承段 華の都
「うん。やっぱりおいしい。さすがですね! 今まで食べた中で一番ですよ!」
馬車に乗って六日目、ボン=サント=マクサンスの街でエディ達は小さな宿に泊まっていた。この六日間、色々な(安)宿に泊めてもらったが、どの宿にも共通するのは食事が美味しいということだった。どの街の宿主も料理にはこだわりを持っているらしく、素朴ながらも趣向を凝らした料理がよく出された。今日のフリカッセなどは、今まで食べてきた煮込み料理の中で確かに一番、その賞賛には一分のお世辞も無かった。カウンターのところに立っていた若々しい青年店主は、頬杖つきながら照れてにやにやする。
「そうかい? 別にどことも変わらないよ」
「そうですか? じゃあ、フランスの料理って何でもおいしいんですねえ」
店主は思わず頬杖を崩してしまった。エディは別にどこかと食べ比べておいしいと言っていたわけでなく、純粋に初めて食した上での感想なので、へりくだれば当然信じてしまう。『そんな事ないですよ』などとは決して言わないし、言いようがない。他に食べたことがないからだ。店主は溜め息をつく。
「何だ……俺のフリカッセが初めてなのか。旅してるっていっていたけど、フランスに来たばっかりか」
エディは頷いたし、隣のヘレンも遠目には分からないほど微かにだが、頷いた。エディは玉ねぎを一つスプーンで崩しながら答える。
「僕達、イングランドから来たんです」
店主はなるほどと言って何度も何度も頷いた。アングレーズ、イギリス風といえば茹でるか焼くだけ。イギリス旅行から帰ってきた友人が、『味がない』と言ってけなしていた。朝食だけは美味しかったらしく、『イギリスで旨い料理を食べたかったら、三度朝飯を食べればいい』とまで皮肉っていた。店主は短い金髪を指ですきながら尋ねてみる。
「イングランドの料理があまり美味しくないって、本当なのかい」
エディとヘレンは見つめ合って苦笑いした。二人の親が、別段料理が苦手だったというわけではないし、むしろ得意な方だったろう。だが、フランスの料理とイングランドの料理では根本的に質が違い、同じ土俵に立つことさえ出来ない。旅に出てみると、エディ達はイングランドの新たな一面が見えてくるような気がした。
「ええ。僕達も今わかりました。僕達がおいしいと感じていたのは、作ってくれた人の愛情なんですね」
エディがジョーク交じりに言ったそのセリフだったが、ヘレンの心にはしっとりと深く響いた。鶏肉や人参などの、食材の出汁が染み込んだ玉ねぎを一欠片口に運び、ヘレンは味わう。宿主の『美味しく食べてもらいたい』という思いが伝わってくる気がした。
「そうだね」
エディにも聞こえないくらい小さな声で、ヘレンは相槌を打った。
翌日の正午前、ようやくエディ達は花の都、パリへと辿り着いた。どこだかの街で内乱が起きているのが嘘のよう、パリジャンにパリジェンヌ達は変わることの無い平凡な日々を送っているようだった。
「すごく綺麗な街だなぁ! 噂には聞いてたけど、ここまでとは思わなかったなぁ。でしょ?」
エディは思わず顔を輝かせて街を見渡す。アルビオンよりさらに白い輝きを放つ城壁、青い屋根の尖塔を持った王城から、放射状に大通りがのびている。家々も白い壁で概ね統一されており、道の真ん中に並木が植えられているとあって、パリの町並みのそのものが一種の芸術であるかのようだった。ヘレンも嘆息を洩らして町並みを見回した。
「芸術の都、花の都の名前は伊達じゃないってことね」
ヘレンは焦点を近くに合わせる。街が洒落ていれば道行く人まで洒落ており、服にしわが少なく、髪もきちんと整えられていた。それより彼女の目を引いたのが、着飾った女性達だ。フリルで飾られたドレスを身にまとい、羽根飾りをあしらった帽子を被って、扇子で顔を隠しながら談笑している。ヘレンはその姿を見てさらに嘆息した。
「いいなあ。あんな服が着られるなんて羨ましい」
ヘレンがそう呟いたのを聞いて、エディはまじまじと貴婦人達を観察した。大胆に胸元を広く見せ、コルセットでこれでもかと腰回りを引き締めている。裾が不自然に広がっており、貴婦人達の間合いは少々遠くなっていた。質素、そしてのんびりした雰囲気の母に育てられたエディには、その姿がどうにも滑稽、そして無理しているように見える。エディはうなじを掻きながら首を傾げた。
「そうかなあ? 何だか窮屈そうだけどねぇ」
「私も一度でいいから着てみたいなあ」
女の子らしい夢に浸っているヘレンを見て、エディは彼女に貴婦人の格好を当てはめてみる。特に、帽子と扇でほとんど隠れてしまった笑顔を想像し、エディは苦笑してしまった。その笑い声を聞き逃さなかったヘレンは、一気にふくれっ面になる。
「ひどい。似合わないって思ったんでしょ」
「だ、誰もそんな事は言ってないんじゃない?」
エディは慌てて繕ったつもりだったが、中身が伴っていないその声は上ずる。その言葉尻を捉え、ヘレンはしかめっ面のままでエディの鼻先を指差した。
「顔に書いてあるんだけど」
言い訳を諦めたエディは、素早く周囲に目を走らせる。飛び込んできたのは、美味しそうに焼けたパンの山だ。それを指差し、エディは棒調子の声を上げる。
「ああ。あのパン、キツネ色に焼けてて美味しそうだなあ……」
「え?」
エディの狙い通り、ヘレンはパン屋の方に気を取られた。服より食べ物という辺り、彼女はやはり庶民だ。ドレス姿に憧れていた姿は何処へやら、既にパンの美味しそうな匂いに釣られ、柔らかい笑みをうかべている。ドレス姿が似合わないと思った自分の感覚は間違っていないと、エディは想像を確信へと昇華させた。
その時、近くのカフェが騒々しい雰囲気になっていることに気がついたエディは、注意深くその様子を伺い始めた。一触即発という雰囲気で三人組が二つ向かい合い、何事か言い争っているようだ。片一方は余裕綽々、言い争いを言い争いとも思っていない雰囲気だったが、もう一方は今すぐ飛びかからんという雰囲気を醸し出し、テーブルを三人で代わる代わるばんばん叩いていた。余裕たっぷりのほうがため息を付き、何事か書きつけて突き出した。それを受け取った怒れる三人組は、突然ぞろぞろとその場を後にしていく。余裕のある方も、怒れる方とは反対に向かって歩き出した。
「どうしたの?」
ヘレンがパンをいくつか抱えて戻ってきた。ちょうどお昼時で、お腹も空いていたエディは無造作にパンを一つ掴み取る。目はもちろん、カフェから立ち去った男達の背中を追い続けている。エディはパンをちぎりながら答えた。
「いや。あの人達がどうにも気になるんだよね」
エディはパンを一欠片口に放り込むと、残りは手にぶら下げたままで道向かいのカフェへ行き、初めに目についた読書家に尋ねた。
「あの人達はこれからどうするつもりなんですか?」
真っ昼間から流暢に本を読んで過ごしているような人物だ。知識もあり、英語でも問題なく通じた。
「さあ。でも、軍人が話で事を解決できなかったら、剣を抜くしかないと思いますよ?」
つまるところ、彼らは決闘になったということだ。エディは父の日記の一ページを思い出す。ある時、父は見知らぬ貴族から介添人を頼まれたらしい。そこで決闘を直に見た父は、金輪際こんな思いはごめんだと書いている。とにかく血なまぐさいものなのだろう。はじめてそのページを読んだエディも、そこまでする意味があるのだろうかと、批判的な疑問を覚えたきりだった。
だが、次に客が入った言葉はいやが上にもエディ達の関心を引く。
「それに、あれは銃士隊と親衛隊。プライド高くて、犬猿の仲だから、かち合ったらいつも決闘沙汰まで発展するんですよ」
銃士という言葉に、エディはすぐさま反応した。知識人の方へ身を乗り出す。知識人は軽く驚いて椅子を引いた。
「その話をもっと詳しく教えて頂けませんか?」
決闘するのがアトス達本人ならば万々歳だが、それでなくても重要な手がかりを得られるはずだ。エディがじっと知識人を見つめる前で、彼は考えこむような仕草をした。
「聞かれてもねぇ……『いつものことか』って聞き流してたから……ん。そうだ。西の林の中にある、古びた教会前が決闘の名所だそうだよ。この前も、友人が面白半分で見てきたって言っていたよ。私はおばかさんだと思ったけどね。それにしても、そんなことを私に聞いて、一体どうするつもりです?」
それだけ聞ければ十分だった。エディは知識人の手をさっと取り、変わりの無い明るい笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます!」
知識人は戸惑ったが、ゆっくりとそのしなやかな手を握り返す。同時にまだ自分の疑問が未解決なことに気が付き、愛想よく目を細めながら繰り返す。
「別に構いませんけど、どうして私にそんなことを尋ねたのですか?」
「少し銃士の人に用があったんですよ。ありがとうございます! これから行ってみますね!」
それだけ言うと、エディはヘレンの腕を引っ張り西の方角へと駆け出してしまった。知識人は慌てて立ち上がる。
「あ。そんなところにわざわざ行かなくても……Dans ceci, je ne serai plus connu.(これじゃ、もう聞こえないか)」
知識人は頭を掻きつつ、人混みへと消えてしまった少年達の姿を頭に描く。少女の方は慎重そうで、少年の言動に驚いたような表情をしていたが、少年は全くお構いなしに、自分の信じた道を一直線に突き進んでいた。
「C'est un voyageur mystérieux……」(不思議な旅人だな……)
エディはさっさと西に急ぐ。銃士の人にどう話しかけるだとか、身の安全の確保だとか、そういう考えはどこかに投げ捨てていた。
「銃士なら丁度よかった。その人達と話せば、アトスさんやら誰さんやらに会えるかもしれない」
エディが投げ捨てたものを全て掬い上げ、ヘレンは相も変わらず不安そうな表情だ。無駄だと心の隅で思いつつも、
「でも、私達の目的はそこにあるわけじゃないし……ここまでする意味あるのかな」
エディは風に揺れる森を見据えながら小さく頷いた。確かに旅の目的地は遥か東の地にある。のんびりしていたら何年かかるか分からない。だが、この頼みに関しては、ヘレンが言う『ここまでする意味』があるとエディは信じていた。
「ダルタニアンさんのお陰で、俺達はフランスに来れたんじゃないか。お礼はきちんとしなきゃ」
それはリボンと私達を争いに巻き込んだのとでとんとんじゃないの? そんな思いがヘレンの脳裏をかすめたが、思いつきだろうがなんだろうが、一度決めたらこうしてどこまでも突き進んでしまうのがエディなのだということは、旅を始めてから幾度と無く思い知らされてきた事だ。今さら何を言っても無駄だと諦め、ヘレンは無事に決闘現場から帰ることだけを考え始めた。そのうちに森の中へと二人は足を踏み入れる。エディはようやく歩調を緩めた。
「さあて。古ぼけた教会って、どこにあるのかな?」
エディは雑木林を割るように伸びた、広い道路を頭の後ろに手を組みながら歩いて行く。どうということはなく、歩いているうちに見えてきた。道の脇に立っていた。ヘレンはエディの前に出て指差す。
「着いたみたいだけど……これからどうするの?」
ヘレンの尋ねる声を聞きながらエディは人影を探し、一つもないのを確認する。そして、教会の真向かいに身を隠すには丁度いい茂みを見つけた。隙間も程良く空いており、決闘の様子を見守るのにも向いているように見える。エディは茂みに片足突っ込みながらヘレンを手招きした。
「ヘレン、ここに隠れよう」
エディが手招きする方へ行こうとした時、ヘレンの目にこちらに向かってくる三人の男が飛び込んで来た。心臓がひっくり返りそうになるほど驚き、ヘレンは慌てて茂みに飛び込む。
「え、エディ。来た、来たよ!」
「わかったから静かにして。見つかるじゃないか!」
ヘレンの言う通り、三人が教会の前で立ち止まって周囲に目を配っている。エディが目を凝らしてみたところ、果たし状を付きつけられた方の三人組だった。
「遅い! どうして奴らは来ない!」
三人のうち、エディよりも頭一つ分以上背が高い男が怒号を上げる。怒りはもう頂点らしく、レイピアをいきなり抜き放って振り回し始めた。ヘレンは胃の奥が震えるような気がしてエディの表情を窺う。エディは真剣そのものの表情で、剣を振り回す姿を見つめていた。
そうして五分程経った頃、ようやくもう一方の三人組が揚々と現れた。三人で談笑しながら歩いてきて、とても決闘前の様子には見えない。しかし、この三人こそ親衛隊に白昼堂々果たし状を叩きつけた銃士達だった。