向なら何とかなると思います」

「それならよかった。まさにその方は南東方向、カンダハールに暮らしていらっしゃいますから。名前はスライマーンという方で、巡礼の時にお世話になった方なんです」


 イルヤースの言葉を、指を折りつつ聞いてエディ達は頭に叩き込んだ。同時に、巡礼とは人と人をこうも強く結びつけるものなのかと感心した。イルヤースがおずおずと差し出した手紙を、エディは両手で受け取り、落とさないよう懐へと丁寧に収めた。


「カンダハールの、スライマーンさん、ですか。わかりました。では、必ず届けますね」

「はい。お願いします」


 旅嚢を背負い直し、エディ達はイルヤースに見送られながら旅立った。



 絵を描くにおいて、土台がしっかりせねば話にならない。




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