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我が神を求め  作者: 影絵企鵝
八章 ドゥブロヴニクの灯台
31/77

急段 いつかまた

 二日間の祭りも佳境に差しかかった昼下がり、エディはシレーヌに半ば引きずられるような形になりながら街を巡っていた。その頃のヘレンはというと、行かないといった手前引っ込みがつかないため灯台でシオンの手伝いをしている。



「シレーヌ。俺ちょっと疲れちゃったよ。少し休んで行かないかい?」


 エディは無造作に放っておかれた木箱の上に座り込んで尋ねる。朝からずっと街中を歩き続けさせられたせいで、既に足は棒のよう、昼食を取ったのは二時間前でも、とっくに胃は空っぽだ。シレーヌが楽しそうなので文句も言わずに合わせて来たが、もうじき限界だった。大人しそうに見えて、シレーヌは案外活発に動くらしい。


「なんだぁ。まだ見せたい所がもう一つあるのに」


 シレーヌは残念そうな顔で腕組みをしながら、座り込んでいるエディを見下ろす。エディは首を振り、肩をすくめた。


「無理だよ。少しだけ休ませて。ね?」

「よくそんな体力で旅を続けて来たのね」


 エディは少しむっとした。口を尖らせ、シレーヌから目を逸らして明後日の方を向く。


「だって、こんな人込みをぐいぐい抜けて来たわけじゃないし。余計な動きがあるから疲れちゃうんじゃないか」

「まあ、それもそっか……あ、リナ!」


 シレーヌは余所を見たとたんに顔を輝かせて手を振る。エディがその視線の先を目で追うと、遠くに赤髪の少女が目に入った。シレーヌに呼び止められた彼女もまた、笑顔を顔いっぱいに広げて走って来る。


「シレーヌ! やっぱり来てたんだ! 探してたんだけど、この人混みのせいで見つけられなかったんだよねぇ」

「ごめんね。私も言っておけばよかったんだけど」

「いいって」


 気にしないでと、リナは笑顔で手を目の前で振ってみせる。その時、二人の会話においてけぼりを食らっていたエディに気が付く。ちょっと口笛を吹いて見せたかと思うと、リナはシレーヌを引っ張りそっぽを向いた。エディは鳩に豆鉄砲というような顔をしてしまった。


「なんだ……?」


 そんなエディはどこ吹く風、リナはシレーヌにまくし立てる。


「ちょっとちょっと! あんなやつどこにいたの?」

「どこって……私の家に泊めてる旅人なんだけど」

「え、本当に? 何よぉ、教えてくれればいいのに。結構格好良いじゃん」


 リナは何か言いたげに口をぱくぱくさせているエディの顔をじっと見る。口元だとか、目元だとか、部分部分に魅力があるわけではない。だが、とにかく彼の顔立ちは均整がとれていた。それだから、今の間抜けた表情もわりかしきれいに映る。リナは笑みを浮かべると、シレーヌを押しのけエディの目の前でスカートをつまんでお辞儀する。


「こんにちは、二枚目君」


 エディはもごもご動かしていた口をあんぐり開ける。同年代との付き合いといえば学校だが、そこでは本ばかり読んでいたために友人以外と話す事は無かった。おそらく、まともに話した女子はヘレンが初めてだろう。つまるところ、『二枚目』などと呼ばれたのはこれが初めてなのだ。


「俺が二枚目? そんなまさか」

「自信を持ちなさいよぉ。そうだ。今日はうちでご飯食べない? 頑張っておもてなしするから――」

「いや、いいよ」


 エディは弾かれたように立ち上がる。リナの瞳、口元にどうにもたとえようがない身の危険を感じてしまったからだ。シレーヌを手招きすると、上ずった声で適当な方向を指差す。


「シレーヌ、俺をどこかに連れていきたいんじゃなかったっけ?」


 エディの感情を読みとったシレーヌは小刻みに頷いた。その顔はいかにも苦笑いという笑顔が浮かんでおり、おまけにその目は笑っていない。


「うんうん、そろそろ夕暮れも近いしね。早い所海に行こう、そうしよう。そういう事だから、リナ。また今度ね」


 リナに軽く手を振ると、シレーヌはエディの手を強く引いてその場を後にした。置き去りにされたリナはしばらくその二人の行き先を見送っていたが、やがて口を尖らせると、小石を蹴って立ち去った。


「待ちでもダメ! 強引でもダメ! ……シレーヌくらい顔が良かったら苦労しないんだろうけどなぁ……」



 港への道をまっしぐらに進みながら、エディはシレーヌに震え気味の声で尋ねる。視線も時折背後に行ってしまう。


「ねえ、今のは君の友達?」

「ええ。まあ、最近彼に振られたらしくてあんな風になってるけど、普段は親切ないい人だから」


 エディは先程の姿を思い浮かべる。おしとやかに振る舞おうとしていたが、リナの声色は弾んでおり、鼻の穴も少々膨らんで、興奮の色を全く隠せていなかった。端的に言えば、リナはこのお祭りに新しい恋を求めていたのだろう。そんな時に、いうなれば七人並みくらいの顔立ちをしたエディに会ってしまったせいで、エディが旅人――すなわち長くは留まらない事を知ったせいで、彼女は何かにかられてしまったのだろう。エディは身を震わせた。


「何か憑いてる」


 言い過ぎだろうかという思いが頭を掠めないではなかったが、言ってしまったものは仕方が無いと気に留めることはしなかった。シレーヌも苦笑するしかない。


「そんなこと言わないであげて。まあ、撤回しなくてもいいけど」


 二人が苦笑いで見つめあった時、ドラの音が三度響き渡る。シレーヌはあっと小さな声を上げ、エディの手を引いて道の脇まで連れていく。


「どうしたんだい?」


 エディは不思議そうな表情でシレーヌに尋ねると、シレーヌはまっすぐ港の方角を指差した。その瞬間、ラッパと太鼓の心も弾んできそうな旋律が聞こえてくる。見ると、黒いコートに大きなつばつき帽子をかぶり、船長とはこれぞとでもいうかのように派手な格好をした壮年の男が道のど真ん中を闊歩している。後に従って、大型船の形をした模型を八人が担いで現れた。全員頭にバンダナを巻き、白いシャツに黒いズボンをはいている。船員の格好だ。くすくす笑いながら、シレーヌは先頭に立つ船長を指差した。


「あれね、この街の政務官さんなんだよ」

「へ?」


 エディは耳を疑った。政務官といえば、エディには黒ずくめの格好で書類とにらめっこしているイメージしかなかった。例外には一応バッキンガム公の存在もあったが。それでも、今目の前で派手な格好をし、堂々と祭りを先導するような姿は絶対に想像できない。


「すごいや」

「うん。ヘレンがこの街の人はお祭り好きって言ってたけど、政務官さんに限っていえばそれどころじゃないわ。命懸けてると思う」


 船隊達の行進に、人々が揃って歓声を送っている。船の後ろからは、(かい)を持った船員八人が拍子を付けて地面を軽く叩きながら行進していく。しばらくその光景を見つめていた二人だが、やがてシレーヌが手を引いた。


「そろそろ日が暮れちゃう。行こ」

「うん。そうだね」


 人込みの隙間を見つけて抜けながら、エディ達は海を目指した。港に出ると、シレーヌは新築された、まだ何も停泊していない埠頭を見つけて指差す。


「ああいう出っ張った所から見る夕日はとても綺麗なの」


 それを聞いたエディは、目を夕日に輝かせながらその埠頭へと駆けていく。太陽は、既にその身を半分海に沈めていた。


「すごいなぁ……」


 埠頭の一番先に立ち、エディは嘆息をもらした。目の前全体に広がる海が、夕日に照らされて橙色に輝いている。時折立つ波は金色に輝き、一足早く光り出した星々のようだ。シレーヌは鼻先をちょっと掻きながら空を見る。


「私ね、疲れた時とか寂しくなった時とか、こうしてここに見に来るんだ。こんなに綺麗な景色を見てたら、心が洗われる気がするから」


 シレーヌの言葉を聞いて納得したように深々と頷き、この夕焼けに釘付けとなっているエディをシレーヌは横目で見つめる。そして、そのまま視線を灯台のもとへと移した。


「ヘレンにも見せたかったなあ」


 そうしてエディは再び夕陽を目に焼き付けようとする。胸に湧いてくる寂しさは、太陽に別れを告げるために湧いてくるのだろう。そう思って、エディはただただ感動していた。



 その頃、ヘレンも灯台の二階の窓辺に立って、夕日の事をずっと見送っていた。夕日が海に消えて見えなくなっても、ヘレンは黙って海の方を見つめ続ける。日が暮れたという事は、灯台の火を付けに二人が帰ってくるという事だ。表情を曇らせ、ヘレンはため息をついた。同時に下の階でドアが開く。シレーヌとエディの声がくぐもって聞こえてくる。それでもヘレンは外と向かい合う事をやめようとしない。そうしているうちに、階段が軋む音が聞こえ始めた。


「あれ? ヘレン、体の調子はいいの?」


 背後からエディの声がした。きっとシレーヌも隣にいるのだろう。ヘレンは振り向かずに答えた。


「うん。朝より楽になったから」

「エディ、とりあえず火を付けに行こうよ」

「ああ、そうだね」


 二人は軽くやり取りすると、三階へ続く階段を上って行ってしまった。ヘレンはシレーヌの声色が初めて出会った時と大幅に変わった事に気がついていた。この二日で、二人はすっかり打ち解けてしまったのだろう。自分もシレーヌと仲良く出来ていたら、どれ程楽な気分でいられたのだろう。しかし、ヘレンは彼女の事を受け入れられない理由がわかり始めていた。


……私がエディに頼りっきりだからなんだよね。


 この旅に連れ出してくれたのもエディなら、両親を失った悲しみにようやく整理が付き始めたのもエディのおかげだと、ヘレンはエディに深い感謝の思いを寄せていた。同時に、ヘレンはエディを頼りに今まで旅をしてきたのだ。

 シオンと話をして、ヘレンはその事実を再確認した。そして、一昨日から自分を悩ませてきた、心に巣食ったもどかしい気持ちの正体も見えてきた。


……きっと、私はエディがとられちゃうかと思って怯えてたのね。ヘレン・テリーサ、それじゃダメよ。もっと自分一人でも生きていけるようにならないと。


 そう思うと、何やら気分も楽になった気がした。ゆっくりと暗い窓辺に背を向けたヘレンは、二人がいるはずの燈火室に向けて足を進める。何があろうと、ヘレンは動じない覚悟が出来ていた。



 燈火室に入ったエディは、抱えていた箱を静かに置く。そこに光を灯す準備をしているシレーヌの声が飛んできた。


「その箱を開けて。中に柄杓が入ってるでしょ? 取り出して」


 言われた通りにすると、とても奇妙な柄杓が三つ入っていた。大きく、そして柄がついていないのだ。エディは心配げな声で尋ねる。


「シレーヌ、これじゃただの鍋と一緒じゃないか」


 ちょうど丸太に火を付け終えたシレーヌが柄杓を取り上げる。そのままシレーヌは部屋の隅まで歩いて行き、無造作に立て掛けられていた、六十インチはある細い石の棒を手に取る。


「重たくないの?」

「大丈夫よ。軽石だから」


 それだけ言うと、シレーヌは柄杓に石の棒を取り付ける。エディはその仕組みに感心し、出来上がった柄杓をじっと眺めていたのだが、それを急に地面に置いたシレーヌは、外の景色を眺めて呟く。


「ねえ、エディ。あなたはどうして旅をしているの?」


 急に尋ねられ、エディは面食らった。思えば、会った途端に聞かれる事が多くて、もうすぐお別れという段になって尋ねられた事が無かったのだ。隣に立って頭を人差し指で軽く掻きながら、エディは答えた。


「俺達? 俺達はね、神様を探して旅をしているんだよ」

「神、さま?」

「ああ。ヘレンが不幸な目に遭って、神様の事が信じられなくなってさ。俺もあんまり信用してなかったから、こうなったら探してやろうじゃないか。なぁんて思ったんだよ。……おかしいかなあ?」


 いいえ。そう言いつつ、シレーヌはエディの瞳を見つめた。希望に溢れている、というわけでもないように見える。だが、その瞳の奥底には確固たる信念が見えた。何とかこの旅を成し遂げてみせる、その意志がひしと伝わってくる気がした。シレーヌは再び目を外界に向ける。


「すごいね。会えるかもわからないのに、そんなに強い意志で旅を続けようと思い続けられるなんて」


 エディも頷いた。食料が無くなったり、道に迷いかけたりと苦労も絶えないが、それ以上の楽しみがこの旅にはある。


「俺達は色んな人に泊めてもらうんだけど、楽しいんだ。みんな何かに向かって生きてる。そんな人達を見てると、僕達も勇気や元気が湧いてくるんだ」


 その時、背後でドアが開かれる音がした。振り向くと、ヘレンが首だけちょこんと出してこちらを見つめている。栗色の髪を撫で付け、ヘレンは静かに笑いかける。


「ごめん。お取り込み中だった?」

「いや。ヘレンもこっちにおいでよ」


 ヘレンは身を乗り出して部屋の中に入り、エディの空いている方の隣に立った。しばらく三人は静かに海に浮かぶ月を見つめていた。月光を照り返す海は、青く幻想的に輝いている。世界の不思議が詰まっているかのような色合いだ。それを見ていたシレーヌが、突然思いつめたように口を開く。


「ねえ。私も一緒に行きたいんだけど、いいかな」


 エディは声を出して驚いてしまった。ヘレンも目を丸くしてシレーヌの表情を窺っている。少し気が動転したまま、エディは月並みの言葉を口にした。


「ど、どうしてだい?」


 シレーヌは身を乗り出さんばかりにして水平線の向こうを見つめた。今も自分の知らない世界で、羅針盤片手に海と空相手に苦労して、しかし楽しそうにしているであろう母の横顔を思い浮かべる。エディも似ていた。旅の苦労は推して知るべしだが、それ以上にどこかエディは旅を楽しんでいるように見えたのだ。


「私のお母さんね、一週間とか一カ月とか、帰って来る時は決まってないの。でも、帰って来た時はいつも楽しそうな顔して、お父さんと私に旅先で見て来たことを教えてくれるんだ。それを聞いていたら、私もいつか自分の目でお母さんが見て来た物を見てみたい、お母さんも見てないものを見てみたい、なんて思い始めたの」

「だから、俺達と一緒に行きたい、って事なんだね」


 シレーヌは熱意を持った眼差しでエディの事を見つめている。ヘレンも、昨日シレーヌがそう言ったのなら全力で拒絶したかもしれない。だが、今は受け入れられる気がしたし、エディもきっと旅の仲間が増えたら喜ぶのだろうと思っていた。


「だめだよ」


 エディが呟くように放った言葉に、二人は耳を疑った。シレーヌは無意識に声が大きくなってしまう。ブローチに手を当てて、シレーヌは必死に訴えた。


「どうして? 私、別に足手まといになるつもりなんかない。絶対役に立つから!」


 エディは首を振った。エディにとっても、シレーヌの申し出は思いもかけない幸運だ。しかし、エディには受け入れられなかった。受け入れることは出来なかった。


「だめだよ。お父さんやお母さんが死ぬほど心配するじゃないか」

「それはエディ達だって――」

「俺達は孤児なんだ」


 シレーヌは言葉に詰まった。うつむいて崖下を静かに見つめながら、彼女はただただ無言で両手を持て余す。エディは髪をちょっと掻き上げ、親が子に昔話を聞かせるような口調で語りかけた。


「シレーヌ。焦る必要は無いと思う。俺達だって、片親でも今日まで生きていたら旅に出ようなんて思わなかったはずさ」


 そこまで言うと、エディはシレーヌに向き直った。


「大人になってからにしようよ。いつか、俺達三人でどこかを旅をするんだ。そうさ、みんなでまだ知らない世界を旅しよう。その時は、俺も喜んで一緒に行くよ」


 シレーヌはうつむいた。確かに父は心配性で、さらにその心配を打ち明けないで心の中にしまいこんでしまうような人だ。シレーヌは知っていた。母を笑顔で送り出した後、父は教会に一日こもり、飲まず食わずで無事を祈り続けている事を。自分まで旅に出てしまったら、父は毎日をどんな気持ちで送る事になってしまうのか。それを思うと、シレーヌは旅に出たい衝動が少しずつ引いて行くのを感じた。窓辺から手を離し、シレーヌは肩を落とす。


「そうね。エディの言う通りにしようかな。でも……」


 シレーヌはエディとヘレンを交互に見まわし、口元に笑みを浮かべながら付け加えた。


「私に見せ付けるんなら、置いてくから」


 戸惑ったような表情でエディはヘレンと向き合う。ヘレンは困ったように微笑んだ。少し顔を赤らめつつ、エディは指をこねくり回す。


「それは、その時にならないと誓えないよ」


 ぼんやりしてしまったエディを尻目に、ヘレンは首にかけていたトルコ石のネックレスを外す。初めてシレーヌと一対一で向き合ったヘレンは、勢い良くそのネックレスを差し出した。その勢いに面食らい、シレーヌは思わず一歩退く。


「ごめんね! これお詫びの印! 私、シレーヌの事が羨ましすぎてどうしようもなくて、一緒にいるのがつらかったの!」

「ど、どうして?」

「だって、私が持ってないもの、シレーヌはたくさん持ってるから。明るいし、きれいだし……」


 ヘレンの呟くような述懐を聞きながら、黙ってネックレスを受け取ったシレーヌ。代わりに、先日買ったばかりのブローチを外してしまった。


「ヘレンだって、私が持ってないものをきっと持ってるわ。上手く出しきれてないだけよ。そのネックレス、このブローチと交換しよう? いつかまた会えたら、お互いまた取りかえっこするの。私達の、これからの友情の証として、ね?」

「……うん!」


 ヘレンは頷き、シレーヌからブローチを受け取った。早速ヘレンが身につけると、シレーヌはにっこり笑った。思った通り、海の光を湛えたそのブローチは、理性的、理知的なヘレンにこそよく似合う。


「うん。やっぱり私なんかよりも似合ってる。これあげるよ」

「いいの?」


 シレーヌは笑顔で答えると、そのまま照れくさそうな表情をして目を逸らした。


「ヘレンは私なんかよりずっと落ち着きがあると思うな。実を言うと、私もヘレンの事が少し羨ましかったりするんだ。もう少し余裕のある人間になりたい、っていうか、なんていうかわからないんだけど」


 ヘレンは目を丸くする。少し驚きで、嬉しかった。突然、窓の外を見ていたエディが大声を上げた。


「船が見える!」


 シレーヌは真っ先に窓へ飛び付く。そして、ようやく灯台の光を回し忘れていた事に気がついた。下では大騒ぎだろうと思いながら、エディに頭を下げる。意味を理解したエディは装置を作動させた。重厚な音を立て、光が街や海を巡り始めた。その光が船の事を捉えた瞬間、シレーヌはパッと顔を輝かせた。


「お母さんの乗ってる船だ!」


 母が再び無事に帰って来れた事は、シレーヌにとって何よりも嬉しい事だ。本来の使命を思い出したシレーヌは、柄杓をゆっくり持ち上げる。そして、壁際に寄せられていた、三つの宝箱のような形の箱を指差す。


「それを開けて」


 ヘレンは急いで一番左の箱を開く。中には、何やら青色の粉のような物が入っていた。シレーヌはそれを少しすくうと、いきなり火の中にぶちまけた。するとどうだろう。いきなり、火の色が青緑色に変化したのだ。エディとヘレンが驚いて見とれているうちに、青緑の炎は再び橙色の炎に呑み込まれて見えなくなった。シレーヌはさらに指示する。


「それだけじゃなくて、残りも開けちゃってよ」


 真ん中を空けると見覚えのある粉が、もう一つは何が何だか全くわからない鉄くずのような物が入っていた。エディはシレーヌに促されるまま、真ん中の粉を少しすくって火に投げ込む。すると、今度は黄色に炎が化けた。潮風に乗って、ふもとにいる人々の歓声が聞こえた気がした。シレーヌも立て続けに鉄くずを投げ込むと、火は薄紫色に変色する。


「手伝って! お母さん達を楽しませてあげたいの」


 二人は頷き、シレーヌの母のために一生懸命色とりどりの火を灯し続けた。


 海を掻き分けて進むガレオン船のセイルが翻る。その甲板の上では、シレーヌの母、メールが羅針盤を片手に美しい炎の色を眺めていた。



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