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我が神を求め  作者: 影絵企鵝
六章 フォロ・ロマーノ
24/77

転段 惑う司祭

 エディ達が懸命に処置を施したこともあって、ルセアはどうにか無事に峠を越えた。彼女は安らかな寝息を立て、落ち着いた表情で眠りについている。どこか気が違ったようでさえあったヘレンも、ルセアの寝顔を見るとベッドの側にへたり込んでしまった。


「よかった。よかったぁ……」


 ヘレンは両手で顔を覆い、突然泣き出した。エディは静かに彼女の隣に跪くと、ヘレンの髪をくしけずる。


「ヘレン……」

「私、怖かった。また、病気で、誰かが死ぬの……」


 しゃくり上げながら、ヘレンは抱いていた不安を吐きだした。エディは何度も何度も頷いた。ヘレンはルセアを助けたい一心で、怒り、焦り、動いたのだろう。人に対する不安を忘れさせてしまう程に。おずおずとヘレンの肩の上に手を置くと、エディはゆっくりと引き寄せた。


「ヘレン。これからも泣いていいんだよ。俺は別に迷惑だなんて思わないから」


 ヘレンもエディに身を預けると、静かに涙をこぼし続けた。泣き虫な自分が恥ずかしく、そして包みこんでくれるエディの存在がとても大きく感じられた。エディはそんな彼女の肩を抱き続ける。泣きたい時は泣いていい。泣いて悲しみを洗い流して、また次に進めばいいんだ。そう心の中で呟きながら。


 と、ローラがヘレンの袖を引っ張った。顔を覆っていた手を開くと、目の前でローラとロランはにっこり笑いかける。


「お姉ちゃん。ありがとう」


 その笑顔は、一点の曇りもない快晴の空だった。陽を浴びて体が温まるように、ヘレンの心を柔らかな温もりが満たしていく。涙を拭うと、ヘレンも微笑んだ。


「どういたしまして」


 ローラがヘレンを遊びに誘っているのを見ながら、エディはおもむろに立ち上がった。その方を見て、クロードが静かに頭を下げる。


「本当にありがとうございました。ルセアは、この二人にとっては母親同然の存在なのですよ。本当に助かりました」


 エディは首を振る。人として当然の事をしたまでで、お礼をされる程の事ではない。それに、全てはヘレンの活躍で、エディは何もしていないのだ。


「いいえ。僕は何もしていません。全部ヘレンが頑張ったんです」


 クロードはヘレンを見遣る。いたずらっ子のロランにその栗色の髪の毛を引っ張られながら、ヘレンはロランの丸い頬をつねっている。そこへローラがヘレンの胸に飛び付く。笑い声を弾けさせながら、三人はじゃれ合っていた。無邪気な三人の顔は、クロードに幸せを与える。息をついて微笑むと、再びエディと視線を合わせた。


「そうでしたか。何にしても、お礼はしなければいけませんね……エディさん、でしたよね。満月の夜までお待ちいただけませんか。それまで、ここに泊まって行って下さい」


 昨日は新月。次の満月まではあと十日ほどあった。



 三日ほど経って、ルセアはようやく回復した。頬からも赤みが引き、色白の顔に戻っている。柔和な笑顔で、ルセアは椅子に腰掛けているエディ達に手を差し伸べる。


「ありがとうございます。どうぞごゆっくりしていってくださいね」


 そうは言われたが、エディはどうにも落ち着かなかった。読んでいた本を閉じ、すぐさまエディは立ち上がる。


「いえ。僕達も何かさせて下さい。何にもしないのも落ち着かないんですよ。ね? ヘレン」

「うん」図鑑に目を通しながらヘレンも頷いた。

「そうですか?」


 ほんの少し戸惑ったような顔をしたルセアだったが、やがて微笑みに立ち返った。


「でしたら、これから食事の準備をするので手伝って下さいね。……ロラン、ローラ?」


 手で乾いた音を鳴らしてルセアが呼ぶと、ロランとローラはその身長の半分程の大きさはあるかごを二人で持ち、おぼつかない足取りでやって来た。本当に、二人は可愛らしい笑顔を常に浮かべている。よく晴れた空に、その笑顔はよく似合う。


「なあに? もうじゅんびはできてるよ」


 誇らしげな顔で、ロランがかごから手を離して胸を張る。そのせいでローラはバランスを崩してかごを取り落してしまった。むっとした表情で、ローラは声を尖らせた。


「ロラン! はなさないでよ!」

「ごめんなさい」


 ロランがしゅんと顔色を曇らせ、声の調子を落としてしまったのを見て、エディは思わず笑ってしまった。意地張って手伝いたいと言って、結局は母さんの仕事を増やして怒られていたっけ。心なしに懐かしい思いがした。外を見ると、落っこちてしまった雛鳥が、親に掴まって巣に戻されているところが目に入ってきた。うっかりと失敗してしまうのはどんな子どもも同じのようだ。一人微笑むと、エディはロランの顔を覗き込む。


「胸を張る前に、ちゃんと気を付けないと」

「はぁい」


 むくれているロランだったが、返事は素直だった。



 五人はクロードに見送られながら教会を出た。かごはエディが背負っている。ルセアがいつものように背負おうとしたのだが、力仕事は自分がすると、エディがそれを制して背負ったのだ。


「いつもこんな風に?」


 温かい日差しに包まれた森の中を歩きながら、エディは前を歩いていくルセアに尋ねた。彼女の動きは手慣れたもので、時折茂みを掻き分けては、野イチゴを摘んでエディのかごに放るのだ。ロール達も遊び半分で母の動きを真似ている。ルセアは答えた。


「ええ。朝起きたら、着替えてすぐに探すのが日課です。街に買い出しに行く事もありますけどね」


 ヘレンも三人の役に立とうと辺りを探していたが、急に息をつくと、辺りをゆっくりと見渡した。小鳥のさえずりさえ止んだ静寂の中、辺り一面緑に包まれた景色。この森が、肌寒い秋に包まれているとは思えない。ともすれば、時が止まっているかのような錯覚さえ覚える。ヘレンはぽつりと呟いた。


「不思議ですね。ここはいつでも春みたい。森の外は頬が真っ赤になったのに……」


 ルセアは手を止め、ヘレン達に向き直った。相変わらず母親が我が子を見つめる微笑みだが、目は真剣味を帯びて引き締まり、一心に神に仕える修道女のものになっていた。


「ここは、神様に愛された土地なんですよ。きっと」


 エディ達は目を瞬かせた。茂みが揺れ、チェレンが視線の先に姿を現す。陽の光を一身に受け、美しい毛並みは黄金色に輝いている。その背に青い鳥が止まった。それを眺めるチェレンの表情は、鹿ながらに笑っているかのようだ。神に愛された動物達は、永遠の春の中で健やかに過ごしている。エディはその光景に目を奪われながら呟いた。


「やっぱり、神様はいるんでしょうか」


 ルセアは深々と頷いた。


「もちろんです。クロード様が生き証人だと、私は信じていますよ」


 ヘレンはその顔を思い浮かべた。常にその表情は慈愛に充ち溢れている。だが、敏感なヘレンはその瞳の奥に憂いが隠されている事を見抜いていた。悟りを開いたような立ち居振る舞いをしていても、どこかに置き忘れて来た物がある。そんな瞳をしていた。もしかすると、イングランドを離れ、こんな所に隠れて暮らしている事に関係しているのだろうか。こんな事を考え、ヘレンはうわ言のように尋ねた。


「クロードさん、寂しいならみんなの間で暮らせばいいのに。どうしてこんな所に隠れて……」


 それを聞くと、ルセアは表情を陰らせた。もちろん、クロードは普通の生活を望んでいないと言えば嘘になる。しかし、彼は外では暮らせなくなってしまうような不幸を味わってしまったのだ。一陣の風が葉を散らせる。薄雲が太陽を隠した。


「昨日、あなたはカーフェイさんに勧められて、加えてトニオさんから話を聞いてここへ来たとおっしゃいましたね」


 エディは頷いた。昨日、ベッドで身を起こしていたルセアの周囲にクロード、そしてエディ達が集まって話をした。その際、奇跡の話を聞かされた事も、包み隠さず話してしまったのだ。約束が守られず、ルセアは憤懣(ふんまん)やるかたない様子で唇を真一文字に噛みしめていたが、エディが再びカーフェイの手紙を突き出して誤解を解いたのだった。


「ええ。昨日お話ししたとおりです」


 エディの返事を聞くと、ルセアは空を見上げて続ける。


「その二人の信頼があれば大丈夫でしょう。……エディさん、ヘレンさん。『魔女狩り』を、ご存知ですか」


 エディが耳慣れない表情をした横で、ヘレンは真剣な表情で頷いた。



 書記官を務めていたヘレンの父は、時折魔女として告発された人々の話を聞いては心を痛めていた。彼が書記を務めた教会裁判では証拠不十分と軽くあしらわれたその『魔女』達だが、民衆の間で裁かれた人々は凄惨な拷問を受け、凄惨に殺されるのだという。

『どうして同じ“人”に対して、そんなひどい真似が出来るのだろう?』その時、父は確かに泣いていた。


 静かに目を閉じ、ヘレンは点を線で結びつける。クロードの起こしたという奇跡を思えば、想像は容易かった。


「クロードさんも、魔法使いとして告発されかけたんですね」


 ルセアは悲しげに頷いた。


「クロード様は、豊かな知恵と全てを包み込む慈愛の心を持った聖人様です。昔はイングランドで人々の尊敬を集めていました。かくいう私も、あの人に救われた人間の一人です。ですが、それを嫉んだ一人の司祭によって流言を広められたのです。人々は彼の人となりを知っていましたから、容易には信じませんでしたし、悪魔など呼んで迫害するような事はありませんでしたが……御心の優しいクロード様は自分に向けられる目が、がらりと変わってしまった事に気付かれてしまったのです。その流言を信じないのと同じように、クロード様への信頼も薄れてしまったのです」


 二人にはその気持ちがわかった。今までは仲良く付き合ってきた友人が、両親を亡くして孤児になった瞬間、その目の色が哀れみに変わる。その目は、何か他とは違うものを見る目つきで、二人は言いようのない疎外感を覚えてきたのだ。ルセアは同情の眼差しを受けながら、更に声を静めて続けた。


「追い討ちをかけたのは、カーフェイさんが執筆なされた『歪む十字架』が禁書に指定されてしまった事です。クロード様はその執筆に協力なされていました。旧教と新教の争いが無くなって欲しいと、クロード様は常に願っておりましたから。ですが、禁書に指定されてしまった事で、いよいよ人々は疑いの目をクロード様に向け始めたのです。時同じくして、カーフェイさんは生涯に渡って、国内での発行禁止処分を受けてしまいました。そんな大変な時でしたのに、カーフェイさんはルーシーと、御嬢様をつれて現れたのです」


 ルセアは目を伏せる。ひどく雨風の強い夜、ずぶ濡れになってカーフェイ一家は現れた。慌てて迎え入れたが、そのずぶ濡れの体のまま、カーフェイはクロードに向かって膝を折った。


「彼はクロード様に迷惑をかけたとおっしゃり、とんでもない大金を置いて行かれました。カーフェイさん達も苦労しているはずなのに、それで安息できる地まで旅して腰を落ち着けてほしいと願われ、再び一家で姿を消してしまわれました」


 エディとヘレンは顔を見合わせた。今でこそ、笑顔で暮らしている三人。笑顔を取り戻せるようになるまで、彼らはどれほど苦労したのだろう。彼らの過去に思いを馳せ、エディとヘレンはぼんやりと宙を見つめた。そのうちに、ルセアの声は低くなる。


「程なくして、私達もイングランドを発ちました。クロード様は皆さまを信じて残るつもりでしたが……ついに魔法使いだとして彼が弾劾されたのです。彼がいくつかの奇跡を起こしていたのは紛れもない事実です。神の所業と見るか、悪魔と結んだ薄汚い存在の所業と見るか。ただそれだけの違いです。裁判はその一週間後でしたが、その間は若者達から暴言を吐かれ、私達の住む教会に向かって石まで投げつけられました……そこは、私達に理解してくれる方達がお咎めになってくれましたが」


 ルセアは溜め息を洩らした。滑らかな肩の線も、一層深く落ちていく。


「人を疑うことの出来ないクロード様は、深い心の傷を負いました。そんな司祭様を見ていられなくなった私は秘密裏にあの街を離れるように進言して、ついにクロード様はそれを受け入れました。身分を隠して大陸行きの船に乗り、それからは船で地中海を渡る旅をしました。果てにこの森を見つけ、隠棲することにしたのです。それ以来、元々不思議な力を秘めたこの森は、クロード様の安息を求める心に応じて永久の春を保っているのです」


 こちらを振り向いたルセアの目はクロードと同じ、他人を愛しながら、自らは愛されぬ寂しさと苦しさがにじみ出ていた。かける言葉が見つからず、エディとヘレンは横目で見つめ合う。風がやみ、三人を沈黙で包み込む。沈黙は深く落ち込んでいく。エディ達三人の袖を、ロラン達が引っ張り沈黙の海から引き戻す。


「ねえ、姉ちゃん! お母さん! もっとさがそうよ! 今日は買い出し行かないんでしょ?」


 ロランが声を張り上げる。現実に戻って来たルセアは、二人の子供達を見つめると、ふと微笑んだ。


「そうね、最近たくさん食べるようになったもの。これだけじゃ足りないわね」


 ルセアが先へ歩きだすと、小さな子供達は飛び跳ねながら後をついていく。エディ達は、静かにその様子を眺めていた。


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