■第1話 「俺の義姉は、同級生で、しかも国民的女優だった」
――その日も、ただのいつも通りの一日になるはずだった。
「おい伊織、聞いたか?」
朝の教室。
席に座るなり、背後から肩を叩かれた。
「何をだよ、和真」
振り返ると、親友の菅原和真がニヤニヤしている。
「例の“白瀬舞衣”だよ。新ドラマ決まったらしいぞ」
「あー……あの有名なやつか」
名前くらいは知っている。
テレビをほとんど見ない俺でも、さすがに耳に入るレベルの存在だ。
――国民的女優、白瀬舞衣。
「お前ほんと興味ねえよな。あれだぞ?学年の女子、半分くらい憧れてるらしいぞ」
「へえ」
適当に相槌を打つと、和真は呆れたように肩をすくめた。
「人生損してるわお前」
「別にいいだろ」
そう言いながら、俺は教室を見渡す。
クラスの男子――
神保亘、相葉正佳、二宮真匡、櫻井博和あたりが騒いでいる。
「いやマジで可愛すぎるだろ白瀬舞衣」
「分かるわ〜、あの目な」
「演技もやばいしな」
女子の方では、
百瀬晴海、森本千穂、三森祥子、遠藤千夏がスマホを覗き込んでいた。
「このシーンやばくない?」
「え、泣くんだけど……」
「尊い……」
――クラス全体が、同じ話題で盛り上がっている。
ただ一人を除いて。
教室の窓際、一番後ろの席。
静かに本を読んでいる女子。
黒髪ロングで、目立たないようにしているが――
どこか、妙に整っている顔立ち。
名前は――確か、
「……白瀬」
いや、違うか。
同じ苗字なだけだろ。
そんなことを思っていると、
「どうしたの、伊織くん」
突然、背後から声がした。
振り返ると――
「おはよう」
そこに立っていたのは、幼馴染の水瀬蒼葵だった。
「……朝からテンション高いな」
「普通でしょ。それより、今日うち来る?」
「なんでだよ」
「別にいいじゃん。久しぶりに」
距離が近い。
昔からそうだが、こいつは本当に遠慮がない。
「今日は無理だ。用事ある」
「ふーん……」
少し不満そうに頬を膨らませる蒼葵。
その様子を見ていた周囲の男子がざわつく。
「いいなあ神谷……幼馴染」
「リア充かよ」
「違うから」
即答すると、蒼葵はくすっと笑った。
「はいはい」
――この時は、まだ何も知らなかった。
今日が、人生で一番おかしな一日になるなんて。
⸻
放課後。
「じゃあな伊織」
「おう」
和真と別れ、俺は家へと向かう。
いつも通りの帰り道。
変わったことなんて何一つない。
――はずだった。
「ただいま」
玄関を開けると、
「おかえり、伊織」
母さんの声が返ってきた。
……いや、
「ちょっといい?大事な話があるの」
その声音に、違和感があった。
リビングへ入ると、そこには――
母さんと、見知らぬ男性。
そして。
「……え」
その隣に座っていたのは、
――見覚えのある顔だった。
黒髪。整った顔立ち。
どこか冷静で、静かな雰囲気。
教室の、あの女子。
「……白瀬?」
思わず名前を口にした瞬間。
彼女はゆっくりとこちらを見て、微かに目を細めた。
「やっぱり、同じクラスの人だったんだ」
落ち着いた声。
けれど、その一言で確信した。
――この人だ。
テレビで見たことのある、あの顔。
国民的女優、白瀬舞衣。
「……は?」
頭が追いつかない。
なんで?
なんでここに?
すると、母さんが静かに言った。
「実はね、お母さん――再婚することになったの」
「……は?」
「こちらが、そのお相手の白瀬さん。そして――」
母さんは、彼女の肩にそっと手を置く。
「この子が、舞衣さん。あなたの……義理のお姉さんになるの」
――思考が止まった。
「……いや、待て」
整理が追いつかない。
同級生で、クラスメイトで、
しかも国民的女優が、
「……義姉?」
「そういうこと」
淡々と答える舞衣。
まるで他人事のように。
「よろしくね、伊織くん」
軽く微笑む。
――その笑顔は、テレビで見たものと同じだった。
⸻
その夜。
頭の中がぐちゃぐちゃのまま、夕食を終えた後。
「伊織くん、ちょっといい?」
廊下で声をかけられた。
振り向くと、舞衣が立っている。
「……なんだよ」
「話があるの」
そのまま、俺の部屋へと入ってくる。
ドアが閉まる。
――二人きり。
「……で?」
落ち着かない空気の中、舞衣は静かに口を開いた。
「今日のこと、学校では絶対に言わないで」
「それは……まあ、言わないけど」
「あと、私の正体も」
「……ああ」
まあ、それは分かる。
バレたら大騒ぎどころじゃない。
けど――
「なんで同じクラスで黙ってたんだよ」
「必要なかったから」
「いや普通気づくだろ」
「気づかなかったでしょ?」
「……」
言い返せない。
確かに、まさか同一人物とは思わなかった。
沈黙が流れる。
そして。
舞衣は、少しだけ視線を逸らして――
「それと、もう一つ」
ぽつりと言った。
「私たち、結婚することになったから」
「…………は?」
数秒、意味が理解できなかった。
「……今なんて?」
「結婚するの。私と伊織くん」
「いやいやいやいや」
思わず後ずさる。
「ちょっと待て、意味が分からない」
「契約みたいなものよ」
「もっと分からない」
舞衣は淡々と説明する。
「家の事情と、私の仕事の事情。お互いにメリットがあるの」
「メリットって……」
「詳しいことは後で話す。でも、もう決まってるの」
――逃げ場はなかった。
「……本気か?」
「本気」
真っ直ぐな目。
冗談じゃないと分かる。
心臓が、やけにうるさい。
「だから――」
舞衣は、一歩近づいてきた。
距離が、一気に縮まる。
「これからは、家では夫婦として接するから」
「……は?」
「でも学校では他人」
指先が、俺のシャツを軽く掴む。
「絶対にバレちゃダメ」
囁くような声。
その距離は――もう完全に、他人じゃない。
「……なあ」
「なに?」
「これ、本当に現実か?」
「現実よ」
舞衣は、ほんの少しだけ笑った。
――その笑顔は、テレビよりもずっと近くて。
そして、ずっと破壊力があった。
⸻
こうして俺は、
同級生で義姉で、しかも国民的女優の彼女と――
“夫婦”になった。
クラスでは他人。
家では妻。
この狂った生活が、明日から始まる。
⸻
――そしてこの時、俺はまだ知らない。
幼馴染の水瀬蒼葵が、この関係にどう関わってくるのか。
学年一の美少女、西宮七瀬が俺に興味を持つこと。
そして――
舞衣と同じ世界で戦う女優、城之内弥生が動き出すことを。
⸻
すべては、ここから始まる。
⸻
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