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我が神を求め  作者: 影絵企鵝
四章 神聖ローマの境で
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起段 気さくな作家

Eventful Item

 聖書 エディの父の日記 ヘレンの母の図鑑 古い世界地図

Money

 六十シリング


「ねえエディ。ここらへんで休憩しようよ」


 馬の上、エディの背中にしがみつきながらヘレンが尋ねる。エディは目の前を穏やかに流れる川を見つめた。昼の太陽の下で白く輝いており、清涼な空気をこちらまで運んでいた。エディは軽く頷くと、馬の手綱を引いた。初老の馬はいななき、その足を止める。エディは身をねじってヘレンを見た。


「さぁ。魚でも釣って昼ご飯にしようか」

「うん」


 自分の身長ほどもある高さから、エディは一足先に馬を降りる。そして、ヘレンの手を取ると柔らかく地面に降ろしてやった。そして、こちらを忠実に見つめる馬を優しく労った。


「ありがとう。いつも助かってるよ」


 三銃士に別れを告げたエディ達二人は、パリを出るとトロワ、ラングル、ベルフォールときてミュルーズを経由し、いよいよフライブルク、神聖ローマ帝国の街へと入ろうとしていた。この旅程に当たって、エディ達はとうとう大きな買い物をした。三十シリング、フランスで言う十エキュを払って初老、そして巨躯の馬を買ったのだ。雪色の毛を持つその馬は、確かにカノン砲を勇ましく牽引して駆け抜ける名馬では無くなってしまっていたが、一日三十マイルもの道のりをゆくには十分の体力を持っていた。さらに年を重ねて利口になっており、乗馬をかじったことしか無い二人をよく乗せてくれた。


 馬は鼻を満足そうに鳴らすと、首を降ろして早速野草を食み始めた。アトスから貰った旅嚢(りょのう)が首元からずり落ちてしまわないうちに取り上げ、エディもヘレンと共に川辺に腰を下ろす。エディは旅嚢から釣竿を取り出し、釣りの準備を始めた。特に手伝うこともなく、ヘレンは旅嚢から聖書を取り出した。栞を挟んであったところから、再びヘレンは読み始める。釣り糸を垂らしながらエディはヘレンの真剣な横顔を眺めた。


「毎日読んでるけど、そんなに聖書って読むのに時間がかかるっけ」


 エディがヘレンに尋ねると、真っ直ぐにこちらを見つめて頷いた。


「私たちは神様を探してるんだから。今までになかったくらい真剣に読んでるし、今は二回目なんだ」

「へぇ……」


 エディは何となく感心した。自分も読んでみた方がいいかと何度も思うのだが、やはり難しい。自分の両親が死ぬきっかけになった本など、とても読む気にはなれない。学校であった神学の授業も違う本を隠して読んでおり、ほぼ聞いていないに等しかった。もちろん、キリスト教が絡む本は意図的に避けてきた。


……そんな奴が神様を探そうなんて言い出したのか。


 思わず自嘲的な気分になってエディが苦笑した時、釣竿が急に強く引かれた。中々の手応えで、エディは大物を期待した。獲物を逃さないように、引いたり緩めたりと、緩急付けて釣竿を引く。しかし、釣れたのは単なる朽ち木だった。大方川底に引っ掛かっていたのだろう。

「やっぱり、変に期待したらダメか」


 そこはかとなくやるせない気分になり、エディはその朽ち木を力無く放り投げた。軽い朽ち木は大した音も立てず、静かに川を下っていった。



 焼き魚というささやかな昼食を取ったエディ達は、ようやくフライブルクに足を踏み入れた。やたらと古び、灰色がかった石造りの城が街の中央にそびえており、荘厳な鐘の音が辺り一面に響き渡っている。


「なかなか古い建物がいっぱいだね。オックスフォードど同じくらいあるんじゃない?」


 栗毛の馬を厩舎に預けてきたエディ達は、改めて町並みをよくよく見てみる。古いのは遠くにそびえる城だけではなく、街道や石造りの塀は趣がある。街の中央にある塔(マルティン塔)は言うまでもなく、この古都情緒溢れる街の象徴だった。ぶらぶらと当てもなく歩き、エディ達がぼんやり街並みを見回していると、重々しい響きを上げて塔の扉が開く。聖書を小脇に抱えた人々がぞろぞろ現れたところを見るに、どうやら塔は教会で、ちょうど礼拝が終わったようだ。


「ねえ。あの子、すごくがっかりしてるみたい」


 ヘレンはそこに混じってとぼとぼと歩いてくる、六、七歳くらいの女の子を見逃さなかった。赤みがかかった茶髪をうなじのあたりまで伸ばし、色白で子供らしく丸みのある顔、鈴の張った目は普段なら愛らしい笑顔を見せてくれるのだろうが、今は曇っていた。エディがどうしたのだろうと考えている内、ヘレンはすかさず話しかける。普段は人見知りの激しいヘレンが、困っている人を見ると放っておけないのが彼女らしいといえばらしかった。


「ねえ、どうしたの?」


 いきなり話し掛けられたせいか、警戒するような目で女の子はヘレン達を見たが、単なるお兄さんやお姉さんだとわかるとすぐに警戒を解いた。悲しそうに女の子は靴の先を見つめた。


「聖書が買えなかったの」

「聖書? 聖書くらい、本屋に置いていないのかい?」


 思わずエディが尋ねると、女の子は頷いた。


「前はおいてあったけど、急になくなっちゃったの。もう教会でしか売ってないんだけど、それがこれじゃ買えないの」


 そう言って女の子が取り出したのは銀貨三枚だ。通貨単位はわからなかったが、銀貨が三枚もあれば聖書くらい買えるだろうとエディは訝る。改めて目の前の古びた塔を見つめた。格式高いと言えば聞こえはいいが、斜に構えるとガタが来ているようにも見える。エディは悟った。


「そうか。教会は自分のところでしか聖書を買えないようにして、そのお金で教会を建て直ししようとしてるんだ」


 なるべく多くのお金を集めようと値段をつり上げる。ドーバーの港でも使われた手だ。エディは呆れてしまい、肩を竦めながら空虚な石塔を見つめた。


……聖書は神を信じる人みんなが必要としているものなのに。


 気づいたからといって教会の行いをどうにかできるものでもなかったが、せめて目の前の女の子くらいは何とかしてやろうとエディは思う。エディはヘレンに向き直ると、真っ直ぐ右手を突き出した。


「ヘレン、聖書を出してよ」


 いきなり言われ、ヘレンは当然戸惑う。しぶしぶヘレンが言われた通りにすると、なんとエディはそれを女の子に手渡してしまった。ヘレンは思わず目を真ん丸にする。


「ほら、君にあげるよ」


 ヘレンは内心ひどく呆れたし驚いたが、エディが言ってしまった手前、そして女の子の表情がやにわに晴れだしたのを見ては、何の憂いも無いような笑顔で頷くしかなかった。


「ありがとう!」


 女の子は目を輝かせて喜ぶ。ヘレンは諦めた。聖書ならまたどこかで買えるだろう。だが、エディにはきちんと叱責しておこうとする。目を吊り上げ、眉根にしわ寄せ懸命に怖い顔を作りながらヘレンはエディに正面から迫った。エディは当然肩をすくめる。


「エディ。アラミスさんのでしょ。いいの?」


 若干強まっているヘレンの語気に、エディは俯きがちにしてみせた。ヘレンの突き刺さる視線とまともに合わせることが出来ず、エディは周囲を行く人々の肩辺りに焦点を合わせたままで喋り出す。


「いいじゃないか。今一番必要としているのはこの子だよ。アラミスさんだって理解してくれる――」


 そこまで言った時、女の子が二人の腕を引っ張り始める。ひとまず矛を収め、二人は今にも飛び跳ねそうな女の子の眩しい笑顔を見つめた。


「ねぇ、うちに来てよ。そのかっこ、旅人さんなんでしょ? そういう人と会ったらお父さんよろこぶんだ!」

「ああ。助かるよ」


 エディが一も二も無く頷くと、女の子は駆け出し、こちらに向かって手招きを始めた。人混みの中で二人が自分を見失わないようにと思ってか、女の子はうさぎのように飛び跳ねて手を振っている。愛らしい様子に微笑み、エディはヘレンに耳打ちした。


「ほら。いい事だって早速あったじゃないか」


 半眼で、ヘレンは溜め息をついた。彼を責めようという気持ちにはなれないが、見え透いたごまかしはしてほしくなかった。右手に握りこぶしを作り、彼の胸を軽く叩いた。


「エディ。本当は聖書を持っていたくなかったんでしょ。 でも、断るに断れなかったから、手に入らなくて困っている人にあげちゃえって思った。違う?」


 ヘレンに嘘はつけないな。エディは素直に思った。


「鋭いね。ヘレンは」

「何してるの? 早く行こうよ!」


 陰を知らない純粋無垢な声を聞き、エディは小さく溜め息をついた。


 女の子――ルーシェという名前だった――の言う通り、その子の父であるカーフェイは通りにまで出て来て二人を出迎えた。細面で、均整の取れた目鼻立ちという美青年の顔なのだが、どこかやつれているように見えた。少し見上げる格好になっているヘレンからは、目の下のくまが際立って見える。


「聖書を下さるなんて、感謝してもしきれません。本当にありがとうございます」


 カーフェイは深く頭を下げる。最近聖書に紅茶をこぼしてインクが滲んでしまって読めなくなり、新調するつもりだったらしい。エディはヘレンの突き刺さる視線を気にしつつ、ぎこちない笑顔で頷く。


「ええ。お気になさらないで下さい」


 そう言うと、何故だかカーフェイは目をぱちくりさせる。エディ達が首を傾げると、カーフェイは腕組みをして考えこむように唸った後、静かに人差し指をエディの鼻先に向け、おそるおそる尋ねてきた。


「もしかして、イングランドの方ですか?」


 その何かを懐かしむような声色を聞いて、エディははっとなった。あまりにも自然で気づきもしなかったが、この親子はやたらときれいな英語で話しているのだ。エディも思わず尋ね返す。


「そういうあなたももしかして……」


 カーフェイは嬉しそうに頷き、エディの両肩に手を置く。


「ええ! 私もなんですよ!」


 その時、上の窓から声がした。見ると、やはり満面の笑みのルーシェが三人に向かって手を振っていた。


「お父さん! 片付け終わったよ!」

「もういいですよ!」


 ルーシェの隣から母親も顔を覗かせる。ルーシェが大人になったらこのような顔なのだろう。素直にそう思わせる面立ちだった。カーフェイは頷くと、ドアを開きながら二人を手招きした。


「まあ、そういう事ですので、どうぞお入り下さい」


 外見はやや手狭な感があったが、いざ足を踏み入れてみると家の中は整然としており、割りに広く感じた。その中でも、ヘレンは本棚の本が上下逆さまだったりするのを見逃さなかったが。


「すいませんね。外で立ち話をするような形になってしまって」


 カーフェイが水を注いだカップを手に台所から戻ってくる。慌ただしいその様子に、彼の妻――ルーシーは小言を呟いた。


「カーフ。だから机の上くらいは片付けておいたらって言ってるのよ? そしたら待たせる事も無かったのに」


 確かにいつも言われている事だが、ここにはカーフェイも譲れないところがある。仕事柄からくるこだわりなのだ。


「ルース、僕だってお願いしてるじゃないか。少し雑然としていてくれた方が文章の構想に幅が出るんだよ。結末に近づいたら整理するから」


 話しているのはどうやら窓側にある小さな机の事らしいとエディは気付いた。片付け方がやや乱暴だったようで、羊皮紙が引き出しからはみ出している。それは些事だと思い直すと、いましがた気になった事をカーフェイに尋ねる。


「文章の構想って、カーフェイさんは一体何をしているんですか?」


 カーフェイは自分の鼻先を指差すと、照れ笑いを浮かべながら頭を掻く。


「僕ですか? 僕は作家をしているんです。まあ、鳴かず飛ばずで妻や娘には迷惑をかけているんですけどね」


 カーフェイは謙遜してそんな事を言ったのだが、ルーシーは否定する。


「あなたがそんなに情けない作家だったら、イングランドを追い出された時点でお別れ。こんなところまでついてこないわ」

「追い出された?」


 ヘレンが呟やくように尋ね返すと、カーフェイは腕組みをしているルーシーや、カーフェイの机を(さっきのやり取りをきいていなかったかのように)片付けているルーシェを申し訳なさそうな目で見つつ頷いた。


「ええ。そうなんです」


 カーフェイはもともと比喩に長けた小説家で、(実生活は割と鈍感なところがあるとぼやきつつ)恋愛小説を書かせれば右に出る者はいないとまで謳われていたとルーシーは言った。裕福で何も言う事は無い生活を送っていたのだが、カーフェイ自身が言うには過去に書いた小説が原因でイングランド内での執筆を禁じられてしまったという事だった。



「物書きの仕事を取り上げられてしまうというのは、それしか取り柄の無い僕にしてみれば国外追放を受けてしまったようなもので。今でも後悔しています。どうして社会風刺するような小説を書いてしまったんだろうって」


 カーフェイはこのように締め括った。


「それで、こちらに来たんですか?」


 エディが尋ねると、カーフェイは静かに頷いた。


「ええ。ですが、ここに来てからというもの、あまりいい構想が浮かばなくて、今は妻が開いている洋裁店の収入で暮らしているんです。……そういうあなた達はどうしてこんなところまで?」


 エディは姿勢を正した。この話を聞くまでは、いつものように嘘でやり過ごそうと思っていたが、暗い過去を包み隠さず教えてもらったのだ。自分だけ嘘は付けない、公平じゃないと思った。何度か呼吸を整え、エディはよどみなく言い切った。


「バカにされるかもしれませんが、僕達は神様を探す旅をしているんです」


 カーフェイはきょとんとした表情でエディの顔を見つめている。鳩が豆鉄砲を食らったときにしそうな顔だ。やはり理解されなくても仕方がないかと思ったその瞬間、カーフェイは部屋の中央のテーブルを叩いて素っ頓狂な声を上げた。


「面白い! いきなりで申し訳ないのですが、僕にあなた達の話を詳しく聞かせて下さい! 今、とても面白い話が書けそうなんですよ!」


 今度はエディ達がきょとんとしてしまう番だった。鼻先を掻いたり髪を掻き上げたり、とにかく答えに苦しんでいると、ルーシーが静かに口を開く。


「こんなに生き生きしているカーフを見たのは久しぶりです。どうか頼まれて頂けませんか?」


 エディ達が顔を見合わせていると、ルーシェが二人の袖を掴んで尋ねた。


「ねぇ。お父さんのおねがい聞いてあげて?」


 一家総出で頼まれてしまっては、エディも頷くしかなかった。ただ、どうせ協力するなら最後まで貫きたい。お互いの考えが同じなのを確認すると、エディはあるお願いをする。


「なら、完成までここに居させて頂けませんか? もちろん仕事の手伝いはしますから!」


 カーフェイは細い眉を持ち上げ嬉しそうに頷き、エディ達にペンだこの出来た右手を差し出した。


「ええ。こんな狭い家で構わないなら、どうぞ居て下さい」


 エディとヘレンは、カーフェイの右手にその手を重ねた。

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