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あなたはこの家にいりません

掲載日:2026/06/21

「ワインをもってこい!――俺が満足いく味じゃなければ、お前の顔でビンを叩き割ってやるからな!」

「は、はい!今すぐ持って参ります!」


 レブルムの声で侍女が焦って走り出す。

 普通の家庭で繰り広げられる会話ではない、でもこの家ではこれが日常。我が侯爵家は狂っているのだ。当主レブルムのせいで。


「そのような言い方お止めください。侍従の者がいなくなってしまいます」

「黙れアバズレが!あまり調子に乗るなよ。お前が正妻でいられるのは公爵家の人間だから、と言うだけだ!いざとなったら売り払ってやっても良いんだぞ!」


 廊下にまで響きわたるレブルムの声。その後痛いほどの沈黙。

 家の従者は、皆おびえ、どんな時も言葉を発さないようになってしまった。しゃべれば怒りが飛んで来る。それを身に染みて理解しているのだ。

 レブルムに口出しできるのは、この家で私だけ。実家の後ろ盾がある私に対しては、思いきり暴力を振るうことも、どこか遠くへ押しやることも出来ない。でも、それだけだ。皆を守れるほどたいした力は持ち合わせていない。それがとても不甲斐なくて、悔しかった。


 侍女が一本のワインを運んで、レブルムのグラスに注ぐ。レブルムは何も言わずに一口飲み、褒めるでもなく貶すでもなく、グラスを机に置いた。侍女の安堵のため息が聞こえるようだった。


「――明日から数週間不在にする。家の事はやっておけよ!」

「ですがレブルム様の公務が。不作により、領民より食料支援が欲しいと」

「――公務!?お前、今俺に命令しやがったのか!」

「そうではございませんが、やるべき事が」

「うるせぇ!俺に指図するんじゃねぇ!」


 レブルムが、侍女からワインのビンをひったくり私に向かって投げつける。私の手前の机でビンが割れ、中身が私に飛びかかる。われたガラスの破片が頬をかすめ、顔が燃えるような熱を帯びた。私の服には、赤ワインの濃いルビー色と頬からの暗褐色が混ぜ合わさり、赤のまだら模様が描き出されてた。


「俺がどこで何してようがお前には関係ない!例え犯罪に手を染めていようが、他の女と会っていようが、お前が口出しする権利なんかないんだよ!――もう一回指示なんかしてみろ!一生残る傷を負わせてやるからな!」


 私の髪からワインがしたたり落ちる。頬から体液が流出していく。


「……かしこまりました。行く先もお気をつけください」


 私の言葉に満足したのか、ワインを投げてすっきりしたのか、ルブルムは食事を残したまま食卓を後にした。彼が扉から出た瞬間、部屋にいた侍女が私に駆け寄る。「申し訳ございません、リーナ様」と何度もつぶやきながら、ワインで染まった私の髪を、血があふれ出す私の頬を、ハンカチでどうにか収めようとする。

 でもハンカチ一枚じゃどうしようもなくて。侍女はいつの間にか泣いていた。


「あなたが謝ることじゃないわ」


 私はゆっくりと侍女の頭をなでた。侍女は嗚咽を漏らしながら泣いた。

 私がどうにかしなくては。レブルムをどうにかしなくては……


******


「今日の事は奥様はご存じなの?」

「知るわけないだろう?」

「まぁ悪いお方!」


 俺はカリアナと馬に相乗りして山を歩いていた。後ろから抱きつくカリアナ。押し当てられる感触が心地よい。

 今日の昼はカリアナと狩猟デート――そして夜はカリアナを狩るのだ。


「カリアナ、もっとくっついた方がいい。この山は熊が出ると噂だからな」

「この山、熊が出るんですの!?怖いわ、レブルム様!」


 ギュッとハグする力が強くなる。それに伴って背中にあてられた柔らかい物が、形を変えながら俺を包む。

 ――ふん、悪くないな。カリアナは妻のリーナと違って、女としての立場をよく理解している。男爵家出身という身分でなければ、今すぐにでもリーナと妻の座を入れ替えたのだが。


「そうおびえるな。基本的に熊は臆病な生き物だ。よほど餌に飢えていない限り、のこのこ現れることはない。――なに、もしバカな熊が目の前にやってきたら俺が一刀両断してやろう」

「キャァー!素敵!さすがレブルム様!」

「――しかし、今日は獲物が少ないな。いつもであれば鳥や鹿や猪がそこかしこにいるのだが」


 今日訪れたグレタ山は、我が侯爵領の中でも豊かな生態系が築き上げられている。軍隊が数週間かけて狩る、みたいな事がない限り獲物がいなくなることはないだろうが……まさかこの俺が獲物を見落としている、ということもあるまい。

 何かよく分からないことが起きているらしい。


「よし、今日はここまでで帰るぞ」

「えっ!もう帰るのですか!?」

「――いいから帰るぞ。俺の判断だ」


 俺は馬の進行方向を、元来た方角に戻す。その時だった。グゥーと低いうなり声が聞こえた。

 ――熊の鳴き声だ。


「カリアナ、望み通りの熊だぞ」

「く、熊ですの!帰りましょう!今すぐ帰りましょう!馬ならすぐに逃げられますよね!」

「バカな事を言うな。熊はああ見えてかなり素早く動く。二人乗りの馬なんて追いつかれるに決まってるだろう」


 俺はゆっくりと馬から降り、馬の腹に取り付けていた剣を抜く。

 悪くない女だと思っていたが、ここまでバカだと面倒だ。これならまだリーナの方がまし。飽きたら捨ててしまおう。


「馬に乗ったままジッとしてろよ。――変な事はするな。お前よりも馬の方が賢い」


 俺はそう言って、うなり声の先に向けて剣を構える。

 木立の中からゆっくりと熊が現れる。立ち上がれば三メートルに届きそうな巨体。久しぶりの大物だ。


 熊が唸る。振り抜く前足。ギリギリで躱し、それを切る。だが両断できない。途中でつまりすぐに引く。なかなか分厚い野郎だ。

 熊は先ほどの一撃で警戒して、少し離れた位置からこちらを睨みつける。普通だったら怪我をした時点で逃げているのだが、やはり何かおかしい。


 熊がもう一度叫び飛びかかる。心臓に剣の照準を合わせ、狙い刺した。大きなうなり声。剣で生命の鼓動を感じる。そして動かなくなる。


「おい、やってやったぞ。さっさと帰ると」


 その瞬間もう一体の熊。いや、後三体現れる。何だ?何が起きている?


「キャァ!」


 馬が暴れ、カリアナを振り落とした。振り落とされたカリアナは、ちょうど俺の目の前に投げ出される。馬はそのまま颯爽と逃げていった。熊達は馬をチラリと見たが、すぐ俺たちに向き直る。人を乗せていない馬は、さすがに熊よりも早い。熊もそれを理解したのだろう。


 三体は分が悪い。俺は剣を引き抜く……いや、抜けない!この熊、筋肉が固まって剣を抑え込んでやがる!

 一体の熊が俺に向かって飛びかかる。迫る前足。左腕を前に出し、受ける。反動で吹き飛ぶ体。左腕はもう力が入らない。二の腕はへしゃげ、原型を留めていない。皮膚の隙間からのぞく肉と骨が、赤黒い輝きを放っている。吹き飛ばされた衝撃であばらが折れた気がする。少し体を動かすと、ピシッと神経の先に響く衝撃が広がる。

 

 クソ、クソ!一体、何だってんだよ!

 目の前に迫る三体の熊、泣きじゃくるだけの無能なカリアナ――無能なカリアナ?


「おいカリアナ、どうせ死ぬなら俺の役に立ちたいよな?」

「グスッ!へっ?」

「俺のために死んでくれよ!」


 俺はそう言ってカリアナを思いきり蹴飛ばす。カリアナは三匹の熊の前に躍り出る。


「な、何するのよ!ギャァ!ギィヤァァァ!!」


 後ろのカリアナの絶叫に振り返ることなく、俺は全力で走る。熊が迫っているかも知れない恐怖で、小便を垂れ流しながら。左腕が使えないせいで、うまく体のバランスが取れない。何度も無様に転んだ。足を捻った。顔が泥だらけになった。でも止まることはできない。

 一体どれほど走っただろう。まともな道が見えてきて、そこに兵隊が数人歩いていた。

 生き延びた。生き延びたのだ。


「――おい、お前ら。今すぐ俺を治療出来る場所へ運べ。俺を誰だと思ってやがる!」

「……もしかしてあなたが、領主のレブルム侯爵ですか!?」

「そうだ、わかったなら今すぐ運べ!この無能共が!」


 兵士が俺に駆け寄ってくる。俺は生き延びたのだ。あの地獄を。

 俺は解放されたのだ。さすが俺だ。運が、天が、全てが味方している。俺のために死んでくれてありがとな、カリアナ!


「レブルム侯爵、あなたにはカリアナ男爵令嬢を殺した罪で逮捕しろと命が下っている。大人しくしてもらうぞ?」


 は?こいつは何を言っているんだ?

 縄が右手に、折れてる左手につけられる。意味の分からない痛みが、体を突き抜ける。


「おい、俺は領主だぞ!誰の命令だ!」

「そもそも我々は公爵家の者だ。ルーナ様の命により参上した。お前に命令権はない。暴れるな。右腕も折られることになるぞ!」


 一体どういうことだ。ルーナ、ルーナだと!?

 何が起こってやがるんだ!?


******


 レブルムは裁判により有罪の判決が出た。

 ()()()()私の兵が保護したカリアナさんが、レブルムに殺されかけたと宣言したのだ。一時期はらわたが外に出る程の重傷を負ったものの声の通りは良かった。レブルムは現在地下に監禁中。極刑が相応しいかの議論が行われている。


 熊が何者かに操られているとレブルムは主張していたが、誰からも相手にされることはなかった。

 まぁ、調べても何も出ないだろう。領民から食料要請があったから、軍を使って数週間グレタ山で狩りを行っただけだ。生態系が乱れ食糧難に陥った熊が、たまたま人を襲うことはあるかもしれないが、操っているわけではない。

 全ては()()()()なのだ。


 最近は従者の顔色が良い。皆だんだんと活発に話すようになってきた。

 私は侍女が淹れてくれた紅茶をゆっくりとすする。優雅な香りに包み込まれる。結婚してから初めての感情。私はゆっくりと笑みを浮かべた。

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― 新着の感想 ―
たまたまなら仕方がないですね。たまたまなら。
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