プロローグ
漆黒の闇の中、ロウソク一本薄暗く灯されている。その元に浮かび上がるのは埃が薄く被った床、白いベッド、見下ろす男。白い布で、口と鼻を隙間なく覆っている。そして、病に伏した女性。その顔は真っ青で頬もこけ、目は落ち窪んでおり、虚ろに宙を見つめている。骨と皮だけになった彼女は、残り僅かの命で何事か呟こうとしている。既に手の打ちようを失ったその医師に出来る事といえば、その言葉を聞き遂げるだけだった。医師は耳を澄ませる。
その時、悲鳴のような泣き声と共に、激しくドアが叩かれる音が響き渡る。時折音が途切れ、壁に何かをぶつけるような音がした。それでも、しばらくするとまたドアが壊されんばかりに叩かれる。女の子の叫び声、医師の手伝いの弱々しい声が響く。
「お母さん! お母さん!」
「いけません! あなたまで病気になってしまいますよ!」
「どうして会わせてくれないの? ねえ! お母さん!」
医師はそんな外のやり取りに耳を塞ぎ、蚊の鳴くような声に全ての意識を集中する。
「……あの、子を、幸せに……」
医師は目を伏せた。
神様はどうして時にこうも残酷になれるものだろう。何の罪もない人々が病気にかかり、何がどうしたかもわからないうちに死んでいく。怒っておられるのだろうか。神様を差し置いていたずらに傷つけあう、哀れで愚かな我々に……ああ。神様、もうおやめ下さい。人は独りではないのです。取り残された幼い少女は、一体これからどうして生きていくのでしょうか!
ロウソクの消えた暗闇の中、医師の心の叫びは虚しく呑み込まれていった。