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我が神を求め  作者: 影絵企鵝
六章 フォロ・ロマーノ
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結段 伝心の魔法

「元気ですね。あの子達」


 エディはクロードの隣に腰掛け、ヘレンとロラン達が遊んでいる様子をじっと眺めていた。ついぞ十分ほど前までは自分が二人と遊んでいたのだが、二人が元気に動きに翻弄されて疲れてしまった。そこでヘレンと交代し、自分はクロード司祭とその様子を眺めている事にしたのだ。


 ロラン達は本当に元気で、毎日へとへとになるまで遊んで、夜は幸せそうな表情でぐっすりと眠ってしまう。彼らに不幸の二文字など存在しない。しかし、そこでエディは思い直してしまう。本来、ここにいるという事実そのものがロラン達の不幸ではないのか。時を止めた森の深奥に仮初めの親と暮らしている事。その生い立ちそのものが不幸そのものではないだろうか。エディはその思いをクロードに打ち明けた。孤独を味わった彼の切実な声色を聞くと、クロードも思うところを話すべきだと感じてくる。


「エディ君。ロランとロールは、ルセアが拾ってきた幼子たちなのです」


 エディは洗濯物を干しているルセアの方に目を向けた。背後からロランに飛び付かれ、洗濯物を取り落してしまう。だが、ルセアは額を軽く叩いたきり怒る気配は無く、落とした洗濯物をかごに入れ、ロランの事を抱きかかえた。やきもちを妬いたのか、ローラも飛び跳ねてルセアの背中にどうにか飛びつこうとしている。やはり、何処にも不幸の影は見えなかった。クロードはそよ風を聞きながら続ける。


「ロランとローラ……何故かはいざ知らず、しかし確かに、彼らはようやく立って歩けるほどの齢ながらとある教会の前に置き去りにされていたのです。その日は小雨が降っていて、痩せ細って動けず、ただ泣きじゃくるばかりの二人はただただ死への階段を下る一方でした。たまたま薬草を売りに出かけていたルセアが通りかからなければ、きっと、そこの教会の司祭様が気づかれる前に亡くなってしまった事でしょう。……ルセアは彼らの救世主なのです。むしろ、その事実こそが彼らが幸福である証拠だと、私は考えておりますよ。御覧なさい。血の繋がりと親子は必ずしも同義ではない。血の繋がりなど無くても、親子にはなれるのですよ」


 クロードに促され、エディは黙って四人の様子を眺めていた。確かに、ルセアがロラン達に注いでいる視線は、昔エディの母が注いでくれた視線と同じ物だ。傍から見ているうちに、エディはふと羨ましくなってしまった。ヘレンの素直な笑顔を目で追いながら、エディは小さな声で呟く。


「僕やヘレンにも、同じようなことを言ってくれる人がいれば、こんな風に旅もしていなかったんでしょうね……」


 クロードはエディの遠い目つきを窺う。彼らが孤児であることは既に知らされていた。イングランドの生活に満足していたなら、子どもの二人が旅など始めるだろうか。エディが言ったように、それは否だ。数奇な運命感を覚えたクロードは、静かに目を閉じて、パズルのピースを一つ一つ嵌め込んでいくように語りかけた。


「そうかもしれません。ですが、あなたや、ヘレンは確かにここにいる。確かに、あなた達は大切な人々からの愛を失った。あなた達は、愛を求めて旅をしているのではありませんか?」

「どういう意味です?」


 そのまま受け取っていいのか、暗喩があるのか。意味を測りかね、エディは首を捻った。クロードはにこやかな顔をし、エディに笑いかけた。


「神は無償の愛を授けてくれるのです。それを求めて旅を続けているのではないのですか?」


 エディはうつむいた。確かに、今まで出会ってきた人はみんな温かかった。教会学校(スコラ)や、孤児院で受けてきた形式的な思いやりではない。誰もが自分達を気兼ねなく受け止めてくれ、人によっては突拍子も無い理由で旅をしていることを明かしてさえ、なおも自分達を包みこんでくれた。家族を失ってからというもの、今まで胸中どこか冷涼だったのが、段々と温もりで満たされてきたようだ。まるで、この春の森のように。ふと、クロードは述懐を始める。


「未来へ進むあなた達は美しい。あなた達の、不幸に負けず、未来を切り開こうとする力があなた達を美しくしている。……羨ましいものです」


 エディは無意識にヘレンを見る。以前より、格段に笑顔を見せる機会が増えた。自分は未来を切り開こうとは大してしていない。この旅を、人々の出会いを自らの糧にして、旅を安息無事に終えられればいいと思っているだけだ。本当にその力を持っているのはヘレンだろう。女の子でも、泣き虫でも、小柄で華奢でも、彼女は絶対に折れない。粗食や粗衣に文句を一度たりとつけず、自分を困らせまいと、不安な心を抑えてじっと耐え忍ぶ。今回の一件以来、エディは信頼と共に尊敬の念を抱き始めていた。

 またしかし、クロードが最後に呟いた独り言も聞き逃さなかった。エディはいつものように、人当たりの良い微笑みをクロードに返す。


「ええ。じゃあ、あなたも切り開いてみたらどうですか?」

「え……?」


クロードは思わず首を傾げてしまった。エディは強く頷き、目を真っ直ぐ据えて真剣な表情を作った。


「あなたも、古傷を眺めて、新しい傷を作ることを恐れているんでしょう? 僕、それじゃあロラン達のためにならないと思います」


 クロードは目を泳がせた。自分でも薄々気がついていた。もう老い先長くはない。ロランやローラと、いつまで一緒にいられるだろう。それに、ロランやローラが、いつまでもこの場に留まっていることが、本当に彼らの人生にとって幸せなことなのだろうか。今は楽しいかもしれない。だが、力強く羽ばたく翼が無くては、自分自身の幸せを掴めない。


「僕なんかが言うの、なんか変ですけど、やっぱり二人のためにも、この森を出て行くことは、世の中に戻ることは必要だと思うんです。もちろん、あなたのためにもですよ」


 エディは胸の前に握りこぶしを二つ持ってきて、励ますような仕草をした。驚き目を丸くしていたクロードは、やがてエディから目を逸らす。二人の間に沈黙が収まった。エディは、答えに詰まっているクロードを静かに見つめる。


やがて、クロードは小さく呟いた。


「ええ、あなたの言う通りですとも」



 満月の日が訪れた。明日の出発に向けて、二人は荷物をまとめ、黙々と準備する。財布はしっかりと温まっている。この森の果物を干して食糧も蓄えたし、地図で行く先も確かめた。当面行き詰まる事は無いだろう。ある一点が解決されれば。エディはまさにその心配をしていた。


「クロードさん、俺達にもトニオさんとおんなじ事をしてくれるのかなぁ」


 旅嚢の口を締めながら、ヘレンは宙を見つめる。ローマの街に入って、二人は不便を実感せざるを得なかった。英語はもちろん、何とか覚えた拙いフランス語も、ドイツ語も伝わらない。会話が出来ない不便はつらい。身ぶり手ぶりでは伝えられる事に限界がある。たった一つだが、最大の難事なのだ。


「頼んでみたらどうかな?」


 エディは首を振った。


「図々しいよ。そんな事頼むなんて――」

「何を頼まれるのですか?」


 突然ルセアの声が降って来て、エディは慌てて見上げる。掃除をしに来たようで、いつもの帽子ではなく、三角巾を頭に被ってはたきを持っていた。その隙間から、目を見張るような金髪が覗いている。その美しさに、ヘレンは一瞬うっとりとしてしまった。そして感情が落ち着くと、やはり考えることは一つだ。やはり図々しいかと思ったが、背に腹は代えられない。ヘレンは思い切って頼んでみる事にした。


「ルセアさん。私達はこの先どんな言葉が話されているかさえ分からないような所へ行きます。だから……もし良ければ……」


 尻すぼまりなヘレンの言葉が意味する所を、ルセアはちゃんと読み取った。柔和に微笑むと、恭しく頷きかけてみせる。


「大丈夫ですよ。私からクロード様に掛け合っておきますね……まあ、それは?」


 ルセアはおもむろにエディの荷物からトニオの絵を取り上げた。見つめながら、ルセアはほっと息をつく。エディもルセアの脇からその絵の様子を改めて見つめた。木漏れ日の白い輝きが、教会の風見鶏を眩しく照らしている。脇目も振らず、真っ直ぐ一心に東を見つめていた。ルセアはうっとりしたような声でエディに尋ねる。


「やっぱり、とても綺麗ですねぇ。エディ君、これを私達に譲って頂けませんか?」


 エディは一も二も無く頷いた。かさばる荷物はいずれ処分しなければならないのだ。これから飾ってもらえるなら、トニオもこの絵も満足に違いない。エディの返事に、ルセアは顔を明るく輝かせた。童心に帰った、つややかで若々しい表情をしていた。


「本当によろしいんですね?」

「ええ。ここに辿り着いた以上、失礼だけどその絵はもう僕達の役に立たないんです。飾って眺めてもらえる方が、その絵もきっと喜ぶと思いますから」

「ありがとうございます。ええと、お礼をしなくてはなりませんね」


 軽く頭を下げたかと思うと、ルセアは急に日ごろ嵌めている手袋を外した。そして、ゆっくりとその白魚のような指――ヘレンは思わず自分の指と見比べた――に嵌められた指輪を抜き取る。その指輪は、宝石がはめ込まれるような部分に彫刻がなされていた。王冠を戴いた小さなハートを、一対の手が包みこむ。そんな意匠だった。ルセアに差し出されるままに、ヘレンはその指輪を受け取った。木漏れ日を受け、ハートは眩しく輝く。


「それは、贈った人を守ってくれるというお守りです。これから見た事もない所へ行かれるあなた達の餞別になればと思いまして」


 今度は二人が顔を輝かせる番だった。一旦顔を見合わせ、それから深々と頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 ルセアは小さく首を振った。そして、左手を顔の前に掲げる。その薬指にはもう一つ、金色の指輪が小さな光を放っていた。


「いいんですよ。それはローマの街の薬師に頂いたものなんですが、私に贈るべき人はもういませんし、これから先も出逢うことは無いでしょう」


 何気なく呟き、何気なく去って行ったルセアの目が、ほんの少し曇ったのを二人は見逃さなかった。



 夜が訪れた。地球の天井に満月が明るく輝いた時、クロードは静かにエディとヘレンを礼拝堂に呼び寄せた。話に聞くのと実際に見るとでは全く違う。窓から差し込む月光に床が照らされ、床に刻まれた不思議な文様はうっすら白く光っている。ロウソクさえ灯されていないはずの空間に、物影ははっきりと映っていた。クロードは自ら祭壇へと歩み出ると、入り口で立ち尽くしているエディ達に向き直った。


「迷う事はありません。その魔法陣の中心へお入りなさい」


 ヘレンは思わず顔を上げて尋ねた。


「魔法? じゃあ、あなたは本当に……」


 クロードは頷いた。思い出されるのは、人々が何事かこそこそとやり取りしながら尻目で自分の事を窺う、白く冷たい眼差しだった。全ての事を良かれとして為して来た。そして、それは人々の間にも受け入れられてきた。そう信じ続けた日々は、その時途絶えたのだ。


「私が魔法使いと流言した司祭の言葉は、半分当たりで、半分外れていました。私は神を信じ、信じ続け、その果てに、ようやく神にこの信仰の心が認められたのだと思っています。悪魔に魂を売るなどという恐ろしくおぞましい事、臆病者の私にはとても出来ない」


 二人が静かに魔法陣の中心に踏み込む。クロードは杖を手に取ると、静かに空を切る。二人には何かの模様のように見えた。すると、いきなり魔法陣が白く輝きを帯び始めた。その光は、静かにエディ達の体を包んで行く。


「父なる神よ。子なるイエスよ。精霊よ。彼らに、全てと心を交わす術を与えよ!」


 風が強く吹き、木々はざわめく。急に目を覚ました鳥達が飛び交い、鳴き抜けて、森はにわかに沸き立った。エディ達を包む光は胸に集まり、一際強く、日輪の輝きを放つ。体の芯から、先へと温もりが流れていく。森が静まり、光が収まった時、エディ達の中に不思議と力が湧いて来た。クロードは静かに尋ねる。


「最後にもう一度確認します。あなた達は、神様を探して旅をしているのですね」

「はい」


 クロードは微笑んだ。優しくも、力強い笑みだった。


「出会いたい。そう強く願いながら旅を続けなさい。純粋な心のまま、ひたむきに旅を続けていれば、きっと願いはかないます。そう信じて旅を続けて下さい」


 その後、クロードはそっと付け足した。


「私も、もう少ししたらローマの街に移り住んでみようと思います。あなたの言う通り、ロール達は外の空気に触れる事が一番大切な事でしょう……私はロラン達の為……いえ。自分の為に勇気を出してみます。あなた達も挫折してしまう事の無いよう。強く心を持って下さい」


 エディは力強く頷いた。信じてみよう。神様の存在を信じよう。ヘレンの事を信じ抜こう。出会った全ての人を信じて、真心で向き合える人間になろう。クロードさんのように。



 この後、不思議な森は枯れた。冬の風に吹かれ、にわかに葉を褐色に替え、実を地に落とし、吹きすさぶ冷たい潮風にあてられ、森は枯れた。春を待ち望み、じっと耐え忍ぶあの寂しげな姿になった。その一月程前、一人の老人、そして一人のうら若き女性、一組の幼き双子の四人が一頭の美しい鹿を連れて森を去ったという。


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